再び・時の流れに
 〜〜〜私が私であるために〜〜〜

 第18話 水の音は『嵐』の音……〜そのとき、歴史は動いたのです〜……その2



 宵闇の中、3台の車が、自宅の庭に到着するのが見えた。
 「久しぶりだな、孫や彼に会うのも」
 そうひとりごちながら私は立ち上がり、玄関へと向かう。
 「あ、ついたみたいだよ、おじいちゃん」
 玄関を出たところで、面倒を見ることになった子供……メティと鉢合わせする。
 「お姉さんは?」
 そう聞く私に、彼女は答える。
 「まだ帰ってない。お父さんも」
 「それじゃあ一人でお留守番かい、今日は」
 「もう……いつものことじゃない」
 私もつい昔に返った気分になる。こんなところは、サラやアリサによく似ている。
 程なく、行儀よく3台並んだ車から、ぞろぞろと人が降りだしてきた。
 そのうち一人に向かって、メティは駆け出していく。
 「お兄ちゃん!」
 先頭にいた、まだどことなく幼さを引きずった青年に向かって、彼女は飛びかかっていった。
 西欧圏では英雄として称えられている、『漆黒の戦神』に向かって。
 
 
 
 そして私……グラシス・ファー・ハーテッドも、英雄や孫娘達を出迎えるために、ゆっくりと足を進めた。
 
 
 
 
 
 
 
 >RURI
 
 車が止まったとき、辺りはすでに暗くなっていました。
 三台の車から、ぞろぞろと人が降りていきます。
 私が車を降りて目の前の屋敷の方を見たとき、私と大して変わらない年頃の女の子が、こちらに向かってたかたかと走ってきました。
 何を言う間もなく、その子はアキトさんに向かって飛びかかります。
 「お兄ちゃん!」
 そういってアキトさんの首にしがみついた女の子に対して、アキトさんもちょっとびっくりしたような声で言いました。
 「メティちゃん!……そういえば、グラシス中将のところに世話になっていたんだっけ」
 「そうだよ」
 そう答えたところで、アキトさんは彼女を地面に下ろします。
 彼女は辺りをぐるりと見回し、その中にいくつか見知った顔を認めて、矢継ぎ早に言いました。
 「お久しぶりです、オオサキ司令、カズシさん、サラさん、アリサさん、天使さま、ナオ……お兄さん」
 天使様?……なんかハルナさんの方を見て言った気がしますが。それに……ナオさんがお兄さん、ですか? あ、そういえばナオさん、こっちに婚約者がいるって聞いた覚えがありますね。
 「お、メティちゃん……ミリアは?」
 あ、ナオさんが小声で彼女に何か聞いています。婚約者さんのことでしょうか。
 と、そこに後ろの方から人の良さそうな、それでいて目だけがどことなく鋭いおじいさんがやってきました。
 「ようこそ、皆さん……そして、久しぶりですな」
 「「お祖父様!」」
 サラさんとアリサさんが、先ほどのメティさんのようにそのおじいさんに飛びかかりました。
 改めて見直すと、その顔には見覚えがあります……軍の人事ファイルの写真でですけど。
 グラシス中将。この西欧圏の要ともいえる、優秀な軍事指揮官。
 しかし今目の前にいるのは、孫との再会を喜んでいる、ただの気のいいおじいさんでした。
 
 
 
 私たちはその後、使用人の方に案内されて、今夜泊まる部屋へと案内されました。
 少し休憩した後、晩餐だそうです。
 大きいけれども、ここはあくまでも個人の邸宅です。女性陣……サラさん、アリサさん、エリナさん、ユリカさん、ハルナさん、私の6人は、2人ずつで3つの部屋を使うとのことでした。当然と言えば当然ですが、サラさんとアリサさんがまず一緒の部屋になり、残った4人がどう組み合わさるかがちょっと問題でした。
 変な言い方ですが、ハルナさんの取り合いになったんですね、たまたま。
 
 「ハルナさんはあたしと同室でいいかしら。ちょっと個人的にお話ししたいこともありますし」
 「え〜っ! 私もお話ししたいことあったのに〜。一応妹なんだし〜」
 「2人とも大人げないですよ、何か」
 
 こんな感じで。
 私は個人的にいろいろと聞きたいことがありましたけれど、それはユリカさんもエリナさんも同じだったみたいです。
 「わっ、もててるなあ……別にあたしは誰とでもいいんですけど……」
 ハルナさんは少し考えた後、結論を出しました。
 「お姉ちゃん、エリナさん、私、ルリちゃんの部屋にします。みんなのお誘いはうれしいんですけど……万が一があるといけませんから」
 その言葉に、エリナさんもユリカさんもはっとした顔になりました。
 私もなっていたと思います。
 そう、ハルナさんは知ってのとおり、かなりの腕利きです。万が一……もしここが敵襲にあったとしても、私を守りきれるくらい。
 「そういわれたら引き下がらないわけにはいかないわね。お話はまたの機会にでも」
 「む〜〜〜。でもそういわれちゃったら、あたしも無理は言えないか……」
 大人なエリナさんに対して、なんか不満そうなユリカさん。これでこの2人、同い年なんですからね……ちょっと頭痛いです。
 そして私はハルナさんと一緒に、今夜お泊まりする部屋へと入りました。
 
 
 
 西欧圏では、部屋の中でも靴を脱ぎません。ナデシコは東洋式……部屋の入り口で靴を脱いでいましたから、ちょっと落ち着きませんけど、とりあえず私たちがしなければならないのは着替えです。
 ここまで来るのに着ていたくたびれた旅装から、ちょっとフォーマルっぽい服に着替えます。
 この後控えている本番ほどではないですし、アットホームなおもてなしではあっても、一応マナーというものはあります。
 ハルナさんもてきぱきと、晩餐用のドレスに着替えていました……胸元が目立ちます。
 将来のない私としては、ちょっとうらやましくなります。
 「ん? なんかついてる?」
 おっといけません。まじまじと見つめてしまっていたようです。
 私はちょっと目をそらすと、自分の着替えを続行しました。
 そのとき、家の外の方から、車の止まる音がしました。外を見ると、車から誰か降りてきたみたいです。
 私が外を見ているのに気がついたのか、ハルナさんが私の後ろから外を見ています。
 「あ、ミリアさんだ」
 「誰ですか?」
 と聞いたとき、私はさっきのメティさんとナオさんのことを思い出しました。
 「あ、ミリアさんはナオさんの婚約者でメティちゃんのお姉さんだよ。でも……何であんな服着てるのかなぁ」
 やっぱり……え、服、ですか?
 もう一度外の方を見ます……ちょうど彼女が玄関の方へ向かっていってしまったためここからは見えなくなってしまいましたが、そういえばちょっと不思議……と言うか、場違いな服でした。
 確かあれは連合軍士官学校の制服です。昔の記憶ですが、ユリカさんの学生時代の写真に、あの服を着ているものがありました。
 色とか細かいところは違いましたけど、ほぼ間違いはないはずです。
 「ミリアさんって、学生だったんですか?」
 「ううん、確かナオさんより少し下……大学行ってたとしてもとっくに卒業している歳のはずだよ、現役生だとしての話だけど」
 「だとしたら、改めて士官学校に入り直したってことになりますよね?」
 「そうだけど……何でまた? 結婚も決まっているのに」
 「私に聞かれてもわかりません」
 実際私は問題のミリアさんを見たのが初めてなんですし。
 「ま、いいか。後で本人に聞けばいいだけだし」
 それもそうですね。とにかく着替えましょう。
 お互いに背中のファスナーやボタンを閉めたりして何とか準備が整った頃、お迎えが来ました。
 さて、何が待っているのやら、ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 >NAO
 
 アキトたちが今夜泊まる部屋に落ち着いた時点で、俺の仕事もとりあえず一段落したことになった。元々俺が請け負っていたのはサラちゃんやアリサちゃんの護衛だ。ナデシコ内部では、まあ実際は居候兼用心棒といったところで、あの北辰の一件を除けば、仕事なんぞないに等しかった。こっちに戻って来るに当たって一応名目上だった護衛も、2人がここに着いて落ち着いた時点で終了したことになる。
 つまりは明日出発するまで、俺は非番と言うことになる。
 となればやることは一つだ。俺は勝手知ったる(何せ以前は爺さんの護衛をしていたしな)中将のいる書斎に行き、開口一番に聞いた。
 「中将、ミリアはどうしています?」
 「おお、ヤガミ君。急ぐのはわかるが、まあ掛けたまえ」
 中将は俺を来客用のソファーに座らせると、手ずから片隅のコーヒーメーカーに入っていたコーヒーをカップに注いで持ってきた。
 「これは仕事用だから大してうまいものではないがな」
 そういって自分用のコーヒーに口を付ける中将。誘われるように俺も一口コーヒーを含んだのを見計らって、中将は言葉を切り出した。
 「ミリア君はもうすぐ帰ってくるはずだ。詳しくは彼女に直接聞けばいいと思うが、今彼女は学校に通っている」
 「学校に? ミリアはとっくにカレッジは出ているはずだが」
 そのくらいは俺も聞いている。
 「今彼女が通っているのは、中央士官学校だよ」
 「なぬっ!」
 俺は目の前の人物が西欧圏の実力者であることも忘れてつかみかかった。
 「何でミリアがそんなところに!」
 「落ち着きたまえ」
 中将は少しも慌てずに俺をたしなめた。俺も自分が何をしたのかに気がついてかしこまる。
 「……失礼しました」
 「いや、慌てるのはわかる」
 中将は別段俺をとがめる風でもなく言った。
 「ただ、ある意味、彼女が士官学校へ行ったことの裏側には、私にも多少責任があるのでな」
 「はあ?」
 何でまた。
 「彼女がこちらに来たとき、私は息子や孫が帰ってきたような気分になってしまってな」
 中将はそういうと、コーヒーで口をしめらせた。
 「もちろんミリア君はアリサより年上だったが、こちらに来てしばらくはアリサが使っておった部屋に入っていての。君も知っての通り、アリサは軍に入ることを希望して親と反発したじゃろう。そのときあれは私のところに転がり込んできたんじゃ。
 いきなり二等兵というのもきつかろうと、ちと公私混同じゃが士官の資格を取らせようと思っての。士官学校の1年コースに叩き込んだんじゃよ」
 おいおい……けど、それなら納得だな。あの若さで尉官っていうのも。
 「言っておくが、入学にはちと便宜を図ったが卒業に関しては一切下駄は履かせておらんぞ。それでもアリサの奴は、見事に首席で卒業しおった。それを聞いたとき、私は1年コースなんかではなく、きちんと本科に入学させるべきだったと悔やんだわい。1年コースというのは、要するに現場指揮官やパイロットなどの促成栽培教育をするところじゃからの。アリサはああ見えても頑固での。『たとえ命を失う可能性があっても、この手でみんなを守れる、きちんと役に立てる場に行きたい』とただをこねおって。あいつの年でそんなことが叶えられるのは、新設されたばかりのエステバリスパイロット養成コースしかなかったんじゃ」
 確かにな。エステバリスのパイロットはIFSを付ける。古参はあれを嫌っている奴が多かったし、それ以上にIFSを使うには若さが結構ものをいう。ついでにIFSを使う機動兵器の操縦には、厳しい訓練より天性のセンスのほうが大きく影響する。ナデシコではヒカルが確かそんなタイプだったな。
 「幸か不幸か、アリサには天賦の才があった。若すぎるくらい若いことも、かえってプラスに向いたんじゃろうな……パイロットとしてアリサはたちどころに頭角を現した。
 そこで話はミリア君のところに戻るが、彼女はアリサの元居た部屋で、あれが残した本に目を通したんじゃ。要するに軍事系の参考書みたいな物じゃな。そこで彼女は、自分のうちに眠っていた『何か』に気がついてしまったらしい」
 「ミリアに、そんな才能が……?」
 と答えた俺は、ふとあのときのことを思い出した。
 ミリアをテツヤから助け出したときのことだ。
 ミリアの中には、実の母親の持っていた天才性が眠っている。軍事関連にも、かなりのセンスを持っていたのは、俺がこの目で確認している。
 「そういえば、確かにそんな面もあったな」
 俺はそうつぶやいた。
 「での……彼女はしばらくアリサの本などで勉強していたみたいなんじゃが、そのうち物足りなくなったらしくてな。私の蔵書や具体的な資料などにまで手を広げ、それでも物足りなくなったらしい。その様子を見て、私は彼女に、士官学校へ行ってみるかと言ったのだよ。
 答えは、諾、じゃった。
 ちなみに編入試験で、見事に満点を取ったという報告も上がって来ておる」
 おいおい…………。
 「今学校の教授陣の間では、彼女は『極東のミスマルユリカに匹敵する逸材』と言われているそうじゃ」
 ……そこまですごかったのか。
 そう思ったとき、表で車の止まる音がした。
 「ふむ、帰ってきたようじゃの」
 そっから後は、俺は聞いていなかった。何故かって?
 決まっているじゃないか。ミリアを出迎えるために、挨拶もすっ飛ばして部屋を出たからに決まっている。
 なんか爺さんがため息をついていたが、無視だ、無視。
 俺は玄関に向かって全速力で突っ走った。
 
 
 
 
 
 
 >AKITO
 
 ミリアさんやテアおじさんも戻り、このグラシス邸に人がそろった頃、晩餐会は始まった。
 しかし驚いたのは、ミリアさんが士官学校に、そしてテアさんが軍の糧食担当補佐の仕事をしていたことだった。
 ミリアさんは成績の方も優秀で、何でもユリカに匹敵する成績を上げているという。これはちょっと意外だった。テアさんはあの激戦下にあれだけの質の食料を確保できる『何か』があったわけで、今の仕事もそれほど不思議ではないのだが。
 それはさておき、ちょっと肩のこる食事だった。中将曰く、
 「慣れていない者は予行演習だとでも思いたまえ」
 とのことだが。
 もっともここには慣れていない人の方が少ない。ハッキリ言って俺とハルナくらいのものだろう。
 アカツキやエリナさんは言うに及ばず、ミスマル提督やシュンさんにカズシさんたちもきちんとマナーが身に付いている。そしてサラちゃんやアリサちゃん、そして意外にもユリカも堂々たるものだ。なんだかんだ言ってもあいつ物覚えはいいし、お嬢様だからな。ジュンもしっかりしている。
 ルリちゃんもさすがというか、全く破綻していない。
 残ったのは俺とハルナの庶民コンビだ。さすがのハルナも、手つきがちょっとまだるっこしい。
 あいつは大食い派で、こういうマナーを要求される食事はたぶんまともにしたことないだろうしなあ。ちなみに俺もそうだ。
 それでも最低限の常識を引っ張り出して、何とかこの場は乗り切った。
 けどやっぱりこういう食事は疲れる上今ひとつおいしく感じない。せっかくの料理にちょっと申し訳ない気がした。
 だからか、食事の後、ラフな形でのお茶会というかティーブレークというか、とにかくくつろいだ格好でリビングに再び集まったときには、心底からほっと出来た。
 「フフ、アキトさんにも苦手なものあったんですね」
 サラちゃんにも笑われてしまった。
 「う〜、物足りない〜」
 といいつつ持参したあの棒菓子をかじっているのはハルナ。まあこれは仕方あるまい。
 コーヒーや紅茶など、思い思いの飲み物を片手に、ナデシコの食堂を思わせる、のんびりとして雰囲気が流れていく。
 だがそれも、グラシス中将が口を開くまでであった。
 
 
 
 「ミスマル提督」
 「む?」
 提督が答えたとたん、みんなの雰囲気が一変した。何故かは語るまでもない。
 「提督は、どこまでご存じかな?」
 「いや、おまえさんの知らないことをこっちが知っていると言うことはないだろう。一通りの話は聞いたがな」
 そういいつつ、ちらりと俺に視線を向ける。
 「そういうことか……となると、私もこの場ではイニシアチブを握ることは出来ないな」
 今度はグラシス中将の視線が俺に向く。
 期せずしてこの場の最高階級者2人の視線を浴びて、一瞬俺は固まってしまった。
 「中将?」
 そう聞き返してしまった俺を、ハルナが突っつく。
 「バカ。この場を仕切れるのはお兄ちゃんしかいないでしょうに」
 そう言われてさすがに俺でも気がついた。ちょっとまじめな顔をして周りを見渡すと、シュンさんとアカツキの奴がにやにやしている。
 結構気が合うのかもな、あの2人。
 でも困ったな。なんというか、話題を切り出しにくい。
 そう思っていたら、それに気がついたのか、グラシス中将が振ってくれた。
 「テンカワ君、改めて率直な話を聞きたい。今回の場に置いて、君はどういう立場を持って臨むつもりなのかを。君の意見が木連との和平にあることはもちろん承知している。だが、ただ和平と主張するだけでは、誰も納得はせん。以前聞いた話のことからしても、君はかなり詳しいことを知っているようだし、君のことは信頼もしている。だが、いくら君を信頼していると言っても、直接会ったこともない相手のことを無条件で信じるわけにはいかん。そして、君のことを英雄と呼んではばからない我らでさえその程度なのだ。このことを知っていて黙っていた一部のものは別としても、木連との和平を実現しようとしたとき、最大のキーマンになると思われるガトル大将を説得できるかどうかは、ほぼ君の出方にかかっていると言っても良い」
 「ガトル大将は聡明かつ公正な方だ。だがそれだけに、単なる情熱だけでは説得は無理だ、と私からも言っておこう」
 ミスマル提督がそれに続いた。
 俺にとってもこれは、前哨戦かも知れない。となれば腹をくくらねばならないだろう。
 アカツキには悪いがな。
 そう思いつつ、俺は自分の意見を語り始めた。
 
 
 
 「両者の遺恨、その他の感情的な面は、一旦置いておきます。これにとらわれたらお互いがお互いを全滅させるまで戦いが終わらなくなってしまいますし、感情面でのしこりは、また同時に互いの事情を理解し、時間を掛けることで和らげることも可能です」
 そう、かつての俺は、感情面にとらわれすぎて多くの人を巻き込むことになった。
 だがそれはそれで必要だったのかも知れない。少なくとも俺には。
 そして逆説になるが、解消できない感情面でのしこりは、逆にこれが解消されたときにはすべてが終わっていなければならない。
 あのゲキガンガーの名シーン、夕日を背に殴り合うケンとジョーのように。
 お互いが内心ではお互いのことを認めている、しかし納得できない感情を、殴り合うことでしか昇華できなかったあの2人のように。
 あれはお互いの間のわだかまりが、『理性では納得できても感情で納得できない』レベルになったからこそ出来ることだ。
 つまり、木連との戦いを終結させるためには、それ以外の要素に、すべて解決策が提示されていなくてはならないと言うことである。
 木連の社会的・経済的な立場。ボソンジャンプの管理と運用、そしてそこから上がる利益。
 こういったことに決着が付かなければ、火星の後継者は必ず現れる。
 たとえ草壁や北辰達を皆殺しにしたとしても。
 さすがの俺でも、いいかげんそのことには気がついていた。
 「となると最終的な争点を握るのは、おそらくボソンジャンプ……これになるでしょう」
 アカツキとエリナさんの顔に、ハッキリと緊張が走った。
 「木連と地球を感情的に隔てているのは、100年という時間、そして過去の歴史です。そして物理的に隔てているのが、地球と木星の距離です。しかしボソンジャンプは、その『距離の障壁』を無効にしてしまう。地球、火星、そして木星。これらの領域を、ボソンジャンプは一つにしてしまうことが出来る。故にこの技術を握ったものは、事実上これらすべての頂点に立つことを可能とします。それこそが木連が戦いを決意し、ネルガルやクリムゾンがなりふり構わず暗躍した、その真の理由です……誤解無きように言っておきますが、今俺が言ったネルガルは、あくまでも先代会長を中心とした一派のことです。アカツキはやらねばならないのならそれを実行できる男だが、やらずに済むのならやろうとはしない男だ。もっともやると決めたら誰よりしぶとい奴でもあるけどな」
 「言ってくれるねぇ」
 あきれたとも驚いたともつかない、何とも言い難い顔でアカツキがぼやく。
 すまんな。遺跡を飛ばす直前のおまえと、俺の復讐に協力してくれたおまえ。その2つの顔を、俺は見てきているからな。
 熱血を否定するクールなおまえと、それでいて熱血を否定しきれずにあこがれるおまえの複雑な双面を。
 しかしその思いを脇に置き、俺は話を続けた。
 「この戦い、木連側には勝機が二つありました。一つは開戦直後。奇襲効果と、ディストーションフィールドの防御力およびグラビティブラストの圧倒的な破壊力を武器に、一気に地球側の防衛力を破壊してしまうことが出来れば、その時点で勝利は可能でした。しかしこの時は、この時点で木連側も有人ボソンジャンプを可能としていなかったために頓挫しました。
 となると、もう一つの勝機をつかまない限り、木連側に勝ちはありません」
 「それがボソンジャンプの支配、というわけか」
 グラシス中将は、疲れたような声で言った。
 「そうです。有人ボソンジャンプを可能とした木連ですが、今の段階ではまだ完全ではありません。それ故、木連側は今までの勝利で得たものを完全に使いこなせていません。大量の人員をボソンジャンプで輸送可能ならば、彼らは拠点を木星から火星に移すことが可能になります。これが可能ならば、この戦い、最後は互いの命運をかけた総力戦になることでしょう。勝率はおそらく五分五分。そして……どちらが勝つにしても、人類社会には致命的なダメージが降りかかっていると思います」
 俺はそこで一息ついた。みんなは俺の話に聞き入っている。
 ちょっと意外なのは、一番まじめな顔をしているのが他でもないユリカだと言うことだ。あれは俺の顔に見とれている訳じゃない。
 「ですが、この戦い、こちらが勝ちすぎてもいけない、と、俺は思います」
 その瞬間、ほう、と声を上げたのがシュンさんだった。
 「気づいていたか」
 「ええ。この戦い、こっちが勝ちすぎると地球側はたぶん図に乗るでしょう。そうしたら木連はおそらく地下に潜ります。戦いに勝ったとしても、かえってやっかいなことになるだけです。ボソンジャンプの一元支配が可能である限り、常に一発逆転の目が残されることになる。どんなに細い蜘蛛の糸であっても、木連はその糸を上ることをあきらめないでしょう。そうなったら地球圏はテロの嵐です。間接的な被害は今までの戦争の比じゃないでしょう」
 脳裏によみがえるのは火星の後継者、そして己自身……。
 結局戦いは、終わらなかったのだ。
 「ありそうな話だ」
 シュンさんはにやりと笑って答える。
 「だが一つ質問させてもらっていいか?」
 「何でしょう」
 そう答えた俺に、シュンさんは意地の悪い笑みを浮かべて言った。
 「以前から何度か聞いた話なんだがな、今のことは。だとすると一つだけどうしても判らんことがある、というか、判っていながら、俺の方もあえて聞かなかったと言うべきかな。
 だがそろそろそうも言ってられなくなってきた。テンカワ……あえて一番おまえに言いにくいことを聞くぞ。
 おまえは今までの話を、『ボソンジャンプの一元支配が可能である』という前提に基づいて話している。だとしたら、その根拠は何だ?」
 直球ど真ん中だった。
 これ以上ないストレートな物言いだ。
 だが、同時に、今ここでそれをごまかすことは、皆の信頼を裏切る行為でもあることは判っていた。
 しかし、それでも俺にはこう答えるしかなかった。
 「ボソンジャンプの一元支配が可能な理由、俺はそれを知っています。どうすれば可能かも、どうすればそれを防げるかも。しかしそれは表裏一体で、どちらかだけを教えるとかすることは出来ません。
 そして、その方法は……まだ、教えるわけにはいきません」
 「何故だ」
 ただ一言、シュンさんが重い声で聞いてくる。
 「それには、もう一つ、ボソンジャンプ最大の秘密が関わってくるからです。その理由を俺が語ると言うことは、特に今の時期にそれを語ることは、一歩間違えると人類社会、いや、人類文明をめちゃめちゃにすることにつながりかねないからです」
 そう……ボソンジャンプが、可能性とはいえ、時間跳躍を可能とすることは、遺跡が誰かの手に渡る可能性のある段階では、明かすことは出来ない。
 前回なら別段問題はなかった。時間跳躍はあくまでも事故であり、ランダムジャンプによってまれに起こることでしかなかったのだから。
 だが、今の時空では違う。時間跳躍によって、己の望む方向に歴史を歪めることが出来ることを、俺自身がはからずしも証明してしまっているからだ。
 この秘密がばれたとしたら、絶対にやるやつが出てくる。特に木連の側に。
 その気になれば可能かも知れないのだ。100年前月を追われた独立派……木連の祖先を勝利させてしまうことも。
 そのときこの世界が、そして俺たちがどうなるかは俺には判らない。
 そしてそれ以前に、それを明かすことは、俺たちの抱える最大の罪……歴史を改変したことをみんなに知られることに、俺自身が耐えられるかどうか判らないといった恐れもあった。
 「ずいぶん大げさなことを言うんだな、テンカワ君」
 俺の様子をいぶかしんだのか、アカツキが口を挟んできた。
 「ボソンジャンプを制するものが人類を制する……そのことは僕としても理解できるよ。僕自身もある意味それを狙っていたことは否定しないしね。僕は別段、人類を支配することには興味はないが、僕が誰かに支配されることは大いに嫌だ。だとしたら僕がその支配権を握っておこうと思うのは当然のことだろう?」
 「当然だな。支配したいと思うやつは少数派かも知れんが、支配されたくないと思うやつは間違いなく多数派だろうしな」
 この辺の話を突っ込むと複雑になりすぎるから、俺は軽口でアカツキに応酬した。
 「支配すれば丸儲け、支配されたら滅亡。選択の余地はありませんでしたわ」
 エリナさんもそう補足する。まあ彼女はどちらかといえば支配したがる側の人間だから、額面通りというわけじゃないだろうけどね。
 「とにかく、ボソンジャンプの支配には、それほどの大きなものが付いてきていると言うことです」
 俺は話を元に戻すべく言った。
 「矛盾した話に聞こえるかも知れませんが、俺がこのことを知っているという事実そのものが、ボソンジャンプの支配の持つ危険性を証明してしまっているという状態なんです。だからこそ、俺は何故俺がこれほどのことを知っているのかを、みんなに説明することが出来ない。俺の隠している秘密を明かすと言うことは、ボソンジャンプ最大の秘密を明かすことと同義だ。その秘密が明かされたら、そしてそのことが知れ渡ってしまったら、この戦いは、100%絶滅戦争になります」
 ボソンジャンプによって歴史の改編が可能だとバレたら、お互い絶対に譲れなくなる。
 それを手元に置かない限り、一瞬たりとも安心できなくなるからだ。
 「……なんかものすごいことを言っているね、テンカワ君」
 アカツキがあきれ顔で俺のことを見た。
 「……けど、嘘や妄想を言っているわけでもなさそうだ。君と同じものを知っているような気がする、ルリ君の態度を見ていればわかる」
 俺はそう指摘されて初めてルリちゃんの方を見た。
 ……確かに、それはあまりにも重いものを背負っている子供の、辛そうな顔だった。
 「やれやれ、それじゃまだ聞くわけにはいかないのか、テンカワのことは」
 シュンさんが少し残念そうな口調で言う。
 「申し訳ありません」
 俺はそう答えるしかなかった。
 「聞きたいのはやまやまなんだが、うかつに漏れたら絶滅戦争必死といわれたらな……壁に耳あり障子に目あり、上手の手から水が漏れる、って東洋の方じゃ言うらしいな」
 「ですね。俺がそのことを言わないのもそういう理由です」
 「なら、一つ聞いてもいいかね」
 と、今までの様子を見ていたグラシス中将がそう言ってきた。
 「いったい……いつになったら、君たちのことを教えてもらえるのかね」
 「出来れば墓の中まで持って行きたいんですけれど」
 俺は間髪を入れずにそう返した。
 「強いて言うならば……ボソンジャンプの一元支配が、誰の手にも不可能となった時点で、ですか。ボソンジャンプを支配すると言うことは、単なる輸送システムの利権を支配することじゃないんです。文字通りの、人類の全てを握るに等しい行為となる。神になるといってもいいかも知れない。だからこそ、誰にもそれを支配させるわけにはいかないんです」
 「本気で大げさなことを言うんだねぇ。そうなるとちょっと誘惑されるね。僕としても」
 アカツキが冗談交じりの軽口で、そう言ったときだった。
 
 「やめて」
 
 突然、奇妙なまでに力のこもった声がした。
 みんなの視線が、声を発した人物……ハルナの上に集まる。
 俺も思わず、この妹の方を見つめていた。
 「お兄ちゃんは嘘なんか言ってないよ……冗談事じゃないんだから」
 目線を下げたまま、かすかに震えながらそう言うハルナ。
 不思議なことだが、何故かその瞬間、俺はハルナを、本気で妹として守ってあげたい気分になった。
 かつて抱いた疑心も、底の知れない不気味さも、今のハルナからは全て剥げ落ちているような気がした。
 そこにいたのは、ただの小さく見える少女でしかなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 「なんか、言っちゃいけないことを言っちゃった雰囲気だなぁ、ははは」
 アカツキが、意図的に白々しい口調で言う。
 「判っているなら言わないでください」
 すかさずエリナさんが突っ込む。漫才みたいだが、おかげで少し雰囲気が戻ってきた。
 「うむ……とにかく、ボソンジャンプに関しては、徹底的に不可侵にしたい、ということかな? テンカワ君」
 ミスマル提督が、話の流れを変えた。
 「どうやら君たちの様子を見ていると、あれは迂闊には触れてはいけないもののような気がするが」
 「いえ……利用すること自体はかまわないんです。というか、将来にわたって人類の発展を支える、重要な技術になることは間違いありません」
 ボソンジャンプそのものは、決して悪いことではないのだ。要は使い方一つ。かつての原子力と何ら変わりはない。
 「但しそれは、極端な話、障害のないごく普通の人間なら誰でも身一つで移動できるように、ごく当たり前に使える技術になって、初めて役に立つものなんです。誰かの恣意によって使用を許可されたり制限されるものではだめなんです。もちろんある意味侵入とかがし放題になりかねませんから制限そのものは必要ですが、それは人類全体としての、社会的倫理や合意によって成立するものじゃなきゃいけません。絶対に……個人や特定組織の手に落ちてはいけないんです」
 俺はきっぱりと、そう言いきった。
 「そして木連側は、一発逆転の目として、それを狙っている、というわけか」
 グラシス中将がそう言って頷く。
 「そう言うことです」
 俺もそう答えた。
 「ネルガルもそういう意味ではだめ、ということか。僕個人としては、テンカワ君の言いたいことは理解したよ」
 アカツキもそう答える。
 「企業の長としては今ひとつ承伏しかねるけどね。目の前の巨利をみすみす見逃すというのは。けど、まああきらめた方が無難だろう。僕のはおろか、どうやらネルガルの財布にも、問題のものは収まらないらしいし」
 「けど……そうすると、どうやって木連の人との妥協点を見いだすつもりなの? アキト」
 それを聞いた瞬間、俺は少しうろたえた。
 まさかユリカからこんなに鋭いツッコミが来るとは予想していなかった。
 「確かにその点が争点となるな、今度の会談においては」
 ミスマル提督が尻馬に乗ってくる……顔がにやけてますよ、提督。
 「言っておくが、国家間交渉において、いかなる理由が有れど、『謝罪』という行為が行われることはない、ということを覚えておいてくれたまえ。木連側はそれを要求してくるだろうが、連合政府としては、それをそのまま受け入れることは出来ないのだ」
 俺はちょっとむっとなったが、そのまま提督の言葉を聞いた。
 「過去迂闊にもそれをやってしまった国家があったが、その国家はそれ以降、かなり理不尽な要求をされつづけ、外交上に大きな問題を残している。国家というものはぶっちゃけた話、自分たちの利益を追求するために集まった存在でしかない。過去の行為がどんなに非道のものでも、極論すれば『勝てば官軍』の世界なのだ。いかなる理由が有ろうとも、国家組織に当たる存在がかつての自分の行為を自発的に『過ち』であり、それを『謝罪』するという行為は、それがどんなに崇高な行為であっても『利敵行為』にしかならない……それが現実だと言うことだ。国家間における『謝罪』とは、常に強制され、嫌々ながらも受け入れた、という態度を崩すことが出来ないものなのだ」
 今ひとつ気にくわなかったが、それが現実かと、俺は思った。
 ところが思わぬところから異論が上がった。
 「提督、今回に限って、それは間違ってるよ」
 「……どういうことかね、ハルナ君」
 そう、異論を唱えたのは、ハルナだった。
 
 
 
 「提督の言っているのは、たぶん2世紀くらい前の極東の話でしょ?」
 「まあ……そうだな。自分の持つ文化的常識と、世界で主流となっている文化的常識の違いを考慮に入れなかった、ある意味不幸で、ある意味愚かな行き違いだった」
 「うん。だからこそ、今回に限って、なんだよね」
 ハルナは自信満々にそう言った。さっきまでの落ち込みが嘘みたいだ。
 「まあ国家的謝罪っていうのは、提督の言ってることの方がどっちかというと合ってるんだよね。こっちが謝ったとき、『いやこちらも悪かったのですから』と言ってくる相手と、『そうだ俺は悪くないてめえが悪いんだ』といってくる相手とじゃ、態度を使い分けないといけないし。当時の極東は『互いに謝ってから交渉に入る』文化圏だったけど、世界的な主流は、『謝罪などせず、自己の正当性を主張して、どう見てもこっちが悪いとしかいえない部分だけ認める』っていう文化だったんだもんね。これじゃあ話が合わないよ。
 だけどね、木連は一部を除いて、『お互いの悪いところは認め合った上で交渉を開始する』文化が主流なんだ。つまり、とにかく謝らないことには話が始まらない。それは覚えておいた方がいいよ」
 「む、そうなのか?」
 グラシス中将も少し身を乗り出した。
 「うん、けどね、同時にもう一つ、ある意味始末に負えない文化が木連にはあるの。ゲキガンガー文化……自己の絶対正義を標榜する文化だよ」
 ハルナがそう言った瞬間、グラシス中将、ミスマル提督、シュンさん、この3人の顔色が悪化した。
 「それは……いかん」
 グラシス中将がうめくように言った。
 確かに木連にはそれが多いな……月臣とかは典型的なそれだ。
 「ある意味カルト宗教団体と変わらんぞ、それは」
 シュンさんも頭を抱えている。
 「宗教に説得は聞きませんからねぇ」
 カズシさんが相槌を打っていた。
 「ま、何であたしがそんなことを知っているのかって言うのはお兄ちゃんの秘密と一緒だから説明できないけど、木連の文化ってね、この二つが入り交じっているの。だから交渉は大変なんだよ。八雲さんあたりならその辺の理をきちんとわきまえているとは思うけど、それ以外の相手にどこまで話が通じるかは相手次第だと思うし」
 「なるほど。クラウドのやつにはそう言う理性的な話が通用しそうだな、確かに」
 俺も同感だった。九十九とクラウドさん……八雲さんには、こういう理性的な交渉が通じるだろう。月臣は……理解さえすれば判らんやつではないのだが、過去親友を手に掛けたことかも判るとおり、ある意味宗教的ともいえる絶対正義感の持ち主だ。秋山源八郎は後年連合軍所属になるくらいだから、かなり話が通じる。そして草壁は……難しいな。あいつは絶対正義を『利用』出来る男だからな。
 だがそれだけに、あいつを殺してしまったりしたらこっちの負けだ、ということはさすがに俺でも理解した。前回では結局、熱血クーデターで草壁本人を排除しなければ和平は成立しなかった上、その草壁が核となって火星の後継者が生じてしまった。仮に前回、草壁が死んでいたとしても、おそらく火星の後継者は誕生していただろう。
 変な話だが、さんざんハルナに言われたからな。
 「となると、やっぱり今回の交渉は様子見ですね」
 シュンさんがその場の意見をまとめるように言った。
 「元々正式な外交交渉じゃないんだし、木連側の主張と要求、そして思考法を探るくらいのつもりで臨んだ方がいいと思うよ、お兄ちゃんもね」
 「ハルナちゃんの言うとおりだと、私も思う。戦うにしても分かり合うにしても、相手のことを理解してからじゃないと始まらないと思うし」
 ユリカもまじめにそう言った。ところが、
 「でもそんなことより、私としては木連の人とも仲良くしたい、って思うんだけどなあ。ねぇアキト、友達、なれるよね?」
 「……ああ」
 良くも悪くも、やっぱりユリカはユリカだった。
 
 
 
 
 
 
 
 >RURI
 
 ちょっと深刻になってしまったお話も終わりました。
 後は明日の本番に備えて寝るだけです。
 
 ……ここに至ってすら、私が明日どうすればいいのかが伝えられないというのは、ちょっと問題ありだと思うんですけど。
 前回とはなんというか、規模が違うんですし。
 まあ、今更言ってもどうにもなりませんけど。
 
 
 
 お隣ではハルナさんが、寝間着に着替えてベッドに転がっています。
 初めてみましたけど、パジャマ派なんですね。
 「ルリちゃんは着替え終わった? なら電気消すけど」
 私が頷くと、彼女はサイドテーブルにおいてあったリモコンを操作して、部屋の明かりを消しました。
 グラシス中将の邸宅の周りには他の家があまり無いので、部屋がぐっと暗くなります。
 といっても、ナデシコ内ほどではありませんけど。あちらは完全に密室になりますからね。
 それより気になったのが、音の差です。
 ナデシコの内部では、防音されていても消しきれない振動……エンジンの振動や航行中の船体のかすかな歪み、重力場コントロールシステムから生じる反動などがかすかなうなりのようなハーモニーを作っていました。
 ですが今耳にはいるのは、風の音や草の葉のすれる音、そしてかすかな足音や遠くを走る車、そして飛行機の音。
 人間不思議なもので、起きているときには全然気にならないことが、就寝前に限ってやたらに気になります。
 「ハルナさん……」
 何となく寝付けなかった私は、隣のハルナさんに声を掛けていました。
 「ん、眠れないの? ルリちゃん」
 返事はすぐにありました。
 「はい……何となく。興奮しているわけではないのですけど」
 遠足の前日の子供じゃあるまいし、です。
 「まあ、疲れていても何となく落ち着かないものね、今日は」
 ハルナさんはそういうと、寝たままこちらを向きました。
 並んだベッドの間におかれたサイドテーブル、その上におかれている小さなランプだけがこの場にある明かりです。
 その小さな明かりが生み出す陰影が、何となくハルナさんをいつもより神秘的に見せていました。
 「さすがにみんな気にしていましたね……私たちのこと」
 「そうだよね……いいかげん、疑わしいどころじゃなくなってきているし」
 逆行者……時を遡ってきたもの。
 ふと頭の中に、鮭の群れが浮かびました。
 鮭も生まれた川を遡ってくるそうです。
 「でも、まだ本当のことは言えないね。みんなには悪いけど」
 「そうですね。アキトさんもそのつもりみたいですし」
 いつまで隠しておけるかは判りませんが、時間遡航のことだけは、私としても最後までばれなければいいと思っています。
 「迂闊に手を出したら、とんでもない結果になりそうだもんね。お兄ちゃんもそれを心配しているみたいだし。実際、あたしたちと同じことが意図的に出来たら、どうなるかなんて想像も付かないでしょ?」
 「はい」
 私は即答しました。
 というか、あんまりそういうことは考えたくありません。
 「その方がいいよ。今回は偶然だけど、こういうのって、その気になりだしたら行くところまで行っちゃうから」
 「そういうものなんですか?」
 「そうよ」
 ……その言葉には、何か不思議な重みがありました。と、
 「これね、昔母さんが言ってたことなんだけど」
 少し間をおいて、ハルナさんが言い始めました。
 「ボソンジャンプの原理は判っていなかったけど、瞬間移動を可能とする技術が遺跡に眠っていることは、母さんも、そして父さん……テンカワ博士も判っていたみたい。でね、その研究のさなか、こういう意見が出たんだって。
 『空間跳躍が可能なら、時間跳躍も可能になるんじゃないか』
 って。まだボソンジャンプについてはろくすっぽ判っていなかったときのことだけど、結構まじめに研究されたらしいよ。で、そのときの結論は、理論上不可能じゃないけど現実的には無理、だったみたい。でも皮肉なことにさ、この結論も、お父さんの命を縮めることになったんだよね」
 「へっ?」
 いきなり話が飛んで、私はちょっと混乱してしまいました。
 「逆説的なことだけどさ……もし時間跳躍が可能かも知れないとなったら、父さん、ボソンジャンプの独占はともかく、非公開には賛成しただろうからね」
 「あ……」
 なるほど、そういう考えもありますか。
 「母さん、言ってたよ。時間跳躍が可能になったら、人は神になろうとしてしまうって。時間跳躍は、要するに現実にリセットを掛けられるシステムになるからだって。ゲームみたいにね」
 ……確かに。
 もしゲームみたいに、都合の悪いことが起こったら過去に戻ってやり直す、これを無制限に行ったら、歴史から不都合なことは消えてしまいます。
 でも、そんなにうまくいくものでしょうか。
 「そんなに時間って、歴史って、いいかげんなものなんでしょうか」
 「う〜ん、どうかな……」
 ハルナさんは寝たまま少し首をかしげました。そんなポーズをすると首を痛めませんか?……ほら、やっぱし。
 「あたたたた……っと。まあ、あたしはいわゆる『歴史の修正力』? そういうのは全然信じてないけど。でもそうは簡単にいくものじゃないって言うのは判るわよ。ていうか、一つ歴史を自分の都合のいい方に曲げたら、その瞬間、先のことは全く予想が付かなくなる。人間万事塞翁が馬って言うように、一つの出来事が未来においてどんな影響があるかは、逆説的だけどやってみなけりゃ判らないのよ。もし本気で歴史を自分の都合のいいように書き換えようとしたら、トライ&エラーで、何度も何度も同じ時間の中をぐるぐると回ることになるでしょうね」
 「そうかも知れませんね」
 なんというか、至極納得できる話でした。
 と、そう思っていたら、今度はハルナさんの方から私に話しかけてきました。
 「ね、ルリちゃん。あなたにはある? もしそれが可能だったとして、歴史の流れをねじ曲げ、自分の代わりに何千何万、いや、人類全ての運命をねじ曲げてでも、その手につかんでみたい未来って」
 どうでしょう……あるといえばありますね。
 「そこまで……とは言えませんけど、アキトさんがごくふつうの幸せを手にすることの出来る世界が欲しいですね」
 それ以上は望みません。けど、もし何もしなければアキトさんがああなると判っていたら、私はそれを拒絶するためになら何でもするでしょう。
 それが私を不幸のどん底に落とそうとも。
 「やっぱりね。ルリちゃんならそう言うと思ってた」
 「ハルナさんにはあるんですか?」
 私は何となくそう聞き返しました。
 「あるわよ」
 いつもと違う、重い口調でした。
 私は、思わず身を固くしてしまいました。
 「簡単なことなのに、とっても難しいこと。でもあたしは、それを成し遂げるまで、多分なんでもやると思う……そう、魂を悪魔に売ってでも」
 続いて出た言葉も、軽そうに聞こえるのにものすごく重い感じがしました。
 「ま、でもあたしのしたいことって、悪魔に魂売っちゃうと叶わないから売れないけどね」
 すとんと気が抜けました。そういうオチですか!
 「で、なんなんですか、いったい」
 私がそう聞くと、ハルナさんは言いました。
 「ん。たいしたことじゃないわよ。あたしが当たり前のあたしであること。今更だけどね」
 私は何も言えませんでした。
 超人的な能力をその身に秘めているハルナさん。
 現在の常識ではとても量れない、神経系や脳に至るまでが人工物で構成されているハルナさん。
 それはこの現代社会の中で、『異端』であることを宿命づけられた存在。
 私もある意味ではそちら側の存在です。ですがハルナさんほどの断絶はありません。
 何かを得れば何かを失う。そして人は往々にして得たものよりも失ったものに焦がれる。
 不思議な感覚でした。
 「あ……気にしないでね。あくまでもそういう話なんだから」
 つい考え込んでしまった私を気にしたのでしょうか。ハルナさんが話しかけてきます。
 「いえ……ちょっとまじめななことを考えてしまったので。こっちこそ無神経なことを聞いてすみませんでした」
 「それこそ今更よ。お互い背負った荷物は下ろせないってこと。ま、支え合うくらいは出来るけどね。それはともかくそろそろ寝ますか。なんか結構いい時間よ」
 そういわれて枕元に置いたコミュニケを見ると、確かにいい時間です。
 明日もありますし、そろそろ寝ることにしましょう。
 おやすみなさい……。
 
 
 
 
 
 その3