< 時の流れに >

 

 

 

 

 

第十五話 『縁(えにし)』

 

 

 

 

 

 

 

 目の前にある白いボードに今日のお薦めを書きつつ。

 チラリと覗き込んだ店の中では、緑色のエプロンを身に付けたアリサが、クルクルと忙しそうに店の掃除をしていた。

 トレードマークのプラチナブロンドの髪は、今日はアップにしてシルバーのバレッタで留めている。

 

 三日間の連休を利用して、アリサは私のアパートに泊まりに来ていた。

 お爺様はお屋敷の方で泊まって欲しそうだったけれど、たまには姉妹で夜通し話したい時もある。

 

 昨日は早めに店を切り上げて、ミリアさんの家に二人で遊びに行った。

 ・・・ナオさんの格好にはかなりインパクトを受けたけれどね。

 ミリアさんって、ある意味凄く大物だと思うのよね、ナオさんとの付き合い方を見てると。

 

 まあ、そういう訳で、今朝早くからアリサを叩き起こして、私は店の手伝いをさせていた。

 この娘には貴重な体験になるでしょうね。

 

「フフン、フンフン〜♪」

 

 過ごし易い陽気と、朝の澄んだ空気に浮かれながら、私はハミングをしていた。

 題名は忘れてしまったけど、両親が好んで聞いていた曲だった。

 幼い頃は、アリサとお父様の膝の上を競って、この曲を聞いていたわね。

 私達姉妹にとって、この曲は子守唄だった。

 

 ―――瞬間的に、過去の幸せな家族の団欒が、脳裏に浮かんだ。

 

 今はもう思い出になりつつあるけど、私の家族は一時期バラバラだった・・・

 アリサの軍入りを渋るお父様と、それを無言で支持するお母様。

 私はアリサと両親の間に挟まれて、ただ狼狽をするしかなかった。

 

 両親も大好きだし、アリサも大切な妹なのだから・・・と

 

 しかし、皮肉にも姉妹喧嘩をしてアリサが家を飛び出して直ぐに、木連の攻撃に両親が巻き込まれた。

 あの時、私の中に積み上げてきた現実が壊れ、総てがどうなっても良いと思った時―――アキトに出会った。

 運命とか、定めとか、そんな言葉で終らしたくない、それは正に『出逢い』だった。

 

 崩れ落ちる街、瓦礫に埋まった両親、周囲に木魂する人々の悲鳴

 

 今でも、あの時の事は夢に見る。

 ・・・アキトを追って、最前線に出ている時にはあの時の夢なんて一度も見なかったのにね?

 

「さて、と・・・

 今日のお薦めはこんな所かな?

 あ、そうそう、アリサが失敗したクッキーは、オマケに付けてあげると大書きしておいて〜♪」

 

 アリサに貸したエプロンの代わりに、私は新品の黄色いエプロンをしていた。

 ボードを店の前にある所定位置に置きながら、軽く体を見回して汚れが無いかチェックをする。

 うん、綺麗綺麗♪ 

 太陽の光が周囲を照らし、少しずつ気温が上がっていくの感じ取りながら、私は一日の始まりを実感していた。

 後に流した私の金髪が、朝の光を受けてキラキラと光っている。

 う〜ん、大分伸びたな・・・もうそろそろ美容院に行かないと駄目ね。 

 

 そんな風に上機嫌で店の前に居る私に、アリサが箒を片手に顔を出してきた。

 

「姉さん、お客様みたいですよ?」

 

「え? まだ開店には早いんだけど」

 

 アリサの視線の先には、私と同じ金髪を肩の辺りで切り揃えた細身の女性が立っていた。

 黒のパンツに、白い長袖のシャツ・・・気のせいだろうか、その歩き方が随分疲れているように見える?

 何より、顔はサングラスで覆われているのでよく観察できなかった。

 でも、初めて会う人をジロジロと見るのは失礼だし、それは仕方が無いか。

 

 しかし、私の心配を他所に、真っ直ぐに背を伸ばし、正面の私達を見たまま、彼女は歩いている。

 

 ・・・どうやら、本当にお客様のようね?

 

「いらっしゃいませ〜

 随分お早いですけど、何かお急ぎですか?」

 

 営業スマイルなどではなく、本当に笑顔を浮かべながら私は目の前の女性に尋ねた。

 私にとってはお客様の笑顔が一番嬉しい、だからこそ、私も笑顔を作る。

 昔、アキトが駐屯地で料理を作っていた時、激戦を終えた後でも料理を作っていた。

 幾らアキトでも疲れていないはずは無いのに、それでも調理を止めようとはしなかった。

 

 その時は、アキトが笑っている事が不思議で仕方が無かった。

 

 でも、今は少しだけ分かる気がする。

 身体の疲れは休養で治るけれど、心の疲れは睡眠では拭えない。

 ただ、黙々と無人兵器を壊すだけではなく、人として笑っていられる場所をアキトは求めていた。

 自分の心を癒す為に、アキトはあの厨房に立っていたんだと・・・今の私には実感できた。

 

 そして悔やむ・・・何故、その事にもっと早く気付かなかったのだろう? と。

 私はアキトの背中を追いかけるだけで、その中身を本当に理解しようとしていただろうか?

 伝えたい事、謝りたい事は幾つでもある、けれど・・・アキトは居ない。

 

 そんな感傷に浸りつつ、素早く気持ちを入れ替えた私は、目の前のお客様に集中をした。

 そして、私の先程の質問に、お客様は少しだけ考え込んだ後―――

 

「・・・そうね、ヤガミ ナオを連れて来てくれないかしら?」

 

 サングラスを外し、私達と同じ碧眼を見せながら、彼女はそう言ったのだった。

 

「「―――えっ!!」」

 

 そして、あまりに予想外の返事に、私とアリサの顔に驚愕が走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に逃亡生活を始めて半年が過ぎていた。

 私は髪を切り、身体に教え込まれた変装術を駆使して、今日まで生き残ってきた。

 ・・・だけど、確実にクリムゾンからの追っ手は迫り。

 すでに、この国から逃げ出す事も不可能な状況に追い込まれていた。

 

 投降は論外だった、その場で殺されるだろう。

 彼等にとって私自身には、なんの価値も見出していないのだから。

 口封じが出来れば、それで満足なのだ。

 

 でも、今ここで生き抜く戦いを止めるつもりは無かった。

 だって、まだ私は・・・あの子の笑顔をもう一度見たいから。

 

「・・・まさか、自分から姉さんの店に乗り込んでくるなんて。

 どういう思惑があるんです?」

 

 店の椅子に座っている私に、アリサと呼ばれていた双子の片割れが、小型のブラスターを突き付けていた。

 一気に飛びつくには遠く、逃げ出すには店の正面入り口も、裏への出口も遠い。

 姉さんと呼ばれた、サラという名前の娘はそのアリサの後ろに陣取り、私の動きを静かに見守っている。

 アリサはそんな姉の動きを知っているのか、自分自身の身体を使って何時でも庇えるように身構えてもいた。

 

 ・・・職業軍人らしい、位置の取り方をするわね。

 

 私は少し関心しつつ、今回の来訪の目的を述べようとした―――

 

      カランカラン!!

 

 その瞬間、店の玄関に吊るされているベルが鳴り、新しい客・・・ヤガミ ナオを店内に招きいれた。

 黒いサマースーツに、サングラスは彼のスタイルなのだろう。

 クリムゾンに居た頃から、彼のこの姿に変わりは無い。

 

 

 

 

 

「・・・よう、髪切ったのか?」

 

「ええ、似合わないかしら?」

 

 

 

 

 

 一瞬、睨み合った後、私とナオはそんな再会の挨拶を交わした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の要望は一つだけ、私達の身の安全をネルガルが保証する事。

 その保証さえ約束してくれれば、クリムゾンが現在行なっている極秘実験の情報をリークするわ」

 

 一種の賭けのようなものだが、少なくとも彼等は一番簡単な手段を取らない。

 つまり、自白剤に拷問の類だ・・・その甘さを、今回は期待している自分に、内心で苦笑をする。

 

「随分、都合の良い事を言うな・・・

 お前が今までしてきた事を忘れた訳じゃないよな?」

 

 店のカウンターに座り、サラの淹れた珈琲を飲みながら、私の方を見もせずにそう返事をするナオ

 そんな答えが返って来る事は予想済みだったので、私もサラの淹れた珈琲を一口飲んで喉を潤す。

 ・・・私の名前を知った時、サラとアリサの瞳には間違い無く『怒り』が浮かんでいた。

 

 勿論、自分のしてきた事を忘れる筈が無い、私を彼女達が恨むのは当然の事

 

 そんな女だと知りつつも、サラは私に珈琲を淹れて運んできた。

 アリサはあまり良い顔をしなかったが、サラの行動を静かに見守っていた。

 

「クリムゾンを裏切り、ネルガルに庇護を求める『理由』が、お前にあるのか?」

 

「ええ、私には十分過ぎる『理由』がね・・・」

 

 珈琲カップを受け皿に戻しながら、私はナオの質問に応える。

 アリサは私の動きにかなり敏感に反応をするが、ナオはまるで無視をしている。

 これは、腕や経験の差だけでなく、私が武器を持っていない事を確信しているからだろう。

 ・・・実際、私は武器の類を一つも持っていない。

 もし、それらを携帯していれば、この店に着く前に周囲を警護しているシークレットサービスに始末されていただろう。

 私は彼等を逆に利用して、クリムゾンの追っ手と戦わせ、この身一つでこの店に足を運んだのだ。

 彼等の上司に当たると思われるナオにも、その情報は既に届いているだろう。

 

 そう既に後戻りは出来ない状況を、私は自分自身で作っていた。

 

「庇護だけが望みか?」

 

「そうね・・・できれば、日本まで運んで欲しいわ」

 

 日本、と私が呟いた瞬間、ナオの雰囲気が一変した。

 その研ぎ澄まされた殺気に、私の肌が泡立つ!!

 以前よりも更に凄まじく、凄烈なほどにこの男は強くなっている!!

 

「貴様、日本で起きた事件に噛んでいるのか?」

 

 ゆっくりと座っていた椅子から立ち上がり・・・私の方に歩いてくるナオ

 彼が一歩近づく度に、私の心が確実に削り取られていく・・・恐怖という牙によって

 

「何を言っているのか分からないわ、本当よ・・・

 知っているでしょう、私自身がクリムゾンに追っ手を差し向けられている事は?

 彼等の組織を抜けたのは、既に半年も前の事なのよ」

 

 圧倒的な殺気に押さえつけられながら、私は何とか自分の立場を言い募る!!

 眼前に聳え立つ死神は、サングラス越しに私の顔を見詰め・・・暫くして、ようやくその殺気を押さえ込んだ。

 

「ナオさん、日本の事件って?」

 

「・・・詳しい事は俺も知らない、だけど非常召集をさっき受け取った。

 かなりのレベルの召集命令だからな、残念だけど俺の休暇は今日でお終いだ。

 ―――よって、俺は非常に機嫌が悪い」

 

 サラが先程のナオの殺気に打たれたのか、少し怯えながらした質問に。

 何時もの砕けた口調の中に、少々の不満を滲ませながらナオが返事をした。

 

「それは、残念でしたね・・・ミリアさんも悲しんでいたでしょう?」

 

「まぁ、な。

 でも、そこは雇われの身の悲しい所さ・・・今日の夕方の便で帰る事になってる」

 

 肩を竦めて今度はアリサの質問に応え、そのままの格好で私に向き直るナオ

 そして、先程より幾分柔らかくなった声で私に同じ質問をする。

 

「ライザ、改めて問うぞ・・・何故、庇護を受けてまで日本に行きたがる?」

 

 誤魔化すのは、既に無理だろう。

 いや、さらに自分を不利に追い込むだけ・・・

 少なくとも、目の前の男を説得し、味方に付けなければ私の目的は到底叶えられないのだから。

 

 私は決意を滲ませた目でナオを睨みつけながら、大事な一言を言い放った!!

 

 

 

 

 

 

 

「・・・日本には、大切な私の息子がいるからよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2に続く

 

 

 

 

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