< 時の流れに >
ナデシコクルー全員が見守る中、臥待月のブリッジから抜け出した救命ボートを先導にして、ブローディアが着艦する。
その背には、既に蒼銀の翼は無く。
先ほどまで猛威を振るっていた、蒼銀の剣もまた姿を消していた。
今は以前と同じ、漆黒の機体と翼のみが全員の目に映っている。
ブリッジを失った臥待月を追撃しようとする案もあったが、それはジャンプ先をトレース出来なかった事により中止された。
オモイカネとルリ達が健在ならば、まだ追跡する可能性はあったかもしれない。
だが、現実ではルリとラピスは意識不明の状態であり、オモイカネも完全に復調している訳ではなかった。
唯一無事なハーリーも、今は臥待月のコンピュータから情報を吸い上げる事で手一杯の状態だ。
逃亡した草壁達の行方を追う手段が無い以上、次にするべき事は決まっていた。
「救命ボートから怪我人が出てくるぞ!!
通信どおり、ラピスちゃんと同じ位の女の子だ!!」
「直に担架を!!」
両手を挙げて出てきた臥待月のクルー
一矢が抱いてる少女が危険な状態である事は、既に通信で知らされていた。
向うに抵抗する意思が無い事も、その時に告げられていたのだ。
もっとも、万が一を考えて北斗がその場に立ち会っている以上、そうそう下手な真似は出来ないだろうが。
「この娘の事をお願いします!!」
運ばれてきた担架に、毛布に包まれたラビスを横たえながら、一矢が白衣を着た看護士に頼み込む。
本当は自分も付き添いって行きたいが、今の彼の立場は敵の捕虜である。
今の彼は、自由に動ける身ではなかった。
そして、ラビスの後を追おうとするハルを、九重がしっかりと抱きしめて留めていた。
「百瀬君!!」
「・・・ナカザトさん」
一矢の隣で心配そうに運ばれていくラビスを見送っていた、百瀬の動きが止まる。
その視線の先には、凄い勢いで走ってくるナカザトの姿があった。
どういう態度でナカザトに接しようかと迷う百瀬の隣から、一矢は無言のまま離れる。
その一矢の隣では、九重が微かに微笑みながら立っている。
心が読める彼女には、姉である百瀬の心情が手に取るように分かるからだろう。
ナカザトが百瀬を救うために、どれだけの無茶をしてきたのかを知るクルー達も、冷やかす事もせずその場を退いた。
最初は無言のまま、お互いに向き合っていたが・・・堪え切れなくなったのか、ナカザトが百瀬の身体を引き寄せた。
「ま、ここで邪魔をするほど野暮じゃねーし・・・メインはあっちだしな」
「いや、全くその通り」
ウリバタケと一緒にナカザトを見守っていたナオは、視線をブローディアに向ける。
既に漆黒の機体の周りには、主だったナデシコクルーが勢ぞろいしていた。
三年・・・その期間を長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれだろう。
色々な事があった、伝えたい事も山のようにある。
全ての事件が解決したわけではないが、地球にも彼の帰りを待つ人が大勢いる。
今まで何処で何をしていたのか?
どうして、連絡の一つも寄越さなかったのか?
何故、自ら述べたように、あのタイミングで帰って来たのか?
・・・だが、文句も恨み言も全てを忘れて、最初に言うべき言葉は決まっていた。
ただ無事な姿を見て、おかえり、と言いたいだけだった。
きっと彼は苦笑をしながら、ただいま、と言い返すだろうから。
クルーが見守る中、段々と格納庫内の音が消えていく。
ジュンに指揮を任せたユリカやシュンも、その場に居た。
北斗を先頭に、パイロットも全員がその場で待っている。
ウリバタケやナオも、静かに漆黒の機体を見守っている。
この場に来れないイネスや、他のクルー達も同じ様に映像越しに見ているだろう。
かつての戦友が、大切な人が、その姿を現す事を。
―――しかし、ブローディアに動きがある前に、格納庫に悲鳴があがる。
「何、これ!!
どうして・・・私の身体が!!」
全身にナノマシンのパターンを浮かばせ、不気味に発光を繰り返すユリカ。
自分自身を抱きしめながら、不安そうな目で周りを見回す。
「艦長!!
くそっ!! なんだってんだ、一体!!」
比較的近くにいたサブロウタが、ユリカの身体に触れようとする瞬間、鋭い静止の声が響く。
「止めろサブロウタ!!
ジャンプに巻き込まれるぞ!!」
その言葉に驚き、ユリカを含める全員が声の主に視線を向ける。
そこには一人の青年が、バイザーに黒いパイロットスーツ姿で佇んでいた。
全員の視線を浴びながら、未だ謎の発光をするユリカに近付いていく。
「ウリバタケさん達も近付かないで下さい・・・
いや、ジャンパーでない人は、もっと下がっていた方がいい」
バイザーを外しながら、そう注意する青年は彼等の記憶より背丈が伸びていた。
幼さが抜け切らなかった顔も、鋭さと落ち着きを感じさせる深いものに変わっていた。
以前、垣間見えていた危うさは感じられず、逆にその態度には芯の強さが窺える。
「アキト、お前」
「すみません、ナオさん。
時間が迫ってるので、再会の挨拶は後で。
今は・・・ユリカに伝えないといけない事がある」
声を掛けようとしたナオに断りの言葉を告げ、真っ直ぐにユリカの元に向かう。
誰もがこの異常な事態により、素直に再会の喜びを味わえていなかった。
不安そうに佇むユリカの周りには誰も居ない。
青年の忠告もあるが、ユリカ自身が何かを察してクルーから距離を取ったのだ。
やがて、ユリカの元にアキトが辿り着く。
「アキト・・・だよね?」
「ああ、三年ぶりだな、ユリカ。
それとも背が伸びたから、俺だと分からなかったのか?」
言い知れない不安を感じながらも、ユリカが目の前に立つ背の高くなった男性に尋ねる。
その質問に苦笑をしながら、アキトは肩を竦めて微笑みながら返事をした。
軽口と柔和なその笑みに、ユリカの不安そうだった顔に笑顔が戻る。
ユリカとアキトのその会話に、心配そうなクルー達の緊張が少しほぐれる。
だが次の瞬間、ユリカを包むナノマシンの光が激しくなる。
それは虹色をした光の乱舞だった。
「ええ!!何なのこれ!!
やっと、やっとアキトと会えたのに!!」
「流石に限界か・・・落ち着けユリカ!!」
パニックに襲われるユリカを抱きしめるアキト。
突然の事に動きを止めるユリカに、アキトは言い聞かせるように話し掛ける。
アキトから立ち上る蒼銀の昴気に妨げられるように、ユリカから迸っていた虹色の光の乱舞は今は収まっていた。
「アキト、私どうなるの?」
「・・・詳しい説明をする時間は無い。
ユリカは今からある場所に跳ぶ」
その宣言に、怯えを見せるユリカ。
発言の裏に、自分一人だけがこの場から消える事を悟ったからだ。
知らずに浮かんだ涙が、ユリカの両目に溢れていく。
そんなユリカを、アキトはさらに強く抱きしめる。
「そんなに不安そうな顔をするなよ、大丈夫、俺とユリカは必ずまた出逢える。
どんな事になろうとも、それだけは絶対の約束だ」
「本当?」
「ああ、この約束が・・・全ての始まりだから」
見上げるユリカの唇を、アキトが自分の唇でふさいだ瞬間。
二人を包む蒼銀の昴気をすら貫いて、虹色の光が四方に広がる。
そして、光が収まった後には、アキト一人が残されていた。
「・・・さて、場所を変えて説明会としますか?
格納庫だと、全員に声も届かないし寒いしで色々と大変でしょから」
呆然としてるクルーに向けて、アキトが場違いなほど明るい声で話し掛ける。
その言葉を聞いて、一番最初に立ち直ったのは流石というか、人生経験で勝るシュンだった。
「アキト、お前が帰って来たのは素直に嬉しい限りなんだがな。
・・・今度は艦長が謎の失踪というか、行方不明というのは何故なんだ?」
「ユリカが行方不明?
シュン隊長の後ろに居ますよ」
アキトが指差した先に、全員が機械的に視線を向ける。
そこには、着ているものこそ連合軍の制服ではなく白いワンピースだが、確かにミスマル=ユリカが笑顔で立っていた。
先刻まで泣きそうな顔でアキトに縋り付いていた本人と、寸分の違いも無い。
唖然として声も出ない一同に、能天気な声でユリカが話し掛ける。
「えっと、この場合・・・私も『ただいま』と言ったほうがいいのかな?」
そう言って、頬に人差し指をあてて可愛く首を傾げるユリカ。
呆然としているクルー達は気が付かなかったが、その濃い紫色の前髪が一房だけ銀に染まっていた。
「それは説明が終わってからにしろ。
・・・これ以上混乱させたら、流石に後が怖い。
とりあえず、今はルリちゃんとラピス・・・それにラビスちゃんの治療が先だな」
「それもそうだね。
私もやっとルリちゃんに会えるんだ」
じゃ、先に医務室に行ってるね。
と言い残して、ユリカは格納庫を出て行った。
アキトは律儀にも、シュン達が再起動を果たすまでその場で佇んでいた。
ユリカが立ち去ってから、時間にして約30秒後には、全員が何とか立ち直る事に成功した。
血相を変えて説明を求める一同を宥めすかし、アキトは食堂に全員を誘導する。
一矢達も殆ど成り行きで、その一行に混じっていた。
北斗などはかなり危ない目付きで、アキトの後ろ姿を睨んでいる。
最大の関心事は、やはりこの三年で自分とアキトの間に、どれだけの実力差が生まれたのかだろう。
そして、先程のユリカの件で出鼻を挫かれたが、クルー達に浮かれた気分が蘇っていく。
何らかのトラブルが発生したみたいだが、ユリカは無事だった。
頼もしさを増して、アキトも無事に帰って来た。
臥待月の行方は気になるが、ラビスにハルがこちらに居る以上、直ぐに行動を起こすとは思えない。
ならば、後はアキトに先程の現象の説明と、今までの事を聞けば以前のような関係に戻れる。
クルーの心の中に、そんな想いが高まっていった。
騒がしい一同が食堂に着いた時、そこには既に先客が居た。
しかし、余りに見慣れない光景に出くわし、再び動きを止める。
意識を取り戻したラピスが、自分と瓜二つの少女・・・ラビスの手を取って立っていた。
その二人の直ぐ後ろで、イネスがラピス達の肩に手を置いてあるものを見守っていた。
―――三人が見守っているもの
それは、涙を流してユリカに縋りつくルリの姿だった。
大勢の人の気配を感じたのか、ルリが顔を上げてアキトを見つける。
泣き顔で何かを言おうとして、言葉を継げずにいるルリに、アキトは優しく微笑みながら頷いた。
「ユリカから聞いただろ?
本当に当人だよ、ルリちゃん」
「本当に・・・本当にあのユリカさんなんですね?」
「ああ、正真正銘、俺の妻テンカワ=ユリカだよ。
家族の再会までに、随分寄り道をしたもんだよな」
涙が止まらないルリの頭を撫でながら、アキトが今までの道のりを思い静かに呟く。
そんな二人の姿を、ユリカは幸せそうに微笑みながら見守っていた。
そこには確かに、過去で引き裂かれ失くしたはずの、三人の家族の絆があった。
アキトが何よりも守りたかったもの。
ユリカが何よりも愛したもの。
ルリが何よりも望んだもの。
―――それは確かに、ここにあった。
「さてと、長い長い話になりますが・・・聞いてもらえますか?」
度重なる出来事に、完全に動きを止めている一同に向けて、アキトが苦笑をしながら語りだす。
自らが体験した、もう一つの人生を。