『――――全部……全部お前のせいだ、テンカワ・アキト! お前のせいで、私は…『私達』は…!!』




 ―――『記憶』に残っていたのは、その光景。
 その赤い大地で、久しぶりに訪れた故郷のユートピア・コロニーで……『私』はどうしようもなく立ち尽くしていた。

 …目の前には、ただ一人の人物がいる。
 その黒髪を振り乱し、『私』に向かってその牙をむいてきた、絶望と憎悪に彩られた人物。もう一人の『私』。




 ―――そして今、その人物はひたすらに泣いていた。
 その赤い火星の大地の上、立ち尽くす『私』の――『アキト』のその目の前で。


 そう、泣き叫びながら…ただひたすらに――――











 機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜


  第3章 『あまりにも冷たい真実と、逆らいきれない運命と』

  Act2




 1.

 …目覚めは最悪だった。言うまでもなく。
 そしてまず最初に目に飛び込んできたのは、黒く塗り染められたニホン式の天井。
 ほんのりと懐かしい畳の香りがする。ゆっくりと自分が伏せていたその寝床―――これまたいやに懐かしい、ずいぶんと昔にお世話になったきりの―――程よい薄さと肌触りの、独特の刺繍の入った白いかけ布団を払いのけながら身を起こした。

 (ここは……それに私は―――)

 あたりに漂っている、どこか静謐な雰囲気。
 寝起きのせいもあってか、ぼんやりとした靄がかかったまま、まともに働いてくれないその頭を左右に動かしながら。調度が行き渡っているようにも思えるこの部屋の中を見渡しながら……やけに和風な部屋だなと、そんな呑気な事をふと思う。
 その中で心の表面にねっとりと張り付いている、あの夢から持ち出されてきた黒い感情がじわじわと身体の中へと染み込んで消えていく。気分が悪くなっているのをはっきりと感じながら、左手で頬に僅かにかかる黒髪をかきあげて。

 …そしてそれからしばらくし、ようやく自分の境遇の事を思い出した。

 「そういえば確か、『マジン』と……彼と一緒に月へとジャンプして…」
 だからあの時の出来事をもう一度確かめるように、口に出しながら――――結果アキトとは別の場所に『跳んだ』らしかった事を記憶の中の映像で確認する私。
 …そう。冷たい真空の支配する大地、月の一角にある広大な砂漠に出現したのは私と彼の乗る機動兵器だけだった。そこにはアキトの姿は一切見えなかった。
 それから先の記憶で―――私は爆発前に頭部ごと脱出を図った彼を追いかけ、思いもしなかったほど凄まじかったその爆発の衝撃で、私の意識は刈り取られていって―――


 そうして気がついてみれば、私はこの知らない小さな部屋の中に一人いる。
 ただ一人、どうすることも出来そうになく。

 (つまりこの状況って、敵の『捕虜』になっているということ……?)


 ……そして私がやっとその結論に達したちょうどその時に、横手の襖の向こう側から扉の開くような音が聞こえてきて。








 2.

 「捕虜が、人質とって逃げたですってぇ?!!」
 ナデシコがコロニーにあるネルガルの地下ドックへの着陸準備を進めている中、副長からもたらされたその報告に提督はブリッジ中に響き渡るその声を返してきました。

 その提督の声にすぐ右隣のエリナさん―――今はいないミナトさんのかわりにナデシコの操舵をしている彼女は、不愉快そうに表情をゆがめます。かたや前方で待機しているパイロットの皆さん達も怪訝そうな、信じられないといった表情を見せてきて。
 そしてその提督に申し訳なさそうに報告を続ける副長。
 「は、はい……アカツキ君が捕虜の護送中に返り討ちにあったらしく、その…ミナトさんとメグミ君の二人を人質に取った捕虜は分解中だった敵機動兵器の頭部に乗り込み、二人を連れたまま逃走―――」
 「どうして取り押さえなかったのよ?!! 大事な敵の捕虜に逃げられたら話になんないでしょ!!!」
 「―――っ!!」
 そして副長の報告の続きを遮るようにして、提督はそんな無茶なことを言ってきました。
 「し、しかし提督! 相手には二人が…」
 「そのくらいの危険が何よ?! クルーが負傷するより捕虜に逃げられるほうが問題でしょ!! 大体艦長が人質の処遇を後回しにするから――――ああ…で もまずいわ。ただでさえ『極秘だ』って言われていた敵の新型機動兵器と操縦者の情報がこの連中に漏れたっていうのに、そのうえ貴重な敵の捕虜に逃げられた なんて…………」
 続いて副長の反論に怒鳴り返し、さらにはなにやら小声でぶつぶつと呟き始めた提督。なぜか横ではエリナさんが小さくため息をついています。
 「はぁ……まったく、聞いてらんないわ」
 「何か言った?!!」
 目聡くそんなエリナさんの声を聞きつけてそう叫んでくる提督。そっぽを向きながらなんだかとても偉そうに口を開こうとするエリナさん。
 ……このまま放って置くと、猫の喧嘩みたいになるんでしょうね。

 そう思った私は仕方なしに、ちょっとだけ強引に話に割り込むことにしました。
 「―――艦長、テンカワさんの収容完了しました。逃走した捕虜のほうは追わなくていいんですか?」
 するとちょっとだけ沈黙の間が出来て、どうやら副長と何かを確認していたらしい艦長はやがて重い口調で言葉を発してきます。
 「…ミナトさんたちの安全を考慮すると、手荒な追跡は出来ません。それに――――残念ながら既に敵の勢力圏へと入っていますから……」
 「しかし……いったいどういうことなのだ?」

 と、ここで不意に、ブリッジの上からゴートさんがそう言葉を投げかけてきて。

 「ゴート君?」
 そのゴートさんに訝しげに問いかけるプロスさん。ゴートさんはさらに皆さんの視線を集めながら話を続けてきます。
 「医務室でアカツキに事情聴取したところ、彼はハルカ操舵士とレイナード通信士に不意打ちをされたと言っている。それでは話がおかしいではないか」
 「…って、そーいえばあの二人、捕虜の人を匿おうとしてたんだよね〜?」
 「でも整備班の話では、彼はミナトさんの腕を掴んで銃を突きつけながら格納庫に現れたそうだよ。発砲もしてきたって言うし」
 「なんだよそりゃ?? 二人ともあの捕虜に騙されてたってことかぁ?」
 「―――案外どっかの誰かさんがつれなくしてくれちゃったから、いじけて愛の逃避行とか……」
 「………………」
 なにやら間延びした声のヒカルさんに続いて副長の戸惑ったような声。そしてリョーコさんの発言になんだか暗さがいつもに増しているイズミさんの言葉が重なって。
 …………イズミさん、シーリーさんのこととかで思った以上のショックを受けてるんでしょうか?

 「う〜〜〜ん……ルリちゃん、艦内の監視カメラか何かに映像は残っていないの?」
 「ちょっと待ってください――――オモイカネ」
 そうして皆さんの憶測や何やらが飛び交う中、艦長に言われてデータを検索してみると…該当するデータは意外とあっさりと見つかりました。

 「艦長。監視カメラの一つに当てはまりそうなものがあったようです。スクリーンに投影しますか??」
 「お願い」
 その私の言葉に、問題が問題だけに真剣な口調で言ってくる艦長。いっぽうの提督はなにやらブリッジの上からぶつぶつと声が聞こえることから、まだなんだかお悩みになっているご様子です。
 そしてまもなくスクリーンにはその『問題』の光景が、遠めの視点から映し出されて。



 『―――白鳥さん、次はこっちです!!』
 そう言いながらカメラのほうへと駆けてくるのはミナトさん。それに続くようにしてメグミさんも厳しい表情でやってきます。……と、その次にやってきたのは、例の侵入者さん。そういえば『白鳥九十九』と名乗っていました。
 そして画面の中央付近でメグミさんがふとその足を止めて。
 『…メグちゃん?』
 『どうされましたか??』
 一緒に立ち止まって、そんな心配そうな声をかけるミナトさんと侵入者さん。メグミさんは息を切らせながら申し訳なさそうに口を開きます。
 『す、みま…せん。ちょっと、息きれちゃったみたい……で……』
 『ほらメグちゃん、もうすぐそこなんだから。それにもうあまり時間が―――』
 と、そう言いかけたミナトさんを遮ったのは、侵入者さんでした。

 『…いえ、少しここで休みましょう。格納庫に入ってからが勝負です、その前に準備は整えておいたほうがいい』
 そして腰に下げていた銃を手に取って、慎重にマガジンを抜き取る侵入者さん。続いて侵入者さんは片膝をつくと、そのマガジンから一発ずつ弾丸を抜いて、それを脚のところにあるポケットへと丁寧に仕舞っていきます。
 『白鳥、さん……?』
 そんな侵入者さんの行動に、首をかしげながら言うミナトさん。

 『念のために1発を残して弾は抜いておきました。この1発は最初に威嚇のために使います。それと……
 ……ハルカさん、すみませんが貴方の手を借りたいと思います。私が片腕を取って、ハルカさんを先導させるように歩きますから―――』
 そしてその侵入者さんの言葉の途中で、ミナトさんは何故かくすりと微笑って。
 『オーケイ、わかったわ。……こうでしょ?』
 ミナトさんは侵入者さんの前に立って背を向けると、肘を曲げながら右腕を背の後ろへとやってみせました。
 『はい…失礼します』
 それを受けてそのミナトさんの右腕、手首の下あたりをしっかりと掴む侵入者さん。続くように声を上げるメグミさん。
 『私はどうします……?』
 『レイナードさんはハルカさんのちょうど左隣、やや前気味の位置に立ってください。後は私に任せていただければ』
 『……はい』
 そしてもう一度だけ、真剣な表情で微笑むミナトさん。
 『じゃあそろそろ本番、これでしばらくナデシコともお別れ…か。白鳥さん……頑張って下さいね』
 『はい、貴方がたを無事にここへと送り返すまでは死ねませんから』


 ――――そうしてその奇妙な3人組はカメラの手前、格納庫の方向へと歩いていって。






 「…………なんなんだ、これは」
 ブリッジの上でそう、もう途惑いいっぱいな声を上げてきたのはゴートさんでした。
 なんだか途惑い以外の怒っているような良くわからない感情も混ざってたみたいですけど、言うまでもなくその声はブリッジにいるクルーみんなの声を代弁しているといっていいと思います。
 「なんだか僕、頭痛くなってきたよ……」
 続いてそう心労を重ねたような声で言ってくるのは副長のアオイさん。
 「ミナトさん……どうしちゃったのかな? もしかしてあれって――――恋?」
 なんだかいつも以上にぼおっとした声でそんなことを言ってくるのは艦長のユリカさん。……ここ最近はずうっと真面目だったと思ってたんですけれど。
 「…うわ。まさかだけどやっぱり愛の逃避行、だよね〜〜」
 「――――ええ、彼らを待ち受けるのは戦場に咲いた結ばれることのない恋。それは甘く切なく悲しい物語……」
 「って、リョーコ隊長ぉーーー!!やっぱり今日のイズミ、どこかヘンだよー!」
 「誰が隊長だ誰が…」
 「ふ、ふふふふふふ……私は悲しい疫病神。そう、見えるのよ私にはあの時のあの光景、死に分かたれたその二人が――――」
 「…………というかもしかしてイズミ、マジですか?」
 「さぁな。いつもこんなんだろ」
 「だってダジャレいわない……」
 「…ではここで一つ、神秘と霊の世界が語りかけてくる話を……『あのよ(あの世)ー』…――――――ふ、ふふふふふふ」
 「「……………………」」

 とまぁそんな感じで、パイロットのリョーコさんたちはいつのまにかいつもの調子に戻って。
 その中でもう呆れきったような表情をしているエリナさんが疲れた声で口を開いて。
 「――――はぁ……これより本艦はネルガル地下ドックに着艇します」
 「…しかしまったくあのお二人は……戻ってこられたら減給決定ですな」
 いつのまにやら重い雰囲気が疲れたそれに変わっていたこの空間の中、このどうしようもない雰囲気を締めるプロスさんのそんな呟きが、空しくナデシコのブリッジに響き渡っていきました。








 3.

 「……目が覚めたか、地球人」

 その襖をスッと音もなく開けて顔を見せてきたのは、一人の男。
 『記憶』の中で見た覚えのあるその白い制服に身を包んだ、短く刈り込んだ黒髪の青年。
 …多分私やユリカさんと同じくらいか、若しくはもっと下の年齢なんだろう。そしてどこか見覚えのあるような顔つきをしたその青年は、ほんの少しだけ刺々しい感じの雰囲気を纏いながら続けて言葉を放ってきた。
 「一応確認しておくが、自分の置かれている境遇はわかっているな?」
 「…ええ、捕虜なんでしょ?」
 布団の上で上半身を起こしたまま、彼の好奇心と警戒感が混ざり合ったような瞳を見据えて応えを返す。再び口を開く彼。
 「よし、ならいい。……では早速だが、これからこの艦の艦長がお前と話をしたいそうだ。一緒に来い」
 そして私は黙って布団から身体を乗り出し、『あの時』にカワサキ・シティから跳んだ時のままの私の服装―――仮装パーティの格好そのままの、スリットの 入った黒のドレス……とんがり帽子は流石にエステに乗る前に置いて来た―――についた微かな皺を伸ばしながら立ち上がる。
 その私の様子を黙って見ている彼。

 「…………?」
 「―――やけに、冷静だな。お前」
 と、私のその訝しげな視線を受けた彼は、さらに警戒感を顕にした様子でそう言ってきた。
 「じゃあ今更この場でみっともなく騒いでみせろって言うの? それこそ時間と労力の無駄じゃない。それにこの性格は昔からだから」
 そんな彼を見ながら肩を竦めてそう言ってみせる私。彼は尚も訝しげな顔と、そして意外そうな顔を見せると…すっと襖の横に身体をよせ、目で先に行くように促してくる。
 「どーも。……そういえば貴方のお名前、伺ってなかったわね。私はサレナ。サレナ・クロサキ」
 「――――高杉三郎太だ」
 そしてちょっとだけぶっきらぼうに、そう言い返してくる彼―――高杉。

 (―――――ああ、道理で見たことあるような顔をしていると思ったら、『彼』なのか)

 心の中でふとそんな事を思い、記憶の中にある彼とは少し違う…背もまだ少し低くて、なによりも少年のようなあどけなさの欠片がほんの少しだけ残っているその高杉の顔を見やると、私は大人しく部屋を出て。

 そしてゆっくりと、その暗めの色調で統一された艦内を歩いていく。
 ナデシコに比べれば、やや狭い印象を受けるその通路。その静けさに包まれた通路を高杉に連れられて歩いていると、ふと通路の曲がり角の向こうから一人の男がやってきた。
 「おや…? これはこれは、ようやくお目覚めになられたのですね。どうやらそのお顔の様子を拝見するにお体のほうは大事差し支えなかったようで安心致しました」
 その男―――綺麗に整えられた黒髪を後ろに流している、柔和でいてややキザったらしい微笑みを浮かべた男がそう私の顔を見て言ってくる。
 その言葉にどこかげんなりした様子で声を返す高杉。
 「アララギ少佐。会った途端にすぐそれですか、アンタは」
 「何を言う高杉君、いかに地球人といえど女性に対して最大限の敬意を表すのは当然のことだろうが。――――と、失礼しました。私、優人部隊少佐のアララギと申します。以後、お見知りおきを」
 そしてその高杉に地の声らしい、少し低めのどっしりしたような声を返すと、今度は一転して鼻にかかったような声でその男…アララギさんはそう挨拶をしてきた。そのなんとも言えないキザぷっり、アカツキとはまた違うその男の雰囲気に、私の口元に思わず小さな苦笑が浮かぶ。

 「ご丁寧にどうも。私はサレナ、サレナ・クロサキ――――」
 「こんな所でぼやぼやしてる暇はないんだ、行くぞ」
 と、突然私の腕を掴んで歩き出す高杉。何故かついてくるアララギさん。
 「なんだ高杉君。失礼じゃないかその態度は」
 「うるっせえすね、俺はこれから艦長のところへこの女を連れかなきゃならないんですよ。アンタの戯言に付き合ってる暇はないんだ」
 「戯言? それにその言葉遣い、まったくお前は何度言ってやったらわかる……木連男児たるもの、女性に対してとるべき態度というものはそうじゃないだろう。私ほどまでは君には無理だとしてもせめて白鳥少佐を見習え。彼はいたって品行方正だぞ?」
 「いいからついてくんな、この女性崇拝者!!」
 「それはできんな。君の不敬がありあまるので、私が付き添わねばならん。ついでだ、秋山中佐の話とやらにも列席させてもらおう」
 「…………ったく、このクソ少佐は人の船でやりたい放題―――」

 そして二人は歩きながら、私をよそにそんな口喧嘩を延々とはじめて。


 (…………よーするにこの二人、仲が良いわけ? 悪いわけ?? まぁアララギさんが高杉にお節介やいてるようにも見えるけど…)


 ようやく着いたその『貴賓室』とやら…非常に奥ゆかしい雰囲気の漂うニホンの茶室みたいなその部屋では、がっしりした体格、角張った顔の、高杉と似たような短い黒髪の男―――この艦の艦長とやらが正座して待っていた。

 「おお! アララギではないか。どうした、三郎太と一緒に」
 茶室に入る私たちを見て、開口一番にそう声を上げてくるその男の人。
 「いえなに、高杉君の振る舞いが目に余るものでこの女性にお付き添いしていたまでですよ秋山中佐」
 「艦長、ご命令どおり捕虜の地球人……と、その他一名余分なのを連れて参りました!」
 その男の人にほぼ二人同時に、それぞれそんな事を言う高杉とアララギさん。そして目の前で座している艦長らしき男の人は、そんな二人の言い合いに関しては特に構う様子を見せずに私のほうを不敵な視線で見やってきて。
 「うむ、そうか……さ、どうぞお座りなさい。お前達もな」
 言われるままに、その艦長の対面にしかれた座布団に座り込む私、艦長の左手に座る高杉とその逆、右側に腰を落とすアララギさん。
 そして私が一応正座らしき座り方をしたのを見て微かに感心したような表情を見せたその艦長は、続けてニマリと笑いながら言ってきた。
 「さて、申し遅れましたな。私はこの艦の艦長であり、木連軍突撃宇宙優人部隊の前線司令官である秋山源八郎と申す。して貴君の名は?」


 ――その時私の心にあったのは、木星蜥蜴の正体が人間だったっていう『私にとっては周知の事実』でもなく、目の前の秋山という人物がやはりどこか見覚えのあるような人物であったことへの驚きでもなく。
 …そう。私の心にあったのは…『記憶』の底から溢れ出て来て私の身体へと静かに染みとおっていっていた、あのユートピア・コロニーでの『アキト』が見た光景。その憎悪と絶望に満ちた呪詛。
 胸の奥でずっと鳴り響いているようなその小さな声。



 『――――全部……全部お前のせいだ、テンカワ・アキト!!お前のせいで、私は…『私達』は…!!!』



 その言葉が、形を変えて私の心へともう一度降りそそいでくる。
 思い出されるのは、私があのときに見たユートピア・コロニーの最後の映像と……もう見ることの出来ないだろうヒロィの微笑み。そして『記憶』の果てに幽かに見える…ヒロィによく似た男の冷たい微笑み。
 そう。あの遠い悪夢が、私の心を冷たく黒く染め上げようとする。それに必死に抵抗しつつも、その意識につられたようにしてどこかから別の憎悪の欠片が湧き出てくる。

 だから私は……私は思わず冷たい口調になって、そして。



 「…サレナ・クロサキ。貴方たちに殲滅させられた、火星のコロニーの生き残りです」


 ただそうとだけ、秋山さんの問いかけに私は答えていた。








 4.

 「う〜〜〜ん……やっぱり似てるよねぇ」
 「似てるよな」
 「―――でも彼のほうが凛々しかったわよ…」
 「あ、それは言えてるかもー!」
 「…………オイお前ら、なに人の横で好き勝手に顔をじろじろ見ながら話してんだ?」

 白一色に包まれたナデシコの医務室。その一角にあるベッドの上で、ガイは不機嫌そうにヒカルちゃんたちのほうを睨んでいた。
 …数台設置されているベッドはほぼ空っぽで、先程までいたらしいアカツキの姿も今はない。そして一番奥にあるそのベッドの上で一人、薄い水色の患者服に身を包んでいるガイが半身を起こして、食事用の補佐テーブルに両の腕を寄りかけている。

 ――――ガイが負傷したということを知ったのはナデシコに戻って、リョーコちゃん達の話を聞いてからだった。
 特に命に別状はなく、検査も含めて様子見で医務室に入っているのだと聞いたからホッとはしたけれど……やっぱりここ最近不安なことや不吉なことが立て続けに起こっていたせいもあって、俺はリョーコちゃん達と一緒にすぐにガイの見舞いに向かって。
 そしてガイはあからさまに機嫌が悪いというか……虫の居所がよくない状態だったようで。

 「しかし……クロサキが行方不明だとはなぁ。てっきり俺は、アキトと一緒だと思ってたんだけどよ」
 静かに目を伏せながら、そうポツリと言ってくるガイ。なんだか俺は自分が責められているような気になって、その言葉にドキリとしながら声を返す。
 「…サレナさん、俺の事を逃がしてくれたんだ。あの瞬間のことは殆ど覚えてないけど―――白い光の中でサレナさんの乗るエステの腕が俺を包むように伸びてきたことだけは覚えてる。
 そして気がついたら俺は、2週間前の月にいて―――」
 「…2週間前? どーいうことだよテンカワ」
 俺の言葉に怪訝な顔をして問いかけてくるリョーコちゃん。俺はただゆっくりと首を振る。
 「わからない。……俺にも詳しいことはわからないけれど、俺はこの2週間をもう一度繰り返してたんだ」
 「へぇ〜〜〜。『タイム・トラベル』ってわけ? アキト君すごーい!」
 そしてそう驚いた顔をして言ってきたヒカルちゃんに俺は思わず、少しだけ強い口調で言い返した。
 「凄くなんかないさ! 全然そんなんじゃなかった、俺はただ……この2週間をもう一度見てきただけで、結局何も変わりはしなくて…変えられなくて」
 「……アキト君」

 病室の雰囲気が重くなる。皆揃って同じような暗い顔をする。……皆揃って、色々な重い事実に心を揺さぶられている。
 行方の知れないサレナさんのことがある。シーリーさんのこともある。
 シーリーさんの行方については、エリナさんが俺の生還のことも絡めてぼかして話していたみたいだけれど……でも俺やイネスさんは彼女の生存が絶望的な事を知っていて。

 そしてついさっき明るみに出た――――木星蜥蜴の正体。

 それは俺にとってはもう予想もしていなかったといっていい真実で、皆にとってはどう戸惑っていいのかもわからない真実だったらしくて。
 その、『同じ人間』が俺達を……故郷の火星を滅ぼしたんだという、気持ち悪いほどの現実感を味あわせてくるその真実は、俺の心の中にはっきりとした憎悪の火種を植え付けていたんだ。

 ―――『異星人』だと思っていたから…どこか現実感の欠如したような、あいまいな憎しみで済んでいたのかもしれない。
 ただ親しい人たちを失った悲しみのほうがずっと先行していて、それに囚われているだけで済んでいたのかもしれない。

 でも、俺たちが戦っている相手が人間だったって言う事実は…理不尽に現実的すぎて、だからこそ、あいつらへのどうしようもない憎しみが、それと同時に途惑いが俺の心の中には湧いてきていて…………



 「……なぁ、アキト」

 そして俯いたまま、声を漏らすガイ。

 「―――こうしてこの医務室でふさぎこんでるとよ、あの時のクロサキの言葉を思い出さねぇか?」
 「え……??」
 「ヤマダ…?」
 そのガイの、静かな、落ち着いた声に…拍子の抜けたような返事を返す俺。訝しげに問いかけてくるリョーコちゃん。
 やがてガイはゆっくりと顔を上げて、困ったように微笑いながらその言葉を漏らした。

 「『現実っていうのは俺達が思っている以上に思いどおりにはいかないもんだ。でも、だからこそ俺達はそれに立ち向かっていかなくちゃならない』……か。ほんと、今の俺達にぴったりの言葉じゃねぇかよ」
 「ガイ…………」

 その清々しさを感じさせる笑顔を、何かに迷いながらもそれを吹っ切ろうとしているその笑顔を見せてくるガイ。
 ガイの言葉を受けて、みんなの顔には少しだけ明るさが戻りかけた気がする。やがてリョーコちゃんがなんだかおかしそうにその顔に笑みを浮かべて。
 「へっ、ヤマダもたまにはいい事言うじゃねぇか――――実際はサレナの受け売りだけどな」
 「俺はヒーローを目指す男だぜ? これしきのショックで打ちのめされてりゃあ、地球と愛する家族は守れないってもんよ」
 「んっふふ〜〜♪ 後は『愛する人』もでしょ??」
 「な?! いきなり何言ってんだよアマノ!!」
 「ん? ヤマダ、誰か好きな奴でもいんのか??」
 「…………リョーコ、あんた本当にこういうことには関心ないんだねぇ」
 「なんっかそうしみじみ言われるとムカつくな…!」
 「てか、ねぇねぇヤマダ君! この写真の女の人って誰? 誰?! あ、名前が後ろに書いてあるや―――えーと…『ナナコ』さ…」
 「ああーーーーーーーーーっ!! それは絶対見るんじゃねぇっ! おいコラ、アマノ!!」
 「こっちにいるのって、お前の兄貴か?」
 「―――成る程、この女性顔の作りがほんのちょっとだけ『彼女』に似てるわね……」
 「あ、かもー。でも性格は全然逆っぽそうだよ?」
 「彼女? だから誰なんだよ??」
 「お・ま・え・らああああああああああああああっ!!!!」


 やがていつものとおりに戻りつつも、そんな会話を繰り広げる皆。……ガイの好きな人って、やっぱりサレナさんのことなんだろうなぁって、ふと俺は少しだ け複雑な気持ちで、弟ってこんな気持ちなのかなと思いつつ―――ベッドの向こう、以前から興味のあったその『ガイの家族の写真』の話題で盛り上がる3人 を、一人離れた位置からただぼうっと眺めて。

 「――――ちょっと貴方たち、医務室ではもう少し静かに出来ないのかしら?」
 「あ、イネスさん」
 そして突然現れたのは、その右腕に可愛らしいクマのぬいぐるみを抱えたイネスさん。
 そのイネスさんは何故かクマを胸元に寄せながら、据わった目つきで俺たちのほうを見渡してくる。――――それは何故かとっても、不思議な威圧感があるというかなんというか……
 「……えっと、ドクター? そのクマはなんなんだ??」
 「説明しましょうか? かなり長くなるけれど」
 「…………やっぱいい」
 あえなく返り討ちに遭うリョーコちゃん。無言になる皆。
 続いてイネスさんは俺のほうを向いて、少しだけその瞳の色を深く沈ませながら言ってきた。

 「アキト君、ちょっと…いいかしら?」








 5.

 私のその一言で、目の前に座る3人は、秋山さんたちは無言になった。
 …ただ、そうはいってもその表情は三者三様に違う。一番わかりやすいのは、その顔に厳しい表情を浮かべ、眉間に皺を寄せている高杉。いっぽうアララギさんは絶えず浮かべていた小さな笑みを消し去り、いたって無表情となっている。
 そして私の正面に座る秋山さんはゆっくりと目を閉じ、何かを考え込んでいるような素振りを見せていた。

 「そう、ですか……」
 ほんの僅かだった沈黙の後、そうとだけ言って来る秋山さん。隣に座る高杉の表情がさらに少し険しくなる。
 「我々も虫型兵器を使った火星攻略の際には、民間人の死傷者が出たことは承知しております。かの件については、まことに遺憾でありました」
 「―――そう言ってくださると、少しは報われます」
 そして続く彼の言葉に、そうとだけ上辺の感謝の意を返す私。
 …正直に言えば、最初はこの人達に恨みつらみのような事を言うつもりはなかったはずだった。でもそれでも、その事実だけは告げておきたいという思いが私の中にあったんだろう。例えあの黒い悪夢に引き摺られていたのだとしても、或いはそうでなかったとしても。

 ――――…そんな当たり前にも思える恨みつらみをも、言おうとは思わない人間。
 やはり私は冷めている人間、冷たい人間なのか――――ヒロィに言わせるところの、『冷酷さ』というものとは違う……その透きとおった哀しい空のような色をした心というものを持つ私は。
 そんな私がこのようなことを口走ったのは……結局は未だに心のどこかにいるらしい、彼のことがあったからなのだろう。
 自分はいったい、冷めている人間なのかそうではないのか―――弱い人間なのかそれとも――――


 そう、ふとそんなどうしようもない事を思いかけ、私はそっと苦笑する。

 「……?」
 「――すみません。本当はこの場でいきなりこういう事を言うべきではないということは、わかっていたつもりだったのですが。でも、ただその事実をもう一度貴方がたに知っておいて欲しいと……そう思ったんです」
 そして今度はそう言って秋山さんに、それが仮面めいたものだとはわかっていてもその私自身の微笑みを投げかける。少しだけ寂しそうな笑みを浮かべる秋山さんとアララギさん。一人不機嫌そうな顔を浮かべる高杉。

 …それからは場の雰囲気もやや持ち直し、不思議な和やかさと緊迫感の中で話は進んでいった。
 もっとも高杉だけは終始不機嫌な状態だったけれど、その中で秋山さんは遠まわしに、時にははっきりと、こっちの―――ナデシコや地球の様子、現状などを私の口から伺おうとしてくる。
 その数々の質問に、目の前にいるこの人物の知略と不敵さから考えれば悪あがきは無駄だろうと思いつつ、適当ながら素直に答えていく私。
 そんな時間がすぎていく中、不意にこの茶室に一人の人物が訪れてきた。

 「秋山、今帰還したぞ」
 そう、私の後手から声をかけてきた人物。そのどこか不機嫌そうな声の男に秋山さんは苦笑めいた表情を浮かべながら言葉を返す。
 「ふむ……その顔を見ればおのずと想像がつくが、どうだった?」
 「どうもこうもない。よりによって敵の中型機動兵器如きに邪魔をされてな、仕方なしに撤退してきたところだよ。―――――で」

 ここでその後ろの人物は、ふと言葉を区切って。

 「……ようやくお目覚めになったわけか。地球人の女よ」
 「―――――……?!!」



 ―――そしてその言葉に振り向いた私が見た人物、それは。


 「まぁ、座れ月臣。今ちょうど彼女―――クロサキ殿といろいろと話をしていた所なのだ」
 「話、か。それなら俺も山ほど聞きたい気分だぞ? 何せこいつともう一人の地球人のせいで俺は月に跳躍させられたのだからな」

 …その流れるような、黒い長髪。記憶とはだいぶ違う、覇気というか自信のようなものに満ち溢れている、憂いのないその表情。
 でも、それでも間違いなく彼は私の『記憶』にあるとおりの――――


 「―――そう、奇遇ね。貴方がカワサキ・シティであの機体に乗っていた人だというのなら、私も貴方とは是非お話したいものだわ」


 そして気がつけば、私の口元は知らぬうちに鋭く怜悧に歪んでいた。





 「…………なんだか、微妙に因縁っぽいものが見えますね、秋山中佐」
 「らしい、な。さてどうしたものか……」






 6.

 イネスさんにつれてこられた部屋は、ナデシコ・クルーにとってはまぁある程度なじみのある診察室の……その奥にある、イネスさん専用の人知れぬ休憩室。
 その少し小さめの間取りの、小さなテーブルを挟んでやはり小さめのソファが2つ置いてある―――どこかイネスさんの持つイメージとはちぐはぐな感じの部屋だった。
 「あ、そっちの手前のソファに腰掛けてちょっと待っててね」
 右手に抱えていたそのクマのぬいぐるみを奥のソファの上にポンとおくと、そう言い残して部屋を出て行くイネスさん。何で俺がイネスさんに呼ばれたのかわ からないまま、シンプルな部屋に置いてある幾つかの小物に目をやりながら待っていると、やがてイネスさんは両手に湯気の上がるコップを持って戻ってくる。
 「……で、イネスさん。『話』ってなんですか?」
 その暖かいコーヒーを頂いて、一口それを口にしてからそう訊ねる俺。ソファに深く腰を下ろし、手にしたコップを口につけて、そしてどこか優しそうなため息をつくイネスさん。
 「聞いたわよ、アキト君。貴方2週間前の月へとボソン・ジャンプしていたそうじゃない。私が訊きたいのはそのことなの」

 その言葉を受けて…コトリと、俺はコップをテーブルの上に置いた。

 「―――正直に言えば、詳しいことはあまり話したくありません」
 まだ俺の胸に燻っている、どうしようもない怒りと敗北感を確かに感じながら、気持ちを押し殺して低い声でそうとだけ言う。イネスさんはそんな俺に、寂しげな笑みを浮かべてきて。
 「そう……ならそれでもいいわ。話せることだけ、貴方が話したいと思うことだけを、聞かせてくれないかしら?」
 「――――」
 俺は少しの間押し黙る。
 目の前に座るイネスさんの表情を見れば、それは彼女がいつもなら持ち合わせているだろう『科学者としての好奇心』というものから来る発言じゃないんだろうというのは……なんとなく、俺にもわかった。彼女の瞳の色が、その表情が、いつもとはどこか違って見えていたから。
 …でも、ならなんでそんなことをイネスさんは訊くんだろう。いったいイネスさんは何を知りたいのか?
 そんな疑問を思いつつ、ふと俺の心の中のどこかにあった、『どうしても誰かに聞いて欲しい』という欲求は無意識のうちに激しく暴れだす。思いのたけを全部話してしまって、少しだけでも楽になってしまいたいという思いが強くなっていく。

 そして暫くもたたないうちに、俺はゆっくりと少しずつ……イネスさんに事の顛末を話していた。


 ―――気がつけば2週間前の月にいたこと。そこで俺の事を『お兄さんみたい』と慕ってくれた久美ちゃんや、親身になって面倒を見てくれたおじさん達に出会ったこと。
 そしてなによりその2週間、シーリーさんを助けたくて何度も何度もネルガルの支社に足を運んで……それでも結局何も変えられなかったこと。

 ……そうして気がついてみれば、俺は心の中に溜まっていた気持ちをあらかた打ち明けてしまっていて、なんだか気が抜けたような小さなため息とともにコーヒーを一飲みすると…今度はイネスさんがゆっくりと口を開いてきた。
 「そっか…………アキト君は『変えられない運命』っていうのに直面してきたのね」
 「ええ…それが本当に変えられないものなのかはわからないですけれど、でも俺の場合は無理だったんです」

 と、ふとイネスさんは寂しげに微笑んだ。

 「私もね……ずっと前に何度か考えたことはあるのよ。『もし私の記憶が失われてなかったら』って」
 「…イネス、さん?」
 俺のその問いかけに、すっと目を閉じて彼女は答える。
 「だってそれを考えたことがなかったなんて言ったら、それは嘘になるでしょう? どうしたって考えずにはいられないもの。――――それでね、私は…子供の頃の私はいつもこう考えてたのよ。
 『……私の傍には大好きなお母さんがいて、いつも一緒で仲良しで。一緒にお母さんと出かけていくのが私はとっても嬉しいの。そしてなにより、私の近くには――――私の大好きな大好きな『お兄ちゃん』がいて……』」
 そしてそこまでを言ったイネスさんは、途端に言葉を止めて、とてもおかしそうに笑った。
 彼女はその困ったような笑顔のまま、そばに置いていた小さなクマのぬいぐるみを抱えあげて……それをそっと彼女の膝の上に乗せる。
 「あの頃は本当に無邪気だったわ。これもね、その頃からの悪い癖なのよ。――――ホントにすごくたまになんだけれど、心がどうしても落ち着かなくなったり、言い様のない不安みたいのに囚われることがあって。
 ……そういうときには昔から、クマのぬいぐるみを側に置いておくとなんだか安心できたのよね」

 もう一度、おかしそうに…困ったように笑うイネスさん。ポツリと、小さな一言を漏らしてくる。
 「……なんでかしら、ね。今までこの癖の事は、義理の両親以外にはほとんど話したこともなかったのに」
 「――――その話を、俺に?」
 その身体をソファの背もたれに預けたまま、膝の上のクマのぬいぐるみに目をやりながらイネスさんは口を開いて。
 「カワサキ・シティでのあの時にね、なんだかどうしようもなく哀しくなってきたのよ。哀しいんだけれど、でもどこか懐かしいような…………あの、アキト君がボソン・ジャンプする瞬間に、何でだか私にはわからないけれど――――」


 …不意に、イネスさんは身を乗り出してくる。
 前かがみになってイネスさんの話を訊いていた俺に、なぜかその憂いを帯びたような顔を近づけてくる。何かかけがえのないものを見るように。

 「…………?」
 「―――ホント、なんでかしらね。こうしてアキト君の顔を見ていると…何故か懐かしいような気がしてきて――――――」





 『おーいアキト! ちょっといいか?』
 「どわ?!!!」
 不意に俺に入ってくる、整備のタニマチさんからの通信。
 顔の横手に突然現れてきたそのウィンドウに度肝を抜かされて、俺の腰は思わずソファから浮いていた。
 「な、なんですかタニマチさん?!」
 そしてタニマチさんはこっちの室内の様子を見て困ったような顔を浮かべて。
 『あー…ドクターのところで相談事だったのか? んなら後に……』
 「もう構わないわよ。大体の話は終わったから」
 『そうか?』
 そう素っ気なく言ってくるイネスさん。気がつけばイネスさんのその表情はいつもの澄ましたようなものに戻っている。
 「……で、なんなんですか??」
 なんだか急に緊迫していたような不思議な空気が四散して、どっと疲れが出てくる俺。でもタニマチさんはそんな俺に構うこともなく、いつもの調子で怒鳴ってきた。

 『おうアキト。今からお前等パイロットのアサルト・ピットを月面フレーム用に再調整するから、すぐに格納庫に来ぉい! 言っとくが遅刻は許さんぞ!!』









 7.

 ……そして宛がわれたその部屋の中、二人きりの状況で。
 私と月臣はただ静かに睨みあっていた。


 「――――他の連中には聞かれたくない話だと? いったいどういうつもりだ、クロサキとやら」
 はっきりと怪訝な表情を浮かべながら、それでもまだ普段の調子な様子で訊ねてくる月臣。その彼に私は、怒りも哀しみも何もかも押し殺した表情で言い返す。
 「…私の安全のため、それに一応貴方のためにも、聞かれたらまずいのよ」
 「ふん……陳腐なこけおどしか。いいだろう、言ってみろ」
 そして腕を組みながら、月臣は自信にあふれるその笑みを見せてくる。

 ごちゃまぜになった、感情。……私はそんな月臣のそばへそっと足を進める。
 そして―――ふと一瞬だけ戸惑うような様子を見せ、それをなんとかして押しとどめた彼の頬に左手の指を突き立てながら。
 彼の耳元で、そっとその『呪いの言葉』を解き放つ。


 「――――あの赤い左眼の男は……『北辰』はどこにいるのか、教えて」
 「?!!!」



 勢いよく彼が私の左手を撥ね退けた。
 彼がこの『今』で初めて見せるその険しい顔。瞬時に月臣は私の右腕をとり、刹那の間を以って私の身体を床へと組み伏せていた。
 「……っ!!」
 ぎりぎりと締め付けてくる彼のその力に、思わず声を漏らす私。しかし彼はその力を緩めることなく、震えるような声で言い放ってくる。
 「どういう…ことだ? 何故地球人の貴様が、し――――『あの男』の事を知っている?!……答えろ!!」
 「――――さあ、ね……知ってるものは知っているんだからしょうがないでしょ………っああっ?!!」

 …さらに、強くなる力。
 そして月臣は私の耳元に口を寄せ、先程までの彼とは違う冷たさを感じさせる声を出す。
 「…ふざけるなよ、貴様。あの男の存在は、この俺のほかには限られたものしか知らんのだ。それを秋山にもアララギにも聞かずに…この俺だけに確信をもって聞いてきただと?!」
 「――――会った事が、あるから……」
 右腕に走る激痛に耐えながら、予想していなかったわけじゃないこの状況の中そうふてぶてしく答える私。一言の下に否定する彼。
 「嘘、だな。…………あの頃ならばともかく―――今のあの男が獲物を逃がすはずがない」
 「…………」


 ――――どこまで、言うべきか? 彼にどうやって伝えたらいい??

 その激痛の中で私は、必死にそのことだけに考えを巡らせた。…これから先、何もしなければまず戦場の表舞台に出てくることはないのだろう『あの男』を引 きずり出すためには、あの男との面識が唯一『アキトの記憶』の中で確認されている彼―――月臣を利用するしかないと思っていた。それが危険な賭けでも。
 でも、流石に今のこの予想外すぎる状況は―――――

 と、その時。

 「月臣少佐ぁ? 艦長から言伝……って、何やってるんですか?!!」
 「高杉――――」
 突然部屋に現れた高杉の、その驚いた声で思いもかけず私は救われる。目の前に慌てた様子の高杉が駆けてくるなか、月臣はしぶしぶといった様子で私の身体を拘束していたその腕を放す。
 「……おい、大丈夫か?」
 その危機的な状況から抜け出せたせいか、思わず放心しかけて身体を床に這わせた私に高杉が声をかけてきて。
 「――――なんとか」
 肺に詰まった息を吐き出していきながら、そうとだけやっとの思いで答える私。そして彼は私の身体を抱え、ゆっくりと起こして壁へと持たれかけさせてくれた。
 「…………」
 「なんだよ、仕方ないだろ?」
 すると、多分余程きょとんとした顔をしていたんだろう…ちょっとだけ困ったような顔をしながら高杉はそう言ってきた。そんな彼の顔を見返しながら、私は声を返して。
 「いやさ、まさか手を貸してくれるとは思わなかったから……ずっと不機嫌な顔してたじゃない」
 「うるせえ。それとこれとは別だ」
 「…ありがと、高杉――君」
 「しかも『君』呼ばわりかよお前……」
 「………ちっ」
 「って、あー?! 月臣少佐?!!」

 そんななか一人部屋の隅に立っていた月臣は、何を思ってか猛然と部屋の外へと去っていく。
 そしてすっくと立ち上がり、口を開く高杉。
 「……さて、秋山艦長がも一度お呼びだぞ。もう一組捕虜がつかまったそうでな、悪いがお前もそちらに護送することになった」
 「え? もう一組……??」
 「そう、だ。またもや向こうも女でしかも今度は二人組…………まったく、地球の軍人ってのはどうなってるんだか」









 ―――――いっぽう、その秋山さんのいるブリッジでは。



 8.

 「秋山ああああああああああああああああああああっ!!!!」
 「つ、月臣少佐?!」

 あまり広いとは言い難いかもしれないその艦橋に憤怒の声とともに飛び込んでいた俺を見て、部下の川口が驚いたような声を返してくる。アララギは姿が見えないところをみると自分の艦に帰ったか。
 そして他の通信士や操舵士なども同じような顔をして振り向いてくるなか、しかし当の秋山といえば、
 「なんだ月臣、騒々しい」
 このとおり眉根を少し上げて振り向いてくるだけである。まぁこの冷静沈着さがあってこそ前線の指揮を閣下から任せられているのだが。
 ―――――って、今はそんなことを考えている場合ではない!!

 「あの捕虜、これからどうするつもりだ?!」
 声を張り上げてそう尋ねる俺に、秋山は首をかしげると一言訊いてくる。
 「三郎太に訊かなかったか? これから白鳥の艦に護送して、その後地球側に送り返す」
 そしてそれを聞いて激昂する俺。
 「なんだと?! わざわざそんな事をする必要などないだろう!」
 だが、秋山はそんな俺を見て不敵に笑うと言ってくる。
 「…まぁ待て月臣。いくらクロサキ殿が地球人とはいえ、ここで捕虜を処刑、若しくは長期にわたって拘留したとなると我々にとって良くない材料になるだろう?
 すでにあらかたの尋問は終了した、ならば後はこちら側の最低限の情報を持って帰ってもらうのが得策というわけだ。……そもそも地球人は我々の正体について殆ど知らされてなかったらしいからな」
 そしてその秋山の物言いに声をのむ俺。

 ……確かに、秋山の言うことは一理あるだろう。あの女がどの程度の階級の軍人かは知らないが、奴や新しい捕虜を送り返して我々の情報を伝えれば、地球の奴らに真実を知らしめることもできる。
 しかしあの女だけは別だ。
 よりにもよって、あの男―――『北辰』のことを知っているということは、大きな問題に繋がりかねない。
 草壁閣下直属の部隊でもあり、現在の木連の暗部、その最たるところに位置している集団の頭領である『あの男』の存在は……それ自体が閣下とそのまわりの極少数のものしか知りえない、目の前にいる秋山や俺の親友の九十九でさえも知らないものなのだ。
 だが何故かあの女はその存在を……少なくとも『北辰』の事を知っている。偶然から出た単語とは思えない。しかし――――


 ……結局俺の中での結論は出ることなく、秋山の命令どおりに俺があの女を連れて九十九の艦…『ゆめみづき』へと向かうことになった。






 9.

 「……ほー、あれがナデシコ四番艦・『シャクヤク』ですか」

 ネルガル所有の地下ドックに鎮座するナデシコのすぐ隣、最終パーツの接合作業に入ったシャクヤクのその白い姿……ナデシコによく似たフォルムのその姿を眺めながら…ナデシコの一角にあるこの部屋でそんな声を漏らしてくるミスター。

 薄暗い会議室には私とミスター、それにゴート・ホーリーの他にはネルガル月面支社から来た人間が数人。ちょうどこれからのナデシコとネルガルの方針について打ち合わせを行うところで。
 そして両の腕を後ろに組み、私たちに背を向けながらシャクヤクを眺めるミスター……ナデシコにおける統括責任者の地位にある彼を見やり言葉を投げかける私。
 「…ごらんの通りシャクヤクの最終バーツ・『Yユニット』の接合は今日中に完了するわ。後は最終的な点検が済み次第、選抜クルーで極秘に…連合宇宙軍に先行してシャクヤクを旗艦とした艦隊を火星まで飛ばす。そしてその際にナデシコは陽動の役目をかってもらう予定よ」
 「できるのですか? 現時点での我々に火星の奪還が」
 ミスターは私のその言葉に、予想通り疑問を返してきた。何の問題もなくそれに私は答える。
 「目的はあくまで、各所にある研究所と…なにより『遺跡』の奪還。それだけならばこのシャクヤクとナデシコ二番艦『コスモス』、それに現在就航中の三番艦ならば可能でしょう? その後連合の主力艦隊が残る地上を制圧できれば問題はない」
 「――――成る程…戦線がようやく盛り返してきたこの機を見計らって、ネルガルは本来の目的に戻るというわけですな」
 「ええ。それが会長の意向というわけ」
 「…………ふむ」

 …と、ゆっくりと半身をこちらへと向けてきたミスターは、その眼鏡を指で抑えながら小さく呟いて。

 「しかし、まぁ…………『蜥蜴変じて人』です、か。確かに異星人よりは現実味がありますが、いやはやなんとも――――知らなかった人にはショックですなぁ…知っていた方々とは違いまして」
 「―――なんなの、それは。あてつけのつもり?? 今はそんな事を言っているような時じゃないでしょ!」
 私のその反論に、チラリと視線をよこしてくるミスター。
 「…ですがナデシコの統括責任者としては無視できる事柄ではありませんな。いくら普段の彼らがスチャラカとはいえ、今回の出来事はいささかショックが大きすぎる。あまり私が会長やその秘書である貴方に口出しをすることはできませんが……この件、まだ何か裏が――――」


 そしてその時。この部屋にあるただ一つの入り口を誰かが思いっきり叩く音が聞こえてきた。


 ――――ドン、ドン!!

 「……ちょっと〜〜! アンタら聞こえてんでしょ!! いいから開けなさいよっ!!」
 「提督、流石に酔っ払いすぎですよっ! ほら、落ち着いて!」

 「…………提督?」
 その酔っ払ったような、ドアの向こうから聞こえてくる声を聞いて声を漏らすゴート・ホーリー。続いて彼は私のほうへと視線をやってくる。
 「…はぁ、開けてちょうだい。後々煩そうだしね」
 やがて開くドア。なだれ込んでくる提督と、困ったような顔をしてその提督に肩を貸すホウメイさん。
 「ちょっとウォンさん、なんとかしてくださいよ。食堂で飲んでたと思ったらいきなり騒ぎ出して、アンタに会わせろってもう煩くって…」
 彼女はそう困りきった表情で言ってくる。一方の提督はその赤くなった顔をこっちへと向けてきて。
 「ねぇ〜〜え? 今度はどんな悪巧みしてんのかしら?? まぁ〜〜だ色々隠し事してんのかしら?? できるもんなら私にも聞かせて欲しいものだわねぇ〜〜〜っ!!!」

 そう言って下卑た笑い声を響かせてくる提督。そんな目の前の男を目にして、私のこめかみに思わず血が溜まっていくのがわかる。

 (こ、この男は…………)

 そして。



 ――――――――ぷちん。



 「………いいでしょう、提督」
 「へ?」

 ずずいっと一歩、前に踏み出す私。
 私のその言葉が以外だったのか、そう間の抜けた顔をして言ってくる提督。
 ―――軍からの監視役であるこの男もそろそろ邪魔になってきたし。だったらこの辺で彼には『だんまり』してもらおうじゃない…

 そう心の中で一人思った私はしゃがみこむ彼の目の前に立つと腰に手をあてながら、憤怒を僅かばかり込めた声できっぱりと告げてやる。


 「ちゃあんと教えて差し上げますよ。わ・る・だ・く・み!」








 10.

 白鳥さんに連れてこられたその『ゆめみづき』という戦艦の中で、私とミナトさんは思いもしなかったような手厚い歓迎を受けていました。
 『艦長を救って下さった命の恩人』という触れ込みで、白鳥さんに案内されて戦艦のなかを歩き回る中会う人会う人が皆敬礼を送ってきて、出された料理もとても美味しくって、なにより白鳥さんの物腰はやはりとても丁寧で。

 ……そんななかで私達は白鳥さんから、今の木連―――白鳥さんの国のことなんかも少しずつ聞いていました。
 白鳥さん達の国は木星とその周辺の衛星群に点在するコロニーの集まりであること、白鳥さん達は遺伝子の実験を積み重ねた結果を適用してチューリップを通るようになれたエリートの軍人であること、それまではずっと仕方なく無人兵器を使って戦争を進めていたこと――――


 「……メグちゃん? どうしたの??」
 そんな話をずっと聞かされて、ショックのせいで気分が悪くなってきた私に白鳥さんは驚いたように声をかけてきて。
 「…大丈夫ですか? すぐに衛生兵に―――」
 「いえ、そうじゃなくて……本当に同じ、人間だったんだ…って」
 俯いたまま、そうポツリと漏らす私。
 私の心の中に、今までに体験してきた辛い戦場の出来事が次々と浮かんできて。でもそれは、こんなに優しい人たちがやってきたことで。

 「どうして、この戦争を始めたんですか……?」

 …だから私は白鳥さんの顔を見上げて、そう彼に問いかけました。
 その言葉を受けて、戸惑ったような辛いような表情を見せた白鳥さんに、続けて言葉を投げかけていきました。
 「どうして……貴方たちはこんなにも優しく出来るのに、あんな…酷い――――――」



 「―――酷いだと?! それはおまえ達地球人のほうだろうがっ!!!」
 「…?!」

 そして突然聞こえてきた、その大きな怒鳴り声。


 「――元一朗…!」
 「って、……サレナぁ?!!」
 続けて部屋に響いてくる白鳥さんとミナトさんのその声に私がその方向を向くと、そこには白鳥さんと同じ白い制服に身を包んだ長髪の男の人と――――そして行方不明だったサレナさんが並んで立っていて。
 何故か不機嫌極まりない顔をしたその長髪の男の人と、厳しい顔をして押し黙っているサレナさんは、ゆっくりとこの部屋の入り口から私たちのほうへと足を運んでくる。安心した顔を見せてサレナさんに声をかけるミナトさん。
 「無事だったのね? あれからどうしたの?? やっぱり、捕まってた?」
 「……ミナトさん、まぁ詳しいことは後で」
 ほんの僅かだけ微笑みかけるサレナさん。そのサレナさんを見て白鳥さんが長髪の男の人――『元一朗』という名前のその人に訊いてきます。
 「この人が、お前と一緒に跳躍して捕虜になったという人か?」
 「……ああ」
 そしてその男の人は、苦虫を噛み潰したような、そしてやはり険悪な顔をしてそう答えて。

 「――――それよりも、あの…どういうことですか? 『酷いのはおまえ達のほうだ』って……火星に最初にチューリップを落としたのは貴方たちじゃないですか!」
 「…ちゅーりっぷ? なんだ、それは」
 「次元跳躍門のことだよ」
 その改めての私の問いかけに、怪訝な顔をしてくるその男の人と、そう付け足してくる白鳥さん。そして彼は私のほうを向き直ると……僅かにその頭を俯かせ、静かにその言葉を紡ぎ始めました。

 「…レイナードさん、それにハルカさんにそちらの方も、どうか聴いてください。
 我々が火星に攻撃を仕掛けた訳―――――そして、この戦争が始まるきっかけとなった…100年前のある事件の事を―――」















 11−0. 〜Monologue. by Sarena〜


 ――――そうして今まで眠っていた真実の一端は、呆気ないほどに唐突に私たちの前に転がってくる。


 その真実はナデシコに…ナデシコに乗るほぼ全ての人たちに思いもしなかった『現実』を叩きつけようとしていて。
 その真実はまたこの私に、心の果てに眠る、遠くて近い彼の記憶へと続く…長い長い掛け橋を渡そうとしていて。

 …二つの口から語られる、それぞれの立場にたった『真実』の一端。


 その、今となっては霞んだ靄の向こうにしか見ることのできないその話を――――――私達は始めようとしているのだ。










 11.二つきりの真実(1) 〜 ブリッジにて

 艦長と私の二人だけだった、その程よく静かなブリッジに突然プロスさんがやってきて。そしてなにやらご自身の端末を使って不穏な何かを始めました。
 「……?」
 「―――あちゃあ…」
 ブリッジの上部で静かにその何かを淡々と行い、不意に小さくため息を漏らすプロスさん。
 ちょっとだけそのプロスさんのやってることが気になって、私は席を立つとプロスさんの席へと足を運びます。
 「…プロスさん、なにやってるんです?」
 そして私のほうをみて困ったように笑いかけてくるプロスさん。
 「おお、ルリさん。いや実はちょっと艦内で起きてる『いけない密談』を調べようと思いましてねぇ……ナデシコを管理する私としては隠し事は少ないほうが好ましいと思っているのですよ。
 ですがどうもプライベート・ブロックの解除が私には手難しくて……」
 「……なんなら、私がやりましょうか?」
 その『いけない密談』というのに興味がわいた私は、まぁナデシコのなかで数少ない大人な人のプロスさんがやろうとしていることですし―――そう訊いてみます。
 するとプロスさんはちょっとだけ意地悪そうに、そして嬉しそうに『にやっ』と笑って。
 「ほほう、ではお願いできますかな?――――やはり大人になるためには、ちょっとはイケナイことにも手を出してみませんとね」


 そして私はプロスさんと一緒に私の席に移動し、オモイカネにコンタクトしてその問題のブロック……ムネタケ提督の部屋のガードをこっそり解除しました。
 「……はい、これでオーケイです」
 「いやはや、さすがルリさん。仕事が早いですなぁ」
 「―――――って、ルリちゃん? なにやってるの…??」
 と、キャプテンシートで一人もの思いに耽っていた艦長のユリカさんも私たちのやっていることが気になったのか顔を出してきます。
 「艦長も、見ます?」
 そう聞いてみる私。その口元のお髭をいじるプロスさんが私にそっとあることを耳打ちして。

 そして、私達3人の前にはその一室でなにかの話をしているエリナさんと提督……そして何故かその二人と一緒にいる、アカツキさんの姿が映し出されて。




 『―――ようするに……あんた達ネルガルは最初っから知ってたのね? 木星蜥蜴の正体を!』
 『ま、そういうことになりますね。正確には―――…地球連合の上層部にいる一部の人間と、そして彼らと関わりのあるものだけですけれど』
 『で、その正体って何なのよ?!!』

 聞こえてくる、その3人の会話。
 それをこっそりと見守る私達が見つめるなか、提督の睨むような視線を受けたエリナさんはそっと静かに――――怖いくらいに綺麗な微笑みを浮かべながら言ってきました。



 『木星蜥蜴と私たちが呼んでいる彼らの正体、それは100年前に地球連合を…月を追放された―――――地球人よ』






 11.二つきりの真実(2) 〜 はじまり

 「……我々の歴史を遡っていくと、100年前に起こったという月の自治区での独立運動に辿り着きます。当時開発が終わったばかりの月のコロニー群は、地 球連合の統括的な管理の下に成り立っていた特別区域、全ての決定権は地球側にある……新天地とは名ばかりの植民地でした」

 目の前に立つ男―――白鳥さんが、そう俯きながら言ってくる。
 同じように薄く目を閉じ、彼の言葉を受けて話を続ける月臣。

 「我々の祖先は、始めのうちはその苦境に耐え、新天地を切り開こうとしていた。だが月のコロニーが発展するにつれ、その経済を握ろうとする狡猾な地球の国家たちの暴虐に遂に耐えかねて、祖先たちは地球連合に月の独立国家としての道を認めるように求めていったのだ」




 11.二つきりの真実(3)

 ――――ナデシコの食堂に不意に流されてきた、その不思議な映像。その映像を私達ウェイトレスとシェフは見ていた。
 エリナさんとアカツキ君が語る、私たちに知らされることのなかった過去を告げるその映像を。


 『…当時そうして独立を求めてきた月の自治区の住民たちに、地球連合の各国は当初こそは穏便な態度を取って妥協策を探ろうとした。ま、月に眠る資源やそ の環境下で生産される工業品の利権は手放し難いものだったし……それになにより、月の開発には各国とも莫大な費用をつぎ込んでいたから、おいそれと独立さ せるわけには行きませんでしたから』
 『―――でも、月の住民たち……特にその中の一部にいた強硬派は頑として独立の主張を変えなかったのよ』




 11.二つきりの真実(4)

 「我々の祖先は断固として地球連合に抗議した。我々の築き上げてきた新天地を守るために。だがそんな我々の主張に対し次第に剛を煮やしてきた地球連合の連中はよりにもよって……我々に対して卑劣な内部工作を行い、内乱へと発展させていったのだ!」

 そして月臣は、その拳を強く握り締めて。




 11.二つきりの真実(5)

 『月の内乱に地球連合が干渉した事実はない筈よ?!』

 ウィンドウの向こうでそう、非難の声を上げるムネタケ提督。
 そしてそんな提督に困ったような笑みを返すアカツキを、俺たち整備班のクルー達は見ていた。

 『確かに、後の連合はそう発表していますけれどね、でもそれは真実ではないんです』
 『実際には連合は月の内乱に対して密かに内部工作を行い、穏健派への援助を続けていたの。その結果、勢力として強硬派を圧倒することになった穏健派は彼らを追放。そうして最初の地球と月との小競り合いは幕を閉じていった…』

 『……ところがこの事態は終わっていなかった。彼らは―――強硬派はまだ健在だったんですよ』




 11.二つきりの真実(6)

 「我々の祖先を月から追放し、まんまと月を騙し取った地球人達! そして我々は再起を図るべく、当時開発が進んでいた火星へと逃げのびていった。
 だが………よりにもよって、奴らは火星に――――核を打ち込みやがった!!!」

 そしてその拳を握り締めたまま、声を震わせながら語る月臣。彼の瞳から、細い涙がすっと落ちていく。
 ゆっくりと、哀しさに溢れた声で続ける白鳥さん。

 「そうして我々は、火星をも後にせざるを得ませんでした。……残されていたのは木星と、その周りにある衛星群。そこで我々の祖先は――――『あれ』を発見したのです」
 「……『あれ』?」





 11.二つきりの真実(7)

 『プラント…??』

 ベッドの上で半身を起こす俺がウィンドウの映像を凝視する中、そう呟いてくる提督。
 『やっぱり看病の基本ですよね』とか言いながら傍でリンゴの皮をむいていたミカコもその手を止め、不安いっぱいな表情でその3人を見つめている。

 『そう。言ってみればさしずめ、相転移エンジンや無人兵器、それにチューリップなんかの自動生産工場ですよ。他にもまぁ色々とね。
 …そしていつ頃からあったのかもわからない、その古代からの贈り物を利用することによって彼らは生き延び、100年間をかけてかの地に独自の国家を作り上げていったのさ』




 11.二つきりの真実(8) 〜 そして

 「……じゃあ、どうして貴方たちは火星に侵攻したりしたんですか?」

 目の前に立つ二人から聞かされた、私達の知ることのなかった―――私も『記憶』の中にはっきりと覚えていなかった、その歴史の裏の出来事に心を激しく揺さぶられた様子を見せながらも……震える声で白鳥さんにメグミは訊ねる。
 白鳥さんは、わずかに目を伏せながらその問いに答えてきた。

 「およそ二年程前のことでした。我々木連の政府は、100年ぶりに地球の政府に対し接触を図ることにしたのです。『過去の過ちを認め、我々に対し謝罪するならばこれから先は共に歩んでいきたいのだ』と。
 ……ですが一月たっても、二月たっても、地球連合の政府からの返事はありませんでした。しかもそれどころか、彼らはこともあろうに木星までをも狙い、侵攻の準備を進めていたということが判明したのです!」
 「そう。だから我々は絶望し、怒りに我が身を震わせた。―――どこまでも我が身のことしか考えていなかった地球人とその政府。だからこそ、我々はこの身を守るために、その悪しき地球の政府を打ち倒すために兵を挙げる事を決心し……火星へと侵攻したのだ―――」








 12.

 『そ……そんな…………』

 ウィンドウの向こう、驚きのあまりにその身体をわなわなと震わせながら、背後のベッドにへたり込んでいく提督。
 そんな提督にどこか満足げに―――まるで狙っていた獲物に止めを刺した瞬間を思わせるような、冷徹な笑みを見せてくるエリナさん。

 『それじゃあ、彼らが攻めてきているのは…』
 『―――ええ。彼ら自身の復讐のため、ですよ。地球連合が過去に犯した過ちに対するね』


 さらにはただ薄く、いつもとは違う表情で笑いながら言ってくるアカツキを――――その会話の全てを、俺は見ていた。
 ずっと、目を離すことなく…ただ黙って全てを聞いていた。
 『……こんな…こんな話、誰にもできるわけないじゃない―――連合が、そんな…』
 そしてそう、小さく呟く提督。
 『誰かに話す必要なんて、ありませんよ』
 その瞳を軽く閉じ、困ったように片手を挙げながら言ってくるアカツキ。ふと提督が苦虫を噛み潰したような顔をして。
 『―――そう…そういうこと。これであんた達は私に足枷をつけたというわけね……。結局は何もかもネルガルの思い通り、あんた達の掌の上で私は…私達連合は踊っていただけ――――』

 どこか力の抜けたような提督のその言葉に、エリナさんは再び満足げな微笑みを見せてくる。そして――――


 『―――そういうわけには、いきません!!!』
 『『えっ??』』
 『なっ?!』

 「…………ユリカ?」

 そして突然、そんな三人の間にウィンドウを開いて割り込んできたのはユリカだった。
 そのいきなりの登場に、呆気に取られるアカツキにエリナさんと、驚きのあまり腰を抜かした模様の提督。いっぽうのユリカが険しい表情を提督の向かいにいる二人に見せてくると……いち早くその驚きから立ち直ったエリナさんがユリカに食ってかかってきた。
 『貴方、盗み聞きしてたわけ?! いったい何考えてるのよ!!』
 それに対して強い意思の篭った口調で反論するユリカ。
 『申し訳ないですけどアカツキさん、エリナさん。今の話はナデシコの皆にも聞いてもらいました。聞き逃していい話ではありませんでしたから!』
 『な?!』
 言葉に詰まるエリナさん。続いて彼女の口から出てくる抗議の声。
 『そんなことする必要ないでしょう?!! ただでさえ重要な機密なのよ?! こんな話、聞いても聞かなくても、一般クルーには関係のない――――』
 『いいえ!!』

 そしてエリナさんのその言葉を遮るユリカ。
 あいつは…ユリカは、今までに数えるほどしか見たことのないような気がするその真剣な表情をウィンドウの向こうから向けてきて。


 『―――関係なくなんかないです!! 私達はただ命令に忠実に動くだけの人間じゃありません!
 だから……だからこの戦争が起きた本当の意味を知らずに、これから先も戦っていけるわけなんてないじゃないですか!!!』













 13.

 黒一色に染め上げられた空の中、俺は静かにその灰色がかった砂漠を眺めていた。
 かつて我々の祖先がかたく踏みしめていた…その極寒の大地を眺めていた。

 …静まり返った艦内。
 微かな、規則的な電子音が奏でる緊張のなかでしばし目を閉じる。その微かな時間を心に捉え…今日も変わらぬただ一つの誓いを刻んでいく。

 『―――無限砲、発射準備完了しました』
 ふと通信回線の向こう、艦橋から声が聞こえてくる。
 そして画面に映る九十九はその報告に僅かに肯くと、その両の手を組んだまま俺のほうを見て。
 『元一朗、ダイマジンの準備はいいか?』
 「ああ、今度こそ奴等に一泡吹かせてやるさ。この俺が敵コロニーの時空歪曲場を内側から破壊し、さらに無限砲の長距離射撃でその格納庫ごと敵の新型相転移式戦艦を破壊する……我々の作戦に抜かりはない!」
 ダイマジンのコクピットの中で操縦桿に手を添えながら、次第に高揚していく心と共にそう答える俺。
 今日一日に起きた様々な不快な出来事―――特にその集大成とも言える、あのクロサキとかいう謎の女の言動のせいでかなり苛立っていた俺は、その怒りを戦場にぶつけることで解消しようとしていた。
 ……そう。確かに、あの女をここで解放するのは危険かもしれん。だが、あの男の存在自体がかなりの機密情報ならば、秋山に打ち明けて思いとどまらせるわけにもいかんのだ。

 そして回線の向こうから聞こえてくる地球人の声。
 『…本当に、攻撃するんですね?』
 『申し訳ありません、レイナードさん……ですがこれも我々の任務ですので――』
 その地球人の言葉にしばし声を濁した九十九だったが、やがて言葉を切る。
 真っ直ぐにその光点を視界に捉える。
 『――…では各艦に通達せよ、これより攻撃に入る!!』
 『はっ!』
 やがて九十九は我等木連の軍人が必勝を祈願する時に用いる合言葉――――『激我の誓い』の態勢に入った。
 それを見届け、俺は操縦桿を強く握りしめて。そして。

 『―――いかに敵が強大とてもっ!!!』
 九十九のその声に続き、艦橋にいる全員の言葉が重なっていく。
 『『『『優人部隊は最後の切り札!!』』』』
 皆の思いが一つになった声。
 『『『『『…鉄の拳が叩いて砕くッ!!!!』』』』』

 そう! これこそが―――我等が木連魂…っ!!


 全ては我らが未来のため、その夢に描いた未来のために―――!!!



 「ダァーイマジン・ゴォーーーーーーーーーッ!!!!!」








 14.

 「……またあいつが来たのかよっ!」
 月面フレームに乗って一人出撃した俺の前に現れた、その3度目になる見覚えのある巨大な機体を相手にして俺はそう毒づいた。

 …突然コロニーの内部に現れて、ディストーション・フィールドの発生装置を次々に破壊していったその機動兵器。何度となく俺の前に立ちはだかる、本当に忌々しいその機体。
 そして出会い頭にまた向こうから、その機体に乗るパイロットはこっちに通信を繋いでくる。
 『ふん、また会ったな地球人のパイロットよ! だが今度こそは我々の任務を邪魔させはせんぞ! ここにあるという新型の戦艦もろとも、貴様にも正義の鉄槌を下してくれる!!』
 その不敵な笑みを浮かべて俺に言ってくる長髪の木星人の言葉を聞き、俺の頭には途端に大量の血が上っていく。
 「うるさい! お前の戯言なんかもう聞く気もおきないんだよっ!!!」
 言葉と共に俺の月面フレームから発射される対艦ミサイル。それは鈍重にも思えるスピードで相手へと迫っていく。
 しかし自身のフィールドを過信しているのか、回避行動を取らなかった相手の敵機動兵器に鈍く突き刺さっていって。

 『ぬおっ?!!』
 巻き上がる爆炎。その衝撃に機体を後ろへと反らす敵の機体。そして小さな笑みと一緒に呟く俺。
 「―――へっ、甘く見てるからそう言うことになるんだ」
 『って、おいテンカワ! 対艦ミサイルの補充はきかねぇんだ、しっかり狙って撃てよ!!』
 「わかってますよ、セイヤさん!」
 ウィンドウの向こうでそう怒鳴ってきたセイヤさんに一言答えると、俺は機体を絶妙の位置に…奴から僅かにはなれた地点へと移動させていく。
 『貴様よくもっ!』
 そう叫びながら胸のブラビティ・ブラストを撃ち放ってくるあいつ。その一撃を左へと機体を流すことで避け、さらに牽制に右手のレールガンを相手の機体中央めがけてぶっ放した。そして流石に難なく弾き返されるその弾丸。
 「やっぱこのくらいじゃびくともしないか……?!」
 『―――甘いっ!!』
 「!?」

 ――――ゴォォォォォォォォォォッ!!

 衝撃に揺れるアサルト・ピット。
 突如に撃ち放たれてきたのは、その肩部にあった射出口から伸びてくる黒い奔流。

 (な―――?! あそこにもグラビティ・ブラストの砲門?!!)
 その一撃は機体の脇を掠め、遠い岩山に直撃していく。
 『…運のいい奴めっ!』
 「なんだよそれっ!! 横にまで撃てるなんて、シャレになってねーじゃないか!」
 『いんやテンカワ、側面のやつは正面ほどの威力はないようだ!』
 呟く俺に、そうアドバイスをくれるセイヤさん。機体を立て直し―――あいつが僅かに前進しかけた瞬間を狙って2発目の対艦ミサイルを発射して!
 『…!!』

 そしてまた起きる小規模な爆発。
 続くようにしてその場からボソン・ジャンプを行う相手の機体。

 「――――ルリちゃん!」
 『予測位置……計算終了。そちらへ送ります』
 瞬時に送られてきたそのオモイカネのデータに目を通す俺。
 候補地点は約4箇所――――!!

 (…………!)

 そしてそのうちの一箇所にアイツが現れて。
 「そこだっ!!!」
 『……なっ?!』


 狙いたがわず爆炎と閃光が広がっていく。
 そうしてオモイカネから転送されてくる、緻密なジャンプ・アウトの予測データをもとに相手に攻撃を仕掛けていく。徐々に、少しずつ押された様子でコロニーの外輪へと後退していくあいつ。
 着実にこの手に感じる手応えに、僅かに口の端を歪ませて。

 (――――今回は、いける…!!)

 でも、そしてそう俺が思った矢先。
 『―――7時の方向より攻撃、来ます。テンカワ機注意してください!』
 「え…?」

 そのルリちゃんの言葉と共に、突然すぐ近くの地面が抉れ、吹き飛び、大きな衝撃と共に崩れ落ちていったんだ。


 「…………!!」
 『――――ふ、うまくいったか…』
 ふとウィンドウの向こうから、そう言ってくる木星人。その顔には憎たらしいくらいの笑みが浮かんでいる。一瞬の間に起こったように思えたその出来事に、呆然と口を開く俺。
 「お…お前、もしかして囮―――?」
 『そういうことだ地球人。…敵の目を俺一人にひきつけ、防御が手薄になったところを九十九が無限砲の長距離射撃で叩く。
 結果は見てのとおりだったな―――』

 …震える、俺の喉。
 その俺にさも可笑しそうな顔をして、勝ち誇ったような顔をしてそう言ってくるあいつ。
 右手が、身体が―――どうしようもなく。心がどうしようもなく震えていって…!

 「っ……このやろおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」




 『……なにぃっ?!!!』

 そして次の瞬間、この月面フレームの持つ武装が一気に火を噴いた。
 対艦ミサイルとレールガンの同時連続射撃を受け、あいつは耐え切れずにその場に倒れ伏した。そのあいつを凝視して、IFSコンソールをバカみたいに握りしめながら……
 …そう。ただがむしゃらになって俺は叫んでた。震える声で叫んでいた。

 「……思い知れっ!! これが、これが俺達の――――火星のみんなの痛みだ!!! これがシーリーさんやこのコロニーの、みんなの痛みだ…っ!!!
 これがっ!! これが、これが……!!!!」
 『……っ、があっ?!』
 とめどなく、怒りに任せたその言葉が溢れてくる。
 どうしようもないくらいに頭にきて、真っ白になった頭でアイツの機体を睨みながら……そうしてもうただひたすらに、何の考えもなくあいつに向かって俺はありったけの弾丸とミサイルを撃ち込んでいって…!
 『おいっ、テンカワ!!』
 『―――アキト?!』
 ウィンドウの向こうから聞こえてくる、リョーコちゃんやユリカの声も俺の心には届かなくて…。

 「このっ!! このっ…!!―――このおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」






 そして突然、俺とあいつの横手に降り立ってくる新手の敵機動兵器――――






 15.

 「…元一朗、大丈夫か?!!」
 『つ、九十九??!』

 私達三人が白鳥さんの『ダイテツジン』に同乗させてもらってコロニーにやってきたその時、そこでは激昂したような動きの月面フレームが月臣の乗る機体に間断なく攻撃を仕掛けている最中だった。
 「もういい元一朗、お前は艦に戻れ!」
 その光景を目の当たりにしてそう叫ぶ白鳥さん。
 『くっ……相転移炉の出力が落ちている、これでは跳躍できん!!』
 「何?!―――――」
 焦りの色を滲ませた顔で答えてくる月臣。白鳥さんの顔が僅かに歪む。
 そしてメグミがいきなりその月面フレームに……さっきからなにやら月臣と会話していた、パイロットのアキトにコミュニケで通信を繋いで。

 「アキトさん、待って! 私たちの話を聞いてください!!」
 『…って、メグミちゃん?! それにミナトさんと――――サレナさん!! どうして…?!』
 「いいからアキト君、話を聞いて!」
 メグミとミナトさんのその呼びかけに、戸惑ったような顔をしてそう言ってくるアキト。
 でもさっきまでの戦闘のせいか頭に血が上っているらしいアキトは…その表情を次第に怒りに歪ませて、そして手を振りかざしながら叫んできて。
 『汚いぞ木星人!! よりによって3人を―――』
 「アキト君、私達は人質じゃないわ!! 白鳥さんは私達を送り届けにきてくれたのよ…!」
 そう強い声で言ってくるミナトさん。ただ状況を見守るだけの……アキトのその憎しみに包まれた姿に、金縛りにあってしまった私。
 ――声を震わせながら、ウィンドウの向こうのアキトを見てメグミは言葉を紡いでいく。

 「…アキトさん、私達ずっと騙されてたんですよ?! この人達の、木星の人たちの正体は……!」

 そして……


 『――――知ってるさ、メグミちゃん。…同じ地球人なんだろ? 100年前に、月を追放された』
 「え……?」

 その顔に怒りを滲ませながらも、不意に冷たい口調になってアキトはそう言ってきた。確かに、そう言ってきた。
 戸惑いながら呟くメグミ。でも彼女は訴えかけるようにして、そんなアキトにさらに言葉を投げかけていく。
 「なら……それがわかっているならどうしてこんな戦いをするんですか?! 100年も前の出来事のせいで私たちはずっと苦しめられてきたんですよ!! だったらそんなもの――」

 『違う!!! そうじゃない!!』

 …………そしてそのメグミの訴えかけを、アキトただ一言の下に退けた。その空を貫く声で切り裂いた。
 俯き、声を震わせ…ただ目の前の月臣を睨みつけた。

 『君はまだ、わかっちゃいない。結局わかっちゃいない…。
 だったら…だとしたら死んでいった火星の皆はどうなる? シーリーさんも、このコロニーの人達もどうなる!! これはもう100年前の戦争じゃない、そんなんじゃない!
 ……これは――もう、俺たちの戦争なんだよ!!!』




 ―――そしてそのアキトの言葉が、戦場の全てを一瞬止めて。

 白鳥さんも、向こうで倒れている機体の中にいる月臣も。
 そしてこの狭いコクピットの中にいる私達ナデシコ・クルーの三人も言葉を失い、ウィンドウの向こうで険しい表情を……怒りと悲しみとを同居させた厳しすぎるまでのその表情をしているアキトを見つめていた。

 ……そして、突然そんな私たちの前に姿を現す、見覚えのある白い戦艦――――




 「――――って、もしかしてナデシコ?」






 16.

 ……そうして大急ぎでナデシコが月面に姿を現して、ふと私が振り向いてキャプテンシートで沈黙していた艦長を見てみると―――どうも艦長は様子がヘンでした。
 「艦長?」
 「……ユリカ?」
 そのユリカさんの変化に気がついたのか、プロスさんと副長がそう声をかけていきます。でも艦長はやはりだんまりしたままかと思ったら……

 「―――ルリちゃん。今すぐアキトに通信つないで」
 いつもの艦長とは微妙に違う、ものすごい怒気と…何か他の悲しげな感情を抑えたような声でそう言ってきて。

 「あ、はい」
 そのなんというか、気圧されるような艦長の声に従う私。ただならぬ艦長の雰囲気に、どこか『キレた』ようなユリカさんの雰囲気に言葉を発することが出来ない様子のブリッジ上部の皆さん。
 でもそんないっぽうでウィンドウの向こうでは、またまたテンカワさんとメグミさんの会話が始まっています。


 『―――やめてくださいアキトさん!! もう、いいじゃないですか?!』
 『いや、まだだ! こんなんじゃ足りるもんか!! こいつにも、俺の……皆の苦しみを味あわせてやらないと気が済まないんだ!!』
 『でもアキトさん、それは…!!』
 『もういい!! これ以上こんな話――――』

 …そうやって出口の見えそうにない問答をしているアキトさんとメグミさん。
 メグミさんが何かを必死に訴えかけようとしていても、アキトさんにはまったく届いていない様子で、さっきからアキトさんは怖い顔つきでただ怒鳴るだけ。


 ――――と、突然ブリッジの上から艦長が思いっきり息を吸い込むような音が聞こえてきて。

 そして。



 「……アキトの、ばかああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」

 「「「「…っ?!!」」」」



 その、マイクを最大ボリュームにして叫んできたユリカさんの一言で…向こうの皆さんはそろいも揃って度肝を抜かれたような反応を返してきました。






 17.

 『いきなり何叫んできやがるんだユリカあああああっ!!!』

 その大音量のユリカさんの怒声からいち早く復帰したアキトは、ウィンドウの向こうで。そう同じくウィンドウに映るユリカさんに思いっきり叫んでいた。
 あまりに唐突すぎて、思わず跳ね上がっていた心臓を抑えつつ私がその先を見るなか……そのユリカさんは、怒ったような泣いてるような複雑な顔をしたユリカさんは、強い口調でアキトへと叫んできた。
 『だってアキト、自分が見えなくなってたじゃない!! ただがむしゃらに暴れてただけじゃない!!! だから私―――私『バカ』って言ったんだよ!!』
 『なんだと?! お前人の気持ちも知らずによくもそんなこと……!!』
 こめかみに青スジを浮かべそうな勢いで怒鳴り返すアキト。でもユリカさんも負けてはいない様子でさらに怒鳴り返す。
 『しょうがないじゃない!! どんなに頑張っても私、アキトの悲しい気持ちを全部わかることなんて無理だもの! 悔しいけれど無理だもの!!
 ……でも今のアキトは自暴自棄になってるだけでしょ?! なにも見えなくなってるだけでしょう!!!』
 そしてさらに手を横に払いながら叫ぶアキト。
 『そうさ!!! 俺にはあいつ等への怒りしか見えてないんだ!! だから俺はこうして………』
 『―――その前にもう一度、ちゃんと考えてよ!!!』


 ……と、その時。
 その両手をコンソールに思いっきり叩きつけ、あふれ返った感情のせいかその瞳を閉じながら叫んできたユリカさんのその目元から、小さな涙が落ちていった。

 『――――あ…? ユリカ??』
 そのユリカさんの小さな両手が奏でた鈍い不協和音に、その一滴の涙にふと一瞬だけ正気の色を戻すアキト。
 そんなアキトをさらにじっと見つめたユリカさんはなおも強い口調で言葉を続けてくる。
 『…確かにアキトは、すごく辛い思いをして、きっと私が想像できる以上に身を引き裂かれるような思いをして―――だから木星の人達に憎しみを持ってしまうのは、仕方ないと思う。…でも!!
 だからって私達がその復讐をしても、またどこかで同じような人が生まれるんだよ?! そうしてアキトと同じ思いをする人が生まれて!! そんなのがずっと続いて……憎しみっていうのと悲しみっていうのの堂々巡りになって―――』
 その強い意志を感じさせるユリカさんの言葉を遮るようにして、苛立ちをまた見せ始めたアキトが声を上げた。
 『……だからここで俺達が木星人を恨むのをやめろって言うのか?―――でも、そんなことができれば苦労しない。現実はそうじゃない。そんなのは所詮、ただの奇麗事じゃないか!!』

 そして。

 『――――そんなこと、わかってる!!!』


 …今までで一番強い口調になって、ユリカさんはそう思いっきり言ってきた。
 その強い口調にアキトは心の中にある何かを抉られたような表情を見せ…今までずっと戸惑うような表情を見せていた白鳥さんや月臣も、ただ静かにユリカさんのほうを見ていた。
 そしてポツリポツリと小さく話し始めるユリカさん。

 『……私にもわかってるよ、奇麗事だなんてくらい。でも奇麗事を奇麗事だって片付けてしまったら、そこから先には進めないんだって私は思うもの。それに ずうっと昔に、人のそういう綺麗な心を私に教えてくれたのはアキトだもの!! アキトは昔から、ずっとそういう人だったもの! だから――――だから私 は…!』



 …ユリカさんの言葉はそこで途切れていった。後はもう言葉なく、アキトの顔をじっと見つめているだけだった。
 でもその唐突に訪れた沈黙のなかでアキトは、だんだんとその表情を悲しげなものに…いとおしい何かを見つめるようなものに変わっていく。誰も何も言うこ とができずにいるなか、その中の一人である私もただ……不思議な懐かしさと暖かい哀しさに包まれながらそんなユリカさんのことを見ていた。

 ―――まるで子供のような純真さと、誰よりも強い意志を感じさせる彼女のその姿を、私は心の中にある『アキトの記憶』に揺さぶられながら見ていた。


 そして、レールガンの銃口をゆっくりと下へ向けるアキト。
 静かに言葉を投げかけてくるアキト。


 『…………さっさと、行けよ。三人を置いて。今回だけは見逃してやるから……』
 「――ありがとう」
 白鳥さんとの間に交わされた、そんな短い会話。どこか少しだけ名残惜しそうな顔を見せた白鳥さんは、続いて私達に宇宙服のヘルメットを渡してきた。
 「…どうぞ」
 「ええ……これでお別れですね」
 ちょっと大きめのその木連の宇宙服を着たミナトさんが、ヘルメットを受け取りながらそう言ってくる。メグミはだた黙ってそれを受け取って、そして私は画面の向こうにいる月臣にチラリと視線を向けて。
 「―――月臣」
 『…クロサキとやら、今日は九十九の顔を立てて見逃してやる。だが次に会った時は容赦せんぞ』
 そんな短い彼との会話。
 だから私と月臣のその短い会話を不思議そうな顔で見ていた白鳥さん達を意識の隅へと追いやって、私は黙ってヘルメットを被った。




 ――――そうして私達3人はそれぞれの思いのなか、静かに月面へと降ろされる。

 悲しげな顔をして月面フレームを見上げるメグミと、感情のよくわからない無表情な顔でダイテツジンを見上げるミナトさん。
 その二人が見上げる先、最後の通信を交わす彼ら。


 『…よかったら、名前を教えてくれないか? 私は―――』
 『いい。これから殺し合いをする奴の名前を、知っておきたくないから』

 『―――そう、か…』


 …白鳥さんはそうして最後に悲しい呟きを残すと、その肩に抱えたダイマジンの機体と一緒に虚空へと跳んで消えていった。








 18.戦い、終わって

 ―――無言のまま俺の乗った機体は格納庫に収容される。
 苦笑いを浮かべながらアサルト・ピットを開けてくれたタニマチさんに、リフトを降りていった先で俺の肩を叩きながら小さく言葉をかけてくれたセイヤさんに、情けなく頭を下げることしか出来なかった俺は一人格納庫の出口へと歩いていく。

 …メグミちゃんとは、目をあわすことができなかった。傍へ駆け寄っていこうとすることもできなかった。
 ものすごく気まずい気持ちと、彼女に対する後ろめたい気持ちと……その今更ながらどうすることも出来ない気持ちを解決することも出来ずに、『ヒナギク』で収容された彼女の下へ会いに行けるだけの強い心もなかった。

 ――――なぜなら、うすうす感じていた俺の心の底にある『本当の想い』を…今の俺はどうしようもないくらいにわかっているのだから。



 …そう。俺はあの時あいつを、思いっきり抱きしめたいと思っていた。
 昔のままでいて、そして昔よりもずっと強く、ずっと綺麗になったあいつのことが…初めて心からいとおしいと思った。
 あの時あの場面で…自分の腕が震えそうになっていたのがはっきりとわかって、怒りと憎しみに囚われていた俺に真っ向から思いをぶつけてきたあいつに――――ユリカに、心の底から救われた思いがして……


 (……でも、そうだとしても今の俺はいったいどうすればいいっていうんだよ? あいつと一緒にいたいなんて、そんな願い……きっと叶うはずなんかないっていうのに――――――)



 …暗く、心が沈んでいく。途切れることのない迷い。

 心に刻まれていた傷は俺の思っていた以上に深く、広いのかもしれない。
 俺にかけられたその、呪いのような暗示に心を焼かれながら……ただ静かに、俺は暗い通路を歩いていって――――













 19.〜そして、遠い夜明けに〜

 …黒よりも深いその闇の中、一人の男が地を駆けていた。
 その男――年の頃にして三十半ばを過ぎた頃だろう――に続くようにして、同じような編み笠を被り…その身体を外套に包んだ男が6人。皆同じように感情を消し去った冷たい目をして、暗い森の中を駆け抜けていく。

 その彼らの目指す先は、とある大企業の研究所――――そしてその目的は…『その全ての破壊』。



 (…今宵は、左眼が疼くな――)

 そしてその先頭を疾る男は、そっと左手を赤い義眼へとやる。…握りしめる右手の錫杖に、おもわず力が入る。
 その、生まれながらにして闇に堕とされていた者達。または自らその闇へと進んでいった者達。
 彼らは木連と呼ばれる国家に存在する一欠片の『影』であり、一握りの人間のみがその存在を知る…表へと出ることは許されない人間達だった。

 「……隊長。今夜の手筈は」
 男のすぐ右を走っていたものが、そう低く声を上げる。
 それに冷たい刃のような声で応える男。
 「いつもと、変わらぬ。―――目にしたものは全て斬れ」
 「はっ」

 …その言葉だけで任務の意味は彼らに伝わった。彼らの纏う黒い殺気が、次第に大きく夜を染めていく。
 おそらくその研究所の所員たちは誰一人として、明日の日の出を見ることはないだろう。その血に染まったかのような赤い太陽は、この男達が残した無残な欠片たちを照らすことしかないのだ。
 その、赤く白い太陽。それは男達の故郷では、ほんの心ばかりの輝きに過ぎなかったもの。だがそれをこの地球で再び見た彼らにとっては―――その全てを照らす暖かい光はすでに眩しすぎた。ことさら、その男にとっては眩しすぎた。

 …何故ならそれは、男に遠い過去を思い出させる。
 男がこの道へと足を踏み入れる前のこと、彼のその手の内で息を引き取っていった家族のこと。そして彼がその左眼を自ら抉ったあの瞬間の事を。


 (――――…ふん、我らしくもない。このような気持ちを久方ぶりに抱くことになろうとは)

 不意に男は目を細め、その口元に凄絶な笑みを浮かべる。
 …彼の脳裏にあることが思い浮かぶ。かつて男自身がその手で葬った、その幼い家族のことが。だがそれは男に……男の心に血に染まった暗闇をもたらすための、かけがえのない指標。絶対的な道標なのだ。



 そして男は再び義眼に手をやった。
 心とは裏腹に、引き締まっていく表情。ふと彼は心の底で小さく思う。

 (―――今宵の先の地に、子供はいるだろうか?……そう。できれば、女の幼子がよい。それは我にさらなる漆黒の平穏をもたらしてくれる、冷たき骸となるのだからな)



 ……闇はまだ、夜よりも深かった。
 男がその任務を終え、赤黒く染まった腕を横たえるまでにはまだ長い時がかかるだろう。

 その闇の果て、駆け巡る鮮血と叫喚を夢想し続けながら…その果てをも越えて修羅の道を突き進まんとする男。
 自らに冠された『外道』の称号を甘んじて受け入れ、本来の名さえも捨て、その身を赤く染めた一人の夜叉。


 ――――そしてその男の呼び名を、『北辰』と云った。





 (Act3へ)