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第十二話 その2
2197年11月
ナデシコの格納庫に避難させたエステバリスパイロットを交えて、ブリッジにてユリカの打開策が提示された。
その力尽くとしか呼べない方法に、一部のクルー以外は驚愕の余り動きを止めてしまう。
『僕は反対だね。
確かに現状打破には繋がるかもしれないけど、そこまであの艦隊の面倒を見る必要は無いだろ?
言い方は悪いけれど、こっちは東南アジア方面軍に出向している戦艦で、向うは西欧方面軍の所属艦隊。
職業軍人を助ける為に、僕達が危険を冒すのは違うと思うんだよね。
それに、極論だけどさ、ナデシコさえ無事に残っていれば、最終的には勝てる筈でしょ』
アカツキからの反論を受けて、ユリカはその意見自体は認めた。
ユリカから見た限り、アカツキは頭の回転が速い人だと認識していたので、この反論は他のクルーの気持ちを代弁しているのだと捉えたのだ。
「確かにアキトが無事で、その機体が十全に動かせる状態なら、最終的に私達は勝てます。
しかし、その場合には味方艦隊は見殺し状態で放置され、良くて壊滅、下手をすると全滅しています。
そうなると、生き残ったナデシコに対して連合軍内で、今後どのような風評が下されるか、簡単に予想出来ますよね?」
『味方殺しのナデシコ、か』
忌々しげにアカツキが呟く。
実際のところ、去年に強行した地球脱出時の風評もまだ拭い切れていない現状で、その忌み名を貼られるわけにはいかなかった。
どこまでも足を引っ張る味方艦隊の存在に、敵以上に厄介だな、とアカツキが小さく呟く。
「ですが、その策を実施すると大変な機密漏洩に繋がりますよ。
まずはテンカワさんの存在とDFS。
そして、ルリさんのハッキング技術すら知られる。
ネルガルの社員としては、到底認められない損害です。
この戦闘にしても、ナデシコ単艦の処理能力を超えていたと判断されれば、それ程の悪評は付かないはずです。
それなのにこの戦闘に介入すると・・・本当に艦長はそれで良いのですか?」
プロスが何とか別の策を使えないかと、ユリカに向かって必死に話しかける。
確かに味方殺しなどの名前はデメリットだが、助ける事によるデメリットも大きなモノだったのだ。
そんなプロスに向けて、ユリカはいっそ清々しいまでの笑顔で応えた。
「友軍の命だけじゃないんです、私達の未来も掛かっている作戦なんです。
ここで味方艦を救うというメリットは、必ず今後のナデシコにとってプラスになるでしょう。
それに、ある意味この窮状は、何処かの誰かさんがナデシコの底力を引き出す為に仕掛けた罠です。
味方艦隊はその生贄に選ばれた、被害者みたいなものです。
ならこの際、隠し事をして後悔するより、大っぴらに見せ付けてやりましょう」
もっとも、二人の同意が必要ですけどね、と言ってユリカは黙り込んだままのアキトとルリに視線を向けた。
その視線を受けてルリは無言のまま頷き、その後で視線をアキトに向けた。
全員が注目する中、アキトは無言のまま目を閉じて考え込んでいた。
「・・・駄目かな、アキト?」
心配そうに尋ねてくるユリカの声を聞きながら、アキトはナニかが大きく動き出す気配を感じていた。
『戻る』前には無かったはずの罠、そして大きく乖離しつつある未来。
ここでの選択によって、自分のこの先の未来が決定する事を直感的に確信したのだ。
ある意味、今までは未来の記憶と言うガイドラインに沿って事を進めてきた。
だが、ここまで乖離が大きくなれば、既に未来は別物に変化していくと考えられる。
安全を取って、これ以上の乖離を防ぐべきか、それともユリカ達が望む力を奮い、未知の世界に踏み出すのか。
アキトが思い浮かべるのは再会時のルリの泣き顔であり、テニシアン島で見たユリカの笑顔だった。
そして、ラピスの信頼しきった瞳や、ナデシコクルー達の笑顔に、『戻って』きてから出会った人達の顔が思い出される。
自分が力を求めた理由が、そこには確かにあった。
元より望んでいたのはユリカやルリ達、家族を守る為の刃、ならばその意を受けた以上、揮う事に躊躇いなど無かった。
『・・・派手にやっても良いんだな?』
「うん、思いっきりやっていいよ」
『やり過ぎるかもしれないぞ?』
「大丈夫、テニシアン島でも言ったよね。
私は何があってもアキトの味方だって」
それを聞いて目を開いたアキトの顔に、鎖を解き放った獣が浮かべる猛々しい笑みが刻まれる。
その笑みを見てこの先に展開する徹底的な破壊を思い、アカツキ達が青くなるなか、ユリカとルリの顔には笑みが浮かんでいた。
混乱を極める艦隊司令部の中で、青い顔をした将官が太った身体を震わせながら現実逃避をしていた。
親の七光りで軍人学校を入学し、我侭三昧で卒業後もさしたる苦労も無く准将にまで上り詰めた男だった。
しかし、今、親の威光が通用しない存在に襲われ、パニックへと陥っていたのだ。
普段の威張り散らした態度の欠片も見えない、怯えるばかりの准将に愛想を尽かした面々は、それぞれが生き残りを賭けて足掻いていた。
上は無能でも、下は有能なら現場は回ると言う典型的な見本だった。
「くそっ!! 三つ目の障壁も突破されたぞ!!
このままだと完全に艦のコントロールを奪われる!!」
「未知のウィルスだな、今までのワクチンがまるで効かん!!
内部から感染したことで、一番防御の厚い防壁が機能しなかった事が致命的だ!!
畜生!! 全然時間が足らん!! ワクチンの作成も行えないぞ!!」
心の苛立ちをぶつけるかのように、手元のコンソールに情報士官が手を打ち付ける。
目の前で徐々に侵略されていくシステムが、自分達の命運を示しているだけに声に焦りが混じっていた。
出撃しているエステバリス隊の安否も気になるが、正直そこまで手が回らないのが現状だった。
辛うじて防御フィールドは展開できているが、そのコントロールも何時奪われるか分かったものでは無い。
そもそも、命綱とも言える火器管制システムを、最初に攻略された事が未だに信じられない出来事なのだ。
「何か手は無いのか!!
せめて基幹システムだけでも切り離せないか!!」
「基幹システムも一部汚染されている以上、下手に切り離しても効果は望めません!!
それに、今のタイミングで基幹システムと切り離すと、今現在何とか展開している防御フィールドすら消失して、即撃沈です!!」
「くそったれが!!」
このままでは同士討ちという最悪のパターンで終りかねない、そんな思いが篭った言葉を情報士官が吐き出した時、場違いなメールの着信音が響いた。
「・・・この状態の艦にメール?」
ほぼシステムを乗っ取られた現状でのメールの着信に、訝しげな顔をしながら差出人を確認する。
そこには連合軍に所属す軍人内では、禁忌扱いに近い艦の名前が記されていた。
「戦艦ナデシコのミスマル艦長、だと」
数々の奇跡を作り出したその名前に誘われるように、碌にチェックもせずにメールを開く。
そして、その情報士官が取った行動が起した変化は劇的だった。
「ウィルスの侵攻が停止!!
いえ!! 次々と消滅していきます!!
何だ、何が起こったんだ!!」
「基幹システムのコントロールが戻りました!!
同時にエネルギーラインの一部と、通信機能の復旧を確認!!」
「通信が復旧したのなら、出撃中の兵の確認を優先しろ!!
自力で移動できる機体は、直ちに艦内に旗艦!!
移動不可能な場合は脱出後に、近場の同僚に救出をさせるんだ!!」
背後で同僚達の歓喜の声を聞きながら、ユリカからのメールを開いた情報士官は固まっていた。
自分達の隙を突いたかのようなウィルス攻撃にも驚いたが、先のユリカからのメールに仕込まれていたワクチンもとんでもない代物だったのだ。
まさか、一瞬にして半ば陥落しかけていたシステムを奪い返し、なおかつ最低限の機能まで復旧させるとは予想出来るようなモノではない。
そもそもからして、今の現状は内側からのウィルス攻撃に対しての対処中であり、システム基幹を防御する障壁は健在のままだ。
その軍事機密を守る為に作られた特製の障壁すら、一瞬で貫いたというのだ、このワクチンの作成者は。
送られてきたメール本文には、デフォメル化されたナデシコと銅鐸の姿が静かに回転する姿が映されているだけだった。
「・・・ネルガルの秘蔵艦隊か、本気でとんでもない奴等だな。
いや、味方で本当に良かった」
思わず現状を忘れて自席で脱力をしながら、情報士官は最悪の事態を免れた事に安堵の溜息を吐く。
しかし、彼はこの後直ぐに、本当の意味でのネルガルの『本気』を思い知る事となる。
ユリカとルリが仕掛けたワクチンにより、強制的にウィルスは排除された。
それにより、何とか艦隊の防御フィールドは崩壊を免れ、機動兵器のパイロット達も死者を出す事無く帰艦する事が出来た。
無人兵器達も何らかの手段でシステムの乗っ取りが失敗に終った事を察したらしく、一時攻撃を止めて周囲を取り囲むだけになっていた。
結局の所、敵に囲まれている現状に変わりは無く、艦隊とナデシコに攻撃手段及び移動手段は戻っていない。
『それで、現状の打開策とは何かね?』
少しは顔色が戻った准将が、今までの動揺を揉み消すかのように尊大な態度でムネタケに問い掛ける。
相手が内心で何を考えているのか、手に取るように分かるムネタケだが、自分達の計画を成功させる為にも下手に出る態度を取り続けた。
「ええ、何とか最悪の状態を免れた訳ですが、まだまだ危険ば状態あることに変わりは無いですよね。
何より艦隊の砲撃は使えないし、機動兵器の火器も使用できない訳ですから」
『そんな事は分かっている。
攻撃が出来ないだけで、防御が完璧なら問題無いだろうが』
本当にこの男は現状を理解しているのだろうか?、内心でそんな疑問を思いつつもムネタケは愛想笑いを続ける。
ここでこの准将に臍を曲げられれば、この後の作戦に影響が及んでしまうのだ。
軍隊において地位という力は、それだけ絶対的なモノを発揮する。
「実はこちらには、火器管制システムを必要としない武器が存在します。
もっともエネルギー効率が悪い事と、使い勝手が悪い為、複数用意をする事は出来ませんが」
実際には一人の人間しか扱う事が出来ない秘密兵器を、ムネタケは何でも無い事のように報告する。
ムネタケがユリカから頼まれた仕事は、この准将を言いくるめる事だった。
自分の人生の大半を占めるおべんちゃらが、まさかこんな場面で役に立つとは思わず、ムネタケは内心で苦笑をし続けていた。
『ほほう、ネルガルの秘密兵器か・・・それは期待出来そうだな。
何しろ先程もネルガルの秘蔵っ子が、我が艦のシステム障壁を軽々と突破してくれたそうだからな』
「ああああ、それは非常事態でしたので御容赦下さい!!
この件が終った後には、ネルガルから何らかの補償がされる約束を取り付けております!!」
『それで軍の機密が詰まったシステムへの、ハッキング行為を見逃せと?
この私に不正を持ちかけるとは、ネルガルも随分と私を安く見ているようだな!!』
欲に塗れた顔を押し殺しながら、精一杯の威圧をかけて来る准将に、畏まった顔をしながらムネタケは心の中で舌を出す。
プロスの渋い顔が目に浮かぶが、何より自分のポケットから出て行く金ではないのでムネタケの心は痛まない。
通信ウィンドウの端に、相手にだけ見えるようにかなりの額が記されたメモを見せる。
それを確認した准将の顔が一気に崩れた。
『うむ、まあ私も鬼ではない。
全員が生き残る為に、非常時ゆえの手を打ったという事は認めてやろう。
ただし、後でデータ盗難等の行為が無かったのか、監査の為にそちらに人をやるからな!!』
「は、はいぃぃぃ、承知致しました!!
寛大な処置をしていただき、感謝感激です!!」
監査が入る事まで見通していたユリカとジュンの智謀に関心しながら、ムネタケは道化を演じきる。
このような役は彼女達には出来ない、ならば汚れ役を引き受けるのは自分がする事だと理解しているのだ。
艦長達のような輝かしい才能は無いが、縁の下の力持ち程度なら務められる。
『それで、本題を言ってみろ』
「はい、早速ですがこのパスコードを持つ機動兵器から要求が有った場合、エネルギーの供給をお願いしたいのです。
何しろ先程お伝えしたとおり、燃費の悪い兵器でして・・・
ナデシコから距離が離れてしまうと、エネルギーの供給が間に合わなくなるのです」
『何だソレは?とんだ欠陥品だな』
「ははは、全くその通りですね。
ですが、そこそこの威力は有りますし、何より全ての責任はネルガルが背負うと言っておりますので。
ここは負けて元々、リスクの無い賭けをするようなお気持ちで、というよりネルガルに貸しを作るつもりで、どうか許可を頂けないでしょうか?」
『・・・そうか、まあネルガルも汚名返上の為に必死みたいだな。
まあ、私は寛大な男だからな、我が軍の目前でチョロチョロする事と、エネルギー恵んでやる事を許してやる。
この通信の後に、そのパスコードやらは情報士官の所にでも送っておけ。
他の艦にも私の名前で、同じ命令を出しておいてやる』
「有難う御座います!!」
自分の持ち物のように艦隊を扱う准将に、心底辟易しつつもムネタケは頭を下げ続けた。
この男の配下の苦労が嫌でも分かる瞬間だった。
しかし、ムネタケは何とかこの俗物准将の機嫌を回復し、自分の役目をやり遂げた事に内心では安堵もしていた。
『しかし、ネルガルもこの程度のピンチを単艦で切り抜けられないとは、意外と底が浅いものだな。
おい、この先もし身の置き所が無くなったら、お前を含めたクルー全員を私の配下に加えてやるぞ。
あのシステムハッキングの手腕だけは高く買ってやる。
ああ、それと例のモノはちゃんと用意しておくように伝えておけ』
最後にそう言い残して上機嫌に高笑いしながら、准将は通信を切った。
きっと頭の中には先程の会話の事ではなく、自分の口座に振り込まれる大金の使い道で一杯なのだろう。
通信が切れた後、頭を下げていたムネタケは呆れたような顔で呟いた。
「・・・アンタに扱えるような可愛気の有るタマは一人も居ないわよ、あの艦にはね」
「ムネタケ提督が向うの将官と約束を取り付けたそうです。
かなり高価なお土産が必要だったらしく、プロスさんの額に青筋が立っていました」
「あー、だからエリナさんと二人揃ってかなり苛立ってるのか・・・」
アキトの目の前では、カリカリとした表情のエリナが無言のままアカツキに携帯食料を手渡していた。
今、ナデシコの格納庫内はエステバリスに臨時の改修を行っている為、整備班は全員フル稼働中であり、猫の手も借りたい状態だった。
ルリはエステバリスに積まれているインターフェースの改修を、個人毎に合わせる為に現場に来ていた。
そしてエリナは、今の所ブリッジに仕事が無い為、雑用をするために格納庫に来たのだ。
「プロスさんのご機嫌伺いはアオイさんに任せるとして、ヤマダさんとかは大丈夫なんですか?」
「オモイカネのサポート無しの戦闘は初めてだからな、無理をしないように言ってはいるけど・・・」
アキトがパイロット待機所に目を向けると、ブツブツと言いながら必死にマニュアル本と向き合うガイとリョーコの姿が有った。
通常の機動兵器はまず間違いなく、旗艦に積まれているシステムから火器管制及び索敵等のシステム補助を受けている。
どうしても人間の処理速度では処理しきれない情報を、システムの恩恵によって補っているのだ。
そして、今回はそのシステム的な恩恵を全て切り離した状態での戦いとなる。
アカツキは意外にもアキトの教練時の恩恵によって、手動でもある程度の操作は可能だった。
元々が狙撃を主にした戦闘スタイルの為、それほど機動を行わない事も幸いだった。
同じく狙撃が戦闘スタイルであるイズミも、その点では不安になる事は無い。
本人達の実力も合わさり、そこそこの戦力になるとユリカやジュンは判断をしていた。
ヒカルに関しては、何事も卒なくこなす性格が幸いし、今回のマニュアル戦闘についても何とか潰しが効いた。
問題は、アキトと同じく接近戦や格闘戦を得意とするガイとリョーコだった。
今までは意識せずに行えた回避行動すら、サポート無しでは自分でルートを考えなければならない。
ましてや目前の敵すら、ロックオン機能が無ければ殴り掛かるのに苦労をする事になるのだ。
「こんな場面を考えて、特訓はしてなかったからなぁ」
「DFS使用の為に、普段から完全マニュアルというアキトさんが異端ですからね。
おかげで未だにアキトさん専用のOSが組み上げられません」
私とラピスの二人掛りで作業をしているんですよ、信じられませんね全く、とルリが首を左右に振りながら愚痴を言う。
「でも慣れると操作レスポンスはあっちの方が早いんだよ?」
「・・・それは人道に基づいたシステム的な干渉を断ってるんですから、早くもなります。
何処の世界に、目前の断崖絶壁にフル加速する機体を、喜んで後押しするシステムOSが有りますか。
IFSの操作が追い付かないと相談を受けた時に、マニュアル操作について説明をしたのは一生の不覚でした」
「んー、そんなOSが搭載されてたら気が合いそうだな」
そんな馬鹿な事を言うアキトに冷めた瞳を向けるルリだったが、後日、そんなOSを相手取る事になり頭を抱えるのだった。
その後、ウリバタケに呼ばれたルリが席を外したので、アキトは天井を眺めながら考え事に没頭した。
今回の事件は『戻る』前に経験した、オモイカネの反乱とタイミング的に一致していた。
その事は、ルリとの意見のすり合わせでお互いに一致していた。
ただし、今回ルリは同じ様な事が起きない様、オモイカネとの会話を頻繁に行い、連合軍が敵ではないと教え込んでいた。
その為、オモイカネの反乱は防げたのだが、思いがけないトラブルが舞い込んできた。
その結果として、規模や被害内容こそ違うが記憶と同じ様な事が発生している。
「・・・不思議なもんだな、歴史ってのは」
「あら、珍しい。
何か歴史小説でも読んだわけ?」
アキトの隣に座り込みながら、その呟きを聞いたエリナが不思議そうな顔でそう尋ねてくる。
今までの行動が仇となっているのか、アキトの読書風景など一瞬でも想像が出来ないエリナだった。
「そういば機動兵器のマニュアル本とか料理のレシピ本以外、小説とかは読んだ事が無いな。
どうにも文字の羅列を見ていると、眠くなっちゃって・・・」
「はいはい、たまには他の事に脳味噌を使わないと、偏った思考の人間になっちゃうわよ」
気安くペシペシとアキトの頭を叩いた後、エリナが手に持っていた携帯食料をアキトに手渡す。
お礼を言いながらアキトがそれを受け取ると、神妙な顔でエリナが話しかけてきた。
「この出撃から無事に帰ってきたら、テンカワ君の評価は激変するわ。
それこそ、この戦争を含めて今後のパワーバランスを崩しかねない存在としてね。
うん、ちょっと、遠くなっちゃうかな」
「確かに大げさな肩書きは、色々と付けられるかもしれませんね。
でも、俺自身の中身は変わってないつもりですよ?」
「そういう所は本当に変わってないんだけどね。
こちらとしては、着いて行くのが大変、って思う時も有る訳なのよ。
・・・それより、そろそろ出撃でしょ、気張ってきなさい」
「はあ?」
意味が分からないと首を傾げているアキトを見て、エリナは楽しそうに笑ってその場からアキトを送り出した。
「家の父親、歴史小説家なんだけどなぁ・・・早目にあの脳筋、少しは改善しないと駄目か」
アキトが生きて帰って来る事に、ナデシコクルーは誰一人として疑っていない。
だが、帰艦後にこそ、アキトの人生が大きく動く事を知る人達は、様々な想いを抱いていた。
そして、ナデシコの前面に4機のエステバリスが守備隊として配置される。
その4機のエステバリスから少し離れた位置に浮かぶ漆黒のエステバリスが、鎖から解き放たれる事を待っていた。
無人兵器達はこちらの防御の固さを思い知り、数による蹂躙を行なう為に今もなお、3つのチューリップから増援を吐き出し続けている。
この事を予測していたナデシコ側に動揺は無いが、例の准将は相手が攻撃を諦めたと勘違いしていた為、自席で再び白痴化している姿をクルーに晒していた。
その上、変な見栄を張って、友軍への救援申請を取り下げているのだから、救えない男だとクルー全員が内心で愚痴っていた。
救援申請の取り下げをした本当の理由が、ネルガルからの献金を独り占めする為だと知れば、クルー達はどのような表情を作ったであろうか?
ナデシコブリッジには、無人兵器の包囲網によるプレッシャーに怯えるクルーなど一人もいなかった。
そして、これから始まる戦闘に緊張を隠せないクルーも、一人としていなかった。
全員の視線が向かう先はただ一つ、ナデシコに背を向けて青い空に佇む、一点の漆黒。
現在まで命懸けの戦場ですら、一度も本気で戦う事を許されなかった漆黒の機体。
誰よりも彼を知る彼等ですら見た事が無い、愛機の限界を超えた本気の戦闘。
――――――その楔が今、解き放たれる。
「作戦開始」
静かに呟いたユリカの一言が、蹂躙の始まりだった。
そして、獣の咆哮が奔る。
「報告します!!
戦艦ナデシコの前方に配置されていたチューリップ1つ、戦艦20の消滅を確認!!」
「消滅って何を言っている!!
そんな馬鹿な現象があるわけないだろうが!!
何が起こったのか正確に報告をせんか!!」
敵の妨害電波により、再度の味方への救援依頼も出せずにパニックになっていた艦内に、理解不能な報告が入る。
いいかげん頭が煮詰まっていたこの艦の少佐は、報告をした兵士にそう怒鳴り返す。
「ですが、本当に消滅をしたとしか思えないのです!!
敵のエネルギー反応が突然消えてし――――――」
次の瞬間、彼等の乗る戦艦の前に位置して敵の戦艦が、中央から真っ二つに切り裂かれた。
「な・・・」
それを皮切りにして、次と次と目の前の敵戦艦が連鎖するかのように、切り捨てられて、轟沈されていく。
轟沈する戦艦の周囲を、エステバリスのような機動兵器が動いている事までは確認出来るが、どう考えても機動兵器に出来るような攻撃とは思えない。
何が起こっているのか理解出来ない少佐の下に、同期のエステバリス乗りから通信が繋がった。
『おいおい、呆けてる場合かよ!!
早くエネルギーを送ってやらねぇと、友軍の最大戦力が墜落しちまうぞ!!』
「おい、何を言ってる!!
何が起こっているのか知ってるのか!!」
『あー、あのボンクラからエネルギー送信先のパスコードについて、通知が来てるんだろ?』
その発言により、パスコードの存在を思い出した少佐が視線で通信兵に確認を取る。
少佐の意図を理解した通信兵が素早く確認を行い、確かにエネルギーの送信要求が例のパスコードから行われている事が確認できた。
「どうされますか?」
「上からの命令だからな、盛大にエネルギーを送ってやれ。
それで命が助かるなら儲けモノだろ。
それにしても、アレは・・・一体、何なんだ」
艦からのエネルギー送信を受けた瞬間、漆黒のエステバリスの手から白刃が出現した。
そして周囲に群がる無人兵器を、恐ろしいまでの機動で翻弄し、すれ違い様に撫で斬りにして去っていく。
それは進路を防ぐ戦艦ですら同様であり、まるで豆腐のように無造作に左右に切り裂かれ、爆発を起こす。
その後の戦闘は戦闘と呼ぶには余りに一方的だった。
防御を固めているが轟沈寸前の少佐達が乗る艦を無視して、次々に漆黒のエステバリスに襲い掛かる無人兵器達。
それは眩いばかりに輝く篝火に向かう、羽虫の群れに似ていた。
だがその羽虫の攻撃では届かない、ただ一機のエステバリスの前に屍だけが築かれていく。
無人兵器の手強さを、少佐達は誰よりも知っている。
友人達や上官達の命を対価にして、今までその理不尽と戦ってきたのだ。
届かない攻撃に、理不尽に奪われていく仲間の命に、悔し涙を流さない日は無かった。
実際、こちから援護をしているエステバリスの攻撃では、当たり所が悪ければ相手のフィールドを破れずに弾かれる光景が続出している。
だが、そんな事など知らないとばかりに逆に敵を殲滅する存在が、突如舞い降りたのだ。
援護の無駄を悟ったのか、全員が目の前の理不尽な存在による、理不尽なまでの蹂躙戦を眺めていた。
もし無人兵器の意思を感じ取る事が出来たなら、きっと以前の自分達と同じような絶望の声を上げているだろうと少佐は思った。
そして、一通り大物を掃討した漆黒のエステバリスは、艦の前方でマニュアル戦闘を行っている友軍のエステバリスに片手を上げて挨拶をした後、凄い勢いで去って行った。
邂逅をしたのは一瞬、そして破壊されたモノは数多の敵と自分達の常識だった。
「・・・アレは、何だったんだ」
『噂くらいは知ってるだろ、アレが戦艦ナデシコの『奥の手』さ』
連合軍内に囁かれている噂が一つあった。
戦艦ナデシコはグラビティ・ブラストだけではない。
もう一つ、チューリップを破壊する術を隠し持っている、と。
「そうか、あの噂は本当だったのか・・・」
『ああ、乗り手も武器も、正真正銘の・・・化け物だ』
「テンカワ機、右舷に展開していた無人兵器の駆逐に成功。
続いて後方に位置するチューリップの掃討に向かう、との事です」
「了解した、後方で守備を担当している艦の責任者に通知。
さきほどのようにエネルギー供給にタイムラグが有ると、それだけ攻撃が遅れると注意をしておいてくれ。
流石のテンカワも省エネモードだと、派手に暴れられないらしいからな」
「はい、了解しました」
ジュンからの指示を聞き、メグミがテキパキと通信を繋げる。
その間にも、戦術ウィンドウに表示されている敵の光点は、次々と消えて行く。
まさに、無人の野を行くが如しの進軍に、ジュンの顔が強張る。
そこに表示されている内容から、嫌でも一つの事実が浮かび上がる。
今までアキトを補佐しているつもりだった味方の攻撃は、実はアキトの動きを阻害するモノでしかなかったのだと。
自分の周囲に守るべき仲間が居ない今、アキトの機動は冴え渡り、敵は正に木偶人形のように切り裂かれていく。
そこには戦艦も小型兵器も、チューリップも関係は無かった。
――――――等しく、白刃に切り裂かれ、海の藻屑へと代わる。
「僕達では、君の足枷にしかならないのか?」
強く強く、拳を握り締めながら、ジュンは孤高の存在という意味を噛み締めていた。
それはあらゆる存在にとって、衝撃的な光景だった。
民間人を守るべく命を賭ける軍人達が、己を守る為に殻に閉じこもる目の前で、漆黒の悪魔が白刃を片手に舞い踊っていた。
あれほど堅牢だった無人兵器達が、脆く儚く散っていく。
不沈艦と思われた戦艦が縦に横に斜めに切り裂かれていく。
そして、最早破壊する事を半ば諦めていたチューリップすら、その身を守る絶対的なフィールドを容易く貫かれ、悲鳴を上げながら瓦解した。
数多の敵が海の藻屑と消える中、絶対的な死を与えた存在は静かに冷徹に、己の所業を眺めながら中空に佇んでいた。
チューリップ及び戦艦を全て殲滅した事により、帰る場所を探して小型の無人兵器達は揃って退却を始めていた。
そして、はしゃぎ疲れた子供が眠るように、アキトはナデシコに帰艦後、格納庫で倒れるように眠りについた。
幾ら圧倒的な強さで敵を蹂躙しようと、その身を襲う疲労から逃れれる訳ではない。
ましてや初めての全力戦闘によるプレッシャーは、決して軽くはないはずだったのだ。
戦闘中はアドレナリンのお陰でハイテンションだったが、戦闘後にその疲れが一気に出たのだろう、というのが診察をしたイネスの見解だった。
意識の無いアキトは、アカツキとガイの二人に抱えられて医務室に運ばれていった。
そんな、アキトの疲れ果てた姿を見た事により、ナデシコクルーは逆に安堵に包まれていく。
――――――どれだけ強かろうと、やはり、テンカワ アキトは『人間』なんだ、と。
「艦長、ほぼ全ての戦艦から、アキトさんとDFSについての問い合わせメールが届いています」
「う〜ん、予想はしてたけど・・・数が半端ないね」
未読メールの山を確認したユリカが、引き攣ったような顔でそんな愚痴を言う。
「何なら送信エラー扱いにしておきますが?」
「いやいや、それは流石に駄目だから」
アキトは期待以上の活躍をし、ユリカの想定以上の結果を残していた。
ならばこの後の始末については、けしかけた自分達が行うべきだとユリカは覚悟していた。
「あれだけ派手にお披露目をしたんだもの、そりゃあDFSにパイロットの事も気になるでしょうよ」
ユリカの補佐をする為に、届いたメールを軽快に捌きながらエリナが横から口を挟む。
内容ごとに大雑把に区分けをした結果、DFSに対する質問が7割、アキトに関する問合せが2割、お礼が1割という形になっていた。
もっとも、ネルガルの思惑とユリカ達の都合もあった為、アキトの顔写真を晒す事だけは、何としても避けようという話になっている。
「本来ならDFSの仕様書を送りつけると、真偽を疑われて煙に巻けるんだけどね」
DFSの仕様書が入ったデータディスクを手元で遊ばせながら、エリナが困ったような顔で呟く。
「今回は実演ついでに、実際の稼動データまで手元に有りますからね、それを元に照会すれば自ずと真実だと分かります。
DFSが誰にでも扱えるような、簡単な兵器じゃないって事が」
ユリカがそのデータディスクを受け取り、自分のコンソールに差し込みながら答える。
「でも」「そうなると」
「当然、興味はアキトさんに向きますね」
二人の呟きに応えるように、ルリが手際良くメールの返信に仕様書を添付していく。
返信の内容についてはほぼ共通した定型文を作成しているので、後の作業はルリに一任した方が早い。
DFSの仕様書については社内秘に位置にする為、エリナがイネスに頼んで内容の監修をしてもらったモノを、先程用意したのだった。
「さっき、ムネタケ提督から連絡が入ったんだけど、5時間後にナデシコの監査が行われるそうだよ。
しかも、一番のお偉いさんになる准将まで同行するんだって」
「うわぁ、意図が見え見えね・・・」
ユリカからその情報を聞いたエリナが、整った顔に嫌そうな表情を浮かべる。
戦艦一隻を接収する事には抵抗は激しいが、人一人を接収する事に躊躇いは無い。
ましてや、先程のDFSの仕様書を見た以上、使用できる人員が唯一人となれば、どんな手を使ってでも取り込もうとするのが予想出来る。
今までの経緯やムネタケとの会話の内容を聞いている限り、相手に高潔な精神というモノを求めるのは無駄と思われるのだ。
「・・・守りきれるの、艦長?」
「守りますよ、当然」
エリナからの真剣な眼差しを載せた問い掛けに、ユリカも真摯な態度で応えた。
「つまりどういう事なんだ?」
「ですから、あのDFSという武器を使いこなせるのは、あのテンカワ アキトというパイロットだけです」
参謀からの報告を再度受けても、意味が分からないと首を捻る准将。
武器である以上、それは他の兵士にも使えて当然のモノと認識をしている。
通常ならばその認識は正しいのだが、世の中には例外というものがどうしても存在する。
そして、このDFSという兵器とそれを操るパイロットは、例外と言う言葉すら虚しく思える程の存在だった。
「ネルガルが利権のみの為に、このパイロットとDFSと呼ばれる兵器を隠していた、という線での追求は無理ですね。
何より公開されたところで使用出来るパイロットが居ません。
テンカワ アキトと同水準のパイロットを用意しようにも、西欧方面軍・・・いえ連合軍にはまず居ないでしょう。
西欧で名を上げている『白銀の戦乙女』でも無理です。
本当にとんでもない化け物ですよ、テンカワという男は」
「今まで私達に見付からないよう、裏でコソコソ戦っていた男だぞ、それほど大層な奴であるものか」
他人がそこまで褒められる事が許せないのか、負け惜しみのように准将はアキトを貶める。
実際の話として、先程の戦闘を一人で制圧して以来、艦内や味方艦で英雄の如く褒め称えられているアキトが許せないのだ。
本来ならば英雄として崇められ、尊敬されべきなのは、由緒正しい血筋を引いている自分であるべきだと内心で怒ってすらいた。
底の浅いその願望を知る参謀は、ここで下手に口を挟むと碌な事にならないと経験則から知っている為、務めて事務的に説明を繰り返す。
「艦に残っていたエネルギーバイパスのログで検証した所、あのDFSは送信したエネルギー総量の実に8割を使用していました。
残りの2割については、機動用のエネルギーに使用されていた事も判明しています」
「・・・8割が攻撃で、2割が移動だと?」
流石にこの説明は分かり易かったのか、准将の顔に薄っすらと汗が浮かび上がる。
「そうです、あのテンカワは防御に一切のエネルギーを回さず、攻撃と移動のみであの激戦を制圧したのです。
DFSという兵器が持つ巨大な威力を維持する為には、それだけのエネルギーを必要とする事も判明しております。
それに付随して、その担い手は防御を必要としない神業的な腕前と、戦場を素肌で渡り歩くガッツが必要なのです」
まさに、英雄ですな。
一層、誇らしげに呟く参謀の内心にも、アキトに対する敬意がどうしても芽生えていた。
自分達はある意味、歴史的な瞬間に特等席で立ち会ったのかもしれない、とそんな馬鹿な事すら考えてしまう。
それほどまでに衝撃的であり、圧倒的な存在感をテンカワ アキトは放ったのだ。
ネルガルが彼を投入しなければ、間違いなく艦隊は良くて壊滅、下手をすれば全滅をしていた。
だが、散々迷惑を掛けてきたこの艦隊を救う為に、ネルガルはテンカワ アキトという切り札を使用した。
そこに打算が無かったとは断言出来ないが、命を助けられた事に変わりは無い。
何より、この泥沼に入ろうとしている戦争に、一筋の光明を見たような気が参謀にはしていた。
――――――だが、全ての人がその存在を歓喜と共に受け入れる訳では無い。
今後の行動について尋ねてくる参謀に、自分もナデシコに行くと伝えて返した後、准将は父親を通信で呼び出す準備をする。
「認めん、認めんぞ・・・なんだその神に選ばれた存在みたいな奴は。
何処の誰かも分からん血筋の民間人の分際で、所詮は企業の犬だろうが。
私を騙したあのムネタケという男と同じ、薄汚いゴミ虫に決まっている。
そんな奴が私を越えるような英雄だと?
ふざけるなよ、そんな事は有り得ない、絶対に有り得ないんだ」
嫉妬に狂った瞳を通信ウィンドウに向けながら、准将はテンカワ アキトという男を敵として心に刻んだ。
そして、この准将の行動が、思わぬ波紋をナデシコに呼び寄せる。
「想像を超えた存在、って奴に初めて会ったぜ。
映画や小説の世界では時々現れるんだが、現場を見る事になるとは思わなかったな」
暖かいスープをかっ込みながら、西欧方面軍の熟練パイロットは感想を述べる。
その感想を聞きながら、対面に座っていた少佐は難しい顔で珈琲を口に運ぶ。
二人から少し離れたテーブルでは、誰一人欠ける事無く圧倒的に不利な戦闘を終えた喜びで、クルー達が沸き返っていた。
こうやって暖かい食事が取れるのも、友と会話が出来るのも、あの漆黒のエステバリスのお陰だとは分かっている。
だが、あの巨大すぎる力を一個人、しかも民間人が操る事に忌避感を覚えるのだ。
これがもし同じ連合軍の人間ならば、諸手を挙げて歓迎していたのだが。
「それで、あの武器とかパイロットについて何か分かったのか?」
まるで子供のように嬉々とした表情で尋ねてくる友人に、無言のまま手元に用意していた資料を手渡す。
それを受け取りながら「流石、親友!!」と大げさに喜ぶ姿を、まるで他人事のように少佐は見ていた。
そして少佐の予想したとおり、その情報を読み進めるにつれて友人の顔色が厳しくなっていく。
「・・・コレは本当の話なのか?」
「DFSについては、こっちから送信したエネルギー総量から見ても、確かな裏付けは取れてる。
そしてパイロットについては、軍に報告されているナデシコのメンバーで照会する限り、その青年しか該当者は居ない。
流石に名前だけで顔写真とかは無理だったがな。
どちらにしろ、俺達は民間人の、しかも未成年の青年に命懸けのダンスをしてもらって、ここで馬鹿騒ぎをしているのさ」
流石に大声を出すような事は無かったが、己の不甲斐無さを噛み締めるかのように歯軋りをしながら少佐は話す。
「アレだけの威力を誇る武器だ、ノーリスクは有り得ないと思ってはいた。
だが、これは・・・極端すぎるだろう」
「同感だな」
目を閉じればあの戦闘光景が浮かび上がる。
まさか、あれだけ華麗に動いていた機体が、実は銃弾一つで撃墜されるガラス細工だったのだ。
圧倒的な攻撃力に、敵を寄せ付けない芸術的な機動力は確かに芸術と呼んでも差し支えの無いものだった。
だが、DFSの仕組みを知った時の衝撃も凄かったが、そのDFSを操る神業の持ち主が、未成年の青年である事を知った時はその比ではなかった。
「・・・俺、多分コイツに補給艦で会った事あるぜ。
同僚に名前を呼ばれてたからな、テンカワ アキトってな。
確かに色々と桁外れな奴だったが、話してみれば気の良い青年だったぜ」
そっか、アイツがなー、と言いながら熟練パイロットはウィンナーを刺したフォークを弄ぶ。
その話を聞いて思わず眉を動かした少佐だが、ここで詮索をしても良い話でも無いので、そのまま何も言わずに黙り込む。
「俺達が情けないのか、アイツが凄すぎるのか・・・
どちらにしろ、もうフツーの生活に戻れないぜ、テンカワ アキト」
「そうだな、これだけ大々的にその存在と実力を披露した以上、軍がほっておく事は有り得ないな。
例えネルガルの社員だったとしても、戦時特例でも使用して徴兵しかねん」
そうなれば、戦場と言う泥沼に何処までも漬かり込むだけだ。
そして二人は無言のまま、食事を続ける。
生き残った以上、食べて寝て、守るべき者の為に戦うのが兵士の務めだからだ。
――――――また何時か、何処かの戦場で逢おうぜ、英雄。
――――――その時には今日の礼を言わせてくれ。
にこやかな笑みを浮かべた准将が、ユリカとジュンとムネタケを相手に談笑をしている時にその報告は入った。
「報告します。
我が艦に保管されている武器データと、作戦行動についての指示データを発見しました」
「ほぅ、それは困った話だな。
どちらも最重要機密に含まれるデータだぞ。
確か私が受けた説明だと、ネルガルが行ったハッキングによってデータ取得など行われていないはずだったな?」
「・・・確認を取りたいので、そのデータを見せていただけますか?」
ユリカが突然の報告に慌てる事無く、准将相手に交渉を願い出る。
「誰に向かって口を利いている、ミスマル家の人間だとしてもお前の階級は所詮少佐なんだぞ。
私のスタッフが発見したと言うのだ、それが正しいに決まっているだろうが!!」
今までの態度を一変させ、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら准将はユリカを眺める。
東南アジア方面軍でも名声が高いミスマル提督や、ナデシコの艦長として名を上げているユリカも、この准将には気に入らない存在だったのだ。
「それとも、例のIFS強化体質の子供を此処に連れて来るか?
その子供を引き渡すなら、現行犯逮捕という事でお前達は見逃してやらん事もないぞ?」
まだ未成年という理由を前面に立てて、ユリカ達はルリを准将から守っていた。
ネルガルとしても軍としても、まだ十二歳の女の子を戦争に参加させているという外聞を気にしている所はあったので、ルリに対するお咎めは殆ど無いはずだった。
もしルリが表に出るような事になれば、ネルガルの悪行だけではなく、軍の不甲斐無さも世間に知れ渡る事になる。
しかし、そんな暗黙の了解など知らないとばかりに、准将はルリを引き摺りだそうと動く。
明らかに常軌を逸した准将の行動に、ユリカ達の顔に戸惑いが生まれた。
「このままでは埒が明かんな。
おい、その少女を直ぐに連行してこい」
「待ってください!!」
動けないユリカ達を残して、ムネタケが縋りつくように准将の足元に身を投げる。
そして土下座をしながら精一杯の哀れな声で恩赦を准将に請う。
「そのようなデータが有ったのは分かりました、ですが例の子供を連れて行くのは勘弁していただけないでしょうか?
あの子供が居なくなると、ナデシコは動かせなくなります!!
そうなると、私達はこの海上で立ち往生をした挙句、木星蜥蜴の餌食になってしまいます!!
私はまだ死にたくないんです!!」
涙に鼻水を流しながら足元に縋りつくムネタケに、優越感に満ちた表情を准将が作る。
そして、汚らわしいとばかりに足元に居るムネタケの顔を革靴で蹴りつけた。
悲鳴をあげて倒れながらも、ムネタケは再度准将の足元に縋りつく。
嬉々とした顔で暴力を奮う准将の顔に、拳を叩き込みたい衝動をこらえながら、ジュンは必死にムネタケの背中を見ていた。
自分ではどうしても出来ない事を、今、ムネタケが進んで泥を被っているのだ。
その心意気を知る以上、余計な事をしてはいけない。
ユリカも同じ気持ちなのか、激しく抵抗をする振りをしながらも、その目は血塗れで許しを請うムネタケに向けられていた。
やがて、ムネタケの滑稽な動きに満足したのか、准将はいかにも仕方が無いとばかりに話を切り出す。
「ふん、貴様等みたいな犯罪者達の生死など知った事でないが・・・私も鬼では無い。
あの化け物、テンカワ アキトを装備一式を含めて西欧方面軍に寄越せ。
それがお前達を見逃す唯一の条件だ」
「なっ、それは「承知いたしました!!」」
ユリカが何かを言おうとする前に、ムネタケが立ち上がって敬礼を行う。
ムネタケの背後では、何か言おうとするユリカの口をジュンが必死になって押さえていた。
「まったく、教養の無い人間はこれだから困るのだ。
やはり英雄と呼ばれる相応しい人間は、私のような高貴な人間しかいないな」
顔を真っ赤にして抵抗しているユリカと、顔を血だらけにしているムネタケの姿を見て溜飲を下げたのか、上機嫌のまま准将はその場を去った。
「はぁ、やれやれ、やっと出て行ったみたいね」
鼻血を止める為に、鼻の穴にティシュを詰め込むムネタケに、ユリカが濡れたハンカチを手渡す。
それに礼を言って受け取り、ムネタケは腫れた頬に当てる。
「艦長もなかなか演技が上手いじゃないの、アンタそっちにも才能あるわよ」
「提督の足元にも及びませんよ」
「そりゃあ、年季がちがうわ。
というより、軍に居たらこんな目に会うことなんてしょっちゅうよ」
カラカラと笑うムネタケに、ユリカとジュンは本気で感心をしていた。
あの演技は自分達ではできない、やったとしても相手に警戒心を抱かせるだけだと分かっているからだ。
ムネタケでなければ、あの演技は出来ず、ムネタケだからこそあの准将を騙す事が出来たのだ。
「でも、私のは演技と言うより、本気の抗議に近いですから・・・
別に感謝して欲しいとは思ってませんけど、皆の為に頑張ってくれたアキトやルリちゃんを、まるで犯罪者のように言われて」
「あの手の人間はね、自己保身については凄い勘を働かせるものなのよ。
本能で悟ったんでしょうよ、ホシノ ルリとテンカワ アキトが自分には決して扱えない危険物だって。
でも見過ごすには惜しい戦力だし、ナデシコにも一矢報いたい、と邪な事を考えると予想できたわ」
やはりそれなりのダメージは受けていたのか、ムネタケは備え付けのソファーに座り込みながらユリカ達にも座るように指示する。
その指示を受けて二人は大人しく、ムネタケの対面のソファーに並んで座った。
「当初の予定通り、テンカワは西欧方面に配属されるわ。
でも、前々からミスマル提督に頼んでいた伝を使用すれば、グラシス司令官の直属部隊に配属されるはず。
ネルガルの方でも機密を守る為に、その意見は一致してるみたいだから、そうそう変な事にはならないでしょ」
「その件についても、根回しをしていただき有難う御座います」
「まったくその通りよ、アンタ達は有能なくせに、揃って事前の根回しとかを軽んじ過ぎてるわ。
父親の力を頼りたくない気持ちは分かるけど、ほどほどに甘えてくる子供は親にって喜びらしいわよ?
とにかく、誰も彼もが、言われた事を直ぐに実現できる実力者だと思わない事ね。
ましてや軍の上意下達は絶対とはいえ、間に存在する人間が全てスムーズに動く事はまずないわ。
・・・ま、士官学校を出たばかりのヒヨッコに、そんな事を言っても仕方が無いけどね」
ムネタケの説教を受けて、揃ってシュンとなって頭を下げるユリカとジュン。
幾ら天才・秀才と褒めちぎられたところで、人生経験という分野では所詮青二才である事を痛感したのだ。
「それにしても、面白いほど予想通りに動いてくれたわね」
「そうですね」
ユリカとジュンの二人は、早い段階で相手の仕掛けてきそうな罠に気付いていた。
しかし、考える最悪のパターンを実行された場合、どうしてもルリかアキトを差し出す必要が生まれる。
相手の面子を保ちつつ、真相の究明をある程度反らす為にはどうしても人身御供が必要だった。
流石にルリを差し出す事は色々な意味で無理な為、ユリカは断腸の思いでアキトを西欧方面に送る事を決断した。
元々、アキトを一度ナデシコから引き離すという計画を首脳陣で立てていたため、この話は予想以上にスムーズに進んだ。
そこで活躍をしたのがプロスの交渉術であり、ミスマル提督経由で発揮されるコネクションだ。
話し合いの結果、敵対組織として認定されているクリムゾンの影響が及ばない地域として選ばれたのが、一部激戦区が存在する西欧方面軍だった。
西欧方面軍としても、東南アジア軍で活躍をしているナデシコに興味津々だった為、かなり上位の将官との間でこの話は纏まっていた。
結局の所、あの准将は他人の掌の上で踊っていた道化に過ぎなかった。
そしてそれを知りながら、自分の権限が及ぶ範囲内で、ナデシコに嫌がらせをしにきた、狭量な男でもあった。
あの時、ムネタケが道化に徹せず、ユリカやジュンが口答えをしていれば、もっと陰湿な仕返しが行われていただろう。
そうなると、相手の地位を考えると後々まで禍根を残しかねなかった。
「サセボのドックでのナデシコの修復には、1ヶ月以上の時間が掛かる予定らしいわね」
「はい、この際、徹底的に修理及び改修を予定しているそうです。
本当ならその間、アキトには少しでも休んで欲しかったのですが・・・」
「かわりに西欧でのんびりしてくる筈よ、元々戦闘から引き離して休憩を取らせる事が目的だしね。
そこまでお膳立てでもしないと、あの戦闘馬鹿は止まりそうにないから。
それに西欧方面軍の目的はテンカワじゃなくて、テンカワが持っていくネルガルの新兵器の数々だから好都合よ」
考えてみれば随分物騒な運び屋よねぇ、と楽しそうに笑うムネタケ。
その意見に賛同しつつもジュンは内心で一つの決意を固めていた。
何度もユリカを含めて、アカツキとも話し合った事だが、あまりにアキトは強すぎた。
その行動をサポートする事すら、実は出来ていないのだと今日の戦闘で判明した。
このまま、アキトに頼り切った戦術を駆使していけば、何処かで破綻する事を全員が危惧したのだ。
そこで考えられたのが、長期の休暇をアキトに押し付けて、何処か遠方で休養させ。
アキトの居ない状態での、ナデシコ及びクルーのレベルアップを計るという案だった。
良い事も悪い事も含めて、存在感と影響力が有り過ぎるのがアキトの欠点かもしれない。
そして、イネスやウリバタケ、そしてルリが作り出した数々の新装備についても、この機会に正式に搭載する予定となっていた。
それに伴いアカツキ達エステバリスライダーにも、徹底的に再訓練を施す予定だった。
「でも、何故か西欧に行っても、刀と鍋を振り回している姿が想像できるけどね」
「あー、それは、私もそう思います・・・」
「ま、まあ、エステバリスでの戦闘はそうそう無いでしょう。
むしろ、むこうの面子が掛っているので、外様のテンカワに協力をそう気安く依頼するとは思えません。
それに、戦闘に入るって事は、西欧方面軍の司令部が襲われる事に等しい訳ですから」
あまりに容易く想像できるその光景に、三人が揃って困ったような笑みを浮かべる。
だが、ナデシコ及びその周辺に居る限り、あの男は何かとトラブルに首を突っ込む事が分かっている。
特にナデシコクルーが狙われたりした時には、黙って敵対組織の中枢に一人で殴り込みに行きかねない。
それだけの実力と情報網を持っているだけに、足止めをする方法について考える事も大変だった。
西欧という遠い地が選ばれたのも、流石のお人好しも、初対面の人の為に命懸けで戦おうとしないだろう、と少々不安になりながらも全員一致となったからだ。
何より本人が普段から宣言している通り、軍人が嫌いらしいので更に安心だと判断されていた。
誰もが予定通りに話が進んでいると思っていた。
発生したトラブルも想定内であったし、月で軍に協力を申し出てからは、誰一人欠ける事無く戦い抜く事が出来た。
新造の試験艦としては、それは破格の成果ではなかろうか?
――――――だからこそ、人の悪意が底無しである事を忘れていた。
「テンカワ アキトを最前線の例の部隊に派遣しておけ」
「え、ですが准将、彼を司令部付きにするようにと、東南アジア方面軍からの指示がきておりますが?」
「そんな指令など知らん。
それに司令官にも伝わっていないはずだ、そんな話はな。
そもそも、何故この私が、東南アジア方面軍の指示に従う必要が有るのだ」
「ですが」
「お前は黙って私の言う通りに動けばいいのだ!!」
「りょ、了解しました!!」
「・・・誰が司令部でのうのう楽をさせてやるものか。
お前の保護者気取りの奴等の横槍は、全て父親が潰している。
くくくくく、地獄の最前線でのた打ち回れ、テンカワ。
貴様など、ネルガルに守られていなければ、無能な平民に過ぎないと思い知ればいい。
そうだ、英雄なんかじゃない、奴は地べたを這いずる虫に戻るのだ」
「・・・いまいち釈然としないが、西欧で羽を伸ばして来いって事なのか?」
「うぃ、むっしゅ」
「何故だろう、馬鹿にされているような気にしかなれない」
とりあえずアカツキに関節技を仕掛けるアキトに、格納庫に居た見送りのクルー達は苦笑した。
確かにアキトからすれば、目覚めてみればいきない西欧に向かえという辞令を渡され、そのまま格納庫に連行されたのだ。
「最寄の空港に新装備一式と、専用のスタッフを用意してるそうだから。
ああ、使用した連絡船はそのまま置いておけば良いよ、ネルガルのスタッフが回収するよう手配されてる」
「突然の辞令という割には、随分と準備が良いな?」
「気のせい気のせい」
ギブギブとタップをするアカツキを訝しげに見ながら解放し、アキトはユリカとルリに視線を向ける。
ユリカは少し不本意そうな顔をしているが、この出向に反対しているという雰囲気ではない。
そしてルリを見ると、少しばつが悪そうな顔をしているが、止めようとする気配はやはり無かった。
自分が信頼し、信用している人物達が揃って送り出そうというのなら、この選択は間違っていないのだろうとアキトは納得する。
「そういえばガイとかジュンは何処に行ってるんだ?」
何時も騒がしい親友達を思い出し、アキトは周囲を見渡す。
しかし、その姿は何処にも見当たらない。
「ヤマダさんはアオイさんの檄を受けて、シュミレーターで猛特訓中です。
今回の戦闘を見て、いかに自分達の力量が足りていないのか痛感したそうですよ。
次にアキトさんがナデシコに帰って来た時に、完璧にサポート出来るように腕を磨くそうです。
ちなみに、リョーコさん達もそちらに参加しています」
「へー、それは頼もしいな」
ルリからそのように告げられ、若干の寂しさを覚えつつも、笑顔で仲間の成長を楽しみにするアキト。
出発までの短い時間を目一杯使用して、彼等は話し会う。
アキトが西欧方面軍に出向する期間は、ナデシコの修理が完了する2ヶ月程の予定なのだが、それぞれが何故か胸騒ぎを感じていた。
その胸騒ぎを紛らわせる為にも、それぞれが今、出来る事に精一杯取り組んでいた。
「アキト、向こうだと11月の寒さは半端じゃないよ。
だからね、これ、皆で作ったんだ」
「作ったって、手編みのマフラー?
いや、既製品か・・・その割には微妙に・・・
それより皆って誰だよ?」
「私とルリちゃんとエリナさんとリョーコちゃん。
確かに既製品のマフラーだけど、このイニシャルの刺繍は私達が入れたんだよ」
自慢そうに大きな胸を反らすユリカ。
その指に巻かれている絆創膏に、思わず苦笑を洩らしながらもアキトはマフラーを受け取る。
「・・・へー」
あの不器用トリオが、刺繍を成功させるとはと、白いマフラーを受け取りながらこっそりと涙を拭うアキト。
刺繍時に力を入れすぎたせいか所々で歪んでおり、逆に見栄えが悪い品になってしまったが、そのマフラーからは暖かい想いを感じさせた。
「というか突然の辞令については突っ込むくせに、事前に用意されていた手編みのマフラーには突っ込まないのか?」
「そこは空気を読んでください」
小声でそんな事を呟いたアカツキの足の甲を、遠慮無くルリが踵で踏みつける。
悲鳴を押し殺して涙目で屈み込むアカツキを無視して、アキトは連絡船に向かう。
「向こうでゆっくりして、美味いもんでも食ってこいや!!
その間にお前さんの専用機を仕上げておいてやるからよ!!」
ウリバタケがアキトの肩を叩きながら話しかける。
「ああ、そうそうホウメイさんから伝言を預かってるんだ。
休暇中でも鍋を振るのはいいけれど、ちゃんと休息は取るように、って言われてたよ」
苦笑をしながらアカツキが送り出す。
「今回の戦闘データを元に、もっと凄いソフトを作ってみせます。
・・・でも、アキトさんは無理をしないで下さいね」
ルリが珍しく困ったような顔で忠告する。
忠告をしたところで、アキトが聞かない事を知っているからだ。
「本当は私も同行したいけど、アキトが帰る場所を守るのが私の役目だと思うんだ。
だから、無事に帰ってきてね!!」
大きく手を振るユリカに向かって頷きながら、アキトは連絡船に乗り込んだ。
「じゃ、行って来ます」
見送ってくれた人達に笑顔で手を振りながら、アキトの姿は連絡船に消えた。
その行く手にどれほど過酷な運命が待ち受けているか、この時は誰も知りようが無かった。
――――――そして、仲間達に見送られながら、アキトはナデシコから再度旅立つ。
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