< 時の流れに Re:Make >

 

 

 

 

 

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第一話

 

 



2197年2月

火星にてナデシコがチューリップに飲み込まれた瞬間、アキトはイネスから手渡されたCCを使用して、一人地球へと跳んだ。
ナデシコは無事に月軌道上に現れるように、出現位置だけイメージをしておいたので問題は無いだろう。
後は、何時その姿を現すかという事が問題になる。

「・・・前と同じく、八ヵ月と思うしかないか」

アキトが跳んだ地球のサセボドックは夜だった。
周りを見渡すと、誰一人として居ない事から遅い時間なのだな、とアキトは判断をした。

「まずは、ラピスに会いに行くか」

頭の中でラピスに声を掛けながら、アキトの今後の予定を色々と考えていた。






閉店間際になった「雪谷食堂」に訪れた客を見て、サイゾウは驚いた顔をした。
そこには少し前まで雇っていた見習いコックの青年と、薄いピンク色の髪を伸ばした無表情だが可愛らしい少女が並んで立っていたからだ。
2月の気温は低い為、アキトは私服の上に黒いロングコート、ピンク色の髪の少女は白いコートを着ていた。

思いがけない客とその組み合わせに首を捻りつつも、再会の挨拶をする。

「どうしたいテンカワ、また雇って欲しいのか?」

「こんばんは、サイゾウさん。
 再度雇っていただけるのは有り難いお話ですが、今は大丈夫です。
 この娘にサイゾウさんの料理を一緒に食べに行く約束をしてたので、今日は二人で来ました。
 ほら、ラピス挨拶して」

「こんばんは」

「おう、宜しくなラピスちゃん」

行儀正しく頭を下げるラピスに、サイゾウは目を細めて機嫌良く挨拶を返した。
二人の関係が少々気になるところだが、臆病だが根は悪い人間ではないとアキトの事を思っているサイゾウは、深く理由を尋ねなかった。

「もう客は誰も居ないからな。
 好きな所に座りな」

「はい、そうさせて貰います」

二人は脱いだコートを手近な椅子にたたんで置くと、アキトはラピスの手を引き近くのテーブルに座らせる。
その後、アキトはラピスにメニューを渡し、楽しそうにメニューを眺めるラピスを見守っていた。
料理の内容についてラピスが尋ねると、アキトが笑顔でその内容を丁寧に説明をしている。

やがて、メニューを片手にラピスが悩んでいると、サイゾウがコップに水を入れて二人に配りに来た。

「注文は決まったか?」

「俺はラーメンをお願いします」

「私も」

無表情な筈のに、何故かラピスが必死になっている様子が伝わり、サイゾウは微笑みながら調理を始めた。
視界の端では、ラピスが興味深そうに周囲を見て、気になる事をアキトに質問している。
どうみても兄妹では無いだろうし、親戚にしても外見が違いすぎた。
だが、ラピスの様子を見る限り、アキトを本当に信頼している事が判る。

常々、調理中にも意気地が無い所ばかりを見せていたので、活を入れるために追い出してから数ヶ月。
直ぐに頭を下げて戻ってくると思っていたが、意外にもしっかりとした男の顔になって戻ってきやがった。

サイゾウはアキトから見えない位置で嬉しそうに笑うと、手早く調理をしたラーメンを二つ持って二人の待つテーブルに向かった。





サイゾウの店から帰ってきた後、アキトとラピスはネルガルの研究所に戻ってきていた。
今現在、好成績を叩き出すラピスについて研究者達は気を良くしており、そのコンディションを保とうと毎日早い時間にラピスの拘束を解いていた。
ラピスはその空き時間や研究中の時間も使用して、既にダッシュによる研究所のシステムハッキングを済ましており、出入りは自由になっていた。
勿論、現在も二人が外出をしていても、ラピスは研究所で寝ているように偽の情報を設定済みだった。

ラピスが研究所に居る理由は一つ、アキトが迎えに来る事を待っている為なのだ。

「DFS用のシミュレータは直ぐに使用する?」

「ああ、もう一度やってみる」

既に一度、ラピスを迎えに行った時に、アキトはシミュレータ上でDFSのテストを行っていた。
しかし、その結果は散々足るものだった。

まず、DFSから収束をした刃を形成する事は出来た。
だが予想以上にその刃の維持に意識を取れてしまい、アキトの持ち味たる高速移動が完全に封印されてしまうのだ。
勿論、ある程度の機動は出来るのだが、その動きは新人パイロットと呼ばれてもおかしくないレベルのものだった。
このまま実戦で使用すれば、無人兵器にとってただの的にされてしまう様な状態だ。

一度試してみただけで、アキトはそう簡単にDFSを使いこなせない事を悟った。
そこで気落ちしている姿をラピスに見せるのも恥ずかしいので、以前から約束をしてたサイゾウの店に連れて行ったのだ。
そして、再会をして以来、ラピスのご機嫌は常に上昇中だった。
以前からの約束をアキトが覚えていてくれた事で、今では気分も最高潮に達している。

『戻って』きて以来、一度も会いに来てくれなかった事も許してあげようとラピスは思った。
マキビを補佐に付けられた件だけは、どんな事があってもそう簡単に許すつもりはないけれど。
自分でも不思議に思うくらい、何故かラピスはマキビ ハリと相性が悪かった。

「じゃあ、シミュレーターの使用ログが残らないように細工をしておく」

「ああ、お休みラピス」

「うん、おやすみ」

もう夜も遅いのでラピスに就寝を勧め、アキトは一人でDFSの特訓を開始した。
このDFSとバーストモードが揃えば、チューリップでさえ切り裂ける力が自分に宿る。
それは、今後激化するであろう戦闘において、ナデシコや守りたい者を失わない為に、どうしても必要な力だった。

火星で経験した敗戦は、アキト自身が考えている以上に自分を追い込んでいたのだ。





翌日、ラピスが眠い目をこすりながら寝巻きのまま、日課とも言える早朝のシステム確認を行っていると、アキトがまだシミュレーターに居る事が分かった。
思わずDFS改修用にと思って取っていたログをチェックすると、そこには休憩も挟まずに8時間以上シミュレーターを使用している事が明示されていた。

もしかすると何か問題でも有ったのかと思い、すぐさまアキトに向けてリンクを開く。

「アキト、大丈夫?」

『・・・かなり行き詰ってる』

何時もからは考えられない、弱々しい思念を受けて思わずラピスはアキトの元に駆けつけ様とした。
その行動を予測していたのか、アキトはすぐさま言葉を続けてきた。

『俺の身体に異常は無いから大丈夫だ。
 ただ、体術を修めた俺には、やはり剣術を基本動作として組み込んだDFSの動きが出来ない。
 ほぼ無為意識下でのDFSの制御を可能にしなければ、機動戦にはやはり使用は出来ないな。
 ・・・時間切れが存在する以上、全部自分で試行錯誤するのは時間の無駄、か』

「何かネットで資料を探す?」

急いでダッシュに接続を行い、早速剣術について検索をしようとするラピス。
だが、アキトから返って来た答えは予想外のものだった。

『いや、ここは駄目元で先達を頼ろう』

「?」

アキトの言う先達について、何も予想が付かないラピスは可愛く首を傾げた。






「・・・本当に家の敷地内に道場が有るよ」

研究所の近場の公園で2時間ほど仮眠をした後、ラピスに調べてもらった住所にアキトは向かった。
お金についてはラピスからカードを渡されているので、困る事は無いのが救いと言えば救いだった。
保護者としてそれはどうかと、色々と思う点はあったりしたが。
とりあえずその辺りのプライドは一時封印をし、着替えを購入した後トイレで着替えを行い、アキトは目的地に向かった。

そして、メモに書かれていた住所には、立派な日本家屋の建物と大きな道場が建っていた。
道を聞いた人が誰しも同じ事を言っていた理由を、アキトは直ぐに理解する事が出来た。
庭の敷地が広すぎるのか、門を探して既に10分ほどアキトは外壁に沿って歩いている。

やがて、アキトの目の前に立派な門が見えた。

「しかし、リョーコちゃんの実家って凄いところだったんだな」

門に掛かっている表札には「スバル」の文字があった。



「リョーコの元同僚の方、ですか?
 あらあら、あの娘は元気にやってますか?
 ネルガルのロボットのパイロットになる、と言って飛び出してから、殆ど連絡をくれないのよ」

「ははは、お元気でしたよ」

玄関から呼び鈴を鳴らし、リョーコの同僚だと説明をすると、直ぐにアキトは家の中に通された。
これだけの広い家なので、手伝いの人などもちらほら見えたのだが、アキトの相手はリョーコの母親が直接してくれていた。
和服を着たリョーコの母親は、黒々とした長い髪を綺麗に背中辺りまで伸ばした、目鼻立ちがくっきりとした美人だった。
外見だけでは、とてもリョーコのような年の子供が居るとは思えないだろう。

むしろ、自己紹介を受けるまでは、リョーコの姉なのかとアキトは思った程だった。

「あの娘はどうも祖父の影響を深く受けみたいで、自分が男の人にも負けないと気張っているんですよ。
 ・・・まあ、私が男の子を産めなかったのが、一番の原因なんですけどね」

そう言って悲しそうな表情を作るリョーコの母親、スバル カナデに慌ててアキトは慰めの言葉を掛ける。

「確かに男勝りなところもありますけど、リョーコちゃんは良い娘ですよ。
 口は悪いですけど、根は優しいですし、お母さんに似て美人ですしね」

「そんな、こんなおばちゃんを捕まえて美人だなんて、おほほほほ。
 それにしても、あの娘の事を「リョーコちゃん」と呼ぶなんて、随分と親しいみたいね?」

アキトの発言に気を良くしたのか、表情を明るくしたカナデが興味津々とばかりに探りを入れてくる。
その矛先を何とか避けたいアキトは、本来の目的であるリョーコの祖父について話を振った。

「まあ、そのリョーコちゃんに剣術を少し教えて貰いまして、そこから興味を持ったんです。
 出来ればリョーコちゃんを鍛えた方に、御指導をお願いしたくて訪問させていただいたんですが」

その瞬間、にこやかに笑っていたカナデの笑顔が真剣なモノに変わった。

「・・・テンカワさん、剣術は素人同然なのね?」

「え、はい」

「でも足運びに隙が無い。
 と言う事は、体術や何か別の武術を修めているという事かしら?」

「・・・」

「雰囲気も見事に変えてきたわね、お父様程じゃないけれど、私もそこそこの腕なんですよ。
 それにリョーコに剣術の手解きをしたのは、この私です」

アキトとカナデはお互いに無言のまま隙を窺う。
さきほどの宣言以降、アキトに対してカナデはかなりのプレッシャーを仕掛けていた。
向うから仕掛けてきた事に少々の戸惑いは有ったが、リョーコの母親と言う事を考えれば有り得る話だと思い、アキトはそのプレッシャーに真っ向から対峙した。

そして暫くの間、無言の時間が過ぎるとカナデが軽く息を吐いて、アキトに向けていたプレッシャーを弱める。

「その年でそれだけの気当たりが出来るなら、体術を極める方が正解じゃないの?」

「体術についても研鑽は続けます。
 ですが、今の俺には剣術を身に付ける必要があるんです。
 お願いします、俺に剣術の指導をして下さい!!」

そう言って立ち上がり、アキトはカナデに向かって頭を深く下げる。
リョーコの腕前を知っているアキトは、剣術の指導をその師匠に求めると言う事を考えていた。
DFSを使用する為には、どうやら剣術をベースにした方が効率が良いという事が、あの短いリョーコの指導からも実感が出来たからだ。

もし、リョーコとの訓練を行っていなければ、DFSの刃の生成にさえ最初は手こずっていたかもしれない。

しかし、頭を下げられたカナデには困惑の表情があった。

「テンカワさん、私では貴方の指導は無理だわ・・・」

「何故ですか」

「単純に貴方の方が強いからよ。
 勿論、剣術での話じゃなくて、総合的な実力を言ってるのよ?
 人間、自らより劣る人に教えられても、そこに驕りが発生するのは止められない」

「・・・では、どうすれば」

カナデの言葉に頷ける理由があったため、困惑した表情でアキトはそう呟いた。

「わしが稽古をつけてやろうか?」

その声を背後から掛けられた瞬間、壮絶な鬼気を感じ取り、アキトは一足飛びで部屋の端に移動をした。
しかし、その後を追うように突き出された杖に喉元を押さえられ、次の動きを封じられてしまう。

「あら、お父さん、珍しいですわね?
 離れから出てこられるなんて」

「お前の本気の気当たりに、呼び出されただけだ。
 しかし、中々面白い青年と遊んでおるじゃないか」

長い灰色の髪を背中に流し、鍛えこまれた長身を黒い着流しに隠した、鷹のような鋭い目付きの老人。
それがカナデの剣術の師匠、スバル ユウだった。

「「気」の錬度と、身体能力の基礎とのバランスが滅茶苦茶だな。
 貴様の師匠はお前の将来を潰したいのか?」

喉元に当てられた杖はそのままに、ユウが憮然とした表情でアキトに問い掛けてくる。
しかし、問われているアキト本人はユウから放出されている気に圧されて、ろくに身動きが出来ない状態だった。

それはまるで、初めて月臣に稽古を付けてもらった時の事を、様々とアキトに思い起こさせた。

「師匠は・・・今は居ません」

「ほう、かと言って体術のレベルは低くない。
 そこまで行けば自己鍛錬でも実力の底上げは続けられるだろう。
 なのに、何故剣術を修めたがる?」

「それが、俺に必要だからです」

真っ向からユウの視線を受け止め、アキトは静かな目でそう告げた。
言葉を多く語るつもりもないし、嘘を言うつもりも勿論無い。
ただ、本当にそれが必要だからこそ、剣術を求めていた。

アキトと暫くの間視線を交していたユウは、不機嫌な顔を少し緩めるとアキトの喉元の杖を引いた。

「離れにわしの部屋がある。
 そこで話を聞こうか」

「はい!!」

予想以上の達人に出会えた事に喜びを覚えつつ、アキトはユウの後に付いて離れへと向かった。

「あ〜あ、もう私は視界に入らない見たいねぇ・・・折角、若い良い男が訪ねてきたのに。
 それにしても、お父様が離れに連れて行くなんて、余程気に入ったみたいね」

テンカワさんも大変ねぇ、とクスクスと笑いながら呟きつつ。
カナデはお手伝いの人に、夕食を一人余分に作るように伝えに台所へと向かった。





「・・・貴様、剣術を舐めてるのか?」

「いえ、そんな気は有りません」

殺気に間違えそうな程の怒気を向けられ、肝を冷やしながらもアキトは何とか反論をした。
そのお陰で怒気は少し収まり、間を保つ為にユウはカナデが持ってきた茶に口を少しつける。

「貴様が言っている境地は、剣術家が誰しも望むものだ。
 剣心一体・・・己の意識を剣から外し、無意識にて敵を斬る。
 昔の剣豪には「夢想剣」と言って、その業を修めた者も確かに居る」

ユウの言葉を一言一句聞き逃さないように、身を乗り出すようにしてアキトはその話に耳を傾けていた。
ネット等で調べるよりも、実際に剣の達人から聞かされるその話には、千金の価値があるとアキトは思った。

「だが、その剣豪すらも長く苦しい修行の末に辿り着いたその境地を・・・
 貴様はたかだか八ヶ月で身に付けたいと?」

言葉にする事で、改めて怒りが湧いてきたのかユウの身体に怒気が満ちる。

「無謀な事は分かっています。
 ですが、このまま一人で手探りで突き進んでも、絶対にその境地に辿り着けない事も分かっています」

ここが勝負どころと見極めたアキトは、必死に土下座をしながらユウに頼み込む。
得意とする体術を使用しても勝てないこの老人の教えを受けれれば、自分の目的に近付けるとアキトは勘で気付いていた。

その必死の願いが届いたのか、ユウは怒気を沈めて静かな声でアキトに問い掛けてきた。

「八ヶ月、わしの課す修行を生き延びられれば、剣心一体の取っ掛かり位は得られるかもしれん。
 だが、死ぬ可能性の方が高いぞ?」

「一度死んだ身の上です、文句は有りません」

「残された者はどうする?」

「死ぬ気は有りません」

そのアキトの発言を聞いて、ユウはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。

「なら、貴様の覚悟を見せてもらおうか」






「お父様、その襤褸雑巾は何ですか?」

「ああ、わしの内弟子だ」

道場にてさんざん木刀で叩かれた挙句、襤褸雑巾と化したアキトを引きずりながら、ユウは本家に夕食を取りに着ていた。
その姿を見咎めて、のんびりとした誰何の声を上げたカナデだった。

「あらあら、お父様が内弟子を取るなんて何十年ぶりかしら」

「こやつ、良い根性をしておるわ。
 何でも有りで組み手をしたのだが、気絶しながらも向かってきおった。
 ここまで追い込んでみても、「気」を使う素振りもみせなんだわ。
 過去に強敵相手に何度も負けて、それでもなお向かって行ったのだろうな。
 実に興味深い、その上才能も豊かだ。
 これは当分、退屈せずにすみそうだぞ」

何時に無く饒舌になり、上機嫌で内弟子の話をする父親を、楽しそうに笑顔で見ながらカナデはお酌をした。

「何だか彼を見ていると昔を思い出しますよ。
 カナデを嫁に下さいと頼みに行った時に、散々同じ目に会わされましたからね」

テーブルの上に突っ伏して気絶しているアキトを、同情の目で見ながら婿養子のスバル ヒデアキは箸をすすめるのだった。






月日が経つのは早いもので、アキトがユウの内弟子となって二十日が経過した。

その間、寝る間も惜しんでアキトは基礎訓練と素振りに集中した。
ユウが稽古を付けるにあたり、当然のようにアキトに「気」の使用は禁止されていた為、地力のみの鍛錬が続く。
一日が終る頃には流石に疲れ果て、ユウが用意をした離れの空き部屋で泥のように眠る日々が続いた。
しかも、寝ている途中にもユウの襲撃が時々行われる為、アキトには気が休まる暇は無い。

当初は近場のビジネスホテルにでも泊まり、周辺の剣術・剣道の道場を順に覗くつもりが、一件目にして大当たりを引いた結果だった。

普段の衣服は別として、稽古用の胴着や食事も全てスバル家の方から用意をしてくれるので、アキトは恐縮するばかりだ。
一度、生活費を納めようとカナデに相談をしたのだが、ユウの相手をしてくれるだけで大助かりなのだと逆に礼を言われる始末。
ならばその好意に応え様と、一層の精進を行うアキトだった。

そんなアキトの稽古姿を、今日はユウだけではなく、ユウが呼んだ客人が見ていた。
客人は四十台後半の細身のスーツ姿の男性で、眠そうに目を細めているように見えるが、どうやら糸目のようだ。

「最近の若い者にしては珍しく、地道な基礎訓練に文句を言わないですね」

「まあ、そんな愚痴を言った日には、それを理由に斬りつけてやるんだがな。
 どうにもそこら辺があの弟子の可愛気の無い所でな、黙々とわしに言われた事をこなし続けよる」

「そう言いますが、先生のそんな嬉しそうな笑顔は初めて見ましたよ」

「ははは、そうか、わしが笑っておるか?」

顎を撫でながら、ユウが楽しげに言うと隣の男性は無言のまま頷いた。

「何しろあれだけ鍛え甲斐が有る奴は初めてだ。
 日々募っていた鬱憤が見事に晴れよった。
 あやつ、わしの元で修行を始めてどれくらい経つと思う?」

「そうですね、あの板についた素振りを見る限り、一年は続けているかと」

その瞬間、ユウは大きく口を開けて笑い出す。
隣の男性は突然のユウの行動に、細めていた目を大きく開いた。

「なるほど、お前ほどの奴が見てもそう思うか。
 ・・・あの弟子が修行を始めて、今日で二十日目だ。
 まあ通常の3倍の稽古量に天賦の才を持っておるからな、板につくのも早いのは当然か」

「なっ」

流石に驚きすぎたのか、男性の口からは何も言葉が出ない状態だった。

「だが、その才能を持ってしても、奴が目指す境地は遠く険しい。
 何より本人が設けた期間が一番の問題だ。
 そこで、基礎訓練と並行して実地訓練を積ます」

「なるほど、その為に私を呼んだんですか。
 ですが、私の仕事も片手間にできるようなモノじゃないですよ?」

世話になった恩人の頼みならばこそ、引き受ける事に異論は無かった。
ただ、ユウの荒行と呼べる修行と並行して、自分が行っている仕事を彼がこなせるかどうかに不安がある。
彼の失敗をフォローする事は出来るが、本人が潰れる事がまま有るのが自分が居る職場なのだ。

「潰れればそこまでよ、奴自身それを承知して弟子になったのだ。
 明日の午後からはお前の職場でもんでやってくれ、キリュウよ」

「分かりました、先生の頼みなら引き受けましょう。
 それに私も興味が湧いてきましたよ、あの青年にね」

木刀を無心に振るアキトの知らない所で、新しい修行場は用意されていったのだった。






「と言うわけで、先生からの紹介により君を雇う事になった」

「テンカワ アキトです、宜しくお願いします」

ユウから糸目の男性、キリュウ ヨシヒロの紹介を受けて、アキトが頭を下げながら自分の名を名乗る。
名前からして日本人と思われるキリュウは、アキトからすればそこそこの腕前の男性に見えた。
だが、それだけの情報では一体何を得意とするのかまで分からない。

ただ一つはっきりと分かる事は、キリュウの武人としての腕前はアキトに劣るという事だ。

流石に戸惑っているアキトに対して、苦笑をしながらキリュウは自分の仕事内容を説明する。

「どうやら私の実力が、テンカワ君に及ばない事が分かってるみたいだね。
 でも、実力云々はこの際関係ない。
 私の仕事はネルガルのシークレット・サービスをしている」

「げ」

「「げ?」」

思わず漏れたアキトの呻き声に、ユウとキリュウが眉を顰めてアキトを凝視する。
その視線を受けて、慌ててアキトは手を振って場を誤魔化した。
その姿を不審に思いつつ、キリュウは仕事の説明を続ける。

「まあ、今のネルガルは会長派と社長派に分かれていて、内部抗争に近い状態だ。
 もっとも、ある理由により会長派が圧倒的に不利になってるのだがね」

「はぁ」

多分、ナデシコとの連絡が途絶えた事が原因なのだろうな、とアキトはネルガルとの縁の深さを考えながら予想をした。

実はラピスにお願いをして、ナデシコでのアキトの戦果はプロスペクターの報告書に載らないように細工をしてあった。
せいぜい載った所で見習いコックの欄に、その名前が入ってるくらいだろう。
機動戦等の戦果については、その辻褄を合わせる為にガイが凄腕のパイロットとして記載されている。
地球で自由に動く為の小細工だったが、まるで関係が無い所でネルガルとの接点が出来ようとしていた。

「そして、先代会長が専属のシークレット・サービス共々殺されてからは、会長派のシークレット・サービスは空き状態だった。
 そこで私が自分のチームを売り込み、何とか契約を取ったのだが・・・」

「あ、何だか嫌な予感がしてきました」

続きを聞きたくないとアキトは首を左右に振った。
それを見たユウとキリュウが、揃って楽しそうに笑顔を作る。

「喜びたまえ、私達が護衛するのは現ネルガル会長のアカツキ ナガレだ。
 見事に警護をこなして覚えが良ければ、高いポストに就けるかもしれないぞ?」

「・・・」

断るのは無理なんだろうなぁ、とアキトは今迄の修行内容を思い返しながら重い溜息を吐いた。





その夜、夕食をスバル家の食卓で食べながら、アキトはキリュウの事についてユウに尋ねた。

「師匠、あのキリュウという人も以前は弟子だったんですか?」

「内弟子ではなく通いの弟子だったがな」

内弟子と通いの弟子の違いが分からないアキトが、その違いに首を傾げているとカナデから説明が入った。

「通いの弟子というと、本当に自己練習の為だけに道場に来る人の事よ。
 内弟子は師匠と寝食を共にして、その技術の全てを受け継ぐ人の事になるわ。
 通常、内弟子を取る場合には、通いの弟子の中から有望な人を見付けて、こちらから声を掛ける事で決まるのよ」

「へー、そうなんです・・・・・・・・か?」

全てを受け継ぐと言われても、そんな大層な事を考えていなかったアキトは、恐る恐る対面に座っているユウを見た。

「わしの全てを貴様に叩き込んでいるのだ。
 貴様が広げた大風呂敷を考えてみろ、我が流派「昴流抜刀術」を極めるくらいの気概を持たんでどうする」

「・・・はい、頑張ります!!」

純粋なユウの好意に、アキトは涙を流しながら頷いた。

「じゃあ、その時にはリョーコを貰ってね。
 うれしいわぁ、アキト君みたいな素敵な息子が出来るなんて!!」

嬉しそうに手を叩きながら、カナデがそう言う。

「おいおい、リョーコの居ない所でそんな事を勝手に決めていいのかい?」

言葉の割にあまり反対するつもりがないのか、ヒデアキが苦笑をしながらカナデを諌めた。

「当然だろう、わしの全てを受け継ぐのだから」

しかし、ユウは本気だった。

「・・・・・・・・・・・・・え?」

アキトの箸の動きが止まった。

「それにしても、もう普通に晩御飯が食べれる状態になるなんて、本当にアキト君は優秀なんだな。
 通いの弟子さんでも、3分の2は3日で止めて、残りの人達も3ヶ月はまともにご飯が喉を通らないって言ってたのに。
 十年以上前に居た内弟子さんなんて・・・いや、この話は食事中にする事じゃないね」

「私も驚いたわ、これはもうリョーコを是非とも貰ってもらわないと」

「ふふふ、骨の髄にまで我が流派の教えを叩き込んでくれる」




「どうやって逃げればいんだろうか・・・」








翌日、午前中の修行を終え、事前に用意されていたシークレット・サービスの黒服を着たアキトは、車で迎えに来たキリュウと共に職場に向かった。
実戦の大切さを知るアキトは、このユウの考えを適切だと考えていたが、その警備対象がアカツキというのがどうにも嫌な予感がした。
はっきり言ってしまえば、絶対に何か面倒事に巻き込まれると思っている。

「しかし、あの先生が今更内弟子を取るとはね。
 テンカワ君も良くあんな扱きについていけるものだ」

「稽古で人は死にませんからね。
 それと俺の事は名前で呼んでもらってかまいません・・・兄弟子に当たるそうですし」

「じゃあ、そうさせてもらおうかな。
 兄弟子と言っても、アキト君ほど有望視されていなかったけどね」

キリュウがさっそくアキトの名前を呼び捨てにしながら、話しを続ける。

「そういえば疑問に思っていたんだが、アキト君は「あの」先生の事を誰に紹介してもらったんだい?」

「孫のリョーコちゃんが知り合いだったので、剣術に興味が有りますから稽古を付けて下さいとお願いに行ったんです。
 それまで、師匠の事は全然知りませんでした」

その言葉を聞いて、キリュウの動きが停止した。

「・・・なるほど、知らなかったんだ「剣鬼」と呼ばれる先生の事を。
 それなら仕方が無いね、うん」

楽しそうに笑いながら、キリュウがそう呟いて再び動き出す。

「・・・なんか随分物騒な単語が聞こえましたが?」

「まあ今更逃げ出せないし、由来を教えるのは吝かじゃないけど・・・聞きたいかい?」

「いえ・・・何だか激しく後悔しそうなので遠慮しときます」

「賢明な判断だよ。
 それにしても、先生は気にしないと思うけど、IFSを付けてるんだね。
 お孫さんがネルガルのパイロットだから、そこで知り合ったって所かな」

「まあ、そんな所です。
 実は俺は火星育ちですからね。
 向うでは便利なので、大抵の人はIFSを付けてますよ」

「ふむ、なるほどね・・・」

やがて目的地に着いたのか、車を停車させながらキリュウはアキトは判断を褒めていた。
アキトが車から降りて周りを見渡すと、そこはネルガルが所有するビル施設の一つらしく、ビルの入り口に立つガードマンが胡散臭そうに二人を見ていた。

「まずは仕事仲間の紹介をしよう。
 ここの5階の会議室に、私のチームのコアメンバーを待たせているのでね。
 皆、砕けた連中だからそれほど硬くならなくて良いよ」

「はい、分かりました」

キリュウがガードマンに身分証のカードを提示し、許可を得た後で二人はビルの中に入っていく。
エレベーターを使用して5階の一室に辿り着くと、目的の会議室内からは男性と女性の言い争う大声が響いていた。

「だからぁ、あれはあの娘の勘違いなんだって!!」

「はいはい、何時もの言い訳ね。
 そろそろお父さんも帰ってくるから、席にでも座ってなさい!!」

「そんな、リサの誤解を解かずに、僕が心安らかに仕事が出来るはずないだろ?」

「誤解、誤解ね、はいはい、いいから席に戻れこのイタ公」

「・・・リサの口からそんな言葉が出るなんて、僕は悲しいよ。
 ほら僕が告白をした時に見せた、あの綺麗な笑顔をもう一度見せてよ」

「黙れイタ公、うせろイタ公、近寄るなイタ公。
 肩に触るな、妊娠するだろうが」

ドアを開けるスイッチに手を掛けたまま、動きを止めているキリュウを横目に見て、アキトは何とも言えない表情になった。
今まで見た限り何時も軽く微笑んでいたキリュウの顔から、その笑みが消えていたのだ。

「実に興味深い話をしているじゃないか、二人とも」

「あ、お父さん。
 お帰りなさい」

「げっ、隊長」

「ただいま、リサ。
 それと今の私の立場はチーフだよ、マウロ」

お父さんと呼んできた、肩口で揃えた金髪を持つ美人には優しく返事をし、長い黒髪と黒目の長身の男性に冷めた声で注意をする。
その声を聞いて震え上がった男性は、すごすごと自分の席に戻って行った。

「何か問題はあったかね、ローダー?」

キリュウは室内に居た最後の一人、中肉中背のアジア系の顔付きをした、30代前半らしき男性にそう質問をする。
質問を受けた男性は無言のまま、首を左右に振って問題が無い事を伝えてきた。

「さて、マウロには後でお説教をするとして、昨日言っていた新しいメンバーを紹介しよう。
 私の隣に居る彼がそうだ」

「テンカワ アキトです宜しくお願いします」

キリュウの紹介に合わせて、アキトは名乗りを上げてから頭を下げる。

「・・・お父さん、随分若い子ね?
 アジア系の人は年齢が分かり辛いんだけど、何歳なの?」

「・・・そう言えば聞いて無かったな、アキト君は何歳なんだ?」

「えーと、今が2月末だから・・・あ、最近19になりました」



「・・・・・・・・・・・未成年じゃないか」



愕然とする一同の中、真っ先に我を取り戻したマウロの呟きが、会議室に響いた。




その後、何とか正気を取り戻したキリュウにより、メンバーの紹介が改めて行われた。

「僕の名前はマウロ=クリシート、イタリア出身で年齢は26歳。
 特技はスナイピングだ。
 まあ、隊長・・・じゃないチーフの強い推薦があったんだから、アキトには期待してるよ」

「こちらこそ、宜しくお願いします」

陽気な笑顔で握手を求めるマウロに、笑顔でアキトも握手に応じる。

「私の名前はキリュウ リサ、フランス出身の25歳よ。
 ま、見た目で分かると思うけど、お父さんの養女なのよ。
 特技はトラップ類と爆発物や危険物等の作成と解体、それと情報処理関連を受け持っているわ。
 これから宜しくね、アキト」

「はい、こちらこそ」

先程の毒舌が嘘のように、綺麗な微笑を浮かべながらリサはアキトに挨拶をする。

「ローダーだ、チーム内の運搬関係のパイロットを担当している」

「・・・えっと、それだけですか?」

「・・・」

無言のまま頷くローダーに、無口な人なんだなとアキトは思った。

「最後にこのチームのまとめ役をしている、キリュウ ヨシヒロだ。
 コアメンバーは私を含むこの4名だが、サブメンバーとして常時10名前後を雇うつもりだ。
 アキト君はこのコアメンバーと同じ扱いをするつもりだから、これからは厳しく指導をさせてもらうよ」

「期待に応えれるよう頑張ります」

最後にキリュウの挨拶を受けて、アキトへのチームメンバーの紹介は完了した。
そして少し気になっていた事をアキトはキリュウに訪ねた。

「護身術とかではなくて、スナイパーに爆発物処理にパイロットと揃っていると、何だか傭兵みたいですね」

「うん、私達は傭兵団だよ」

「・・・え?」

「むしろシークレット・サービスの仕事なんて、素人同然だよ。
 先日説明をしたと思うけど、今のネルガル会長周辺はキナ臭くてね、先日も新人が2人亡くなったのさ。
 だからこそ、通常の警備員では役に立たないだろうと、私が営業に入ったのさ。
 ・・・先生からこの事は、聞いていなかったのかい?」

勿論、そんな説明は一言もユウから聞かされていないアキトだった。






とりあえずの顔見せという事で、キリュウはアキトを連れてネルガル本社に向かった。
キリュウが運転するその道中に、大雑把ながら現ネルガル会長の事をアキトに教える。

現在のネルガル会長たるアカツキ ナガレは、妾腹の生まれである為、本来ならネルガル会長になどなれる筈が無く。
本人もその事を知っており、何かと五月蝿い親戚筋を避ける為に本家や本社には余程の事が無い限り姿を見せなかった。
それでも十分な生活費等は父親か振り込まれているため、悠々自適な生活を今までしていた。

だが、父親が死にナガレの兄に当たる先代が殺され、後継者が居ない為に半ば無理矢理に大学に通っていたナガレを役員達が会長に据えたのだ。
元々からしてやる気のなかった役職に、無理矢理付けられた挙句、命まで狙われる現状に彼は『少し参っている』らしい。

「・・・少し・・・参ってる?」

「まあ、人間追い込まれるとどうしてもねぇ」

会長室には、アキトからすれば見慣れた長髪を何故か金髪に染めた青年が、立派な机に足を投げ出しながら漫画を読んでいた。
ご丁寧に耳にはイヤホンが入っており、こちらの言葉は聞こえませんと主張をしている。
何より入室時にこちらをちらりと見たが、それ以降は欠片もこちらに興味を示そうとしない。

むしろ、まるでアキト達が空気だとばかりに、見事に無視を決め込んでいた。

「すみません、会長には後で伝えておきますので、私に新人の説明をしてくれませんか?」

黒のスーツを見事に着こなしている、黒髪をアップにして纏めている美人秘書が苦笑をしながらキリュウに放し掛けて来た。
その声が聞こえた瞬間、アカツキの眉が動いたが、その後は同じ様に無関心を貫いている。

「分かりました、サヤカさん。
 彼が新しいメンバーとして入ったテンカワ アキトになります。
 アキト君、彼女がネルガル会長秘書のミキ サヤカさんだ」

「テンカワです、宜しくお願いします」

「・・・随分と若いですね?」

「はい、19になったばかりです」

アキトがそう言った瞬間、背後に居たアカツキが手に持っていた漫画をアキトの背に投げ付けた。
そちらを見もせずに、アキトは右手で漫画を背中に当たる前に受け止める。

「どうやら読み終わったらしいですね、何処に廃棄すれば良いですか?」

「え、ええ、漫画程度ならゴミ箱にでも棄ててくれればいいわ」

突然のアカツキの凶行よりも、平然とそれを処理するアキトにサヤカは驚いた瞳を向ける。
アキトはそんな事よりも、この場にエリナが居ない事に驚いていた。
確かにアカツキ達との付き合いは、火星からボソン・ジャンプによって帰って着た時からだったが、その時にはエリナはアカツキの秘書としてその場に居た。
そう考えると、今の時点ではエリナは別の部署に居るという事なのだろうか?

今度、ラピスにネルガルの事を詳しく調べてもらおうとアキトは思った。

その時、背後からアカツキが立ち上がる気配がした。

「・・・というかさ、若過ぎるんじゃないの?
 こんな奴で本当に僕を守れるわけ?」

そう言いながら、明らかに馴れない態度で屈みこんで、アキトの顔を下から見上げるアカツキ。
お前は何処のチンピラだ、と言いって笑い出しそうになるのを堪えるアキト。
『戻る』前に知っているアカツキとの、余りのギャップの凄さに、鍛え上げた腹筋が捩れそうになっていた。

そんな風に笑いを耐えて小刻みに震えてるアキトに気を良くしたのか、アカツキの脅し文句が続く。

「大体、先日も2名僕を庇って死んじゃったじゃない?
 どうせ僕も今度の役員会議で、「例の件」の責任を取らされて首なんでしょ?
 死んだ奴とその家族も浮かばれないよねぇ」

げらげらと笑いながらそんな台詞を言うアカツキに、一気にアキトの気持ちが冷え込んだ。
現状が大変な事は、キリュウから既に説明を受けていた。
トラブルに巻き込まれて修行時間が削られるのは腹立たしいが、アカツキの為ならば仕方が無いと思っていた。
だが、目の前に居るアカツキは、アキトの知る友人とは余りに違っていた。

「君もさ、早くこんなヤクザな仕事なんて足を洗って、普通の仕事に就けば?若いんだし?
 このまま僕のガードについても、半年後の役員会議まで命が持たないよ、いや本当に。
 あ、これは親切心からの忠告だよ」

へらへらと笑うその顔を見て、アキトは急に悟った。
アカツキは自分の為に死んだ二人の死から、逃げているのだと。
そして、怖くなったのだ。

知り合った頃と根本では変わっていなかったのだこの男も。

「下らない言い訳ばかり並べずに、お前の方がさっさと逃げ出せばいいだろ。
 その席に座っていなければ、もう命は狙われないんだからな」

「!!」

アカツキの軽薄な笑みが消え、怯えた本性が一瞬浮かび上がる。

「他人の生き死にどうこうより、自分の命が惜しくなったんじゃないのか?」

真実を年下に指摘された事を恥じたのか、アカツキは怒りに顔を染めながらアキトの頬を殴った。

「生意気な奴だな、年上の忠告は大人しく聞いておけよ!!
 死にたくなかったら、さっさと出て行けって言ってるんだ!!」

「だったらお前が出て行けよ。
 何で会長職にしがみついてるのかは知らないが、人をストレスの発散先に使うな、迷惑なんだよ。
 それと、一つ二つ年が上な位で先輩面するなよ」

お返しとばかりに、アキトの拳がアカツキの頬にめり込む。
その衝撃に足元を怪しくしながらも、アカツキは仕返しの拳を繰り出す。

「な、殴ったな!!
 大学じゃあその一つ二つの差が大きいだよ!!」

「ネルガルの会長と豪語する割りに、器の小さい事を言うなよ。
 何時まで大学生気分なんだ?」

お互いに罵りあいながら拳を繰り出す二人。

余程鬱憤が溜まっていたのか、アカツキは何発か良いパンチを貰いながらも、アキト相手に健闘を続けていた。
ネルガル会長に押し込められて以来、親しい友人からは距離を置かれ、身内すら全て敵となったアカツキには愚痴を言える存在など限られていた。
その相談相手にしても、アカツキからすれば守りたい人であり、弱音を吐いて庇護を求めるなど論外だった。

命を本気で狙われる経験など、最近まで大学生だったアカツキには当然ながら、今まで経験をした事など無い。
本家の跡目争いも、妾腹の自分には

自然とアカツキは、口に出せない想いを胸の内に溜め続けていた。

「ああそうさ!!ネルガル会長様さ!!
 兄さんの跡を継ごうと頑張った結果、出しゃばるなと殺され掛けるような弱い立場のね!!
 僕はナデシコの失敗を償う為の人身御供に過ぎない!!
 でも、逃げ出す事は許されないんだよ!!」

「逃げ出さない理由までは知らないが、やられっ放しでいいのか?
 試しに俺を雇ってみろ、少しは面白い事になるかもしれないぞ」

そして、鳩尾にアキトの拳を見事に貰い、地面から少し身体浮かした後、アカツキは気絶をした。






「すみません、ついカッとなって手が出てしまいました。
 でも後悔していません」

「・・・いや、後悔はしようよ、お陰で私達は就任そうそうクビの可能性が高いんだよ?
 まあ、本気でアキト君が殴ってたら、今頃ネルガル会長は棺桶の中だろう?」

「手加減って難しいですよね」

「・・・・・・本当に大丈夫かな、ネルガル会長」

そう言いながらも、帰りの車の中でキリュウは顔に楽しそうな笑みを浮かべた。
助手席には面白くなさそうに、外の景色を見ているアキトが座っている。

アカツキの鬱憤に気が付いたアキトが、あんな行動に出るとは思ってもいなかった。
ユウから聞いた話と、自分が観察したところそれほど他人に強い興味を抱く性格には思えなかったのだ。

キリュウもアカツキの鬱憤については気付いていたが、キリュウが注意をした所でアカツキは聞き流していただろう。
あの行動は年の近いアキトだからこそ、本音を引き出せたものだった。

「意外とお節介焼きだったんだね、アキト君は」

「あー、遠方に居る二人の友人の影響ですかね・・・多分、アイツなら問答無用で殴ってますね。
 もう一人の友人なら、理路整然と責め立てるんでしょうけど、俺は頭は良くありませんから」

「それは確かに、違いない」

そう言ってキリュウは大声で笑い出した。

アキトという存在が予想以上に面白いと分かった事が、何よりも嬉しかった。
それにキリュウが二人の喧嘩を観察をしていた結果から言うと、もしかすると首は無いかもしれないと予想をしていた。





「もう一回、氷を持ってこようか?」

「サヤカ姉さん、もう氷を置く所なんてないよ・・・」

タオルに包まれた氷を顔中に置かれて、呼吸困難を起こし掛けているアカツキが、急いでサヤカの凶行を止める。
このままでは一番信頼をしている身内に殺されかねない。

「畜生、雇い主に対して暴力を振るうなんて信じられない奴だな」

「先に喧嘩を仕掛けたのは、ナガレ君じゃないの」

会長室のソファに横たわるアカツキに、呆れたような口調で注意をするサヤカ。
アキト達が居た時とは違い、随分と口調と態度が砕けていた。
今もやんちゃな弟が凹んでいるのを、見守るような目でアカツキを見ている。

「それで、キリュウさん達との契約は破棄するのかしら?
 キリュウさんはどちらでも構わない、って言い残して帰ったけど」

「・・・あの人との契約が無くなると、次にガードを頼む人が誰も居なくなるじゃないか。
 あ〜あ、普通なら垂涎モノのポジションだよ、ネルガル会長の護衛役なんてさ。
 それなのにどいつもこいつも、社長派に睨まれるのが怖いからって遠巻きにしやがって」

また不貞腐れたようにいじけだすアカツキ。
だがその態度と声にも、数時間前と違い抑圧された陰が消えている事にサヤカは気付いていた。

暫くの間、二人の間に言葉は無かった。

「やられっ放しで、悔しくない訳ないだろう」

「昔から負けず嫌いだったものね」

「僕だけじゃない、サヤカ姉さんの身が危ないから、お飾りの会長職で大人しくしてるんだ」

「・・・」

「そうさ、もう他人を巻き込むのはやめて、大人しくしているつもりだった。
 せいぜい、使えない会長を演じて、憂さ晴らしをしようとした」

「下手な演技だったわよね、落第点じゃないかな。
 見た目は変わっても、中身は全然変わってないんだもの。
 私だけじゃなくて、テンカワ君にもキリュウさんにも簡単に見破られてたわよ?」

クスクスと笑うサヤカの声が聞こえたのか、アカツキは顔を真っ赤にして横を向いた。
そして、背中越しにサヤカに話しかける。

「くそ、一人負けなんて認められないな。
 年下のクセに散々人の事を、分かったように馬鹿にしてくれてさ。
 そうさ、やられっ放しは趣味じゃない」

「なら、舐められないだけの実力を付ける事ね」

ソファから立ち上がったアカツキの目に、以前と同じ反骨の光を見たサヤカは嬉しそうに笑顔を浮かべた。



「その目の光、本当にお兄さんにそっくりよ」








――――――初春を迎える3月、ネルガルに大きな変化が起ころうとしていた。




 

 

 

 

外伝第二話に続く

 

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