はじまった後



 
 
 ネルガル本社に戻ると、北上は木星圏に出張していたプロスペクターの腹心、ゴート・ホーリの帰社を知った。プロスペクターに先んじて、急きょ戻ったらしい。
 そのゴートから説明を求められた。
 ゴートからすれば、天川を殺してまで捕獲することは暴走に見えるのだろうが、北上に言わせれば甘い考えだ。欲っするものは、全力でもぎ取る。それがシークレットサービスのやり方ではなかったか。
 警備部のフロアは静かだった。デスクに座って眺める光景は確かにいつもと変わりはないが、どこか剣呑だ。北上は耳を澄ます。コーヒーメーカーのそばで3人の課員が会話しているのが聞こえてきた。
「9名か……、ずいぶんだな」
「家族が引き取りに来ていたよ。話を聞く分には、9名ですんだのが嘘のような状況だったらしい」
「だが9人だぞ。重傷者も多い」
 男はそれには答えずに目を伏せた。北上は同僚達の抑えた声を聞きながら煙草を咥える。
 ナナコの捕獲に動いていた北上たちネルガルSS(シークレットサービス)は、専務派の指揮から会長室秘書課へと戻った。ネルガルSS、正式名・会長室警備部第三課はもとの鞘へと収まったのだが、これが、プロスペクターの事態を穏便に収めようという考えによることは明白だった。
 プロスペクターとその配下が、木連生活共栄組合との交渉のために木星へ発ったあと、その後を受けて会長の信任の厚い専務派が一時的に第三課の指揮をした。会長が持つはずの指揮権が専務に移るというのは筋の通らない話だが、当の会長が風来坊よろしく旅をしているために指揮権は会長室秘書課に預けられ、木星出張に伴って専務に一時的に与えられた。
 専務も暇ではない。そこで、彼のスタッフが持ちまわることになった。プロスペクターも事態を軽視していた。大局が激しく動いているわけではなかったので、気楽に回された。
 専務派はナナコの所在を掴むと、プロスペクターに伺いを立ててから捕獲の承認を得て、行動に移った。彼らは捕獲が容易に完了すると思っていたが、事態は少しずつおもわしくない方向に推移していった。それを知ったプロスペクターが自重をするように申し入れたにもかかわらず、警備部第三課の強襲部隊をナナコを匿っていると見られる天川アキトの隠れ家を襲撃させ、15名の死傷者を出し、うち9名が死亡するという最悪の事態に到った。
 専務派は、強襲部隊を動かすことを進言した北上の言を容れてその行動を許した。所在が明確なうちに確保すべきであったし、プロスペクターたちが地球に戻るまで、何らかの成果を上げておきたかったこともある。
 自分たちは信任されているという自負が、功に走らせたのだった。
 失敗の後、SSは実質上プロスペクターの手に戻った。北上も同じである。
 北上は第三課に戻り、自分の席で暇を潰していた。伏せられた書類が目に留まるが、それを取り上げる気にはならなかった。
 ライターから咥えた煙草に火を移す。どうしても腑に落ちないことがあるのだ。
 テンカワアキトの隠れ家を襲撃するために部隊を配置するまでは、ことは到ってスムーズに運んだ。北上は例の黒いバンの中でモニターを眺めていた。そしていざ襲撃に移ろうとした瞬間、一帯の通信が途切れて部隊との連絡が一時遮断されたのだ。そうこうしているうちに散発的な銃声が響き、ちょっとの静寂を挟んで盛大な銃撃戦が始まった。次第に回復し始めた通信からは怒号が聞こえ、遠目にエステバリスが逃走していくのを見ると逃げられた、そう直感して舌を巻いた。おあずけくらって、逆に興奮させた。
 ヘリから目標を見失ったという知らせが届いたころには、あたりは闇とともに静寂が降りていた。
 命からがらといった風に帰ってきた襲撃部隊は重傷者が多く、何名かは目にした瞬間にそうと分かるほどの絶命っぷりだった。隊員達の傷は刀傷がほとんどで、話を聞くと、彼らは天川アキトとは別の何ものかと戦闘を行っていたのだという。
 彼らを襲ったのは黒い衣を着た短刀で武装した者達で、一方的な銃撃戦を展開したらしい。
 しかし、相手は「なかなか死なない」と彼らは口を揃えた。なかなか死なない、とはおそらく突入に際して選んだ弾薬が一撃で相手を倒すというノックダウン効果の強いものではなく、貫通性の高いものだったためでもあるのだろうが、浴びせるように撃っても立ち上がったという。
 ならば――、と北上は思う。
 きっとその者たちは薬物によって身体も精神も強化、あるいは深く酩酊した状態にあったのだろう。襲撃を指揮したA班の班長も目が尋常ではなかった、と言っていた。人を戦闘に都合よく変える薬物は少なくなく有るが、北上たちと利を争っていた相手は一つしかない。
 木連共栄協同団の下っ端組織、「サベイジ」だろう。だとしたら使用された薬物は「ソーダ」のタイプLに違いない。ナノマシンを使ったそれは自身の望むように痛みをなくし、望むように快感に酔うことが出来る。
 問題は相手が彼らであったと言うことではない。彼らがなぜあの場所にいたのか、だ。
 北上たちシークレットサービスが天川の居場所を掴んだのは、ほとんど偶然だった。過去に彼のものと思われる特殊な空薬莢からその製造元を探し出し、囲い込みを続けたところ、以前その周辺で見かけたという情報を探し当てたのだった。情報主はネルガルで雇ったことのある傭兵で、ネルガルが腕の立つフリーの工作員を探しているというデマにこころよく乗ってくれたために知ることが出来たのだ。
 そうでなければあの場に行き着くことなどなかったろう、と北上は思う。
 他にも情報を知る手蔓はあったかもしれないが、あの短時間で他に知ることは出来るものなのだろうか。北上たちはあの前日に木連共栄協同団の活動拠点を襲撃し潜伏していた構成員を殺害しているのである。捜索に割くことの出来る手駒はたかが知れているはずだ。しかし、あの黒衣たちは都合よくこちらとかち合うようにしてあの場に現われ、妨害した。いったいこれは出来すぎではないだろうか。
 天川アキトがそれを手配したとは考えにくい。ネルガルの追っ手を振り切るために、サベイジを使ったとは考えられない。それはみすみす敵を増やすだけの行為なのだ。何より、――アイツは一匹狼だ。と北上は思う。
 A級ジャンパーの能力を持つ工作員というのは厄介な話しだし、使い手にとっては頼める存在だろう。しかし彼らは、ほとんどが単独行動をせざるを得ないのだ。彼らの能力は発光現象を伴う。これを回避することは出来ない。引き連れる人数が多くなると、それだけ発光現象は大きくなる。つまり発見される確率が高くなる。なので天川アキトは単独行動が基本となるのだ。
 ――密通者がいる。
 そう考える他はない。誰かが故意に情報を洩らし妨害したのだ。ではいったい誰が何のために。会長の信任厚い専務派を陥れるために仕組まれたのか。いや、違う、と北上は考える。目標を追い詰めてこれからという時に邪魔をする。そんな要領の悪い人間に出来るわけはない。これは一大事なのだ。
 今回のことで一番得をした人間は誰か。木連共栄協同団だろう。少なくともネルガルの人間ではないはずだ。
 だが――、警備部第三課は彼らが入り込めるほど容易い組織では無いのだ。連合とは違う。
 なぜ妨害を、いや、阻止しなければならなかったのだろうか。
 気付くと咥えた煙草のフィルター近くまで火が迫っていて、崩れ落ちそうな灰の枝が弧を描いている。北上が灰皿を動かしてそれを落としていると、有藤という女性秘書が目の前に行儀よく二通の封筒を置いて、プロスペクタ―様からですと告げて去っていった。
 あいにくペーパーナイフなんていう洒落たものはない。不意にナイフを取り出そうかとも考えたが。
 二通重ねて鋏で切る。
 先ず一通目を取り出して眺めてみる。内容は襲撃を妨害した者たちの組織名とその説明があった。やはり「サベイジ」が差し金だ。
 もう一通を開封する。どうやら名簿のようで、軽く目を通していると知っている名前を見たような気がした。ありえないと思いながらも指でなぞりながら確認していく。それは、見間違いではなかった。
 北上の体は釘付けになっていた。
 数瞬ののち立ち上がった。いぶかしんだ傍人が声をかけてきたが、出かけてくると一言いって部屋を出た。北上の机に封筒は残っていなかった。
 
 
 同じフロアでゴート・ホーリは、その太い指先を操ってキーボードを叩いていた。巨漢というべき体躯の持ち主で、筋張った顔に彫り込んだ様な細い目。瞳にはディスプレイの光がうすく映っている。書類を作成することは多くないのだが、たまにウェブを介したチャットを使って意思伝達を行う必要があってタイプは滅法早い。
「どうぞ,玄米茶です」
 脇から声をかけられ、手を止めて振り向く。会長室秘書課の警備部付きをしている若い秘書だ。有藤は盆に湯飲みを載せて立っていた。愛嬌のある丸い目が微笑んでいて、湯飲みを机においてくれる。
「帰社してから休む間もありませんね。さきほど、ご遺族への説明は一通り終わったようです」
「うむ」
 有藤は盆を脇に抱えながら話す。彼女も木連へ出張し、ゴートと一緒に地球に帰ってきたのだった。
 彼ら警備部に在籍する強襲部隊は、各国の特殊部隊からヘッドハントした兵士がほとんどであるから、遺族は理解というよりも覚悟が有り死亡の通知が滞ったことはない。だからといって伝えることが楽であるはずはなく、遺体を受け取る遺族の心情を思うと、ゴートは平静を装わないわけにはいられない。
「仇はとりたいところだが事を荒立てるなという命令だ。北上がやったようには動けん。ミスターから連絡は?」
 ミスターとはゴートがプロスペクタ―を指す時に使う。
「はい、こちらに」
 有藤が頷くと空中に差出人と宛先が表示されたウインドウが出現する。プロスペクタ―から届いたものであり未開封なことをゴートが確認すると、一礼して有藤は退がった。
 開封する。中身は木連共栄協同団の活動が減少に転じていることが書かれてあり、親組織である木連生活協同組合も同じく急速に冷めているとある。
 やはりか、とゴートは思う。盛んだった地球での活動も、みるみるうちに消えていった。木星であった親組織内での幹部同士の抗争劇の影響なのか、ナナコのことなどはじめからなかったように静まり返っていた。不気味なほどに。
 考えられるのは、ネルガルより先にナナコを確保したのではないかという可能性だ。
 それを否定する材料は乏しい。だがゴートはありえない、と断定する。
 なぜなら、ナナコを保護していたのがあの天川アキトだからだ。地球と木連との戦争が終わり、平和が訪れたと思えた矢先に起こったクーデター、火星の後継者事件。その事件の裏側でA級ジャンパーの誘拐が行われ、危機感を募らせたネルガル会長の判断によりシークレットサービスは被験体として監禁されたジャンパーの救出を行った。その中に天川アキトの名もあり、彼は助け出された後に火星の後継者を壊滅せむと志願した。ゴートは教官として彼を訓練し、その腕の程を知っている。しかし、彼の技術云々で否定するのではない。彼のもつ能力から否定するのだ。
 A級ジャンパー。彼らは任意の地点へと自在に移動できる。人類初のジャンパーでも有り、経験豊富な彼にかかれば、昨日の状況で逃走が不可能なはずは無い。
 ジャンプした先でナナコ共々捕らえられたという可能性もなくはないが、それはありえないだろうと考える。馬鹿正直な男ではあるが、したたかな行動を選択できるように指導したのは彼自身なのだから。
 太い筆で石榴と大書された湯飲みを手に取り、目を瞑る。先を越された心配は先ずないだろう。
 ネルガルが追うべきは、やはり天川アキトなのだ。
 
 
 
 連合警察、日本支部。
 夏野リツはその九階にある調査係係長、沢谷慶治の座るデスク前に立っていた。
 天川アキトと連絡が途絶えてほぼ二日。リツは密かに連絡をとっていたが、それさえ途絶えてもうすぐ丸一日となる。時をおってアキトとの連絡員であるリツへの批判は強くなり、連合の手を逃れて姿をくらませたのではないかという疑いはますます信憑性の強いものとなっていた。査察部や同僚の中には、飼い犬は逃げネルガルに殺されたのだと噂するものもいれば、天川の脱走に夏野は手を貸したのではないか、という疑いが囁きあわれていることも、知っている。
 リツはアキトがネルガルに追われていることを知って、独自に行動を開始していた。ベテラン、高木も手伝ってくれたおかげもあって、たった一日でもずいぶんと明らかになったことがあり報告しているのだ。
「高木さんが手に入れてきたインターバンク市場でのデータと国際電子商取引管理委員会の収支推測書によると、多額の金額が木連生活協同組合に流れています。いままではただの覚醒剤の販売等をもって活動資金に当てていると思われていましたが、今回の件で、彼らが遺伝子の非合法取引を行っていることが明らかになったうえで、もう一度その資金経路を洗い直してみたました」
 係長は憮然として聞いている。日が傾きオレンジに染まった部屋で、リツは感情を殺して続ける。
「覚醒剤、麻薬の販売では明らかに足りません。ソーダというきわめて特殊な麻薬は、製造に多大な資金が必要ですが、闇市場での需要や末端価格を考えてみてもペイするはずがありません。ナノマシンを使ったソーダは、昨今、いくらテクノロジーが進歩したとはいえ戦争終結後に起きた新興組織の手におえるものではなく、また草壁春樹奪還を謳い文句にした建前だけの資金収集能力では追いつくわけもないんです」
 それで、と鋭い目をもつ40半ばの男は促がした。
「今回の調査で明らかになりつつあるのは、裏についているのは大資本を有するものだということ。高木さんのデータによれば巧妙に細工してあるとはいえ、資金援助を行っているのは、――クリムゾン・グループ」
 押し殺した声で言ったリツは、男の返答を待った。
 クリムゾングループとは、地球圏でも最大規模の企業集団であり、ネルガルの競争相手でもある。
 近年発生した、火星の後継者によるクーデターに協力していた事実により一時その勢力を減退させたが、「アレは担がれたのだ」というキャンペーンを張ることによって復調にある。主導していたヒサゴプランの凍結も解除され、大戦後に息をひそめていたネルガル重工の復活もあいまって、熾烈な戦いが繰り広げられている。
 沢谷は、変わるにはまだ早いだろう灰色の髪をかきあげ、思考の深い谷を降ていくように表情を翳らせていったかと思うと、不意に硬い声を発した。
「夏野調査官」
 その声色に、リツは背を伸ばし気をつけの姿勢をとる。
「高木の手に入れたデータは正式なものではないだろう。証拠足り得ない。また、クリムゾンの目的はなんだ。麻薬売買ではないだろう。ソーダの製造でもないだろう」
「はい。おそらく本線は遺伝情報かと」
「可能性は高いが、推測の域をでないのだろう? 仮に彼らがIFS強化体質者の精製のために力を入れていたとして、その有用性も分かる。だが、いつメスが入るかもしれない密売業者に肩入れしてどうなる。それは自滅だ」
「木連生協には、元木連跳躍部隊、通称優人部隊のB級ジャンパー資格付与技術者が、研究を行っていたという情報があります。また、連合警察の情報を探っていた研究員、矢矧アイコ、正式名は向居ジュンコですが、彼女はナノマシン技術者でもありました」
「向居タツミ、殺されたネルガルの研究員もナノマシンの専門家だったな。確か神経系に専門を置く、と報告書にはあったが。殺害の際、彼の研究が消えた」
 その後、木連生協の流すソーダの安定性は飛躍的に増加している。
「はい。ジャンパーの遺伝情報操作技術者、ナノマシン技術者。これから推測できるのは、人工によるA級ジャンパーの精製、と思われます」
「……懲りない話だ。火星の後継者がクーデターを起こしたほんの2年前には出来なかったことが、可能になろうとしているというのか? 夏野、お前が言いたいのはそうじゃなく、天川はなんらかの鍵になるものを手に入れて行方をくらませている、だから再指名手配は待て、と?」
 リツは答えない。
 自身がA級ジャンパーであるなら、人工的に創り出されることに危機感を抱いて独り消えるというのは、容易に考えられた。リツもそう考えている。
 沢谷は億劫そうに髪をかきあげた。
「クリムゾン、か。それで夏野、お前はどうしたいんだ」
 視線に問われて、リツは決心した。
「クリムゾン・グループの本拠地、オーストラリアへの出張を許可を願います」
 沢谷は重く息を吐いた。椅子の背を鳴らしてガラス窓を振り返り、夕闇の迫る空を眺める。
「……本丸か、それもいいだろう。手配は当分、差し止めておく。但し、事態が明確になり掌握できるまで、奴の身柄はこちらで押さえる。連絡があればただちに出頭させろ。
 以上だ。――行ってこい」