< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

「・・・あ、ここは?」

 

「気が付いたみたいね。

 ・・・今はまだ寝てなさい、無理をしないほうがいいわ」

 

「私・・・どうして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が目を覚ました事に安堵を覚えつつも、私の心の中は黒い靄に覆われていた。

 解毒剤が効いたのか、異常な数値を示してた身体機能も、今は落ち着いている。

 この先のリハビリ次第で、十分に日常生活は送れるだろう。

 

 ・・・ただし、格闘や諜報のような過酷な運動は、もう無理だろうけど。

 

「・・・・・・・・後は、貴女の心の問題ね」

 

 穏やかに眠る百華のベットの脇に、私は手に持っていたサングラスを置いた。

 そのサングラスの持ち主は、結局このナデシコBに帰ってはこなかった。

 辛うじてナデシコBが回収した脱出ポッドには、血塗れの姿で気絶している百華と、メモ用紙一枚にサングラスしか入っていなかった。

 ウリバタケ班長が、緊張で顔を青くしながら取り上げたメモ用紙には一言だけ・・・

 

「ミリアを頼む」

 

 それだけが殴り書きされていた。

 

 動きを止めたウリバタケ班長の背後から、その手紙を覗き見たレイナは・・・無言のまま自分の部屋に駆け込んでいった。

 短いその一文に、一体どれだけの想いが篭められている事か。

 私に百華の治療を頼む通信を入れてきたウリバタケ班長の顔には、今まで見た事が無いほどの怒りがあった。

 

 『ホスセリ』からの脱出時に、あの二人に何があったのかは分からない。

 きっと私達には想像も出来ない事情があったと思う。

 ただ確かな事は一つだけ・・・

 

 

 あの陽気な男は、もう還ってこないという事だった。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・緊急ジャンプを行ないます。

 ルリちゃん、ジャンプ先は地球。

 イメージに必要な座標のデータを頂戴」

 

「ユリカさん!?」

 

 百華の容態が落ち着いた事を知らせようと、私がブリッジに入ると。

 そこでは、艦長が厳しい顔でウィンドウを見ながら、ホシノ ルリにそんな頼み事をしていた。

 

 艦長の考えが分からない娘じゃないけれど、感情が納得してくれなかったのだろう。

 ついつい責めるような口調で、艦長を問い質す。

 

「ルリちゃん、コロニーの爆発で散り散りになってた敵艦隊が、再集結しようとしてるんだよ?

 例の謎の戦艦の行方も見失っちゃったし・・・

 今のうちに逃げておかないと、ナデシコBが沈められちゃう」

 

「・・・分かっています、それは分かっています―――だけど!!」

 

 唇を噛み締めて、搾り出すように諭す艦長。

 そんな艦長の言葉に、自分でも理不尽だと思いつつ噛み付くホシノ ルリ。

 二人の心中が分かっているだけに、艦長の隣に控えているアオイ君は何も口を挟もうとしなかった。

 

 膠着したブリッジを、私がざっと見渡した所、ラピス・ラズリとハーリー君の姿が見付からなかった。

 それを確認すると、無意識のうちに私も溜息を吐いてしまう。

 

 ・・・懐いていたものね、あの二人も。

 

「はいはい、何時までも駄々をこねて艦長を困らせないの。

 艦長、百華さんの容態が安定したわ」

 

 弱気になっていく自分に喝をいれ、ホシノ ルリを諌めつつ艦長に報告をする。

 

「・・・そうですか、ならジャンプをしても大丈夫ですね」

 

 そう言って視線でホシノ ルリにもう一度、座標のデータを要求する艦長。

 その艦長の顔にも、疲れ以外の何かがあった。

 

「ルリちゃん、ここで待っていても・・・還ってこないんだよ?

 ルリちゃんとラピスちゃんが、あれだけ探して見付からないんだもん。

 それはルリちゃんが一番知ってるよね」

 

 そう諭されたホシノ ルリが、唇を噛み締めながらオモイカネにアクセスを開始する。

 IFSの輝きに包まれる顔に、その輝き以外の光の筋が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ジャンプ」

 

 艦長の呟きと共に、ナデシコBは遥かな距離を跳んだ。

 

 

 

 


 

 

 

 

「実際の所、地球か月に帰れば俺達を木連まで送ってくれるんだな?」

 

「ええ、艦長は流石にダウンしてるけれど、私が責任を持って貴女達を木連まで送るわ。

 幸い飛厘から預かってるナビ用のデータがあるから、貴女達を送り届けるくらいなら、私でも可能よ」

 

 食堂でテーブルを挟んで、私は北斗と零夜を説得していた。

 どうあっても木連に帰ろうとする二人に、帰る手段が無い事を諭し・・・

 その代わりに、私が責任を持って二人を送り届ける事を約束したのだ。

 

「まあ、確かにターミナルコロニー全てを占拠された以上、俺達に帰る手段はないしな。

 時間が惜しいが、お前達に任せるしかないか」

 

「悪いわね、そちらも大変なのに」

 

 私達は無事、地球に帰ってこれた。

 しかし、木連が既に草壁の手に落ちた以上、舞歌殿の身も敵の手に落ちたと考えるしかない。

 自分にとって姉とも呼べる存在の彼女を、北斗が助け出す為に木連へ帰ると言い出すのは、当然の成り行きといえた。

 

「・・・大変なのはそちらもだろう、ここまで落ち込んだお前達を見るのは『あの時』以来だ」

 

「まあ、結構ムードメーカーだったからね・・・彼」

 

 余りに静かな艦内に、私も違和感を感じていた。

 何時も何かしらの騒動を起こすクルー達も、今は黙々と自分の仕事をこなしている。

 そういう私も、出来れば医療室で自分の考えに沈みたい誘惑に、先程から捕われていた。

 

「百華ちゃん・・・大丈夫かな・・・」

 

「それこそ百華の問題だ。

 どうしてヤガミの奴がコロニーに残ったのか、理由は分からん。

 だが、その命を代償として生き残った以上・・・百華はその代償分だけでも、応える義務があるはずだ」

 

 そう言い残して席を立つ北斗。

 その北斗を追いかけて、零夜も食堂を出て行った。

 

「代償に応える義務、か。

 なら、アキト君の犠牲の元に成った和平を維持できなかった私達は、義務を果たせなかったのかしらね・・・」

 

 少し冷めてしまった珈琲を口に運びながら、私は自嘲気味にそんな事を呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 地球まで後一時間という距離で、意外な相手から通信が入った。

 私は一応検査をしたアカツキ君とナカザト君、それと各務 千沙に異常が無かった事を伝える為に、ブリッジに来ていた。

 今は医務室で眠っているこの三人も、少なからず怪我をしていた。

 ・・・それだけ、『ホスセリ』脱出時の状況が厳しかった事が伺える。

 あの北辰の猛攻に晒されたヤマダ君は、気絶をしていたが傷自体は殆ど無かった。

 今は不貞腐れた顔で、愛機の修理を見守っている。

 他のエステバリスライダー達も、先程の戦闘により傷付いた愛機を眺めているだろう。

 

 油断は無かったはず・・・だけど、完敗だった。

 

 ―――彼等がそう言って、悔しそうに拳を震わせていた事を思い出す。

 

 

 

 

 そして私は、艦長がジャンプの疲労により自室で休憩中なので、わざわざ足を運んでアオイ君に報告に来たのだ。

 それに少しでも身体を動かしているほうが、気が紛れる。

 

 

 

 

「地上からの通信、ですか?

 一体誰から―――!!」

 

 コールサインを見て、ホシノ ルリが動きを止める。

 そして、自分の背後で話をしていた私とアオイ君を振り返る。

 泣きそうに見えるその顔に、私は最悪の事態を察した。

 

「・・・誰からだ?」

 

 アオイ君も難しい顔をしたまま、通信相手をホシノ ルリに訪ねる。

 

「・・・グラシス中将経由で、ミリア=テアさんです」

 

 

 

 

 その報告を聞いた瞬間―――ブリッジの全員がその動きを止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あ、アオイさん。

 お久しぶりです』

 

「ああ、久しぶりだな、サラ君」

 

 繋いだ通信に最初に出てきたのは、意外な事にサラだった。

 どうやら、彼女が口をきいてこの軍用通信を使用しているらしいわね。

 ・・・グラシス中将に、彼の事を伝えるのが遅れた事が悔やまれる。

 

 通信でサラと他愛も無い事を話しながら、アオイ君の右手は強く握り締められていた。

 艦長にこれ以上の負荷を与えない為に、彼は自らこの役を買って出た。

 

 つまり、ミリア=テアに真実を話す役目を。

 

「今日はまた、何の用だ?

 一応、これは軍用回線だから、私的に利用されると困るんだが」

 

『えっと、それは御免なさい。

 実はどうしても、ナオさんに直ぐ知らせたい事があって・・・

 ほら、ミリアさん!!』

 

 初めに頭を下げて謝った後、自分の隣にいる女性・・・ミリア=テアを引っ張り出すサラ。

 プライベートな理由で軍用回線を使う事に気が引けるのか、少々抵抗をしていたミリアだが、サラに何かを囁かれて観念したようだ。

 一体なにを囁かれたのか、その顔色は赤く染まっていた。

 

『あの、ナオさんは通信に出られますか?』

 

「・・・いや、その事についてなんだが」

 

 軽く息を吐いて覚悟を決めるアオイ君。

 彼もヤガミ君とは浅からぬ因縁がある。

 あの先の大戦では、最後の一歩を踏み出す手前で、彼に止められたりした。

 

「実は、ヤガミさんはコロニーで・・・」

 

    ピピピピピ!!!

 

『あれ、お爺様から呼び出し?

 おかしいな、回線を使用する許可は貰ったはずなのに?』

 

 そう言って画面から消えるサラ。

 微かに誰かと話している声が、私達にも聞えた。

 

『やっぱり駄目だったんですよ、もう切りますね?

 ・・・あ、もし宜しければナオさんに伝言をして貰えますか?

 あの、私・・・・・赤ちゃんが出来たんです。

 それも、女の子の!!』

 

「―――!!!!」

 

 赤い顔を喜びでさらに染め上げて、一気にそう言いきる。

 ミリア=テアのその笑顔に、アオイ君が話そうとした言葉は口から出る事が無かった。

 そして、恥かしさからか、普段の彼女ではまずしないであろう行為・・・返事を待つ事無く、通信は切れた。

 

 ・・・畳み掛けるような現実に、ブリッジの誰もが沈黙していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

       ダン!!

 

 

「―――っ!!」 

 

 コンソールパネルを殴りつけ、そのまま声を押し殺して叫ぶアオイ君。

 その気持ちは、私達にも十分に理解出来た。

 あの幸せそうな彼女の顔を見て、何を言えるだろう?

 

 生まれてくる子供の父親が、既にこの世にいないと伝えるなど・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3に続く

 

 

 

 

ナデシコのページに戻る