3回目を語ろうか

【 第2話 :変わってきた世界】

 

「この非常時に民間用戦艦だと……」

「ネルガルは一体何を考えている」

 と、軍属のおじさん方が映し出されていく数方向から映し出されたナデシコを見ながら苦虫を潰したような表情で苦言を吐いていた。

 ミスマル ユリカの父親であるミスマル コウイチロウは、こんな映像を撮影している暇があるなら何らかの手を打っていた方が良かったのではないのかと考えていた。

「あの威力を見た以上、戦艦ナデシコを放置するわけにはいかん!!」

 どちらかと言えば、あの機動兵器の方が使い勝手は良くないだろうかと思いはしたが、コウイチロウは話の腰を折ることなく黙って聞いていることにする。

「あの船の艦長は君の娘だそうだな」

「もし、ナデシコの艦長が連合軍への参加を望むなら……受け入れよう」

 今度は、そのナデシコの艦長であるミスマル ユリカの写真が並べられ、ついでに初詣のときの写真まで映し出される。

 我が娘ながら晴れ着姿が良く似合っていると、かなり場違いな事をコウイチロウは考えていたが、それと同時に参加を望まなかったら何をしろと言うのだと心の中で毒づく。

 親馬鹿な考えと軍人としての考えが、別々に稼動させられるのが、彼を今の地位にまで引き上げられた最大の武器だろうか。もしかすれば娘の方も、数年経てば同じ事が出来るかもしれない。恐るべきはミスマルの血筋。

 ぴっと映し出されていた映像が消えて、艦の乗組員達と対面する形でコウイチロウは残された。

 拒否権のない命令。

 だが、彼も拒否するつもりなど毛頭なかった。

「提督……」

 流石に色々な意味で親馬鹿で有名なコウイチロウに、自分の娘に軍人として会えと言うのは酷ではないだろうかと思ったコウイチロウ直属の部下が彼を呼ぶ。

 しかし、彼は威厳のある表情を全く崩さずに部下達に命令を下す。

「直ちに発進準備。機動戦艦ナデシコを拿捕する」

 その言葉に部下達は了解と敬礼をしてから自分の持ち場に離れるが、先程コウイチロウを呼んだ部下だけ彼は引き止めた。

 操舵士であるその部下は、ドッグを発進するまで暇なので、何か用件を言うのなら一番うってつけの人物であるとその部下自身が分かっていたが、コウイチロウの次の言葉は流石に予想外であった。

「フタバ店からケーキを買ってきてくれ。なるべく沢山」

「は?」

 

 

 

 

――テンカワ ホクシン

「ただの気絶だよ」

 ナデシコの医務室にて、あるどう見ても中年としか言いようのない白衣を羽織った者が、ラピスラズリの容態を診終わってから短くそう言った。

 その言葉に、我の横に立っていた兄者が大きく安堵の息を吐く。

 あれから、ナデシコへ人型機動兵器を着艦させ、筋肉質の男やぼさぼさ髪のツナギを着た男が何かを聞きこうとしているのを後回しにし、我は白い人型機動兵器の操縦席へ乗せていたラピスラズリを引き摺り出すかのように肩に担ぎ、兄者と共に医務室へと直行した。

 そう言えば、我が人型機動兵器から出た途端、わらわらと集まっていた者供が急に黙ったな。やはり血塗れなのは目立つのか、それともラピスラズリを担ぎ上げるのは軽率だったのか。どちらにしろ些細な事だな。

 我は医師からラピスラズリへと視線を移す。

 寝ているかのように気を失っている。まあ、心配する必要がなくなったと分かると、我も一安心だ。

 見た目は6歳といったところか。当たり前なのだが、やはりまだ幼子で、女だと言われぬ限り性別の区別がつき難い年だ。

 しかし、前に会うたラピスラズリとは、見るからにではないが違う部分が多い。

 髪が黒い。

 我の記憶が確かなら、ラピスラズリの髪はこのような色ではなかったな。あの色は後天的な遺伝子細工で成された色と考えれば、この時はまだ遺伝子細工を受けていないのか。いや、受けている途中とも考えられる。

 山崎のような奴らは、このような幼女をも使うのか。

 反吐が出るな。

 我がそれ言う資格があるかどうかは、知らぬが。

「それと、ナノマシンの量だったっけ」

 何かの検査器をラピスラズリの額に当てながら医師が確認をとるかのように聞いてくる。それに反応し、兄者が素早く顔を上げた。

 なのましん?

 何だそれは?

 そう聞きたいのは山々なのだが、この状況で聞くわけにはいくまい。

 ぴっと電子音がした後、医師は検査器をラピスラズリの額から外し、そこに表示されているであろう何かを読み取る。

「うん。ちょっと多いけど……まぁ、許容範囲ギリギリだね」

「それじゃあ……」

「少なくともホシノ君のような体質じゃないね」

 どちらかと言えば君に近いよと、医師は言葉を付け足しながら兄者と我から背を向けるように机と向き直り、カタカタと小型な機械を操作し始める。診断書のような物を製作しているようだ。

 その行為を気にしないで、兄者は再び盛大に安堵の息を吐き出した。

 ……だから、“なのましん”とはなんなのだ。

 待て。先程医師は『量』だの『範囲』だの言って、体を調べたのだったな。それに『範囲』を超えなければ兄者が安心するのだな。となると、“なのましん”は体の物であり、『量』が過ぎれば困るものである訳だ。

 皮膚か?

 いや、体内にある物であろうか。それも兄者に近い量がある、と。

 微小機械の事か?

 なるほど。それならば合点がつくな。

 となると、ラピスラズリは遺伝子細工をされる少し前であったのか。故に髪の色が違うのだな。

 偏見かも知れぬが、遺伝子を細工され微小機械を過剰投与された者は、あらゆる体の色素が欠乏している者が多い。我も似たような者であるからな。

 と、考えに耽っていると兄者が肩を叩いてきた。

 それに気が付き、兄者の方へ顔を向けると前方を親指で示している。更にその先を辿るように視線を移動させると、医師が我の方をやや真剣な表情で見ていた。

 どうやら診断書を作り終え、我に話しかけていたようだ。

「すまない。考え事をしていた」

 とりあえず聞いていなかった我の落ち度であろう。ここは素直に謝る。

 すると、医師は苦笑いをしてから表情を崩した。

「いや、君は良いのかい?」

 主語を言え、主語を。

「あ、いや、怪我の事だよ」

 察してくれたのか、それとも声に出していたのか、どちらでも良いのだが、医師が遅れて主語を付け足す。

 ふむと我は頷いてから、改めて己の姿を見直してみる。

 今はパリパリとして固まりかけてきておるが、血塗れだな。

 それなりの勢いで操縦席内のあらゆる箇所に叩きつけられた事を思えば、少ない方であろうか。兄者の使っていた外套より作られた黒衣――ロングコートだったな――にて体自体には打撲以外の傷を負っていないだろう。これは耐弾性・耐刃性に随分と優れているようだ。

 では、この黒衣に付着している血は何か。

 掌を広げ、じっと凝視する。

 血が出ている。

 当たり前なのだが、それなりの傷がある。

 いや、あった。

 こうして見ている間にも、じわじわと傷口が塞がってゆく。体内を蠢く微小機械が、我の体を勝手に修理しているのだ。

 そう、修理だ。

 体内にある微小機械は、この体を修理しながら、徐々に我を人間ではなく機械人形へと置き換えてゆく。いや、初めから微小機械の量が過剰であったこの体を考えれば、既に“人間”と呼べる代物ではないな。

 外道と呼ばれた次は、人外、か。

 我は心内にて鼻で笑う。

 業が深いな、我と言う存在その物は。

「……大した損傷ではない。蒸した布でも渡してもらえば十分だ」

 だいぶ時間をかけ、我は医師に向かい完全に修復し終わっている右腕を差し出しながら返答をした。

 隣で兄者が、何かを言いた気な雰囲気であったのは、気が付かなかったことにする。

 

 

 

 

――テンカワ アキト

 医者の人から手渡された蒸しタオルで、一番血が出ていた顔の部分を丹念に拭き取っているホクシンを横目で確認してから、俺は眠っているラピスへ向き直る。

 頭の中に様々な疑問が湧いては消える。

 何故、あそこにいたのか。

 何故、一人だったのか。

 考えても答えが出るようなものじゃない。それは分かっているつもりだ。

 それでも考えてしまう。

 ラピスラズリ。

 復讐のために俺が利用してしまったマシンチャイルド。五感も全て、リンクによって補助してもらっていた。

 俺が一番迷惑をかけ、一番酷い事を押し付けてしまった子だ。

 その子が、ここにいる。

 どうすれば良いのだろう。

 ナデシコに乗せるか?

 マシンチャイルドですら……いや、この言い方は酷すぎるな。ラピスはまだ、オペレーター用のIFSを付けているだけの子供だ。ルリちゃんやホクシンみたいにマシンチャイルドじゃない。

 恐らく、オモイカネの情報を処理しきる力はない。

 それ以前に、こんな年の子供に仕事を強制したくない。

 降ろすか?

 どこで?

 数時間もしたらミスマルおじさんの乗ったトビウメ等の戦艦が来る。そこに預けるというのはどうだろうか。それとなくユリカに言っておけば、連れて行ってくれるだろう。

 ミスマルおじさんなら、ラピスに酷い事はしないだろうし、させないだろう。考え得る限り、一番最良かもしれない。

 そうだな。

 それが、良いかもな。

 相当なまでの自分勝手かもしてないけど、このラピスには、争い事なんか見てもらいたくない。

 ラピスは、ミスマルおじさんに預けよう。案外、ユリカの居ない寂しさを紛らわせるために無茶苦茶可愛がってくれるかもしれない。

 ……可愛がるだろうな。

 あの親馬鹿ぶりを考えれば。

 可愛がり過ぎるのはどうかと思うが、虐待されるよかマシだろう。

 隣で顔を拭いていたホクシンは、最後に手に付いている血糊を拭き取ってから医者の人に蒸しタオルを渡している。ちょうどホクシンと医者の人の間にラピスを寝かせているベットがあった。

 ホクシンの腕か医者の人の腕かが、照明装置からの光を遮り、ラピスの目に影を落とした。

 ラピスの目が、ピクリと動く。

「……ん」

 軽い唸り声を上げた後、ラピスはゆっくりと目を開いた。

 

 

 

 それなりに時間がかかったが、知らない場所で知らない人に囲まれている状況に対して驚いている風もなく、ラピスから物事を聞きだすのには簡単だった。まぁ、それはそれで問題ある気がしてならない。

 ラピス自身、周りの出来事に関して完全に受身を取るタイプで、あまり詳細なことは分からなかったが、何故あそこに居たのかと言う事は何となく分かった。

――行けと言われたから行った――

 だ、そうだ。

 何故、行けと言われたのかとホクシンが尋ねると。

――分からない――

 家族はどうしたのかと医者の人が尋ねると。

――家族ってナニ?――

 前はどんな所に住んでいたのと俺が尋ねると。

――白い部屋。機械がいっぱい――

 他に誰がいたとホクシンが尋ねる。

――白い服着た人、いっぱい――

 そこまで聞くと、俺とホクシンは視線を交わらせて少し唸った。

 これ以上の事は分からないか。

 いや、まぁ、5・6歳の子供が自分の置かれている状況を逐一正確に記憶していたら怖いものがあるのだけど。それを考えたら、ラピスは状況をちゃんと把握している方だろう。

 答えてくれた事を総合して考えれば、やはり、このラピスもこの時代から既に実験されていたのだろう。

 まだマシンチャイルドではないラピス。

 年齢から考えれば異常な知識。

 恐らく、遺伝子改良を先行して行われていたんだと考えられる。

 そして今日は、遺伝子改良を重点的に行っていた研究所からナノマシン処理を重点的に行っている研究所へ引越しをする日だったんだろう。で、受け渡し人が来る場所で俺とホクシンが戦闘を行っていた、と。

 となると、次の研究所は軍が絡んでくる研究所だったはずだ。

 冷静に、どこか冷めている目で病室の内壁へ視線を彷徨わせているラピスを見ると、何故だか歯痒い気持ちになってくる。

 顎に手を当てて眉を顰める、相変わらず似合わないそのポーズをしていたホクシンが再びふむと喉を鳴らす。

「にて、汝、名は」

「な?」

「何と呼ばれていた」

 話題を逸らしたようだ。

 互いに表情の変化に乏しいもの同士、及び年端の行かない子供。改めてみると異様な光景だ。

 問いかけに対し、ラピスはホクシンを見詰めたまま動きが止まる。

 そう言えば、俺が最初にラピスに会ったときは名前がなかったんだ。確かナンバーで、それこそ物のように呼ばれていた。

 そのナンバーが名前なのかどうかを考えているのだろうか。迷ったかのような動きの止まり方だった。

 しばらくフリーズしていたラピスは、ようやく考えがまとまったかのように小さな口を開いた。

 

「しっぱいさく」

 

 子供特有の舌足らずの声ではあったが、はっきりとした声だった。

 その言葉を聞いた瞬間、俺と医者の人が硬直した。それこそ筋肉が引き攣るのが自分でも分かる程に。

 ホクシンだけは、そうかと呟いてからラピスの頭に手を乗せて撫でつける。ホクシンは至って無表情であったが、ラピスはその行為に対してきょとんとした表情になる。

 分かっている。

 俺が即座にどのような行動をしなければならなかったのか。

 いや、違う。

 行動をしてはいけなかったんだ。

 子供というのは人の心を見抜く力が先天的に非常に高い。行動から、表情から、言葉から、他人の心の中を子供はストレートに見抜く。

 ましてや、自分が発言した瞬間に他人がびくりと硬直してしまっては、誰だって自分の言葉が悪かったのかと思ってしまう。

 この場合、子供に不信感をもたれないためにはホクシンの行動が一番正しかった。

 流石に医者の人も、ラピスのような子供からさらっとあんな言葉を聞いたら驚くのも無理はない。むしろ、固まるだけで済んだのは流石プロ、と言ったところであろうか。

 ある程度知っていた俺だって、驚いたのだから。

 この時代のラピスにはコードすら付けられていなかったのか。

 一瞬だけ、ラピスで研究をしていた奴等が憎くなった。その反面、物悲しい気持ちが湧いてくる。

 なでなでとラピスの頭を撫でながら、ホクシンはラピスの目をじっと見ている。ラピスは未だにきょとんした表情のまま、なすがままにされている。

「呼び難いな」

「よびにくい?」

「そうだ。故に、我が名を授けよう」

 撫でるのを止め、今度はぽむぽむとバスケットボールでドリブルをするかのようにラピスの頭を適度な強さで叩きながらホクシンが淡々とのたまった。

 興味があるのかないのか分からないが、ラピスは自分を見ている金色の瞳を見つめ返す。

「ラピスラズリ。ラピスだ。これで良いな」

 ホクシンが、そう言った。

「……」

 それに対して、ラピスは無言で頷いた。

 改めて言うが、ホクシンもラピスも年端の行かない少女。

 この会話を大人がやれば、せめてホクシンが大人であれば格好良いのだが、少女がやっているとかなり微笑ましい光景だったりする。

 と、狙っていたかのようなタイミングでピッとコミュニケのウィンドウが浮かび上がる。

『話は落ち着きましたかな』

 そのウィンドウに映っていたのはプロスさんだった。

 てか、完璧に狙ってやがったな。

 盗聴器か?

『いえ、防犯用のカメラです』

 ……深くツッコムのはよそう。命に関わりそうだ

「で、何か御用でしょうか?」

『はい。色々とありまして、少しブリッジまでお越しくださいませんか? ホクシンさんもご一緒に』

 我ながらいかにも胡散臭そうな声と口調で言ってみるが、プロスさんはそんなのを一切気にしないで自分の用件を伝えてくる。相変わらずマイペースな人と言うか、何を考えているか分からないと言うか。

 ホクシンの方へと目を向けると、ラピスの頭に手を置いたまま俺の方を向いている。用件は聞こえたのか、こくりと頷いてきた。

「はぁ、良いですけど」

『それでは……あ、私としては言う必要はないのですけど』

 と、通信を切りかけていたプロスさんは声を潜めてウィンドウを寄せてきた。

 本当に、コミュニケってどんな仕掛けなんだろうか。

『早くいらっしゃらないと、艦長が放送を流しそ』

「ええ!! 超特急で向かいますとも!!」

 

 

 

 

――ホシノ ルリ

 ぷしゅっと軽い音を立てながら、ブリッジにて話題の渦中にいた張本人さん達が到着しました。

 ちなみに、艦長席の後ろのドアからではなく、オペレーター用に用意されている椅子の下、その辺りを通っている格納庫と直結している通路の側のドアからの登場です。よって、私を含めて皆さん、発進前と同じくブリッジ前の下面モニターのある場所に集まっています。

 わざわざ走ってきたのでしょうか、テンカワさんの方は息を切らせています。一方、テンカワさんの後に続いて入ってきたホクシンさんの方は至って涼しい顔をしています。しかも6歳くらいの女の子を背負いながらです。

 兄の威厳全くなしですね

 ま、関係ありませんけど。

「アキトアキトッ!久しぶりだね〜!背、伸びたんじゃない?」

 伸びなかったら病気です。

 元気といいますか、無邪気といいますか、艦長はテンカワさんに向かってタックルでもかけるかの勢いで駆け寄り、テンカワさんの手を両手で握り締めながら顔を近づけて早口で話しかけます。テンカワさんも周りの事などノー眼中の艦長の行動に呆気に取られています。

 ホクシンさんは、無表情ですね。背負っている女の子も無表情です。

 ……なんだか、自分を見ているみたいで嫌になりますね。

「あー、ユリカ。久し」

「あっ、嬉しぃー! ユリカって呼んでくれた!!」

「いや、さっきも呼ん」

「そうだよね! 昔はユリカユリカって、おっかけっこしながら呼んでくれたもんね!!」

「ちょ、人の話を聞」

「そっかそっか!本当に久しぶりだよ!!」

 ぶんぶんと腕を上下に振りながら、艦長はなすがままに腕をかくかくと動かしているテンカワさんの話を無視して一方的に喋り捲ります。

 馬鹿。

 とんでもなく不毛です。種を蒔いても雑草すら生えてこないくらい不毛な会話です。

 と言いますか、会話として成り立っているかも怪しいですね。

 隣で頭を押さえながらプロスペクターさんが溜息をつきました。現在進行形で未だに続いている不毛な会話を、そろそろ止めに入ろうとしているようですね。

 しかし、プロスペクターさんが動こうとする少し前にホクシンさんが動きました。

 すっと、テンカワさんの右側をすり抜けて艦長の隣に立ちます。女の子を背負ったままですけど。

「すまない艦長」

いつ地球に……あ、失礼。なんでしょうか?」

 おお、分別は出来てるみたいですね。

 艦長は突如隣に出現した――と、映ったのでしょう、きっと――ホクシンさんに向き直りました。

 今まで気付かれていなかったホクシンさんは、一度腰を屈めて背負っていた女の子を降ろしてから、くいくいと指で“こっちに来い”と言う合図をします。それから人差し指を唇に当てます。

 “耳を貸せ”の合図ですね。

 それに気が付いた艦長は、頭の上に「?」を浮かべながらも素直にホクシンさんの顔の高さまで腰を屈めます。ホクシンさんはそれからすぐに艦長の耳元で何かを囁きます。

 最初はほぉほぉと聞いていた艦長は、不意に目を見開いてからばっとホクシンさんに向き直りました。

本当!?

「事実だ」

 驚愕といた艦長に、ホクシンさんは至って冷静に切り返します。

 何を話してい

「なに話してたんでしょうね?」

「さあ?」

 下面モニターを挟んで向こう側にいるメグミさんの疑問に、ミナトさんが肩を竦めます。

 ……別に、思っていた事を先取りされたぐらいで拗ねません。

 何を吹き込まれたのかは知りませんが、ホクシンさんの言葉によって少しの間固まっていた艦長は屈めていた上体を戻して、さっきよりも綺麗な姿勢になりました。

 心なしか無駄に大きい胸を張っている気もします。

 ……まあ、私、少女ですから。

「こほん、失礼しました。それでは、飛び入り参加でナデシコに乗艦した御二人には自己紹介をお願いします」

 いきなり真面目にお仕事モードに入った艦長は、先程までの暴走が嘘のように威厳のある声をだしながら私達の方へと振り返りました。

 一体、何を吹き込んだのでしょう?

 あまりの豹変ぶりに、あのキノコまでもぽかんと大口を開けています。早く閉じないと、裂けた部分から菌が入って腐りますよ?

 あ、ゴートさんも驚いているようです。

 ですが、一番驚いているのは先程までその暴走していた艦長の毒牙にかけられていたテンカワさんでしょう。

 突然の切り替わりに取り残されたような表情をしていましたが、ふと気が付いたかのようにばっとホクシンさんへと顔を向けます。その動きをトレースしているかのようにホクシンさんも同じ方向へと顔を背けます。

「何言ったんだよ?」

「いや、こうも変わるとは思わなんだ」

 

 

 

「えっと、テンカワ アキトです。趣味は料理で、コック目指してます」

 最初にテンカワさんが一歩前に出て私達に頭を下げました。

 普通の自己紹介ですね。

 いえ、一発芸を期待している訳じゃないんですが。

 改めて見てみますと、実に特徴の薄い人です。人ごみの中に埋もれたら、まず見つけ出せないという程に地味です。

「テンカワ ホクシン。以上」

 続いてホクシンさんが頭を下げることなく簡潔に名前だけを名乗りました。

 ミナトさんが「それだけぇ?」と呟いていましたが、聞こえているのかいないのか、ホクシンさんは黙ったままです。

 なんだか、年の割には大人びて見えます。ブラックロングコートも目立ちますが、やはりそれに反する私と同じ銀髪が目立ちます。

 そして皆さんの視線が流れるように、ホクシンさんの真横にぴたりと付いている黒髪の女の子に集まりました。

 一斉に視線が集まって、女の子が怯えるんじゃないかと思いましたが、全く動じた様子がありません。人に見られるのに慣れている、そんな感じです。

 そして、女の子は一向に喋ろうとしません。むしろ、何を言えば良いのかが分からないといった風です。

 沈黙。

 しばらくして、沈黙に堪りかねたのか目立たない副艦長のアオイさんが口を開きます。

「あの……」

「ラピスラズリ。先の戦闘にて保護した。以上だ」

「は、はい」

 そのアオイさんの言葉を遮るように、ホクシンさんが目を閉じながら代わりに紹介をしました。情けないですアオイさん。

 それから私達も順番に簡潔な自己紹介を始めました。

 一回だけで名前と顔を覚えられるかは分かりませんが、それはこれからの努力しだいと言う事で……テンカワさんはコックですから覚える必要はあるかどうか分かりませんが。

「で、私がムネタケ ヨシサダ。副提督をすることになったの。まぁ、せいぜい頑張りなさい」

 ちなみに、締めがキノコです。キーキー言わないだけマシですね、まったく。

 ふと、テンカワさんの目が細くなった気がしましたが、すぐに元に戻って分からなくなりました。

「さて、本題に入りましょうか」

 眼鏡を中指で上げながら、プロスペクターさんがそう切り出しました。待っていましたとばかりにメグミさんの目が輝いたのは、とりあえず見なかったという事で。

 対して、テンカワさんも来たかという表情になりました。ホクシンさんとラピスさんは相変わらず無表情です。

「私が何を言いたいか、分かりますね?」

「全く分からん」

 言い切りましたよ。

 

 

 

 

――テンカワ アキト

 淡々と、プロスさんの言葉にホクシンは素で返答をする。

 そのあまりな切り返し方に、俺は肩が少し落ちた。見れば、プロスさんも固まってる。

 しばらくブリッジに静寂の時間が訪れた。

 おそらく……いや、十中八九プロスさんは戦闘の事について聞いてくるだろう。ホクシンはともかく、経歴がしっかりと登録されている俺の腕は異常だと判断したんだろう。しかし、ブリッジで話し合うとは思ってもなかった。

 交渉だとか、騙し合いだとか、そういったのに一切向いていない俺は、今回も話し役はホクシンに任せている。

 生涯の大半を修行に費やしていたホクシンもホクシンで、話し合いは苦手だと言っていたが、3年近くもロクに会話らしい会話をしていなかった俺よりはマシだろうという結果だ。

 溜息と共に再起動をしたプロスさんが、ちゃんと話しましょうとばかりに足元のモニターではなくメインモニターの方を起動させる。

 そこに映し出されたのは、さっきまで行っていた戦闘。俺が乗っていたピンクのエステバリスと、ホクシンの乗っていたホワイトのエステバリスが暴れまわっている。

「えー、囮をしてくださいと言ったのは我々の方ですが……」

「この映像は軍が撮影したのではないのか?」

 プロスさんが言い始めた言葉の腰を真っ二つにホクシンが切断する。その言葉にムネタケが真っ先に反応してプロスさんの方を睨みつけた。

 ホクシン、徹底的に横槍を入れるつもりだな

「ちょっとあんた!何で軍のデーターが流れてるのよ!?」

「いやいや、蛇の道は蛇でして」

「ハッキングしたんじゃないでしょうね!?」

「いえ、きちんと契約の元ですよ。やはり地上の安全は確認しませんと」

 甲高いムネタケの言葉に、プロスさんは眼鏡を光らせながらのらりくらりと非難の声を避けている。

 ここにきて、ホクシンの表情が変わった。

 口元が僅かに上がり、ニヤリと笑う表情に。

 性格悪くなったな、お前

 あー、ラピス。一生懸命になって真似しなくていいから。

「まあ、これがどこで撮影されていたかは別としまして」

「良かないわよっ!!」

「ともかく、御二人の戦闘場面、じっくり見させてもらいました」

 ようやく軌道修正が完了した。未だに騒いでいるムネタケを、フクベ提督が手でもって牽制をする。

 ……フクベ提督、か。

 幾多もの命を奪ってしまい、それでいて英雄だと飾られた事に悩み苦しんでいた人。

 今ならばはっきりと分かる。確かに、俺が「黒き王子」であった時代に、あの行為が英雄だと称えられでもしたら、俺はきっと今以上に死ぬ程後悔して苦しむだろう。何故褒め称えられねばいけないのか、自分は大量虐殺者なだけではないか、と。

 俺は虐げられたからこそ耐えられたものの、フクベ提督は実際に英雄扱いされている。その胸の内はいか程なんだろうか。

 同じ立場になって初めて分かるとは、馬鹿みたいだな、俺は。

 一人、心の中で自嘲気味に呟いていると、プロスさんが一歩だけこっちに近づいて来る。

「凄い腕前です。弾薬さえあれば、あのトカゲ達を殲滅……できたんじゃありませんか」

「出来たであろうな」

 さらっと、さも当然かのようにホクシンが答える。

 良いのかよと思ったが、ホクシンなりに何か考えがあっての事だろうと思い、口は挟まない。

「エステバリスのテストパイロットでもないのに、使い方を良く分かっていらっしゃった……まぁ、これは不問にしましょう」

「えすてばりす?」

「ええ、乗っていた機動兵器の事ですよ」

「そうか、エステバリスという名前なのか」

 ふむとホクシンが顎に手を当てた。いかにも、エステバリスという言葉を初めて聞いたかのように。

 ……いや、本当に初めて聞いたのかもしれないけど。

「そして本題です。御二人ともお強い、のは良いのですが、過ぎたる力はなんとやら……できれば、どこで鍛えられたのかをお聞かせ願いませんか?」

 再び眼鏡を光らせながら、プロスさんが聞いてきた。

 ちらりとホクシンの顔を盗み見てみると、涼しい顔をしている。むしろ、張り付いているラピスの方がおろおろしているようにも見える。

「話か……長くなるぞ?」

「聞きたいですっ、是非!」

 と、何故か返事を返したのはメグミちゃん。右手を上げて元気の良い声。

 久しぶりだ、メグミちゃんとは。

 何と言うか、思い返してみると「若かったな、俺」と思うような思い出と直結している気がしてならない。

 メグミちゃんに返事を取られてしまったのか、プロスさんはやれやれと肩を竦めて首を振った。とりあえず話して良いと踏んだのか、ホクシンは一回だけ小さく鼻を鳴らしてから、口を開く。

 

「昔、来るべき“木連”との戦争に勝利するべく、“後継者”という組織が発足した」

 

 爆弾を踏みつけるような、まずい単語を交えた言葉が、ホクシンの口から漏れた。

 

 

 

 ――Bパートへ続く――