其の弐


 アキトの鼻を折った翌日、月臣はネルガルシークレットサービス隊長であるゴート・ホーリーに呼び出された。月臣は現在NSSに所属しているから、上司の命令には従う必要がある。

 NSSの事務所には、紫煙が立ち込めていた。表情にこそ出さないものの、それは月臣にとって愉快なものではなかった。木連では煙草を手に入れるのが困難であり、非常な高級品だった。それがこのように無闇と喫われているのを見るにつけても、木連と地球との格差を実感せざるを得ない。戦争が終わってからも経済格差が広がるばかりの現状を知っていれば、尚更である。
 だが月臣は思考をそれ以上の先に進める事を止めた。狗に過ぎない自分にその資格は無い、と考えたからだ。

 事務所の奥には、大柄な身体を縮めるようにして書類に何事か書き込んでいる男が居た。ゴートである。筋肉質の体躯を黒服に包み、その上には岩石を削りだしたような厳つい顔が乗っている。デスクワークをしている姿はまるで似合っていないが、SSの隊長と言うのならこれほど嵌っている男も居なかった。

 ゴートは顔を上げて月臣を見、おや、と言う風に眉を上げた。彼が優人部隊の制服ではなくNSSの黒服を纏っていたからだ。
 だがゴートは結局何も言わずに書類を脇にどけ、机を立って奥の部屋へと向かった。月臣も後に続いた。



「エリナ女史とイネス博士がおかんむりだったぞ。やり過ぎだそうだ」

 部屋に入ってソファに身を沈め、最初に聞かされた台詞がこれだった。月臣は呆れて言った。

「男の問題に口を挟むとは、やはりナナコさんには遠く及ばんな」
「……そう言う問題でもないだろう」

 月臣はふん、と鼻を鳴らして応えた。一応とは言え上司に対するものとしてはあまりにも無礼な態度だったが、ゴートに気にした様子は無かった。
 最初の台詞も伝えるだけは伝えた、と言う程度のものだったようで、特に拘らず話題を変える。

「まあいい。それで、テンカワはモノになりそうか」

「駄目だ」

 これ以上無いほどの簡潔さで月臣は答えた。ゴートはやや鼻白んだ。

「此方の訓練では驚くほどの成長振りだがな。飲み込みは早いし、咄嗟の判断も良い」
「だが武術は身に付かん」
「そちらの才能は無い、か」
「確かに動きは少々ぎこちないが、才能が理由ではない」
「なら何故?」

「……武術を極めるのに、最も必要な物は何だと思う?」

 月臣は質問に質問で答えた。ゴートは少し考え、結局分からんという風に首を振って問うた。

「答えは何だ」


「飢えと、信仰だ」


 意外な答えに、ゴートは眉を上げて問い返した。

「どう言う事だ」
「武術を学んだ所で一朝一夕に強くなる訳ではない。人を殺すのなら、何も武術に拘る必要は無い。銃でも毒でも使えばいいし、何なら人型兵器を使っても良い。そちらの方が余程確実だ」
「ふむ」
「理屈や打算を越えて鍛錬に打ち込んだものだけが、武術の深奥に至る資格を得る。必要なのは、己を凶器と化す肉体の渇望、そして、無為の苦痛を越える精神の信仰」

「ならば、テンカワを誘拐した工作員――確か北辰と言ったか――奴等に信仰はあるのか? 工作員が合理的でない殺人法に拘るとは思えんが」
「奴等は人にして人の道を外れたる外道。常に血に飢えている。そして『理想』に対する熱狂は、十分に信仰に匹敵するだろう」
「それを言うのなら、テンカワの執念も十分信仰に匹敵すると思えるが」
「こちらを向いていなければ、何であろうと意味は無いさ。テンカワの求めるものと木連式柔とは別の所にある、と言うことだ」


 言いながら、月臣は我が身を省みての苦い思いに囚われていた。

(信仰、か。俺にとっての信仰は、木連と、ゲキガンガーと共にあった)


 月臣は木連式柔の目録を許されている。この若さで目録に達したものは木連式柔百年の歴史にも殆ど居なかった。勿論、白鳥九十九、秋山源八郎を加えた三羽烏の内でも、目録に達したのは月臣だけだった。強くなれたのは、木連の正義に殉ずる心の強さ故だと、そう考えていた。

 目録を許され、木連式柔の暗黒を知った。暗殺術に類する技も学んだ。それでも柔への情熱が揺るがなかったのは、共に正義を語り合った友のお陰だった。例え同朋の血を吸ってきた暗殺術であろうとも、正義を求める心あれば悪を打倒する牙となる。そう信じることができた。

 優人部隊の、純白の制服を支給された時の喜びは、今でもありありと思い出せる。白鳥・秋山と三人で、邪悪な地球人を倒し、木連を救おうと誓い合った。


(俺の柔は潰えた)


 アキトに言われずとも、誰よりも月臣自身が、制服に染み込んだ血の赤さを感じていた。

(今の俺が他人に柔を教えようというのがそもそも笑止であった)

 拳を握る。
 破壊と混沌なくして秩序は産まれぬ。犠牲なくして理想は立たぬ。木連式柔の暗黒は、邪悪なる地球人を打倒し、木連の未来を築くための必要悪である筈だった。

 だからこそ、白鳥九十九を撃った。
 しかし。

 北辰ら狂犬の如きが嬉々として振るう木連式抜刀術とは何であるか。悪を討つと称しながら、同胞の血を吸い上げる以外の意義を持たなかった木連式柔とは何であるか。友を殺し、和平なりし今も木星を貧苦にあえがしむる理想とは何であるのか。

 熱血とは盲信にあらず。しかし信ずるものを失った今、血は冷め果て生きる意味も無く、ただ生ける屍が残るのみ。



「どうした」

 目を伏せて黙り込んだ月臣に、ゴートが声をかけた。己の想念に没頭していた月臣は驚いたように顔を上げ、誤魔化すように答えた。

「何でもない。それよりも、俺を呼び出した理由はこんな下らないものだったのか?」
「いや。本題は今度のミッションについてだ」

 月臣は椅子に座りなおし、ゴートの話を聞く体勢に入った。その顔は真剣なものだった。狗と成り果てた身には、任務に没頭する事のみが救いだったからだ。

「先日テンカワが持ち帰った情報を解析した結果、非合法なナノマシン研究を行なっている施設が見つかった。場所は中東。石油が旧世代の燃料となって以来、ネルガルに便宜を図る事で援助を得て、何とか体裁を保っているような小国だ」
「昨今のネルガルの凋落を見て、クリムゾンにも媚を売り始めたか」
「そんなところだろう。と言ってもまだまだ睨みは効くから、多少無茶をしても揉み消せる。エステの運用も可能だろう」
「ならばA級ジャンパーは必要無い。テンカワの出番は無いな」
「いや、余計な軋轢を避けるに越したことはない。今回の我々の任務は、テンカワのバックアップと言う事になる」

「……ミスマルユリカはそこに?」
「重要な研究を行なっているのは確かだ。だがそれが艦長かどうかは不明だ。罠の可能性も完全には否定できない」
「ふん、しかし居る可能性は高いのだろう? 王子様の我侭か」

 月臣の揶揄に、ゴートはむっつりとして答えなかった。

(甘い事だ)

 と月臣は思う。

 アキトをNSSに入れれば、このように迂遠な事をせずとも済むのだ。対クリムゾン以外の任務に組み込む事も出来る。
 アキトは決して喜ばないだろうが、ネルガルの援助が無くては彼には何も出来ないのだから、否も応も無いはずである。

 にも関わらずネルガル会長のアカツキは、アキトをNSSに組み入れようとはしない。何かあった時に尻尾切りが出来るように、というのが建前である。
 しかし、エステの世話から情報の解析、更にはテロのバックアップまでしておいて、今更尻尾切りもあったものではない。
 戦友のアキトをA級ジャンパーとして、駒として扱いたくないという、アカツキの私情が透けて見えた。

 人道主義を謳うのならそもそもテロなどに荷担しなければ良い。公的な判断に私情を交えている点で、アカツキは企業の会長としては失格である。

(少なくとも草壁なら、私情に流されて大義を見失うような真似はせんな)

 月臣はそう自嘲した。



「明日後に飛ぶ。詳細なブリーフィングは現地に着いてからになる。以上だ」
「分かった」

 会話を終え、月臣は席を立った。ソファに座ったままゴートは彼を見送る。
 月臣が部屋を出ようとしたとき、ゴートがその背に声をかけた。


「例の件、やはり了承する気にはなれんか」


 月臣は足を止め、暫しの沈黙の後に答えた。

「……熱血革命の時とは違う。木連軍人月臣元一朗は死んだんだ。狗が他人に何を説ける?」
「そう卑下したものでもないだろう」
「事実だ。……それに俺とて、必ずしも和平後の体制に納得してはいない」

 狗に徹すると決めたのなら言うべき台詞ではなかったが、月臣はそれに気づかなかった。
 部屋を出た途端立ち込める紫煙に、今度は嫌悪感を隠さなかった。


・其の壱に関して
 劇場版での月臣の技に、どうにか柔術的理屈を追加したつもりでした。
 しかし単なる説明の垂れ流しになり、テンポも悪く、読み手には楽しめないものになっていたようです。
 代理人様のご忠告、参考になりました。有難うございました。
 夢枕獏作品の下半分の余白はあぶり出しではなかったのか、と目から鱗の思いです。
 ある意味最も重要な導入部分、その失敗は痛恨ですが、何とか挽回していきたいと思います。

・其の弐に関して
 戦闘シーンはありませんでしたが、多少なりとも改行に気を使ってみました。上手くいっているでしょうか?
 今回の話の目的は、テーマの提示です。
 白い服。信仰。
 即ちスカラー波です。
 そろそろブームも過ぎ去ろうとしていますが、楽しんでいただければ幸いです。


代理人の感想

今回に関しては十分読みやすくなっていると思います。

話としては・・・・通過点ですので今回は特に言うこともないかな、と。

 

でも、説明って本当に難しいんですよね。


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