< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を見つけたのは本当に偶然だった。

 

 大介の隣を、本当に楽しそうな笑顔で歩く枝実。

 何時もは仏頂面の大介も、困った顔をしながらも柔らかく微笑んでいる。

 

 二人の姿を見つけたのは、何時もの帰り道だった。

 今日予定していた赤顎との練習が無くなったので、何時ものように三人で帰ろうと思い二人の後を追った。

 何時もの広場で赤顎の書置きを見つけてから、急いで取って返してきたので追いつけるかもと、思ってはいた。

 

 

 実際、暫く走ると二人の姿を見つける事が出来た。

 

 

 

 

 ――――――そして、二人の間に、自分が割って入る隙間など無い事に貴は気が付いた。

 

 

 

 

「・・・ふぅ、とうとう気付いてしまいましたか」

 

「マサト君・・・何時の間に僕の後ろに?」

 

 虚ろな笑みを浮かべながら、背後に突然現れたマサトに質問をする貴。

 しかし、その瞳は見事なまでに泳いでいた。

 例えるなら一回の表、試合開始直後、自信満々に投げた一投目でホームランを打たれたルーキーのような目だ。

 

「あらら・・・予想以上の動揺ぶり。

 ま、まあ、落ち込む気持ちは分からないでもないですが」

 

 さすがのマサトも、貴の死人のような表情に一歩その場を退く。

 

 二人の少年と一人の少女

 それも年頃とあっては、一人の少年が余るのはある意味自明の理ともいえた。

 ちなみに、マサトは自ら一歩引いた位置で、三人の関係を常に見守っていたのだ。

 どうやら、マサト自身には枝実に興味はなかったらしい。

 

「知り合った時期は一緒でも、クラスメイトとしてだけではなく、友人として接する時間が足りなかったんですよ。

 三ヶ月ほど前から貴君は、二人に黙って別々に帰る日が増えましたよね?

 それに普段でも二人を急かせて、早く自宅に帰ろうとしてましたし。

 ・・・その積み重ねが、致命的な隙になったんです」

 

 ちなみに、大介と枝実にお互いを意識させた切っ掛けを自分が作ったとは、会話に匂わせもしないマサトだった。

 

「・・・そ、そうなんだ」

 

 必要だと感じて自分を鍛えていた三ヶ月。

 確実に身に付いていく実力が、面白くて仕方が無かった。

 学校では何時ものようにやられる振りをしながら、最小限のダメージで済むように演技も上達していた。

 貴の師匠である赤顎は言っていた。

 

『弱いと思われているのなら、必要と感じるまで弱い自分を装え。

 それが相手の油断に繋がり、本当に必要な時にお前の突け込む利点になる』

 

 貴にしても相手を傷つけるのは嫌なので、すすんでやられる振りをしていた。

 枝実も見た目ほど貴が酷い怪我をしていない事と、貴自身の言葉によりそれほど気を回さなくなっていた。

 その事も、大介と枝実が近づいた要因の一つだろう。

 

「後悔先に立たず。

 出遅れましたね、貴君」

 

「・・・・・・・・・」

 

 自分が鍛錬に夢中になっている一方で・・・大介と枝実は親睦を深めていたのだ。

 心の何処かでは、庇われる対象ではなく、対等の存在として枝実に認めて欲しかったのかもしれない。

 今更後悔をしても遅いが、それは自分が枝実に惹かれていたからではないだろうか?

 大介に向ける楽しそうな笑顔に、心の一部が痛む。

 ――――――かといって、二人の仲を裂きたいとは思わない。

 昔からの親友に、学校で色々と世話になっているクラスメイトの二人なのだから。

 

 

 

 

 

 

 ここは、悲しみを押し隠して二人を応援しよう!!

 それが親友として自分に出来る事だ!!

 

 多少、後ろ向きながらも貴はそう決心した。

 今の関係を完全に壊すより、現状維持を決意した瞬間だった。

 死んでいた目に、微かに力が宿る。

 

「あ、ちなにみ僕が枝実さんに、何気なく貴君の事を聞いてみたのですが。

 『弟』のような存在だと、思われているそうです。

 入学してから迷子になる、授業では足手まといになる、クラスメイトからの苛めを庇う等々ですからねぇ

 どちらかというと、出来の悪い弟でしょうか?

 まあ、何と言うか・・・男性として見られていない時点で、大介君に負けてますね」

 

「・・・・・・・・・・・・・・うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんんんんん!!!!」

 

「あああああ!! 待って下さいよ貴君!!

 まだ話の続きがあるんです!!」

 

 自分の言葉が止めを刺した事を自覚していないマサトは、泣きながら疾走する貴の後を追って走り出した。

 マサトの自分を引き止める声を聞き、泣き顔で立ち止まり背後を振り向く貴。

 その瞳の中には、先程の決意を伺わせる意志の光など欠片も残っていなかった。

 

 完全に負け犬の目である。

 

「実は枝実さんは、背の高い男性が好みだったそうなんです!!

 最低でも170cm半ばが基準!!

 ちなみに、今の大介君の身長は176!!」

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 追い討ちまでかけられた貴は、傷付いた心を抱えたまま再び走り出す。

 今までの鍛錬の成果を物語るように、その速度はかなりのものだった。

 

 

 

 やがて、マサトの視界から完全にその姿が消える。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・う〜ん、あれはさすがに追い付けませんねぇ。

 ま、早めに知っておけば、大介君や枝実さんに変なわだかまりを抱かずに済むでしょうし。

 さて、帰りますか」

 

 罪悪感など欠片も無い様子で肩をすくめた後、マサトは自宅に向けて歩き出した。

 

 

 

 


 

 

 

 

 そこは『街』とスラムを隔てる壁の近くにある喫茶店だった。

 場所が場所だけに、スラムの中では比較的治安は良い。

 その喫茶店も、『街』の商売人とスラムの商売人が仕事の打ち合わせなどに使うため、外装や内装には気を配っていた。

 そんな喫茶店の一席で、私服姿の玄夜が珈琲を飲みながら人を待っていた。

 店内にある奥のほうのテーブルで、一人だけで何か考え事をしている様子だ。

 病院内ではないので、今は眼鏡を掛けていない。

 鋭い眼差しで、何も無い喫茶店の壁を睨んでいた。

 

「あの、お待たせしました」

 

「・・・いや、それほど待ってはいない」

 

 そんな玄夜に、一人の女性が声を掛ける。

 その言葉に反応して顔をあげた玄夜は、待ち合わせをしていた女性の姿を確認しながら返事をした。

 玄夜に声を掛けたのは、先日開催されたバザーで出会った、あの緑色の髪をもった女性だった。

 

 

 

 

 

「改めて名乗らせてもらいます、私の名前は各務 千晶(かがみ ちあき)と言います。

 本日は失礼なお願いを聞いていただき、本当に有難う御座います」

 

「俺の名前は久遠 玄夜だ。

 呼び出した事については気にするな、俺も君の話に興味を持ったから此処に居る」

 

 ウェイターにレモンティーを注文した後、軽く頭を下げながら千晶が自己紹介をする。

 それに併せるように、玄夜も自分の名前を名乗りながら返答をした。

 お互いに挨拶を交わしたあとで、玄夜は改めて目の前に座った女性を観察する。

 年の頃は二十歳位、緑色の長い髪を持ったなかなかの美女だ。

 今はその整った顔を緊張で硬くしながら、玄夜の顔を正面から見ている。

 

「「・・・・・・・」」

 

 中々話を切り出そうとしない千晶に、玄夜のほうから声を掛けた。

 

「それで、吉野君に関して話があるそうだが?」

 

 玄夜としても忙しい身の上である。

 吉野に関する事だと言われなければ、美代に頼み込んでまでして、こんな場所に足を運びはしない。

 院長の性格を良く知っている美代も、そんな玄夜の頼みを不思議に思いながらも承諾をした。

 

「・・・玄夜さんと一緒に居られた女性の方が、記憶喪失だというのは本当ですか?」

 

 突然、テーブルに身を乗り出すようにして、千晶が玄夜に迫る。

 その勢いに押されるように身体を反らしながら、玄夜は頷く。

 

 あのバザーで千晶に声を掛けられた時、彼女は自分の名を名乗り、吉野について凄い勢いで玄夜に尋ねてきた。

 その態度から、もしかして吉野の過去を知る人物かもしれないと思い、玄夜は吉野が記憶喪失である事を告げた。

 吉野の現状を知り千晶は一瞬呆然としたまま、暫くの間その場で考え込んでしまった。

 そして、吉野が会計を終えこちらに向かっているのを見ると、玄夜に明日の昼にこの喫茶店に来てくださいと言い残して去っていったのだ、

 玄夜としては無視をしてもよかったが、吉野の過去に関する手掛かりになるとすれば・・・放ってはおけなかった。

 

 それに玄夜にも『各務』という苗字を名乗る人物に、興味があったのだ。

 

「少なくとも、今のところ自分の名前さえ思い出せない状態だ。

 俺と吉野君が出会った切っ掛けは、病院に運び込まれた彼女を診たからだ」

 

「そうですか・・・自分の名前さえ・・・」

 

「それで、君は吉野君の事について、何を知っているんだ?」

 

 玄夜が視線に力を込めて話しかけると、千晶は脅えたように肩を震わせた。

 その焦げ茶色の瞳が、何かを決断しかねるように揺れている。

 間違いなく、千晶は吉野に事に関する情報を持っていると玄夜は確信した。

 そしてまた、千晶のその態度からその情報が喜ばしいモノでは無い事も推測できる。

 

「凄く・・・楽しそうに笑ってましたね、吉野さん。

 もし、彼女が私の知っている人なら、あんな笑顔を見たのは初めてです」

 

「・・・」

 

 無言のまま、千晶に話の続きを促す玄夜。

 記憶を失い、吉野が名前と一緒にどんな過去を失ったのかは分からない。

 だが、千晶の話を聞く限り、あまり聞いて楽しいものではなさそうであった。

 

「別人・・・かもしれません。

 私の知る女性とは、外見もかなり違いますし。

 なにより、スラムに足を運ぶような方ではありませんから。

 それに、私がその女性にお会いしたのも四年も前の事です」

 

 千晶の言葉から、問題にしている女性の身分がかなり高い事が分かる。

 それは間違いなく『街』の人間でも、上位に位置するのだろう。

 千晶自身、品の良い秋物の服装を見る限り、どう考えても『街』の人間である。

 そんな千晶が敬語を使う女性・・・間違いなく、木連の組織の中でも名家の出だ。

 

「ちなみに、その女性の名前は?

 詳しい事情を聞いておきたいんだが」

 

「それは・・・聞かれないほうがいいです」

 

 玄夜の問いに即答する千晶。

 思わず目付きが鋭くなる玄夜だが、千晶の表情には先程と違い一歩も退かない決意があった。

 少なくとも彼女の瞳には、玄夜をスラムの人間という事で見下している感じは無い。

 つまり、吉野の本名と思われる名前を告げないのは、千晶からの配慮なのだろう。

 その物腰と丁寧な言葉使いからは想像もつかないが、芯は強い女性らしい。

 

 

 

 

 ――――――お互いに睨み合ったまま、時間だけが過ぎていった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 結局、その後は千晶から何も聞き出すことは出来なかった。

 千晶も玄夜から吉野が元気にしている事を聞いた後は、何も聞こうとはしなかった。

 先日のバザーでの吉野の様子から、決して酷い扱いはうけていないと判断をしたのだろう。

 お互いに、次に続ける言葉を見つけられないまま時間は過ぎ去り、千晶を迎えに来た男性の登場により、この場はお流れになったのだ。

 去り際に、俺に向けて迎えに来た男性が鋭い視線を向けてきた。

 千晶がその男性を『白鳥』と呼んだ時、俺はその男性の正体と千晶の素性に確信を得た。

 

「・・・・厄介な事になりそうだ」

 

 俺はそう呟きつつ、久遠病院に向かって歩きだす。

 もしかすると、千晶の口から吉野の存在が漏れ、『街』から迎えが来るかもしれない。

 その時自分は、どういった態度を取るべきなのだろうか?

 正直に言えば、彼女が自分の側から消える事は避けたい。

 この半年の間に、吉野の存在はしっかりと心の中に根を張っていた。

 不思議なまでに、一心に自分への好意を示す吉野を嫌いになどなれるはずがないではないか。

 それも今迄の女性達とは違い、自己主張も愛情を押し付けるでもなく、ただただ側に寄り添っているだけだ。

 俺自身が特に口に出した事は無いが、その存在が日々の仕事に疲れている心を、暖かく癒してくれていた。

 

 だが、生まれ育った場所に戻れば、吉野が失った記憶を取り戻す可能性も高い。

 吉野の幸せを考えれば、記憶を取り戻すためにも、実家に帰るべきだろう。

 もし家族が居るのならば、吉野の事を心配をしているはずだ。

 半年もの間、その家族が吉野を探し続けているならば・・・是非ともそうするべきだ。

 

 

 ――――――それでも

 

 

 幾ら考えても・・・玄夜にはその答えを出す事が出来なかった。

 何かが自分の中で引っ掛かり、吉野を手元から離れる事を拒んでいた。

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんんんんん・・・」

 

 

 

 

 考え込む玄夜の目の前を、涙を流しながら凄い勢いで走りさる少年が通り過ぎた。

 その泣き声といい、走り去る後姿といい・・・あまりに自分の身内にそっくりな事に、重い溜息を吐く。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの楽天的な弟にも、悩みは存在するらしいな」

 

 

 

 

 溜息を残して、久遠病院へと帰る玄夜。

 これからの事を考えると、先日のバザーで購入したコートに入っているプレゼントがとても重く感じた。

 

 

 そして、その後ろ姿を見守る人物が居た事に、彼は気が付かなかった。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・兄貴、何時の間にあんな美女と知り合いになったんだ?

 これは絶対、吉野ちゃんに報告しないと駄目だな」

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――この後の騒動は押して知るべし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3に続く

 

 

 

 

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