「「「「「あ、それ、イッキ、イッキ、イッキ、イッキ!」」」」」

 

 手拍子が響く中、舞歌とガイがなみなみと注がれた酒を同時に飲み干し、卓に叩き付ける。

 ぷはぁ、と酒臭い息を吐き、ガイがにやりと笑う。

 こちらも荒い息をつきつつ未だ闘志満々の舞歌がそれを睨みつける中、

 ガイのその不敵な笑顔がぐらり、と傾き、派手な音を立てて飲み干された酒瓶の林の中に横倒しになった。

 拳を天に突き上げた舞歌の勝利の咆哮に、他の五人から拍手と喝采が上がる。

 ・・・ちなみにガイを助け起こしたり、介抱したりしようとした者は誰もいなかった。

 ひどい話である。

 

 その夜、舞歌は宴の主役だった。

 呑み比べでガイを轟沈させ、いい気持ちになった所で

 ディアとブロスに抱き付いて頬摺りするわメティにキスの雨を降らせるわとやりたい放題。

 無論、「酒臭い」などという苦情は一切無視だ。

 今は助け舟を出そうとしたアキトの頭を脇に抱え込んでぐいぐいとゆすっている。

 (アキトの顔が酒や息苦しさとは別の理由で真っ赤になっていたのは言うまでもない)

 

 誰よりも笑い、誰よりも呑み、やけくそとも思えるほどに羽目を外す。

 それは、あたかももう二度とない今日という日を精一杯に楽しんでおこうとするかのようで。

 

(二度とない・・・そう、彼女にとっては二度とないのかも知れませんね)

 

 ダッシュがぽつりと洩らした呟きが、宴の喧騒の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・うぐぐぐぐぐ・・・・みず、水をくれ・・・・・」

「ほれ」

「す、すまねぇアキト・・・・やはり持つべき者は友達だ」

「こう言う事で実感されてもちっとも嬉しくないぞ」

 

 甲板の上に放置されていたガイの顔に濡れ手ぬぐいを放り、と言うより投げ付け、

 置かれた手桶からごぶごぶと水を飲むガイにそっけなくアキトが答える。

 

「よりによって舞歌さんなんかと呑み比べをするからだ」

「いやまぁ、受けないのもどうかと思ってなぁ・・・」

 

 座りこんだままのガイがぼりぼりと頭をかく。

 そのまま、どちらも口を開かずただ時だけが流れた。

 いつのまにかメティがやってきて、船べりにちょこん、と座っている。

 不意に、真面目な顔になったガイが沈黙を破る。

 

「なぁ、アキト」

「ああ、わかっている。今夜のこれは・・・言わば舞歌さんなりの、別れの宴だったんだ」

「わかってるなら何も言わねぇけどな・・・どうする気だよ?」

「別に。舞歌さんが全てを・・・おそらくは命をも掛けて挑んで来る。

 なら、俺に出来るのはただ全力でそれを受けとめることだけだ」

「へ。言うと思った」

「でも・・・・あの人絶対に何か隠してるよ。

 私との戦いを止めたのだって、思わず手の内を明かしそうになったからだと思う」

「そうだな・・・あの人は、言い方は悪いがユリカみたいに馬鹿正直じゃない。

 隠し玉の一つや二つ持っているだろうさ」

「あのね・・・メティが舞歌さんと戦った時ね・・・綺麗な光が舞歌さんを取り巻いて・・・

 上手く言えないんだけど、とても綺麗だったの・・・綺麗だったけど、とても怖いの」

 

 言葉に窮して黙り込んでしまったメティの頭に、アキトの手が置かれた。

 そのゆっくりとした優しい動きに、メティがしばし身を委ねる。

 何故か、子供扱いされたという不満はなかった。

 

「覚悟・・・なんだろうな。命を捨ててでも勝とうという覚悟。

 それは、怖くて、でもある意味美しい。

 拳は、武闘家の魂の鏡・・・メティちゃんの感じた綺麗さと怖さは、舞歌さんそのものなんだろうね」

「・・・勝てる?」

「そんな事、」

「やってみなくちゃわからねぇさ、だろ」

「・・・俺のセリフを取るなよガイ」

「先取りされるような、わかりやすい行動しかしないお前が悪い」

「クッ・・・・・・お前にだけは言われたくなかった」

 

 本気で悔しかったのか、握った拳を震わせるアキトにガイがとどめの一言をはなつ。

 

「大体、お前は自分の事に無自覚なんだよ。

 振りかかるトラブルの大半を自分で呼びこんでるといい加減気がついたらどうだ?」

「ほう、そういう事を言うか・・・・なら、こうだ!」

 

 ギラリ、と目を輝かせて言うやいなや、アキトが動いた。

 ぐわし、と両手でガイの頭を鷲掴みにしてそのままバーテンがカクテルシェイカーを振る様にシェイクする。

 数十秒後、妙に勝ち誇った表情のアキトが甲板の上で悶絶するガイを見下ろしていた。

 

「フッ、愚か者が」

「うがががが・・・あ、頭が割れるように痛ぇ・・・これで死んだら末代まで祟ってやるぞ・・・・」

「うるさい。頭が割れて死んでしまえ」

「・・・・いいの?」

「いいんだ」

 

 さすがに冷や汗を掻いているメティの問いを一言のもとに切り捨て、

 アキトはあっさりとガイを置き去りにした。

 

 

 

 

 

 

 夜空に僅かに雲がかかっている。

 月が出ていた。

 微風が時折梢を揺らすなか、舞歌がその月を仰いでいる。

 二日前、アキト達との宴を張った時は真円を描いていた月が僅かに欠けていた。

 

 満ちた月もいつか欠ける。

 人もまたいつかは死ぬ。

 少なくとも、何事かを為そうとする者にとっては、それは決して長い時間ではない。

 胸に当てた拳を握り締め、空を仰いで舞歌は思う。

 人は、その限られた時間の中で全てを尽くさねばならない。

 そして、人事を尽くした後はただ天命を待つのみだ。

 

 (兄さん・・・・私に、力を貸して)

 

 月を仰ぎながら舞歌が心に呟く。

 その脳裏にふとアキトの面影が浮かび、かすかに苦笑した。

 何故兄の事を考えた後にこれから死闘を繰り広げる相手のことを思うのか。

 アキトの面影は舞歌の苦笑いを深く、濃くしながらもその脳裏から離れなかった。

 いざよいの月にその顔を思い浮かべ、舞歌は思う。

 アキトもまた、この月を見上げているんだろうか・・・と。

 

 

 

 研ぎ澄まされた日本刀の刀身に、わずかに欠けた月が映り込む。

 この月を舞歌さんも見ているのだろうか、とらしくもなくアキトは物思いにふける。

 思えば、初めて会った時からよくわからないひとではあった。

 とにかくちゃっかりしていて、大人のくせに妙に子供っぽくて可愛くて。

 遊ばれているのはまちがいないのだろうが、不思議な事にどうにも腹が立たない。

 

 そして、忘れもしない最初のファイト。

 ドラゴンナデシコの頭部を捉え、勝利を確信したその瞬間。

 アキトが勝ったと思ったその瞬間に舞歌は相討ちを狙う事によって勝負を引き分けに持ち込んでいた。

 屈辱であった。

 勝利におごった瞬間の隙を突かれての引き分け。

 それは、事実上敗北にも等しい。

 冷静にして大胆。緻密にして奔放。

 そして、最後の最後まで勝利を狙う、このしたたかさこそが舞歌。

 他の誰も・・ひょっとしたらアキトやホウメイですらも・・持っていない彼女の武器。

 

 そこまで考えて、アキトは思考を中断した。

 こんな事を考えても勝てるわけではない。

 結局の所舞歌がどう出ようとも、出来るのはそれを真っ向から受けとめ、真っ向から挑むことだけだ。

 うだうだと考えても勝てぬ物は勝てぬ。

 ならば、全力を尽くす事だけを考えるべきだろう。

 そう結論してしまうと心のもやが一気に晴れた。

 

 剣を鞘に収め、星のまたたく空を見上げる。

 さっきまで単なる光る円だった月が、白い砂粒だった星が、今はやけに美しく見えた。

 

 

 ・・・・・人によっては「ただ全力を出すだけだ」というのは

 「ちょっと聞けば立派に聞こえるがその実は単なる思考停止である」と言うだろう。

 それは間違ってはいない。

 だが、そう単純に割り切れることがある種の強さの資質であるのもまた間違いない事だ。

 無論、アキト自身はそんな事を考えているわけではなかったが。

 

 

 

 

 払暁。

 アキトとのファイトまで後数刻と迫る中、舞歌は寺の本堂にいた。

 座禅を組み、本尊である釈迦如来の金銅仏と相対している。

 花旗少林寺の本尊は禅宗らしく釈迦牟尼仏の坐像、それも十m近い巨大な金銅仏であった。

 結跏趺坐を組み、手を説法の形に置いて慈愛の表情で舞歌を見つめるその顔が様々に変わる。

 それは時に兄八雲の顔であり、アキトの顔であり、そして舞歌自身の顔でもあった。

 座禅の作法のままに視線を足元に落としながら、舞歌は心の目で流れゆく顔を見ている。

 流れゆくそれらは、自分の中の兄であり、アキトであり、また自分自身の弱さだった。

 その一つ一つを心に思い、言葉を交わすでもなく、感傷を抱くでもなく、

 ただ無心にそれらと相対する。

 そして全ての顔が流れ去ったとき、釈迦牟尼象はただ釈迦牟尼象としてそこにあった。

 舞歌も、ただ舞歌としてそこにいた。

 す、と流れるような鮮やかな動きで舞歌が立ち上がり、如来に合掌する。

 もう、迷いはない。

 ただ、無心に進むのみ。

 

 本堂の扉が閉まる音を聞きながら、

 金銅の仏像が手の平の上のちいさな、

 その手に比べれば余りにちいさな白い紙片を見下ろしていた。

 

 

 

 

「「舞歌どの。我ら両名、ここで舞歌様をお見送りいたします」」

「え?」

 

 舞歌が寺の山門から一歩を踏み出した途端、後ろから九十九と元一朗の声が響く。

 不意を突かれた表情で舞歌が背後の二人を振り返った。

 

「我らはここに残り、舞歌様の勝利を神仏に祈願いたします」

「本日の一戦、心置きなくお戦いください」

 

 二人の言葉に、柄にもなく、じん、と来た。

 いつもの舞歌なら、それでもなお軽い調子を保って茶化そうとしたろう。

 だが、今はただ九十九と元一朗に素直に頭を下げた。

 

「九十九君、元一朗君・・・・・行って、参ります!」

 

 一瞬潤んだ声を真摯なものに変える舞歌。

 九十九と元一朗の二人が、ごく自然に礼を返した。

 

 

 

 

 ネオホンコンの海に、舳先に竜の彫刻を施した巨大な船が浮かんでいた。

 大きさこそ普通の大型客船並であるが、外装と言い、内部の設備と言い

 そこらへんの豪華客船が霞んでしまうほどの豪華さを誇るこの船は、

 たった一人の人間・・・・ネオチャイナの"皇帝"である総師の為に作られ、運用されていた。

 艦橋上部に設けられた玉座に悠然と座す普礼総師の、

 その視線の先には海に浮かぶ円形のリングと、その上で対峙する二体の鋼鉄の武人がある。

 決闘の始まりを告げる鐘は今まさに打ち鳴らされようとしていた。

 

 

 

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是

 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」

 

 花旗少林寺の本堂に、九十九の読経の声が響く。

 両手に数珠をかけ、一心不乱に読経を続ける。

 ただ舞歌の勝利を願って。

 

「是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味觸法 無限界

 乃至無意識界 無無明 亦無無明盡 乃至無老死 亦無老死盡 無苦集滅道 無智亦無得

 以無所得故 菩提薩タ 依般若波羅蜜多故 心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃」

 

 山中の滝壷にも読経の声が響いていた。

 下帯一本の元一朗が瞑目したまま直立不動で滝に打たれる。

 もし自分が死んで舞歌の勝利を得る事が出来るなら、二人は躊躇わずにそうしたろう。

 そう思わせるほどに、二人の祈りは真剣であった。

 

 

 

 ゴッドナデシコは腕を組んで、ドラゴンナデシコは両手を垂らして自然体のまま、

 それぞれリングの対角を占めて静かに相対している。

 アキトは舞歌のその弛緩しているとも見える立ち姿に全く隙がないのに改めて感嘆を覚え、

 舞歌もまたアキトの感じ取れないほどに微かでありながら

 こちらを圧して来る無形のプレッシャーに舌を巻いていた。

 

(さて、実際に戦うのは久しぶりだけど・・・・)

(俺は以前戦った時の俺じゃない)

(私も以前戦った時の私じゃない)

(見せてもらうよ、舞歌さん)

(見せてもらうわ、アキト君)

 

 

 ぱちり、とかすかに火花が散ったとき、

 ホウメイを傍らに貴賓席で寛いでいたメグミがす、と立ち上がった。

 その右手が持ち上がり、鈴の様によく通る声がファイトの開始を告げる。

 

「それでは、ナデシコファイト・レディ・・・・・・・・・」

 

 

 瞬間、対峙していた両者の構えが鮮やかに変化した。

 共に体を傾けた右半身になり、腰を落とす。

 右手を高く構え、左手を脇に締める構えのアキト。

 両手の指を柔らかく曲げ、胸の前で構える舞歌。

 

「「ゴォッ!」」

 

 そして、メグミの声の残照を二つの咆哮が掻き消したと同時に、

 ニ匹のケモノが互いの喉笛を目掛けて弾かれたように跳んだ。

 

 

 戦いは手技の応酬から始まった。

 拳、掌、貫手、肘が驟雨の如く走り、流れ、そして弾かれる。

 柔らかく絡めるような受けに関節技のきな臭さを感じ、アキトが咄嗟に手を引く。

 かさにかかって密着してくる舞歌の、拳をフェイントにした肘を見切って

 体ごとねじり込むような掌で無理矢理に逸らす。

 それに逆らわず、そのまま死角に滑り込もうとする舞歌を自ら後ろに飛ばせたのは

 絶妙のタイミングで叩きつけられたアキトの肘だった。

 電光の早さで打ち下ろされる肘をアキトの体を突き飛ばす事で間合いを空け、辛うじて躱す。

 咄嗟、無理な姿勢とは言え達人の強烈な突きにアキトがたたらを踏む。

 その隙に舞歌が更に間合いを空けて体勢を立て直し、二人は再び対峙した。

 

 

「うむ・・・まさに実力伯仲。これはどちらが勝ってもおかしくないねぇ・・・」

「あら、そうすると今日こそはアキトさんの負ける姿が見られるかもしれませんね?」

「っ! 何を言う! お前・・・」

 

 メグミを一喝しようとしたホウメイの言葉が途中で激しい咳に変わった。

 片膝を突き、口元を押さえるホウメイをメグミが横目で見る。

 

「あら、ごめんなさい。お体に障りました?」

 

 突き刺すようなホウメイの視線を意に掛けず、

 邪気のない笑顔を浮かべてメグミは再び試合に集中した。

 

 

「つぉっ!」

「哈ァっ!」

 

 アキトがビームソードを抜き放ち、再び間合いを詰める。

 舞歌もまた万能武器・フェイロンフラッグをビームスピア状に展開し、間合いを詰める。

 そして二人がぶつかる瞬前、アキトの目の前に柵を作るかの様に三本の槍が突き立った。

 舞歌がビームスピアを展開すると同時に上空に放っていたフェイロンフラッグが

 絶妙のタイミングでアキトの行手を遮ったのである。

 

 咄嗟に切り払う物のアキトの踏み込みが一瞬止まり、その隙を舞歌のビームスピアが突いた。

 舞歌の槍に有利な間合いのまま、アキトが防戦一方に追い込まれる。

 無論、剣の間合いまで詰めることができれば、

 今度は逆に槍の長さが仇になって舞歌が不利になる。

 だが突進によるスピードを殺された今、舞歌の槍術を潜り抜けて間合いを詰めるのは

 いかにアキトといえども至難の技であった。

 

 恐ろしく速く鋭い突きを必死で逸らし続けるアキト。

 だがリーチの差はいかんともしがたいままに後退を余儀なくされる。

 それが舞歌の計算であったと、気が付いた時は既に遅かった。

 再び絶妙のタイミングで落下したフェイロンフラッグが、今度はアキトの後退を阻む。

 ゴッドナデシコのボディを受けとめ、しなるフェイロンフラッグがリングロープの如くそれを弾き返す。

 

「もらったァッ!」

 

 裂帛の気合と共に舞歌が最後の一突きを繰り出し、

 その穂先が勢いよく跳ね返されて体勢を崩したゴッドナデシコの左胸を深く貫いた。

 

 

 

 会場を大歓声が揺らし、そして一瞬の後驚愕の声に変わる。

 ゴッドを貫いたかに見えた舞歌の槍は、

 その左胸ではなく、左のわきの下に挟み込まれていたのだ。

 

「そう簡単に・・・やられんっ!」

「くっ!」

 

 アキトが左腕の締め付けだけで舞歌の槍をへし折り、

 右のビームソードで渾身の片手突きを舞歌に見舞う。

 その切っ先が、一瞬早く槍を放して後ろに飛んでいた舞歌の頬を薄く削いだ。

 間合いを取り、着地した舞歌がゆっくりと右手を上げ、指で頬の血をぬぐう。

 ぺろり、と舌先で拭ったその血を舐め取り、舞歌が凄艶に微笑んだ。

 

「女の顔に傷・・・高くつくわよ?」

「それはこのファイトが終わってから考えるっ!」

「終わって・・・生きていられたらね!」

 

 舞歌がそのセリフを言い終る前にドラゴンナデシコの両手が龍と変じ、地獄の業火を吐き出す。

 通常一直線に伸びる筈のその炎がどんな裏技を使ったのか爆発的に広がり、

 ゴッドナデシコのみならずドラゴンナデシコの姿をも覆い隠した。

 

 まさしく巨大な壁の様に、アキトの視界を龍の炎が覆い尽くす。

 反射的に上に跳ぶ。

 足元に迫る爆炎の中、その炎にドラゴンナデシコ自身が巻き込まれているのを見て、

 いぶかしさより先にアキトの脳裏によぎったのは最大限の危険信号であった。

 直後、衝撃波とともに広がる爆炎の表面の一部が盛り上がり、

 炎が一直線にアキトを目指して突き進むのを僅かに体を傾けて躱す。

 だがその軌道を急激に変化させ、ビームソードを持った右手に炎が絡みつく!

 それは炎ではなく、炎を纏った龍・・・ドラゴンナデシコの右腕だった!

 あの炎も、それに自身が巻きこまれたのも、

 ただこのチャンスを狙っての目くらましだったのである。

 

 龍が右腕の手首から上腕、肩へと電光の速度で這い登る。

 首、左腕、胴、両足。

 鋼鉄の龍は一瞬にしてゴッドナデシコの全身を縛めた。

 しかも、ただ締めつけているだけではない。

 全身の関節を完璧に極められている。

 

「とどめっ!」

 

 気合と共に左腕の龍が伸びた。

 かすかに孤を描いて空を疾るその牙は、ゴッドの首を狙って鋭く光る。

 

「・・・まだまだぁっ!」

 

 アキトがそう咆えた瞬間、舞歌の右腕に枯れ枝の折れるような極々軽い感触が伝わってきた。

 途端、硬い岩がいきなり水に変わったかの様に、

 右の龍によってあらゆる関節を極められていた筈のゴッドの全身から手応えが消える。

 その首が後ろに九十度ばかりも折れ、背骨が蛇の様にうねり、全身の関節が逆に曲がっていた。

 蛇か、あるいは軟体動物であるかのごとくそのシルエットをぐにゃりと歪ませて、

 ねこじゃらしの如くするり、とゴッドナデシコは龍の縛めから抜け出した。

 

 無論、アキトの全身の骨が折れてしまった訳ではない。

 咄嗟に自ら全身の関節を外したアキトにモビルトレースシステムが反応し、

 ゴッドナデシコの全関節の連結を同様に外したのである。

 目標を失った左の龍が、右の龍が作り出した空っぽの檻を虚しくすり抜ける。

 その上空、一瞬で全身の関節を元に戻したアキトがいつのまにか二刀を抜き放っていた。

 両腕の龍を引き戻そうとする舞歌より一瞬早くその体が回転を始め、恐るべき威力を秘めた刃の竜巻と化す。

 

「ゴッドスラッシュ・・・タイフゥゥゥゥゥンッ!」

 

 ユリカの必殺技・ローゼスハリケーンを破った秘剣が、今度は二匹の龍を切裂く。

 龍の首が飛び、その胴が寸断された。

 旋風の刃がドラゴンナデシコをも切裂こうとした瞬間、

 その体が残像すら残すスピードで沈み、伸ばした脚が独楽の脚を狙って綺麗な孤を描く。

 掃腿。

 脚払いとは言え舞歌ほどの達人ならば、まともに当たればアキレス腱を切るほどの威力がある。

 アキトも咄嗟に回転を止め、二刀を構えたまま軽く跳んでこれを避けた。

 

「まだまだぁっ!」

 

 直後、アキトを追って跳んだ舞歌の、肩からの体当たりが

 まともに鳩尾に決まりアキトの体がくの字に折れた。

 同時に衝撃で両手の二刀が吹き飛ぶ。

 

 辛うじて体勢を整え着地したゴッドの顔面を一瞬早く着地していたドラゴンナデシコの鋭い刃を持つ髪・・・

 辮髪刀が狙い、アキトが右手でこれを払う。

 直後、ガードの開いた顎を右足がまともに蹴り上げた。

 蹴り上げた脚を止めず、返すかかとをアキトの肩に叩きつける。

 そのまま肩に引っかけたかかとを支点に自分の体を持ち上げ、

 アキトの体を駆け上がるように胃と胸と顔面に左、右、左と三連続の蹴りを入れてその反動で跳び退る。

 吹き飛ばされたアキトがたたらを踏み、胃液が逆流したか口元を押さえた。

 

 舞歌は止まらない。

 瞬時に間合いを詰め、体を沈めて懐に潜り込もうとする。

 カウンターを狙ったアキトの右拳を肩と背中だけで受け流し、

 逆に全身の剄を込めた崗、背中からの体当たりを二重のカウンターでアキトの胸板に叩きつける。

 みしり、ときしむ音がした。

 

「シャァァァァァァァッ!」

 

 アキトの胸板に己の肩甲骨をめり込ませた姿勢のまま舞歌が咆える。

 鋭い呼気とともに辮髪刀がゴッドナデシコの喉元を目掛けて疾った。

 完璧に意表を突いた一撃。

 だが、刃は咄嗟に身をひねったゴッドの首を僅かに削るにとどまり、

 逆にゴッドのバルカン砲が辮髪刀の根元を撃ちぬく。

 そのまま連射を浴びたドラゴンナデシコが仰向けにリングに打ち倒された。

 

 

「!」

 

 ぷつん、と何かが切れる音がした。

 九十九と元一朗が行を始めて一時間。

 本堂にえんえんと響いていた読経が唐突に途切れる。

 呆然と立つ九十九の足元に、糸が千切れた数珠の玉が百と八個、硬い音を立てて零れ落ちた。

 

「・・・・なんと不吉な・・・・」

 

 言い様のない不安に思わず本尊を見上げ、加護を願う。

 その目が初め訝しげにすがめられ、次いで驚きに大きく見開かれた。

 

 

 

 モビルトレースシステムによるフィードバックが

 辮髪刀を吹き飛ばし、全身を打ったバルカン砲のダメージを痛みと衝撃として舞歌に伝える。

 尻尾がほどけ、豊かな黒髪が滝の如く舞歌の両肩にこぼれおちる。

 微塵に切り刻まれた筈の腕が気絶するほど痛い。

 限界を超えた動きを何度も繰り返した両足が内部出血を起こしている。

 炎に飛び込み、バルカン砲の斉射を受けた全身の皮膚がずきずきと疼く。

 だが今の舞歌にはそんな事はどうでもいい。

 その心にあるのはただ勝つ事のみ。

 千々に乱れたザンバラ髪を傷ついた背中に、肩に、顔に纏わりつかせながら

 もはや感覚すら失われた腕を両脇に垂らしてゆらり、と舞歌が立ち上がる。

 身体に傷のない場所がないほどに傷ついていながら、

 それでも鬼気迫るその眼光はなおも爛々と燃えている。

 その様、まさしく鬼女。

 だが鬼女であっても・・・・・・否、鬼女故にこそ今の舞歌はたとえようもなく美しかった。

 

 

「負けられない・・・負けられないのよ・・・・例え死んだとしても・・・勝たなきゃいけないのよ」

 

 満身創痍になりながらも、なお気迫だけは衰えない。

 その双眸に炎が燃えて、アキトの瞳と真っ向からぶつかり合う。

 むしろ一方的に押している筈のアキトをさえ、その視線はたじろがせる力を秘めていた。

 

 

 

 

「元一朗! 元一朗ッ!」

 

 寺の方から聞こえてきた馴染みの声に読経を止め、元一朗は目を開けた。

 九十九が息せき切って走ってくるのが見える。

 只事ではないな、と感じた。

 20年来の付きあいだが、この男がこれほど切羽詰った様子を見せたのはほとんど記憶にない。

 

「一体どうした、九十九」

 

 湿って重くなった髪をうとましく思いながら水から上がってねずみ色の襦袢を着込む。

 元一朗が帯を締めると同時に、目の前に走り寄って来た九十九がやや変色した手紙を差し出した。

 古い手紙でありながら、明らかに封が切られたのは最近であることがわかる。

 何かが引っかかった。

 

「舞歌様が変わった理由がわかったぞ!」

「・・・・・これは・・・・少林寺の奥伝か! しかも書いたのは」

「そうだ、先代・・・・八雲様だ」

「では舞歌様は」

「間違いない」

 

 どちらからともなく、二人が走り出す。

 この山の端、切り立った崖になっているあそこならば、ファイトを直に見る事ができる筈だ。

 彼らも少林寺で生まれ育った身である。

 八雲と舞歌の兄弟仲の良さも知っていれば、断腸の思いで兄と別れた舞歌の思いも、

 志半ばに倒れた八雲の無念さも決して他人事ではない。

 それゆえに彼らは直感的に悟ってしまったのだ。

 舞歌は、己の死と引き換えにしてでも勝利を購おうとしていると。

 それに気がつかず、ただ喜んでいた己の浅はかさがこの上なく恥ずかしい。

 

「「我ら・・・・未熟なりッ!」」

 

 走りながら、無意識の内に彼らは叫んでいた。

 

  

 

 そう、未熟さだ。

 舞歌は思う。

 

 兄が最後に遺した秘伝を伝える手紙。

 舞歌が驚いた事に、封の中にあったのはいささかの乱れも濁りもない端然とした書だった。

 悲願を達する事が出来ず、さぞかし無念であった事と思う。

 志半ばに倒れながらそれをどうすることも出来ず、如何に口惜しかったかと思う。

 そんな八雲が書いた書である。血を吐くような叫びが行間から聞こえてくるような手紙だと思っていた。

 だが、その筆跡には力強さこそないものの、端然として心の乱れはまるで伺う事が出来ない。

 

 これほどの無念を抱えながら、命旦夕に迫っていながら

 これほどまでに人は心穏やかでいられるのか。

 自分の兄とはそれほどまでに心の強い、器の大きな人物だったのか。

 そこまで考えた後、舞歌はそれが途方もない間違いである事に気がついた。

 これは、信頼なのだ。

 自分の果たせなかった夢を必ずや為し遂げてくれる筈と言う、兄から舞歌へ寄せられた信頼なのだ。

 だが、自分はそれに応えていただろうか。

 答えは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・否だ。

 

 兄の死からずっと逃げていた自分。

 死に目に会えなかったという引け目すら、兄の死を認めたくないと言う子供じみた想いを

 自分からも隠すためのものではなかったか。

 それはとりもなおさず、己の心の弱さを示すものではないのか。

 兄の負っていた荷を自らの背に負う、その決意に自ら水を差すものではないのか。

 

 だから、と舞歌は思う。

 

 もう、目をつぶったりはしない。

 もう、逃げたりしない。

 もう、自分に負けたりしない。

 

 兄にこれ以上心配をかけるわけにはいかないのだから。

 

 

 一歩。

 また一歩。

 ドラゴンナデシコが歩む度にその全身から火花が飛び、コクピットの床に血の雫が落ちる。

 満身創痍と言う言葉では足りないほどに傷ついた舞歌が、

 それでもゴッドナデシコに向かって歩みを進める。

 

「・・・・・・・まぁ、最後に会ったのはもう十年以上も前だしね。

 正直言って顔だってちゃんと覚えているかどうか怪しいものよ。

 でも、お兄ちゃんの夢は確かにここにある。

 お兄ちゃんが命を掛けて追った夢が、今私の中にある。

 だから・・・だから私は誓ったの。

 少林寺再興は、私が必ずやり遂げると!」

「舞歌さん・・・あなたって・・・あなたって人は!」

 

 この一瞬だけなら、舞歌は確かにアキトを完全に圧していた。

 だが、アキトとてここで負けるわけにはいかない。

 舞歌が己の夢を懸けている様に、アキトもまた譲れ無いものの為に戦っているのではなかったか!?

 

「う・・・・うおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 アキトの、何かを無理矢理断ち切るような意志を込めた咆哮が響く。

 ゴッドナデシコの胸が展開し、背の放熱フィンが日輪を描く。

 その右手が灼熱の炎を帯びて振り抜かれ、

 爆熱の衝撃波がドラゴンナデシコを包み込んだ。

 

 

 舞歌の体が、意識が、炎と閃光の中に溶けて行く。

 薄れ行く意識の中で舞歌が弱々しく呟いた。

 

「お兄ちゃん・・・・ご免・・・私・・・・」

 

(諦めるな!)

 

 その声を聞いた瞬間、舞歌の全身を雷が貫いた。

 

(ここで諦めてどうする、自ら負けを認めてどうする!

 お前は私の志を継いでくれるのではなかったか!

 我らが悲願を為し遂げてくれるのではなかったか!)

 

 それは、幻聴だったかも知れない。

 舞歌の心が作り出した幻だったかもしれない。

 だが、それは確かに八雲の声であった。

 

 薄れ掛けていた舞歌の意識が覚醒する。

 全身に力が戻ってくる。

 

(私はお前と共にある。お前の継いでくれた志の中にいる。

 私はいつもお前を見守っているぞ、舞歌!)

 

 はっ、と舞歌の瞳が開いた。

 人の命は確かに短い。

 何事かを為し遂げるには余りにも短いのだ。

 だが、欠けて消えた月がまた満ちるように

 人はその命を終える時、生まれてくる新たな命に己を託す。

 月が満ち欠けを繰り返すように、人は生と死を繰り返す。

 一代で果たせぬならばその後を継ぐものが。

 それでも果たせぬなら更にその後に続くものが。

 たとえその志半ばに倒れても、たとえその名が人々から忘れ去られたとしても。

 その志を継ぐものがいる限り、人が本当の意味で死ぬ事はない。

 舞歌が少林寺再興を志す限り、その志の中に八雲は生きている。

 たとえ舞歌が倒れても、九十九や元一朗たちが志を継いでくれる限り、

 その志の中に八雲も舞歌も生き続ける。

 そうだ、受継ぐ者がいる限り。人が本当の意味で死を迎えることはないのだ!

 

 それを悟った時。

 舞歌は八雲から伝えられた、

 引いては父に、祖父に、そして連綿と続く少林寺の歴史の中に生きた先達全てから

 伝えられた奥義を本当の意味で我が物としていた。

 

 

 

 舞歌の右手に紋章が浮かび上がる。

 クラブ・エース。

 これもまた、舞歌が継ぎしもの。

 歴代のクラブエース達が、そしてシャッフル同盟が受継いできた志そのもの。

 舞歌の手に紋章が輝くのと同時に、ドラゴンナデシコの胸にもそれが輝く。

 それが一際強く輝いた瞬間、ゴッドが発する灼熱の衝撃波は完全に弾き返されていた。

 

 

 

 

 

BURNING!