< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、私がクライアントの園部 真北(そのべ まき)よ」

 

 黒いスーツ姿に、黒髪をアップにした美女がそう挨拶をする。

 ヒールを履いている事を考慮しても、彼女の身長は170を超えていた。

 その美貌と身長があいまって、冷たそうな印象を初対面の人間は受けるだろう。

 だが、緑色の瞳には『街』の人間特有の見下すような感じはなく、親しみ易さを感じさせていた。

 

 そもそも、『街』からわざわざパスを収得して、スラムに向かおうとする人間は殆どいない。

 パス自体は簡単に取れるが、ゲートには門限があり、それを過ぎるとどんな人物でも『街』には戻れない。

 勿論、次の日にはゲートは再び開くのだが、『街』育ちの人間にはスラムに対する恐怖心がある。

 疑心暗鬼に駆られて、ゲートの前で一夜を明かす馬鹿者も年に二、三人は居たりもする。

 

「あ、どうも仕事を請けたサンシローです」

 

「じゃ真北ちゃん、さっそくお茶でも」

 

「あんたは仕事をしろ」

 

 馴れ馴れしく真北の肩に手を回した瞬間、サンシローの突っ込みが暁の後頭部に決まった。

 

 

 

 

 

 

「あの人、本当に腕利きなの?」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時々、自分も疑うんですけどね。

 あれでも、結構名前の売れてる人なんですよ」

 

 二人の視線が、ジープの後部座席で気絶している暁に向かう。

 度重なる真北へのセクハラの結果、ついに我慢の限界を超えた真北の一撃により暁は撃退された。

 ちなみに使用した凶器は、仕事道具の詰まったジェラルミン製の鞄。

 その鞄の角を脳天に喰らい、暁は無言のまま地面へと沈んだ。

 

「そういえば、彼の名前を聞いて無かったわね?」

 

 真北が思い出したように呟いた瞬間、後部座席で死んだように動かなかった暁が、勢いよく跳ね起きる。

 

「ははは、俺の名前は久遠 暁。

 まあ、親しみを込めてアッキーとでも「呼びません」

 

「・・・・・・あきらっち「嫌です」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あー君「お断りします」

 

 冷めた目と口調で切り捨てられ、いじけて後部座席で膝を抱える暁。

 ブツブツと何かを呟きながら、後ろで括っている髪の毛を弄んでいる。

 

 180を超える長身で、そんな事をされても可愛気があるはずもなく、前に座っている二人には無視されていた。

 それ以上暁が騒がない事を確認すると、サンシローと真北は仕事の話をしだした。

 

 車の外では、雨がフロントガラスを勢い良く叩いている。

 

「でも、どうして『街』の人がスラムの取材なんかを?」

 

「ちょっとした調査よ。

 依頼内容は私の護衛なんだから、それ以上の情報は必要無いでしょ?」

 

 そう言って話は終わりとばかりに、助手席から外の景色を眺める真北。

 

「はぁ、確かにそうですがねぇ・・・」

 

 何か釈然としないものを感じながらも、サンシローは真北に指示された場所に向かってジープを走らせる。

 向かう先は、先日取り壊されてしまったある建物。

 サンシローとしてはあまり足を運びたくない場所でもあった。

 

 ちなみに暁はいまだ・・・後部座席で膝を抱えて黄昏ていた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 その日の午後、にわか雨がこの土地に降り注いだ。

 用心をしていた者は、持参していた傘を差して帰宅。

 楽観していた者は、天気を呪いながら鞄を傘に仕立てて、家路を急ぐ。

 六月という初夏の季節なので、濡れても風邪はひかないという考えなのだろう。

 

「もうちょっと右に寄ってくれよー

 肩が濡れちゃうだろう?」

 

「うるさいな、この傘は俺の物だぞ?

 大体、どうして貴と相合傘なんだよ」

 

「えー、それはジャンケンの結果だし。

 仕方が無いんじゃないの?」

 

 見事に一人だけ傘を忘れていた貴。

 大介と枝実に頼み込み、何とか相合傘を承諾させたのだった。

 残念な事に、枝実との相合傘は実現されなかったが。

 

 三人が何時もと同じように、わいわい騒ぎながら帰宅を急ぐ。

 しかし、雨足は弱まるどころか段々と激しさを増していた。

 木連組のように、送迎車がある身ではないので、少し雨宿りをする事になった。

 

「うわぁ、傘差しててもビショビショ・・・

 って、視線が痛いぞ貴君?」

 

「ははははははは」

 

「笑って誤魔化す前に、タオルくらい渡してやれよ、まったく・・・」

 

 枝実にタオルを渡し、貴の頭を掴んで横に向ける大介。

 そんな二人のやりとりを、笑みを浮かべて見ていた枝実は、渡されたタオルで濡れた部分を拭う。

 自分もタオルは持ってきていたが、ここは大介の好意に甘える事にしたようだ。

 

「昨日は大変だったんだよ、本当に・・・また、お裾分けしてやろうか、大介?

 見た目はもう十分に及第点だよ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・肝心の味の方はどうなんだよ」

 

 何時もの公園にある、屋根付きの休憩場所で三人は服を乾かしながら、雑談をしていた。

 学校には学生らしく部活動もあったが、三人共興味が無かった。

 

 少し雨足は弱くなってきたが、止む気配は無い。

 ふと、貴が視線を公園の入り口に向けると、一人の男子学生が愚痴をこぼしながら、こちらに向かって走ってくる。

 

「うわぁ、これは傘を持ってくるべきだったなぁ〜」

 

「あ、聖(ひじり)じゃないか」

 

 駆け寄ってくる男子学生は、大介の知り合いだったらしい。 

 よく見れば、着ている制服が大介と同じだった。

 大介の声が聞こえたのか、聖と呼ばれた少年も片手を挙げて挨拶をしながら、同じように休憩所に走り込んできた。

 聖は身長は170ぎりぎりで、体付きも普通の少年だった。

 ダークグレーの髪の毛を無造作に伸ばし、薄い紫色の瞳は眠そうに緩んでいる。

 美少年でもないが不細工でもない、極普通の顔立ちながら、何故か人を惹きつける魅力があった。

 

「やあ、高木君。

 君達も雨宿り?」

 

「・・・この状況を見れば、それしかないだろうが」

 

 のほほんとした口調で、聖が大介に問いかける。

 その質問に対して、大介は苦笑をしながら返事を返した。

 

「ああ、ついでだから紹介しておくか。

 こいつが以前話してた、腐れ縁の久遠 貴。

 で、その隣の女の子が園部 枝実。

 二人ともパイロット育成科の一年だ」

 

 大介に紹介されると同時に、二人は頭を下げて挨拶をする。

 その二人に釣られるように、聖も丁寧に頭を下げていた。

 

「初めまして、僕の名前は聖 マサトです。

 高木君と同じ経理育成科の一年生です。

 お二人の事は、よく高木君から聞いてますよ。

 ここで会ったのも何かの縁ですし、今後とも宜しくお願いしますね」

 

 にこにこと、邪気の無い笑顔で礼儀正しくいわれて、悪い印象を持つはずがない。

 枝実も貴も最初は少し警戒していたが、その人懐っこい態度と礼儀正しさに警戒を解いていた。

 特に同じように暢気な性格の貴は、マサトと友人になるのにさほど時間は掛からなかった。

 

「で、上級生に口論を吹っかけるんですよ、高木君・・・

 もう、隣で見ていて冷や汗ものですよ。

 まあ、それ以上に色々と助けてもらってるんですけどね」

 

「分かるよ・・・頭に血が上ると、後先考えないから大介って」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前等、人の悪口を言うならせめて小声で話せ」

 

「あー、何だか大介君がマサト君と仲良くなった訳が分かったわ」

 

 三人の会話を隣で聞いていた枝実が、苦笑をしながら大介に話しかける。

 それを聞いて、心当たりのある大介は顔を顰めた。

 

「え、何が分かったのさ?」

 

「そうですね、是非聞かせてくださいよ」

 

 興味津々な顔で枝実に尋ねる二人。

 

「似てるのよ、マサト君が貴君に。

 雰囲気とか、手の掛かるところとか、ほおっておけないところとかが。

 多分、二人のサポートをするのは大介君の運命ね」

 

「「おお、なるほど!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・そこは怒るところだぞ、お前等」

 

 溜息をつきながらも、大介の顔は笑顔だった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「今後、久遠家での料理は禁止です」

 

「・・・はい」

 

 院長室に呼ばれた時から覚悟はしていたのだろう、美代にそう言われても吉野は反抗しなかった。

 肩を落とし、目から涙がこぼれない様に必死に努力をしている。

 その姿からは、自分の仕出かした事に対する後悔の念の深さを物語っていた。

 

「まあまあ、美代さんもそんなに怒らなくても」

 

「院長が入院したせいで、どれだけ他の先生方に迷惑が掛かったと思ってるんですか!!」

 

 吉野を庇おうとした玄夜を、一喝で黙らせる美代。

 それが正論であり、自分がこの病院の責任者である事を自覚している玄夜は、それ以上は何も言えなかった。

 実際、突然の入院により病院内では小さくない混乱が起きていた。

 手術の予定が無かった事が、不幸中の幸いだった。

 

 涙を堪えて、叱責を聞いている吉野に美代の表情も少し柔らかくなった。

 病院としての機能を大きく阻害した事を考えると、吉野の仕出かした事は到底許しがたい。

 だが、一人の女性として、好意のある男性の為に手料理を作ろうとする気持ちは、よく分かっていた。

 実際、今回の非常時の対応に駆り出された先生方達や他の看護士達も、それほど吉野を責めてはいない。

 それは、この二ヶ月で吉野自身が手に入れた、皆からの信頼の高さを物語っていた。

 

 しかし、罪は罪として処罰をしなければならない。

 何より、玄夜の存在はこの久遠病院にとって何者にも代えがたいものなのだから。

 

「いいですか院長、これからは吉野の手料理を食べないようにしてください」

 

「・・・それも、仕方が無いか。

 医者の不養生というわけじゃないが、そう頻繁に倒れるわけにはいかない身の上だからな」

 

 実際、玄夜の仕事は院長として医者として、その腕を振るうだけではなかった。

 スラムという何ら保障のない世界で生きている以上、様々な事件が起こる。

 この地区では、あらゆる意味で顔を知られている久遠病院であり、院長の玄夜だが敵も多い。

 久遠病院の地下には、何故か大型の核融合炉が設置されている。

 核融合炉から作り出される電気は、久遠病院の他に周辺地域の住民にも供与されていた。

 その住民から低料金の電気代を徴収し、その金をさらに治療費などに当てる。

 サンシローなどが乗っているジープの動力も、実はこの電気を使用したエレキカーだった。

 

 そして、当然のごとくその核融合炉を狙うチンピラも存在する。

 このご時世における、核融合炉の価値は計り知れないものがあるからだ。

 

 ここ最近は滅多にないが、設立当時は襲撃が相次いだ。

 そんなチンピラの撃退に、玄夜も暁も戦った。

 ただし、祖父の意思を尊重したその戦いでは、怪我人は出しても、死者は出さなかった。

 それは、祖父が殺された後でも守り続けられるている約束だった。

 玄夜が神経質と思える位に患者に気を使うのも、この時の騒ぎに巻き込まれた患者がいたからだ。

 

 現在・・・騒動は落ち着き、周辺の住民の協力の元、久遠病院は経営を続けている。

 誰にも分け隔てなく、驚くほどの安い治療費で、出来うる限りの治療を施す病院として。

 

 玄夜の仕事には久遠病院を存続させる為の外交、そして防衛も含まれているのだ。

 

「吉野君、君も分かってると思うが・・・そうそう倒れるわけにはいかない身の上だ。

 どうしても、料理の腕を確かめたかったら、貴か暁でまず試してくれ」

 

「はい、分かりました」

 

 玄夜からの提案に、涙を拭きながら笑顔で返事をする吉野だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さり気なく兄弟を売るんじゃないよ、玄夜」

 

 冷や汗を流しながら、そう呟く美代だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3に続く

 

 

 

 

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