< 時の流れに >
目の前の男性は、物言わぬ存在に変わっていた。
正直に言えば、知り合ってからの時間は短い。
その短い時間の中で、彼と自分は親友になった。
彼は自分に正直な男だった。
自分の信じる正義を疑わず、迷う事無く行動をしていた。
そんな彼は、何故かあの戦艦の格納庫で胸を撃たれて・・・死んだ。
自分が・・・成り行きで乗っている、この戦艦で。
そして戦艦は、宇宙へと旅立った―――
第四話 遭遇
スラムから少し離れた場所に、廃墟があった。
廃墟自体は何処にでも存在しているが、その廃墟がある場所は特殊だった。
二百年前に軍に壊されてから今までの間、再開発の話すらなかった唯一の場所だからだ。
色々な憶測が二百年前から浮かんでは消えていったが、その真の理由を知る者は少ない。
レジスタンスを率いる人物も、その理由を知る一人らしいのだが、未だその姿を見た者はごく少ない。
そして、レジスタンスなどという厄介者に、好き好んで接触を求める人物は、さらに少なかった。
やがて、廃墟は廃墟として受け止められ、人々の記憶から消えていった。
そんな廃墟の一角で、何故か久遠 暁は汗まみれになって猫を追いかけていた。
「まてぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「にゃ!!」
八月の炎天下の中、目の前を走る黒猫を追いかける暁は、身体中に汗を掻いていた。
白い半袖のTシャツは汗を吸って重くなり、ジーパンにも汚れが目立つ。
首の後ろで括ってる長髪にも、埃や蜘蛛の巣が付いている。
肩に担いでいる黒色のリュックザックには、仕事道具が入っているのか身体の動きに合わせて重たげに揺れていた。
「くそっ、逃げ足の速い猫だな!!」
スタミナには自信があるつもりだが、このままでは先に倒れてしまいそうだ。
黒猫は時々立ち止まって、こちらを窺う余裕すら見せている。
今も金色の瞳を暁に向け、じっと様子を見ていた。
そして暁にはその猫の窺う表情が、自分を小馬鹿にしているように見えた。
暁は炎天下の下で動き回り、既に正常な判断力を失いつつあった。
――――――つまり、次の瞬間にはキレた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何、痛いのは一瞬だけだ」
何やら危ない台詞と共に、担いでいたリュックザックからスローイングナイフを取り出す暁。
黒猫も暁の気配が変わった事に気が付いたのか、警戒したように姿勢を低くする。
暁が最小限の動きで、ナイフを投げつけようとした時・・・
「お兄ちゃん!!
ブロスに怪我をさせたら駄目だよ!!」
「お、おう!!
分かってるって、ディアちゃん!!
それと、付いて来るのはいいけれど、瓦礫とかに近寄るなよ?
脆くなっているから、崩れる可能性があるからな」
背後からの叱責を受け、冷静さを取り戻した暁は慌ててナイフを仕舞う。
そしてそのまま後ろを見ずに、再び黒猫の追撃にかかった。
そんな一匹と一人の追いかけっこの後に、小走りで一人の少女が続く。
少女は可愛らしい顔立ちに、長く美しい黒髪をしていた。
年齢は十歳を幾つか過ぎたあたり。
夏に相応しい黄色いノースリーブに、薄いピンク色のスカートを履いている。
だが、何より特徴的なのは、その琥珀色の瞳だろうか。
「・・・本当に頼りにしてるんだからね」
何故か嬉しそうに笑うと、ディアと呼ばれた少女は小走りで暁の後を追いかけていった。
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ・・・」
「フゥー!!」
廃墟の奥にある行き止まりで、ついに暁は黒猫を追い詰めた。
ディアから聞いた話によると、黒猫の名前はブロスというらしいが、暁にはあまり興味はなかった。
彼が一番気にしている事は、ディアの将来性であり猫の名前ではないのだ。
既に頭の中では、五年後のディアの姿をシミュレートしていたりする。
「・・・チャンスだ、かなりのチャンスだぜ。
今の年齢だと問題外、とゆーか犯罪だが、五年後なら全然OKだ!!
こんなつまらない依頼を、受けた甲斐があるってもんだな!!」
スラムの人間さえ寄り付かないこの廃墟を、暁が訪れた理由は園部 真北からの依頼があったからだった。
真北によると、この廃墟には二百年間放置されており、何も手を加えられていないらしい。
そのため、二百年前の出来事を知る手掛かりが残されている可能性がある、という事だった。
暁としては物好きだな、と鼻で笑い飛ばしたかったが、その依頼をサンシローが受けた。
慌てて抗議をしたが、前の仕事中に依頼人の娘にチョッカイを出して仕事料を削られていただけに、強く反対はできなかったのだ。
・・・何よりも、サンシローからその話を聞いた時の真北の冷たい視線が怖かった。
そんな理由で、不貞腐れて廃墟をさ迷っていた暁は、同じように猫の名前を呼びながら歩いているディアと出逢った。
見た目は文句無しの美少女であるディアに涙目で頼まれて、二つ返事でブロスの探索を請け負う。
――――――この時点で、既に真北からの依頼など忘却の彼方である。
そして現在に至る。
「ふふふふふ、てこずらせてくれたなぁ、猫よ?」
「シャー!!」
暁の苦労が今まさに報われようとしていた。
怪しい笑みを浮かべてジリジリと近寄る暁に、ブロスは毛を逆立てて警戒している。
だが、暁としてもこれ以上の鬼ごっこは御免なので必死だった。
元々、体術には秀でているだけに、逃げ出す隙を見出せないブロスは追い詰められていく。
確実にブロスの逃げ道を防ぎながら、暁がその歩みを進める。
「フニャァァ・・・」
己の最後を悟ったのか、ブロスはとうとう壁際で丸まって震えだしていた。
「覚悟はいいかぁ、あぁん?
このくそ暑い中、さんざん走り回らせてくれてよぉ・・・・・・・・・・・・切り刻んでやる」
暑さと疲れにより、当初の目的を忘れているようだ。
危ない目付きで、脅えるブロスを更に威嚇する暁。
そして、全身のバネを溜めた暁がブロスに飛びかかろうとした時――――――
暁の足元の床が抜けた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
間抜けな顔と声を残したまま、暁の姿は床下の闇へと消えた。
「ご苦労様、ブロス」
暁が消えた後、通路の奥からディアが現れる。
その姿を見て、ブロスが抗議の声を上げながら、暁が落ちた穴を飛び越えて駆け寄る。
下から声も聞こえない以上、暁は気を失っているか、非常に深い穴なのだろう。
「御免御免、悪かったってば。
でも、あそこまで見事に引っ掛かってくれると、逆に笑えるわよねぇ?
ふふふ、あははははは!!」
「ニャー、ニャー!!」
肩に登り、抗議の声を上げ続けるブロスを宥めつつ、ディアは踵を返す。
去り際に、少しだけ立ち止まり背後の穴を見た。
「・・・さてと、どんな反応をするのかな、暁さん?」
「お待たせー」
「遅かったな・・・って、どうしたんだ、その傷は?」
最早恒例になった貴と枝実の遅刻に愚痴をこぼしながら、大介が声のした方に振り向く。
そこには、白いシャツから覗く右腕に包帯をした、枝実の姿があった。
「えへへ、ちょっと格闘訓練で怪我しちゃって」
「・・・本当に訓練で出来た傷か?」
貴に聞いた話だと、枝実の格闘の実力はクラス内でもかなり高い。
元々、母親に非常時のためにと言われて、姉と一緒に鍛えられていたらしいのだ。
そんな枝実と授業で組む事が多い貴は、何時も軽くあしらわれていた。
他の男子からすれば、女の子に軽く負かされるのはプライドが許さないので、自然と貴が相手になる。
しかし、平和主義でお人好しの貴だが、兄達によって鍛えられたタフネスだけは並外れている。
自分から攻撃をする事はせず、枝実の攻撃を全て受けきるのが貴の何時ものスタイルだった。
だからこそ、格闘訓練で貴ではなく枝実が傷を負う事はまず有り得ない事なのだ。
「えへへ、まあこんな事もあるよ。
貴君だって、黙って立ってるだけじゃないんだし」
可愛く舌を出す枝実を見て、怪訝な顔をする大介。
枝実の言葉に嘘を感じたからだ。
貴は他人を傷付けることを嫌う、ましてや女の子が相手では本当に『立っているだけ』を実行する男だ。
長年の付き合いで、友人の筋金入りのお人好しさを知っている大介には、枝実の言葉を信じる事など出来なかった。
もっとも、この場に当事者が居ないのでは問い詰める事も出来ないが。
「で、貴は?」
「何だか怪我をした私を見て、凄く青い顔になっちゃって・・・
今日の掃除当番を代わるから、家で大人しくしてれば、って」
どうやら、枝実の怪我をする原因に関わってはいるらしい。
貴に直接問い詰めれば、真相を話してはくれるだろう。
・・・だが、おそらく貴を庇おうとしている枝実の気持ちを、無下にするわけにもいかない。
「この炎天下の中で、貴が来るのを待つのは馬鹿らしいし。
それだと、貴が枝実を早く帰した意味が無くなるしな。
・・・今日はこのまま帰るか?」
「異議無し」
意見の統一を見た二人は、そのまま学校の出来事を話しつつ歩を進める。
お互いに話のネタに困る事はなかった。
ただ、その内容の半分が貴の失敗談なのは、二人にそれだけ迷惑を掛けているという証明だろう。
もしくは、それだけ二人にとって、貴が身近な存在だからかもしれない。
「それにしても、早く夏休みにならないかなぁ・・・」
「後一週間ほどの辛抱だな」
夏真っ盛りだというのに、貴達が通っている育成学校では極端に夏休みが短かい。
その期間は八月の半ばから始まり、八月の終わりと共に終わる。
木連組の学生が七月から八月の間を休む事を考えると、実に四分の一の日数である。
最初は夏休みにの短さに文句を言っていた貴だが、最近では静かなものだった。
今は限られた時間内に、詰め込めるだけの知識と実力を、自分のものにしなければいけない。
学費免除の恩恵を受け続けるには、それなりの結果を出さなければいけないのだ。
「最近、お姉ちゃんが随分と機嫌が良いのよ。
何時も通り、冷静な顔を装ってるけど直ぐに分かるのよね」
「例のフリーライターをしてる人だな?
確か、真北さん・・・だったな」
「うん、そう」
枝実の話をまとめると、スラムに取材に行って以来、真北は始終機嫌がいい。
何時もなら、自分の原稿を無駄に削る編集長などの文句を家で言うのだが、最近はそれが無い。
その代わりに、暇が出来ればスラムに足を伸ばし、スッキリした顔で帰ってくる。
枝実の予想だと、彼氏が出来たのでは・・・・と、母親と影で話し合っているそうだ。
正面から真北に問い質せば、きっと否定されると分かっている。
「ふーん、別に姉妹とはいえそこまで気にしなくてもいいだろうに」
「何言ってるのよ、お姉ちゃんと結婚するって事は、私の義理の兄になるのよ?
それって、他人事な訳ないじゃない!!」
軽く応えた大介の言葉に、必死になって反論をする枝実。
どうやら本人にとっては、本当に大問題らしい。
「まあまあ、落ち着けよ」
「・・・私の家は、母さんと私とお姉ちゃんだけ。
女性だけの家族だから、男の人とどう付き合えばいいのか、よく分からないのよ」
・・・じゃあ、俺や貴は男性として意識されていなかったのか?
と、大介は心の中で思った事を、口に出しては言わなかった。
特に意識をしているつもりはないし、枝実が親しい友人である事に変わりは無いからだ。
そんな大介の心中など知らず、枝実の話は続く。
「う〜ん、お姉ちゃんに彼氏が出来た気持ちを、どう言えばいいのかなぁ。
そう、例えばね、もし大介君の妹さんが彼氏を紹介するから、っていって連れてきたらどうする?」
「殴る」
即答だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ま、程度の差はあるけど。
私もそういう風に感じてるのよ」
「なるほど、もの凄く納得できた」
二人してそんな馬鹿話をしながら、帰り道を歩く。
本人達は大真面目なつもりかもしれないが、第三者から見ればじゃれ合っているようにしか見えないだろう。
「あ、でも私は男性が本当に苦手なんだけど。
貴君と大介君は別だよ?
何故か肩肘を張る必要が無いし」
「はいはい」
笑顔で枝実にそう言われて、照れくさくなったのかそっぽを向きながら返事をする大介だった。
「おおお、熱々ですねお二人さん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何処から沸いてきた、聖」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当、何時の間に」
背後から突然掛けられた言葉に、慌てて振り返った二人の台詞がこれだった。
「嫌だなぁ、僕の事はマサトって呼んで下さいよ。
僕も名前で皆さんを呼びますから。
それと、三分ほど前からずっと後ろを歩いてましたよ?
細菌や家庭内害虫じゃあるまいし、何処からともなく沸いて出ませんよ〜」
冷たい二人の視線を気にする事無く、そう言い切るマサト。
貴と同じ天然系なのだが、その場の雰囲気に流されず己のペースを保つ力は、こちらが上だった。
実際、貴ならこの二人から冷たい目で見られれば、身に覚えが無くとも萎縮する。
「じゃあマサト君。
さっきの台詞はどうゆう意味かなぁ?」
「大丈夫ですって、貴君には話しません。
ええ、秘密は必ず守ります!!
僕を信頼してくださいよ!!」
詰め寄る枝実を前にして、そんな事を確約するマサト。
大介も枝実の援護に入ろうとした瞬間を狙ったように、マサトは次の爆弾を投下する。
「だって、枝実さんの事を可愛いって褒めてたじゃないですか、大介君は?
大丈夫、大介君と枝実さんならお似合いですよ!!
じゃ、僕は馬に蹴られたくないので、一足お先に帰りま〜す」
顔を真っ赤にする二人を残して、凄い速さで走り去るマサト。
邪気のない笑顔をしていたが、何処まで信用していいのか大介には判断できなかった。
そして二人は追いかけるタイミングを逃し、赤い顔のままギクシャクと帰り道を急ぐ。
お互いに言いたい事はあったが、どうにも切り出せない状況のようだ。
無言のまま・・・だが決して不快ではない雰囲気が、二人を包んでいた。
「あ、私の今日の掃除場所って・・・トイレだった」
「はぁ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つまり、女子トイレなのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうやって掃除するつもりなんだろうな、貴の奴」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだね」