ACT:0

 今日の空は綺麗だ、とユートは思った。
 青い空に、白い雲。そして燦々と輝く太陽――――この世界に生を受けて10年目になる少年が、まだ数えるほどしか見た事のない晴天。
 人工芝の上で大の字に寝転がったユートは、日の光が心地よいものだという事をこの日始めて知った気がし、そのまま太陽の愛撫に身を委ねて眠りたくなった。……と、
「おいこらユート! 誰が寝ていいと言ったあ!? まだ訓練は終わってねえぞ!」
「ぐえっ! どうざん、ぐるじひっ……!」
 父さん苦しい、という声が喉にのしかかった膝に潰される。ついでに右手も足で押さえられ、抵抗を完全に封じられたところで目の前にゴム銃の銃剣が突きつけられる。
「これで本日13回目の死亡だ。これじゃあフィールドに出てもすぐ死んじまうぞ?」
 みんなを守ってやるんじゃなかったのかぁ? と嘲弄を浴びせ、炎のような赤毛の筋骨隆々とした体躯の男――――父親のアダマスはユートから離れた。塞がれていた喉が開放され「くはあっ……!」と空気をむさぼる。
「くっそぉ……!」
 悔しさに任せて、ユートも拾い直したゴム銃の銃剣をアダマスへ突き出す。それをあっさりと横に弾かれ、そのまま側頭部に蹴りを食らって人工芝にキスをする羽目になった。
「これで14回目。……突く時に踏み込みが甘い。それに先手を取るならもうちょっとフェイントを効かせろ」
 ほら立て、と急かされ、ユートはよろよろと立ち上がろうとするが、まるで洗濯機に放り込まれたように目が回って立ち上がれない。さすがのアダマスもおかしいと思ったか、傍に駆け寄りステータスを確認すると、「げ……」と声を上げた。
 そこへ、「あなたー」と優しげな声が響き、アダマスがびくっと身体を緊張させる。
「訓練の調子はどう……あら、ユート?」
 人工芝の上にぶっ倒れたままのユートを見て、ユートと同じ栗色の髪をした女性が、ガチャガチャとM240B汎用機関銃を鳴らして駆け寄ってくる。10キロは軽く超える機関銃を軽々担いだ彼女は、アダマスと同様にユートのステータスウィンドウを見て、
「あなた? ユートが脳震盪を起こしてるようだけど、どれだけ強く殴ったの?」
「待て待てキキョウ。オレは殴ってねえよ……蹴ったんだ」
 にっこりと笑顔で女性――――ユートの母のキキョウに詰め寄られ、アダマスはたじろぐ。
「この後ユートは私たちと射撃訓練、その後はツバキちゃんたちと農作業の手伝いもあるんだから、ほどほどにしないとめっ! って私言いましたよね?」
「いいい、いや、訓練にこのくらいの事故は付き物で……」
 アダマスの弁解に耳を貸さず、キキョウは「カエデちゃんー!」と大声で呼びかけた。すると少しして、青みがかった黒髪を背中まで伸ばし、前髪をぱつんと切り揃えた12〜3歳くらいの少女が、小さい身体に不釣合いなM16A1ライフルを重そうに抱えて走り寄ってきた。
「お呼びですか、キキョウ先輩」
「少しユートを見ていてくれる? 大丈夫だと思うけど念のためね」
「はい。お任せください」
「さ、あなた。少しあっちに行きましょうね」
「ヒエェッ!? た、助けてくれ、ユートーっ!」
 先ほどまでの余裕ぶった態度はどこへやら、人工芝に爪痕を残して引き摺られていくアダマスの姿が、建物の影へと消えていった。
 カエデはそっと、ユートの頭を自分の正座した膝の上に乗せた。小気味よい射撃練習の銃声、そしてどこかからの悲鳴を聞いていると、そっとカエデが囁いてくる。
「ご主人様。あまり無理なさらないでくださいね」
「……でも、俺も早く父さん母さんたちとフィールドに出たいし」
 アダマスもキキョウも、他の人たちも、ユートたちのために戦ってくれている。ゾンビの大群がこのホームに押し寄せた時も、前のホームが汚染されて全員で移動を余儀なくされた時も皆が守ってくれた。だからユートはこうして生きていられる。 「だから早く強くなって、今度は俺がみんなを守ってやる。父さんも、母さんも、ツバキ姉も、サクヤも、もちろんカエデもな」
「はい。嬉しいです。その時は、わたしもご主人様をお守りします」
 カエデは笑って、ユートに顔を寄せてくる。
 その目から何故か、涙の筋が伝い、ユートの顔にぽつりぽつりと雫が落ちる。
「ボスとキキョウ先輩がいなくなっても……わたしが傍にいますからね……」
 何を言ってる? 父さん母さんならあそこに――――と言おうとしたが、顎が硬直したように声が出なかった。
 手も、足も、自分の物でなくなったように動かない。いったい何が起きたか解らず、唯一自由になる目玉を動かして視線を巡らせると、離れた所にアダマスとキキョウが立っていて、晴れていた空が元の陰鬱な灰色に包まれていく中、どこか遠くへ消えていく。
 ――待って、父さん、母さん……行かないで、俺を置いて行かないで!
 声のない声で叫ぶユートに、『二人は死んだよ』と、どこからともなく聞こえた無感情な男の声がそう告げる。
 嘘だ、父さん母さんが死ぬわけない。
 だがどれだけ叫んでも、二人は帰ってこなかった。
「ご主人様……もう泣かないで。わたしはずっと一緒ですから。ですから早く立って……起きてください」
 カエデのささやく優しい声にも、ユートは動かない。……動けない。
「ご主人様、起きてください」
 ユートは動けない。
「ご主人様」
 ユートは動けない。



「起きてください、ご主人様ッ!」
「ぐはっ!?」

 突然腹に靴底がぶち込まれ、ユートは夢の中から一気に覚醒した。
 倒れていた地面の上で身を起こし、同時に反射的な動作で身構え臨戦態勢を取る。手にしたM4A1カービンライフルの動作に問題がない事を確かめ、眼前に広がる灰色の荒野に視線を走らせて敵影が見えないか警戒――――それらの動作を瞬時にこなすその姿は、先刻見た夢の光景より数年分の年を重ねた14歳の身体であり、戦場経験を一度ならず積んだ兵士の面構えだ。
 状況確認――――思い出す。トラックでの移動途中、敵のスナイパーから攻撃を受けた。運転手が撃たれたのか制御を失ったトラックはそのまま横転し、ユートたちは荷台から投げ出された。
「くそ、気絶してたか……カエデ、みんなは!?」
「ペチュニアは気絶してますが、私とサクヤは無事です! 敵のスナイパーはサクヤが排除しました。……ですが、運転手のアザレアさんは瀕死です」
 カエデも背中合わせに周辺警戒しつつ答える。先刻夢で見た光景より手足は長く、背丈も高く、胸も膨らんでいる。手にしたM16A1ライフルももう不釣合いでない17歳相当の身体に、彼女も成長していた。
「カエデはペチュニアを起こしてくれ。救助に工具が要るかもしれない。サクヤ! 救助に入るから、その間周辺警戒!」
 ユートが通信機へ呼びかけると、少し離れた所にある枯れ草の塊が、僅かに身じろぎしてユートを見た。
『了解』
 ごく最低限の言葉で答えたのはサクヤ。ユートと小隊を組んで久しいマークスマンだ。ギリースーツと呼ばれる枯れ草模様の迷彩布で全身をすっぽり覆い隠し、一見しただけでは人間かどうかも判別しがたい姿だが、その下には水色の髪をした可愛らしい顔があるのをユートは知っている。
 ユートは横転したトラックへ駆け寄る。運転席ではまだシートベルトで縛り付けられたままの少女がぐったりとしていた。穴が開いて血を流している頭の上には赤い不気味なカウントダウンのウィンドウが浮かんでいて、残り3分を切っているそれは彼女が死ぬまでの猶予時間。ウィークポイントの頭に銃弾の直撃を受けたのだ。一撃で瀕死になり、死ぬまでの猶予時間が短いのは当然。
 ユートは腰のポーチから一本のシリンジを抜き出す。蘇生用ナノマシン注射器――――小隊にこれ一本しか持たされなかった貴重な蘇生アイテムを使うべきか否か少しだけ逡巡した後、ユートはそれをアザレアの首筋に突き立てた。びくんとアザレアの体が震え、死亡カウントが消えると同時に虚ろだった目に光が戻る。
「大丈夫か? すぐ助けてやるから安心しろ。……ペチュニア、カッターを早く!」
「はいはいただ今ー!」
 パタパタと走り寄ってきたのは、オレンジ色の髪を小さく結んだ小柄な少女だった。手には無骨な62式機関銃、背中にはワイヤーカッターなどの工具が収まったバックパックを背負っている彼女はペチュニア。ユートの小隊では工兵の役目を担っている戦闘職だ。
 ユートはペチュニアからカッターを受け取り、アザレアを縛り付けているシートベルトを切断していくと、アザレアは申し訳なさそうな顔でユートを見た。
「す、すみません、マスター……大事な蘇生アイテムを使わせてしまい……」
「気にしないで。うちのマスターは優しいから!」
 ペチュニアは安心させるように歯を見せて笑う。確かに大事な蘇生アイテムを早々に使ってしまったのは痛いが、目の前で仲間が死ぬ瀬戸際に蘇生アイテムを惜しむつもりはユートにはない。むしろ少しだけ迷ったのが申し訳ないくらいだ。  ヘルメットの通信機が振動し、着信を報せてきたのはその時だった。
「…………っ!」
 途端、全身に嫌な震えが走る。こちらの状況はデータリンクで見えているから当然ではあるが、こんなに早く感付かれるなんて、と通信を入れた相手を恨めしく思う。
 恐る恐る右耳の位置にある受信ボタンを押すと、ユートの眼前に通話ウィンドウが開き、防弾プレートを各所にあしらった上等な装甲服コンバットドレスに身を包んだ、スキンヘッドの男が映し出される。いかにも屈強な戦士といったいかつい風貌だが、その目にはどこか神経質そうな光がある。
『ブレイブ小隊、何をしている! 早く作戦を続行しろ!』
「申し訳ありません、ボス! 現在運転手の救助中です!」
 でかい声でがなり立てるスキンヘッドに、ユートは業腹な内心を抑えて応じる。この男が自分の属するコミュニティー『人類解放戦線』のボス、ゴーリィでなければ確実に銃弾をぶち込んでいる。
『たかが運転手のNPC一人に無駄な時間を使うな、無駄な事をしている暇があればさっさと攻撃に行け! こうして話している事もまた無駄なのだ、無駄な言葉を言わせるな!』
 ――無駄無駄無駄って……あんたたち第一世代オリジンプレイヤーにとっちゃNPCなんて『ゲームの駒』なんだろうけど、オレたちにとっては仲間なんだよ……!
 仲間を物としか思っていないゴーリィへの殺意を堪えつつ、ユートはアザレアの救助を続ける。彼女たちを使い捨ての駒扱いする第一世代プレイヤー連中の考えは、ユートにとって理解の埒外だった。

 だって、彼女たちNPCも、プレイヤーも、同じ『人間』じゃないか。

「ったく、いつもの事ながら……わたしたちはどれだけ安上がりなの!?」
「あー! むかつく胸が悪い!」
『……殺したい』
 彼女たち――――NPCたちの通信機にもゴーリィの言葉は聞こえているらしく、カエデは憤激も露わに顔を歪め、ペチュニアは子供っぽく地団太を踏み、サクヤも第一世代プレイヤーたちへの殺意を覗かせる。
 自分たちを捨て駒扱いする幹部プレイヤー連中に憤るその姿は、ユートと同じく人間そのものだ。連中に言わせればこれさえただのパターン化された反応を返しているだけらしいが、ユートにはとてもそうは思えない。
 第一、彼女たちが人間でないと認めてしまえば、同時にユート自身も人間ではないと認める事になる。それは許せないとユートはゴーリィへの殺意を押さえつつ、アザレアの救助作業を続ける。
 その頭上をAH−6キラーエッグ小型攻撃ヘリの三機編隊が通過していき、両脇のポッドから放たれるロケット弾が地上を火の海にする。それを追いかけて地上からのたうつ蛇のように対空機関砲の火線が延び、避け損ねた一機が回転翼をもがれて地上へ落ち、派手な火柱が吹き上がる。
 空も大地も灰色に染まった荒涼たる世界の中、銃声が絶え間なく鳴り響き、限られたエネルギーをバカ食いしながら戦闘ヘリや戦車といった大型兵器が咆哮する。まるで人間という生き物とそれの築いた文明が黄昏ゆく最後の輝きのような光景だが、それら全ては『ゲーム』なのだと第一世代プレイヤー――――大人たちは口を揃える。
 それが本当かどうかなど、もはや意味はない。
 目の前の戦いはユートたちにとって、間違いなく自らの命をかけた戦いなのだから。


 最終戦争で荒廃し、汚染された大地は灰色に染まり、突然変異によって生まれた怪物や暴走した無人兵器が闊歩する荒廃した世界の中、人々は汚染を免れ食料を生産可能な耕作地を奪い合い、果てのない争いを続けている――――というポスト・アポカリプスの世界で徒党を組んでコミュニティーを結成し、耕作地で食糧を生産し、それを他のコミュニティーに奪われないよう要塞的な拠点を構築し、銃火器や大型兵器を揃え、NPCを仲間にして軍備を整え、この世界で生きていく仮想大規模サバイバルゲームVRMMOSVG、アームド・ユートピア。それがかつてこの世界を言い表す言葉だった。
 ゲームがリリースされた2030年当時、脳に直接電気信号を送り、視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚の五感全てに情報を送る事で、完全な仮想空間への没入を可能とした全感覚没入型のVRゲームはすでに珍しい物ではなくなっていたが、地球の総面積に匹敵するとされる広大無辺なオープンワールドの中でコミュニティーを拡大し、力を競うこのゲームは世界的な大ヒットを記録し、最盛期には数十万から数百万のプレイヤーがこの世界で鎬を削っていた、らしい。
 その一方、プレイヤーたちの間にはとある不吉な噂が蔓延していた。曰く、『VRゲーム世界にその魂が捕らわれ、リアルに帰れなくなったプレイヤーが続出している』と。
 ユートの父――――アダマスは当初、それを単なる噂話、都市伝説の類としか思っていなかったそうだ。父の父、つまり祖父の代には、『テレビゲームは脳の発達を阻害する』曾祖父の代には、『漫画を読む子供は不良になる』と、新たな娯楽文化の類が世に出ればそれを警戒した人々が根拠も定かでない風説を撒き散らすものであり、例の噂も同じ類のものと受け取っていたようだ。……ゲームリリースから3年後の2033年に、それが現実として彼らの身に降りかかるまでは。
 突然何の前触れもなくリアルへ帰れなくなったプレイヤーたちは一刻も早いこの世界からの脱出を望み、まず最初にリアルからの助けを待った。だが結局、待てど暮らせど何の助けもメッセージも来る事はなく、やがてプレイヤーたちは生きるための行動を迫られた。この世界では食料を確保し、食べなければ、蘇生用ナノマシンを使っても蘇生不可能な容赦ない死――――餓死が待っているのだ。
 この世界がゲームだった頃は、プレイヤーの死はワールドのどこかでのランダムなリスポーンだった。何億平方キロにも及ぶ広大なオープンワールドの身知らぬ地に放り出されれば、帰還はよほどの幸運がなければ不可能であり、コミュニティーに残された仲間は彼を本当に死んだものとして扱い、本人はそこで新たなコミュニティーに加盟する、あるいは立ち上げるかしてやり直す羽目になる――――だけの事だったが、世界が変質した今でもその法則が普遍である保障はどこにもない。事実遠隔地からリスポーンしてきたプレイヤーに、ユートは一度も会った覚えがない。
 仮にではあるが、この世界での死が本当に人生の終わりだとすれば恐ろしい事だった。ここは食料を確保し続け、ゾンビその他の敵対MOB、あるいは他のコミュニティーの襲撃から耕作地を守らなければ生き残れない過酷極まるサバイバルゲームの世界。安全な場所などどこにも存在せず、明日の命を保証するものは何もない。そして自力で脱出しようにも、何をすれば脱出できるのか、彼らは何の手がかりも待ち合わせていなかった。
 彼らと同じ境遇のプレイヤーたちを描いたフィクションでは、大抵ゲームをクリアする事でゲームは終わり、全てのプレイヤーは解放される。だが、アームド・ユートピアに終わりはない。攻略すべきラストダンジョンも、倒すべきラストボスも、迎えるべきエンディングも、このゲームには存在しないのだから。
 それに思い至ったプレイヤーたちの反応はパニック、狂乱としか言いようがないものだったらしい。ある者は脱出の手がかりを探しに一人旅立ったきり戻らず、ある者は明日こそ助けが来ると言いながら拠点の一室に閉じこもったまま餓死し、ある者は死ねばリアルに帰れるはずと気の降れた事を言い出して仲間を何人も撃ち殺した末に、仲間の手で射殺された。そんな話を聞くたび、ユートは自分がその場にいなくて正直よかったと思ったものだ。
 絶望と狂乱の中、誰が言い出したかとある方法論がプレイヤーたちの間に広まりだした。武力によって全てのコミュニティーを支配下に置き、世界を統一すればゲームは破綻し、彼らはリアルに帰れる、というものだ。この広大なオープンワールドでは気の遠くなるような話ではあったが、お先真っ暗な状態のプレイヤーたちにとっては一筋の光明に見えたのだろう。脱出のために他のコミュニティーへ攻撃を繰り返すコミュニティーは次第に増加し、それまで耕作地や資源を奪ったり取り返したり、報復攻撃したりされたりしながら皆が楽しんでいたゲームは、熾烈な生存競争へと一変した。
 以上、この世界の黎明期に起きた出来事を、ユートは父親とその仲間から伝え聞いた話としてしか知らない。自分が生まれる以前の出来事とは、過去の歴史という形でしか知りようがない。
 ともあれ、世界の統一に至る道は遥か遠く、リアルから救助の手が伸びてくる事は終ぞなく、何か別の脱出手段が見つかる事もないまま、残酷に時は流れた。……そして、今。


「進め! ここを突破するんだ!」
「無茶言わないで! 装甲歩兵もいないのに!」
「マスターがやられた! 誰か、誰か蘇生アイテムをくれ、お願いだ!」
 砲撃でたこ焼き鉄板のように抉れた荒野の中、曳航弾の光が乱舞している。戦闘服姿の『人間』たちが互いに銃を撃ち合い、遠くから迫撃砲弾が飛来しては派手に炸裂し、熱い土砂を降り注がせる。
 数百メートル先には、頑丈そうな強化コンクリートの防壁で囲われた、コミュニティー『ラブ・アンド・ピース(L&P)』の拠点(ホーム)が聳え立っている。防壁の内側にはメンバーの住まう住居や、資源を資材や道具に加工する施設、そして食料を生産する畑などがあり、プレイヤーとNPC合わせて数十人が生活している。
 そこへ向けて攻めかかるのはコミュニティー『人類解放戦線』。プレイヤー一人を隊長に数名のNPCからなる『小隊』を多数繰り出し、多方面から拠点に向けて攻め上がっていた。
 当然、L&Pの側も黙ってはいない。防壁の外側には機関銃に対空砲、ミサイル発射機やレーダーなどの防衛設備が配され、それらを結ぶように塹壕を張り巡せて二重三重の防衛線を構築し、解放戦線の攻勢を跳ね除けようとしていた。
「来るぞ!」
 誰かが叫び、解放戦線側のプレイヤーとNPCが地面に伏せる。途端、ひゅんと空気を裂く音を立てて飛来した砲弾が爆炎を吹き上げ、巻き込まれた誰かが派手に吹っ飛び、それきり動かなくなる。
「畜生、戦車だ!」
「誰か早くアレを片付けろ、みんなあいつらにやられる!」
 砲弾が飛んできた先――――L&Pの塹壕陣地には、丸っこい砲塔から長大な砲身を突き出した戦車が2両、地面を四角く彫りぬいた戦車壕に半身を沈めて鎮座していた。リアルでは日本の自衛隊が配備していた第二世代MBT、74式戦車だ。戦車としては旧型だが、その105ミリライフル砲と頑強な装甲は歩兵にとって十分すぎる脅威だった。
「ロケットランチャー! ロケットランチャー、早く!」
 悲鳴じみた仲間たちの声に急かされ、戦車に有効な対装甲兵器を持った兵が前に出てくる。RPG−7に110ミリ対戦車墳進弾パンツァーファウストといった携行式の対戦車ロケット砲にTOW有線式ミサイルまで、雑多な種類の対戦車弾が白煙を曳いて飛翔し、爆発と煙が74式を覆い隠す。
「やったか!? 前進しろ!」
「ちょっと待って、下手に前に出たら――――!」
 攻撃が弱まったのを見て一つの小隊が前に進もうとした時、煙の中でぱぱっ、と二つの発砲炎が一瞬爆ぜ、次の瞬間その小隊は爆発の炎に飲み込まれていた。
「戦車の榴弾だ! あいつらピンピンしてるぞ!」
「ファック! 幹部プレイヤー連中め、もっとましなグレードの武器を寄越せ!」
「後ろの連中はまだ動かないの!? あたしたちを殺す気か!」
 あれだけのミサイルを打ち込まれながら、なおも轟然と戦い続ける74式の姿に、解放戦線の兵たちから絶望的な声が上がる。
 アームド・ユートピアの武器や防具、兵器や防壁には『グレード』と呼ばれる格付けがあり、上位グレードのものほど威力や精度、拡張性が上がる。彼ら解放戦線の兵に与えられた装備は平均してグレード3前後。これはフィールドを徘徊する低レベルの敵対MOBならともかく、敵対コミュニティーとの対人戦PVPへ持ち込むにはあまりに頼りない。
 一方、彼らの後ろには年嵩のプレイヤーに率いられた一団が控えていた。グレードの高い装備を見につけたその一団は、彼らの苦戦など目に入らないかのように動きがない。
 それが全てを物語っていた。彼ら年若いプレイヤーを中心にした小隊は、本隊のための露払いであり、敵を弱らせるための捨て駒なのだと。
 戦意の衰えを嗅ぎ取ったのか、L&Pの小隊が塹壕から這い出し、攻勢に転じてきた。雨あられと銃弾が降り注ぎ、74式の主砲が吼えるたびに解放戦線側の誰かが宙を舞う。その光景に怯え、パニックを起こして走り出し、敵に狙い撃ちされる者まで出始める。全滅すると誰もが思った、その時。
「ごめん、遅くなった!」
 謝罪の言葉と共に軽快な射撃音が響き、L&Pの兵が一人倒れる。
 そちらを振り仰いだ彼らが見たのは、栗色の髪をした小柄な少年と、彼に率いられた3人の少女が敵陣に突っ込んでいく姿だった。

 アザレアを救助して後方へ向かわせたユートたちが先行した部隊へ追いついた時には、既に状況は最悪だった。低いグレードの武器しか持たない低練度の小隊を、敵の74式戦車2両を中心とした防衛部隊がなぶりものにしている。
「ごめん、遅くなった!」
 皆に向かって声を投げ、同時に向かってくる敵へ向け3バーストで射撃、命中弾を受けた敵が一人倒れ、皆の注目がユートに集まる。
「ユートだ! ユートたちがきたぞ!」
「バカ野郎! 何してやがった!」
「畜生! 嬉しいじゃないか!」
 途端に投げ返される罵声や歓声の雨。コミュニティーの中で自分が少々浮いた、注目を集めやすい存在である事をユートは自覚している。
 それはユート自身の功績というより、ユートの出自によるところが大きいのだが……
「マスターユート……! 私たちのマスターがやられたの! どうしたらいい!?」
 そこへ一人のNPC兵が駆け寄ってくる。その腕には銃の代わりに、まだ12歳前後の男の子が抱えられていた。
 ――こいつらは確か、元『マスケティアーズ』の……
 人類解放戦線と合併した――吸収されたと言った方が正しいが――コミュニティーに所属していたプレイヤーの少年だ。年から見てもフィールドで戦ったのはせいぜい数度、このような大規模対人戦は初めてだろう初心者。被弾したのだろう手足から出血してぐったりと動かないその頭上には、既に死亡カウントダウンが表示されていた。
「マスターは、私たちに蘇生アイテムを使ってしまって……お願いです、マスターに蘇生アイテムを!」
「……ごめん。俺のもさっき使っちゃって、もうないよ」
 そんな、とNPCの少女は膝から崩れ落ちた。申し訳なさに胸が痛むが無い袖は振れない。少年プレイヤーは心臓や頭を撃たれてはいないから死亡カウントには数十分の猶予がある。それまでに誰かが蘇生アイテムを使ってくれる事を祈るしかなかった。
「ひどいよあの人たち! 味方がやられてるのに助けもしないで!」
「そうね。前のボスなら絶対許さなかったでしょうに……」
 苦戦する味方を後方から静観している、第一世代プレイヤー率いる本隊を睨んでペチュニアが憤りの声を上げ、カエデも歯軋りする。
 連中はユートたちよりグレードの高い装備を持ち、一人あたり複数個の蘇生アイテムを用意しているはずだ。なのに、なぜ連中は動かないのか。
 答えは簡単。万が一にも自分が死にたくないからだ。そのために『死んでも惜しくない程度』の兵を先に突っ込ませて露払いにし、敵を弱らせる数押し作戦を取る。人的被害、特にNPCの損害はお構い無しのひどい作戦だが、連中からすれば死んでも惜しくない程度の兵から先に消費するのは普通、らしい。
 この世界がただのゲームだった頃は、NPCはマスター権限を持つプレイヤーの後をついて歩き、与えられた命令に従うだけの存在だった。それがアップデートを重ねる都度感情表現が豊かになり、アイテム一つで簡単に制御できたメンタルが思い通りにならなくなり、人間そのものになっていったそうだが、第一世代の連中はいまだに昔のままの感覚でNPCを道具扱いしているのだろう。
 だが当時を知らないユートにとっては、NPCもプレイヤーも等しく人間だ。なによりカエデたちが先代ボスの記憶を持っているように、彼女たちの中には確かにユートと共に積み重ねた記憶が、思い出が息づいていて、それは彼女たちが死ねば保存も復元もされないまま消えてしまう。そういう意味では間違いなく、彼女たちはこの世界で一つきりの命を抱えて『生きて』いる。
 ――使い捨てになんてさせるか!
「みんな、塹壕から出てきた奴らに向けてありったけのスモークを焚け! 敵の目を誤魔化すんだ!」
 優勢と見たL&Pの小隊が塹壕から前に出始めているのを見て、ユートはそう指示する。それに従って、解放戦線の小隊がスモークグレネードを投擲、あるいは擲弾銃グレネードランチャーからスモーク弾が発射され、灰色の濃密な煙が敵と味方の間を遮るように広がる。
「突撃にぃ、前へ!」
 号令を叫び、ユートは自ら先陣を切って敵へと突っ込んだ。それに付いて来る味方は、同じ小隊のカエデたちを除けばそう多くない。まず確実に赤外線監視装置サーマルモニターを装備している戦車は、煙幕の向こうからでも正確に105ミリ砲を撃ち込んでくる。
 だがユートは全力疾走で煙幕の中に飛び込む。1メートル先もろくに見えない煙を掻き分けて進むと、突然目の前に人影が現れた。L&PのNPC兵だ。突然の遭遇に驚き「て、敵っ……!」と慌てて銃を向けてくる。
 瞬間、強く足を踏み出したユートはM4カービンを横に振るった。キンッと切っ先を逸らされた銃口から検討違いの方向に弾が発射され、ユートはその勢いのまま身体を一回転させての右後ろ回し蹴りをNPC兵の顎目掛けて叩き込む。父、アダマスから痛みと共に叩き込まれた近接戦闘術CQCだ。
 本来、この世界ゲームでの主役は銃だ。ナイフや銃剣、斧やその他の近接武器も数多く存在するが、それは弾切れの時のサイドアームであり活用の機会は限られる。決まった型で剣を振るえば威力が倍加するような技の類も存在しない。
 ユートが使うCQCは、アダマスがリアルで学んだ武術を元に編み出した我流の格闘術であり、システム外の純粋なプレイヤースキルだ。それは時として銃以上の威力を発揮した。
 呻き声を上げて倒れたNPC兵に「悪いね」と言い放ち、ユートはM4カービンのマガジンに入った30発の弾をフルオートで全弾叩き込む。ユートのそれよりグレードの高そうなボディアーマーもこれには抗しきれず、HPを全損したNPC兵はそのまま動かなくなる。
「437号がやられた! 敵が目の前にいるぞ!」
「よくもやりやがったな、ぶっ殺してやる!」
「馬鹿、撃つな! 同士討ちになるぞ、やめ――――!」
 敵の怒声が飛び交い、銃を乱射する音が響き始める。だが煙幕の中でのめくらめっぽうな射撃は、ユートたちを捕らえるどころか同士討ちを起こし、唯一ユートたちを捉えている74式も困惑したように撃ってこない。この状況では友軍誤射フレンドリーファイアで味方を殺してしまう。
 そうして生まれた刹那の逡巡、ユートはカエデと並んで塹壕の中へ手榴弾を投擲。悲鳴が上がり、大慌てで敵が飛び出してくる。
「うりゃーっ!」
 そこへペチュニアが62式機関銃を掃射。飛び出してきた敵が面白いように撃ち倒されていく。
 それでもグレードの低い銃では倒しきれず、弾切れの隙に一人のNPC兵が着剣したライフルで銃剣突撃を敢行してくる。
「ご主人様に、近寄るなああああああっ!」
 そこへカエデが割って入った。M16は既に手放し、代わりに手にしているのは鉄の斧の柄尻に丸型の回転ノコギリを溶接した異形の武器。
 バスタードソー、とカエデが名付けたそれの刃が、チェーンガンの作動音にも似た唸りを上げて高速回転を始め、一閃。破砕音と共にNPC兵の銃が修復不可能なレベルにまで破壊されて宙を舞い、そのままカエデは重く扱いにくい武器を器用に操ってNPC兵の胴体へと刃を叩き込んだ。血飛沫に似たダメージエフェクトを盛大に撒き散らし、「ひぎゃああああああああ!」と悲鳴を上げるNPC兵の体力が文字通り削り取られ、やがてゼロになり倒れる。
「ご主人様、やりましたよ!」
「お、おう……」
 褒めて褒めて、と返り血で真っ赤になった笑顔を向けられ、さすがのユートも一歩引く。
「この野郎!」
 暴れ回るユートたちと増える味方の被害に業を煮やしたか、74式の乗員がハッチから上体を出し、砲塔上のブローニングM2重機関銃を向けてくる。防具の守りを容易く貫いてくる協力無比な機関銃の王が、ユートたちに向けて火を吹――――こうとした時、 「がっ!?」
 被弾エフェクトが散り、74式の乗員が力なく崩れ落ちた。
敵を倒したタンゴダウン
 通信機越しに、ユートでなければ読み取れまい嬉しそうな声音の声がした。サクヤだ。
 彼女の兵科、マークスマンとは、日本語で選抜射手と訳される。一見狙撃手スナイパーに似ているが、単独で行動する狙撃手とは違って普通の歩兵隊の一員として行動し、狙撃手からの攻撃に応戦するなどの役目を担う、小銃手ライフルマンと狙撃手の中間の兵科だ。
 彼女の6倍率スコープ付きのFN−FALアサルトライフルは、マークスマンの装備としては射程も威力も十分ではないが、それでも彼女が放った一発の銃弾は正確に、74式の乗員の頭部をソフトヘルメットごと撃ち抜いていた。
 よくやった、とサクヤを労い、間伐入れずにユートは74式の車体によじ登って、開いたままのハッチ内に手榴弾――――殺傷目的のそれではなく、衝撃波で敵を昏倒させるコンカッション・グレネードを投げ入れる。
 ドンッ! と戦車の中でくぐもった爆音が響き、そこからユートは瀕死状態の砲手と気絶状態の運転手に手錠をかけて外に投げ捨て、空席になった砲手席へと滑り込んだ。
「よっしゃ、鹵獲成功!」
 会心の笑みを浮かべ、ユートは照準器を覗き込みつつ操作用のスティックに手をかける。古今東西、架空の物を含め数多の武器兵器を再現しているアームド・ユートピアだが、この手の操作インターフェイスはゲームらしく簡略・共通化されているため初めて乗る車両でもある程度は動かせる。
 砲弾を榴弾から、対装甲用の装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSに切り替え。もう一両の74式に砲身を向ける。ここで狙われているのに気付いた74式が慌てて砲塔を旋回させたが、ユートが引き金を引くほうが早かった。発射の瞬間、巨大な腕に殴られたような衝撃がユートの乗る74式の車体を揺さぶり、炎と共に『矢』に似た徹甲弾が撃ち出され、一瞬でもう一両の74式の砲塔側面に着弾。盛大な爆発と共に74式の砲塔が宙を舞い、逆さまになって地面に転がった。
「ユートがやったぞ! 戦車が吹っ飛んだ!」
「さすがね! 先代ボスの息子は伊達じゃないわ!」
「あたしたちも行くわよ! あいつらにばかりいいとこ持っていかせるな!」
 ――いいぞ、味方も上がってきた!
 最大の脅威だった74式がいなくなり、ユートたちの奮戦もあって味方が一気に勢いづく。一方の敵は主戦力の戦車を一両失い、もう一両を鹵獲され、明らかに逃げ腰になっている。
「ご主人様、本隊もこっちに来ます!」
 車体に上がってきたカエデが後ろを指して言う。後方で高見の見物を決め込んでいた本隊も、戦果を全部持っていかれると思ったか慌てて突撃してくる。
「いまさら遅いんだよ。全部俺たちがやってやる!」
「操縦席に着きます!」
 カエデが74式の操縦席に乗り込みエンジンを始動させ、敵部隊をキャタピラで蹴散らしながら74式を急発進。リアルなら4人で運用する74式戦車だが、砲弾は自動で装填されるため装填手は必要なく、運転席もモニターで広い視界を確保できるため運用は2人で事足りる。
 追いついてきた味方を集め、即席の戦車隊を形成したユートたちは対空砲に対空レーダーなど、見える限りの防衛設備に向けて手当たりしだいに砲弾をぶち込む。これでL&Pの防空網に穴が開き、ヘリ部隊が安全に接近できる。
「こちらブレイブ小隊! アルファ方面の防空網破壊に成功! ヘリの接近可能です!」
『待ちかねたぜお坊ちゃん! 待ってな、すぐ飛んでってやるぜ!』
 応答したヘリ部隊隊長は、褐色の肌にドレッドへアーという派手な人相の男だった。その軽薄そうな声を聞いて、ユートは不快げに眉根を寄せる。
「アヘマル先輩……」
 このネーミングセンスにいささか疑いの余地がある男は、人類解放戦線の幹部クラスである第一世代プレイヤーだ。人懐っこく、ユートにとっては子供の頃から世話を焼いてくれた人ではあったが……
『おうよ、無事で何よりだ! アダマスも喜ぶぜ!』
 ――あんたが父さんの名を軽々しく口にするな。殺したくせに……!
 苛立ちにギリッと奥歯を噛んだその時、『ユート!』とサクヤの切迫した声がユートの耳朶を打った。
『拠点内部に発砲炎! 砲撃が来る!』
「なに!?」
 どくんと心臓が跳ねる感覚。――トチ狂ったかあいつら!
「全速後退! みんな、伏せろおおおおおおおっ!」
 その声が果たしてどのくらいの味方に伝わったか、それを確認する間もなくひゅるるるるるる、と怖気をもたらす飛翔音が聞こえてきた。砲弾が大気を切り裂く『死神の笛の音』だ。
 数瞬後、耳を弄する炸裂音が轟き、74式の車体に土砂が降り注いでくる。座席から投げ出されそうなほどに車体が激しく揺さぶられ、ユートとカエデは手足を踏ん張って必死に耐えた。
 大口径の榴弾砲による砲撃――――だが細かい照準が難しい間接砲撃は、周辺一体を吹き飛ばす面制圧が基本だ。つまり、
「あいつら、味方ごと撃ちやがった……!」
 何度も負けて悔しいのは解る。切実に拠点と耕作地を守りたいのもよく解る。だが確実に味方を巻き込む砲撃を行うなど、ユートからすればおよそ許しがたい所業だった。
 ――NPCが捨て駒扱いなのは向こうも同じかよ……!
 どうして人間を人間として扱えないのかと怒りが沸くが、とにかく今はこの砲撃をやり過ごさないといけない。
「みんな、聞こえるか!? 聞こえてる奴は塹壕に飛び込め、砲撃をやり過ごすんだ!」
 すぐさま皆に塹壕へ飛び込むよう指示を出し、自身も戦車を飛び出して塹壕へ走る。だがその背中に「マスター……!」と苦しそうな声が投げつけられた。
「お、置いてか……ないで……!」
「ペチュニア!? 怪我してるのか!?」
 砲弾の破片を受けたか、ペチュニアは片足を引きずっていた。急いで駆け寄ろうとしたユートだったが、そこへ再び砲弾の飛翔音が聞こえてきた。
「ご主人様ぁっ……!」
 叫んだカエデに腕を引っ張れ、強引に塹壕の中へ引きずり込まれる。次の瞬間、二射目の砲弾が炸裂――――熱い土砂が降り注ぎ、ペチュニアの姿が炎と煙の中へ消えた。
「ペチュニアッ……! くそっ! 今助ける!」
 思わず外に飛び出そうとし、「ダメですご主人様!」と腰にしがみついてきたカエデに止められた。
「すぐ次の砲撃が来ます! ご主人様までやられたらどうするんですか!」
「ペチュニアを見捨てろって言うのか!? できるかバカ!」
「……助けられても、蘇生アイテムがない」
 サクヤの言葉に、ユートは唇を噛む。一本しか持たされなかった蘇生アイテムは、ついさっきアザレアに使ってしまったばかりだ。
「ご主人様が死んだら、私たちもお終いなんです! お願いです、堪えてください!」
「……っ! 畜生、またかよ……!」
 ユートは無力に呻き、塹壕の壁を苛立ち任せに殴る。
 その頭上を、アヘマルの駆るAH−64Dロングボウアパッチ攻撃ヘリと、降下部隊を満載したCH−47チヌーク大型輸送ヘリの編隊が、爆音を上げてフライパスしていった。今は彼らが一秒でも早く榴弾砲を制圧してくれるのを祈るしかない。  それが、ユートにはたまらなく、悔しかった。


 脱出の手がかりなど何も見つからないまま一日が過ぎ、一月が過ぎ、一年が経過し、減る一方のプレイヤーに残されたプレイヤーたちが静かに絶望し始めていた頃――――通算84回目のアップデートによって、この世界に新たな概念が追加された。
 すなわち『結婚』『妊娠』そして『出産』。
 結婚したプレイヤー同士、あるいはプレイヤーとNPCの男女の間に産まれた子供は、この世界の新たな住人としてその数を徐々に増やしつつあった。ユートもその一人だ。
 ユートはこのゲームの世界で、プレイヤーの父親と、NPCの母親との間に産まれた第二世代セカンドプレイヤー。
 ゲームシステム上はプレイヤーであり、自分で考え、行動する紛う事なき『人間』。しかし帰るべきリアルも、リアルの肉体も持たないという意味ではNPC以外の何者でもない、両者の間に位置する狭間の存在。
 時は、西暦2063年。
 アームド・ユートピアが人々の魂を閉じ込めた牢獄と化し、数多のプレイヤーがその虜囚となってから、30年。
 成長し、言葉を解し、銃の扱いを覚えた第二世代は、コミュニティーの一員として、生きるための戦いを親の世代から引き継ぎ、続けていた。



 ACT:1

 程なく戦闘は終結、L&Pの残存戦力は逃げ出し、戦いは今回も人類解放戦線の勝利に終わった。
 破壊された戦闘車両の残骸が散乱する正面道路からゲートをくぐり、解放戦線が所有する31番目のそれになったホームの中へ入ると、外とは空気の臭いががらりと変わるのが解る。外の汚染された灰色の土壌とは異なり、防壁の中には鮮やかな緑色の草木が生い茂る清浄な土壌が残っているためだ。
 汚染された土壌だらけの中、小島のように清浄な土地があってもすぐ汚染が広がるのでは、という疑問はさておき、そこには野菜や穀物を生産する畑、家畜を育てる小屋などがあり、他にも人が住むための住居、武器兵器を収納する倉庫など多様な建造物が立ち並び、ちょっとした『町』を形成している。
 つい数時間前までは、ここでL&PのプレイヤーとNPCが生活していたのだろう。それを奪われたL&Pの連中はさぞ業腹だろうが、文句を言おうが訴えを起こそうが意味はない。悔しいなら力づくで取り返せ。それがこの世界ゲームのルールだ。  かくして持ち主を替えたホームの中に、ユートたちの姿はあった。
『ユー君! よかったー! 今回もみんな無事なのね?』
 L&Pホームの一角、大きなアンテナを屋根から突き出した建物の中、モニターに映ったクリーム色の長髪をした女性は大きく喜びの声を上げた。
 彼女――――ツバキは、ユートが産まれた時からずっと面倒を見てくれたNPCだ。戦闘関連の能力値が低い非戦闘職なので、今は後方の第7番ホームで他のNPCを取りまとめて農作業その他の雑務に従事している。
 ユートたちが身に付けている通信機はあくまで短距離通信用であり、遠方のホームと通信するには衛星通信アンテナを備えた大型通信機が必要だ。予断ではあるが、他のホームに増援を呼ばれないよう侵攻に先んじてこれを破壊するのも一つの戦術であったりする。
「うん。カエデもサクヤも……運転手のアザレアも無事だから」
 ユートも戦闘の緊張感から解放され、気を抜いた表情で笑いかける。
 だがツバキは「あ……」と表情を曇らせ、無事な中に入っていない名前――――無事に戦闘を乗り切れなかった仲間の存在を、感じ取っていた。
 だがそれは、あえて口には出さない。今は無事な仲間の無事を喜ぶべき時だ。
「もうすぐ報酬が貰えるから、またそっちにも仕送りするよ。みんなで美味しいものでも食べてくれ」
『ありがとう。でも私は、ユー君たちが元気に帰ってきてくれるほうが嬉しいなあ』
 危険な戦場に出ないで欲しい、と婉曲な言い方でツバキは言ってくるが、ユートは曖昧に笑ってそれを誤魔化す。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、俺にもプレイヤーとしての立場があるから……ボスを怒らせるわけにはいかないし」
「……そうよね。ボスは許さないわよね……」
 ツバキは悲しそうに俯く。
 と、カエデが横から割り込んできた。
「ご安心を、ツバキ先輩。ご主人様はわたしたちがお守りしますから」
『頼りにしてるわね。サクヤちゃんも、くれぐれも無理しないで』
「それがキキョウとの約束。問題ない」
 後ろでサクヤも頷く。既にギリースーツはインベントリに収納し、露わになった素顔は水色の髪で片目を隠した少女の顔で、身体も長い手足がすらりと伸びた19歳相当のそれだ。
「それじゃあ、後ろがつかえてるから俺たちはこれで……落ち着いたらそっちに帰るよ。他のみんなにもよろしく」
『はーい。どうか気をつけてね……ユー君』
 通信が切れるや、ユートたちは足早に通信機から離れた。大規模戦の後は家族や友人に連絡を取りたい者は大勢いるので、通信機には長蛇の列ができている。長時間の占有は避けるべきだった。
 外に出て、ユートはふう、と息をつく。……心配を掛けているのは申し訳ないが、あのゴーリィが戦闘にユートを使わないわけがない。
 無理なお願いなのは最初から解っているのだ。それでも言ってしまうほど、ツバキが自分を心配してくれているのは解る。そこは素直に感謝している。
 ――現状に甘んじるのは嫌だけど……今はこのまましかない、か。
「ご主人様、どうしました?」
 などと考えを巡らせていると、カエデが顔を覗き込んできて、うわっ、とユートは軽く驚いた。
「あ、いや……結構洒落た建築だと思ってな」
「そうですね、L&Pにはまだ建築士さんがいるのでしたっけ?」
 立ち並ぶ建造物をきょろきょろと見回してユートとカエデは言い交わす。実用性一辺倒の真四角建築ではなく、屋根の形や外観に趣向を凝らした見栄えのいい建築。人類解放戦線の拠点では見られなくなって久しいものだ。 「……これはハシビィの建築。特徴がある」
 そうポツリと言ったのはサクヤだ。
 立ち並ぶこれら構造物は最初からここにあったのではなく、石材や木材といった建築資材をプレイヤーが建築センスを凝らして組み合わせた、一種の作品だ。ユートの父曰く、こういうサンドボックス的な要素もまたアームド・ユートピアというゲームの特徴にして魅力の一つであり、自分の建築した作品を動画や画像にして公開していた建築上手なプレイヤー、いわゆる建築士が昔は大勢いたらしい。
 サクヤが口にしたプレイヤーも、そういう種類の人間なのだろう。今頃は自分が精魂込めて作り上げた作品を強奪されて、逃げる車の中で報復心を燃やしているに違いない。生きていればの話だが。
「俺もこういう建築ができればな……」
 建築センスにいまひとつ恵まれていないユートは、作るとしてもせいぜい真四角に三角の屋根がついた単調な家がせいぜいだ。
 ユートは一度アダマスに建築を教えてもらった事があるが、そもそも彼の作る建物からしてなんの捻りもセンスもない真四角建築ばかりで、何の参考にもならなかった。
「みんなが雑魚寝させられてるブタ小屋みたいな住居、快適に建て直せればいいのにな。全室個室にして……」
「えー、私はご主人様と一緒の部屋で満足ですよ。あ、でもダブルベッドにしてくれればもっと……」
 カエデの言う事はともかく、今の解放戦線は建築には無頓着な連中ばかりだ。
 今も解放戦線のプレイヤーたちは、建物など目もくれずに嬉々とした顔で食料の生産量を確認している。食料の生産量は養える人――プレイヤーとNPC合わせて――の数に直結し、人の数は即ち戦力であるだけに重要だ。特に世界の統一による脱出を目指す、解放戦線のような『統一派』コミュニティーにとっては。
 だが、雇用されたNPCは広い建物にベッドをひたすら並べただけという収容所のような住居にぶち込まれる。それに不満を漏らしていた知り合いのNPCは多い。
 ユートとしては、誰もやらないなら自分が立派な家を建てて、NPCの皆を住まわせてやりたいのだが。
「みんなにいい暮らしをさせてやりたいんだよ。昔住んでたような、赤レンガとかをふんだんに使ったオシャンティーな家で、暖炉を囲んでうまい肉料理を食べたりしてな」
「いいね。広いお庭に花とか植えてみたい」
「大きなお風呂なんかもあるといいですね。ご主人様とソ……みんなで洗いっことか楽しいですよ」
「そうだな。みんなで……」
 夢を語らう言葉が、不意に途切れる。
 人工芝の敷かれた一角に、数十個もの黒い袋が並べられていた。今回の戦闘で死んだ人を収めた死体袋だ。ゾンビのような敵性MOBはともかく、人間の死体は死んですぐ消えたりしない。適切な形で処理する必要がある。
 その中のどれか一つが、ユートたちの仲間――――だったものだ。

 ――――ペチュニアは、助からなかった。

 あの後、アヘマルから榴弾砲制圧の知らせを受けて塹壕から飛び出したユートたちは、土砂に半ば埋もれて瀕死状態になっていたペチュニアを見つけた。至近弾によって大きなダメージを受けたのか、蘇生猶予時間はこの時点で3分を切っていた。
 他の小隊に蘇生アイテムを分けてくれるよう、必死の思いで駆けずり回ったが、他の小隊にそれぞれ一本だけ支給された蘇生アイテムは、激戦の中で例外なく使い切られていて、本隊の連中はユートたちの懇願など意に介さず先に進んでいき、ユートたちはペチュニアの死亡カウントダウンがゼロになるのを、ただ見ているしかできなかった。
 仲間を失うのは初めてではない。威力ある銃で頭や心臓を撃たれれば即瀕死になり、早ければ数分、長くても一時間弱で蘇生アイテムを使わなければ、プレイヤーもNPCもあっさりと死んでしまう死にやすいこの世界では、誰も死なずに戦闘を終えるのは難しい。死んだ仲間の数はもう数えるのも嫌になるほどだ。
 だが何度経験しても、仲間を失うたびに喪失感は心臓に重くのしかかってくる。……肉体の無い彼らにとっては、それさえ比喩でしかないが。
 本当は今すぐにでも泣き叫びたい。それはカエデもサクヤも同じはずだが、3人とも顔にも言葉にも出さない。
 同じ気持ちを抱えているのは、ユートたちだけではないからだ。
「あああああああああああ――――――――!」
 喉を引き裂くような慟哭。
 集められた遺体の一つにすがって泣いているNPCの少女には、ユートも見覚えがあった。マスターの少年プレイヤーに蘇生アイテムを使ってくれと懇願してきたあの子だ。
「……あいつも、助からなかったのか……」
 助けてあげられなかった罪悪感が、チクチクと胸に刺さる。早く戦闘を終わらせれば誰かが助けてくれると思っていたが、甘かったようだ。
 今、この世界でプレイヤーが死んだらどうなるのか――――昔のようにどこか遠方でリスポーンするのか、それとも本当に人生が終わるのか、実はリアルに帰っていたりするのか、その点第一世代と第二世代に違いはあるのかないのか。多くのプレイヤーにとって最大級の関心事ではあるが、未だはっきりとした答えは出ていない。
 少なくとも、最初の可能性についてはかなり低くなっていると思う。どこか遠くでリスポーンするなら遠くからリスポーンしてきた人がいてもおかしくないはずで、30年間一度もそういう人を見かけないというのは考えにくい。
 たぶん本当に死ぬのだろう。多くのプレイヤーはそう考えている。
 せめて自分たちも冥福を祈ってあげようと思い、3人は少年プレイヤーの遺体に歩み寄る。……と、
「近付かないでください!」
 泣いていたNPCの少女は、ユートたちの接近に気付いた途端、鬼の形相で睨みつけてきた。
「マスターに……私のマスターに、これ以上触れないでください! まだ戦闘に参加するには早いと言ったのに、あなたたちが……!」
 あなたたちがマスターを殺したんだ! と涙混じりの声で怒りを向けられ、ユートたちは返す言葉もないまま顔を見合わせる。
 この2人は、少し前に人類解放戦線に吸収されたコミュニティー、『マスケティアーズ』のメンバーだ。規模はプレイヤーとNPC合わせて50人もいない小所帯で、1000人を軽く超える巨大コミュニティーの解放戦線には逆立ちしても対抗できない。
 1年ほど前に勢力圏が接触した彼らは、抵抗せずに降伏を受け入れ解放戦線の一部となった。それは生き残るための措置だったのだろうが、その後は当然解放戦線の一員として戦う事を求められる。その結果がこれだ。
 マスケティアーズに戦力を出せと強制したのは間違いなく解放戦線の幹部プレイヤー連中。それに応じてこの年端もいかない少年プレイヤーを差し出したのは、きっとマスケティアーズの第一世代プレイヤー連中。大人たちから寄ってたかって『死んでも惜しくない』と見なされ、使い捨てられたこの少年の末路は他人事ではない。ユートにとっても明日は我が身だ。
 いたたまれなくなったのか、カエデがそっと声をかける。
「……ねえあなた。この子、ご両親は生きているの?」
「はい……ホームに母親が。いったいどんな顔をしてご報告すればいいのか……」
「ご主人様。なんとかこの子を、親元に返してあげられないでしょうか……」
「そうだな……もうすぐ補給物資を積んだ輸送ヘリが来る。帰りに乗せてもらえるよう話してみるよ」
 え……とNPCの少女がユートを見上げる。
 ユートたちが直接関わったわけではないが、所属するコミュニティーのした事だ。この程度のけじめはつけておきたい。
 きっと、アダマスが生きていてもそうするはずだ。
「この子も親御さんの所に帰ったほうが……」
 喜ぶだろう、と言いかけて――――
「何を無駄な油を売っている、貴様ら」
 後ろから乱暴に投げつけられたその声に、ユートたちははっとして振り向く。
「ボ、ボス……」
 見上げるような巨躯のスキンヘッド――――ボスのゴーリィが、物を見るような無感情な顔をして、そこに立っていた。身長150センチ弱の小柄なユートに対し180を超える体躯のゴーリィはまるで巨人のようだ。
「さっさと焼却炉に持っていけ。死体を放置していたらNPCのメンタルが悪化する」
「な……!」
 散らかったゴミを片付けろと言わんばかりの口調で言い放ったゴーリィの言葉に、NPCの少女は絶句する。
 12歳の若さで戦って死んだこのプレイヤーを、敵の死体やゴミと一緒に焼却炉で処理しろと言うゴーリィには、死者への敬意など微塵もありはしなかった。あまりに傍若無人な命令に、サクヤとカエデは揃って反駁する。
「……待って。マスケティアーズのこの子はホームに返してあげたい」
「彼はまだ子供です、せめて親御さんの元に……!」
「そのためにヘリを使わせろと?」
 ゴーリィは不快そうに目を細めた。その表情変化だけで、ユートの身体に震えが走る。
「無駄な燃料を使わせるな、たわけ」
「ボス! あなたって人は――――!」
「ユート。このイカれたNPCどもを黙らせろ」
 ゴーリィに目を向けられ、ユートはまたびくりと身を震わせた。
 本音では、ユートもこの少年を親の元に眠らせてあげたい。いや、彼だけじゃない。そもそもここに横たわっている全ての『人間』は誰のために死んだ?
 あの時、ユートたちを運んでいた車両がただのトラックではなく装甲車だったなら、運転手が頭を撃たれて瀕死になる事はまずなかったろう。そうすればユートも一つきりの蘇生アイテムを使わずに済み、彼を助ける事もできた。せめてあと1つ蘇生アイテムがあれば、ペチュニアも助けられた。他の小隊の人たちも、戦車の護衛があったなら、もっといいグレードの装備を持たせていたなら、蘇生アイテムをケチらず多めに待たせていたなら。
 被害を減らす余地はいくらでもあった。それを怠ったくせに、ゴミと一緒に燃やせなんてどの口が言う? 二度とそんな事を言えないよう、ゴーリィの脳天に銃弾をぶち込んでやりたい。
 だがいくら内心でそう思っていても、口に出せなければ意味がない。
「おい。私を怒らせるなよ、ユート」
 その一言だけで、ユートの反抗の気力は根こそぎ奪い去られてしまう。
 早くリアルに帰りたい気持ちが高じて、常に焦り苛立っているこの男は、ユートの心のアキレス腱を熟知している。と同時に、いつでもそれを叩き切れる立場にいる。
 逆らえるわけが、ないのだ。
「二人とも……よせ。それ以上はまずい……」
 結局、言われるがまま二人を止めてしまう。そして二人も、ユートの命令とあってはそれ以上逆らわず、矛を収めてしまった。
 それを見たゴーリィは面白くなさそうに鼻を鳴らして背を向け、マスケティアーズのNPCは味方がいなくなった事に絶望したのか項垂れ、ユートは屈辱と情けなさに唇を噛む。
「――――ああああああああああああああああっ! よくも、よくも――――――――っ!」
 途端、弾かれたようにナイフを抜き放ったマスケティアーズのNPCが、奇声を上げてゴーリィへ切りかかる。
「待っ――――!」
 止めようと手を伸ばしたユートの耳を、ドウン、という重い銃声が打った。
「使えない奴らめ」
 忌々しげに吐き捨てたゴーリィの手には、巨大なドラムマガジンが目を引く、大柄なフォルムの銃が煙を上げていた。
 フォステック・ORIGIN12――――近距離では無類の威力を誇る12ゲージ散弾をセミオート連射する、グレード7の高性能銃による銃撃を至近距離で受け、全身から赤いダメージエフェクトを撒き散らしながらマスケティアーズのNPCが倒れる。
「呪われろ……」
 致命傷を受けて瀕死となる刹那、彼女の唇から漏れた呪いの言葉をユートは確かに聞いた。
「マスケティアーズの連中にはペナルティが必要だな。……ああ、ユート、報酬だ。武器を買うなり仕送りに使うなり好きに使え」
 ゴーリィの手の中にアイテムが実体化する。この世界のゲーム内通貨、GCグローバルキャッシュをプレイヤー間で受け渡しするためのマネーカードだ。戦闘参加した報酬であるそれをヒュッとユートの足元に投げて寄越し、「それも死んだら片付けておけ」と言い捨てて今度こそ歩き去っていった。
「……あの野郎」
「ご主人様……」
 サクヤは憎々しげな目をゴーリィの背中に向け、カエデはユートを気遣わしげに見る。
 そしてユートは――――家畜の餌のように投げ与えられた報酬を破り捨てたかったが、結局はそれもできず、報酬の何割を仕送りして、何割を次の戦闘のために使えばいいか……そんな事を、考えるしかなかった。


「――――畜生畜生畜生畜生畜生!」

 シャワーの熱いお湯を頭から浴びながら、ユートは苛立ちと共に拳を壁に叩きつけた。
 あの後、蘇生アイテムを持っていなかったユートたちは、マスケティアーズのNPCを蘇生させる事もできないまま、彼女の死亡カウントがゼロになるのを見守るしかできず――――結局ゴーリィの言いつけ通り、彼女と、彼女のマスターである少年プレイヤー、そしてペチュニアと、ほか何人かの遺体を自らの手で焼却炉に放り込んだ。
 そのまま逃げるように宛がわれた住居へ駆け込み、シャワー室に飛び込んだ。そこでユートはようやく、堪えていた感情をぶちまけた。
「あの野郎……いつか絶対、殺してやる……」
 実際に彼を目の前にすれば震えて従うしかないくせに何を、と自分でも思ってしまうが、その思いは3年変わっていない。
 昔はこうではなかった。父がいて、母がいて、親切な第一世代たちがいて……このコミュニティーが『ブレイブ・ハート』と呼ばれていた頃は、今よりずっと居心地がよかった。こんな世界である以上戦闘と無縁ではいられなかったにしろ、第二世代やNPCを使い捨てるような戦い方もなかった。
 それが変貌したのは3年前……コミュニティーの先代ボスだった父アダマスが、母キキョウと、何人もの第一世代プレイヤー共々、作戦の途中で行方不明になってからだ。
 敵対コミュニティーとの対人戦PVPではなかった。オプスと呼ばれる、フィールドに出没する敵性MOBの集団を討伐すれば報酬を受け取れる類のイベントだ。夜間にフィールドを徘徊する普通のそれに比べれば強力とはいえ、NPCのような知性も持たないMOBごときに、あれだけ強かった父と母が殺された? 信じられるわけがないし、信じたくもない。
 だが当時11歳のユートは年相応に低脳で、何の力も持っていなかった。父がいなくなったのをこれ幸いとコミュニティー掌握に動き出したゴーリィ一派と、父を支持するもう一派とが内紛を起こし、血みどろの殺し合いを始めた中をただ震えながらやり過ごすしかできなかったのだから。
 内紛の結果、アダマス同様に第二世代の親となり、その方針に賛同していたプレイヤーは軒並み殺されるか追放され、ゴーリィとその賛同者によってコミュニティーは掌握された。今思えば、最初からこのつもりでゴーリィはアダマスを罠に嵌め、殺したのだろうとユートは思っている。
 もともとブレイブ・ハートは20年ほど前にアダマスがゴーリィ、ほか数名のプレイヤーと共に旗揚げしたコミュニティーであり、その方針は『統一派』であった。だがキキョウと結ばれ、ユートが産まれた事がアダマスの心を変えた。彼はリアルへの帰還より今いる家族を守る事を優先し、以来ブレイブ・ハートは穏健な、他のコミュニティーに対する自衛以上の戦闘行為を控える『中立派』コミュニティーとして穏やかにやってきた。
 しかし、ゴーリィはそれが許せなかったのだろう。彼は妻も子も持つ意思はなく、依然としてリアルへの帰還を強く望んでいた。その方針の違いから、共にコミュニティーを旗揚げした二人の間には対立が生じ――――アダマスを殺したに違いない。
 アダマスに代わってボスの座を手に入れたゴーリィは、穏健な『中立派』だったコミュニティーの方針を強硬な『統一派』のそれに転換させ、名前も人類解放戦線なる仰々しいものに変えてしまった。そしてユートたち第二世代とNPCを容赦なく戦場へ駆りだし、周辺のコミュニティーを次々屈服させ、1000人規模の巨大コミュニティーへとのし上がった。
 アダマスとキキョウが、この世界で生きていくため戦闘技術をユートに叩き込んだのは正しかった。おかげでこの3年、多くの第二世代やNPCが命を落としていく中、ユートはカエデやサクヤと共に、仲間を失いながらも生き残ってこれたのだから。
 だが、明日の保証はない。次に死体袋に入れられ、ゴミと一緒に焼却炉に放り込まれるのはカエデかもしれないし、サクヤかもしれないし、ユートかもしれない。
 本当は、そうなる前にこんなコミュニティーからは逃げ出したい。こんな死にやすい世界だから死ぬのは仕方ないにしても、両親を殺した連中の道具として使い捨てられるのだけは嫌だ。
 だが、ユートにはそれもできない。できない理由があって――――
「ご主人様。ツバキさんたちへの送金と、消耗品の補充、終わりました」
 と、そこへコンコンとシャワー室の戸がノックされ、カエデの声がした。例の報酬で弾薬その他の消耗品を補充して、残りをツバキたちの元へ送ってきてくれたようだ。
「ご苦労様。部屋で休んでてくれ」
「はい。……あの、ご主人様」
「どうした?」
「その……マスケティアーズのお二人の事は、どうしようもなかったと思いますから……」
 その話か、とユートは思わず苦笑いする。要するにカエデは、ユートがあの二人の事で落ち込んでいると思って、気を使いに来たのだろう。
 カエデはアダマスとキキョウからユートと共に戦闘技術を学び、2人の死後は重火器を好んで扱うパワー型の戦闘職として共に戦ってきた。今のユートにとっては親よりもずっと一緒にいてくれた存在だ。
 そんな彼女が『生まれ』たのは2049年。ユートが産まれたのと同じ年だ。正確には、廃墟の冷凍カプセルの中から発見される形でスポーンした。なのでふたりは同じ14歳という事になるが、NPCはそこが少しややこしい。冷凍カプセルから見つかるNPCは、最終戦争直前に冷凍睡眠で戦争をやり過ごそうとした人々、という設定だ。当然それが0歳の赤ん坊とは限らない。
 カエデは発見当時3歳だった。なので今はプラス14で17歳という事になるが、その3年は所詮ゲームの設定に過ぎないわけだから、発見されたその時がまさに生誕の瞬間、と考えればやはり14歳だ。
 そしてサクヤは肉体年齢19歳相当だが、13歳で『生まれ』てから6年しか年月を重ねていない。ペチュニアは15歳相当の3歳でこの世を去った。中には80歳で『生まれ』た3歳なんて人さえいるように、NPCの実年齢と肉体年齢は完全に別物だ。もちろん設定年齢には相応の言語力と知識が付いてくるにせよ、どちらを彼ら彼女らの年齢とすべきかについてはプレイヤーどころか、NPCの間でさえ意見が分かれている。
 話が少し逸れたが、カエデはユートと生まれてからの時間をほぼ完全に共有しているだけあってか、ユートが落ち込んでいたりするのは目ざとく気が付くのだった。
「……気にしてないよ。どうせいつもの事だって」
 実は思いっきり気にしていたが、プレイヤーである自分は彼女たちを守る立場なのだ、と自負するユートは強がってみせた。それはカエデを心配させたくはない一心での事だったが、カエデは納得していないのか立ち去る気配がない。
 少しの気まずい沈黙の後、ユートがとにかく口を開こうとした時、カラカラと戸が開く音がしてそちらに目を向け――――装備どころか下着も全解除した、一糸纏わぬ姿のカエデが目に入り、「うわあ!?」と目を逸らした。
「ご主人様、お体洗って差し上げますね」
「ば、バカ! もう一人で洗えるって!」
 ユートが一人で風呂に入れなかった問題なんてもう何年前に克服したと思っているのか、カエデは無遠慮に裸の身体を寄せてくる。トップ82の豊満な胸が目線の高さでふるふると揺れているのが目に入り、動揺して思わずカエデを強く突き飛ばしてしまう。
「ひゃん! ……どうしていけないんですかご主人様! いつもあんなに仲良く、一緒にお風呂に入ってるじゃないですか!」
「いつもって、昔の話だろ……!」
 3年――――いやもっと最近だったか? とにかく14歳相当に成長した今のユートに、17歳相当のカエデの裸体はいささか刺激が強すぎた。
 アダマス曰く、以前は解除できる衣服は上着までで、下着は解除不可だった。十数年前に出産が実装されると同時に着衣の全解除コマンドと、裸体のテクスチャ、ついでに風呂やシャワーも追加されたらしい。
 理由は容易に推測できる。子供を作るために必要な行為のためだろう。リアルのそれと概ね違わないそのプロセスを初めて聞いた時、それまで結婚した夫婦が一緒の部屋で暮らしていれば子供がスポーンするのだろうとばかり思っていたユートは、大いに衝撃を受けたものだった。
 余談ではあるが、その行為を相手の意思に反して強制しようとした、そうでなくとも同意なく異性の身体に触れたりした場合、この世界ではハラスメント防止プログラムが働く。具体的には巨大な手で殴られたように吹っ飛ばされ、それが短期間に3回も続く不埒者に対しては、落雷によって即死というきつい天罰が待っている。
 子供を作るため、あるいは一時の快楽のために行為を強制するような野蛮極まる真似は、この世界のルールゲームシステムが決して許さない。なぜならアームド・ユートピアは厳正なる審査の元、全年齢対象として発売された健全なゲームだったからである。
「と、とにかく俺は出るっ!」
「ダメですっ! 一万数えてからっ!」
「茹で上がるって!」
「んもう、ご主人様ー!」
 逃げようとするユートに、カエデが背中からしがみついてくる。柔らかな乳房が背中でむぎゅっと潰れ、「ひえっ!?」と全身の血液が沸騰しそうになる。
「カエデ……今日はどうしたんだよ。誰かに見られたら……」
「だってご主人様……嫌な事があって落ち込んでいるみたいでしたから、元気にしてあげようと思って……」
 確かに元気にはなったかもしれない。……主に体の一部が。今はみんな通信や他の雑務で忙しいのか、シャワー室には誰もいないのが幸いだった。
「ご主人様……私たちのために嫌な事とか我慢してくれてるのには感謝してます。だからこんな時くらい無理しないで、泣いちゃっていいんですよ?」
「…………」
 その言葉に、ユートは抵抗をやめた。意地を張って無理をしているのも、すっかりバレてしまっている。
 カエデが言う通り、今のユートは泣きたいほど悔しい。父と母を殺したのだろう連中の言いなりにされ、無茶な戦いで仲間を亡くして……そこまでされながら何の反抗も許されず従うしかない現状にはうんざりだ。
 それでもユートがコミュニティーからの離脱という、ゲームとしては普通に推奨されるだろう行動に踏み切れないのは、カエデやサクヤ、そしてツバキたちNPCの存在があるからだった。両親がいなくなっても変わらず傍にいてくれた彼女たちこそが、今のユートに残された家族。置いて行くなど論外だし、連れて行くには問題が多すぎる。
 彼女たちを連れてコミュニティーを抜け出したとして、いつまでも外のフィールドを放浪してはいられない。夜になればゾンビやミュータントといった敵性MOBがうろつくフィールドは危険で、なにより食料がない。
 フィールドに点在する廃墟などを探索すれば、僅かばかりの食料は手に入る。だがそれはゲーム開始直後やリスポーン直後など、ソロで行動するプレイヤーのために用意されたもので、ツバキたち非戦闘職も含めれば4〜50人になる家族全員が長期間生きていくのは不可能だ。
 仮に、皆が餓死する前に拾ってくれるコミュニティーが見つかったとしても、全員を受け入れてくれるかどうかは怪しい。能力地の低いNPCは捨てられる可能性も高い。
 一番の問題は、ツバキたち非戦闘職がユートたちと遠く離れた別のホームにいる上、彼女たちのマスター権限をゴーリィが持っている事だ。奴はその気になれば、いつでも戦闘職でないツバキたちを徴兵して、無茶なオプスに突っ込ませて殺す事ができる。奴が言っていた『怒らせるな』とはまさにそれを示唆する言葉だ。ゴーリィは第二世代の事を、昔のNPCやMOB同様の心を持たないゲームキャラクターとしか見ていないのに、そういう心の弱みはきっちりと見抜いてくるからたちが悪い。
 つまりユートが解放戦線を抜けようとすれば、どうやっても家族を失う可能性が高い。ユートにとってそれは看過できるリスクではなく……逆にユートがこうして我慢し、戦い続けていれば報酬が貰えて、ツバキたちへ仕送りもできる。現状、いくら考えてもそれが一番いいという結論にしかならない。
 どんな時も皆とユートを守ってくれた父も母もいない今、ユートしか皆を守れる者はいないのだ。例えそれが、ゴーリィの狙い通りだとしても。
「くそっ……」
 ユートは悔しさに呻く。
 今のユートは、アメとムチの使い分けで見事に操られたゴーリィの道具だ。  両親を殺したであろう男とその一味に命じられるまま戦い、仲間を失いながら逆らいもできず、逃げる事もできず、餌のように投げ与えられた報酬を破り捨てる事もできないまま、カエデたちに慰められているただのガキだ。
 いつか殺してやる、いつか両親の仇を取ってやると思っていたところで、その『いつか』がいつになるのか結局見通せない。ユートはそれが、情けなくてたまらなかった――――



「ったく、またトウモロコシのお粥と芋のスープかよ……」
 シャワー室でひとしきり泣いた後、食堂で配られた昼食を見たユートはげんなりした声を漏らした。
 トウモロコシに芋、どちらも生産性が高く、取れ高の多い食材だが、ユートたちにとってはとっくに食べ飽きて久しい。
 他に美味い食べ物はいくつもあるが、ゴーリィの方針は生産性の高い食糧を多く生産する事に重点を置いていた。そうすればより多くの人員を養う事ができ、コミュニティーの戦力増加に繋がる。理に適ったやり方と言えばそうだが、そこに『生活の質』という考えはない。NPCにはエサを与えていれば十分というわけだ。
「ツバキ先輩のサンドイッチが食べたいですねえ……」 
「ササミサラダ食べたい」
 カエデとサクヤも同じく不平を漏らしていると、配膳係のNPCから「しょうがないだろ、文句があるなら食うな」と怒られたので、ユートたちはそそくさと着席した。
「――――ちょっといいかぁ、坊ちゃん?」
 大して美味くもない昼食を黙々と口に運んでいると、不意に無遠慮な男の声が割り込んできた。
 ユートが顔を上げると、そこにはフライトジャケット姿の、爆発したようにど派手なドレッドヘアーの男がユートを見下ろしていた。
「せっかく大規模戦に勝った後だってのに、相変わらず味気ねえもの食ってんな」
「アヘマル先輩……何の用ですか」
 眉間に皺を寄せたユートは、憮然とした態度で男――――アヘマルに応える。
 いろいろ思うところのある人間だったが、そもそもユートたちの食事事情が悪いのはコミュニティーの運営方針のせいだ。アヘマルはそれを決める幹部プレイヤーの一人のくせに、『味気ねえもの食ってんな』とはいささか嫌味が過ぎる。そう思うならもっと良い物を食わせろ。
「ご挨拶だな……オレはボスから言伝を預かってきただけだよ。『ブレイブ小隊は2時間後、採集任務に出ろ』ってさ。壊れた防壁を直す資材が足りねえらしい。コンテナ一杯の強化コンクリート取ってくるまで帰ってくるな、だと」
「……休む間もないですね」
 2時間あれば数値上の疲労は回復するが、大規模戦の後くらいは1日寝かせて欲しかった。
「帰ってくるなと言われても、強化コンクリートのある廃墟とかはどこにあるんですか?」
「探してこいとよ」
「無茶を言う……」
 目を細めてサクヤが毒づく。すると「なんてな」とアヘマルは破顔した。
「見つけといたぜ。ここの連中が作ったこの辺の地図だ」
「……ありがたく受け取っておきます」
 差し出された地図を半ばひったくるように受け取る。3人から向けられる剣呑な視線に、アヘマルはやれやれと肩をすくめた。
「嫌われてるねえ。……ああそうだ。手間賃代わりにこれやるよ」
 言って、アヘマルは茶色の包みに入った長方形の物体をテーブルの上に置いた。どうやら書籍らしい。
「なんですかこれ。銃のカタログとか?」
「フッフッフ、オレ様秘蔵、『巨乳水着美女百連発』の写真集だぜ。先月の探索で見つけたレア物で……」
 言い終わらないうちにドガンと斧がぶち込まれ、「ぬわーっ!」とアヘマルが悲鳴を上げる。哀れにも秘蔵の写真集はテーブルごと真っ二つになった。
「ご主人様にいかがわしいものを見せないでください! そういうのはわたしだけで十分なんです!」
「そういうカエデの譲ちゃんも大概だと思うけどな……まあいい。帰ったらオレ様がうまいとんかつ食わしてやるよ」
「は、さすが幹部はいいご身分ですね」
 出て行くアヘマルの背中へ向け、ユートは強烈に皮肉を投げた。
 地図をくれたのは助かるし、とんかつも魅力的ではあったがこの男、ユートたちにとって簡単には許せない相手だった。
 アヘマルは、父アダマスとは昔所属していたコミュニティーからの友人で、『ブレイブ・ハート』の創設メンバーの一人だ。当然ユートたちの事も産まれた時から知っている。昔は世話になったし、信頼もしていた。
 だがこの男は、アダマスとその仲間たちが殺されるか追放された3年前になぜか追放もされず解放戦線に残った。『二人は死んだよ』とユートに両親の死を告げたのも彼だ。
 妻も子もいないから、ゴーリィに殺されなかった――――のであればまだいいが、アヘマルはアダマスとキキョウの死を間近で見ていたはずなのに、その時の事を詳しく語ろうとしてくれない。そして今もなお、解放戦線の幹部としてコミュニティーの運営に深く関わる立場に収まっている。
 この男はゴーリィの目論見を知りながら、自分の地位と身の安全のために両親と皆を見殺しにしたのでは――――今、ユートはそう疑っていた。
 昔よくしてくれたのは確かだから疑うのは本位ではないが、無条件に信じるには怪しすぎる。本人もそれを自覚しているのか、どこか距離を置いている節がある。
 ――どうして何も教えてくれないんだよ。あんたも結局、俺たちを物扱いしてるって事なのか……
 彼の事は、信じていい人だと思っていたのに。


「燃料補給完了! タートル小隊出発するぞー!」
「誰かパンジーを叩き起こしてきて! 遅れるわ!」
「幹部の奴ら、過重労働手当ては出るんだろうな!?」
 2時間後、束の間の休息を済ませたユートたちがホームの正面ゲート前に到着すると、同様に採集任務を言い付けられた――率いているのは当然のように第二世代ばかりの――不運な小隊が、慌しく出発の準備をしていた。
 事前に聞かされた番号のトラックを見つけて歩み寄ると、バックパックのインベントリを開いて何かしていたらしい運転手のNPCが、ユートたちに気付いて手を振ってきた。
「ご一緒すんのは始めてやね。あたしは車両隊のピアニー言います。よろしゅうお願いしますわ」
 そう一風変わった口調――それが『関西弁』という日本語の方言と知ったのは少し後になる――で名乗ったピアニーというNPCは、オレンジ色の髪をポニーテールに結った女性だった。
「ブレイブ小隊のユートだ。こちらこそよろしく」
「噂は聞いとるよ、先代ボスの息子はん」
 ユートは気さくな態度で話しかけてくるピアニーと握手を交わし、ステータスウィンドウを確認する。やはり車両の運転に関係する能力値が高く、戦闘関連はいまひとつ。車両隊に配属されるのは当然なステータスだ。
 その他に人物特性として『ムードメーカー』や『のんべえ』などがあった。たまにお酒を与えなければメンタルが悪化するのんべえはともかく、同じ小隊のメンタル悪化を抑制するムードメーカーは悪くない。全体としてはまずまずの人材かなと評価を下しつつ、彼女のマスターが空席になっているのを確認してタップ。これでピアニーのマスター権限はユートに渡った事になる。
「ライフルマンのカエデよ。ご主人様の『一番の』パートナーだから、よろしくね」
「……自分はサクヤ。マークスマン」
「お二人もよろしゅう。今回の戦闘でも大活躍やったみたいやなあ。うちは見ての通り戦闘は苦手なんで、頼りにしとるで」
 そう言って2人と握手を交わすピアニーの武装は、右太腿にミネベア9ミリ機関拳銃がホルスターで提げてあるだけだ。威力や発射レートはともかく、ストックがないから命中精度が悪いのは否めない。弾をばら撒いて牽制するための銃といった感じだが、小さくて携帯性はいいのでピアニーのような運転手の護身用には向いている。
「ところでユートはん。報酬はいくらぐらいになるんや?」
 ――さっそく報酬の話か。しっかりしてる奴だな……
「何事もなければ一割。戦果によっては応相談かな」
 基本的にNPCのお金はマスター権限を持つプレイヤーが管理する。この場合は『自由に使えるお金』を一割で、食費や弾薬などの必要経費は入っていないから、別にユートがケチっているわけではない。
「まあ相場やね。ビール何本買えるやろかなー」
 早々に報酬でお酒を買う計画を考えながらピアニーがトラックの運転席、ユートが助手席、カエデとサクヤは荷台に乗り込み、出発。
 ゲートから一歩外に出ると、そこはもう汚染された灰色の土地が地平線まで広がる不毛の荒野だ。ホーム周辺では破壊された対空砲などの残骸を撤去し、新しい物を設置する作業が始まっている。防壁の上でも人が忙しく行き交っていて、ホームの防衛機能を復旧させる作業が急ピッチで進められていた。
「随分急ぐもんだな。L&Pもそんなすぐ取り返しには来られないだろうに……」
 ユートは車窓に頬杖を付いて言う。自分たちへの採集命令といい、この修復作業といい、ゴーリィはNPCの疲労など度外視で性急に事を進めていた。
「次の侵攻作戦を早よやりたいんやろな。他の子から聞いた話やねんけど、14番ホームからも増援が来るらしいで」
「あと一つホームを落とせば、戦局は決定的になるでしょうからね……」
 荷台の小窓から、カエデが口を挟んでくる。
 L&Pが弱ってる今のうちに一気に叩いて、降伏に追い込む――――それはまあ、戦略としては正しいかもしれない。戦わされるユートたちにとってはたまったものではないが。
「そうまでして帰りたいくらい、リアルってのはいい所なのか?」
「……さあ。自分たちには縁のない話」
 そう、サクヤ。
 リアルを知らないユートたちには、ゴーリィたちがこうもなりふり構わず帰りたがる心境がいま一つ理解できない。
 この世界が今の形になって30年。当時10代の少年だったゴーリィその他の第一世代は、リアルで過ごしたそれの倍近い時間をこのゲーム世界で過ごしているわけだ。アダマスがそうだったように、この世界に根を下ろそうと考えてもよさそうなものだが。
 楽しむために来たくせに、今はそんなにこの世界が嫌なのだろうか。だとしたらリアルという世界がどんな楽園なのか興味はあるが、どのみちユートたちには関係ない。
「第一世代の人らも難儀なもんやな。世界の統一なんて、ホンマにできると思うとるんかねぇ?」
 そのピアニーの言葉に、「おいおい。問題発言だな……」とユートはかなり驚いた。
 コミュニティーの目的――正確には手段だが――である世界の統一に疑問を投げるなど、第一世代連中の耳に入れば確実に怒りを買う。コミュニティーの誰もが口にするのを避ける言葉を、ピアニーは平然と口にしてのけた。
「あんたらはできると思うとるんか? そないな事」
「…………」
 ユートたち3人は小窓越しに、顔を見合わせる。
 いつもなら怖くて口にできない話題だが、第一世代の目がない今なら本音を吐露してもいいだろうか。
「……まあ無理だろうな」
「無理だと思います」
「永遠に無理」
 ユートとカエデとサクヤは異口同音に、無理、と断言する。
 今、世界の統一と称した潰し合いに狂奔している第一世代連中も、最初から何も考えず殺し合いを始めたわけではない。そもそも世界を統一すればゲームは終わるという考えの元になったのは、世界に平和と文明を取り戻す、というアームド・ユートピアのバックグラウンドだ。争いがなくなる事がゲームの終わりと考えているわけで、当初は平和的にコミュニティーの統合と同盟を進め、食料を互いに融通する事で統一を成し遂げようとした。
 一時は数万人規模の超巨大なコミュニティーの同盟が造られるところまではいったらしい。しかしそこまでが限界だった。あるいは神の怒りに触れたと言うべきかも知れない。
「ここ最近、ホームを襲撃してくる敵性MOBも強力だし、規模も大きくなってきてる。先月の防衛戦だって危なかった」
 先月、今いるここから南西に100キロほど離れた15番ホームに、ゾンビ500匹以上の群れが襲撃してくるイベント戦闘が起きた。ユートたちがヘリで駆けつけた事で事なきを得たが、あと一時間でも遅ければホームは陥落し、貴重な耕作地と兵器、そして100近い人命を失っていただろう。
 そしてこの手のイベントとその難易度は、単純にランダムで決まるわけではないのだ。
「……ストーリーテラーが、本格的に潰しにかかってきてる?」
 サクヤの声には、若干の不安そうな響きがあった。
 ストーリーテラーとは人ではない。この世界――――アームド・ユートピアを管理・調整するAIだ。その役目は、例えばホームにゾンビの群れが襲撃してきたり、耕作地が汚染を受けて使えなくなるようなイベントを不定期に提供する事で、プレイヤーを飽きさせないと同時に流通する物資の量を制限し、コミュニティー間で争いたくなるよう仕向け、ゲームを活性化させる事。
 基本的にコミュニティーが大きくなればなるほど、イベントは過酷なものとなりゲームの難易度は上がっていく。それは昔こそプレイヤーのモチベーション維持に大きく貢献していたようだが、世界が今の形になった事でストーリーテラーはプレイヤー、特に第一世代にとって、ある意味最大の障害となった。
 かつての巨大同盟に対し、ストーリーテラーは防御の薄いホームに敵性MOB襲撃イベントを起こしてホームを陥落させ、『死の風』イベントで耕作地を汚染し彼らを食糧不足に追い込んだ。彼らは食料の相互援助で乗り切ろうとしたもののそれさえ滞り、やがて食糧不足に耐えかねた一つのコミュニティーが耕作地を武力奪取した事をきっかけに、巨大同盟は空中分解した。
 全プレイヤーの平和的な同盟が頓挫した事で台頭したのが、武力によって全てのコミュニティーを支配下に置き、統一するという今の『統一派』の基本理念だ。同盟ではなく強権的に支配される一つのコミュニティーなら、食糧不足に陥っても他所から奪うか、身内を切り捨てればいい。マスケティアーズなどが同盟ではなく吸収されたのはそういう事だ。
 対抗するつもりでむしろ思い通りに振り回されている気がしないでもないが、この思想の下他のコミュニティーへ攻撃を繰り返すコミュニティーは次第に増加し、平和的な統一を求めていたコミュニティーも彼らに対処するため軍備を調える必要に迫られ、今のドンパチ賑やかな世界ができあがった。
 プレイヤーたちを生かさず殺さず追い込み、果てのない争いを強制し続ける、無慈悲で無邪気な機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナは、世界の統一など許すつもりはない。今のところは対処できても、コミュニティーの規模に比例して難易度も天井知らずに上がっていくとなれば、次はホームを守りきれるか解らない。耕作地が汚染されればコミュニティーの維持も難しくなる。解放戦線もかつての巨大同盟の二の舞になる恐れは十分あった。
 ついでに言えば、もう一つ。
「この世界がどんだけ広いか、ピアニーは知ってるか?」
「地球の総面積くらいやって聞いた事あるな。そもそも地球の総面積がどんくらいか、よう解らんけど」
「ざっと、5億平方キロくらいだな。7割くらい海だとしても1億5千万平方キロくらいはあるか」
「ふーん、詳しいやん」
「父さんから聞いたからな」
 いや、正確にはアダマスではなく、ゴーリィの口からか、とユートは思い出す。

 ――――父さん。この世界ってどのくらい広いの?

 そう聞いたのは、ユートが6歳くらいの時だったか。

 ――――地球の総面積と同じくらいだそうだ。広いぞー。
 ――――チキュウのソウメンセキって、どのくらい?
 ――――あー、それはだな……

 答えられないのかアダマスが口ごもっていると、そこへゴーリィが口を挟んできたのだ。

 ――――およそ5億1006万平方キロだ。そのうち陸地総面積が1億4724万平方キロで、残る3億6282万平方キロは海だ。
 ――――そうそう。ユートはまだ海を見た事ないだろ。そのうち見せてやるからな。

 あの頃のゴーリィを、ユートは少し怖いところがあるおじさんだと思いながらも、善性の人物だと思っていた。
 アダマスとは前のコミュニティーからの友人で、一緒に『ブレイブ・ハート』を立ち上げた仲間同士。そんな彼がアダマスを殺すなんて、考えた事もなかった。
 逆に言えば、ゴーリィは付き合い浅からぬ友人を殺してでも世界の統一を成し遂げ、リアルに帰りたいという事だろう。だが今の解放戦線の支配域など、世界全体の一万分の一もない。30年かけてこれなのだから、全てを統一するまであと何十年――――いや何百年かかるか見当もつかない。
 だからゴーリィたちは病的なまでに急ぐのだろうが、世界の統一というのは実現できる見込みは限りなく低く、実現できたとしてもリアルへ帰れる確証はどこにもない、あやふやな希望でしかない。
 ――そんなもののために、父さん母さんは殺されたのか……
「ま、あたしは報酬さえもらえれば何でもいいんやけどね。あとはうまい酒が飲めれば」
「話を始めたのはあんただろうが……」
「こんな世界、楽しんだもん勝ちやろ?」
 即物的なセリフを吐いたピアニーにユートは呆れ顔になったが、この世界ではこういう性格のほうが生きやすいのだろう、とも思った。
 それに、ユートだって似たようなものだ。
 報酬さえもらえれば……親の仇にも従うのだから。


 地平線の彼方まで続く灰色の荒野の中に、無数の朽ちた建造物が墓石のように林立していた。
 最終戦争で滅びた――という設定の――文明の名残を残す、都市の成れの果てである廃墟地帯。探索すれば昔の保存食や武器弾薬、そして建築資材が手に入る絶好の狩場だが、それだけに踏み込むのは相応のリスクを伴う場所でもあった。
「ゴーリィの、クソ独裁者めーっ!」
 カエデは掛け声と共に、バスタードソーを横薙ぎに振るう。
 唸りを上げて高速回転する刃が敵に食い込んで派手なダメージエフェクトが散り、切断された四肢が宙を舞う。それを目にした敵は恐怖に戦意を失――――わない。土気色の肌に白く濁った目を持ち、錆びた鉈や鈍器を手に向かってくる人の形をした怪物は、恐怖や躊躇など最初から持ち合わせていない。
 ゾンビ――――設定上は最終戦争で使われまくった生物化学兵器の影響により誕生した動く屍。昼間は明かりを嫌って屋内に潜み、夜になると外を徘徊して人を襲う。その実態は、NPCに比してごく単純な、捕捉と攻撃のアルゴリズムに従って襲い掛かってくるだけの下等なキャラクター、いわゆる敵性MOBだ。ある意味NPCとは紙一重の存在だが、何よりの違いは知性、そして心を持たない事であり、それは30年前から何ら変わっていない。
 当然、NPCたちも同類意識など持ってはおらず、それらを叩き切るのに躊躇などしない。
「アヘマルの、コーモリオヤジーっ!」
 愚直に正面から突進してくるゾンビの小集団に、カエデはバスタードソーを一閃。纏めて3匹を撫で斬りにする。ゾンビは数いる敵性MOBの中でも最もポピュラーな種類で、遠距離攻撃の手段も持たず脅威の度合いは低い。
 だが一度目標を捕捉したなら、それまでの緩慢な動きが嘘のような俊敏さで走り寄ってくる。四つんばいの姿勢から軽く2メートルは跳躍したゾンビが、切り倒された3匹を飛び越えてカエデの頭上から跳びかかる。
「わたしたちは物じゃないのよーっ!」
 対しカエデは頭上に向けてバスタードソーの回転刃を突き出す。跳びかかってきたゾンビは顔面から刃に突っ込む形になり、頭部から股間までを唐竹割りにされて朽ちたアスファルトの地面へ転がった。
「あはははははははっ! みたかーっ!」
 ゾンビに憎い第一世代連中の顔を重ねているのか、返り血で真っ赤になりながらカエデは上機嫌に叫ぶ。
 そんなカエデの後ろで、切り倒されたと思ったゾンビの一匹ががばっと跳ね起きた。「ひゃぁあっ!?」と驚いて反応が遅れたカエデの下半身に、ゾンビが食いつこうとする。
 途端、ゾンビの頭が音もなく砕けた。
『……カエデ。油断大敵』
 通信機からサクヤの声。建物の2階からカエデを支援していたサクヤは、銃口に消音器を付けたライフルで正確にヘッドショットを決めていた。
「ごめんなさいサクヤ。ちょっと調子に乗っちゃった……」
『その重い武器で近接戦は無駄にリスクが高くて非効率』
「えー、いいじゃない。弾も節約できるし、これでゾンビをがーっと叩っ切るの楽しいわよ?」
『あなたの猟奇趣味に付き合う気はない。そもそもでかい声で喚くのはゾンビを呼び寄せる』
「なんですってぇ!? あなたこそヘッドショット決めた後『はふぅ』って気持ちよさそうにしてるじゃない!」
『自分の全てを賭けた弾丸が狙い通りにヒットした時の快感は至高。他人にとやかく言われる筋合いはない』
 などと言い争いながらも危なげなくゾンビを片付けていくカエデとサクヤの二人を、ユートは朽ちた建物の窓から見ていた。
「ユートはんの相方たちも、随分とまたけったいな人たちやなあ」
「まあいつもの事だから……」
 後ろから冷やかしてくるピアニーを軽くあしらい、ユートは窓に厚めの木の板を設置する。既に窓はあらかた封鎖し終わり、入り口には持ってきた土嚢を積んだ上にトラックのガンルーフに据えてあったPKM軽機関銃を設置して、簡素な迎撃設備を整えている。
 ホームを出発して3時間ほど荒野を走り、目的の廃墟地帯に着いた頃にはもう日が暮れていた。この世界の一日は昼夜6時間づつの計12時間で一巡するため、早朝に始まったL&Pのホーム攻略戦からもう6時間近く経った計算だ。
 ゾンビその他の敵性MOBが活発化する夜の廃墟は危険なので、本格的な探索と採集は明朝とし、今日のところは安全な拠点を作って夜を明かす事にした。その途中でゾンビの集団が来たためにカエデとサクヤに掃討を任せ、ユートはピアニーと拠点作りに集中していた。
『ユート、ゾンビの掃討はだいたい終わった。……それと、少し気になる事が』
「どうかしたか?」
『自分が二階に上がった時、ここにゾンビの死骸があった。銃で撃たれた痕がある』
「銃……機械系の敵性MOBとやりあったんじゃ?」
『ドロップアイテムが回収されてる。ここにあったらしいアイテムも持ち去られた形跡がある』
 ユートは眉根を寄せる。敵性MOB同士が戦って死体が転がっている事は珍しくもないが、ドロップアイテム――ゾンビの場合は腐った肉と手にした粗悪な武器――を回収する事はありえない。そんな事をするのはプレイヤーと、それに率いられたNPCだけだ。
 ――俺たちより一足先に、誰かがここに来てる?
 解放戦線の他の小隊は、みな別々の方角に向かって行ったはずだ。そうなると必然として他のコミュニティー、特に6時間前までここを支配していたL&Pの連中である可能性が高くなる。
 ここは長らくL&Pの勢力圏だったわけで、既にめぼしい物資はあらかた捕り尽くされた後のはずだが、支配するコミュニティーが移った事でアイテムが再配置されている。アイテムが枯渇しゲームが破綻しないための措置だ。だからこそユートたちが採集に来たわけだが、それを狙って、ホームを落とされて間もないL&Pが小隊を差し向けたのだとしたら大したものだ。
 予断だが、友好関係にあるコミュニティー同士が、あるいはシステム上敵対するコミュニティー同士が連帯し、勢力圏を交換し合えばアイテムの無限増殖ができそうに思えるが、この世界でそんな不正は不可能だ。どれだけ手口が巧妙でも、ストーリーテラーがそのような馴れ合いは決して見逃さない。
「なあ、なんや揺れてへん?」
 その時、ピアニーが異常を訴えた事で、ユートも建物が振動しているのに気が付いた。
「地震? ……いや、この揺れって」
 この世界にもイベントとしての地震はあるが、この微振動は地面の揺れとはいささか感じが違う。むしろ爆発の衝撃波で建物が揺さぶられる時の感覚に近い。そう思ったユートは外に飛び出し、周囲を見回してみる。
「うお……!」
「あれは……!」
 ユートも、ゾンビをあらかた片付けたカエデたちも驚いて空を仰ぐ。
 赤熱した巨大な火の玉が、白い煙の尾を引きながらユートたちの頭上を猛烈な速度で通過していく。まるで隕石かミサイルのようなそれは、その実巨大な円筒形の人工物だ。バラバラと表面から部品を剥離させ、無数の破片を散らせて廃墟の奥へと落下していった。
 数秒後、天まで届くほどの噴煙が吹き上がり、廃墟の建物が紙細工のように吹き飛ばされていくのが見えた。一瞬送れて轟音、そして衝撃波がユートたちの下まで押し寄せる。
「まずい、みんな伏せろーっ!」
 咄嗟に叫び、地面に伏せて吹き飛ばされないよう必死に踏ん張る。次の瞬間衝撃波が彼らの身体を嬲り、残っていたゾンビが枯葉のように吹っ飛ばされて、廃墟の壁面に叩きつけられバラバラになった。
「ああ、死ぬかと思った……みんな大丈夫か?」
「わ、私は平気です……」
『うちも生きとるよー。……ああ、せっかく塞いだ窓が台無しやんか……』
『問題ない。……こんな近くに、宇宙ステーションが落ちてくるなんて』
 全員の無事を確認し、ユートはひとまず安堵する。
 宇宙ステーション落下イベント――――ストーリーテラーが提供するランダムイベントの一つだ。最終戦争中に軍事拠点として使われていた宇宙ステーション、その一部が地上に落下してくるもので、中には軍事拠点だけあって結構な数の武器装備その他のアイテムが眠っている。ホームを直撃でもしない限りは嬉しいイベントだ。
「みんな、ステーションの落下地点を確認に行くぞ。ピアニーは拠点を構築して、以降は別命あるまで待機」
「えー、あたし一人でこれ直せって言うんか?」
「……報酬にはイロをつけてやるよ」
「まかしときいや」
 現金なピアニーにため息をつきながらも、ユートは迷わずステーションの落ちた方向へ向かった。このイベントでは運次第で貴重品や高グレード装備も手に入る。危険な夜の廃墟を歩いてでも向かう価値はあった。ましてやこの廃墟に他所のコミュニティーの小隊がいる可能性が出てきた事だし、先を越されたら面白くない。
「他のコミュニティーの連中も向かってるかもしれない。敵性MOBだけじゃなく対人戦にも備えろ、行くぞ!」
「はい!」
「了解」
 ――今朝のホーム攻略戦じゃ見かけなかったけど、あいつが来てるかもしれないからな……



 この時点でユートたちは気付いていなかったが、ステーション落下地点へ向かう3人を遠巻きに見つめる、数人の人影があった。
「人類解放戦線の連中だ……」
「さっそく狩場を荒らしに来たな」
「どうします、マスター?」
 3人のNPCに視線を向けられ、そのプレイヤーは双眼鏡から目を離す。
「奴とは縁があるようだな」
「は?」
「こちらの話だ。……ステーションは渡せんな。場合によっては、奴らから先に片付ける。……行くぞ」



 数分後、ユートたちはステーション落下地点まであと数十メートルのところまで接近して、足止めを余儀なくされていた。
「くっそ、あれじゃ手が出せそうにないな……」
 双眼鏡を覗き込んだユートは、口惜しげに唸る。
 3人の目の前には、宇宙ステーション落下の衝撃で出来上がった、直径100メートルにもなるすり鉢上のクレーターがあった。道路も建物も根こそぎ吹き飛ばされたその中心では、焼け焦げた円筒形の宇宙ステーションの一部が煙を上げている。最初にそれを確認したユートたちは、周辺に人影はなく先を越されなかったらしい事に安堵した。
 だがその喜びは、ステーションの外壁をぶち破って巨大な四本足の歩行機械が這い出てきたのを見て落胆に変わった。
「ボスクラスの敵性MOB……」
 サクヤがFALのスコープを覗き込んで言う。
 一本が丸太のように太い四本の足に支えられ、全身カーキ色の装甲に覆われたカニのような鋼鉄の巨体。全長4メートルは下らないだろう胴体の上には右に30ミリ機関砲、左に対戦車ミサイルランチャーが備わった巨大な砲塔が鎮座している。そして胴体にも12・7ミリ機関銃その他の武装が多数。
 J−857自立思考戦車。
 最終戦争中に使われていた無人兵器の中でも特に強力な種類で、軍事施設跡などで時折出現するほか、オプスの対象としてフィールドにもしばしば現れる機械系の敵性MOB。対戦車火器を装備した複数の――できれば戦車を含んだ――小隊による攻略が前提の、いわゆるレイドボスだ。ユートたち3人では逆立ちしても勝てる相手ではなかった。
「あんなのが出てくるって事は中身は期待できそうですけど、ちょっとケンカ売りたくないですね……」
「……だな。ここは退くか……」
 苦笑いを浮かべて言ったカエデに、ユートは頷く。
 強力なボスクラスMOBが守っているのは良い物が入っている証拠だが、この状況ならホームに戻って援軍を呼んだほうがまだ確実だし、ゴーリィも文句は言わないだろう。
 欲を出して全滅確実の敵に突っ込むほど、ユートは愚かではない。きっと近くにいる他所のコミュニティーの連中もそう考えるはずだ――――と思ったところで、
「動くな」
 ちきっ、と銃を構えられる音と共に振ってきた、聞き慣れない男の声に、ユートは身を硬くする。
「ご主人様!? ……く!」
 咄嗟に銃を抜こうとしたカエデが、別方向から向けられた銃口に動きを封じられる。
「……3人……」
 抵抗の素振りも見せず、大人しく銃を地面に置いて両手を挙げたサクヤが呟く。彼女の頭には少し離れた建物の窓から赤い照準レーザーが突き立っていて、マークスマンが狙っているぞ、という無音のメッセージを送っていた。
 ユートの背中に銃を向けた男が、高圧的な程度で言ってくる。
「人類解放戦線だな。さっそく好き勝手しやがって……動くんじゃねえぞ。ちょっとでも妙な真似したら撃つからな」
「そういうあんたたちはL&Pか」
「そうだよ。……援軍を呼びに行こうとか話してたんだろうが、あのステーションのお宝はオレたちのもんだ。解放戦線に渡してたまるか」
 その言葉を聞いて、ユートは内心で舌打ちする。
 このL&Pの連中は少し前からユートたちの事を捕捉していたらしい。ステーションのお宝より、先にこいつらを警戒するべきだった。
 ユートは大人しくM4を地面にそっと置き、後ろの男を刺激しないようゆっくりと両手を挙げる。カエデも渋々それに習い、全員がホールドアップ状態になった。
「よーしよし。そのまま動くなよ。捕虜にして身代金たんまり取ってやるからな」
「あのケチ臭いボスが払ってくれるといいけどな」
「うるせえよ。黙って両手出しやがれ」
 ツンツン、と後頭部を銃口で突っつかれ――――
 瞬間、ユートは頭を左に傾け一歩後ろに踏み出した。そうして銃身が自分に向かないよう頭で押さえつつ素早く反転。左手は男の左手を銃から剥がしつつ銃身を掴み、同時に右手でストックを掴んで銃全体をハンドルを回す要領で時計回りに回転させる。すると男が「あっ!?」という間に握っていられなくなった右手がグリップから離れ、銃――H&KのG3ライフル――がユートの手に渡る。
「とあっ!」
 間伐入れずに銃口を男の眉間目掛けて叩き込む。「ぐえっ!?」痛そうな呻き声を上げて男が倒れ、ユートは奪ったG3ライフルを向けつつ喉を踏みつけて無力化する。
「519号!」
 カエデに銃を向けていた男がユートを撃とうとしたが、その隙を見逃すカエデではなかった。一瞬で銃身を掴み、膝蹴りの一発で銃身と機関部の接合部を叩き折る。
「えいやーっ!」
 さらにカエデは右手で男の脇下を掴み、左手を股間に差し入れるように足の付け根近くを掴んで一気に身体を持ち上げた。そのまま180度回転させ、頭を下にして叩き落す。抱え投げ、あるいはボディスラムと呼ばれる技が見事に決まり、頭から地面に叩きつけられた男は「げぼぉっ!」と呻いて、一撃で気絶状態になった。
 そこに響く一発の銃声――――仲間が倒され、動揺して照準を外したマークスマンを、つま先でFALを跳ね上げ一瞬で構えたサクヤが撃ったのだ。ヘッドショットが決まり、マークスマンは瀕死になっただろう。
「ちょろいな、こいつら。優位なポジション取ったからって無用心に近付くんじゃねえよ」
「連れて帰って、こっちが身代金がっぽりですね」
 この3人、装備はともかく経験は大した事ないようだった。おかげで助かった……と安堵の息をつくユートに、「……ユート」とサクヤが緊張した声を投げてくる。
「あのマークスマンも、NPCだった」
「なに?」
 言われて気が付いた。目の前で気絶しているこの二人もNPCだ。つまり――――
「――――っ!?」
 プレイヤーがいない事に思い至ったユートは、反射的に上方を仰ぎ見た。
 それは今日まで戦ってきた3年間の経験から来る第六感とも言うべき反射行動で、次の瞬間鋭い刃の閃きが頭上から迫るのがはっきり見えた。
「うわあっ!」
 咄嗟に飛び退いたユートの鼻先数ミリ地点を刃が掠める。
 ナイフなんて生易しいものではない、長く鋭い長刀が蛇のようにうねった軌道を描き、間伐いれず横薙ぎに振るわれたそれをG3の銃身で辛うじて受け止める。日本刀を模したデザインのそれは、ユートにとって見覚えのある物だった。
 ――高周波サムライブレード……!
 普段はただの刀だが、その実態は高周波によって金属をも切断する強力な武器。高周波はバッテリーが切れるまでのごく短時間しか使えないため扱いは難しいが、当たれば頑丈な機械系MOBさえ一刀両断にする強力極まる武器。
 当然、そう簡単には手に入らないレア武器という奴だ。それを受け止められたのは、このプレイヤーが仲間の武器を壊すのを嫌って高周波をオフにしたためだろうが、こいつがその気ならユートはG3ライフルもろとも真っ二つに斬られていた。というかこの瞬間そうなってもおかしくない。
 ユートは組み合う力を弱め、左足を一歩下げてサムライブレードの刃を右から左へ受け流し、敵プレイヤーが刃を振り切ったところで身体を一回転させての左後ろ回し蹴りを放つ。敵プレイヤーの側頭部を狙ったそれは、しかし空振りに終わる。
 ――しまっ――――!
 咄嗟に腕で頭部をガード。次の瞬間そこに丸太で殴られたような衝撃が襲い、「ぐあっ!」と地面に倒される。
 先の一瞬――――敵プレイヤーはユートの左後ろ回し蹴りを腰を落とす事で避け、そこから流れるような動作でカウンターの右後ろ回し蹴りを放ったのだ。ガードしても威力を殺しきれない強烈な蹴りにたまらず倒れるユートを見て、「ご主人様っ!」とカエデが叫んだ。
「この――――――っ!」
 怒りを露わにカエデがバスタードソーで切りかかってくるが、重く攻撃が大振りになるそれはこの敵プレイヤーにとって容易に避けられる攻撃だった。右上からの振り下ろしを腰を低くしながら踏み込んで避け、すれ違いざまにサムライブレードの柄尻で首後ろを一撃――――かはっ、と呻いてカエデが前のめりに倒れる。
 そこへパパパン! と3バーストの銃声が響く。敵プレイヤーを狙ったサクヤの射撃だ。が、それは発砲の寸前にサムライブレードの剣先で銃口を逸らされ、弾は敵プレイヤーにかすりもしない。
「く……」
 咄嗟の判断でFALを捨て、腰の拳銃に手を伸ばそうとしたサクヤだが、敵プレイヤーに腕を取られるほうが早かった。そのまま一本背負いの要領で投げ飛ばされ、地面に転がされる。
「この野郎……!」
 何とか起き上がり、サイドアームのグロック17拳銃を抜いて反撃を試みようとしたが、それより早く目の前にサムライブレードの切っ先が突きつけられる。同様に起き上がろうとしたカエデにはMK23拳銃の銃口が向けられ、サクヤは倒れた体を膝で押さえるニーオンザベリーで拘束されている。
 完全にユートたちの反撃を封じ、敵プレイヤーは力強くもよく通る女の声で口を開く。
「抵抗はよせ。CQCなら貴様たちより私のほうが上だ」
「畜生……またあんたかよ」
 今度こそ本当に両手を挙げるしかない。このプレイヤーは単独でもユートたち3人より強い。ここで抵抗したら確実に死人が出る。
 と、敵プレイヤーに組み敷かれたままのサクヤがポツリと口を開く。
「……フィーア」
「ん……398号か」
「今の自分はサクヤ。……久しぶり、フィーア」
「三ヶ月前のホーム攻略戦以来か? 達者のようだな」
 フィーアと呼ばれた、L&Pの第二世代プレイヤーは親しげな様子でサクヤを解放すると、銃口は向けたままでユートたちから数歩離れる。
「貴様も久しぶりだな。これで私の何連勝目かな?」
「……さあな」
 12連勝か、と内心で呟き、ユートは憮然としてフィーアに向き直る。
 ドイツ語で数字の4を意味する名の通り、L&Pで4番目に生まれた第二世代のフィーアは、ユートにとっては既知の相手だった。灰色の髪を短くカットし、ツリ上がり気味の目つきは鋭く、抜き身のナイフのように剣呑な雰囲気を醸し出している。起伏の乏しい体付きと相まって少年のようにも見えるが、彼女はれっきとした女だ。
 身体に纏っているのは、ユートたちの迷彩服とボディアーマーやチェストリグといった現代式の装具とは一線を画した、肌にぴっちりとフィットする真っ黒で近未来的なスーツだ。バトルスーツと呼ばれるこれはラバーやゴムに似た特殊素材でできていて、ある程度の防弾防刃効果に加え運動力もアシストしてくれる。なかなかに優れた装備なのだが、着用すると身体のラインがはっきり出るデザインは全裸よりそそると男性から人気な反面、女性からの評判はすこぶる悪い。
 そんなデザイナーの趣味と性癖が惜しみなく注ぎ込まれた防具を見事に着こなしたフィーアは、左腰に高周波サムライブレード、右太腿のホルスターにMK23拳銃、いわゆるソーコムピストルが提げられ、さらに腰の後ろにはメインアームのクリス・ヴェクター短機関銃、そのストックを廃したSDPタイプを二丁交差させて保持しているという、これまた変わった装備をチョイスしている。
 これまでにもユートは何度もフィーアと交戦し、結果はユートの全敗に終わっていた。戦闘の結果こそ解放戦線が勝っても、ユートはフィーアと交戦するたび瀕死にされ、あるいは捕虜にされたりして負け続けてきた。去年あたりの大規模戦でフィーアによって捕虜にされ、解放戦線が取った捕虜を返す事と引き換えに解放された時は、ゴーリィから捕虜になった事をネチネチ責められたりして本当に屈辱だった。
「フィーア。あのマークスマンの蘇生アイテムを出す。それで手打ちにしてくれる?」
「本当なら殺すか捕虜にするところだが、まあよかろう。同郷のよしみだ」
「ユート」
「……チッ、ほらよ」
 サクヤに促され、ユートは蘇生アイテムを投げ寄越す。業腹だが命には代えられない。
 それをキャッチしたフィーアは、ユートに気絶させられていたNPCの男をキックで叩き起こすと、「514号を蘇生してこい」と命令して、自分はサクヤへと声をかけた。
「398号。また私と共に来る気はないか? 貴様ほどの腕前ならぜひ欲しい」
「おいコラ。なに人の仲間を勝手に……」
「貴様には聞いておらぬ」
 ユートの抗議をぴしゃりと一蹴し、フィーアは「戻って来い」とサクヤに誘いをかける。
 戻って来いというのは、サクヤが元々はL&Pの所属だったからだ。今彼女がこうして解放戦線に籍を置いているのは、彼女が戦闘中に捕虜となり、そのまま勧誘されて所属コミュニティーを変えたためだ。
 捕虜となったNPCはプレイヤー同様身代金と引き換えに返還されるか、殺されるか、野に放たれるか、あるいは勧誘に応じるかの、いずれかの運命を辿る事になる。往々にして最期のそれは敵対感情が強くて難しいのだが、サクヤの場合は――――
「ごめん、フィーア。自分はユートの部下」
「……解放戦線はそんなに居心地がいいのか?」
「昔よりだいぶ悪くなったけど、今はそっちと大差ない。それにキキョウに助けられた恩もある」
 L&PのNPCへの扱いについては、サクヤから聞く限り解放戦線と大した差はないようだ。NPCにろくな名前も付けず番号で呼んでいる事からもお察しだろう。何を考えて愛と平和ラブアンドピースなんてコミュニティー名にしたのか、理解に苦しむ。
 そんな所の戦闘職として戦っていたサクヤは、5年前の戦闘中に瀕死となり、当時のブレイブ・ハートに救助される形で捕虜となった。その時彼女を救助したのはキキョウ――――ユートの母親であり、その時まで398号と呼ばれていた彼女の名を『サクヤ』と読み替えたのが9歳になったばかりのユートだ。
「キキョウとはユートを守る約束をしている。自分はその約束を破れないし、ユートも優しく不満はない」
「あの豪傑か……そういう事なら、説得は難しいようだな」
 フィーアは渋々引き下がる。
「今日のところは諦めよう。だか気が変わったのならいつでも声をかけろ」
「感謝する。……一つ聞きたい。あなたたちは何をしにここへ?」
 ――は?
 いきなりサクヤが妙な事を言い出し、ユートとカエデは何を言ってるんだこいつは、という目でサクヤを見る。
「その目はやめて。……自分たちは2時間の休息の後でここへ来た。それでもかなりの強行軍。なのにあなたたちは自分たちより早くここへ来た。ホームを落とされた直後なのに無理が過ぎる。それに自分たちを捕まえておきながら、援軍を呼びに行く素振りもない」
「……何が言いたい?」
「あなたたち、あのレイドボスと戦おうとしているように見える。今ここで。あなたたちだけで」
「…………」
 サクヤの言葉に、フィーアは答えを選ぶかのように少し、沈黙した。その時点でYESと答えたようなものだった。
「我々がここに来たのは戦闘が終わってすぐだ。ホームが落ちた直後ならこっそり抜け出しても気付かれにくい上に、アイテムが再配置されて狙い目だからな」
 フィーアの話によると、彼女たちはホーム陥落の混乱に乗じて、コミュニティーに独断でアイテム採集に来たらしかった。宇宙ステーション落下イベントの発生はまさに行幸だったが、ユートたちに援軍を呼ばれるのは都合が悪かったので襲った、というのがフィーアたちの事情であったらしい。
「貴様たちがいたが故のストーリーテラーの采配かも知れんが……何にせよ、ステーションのアイテムは私たちがいただく。我々には強力な武器が必要なのでな」
「多少いい武器が手に入ったところで、劣勢のL&Pに戦局をひっくり返すのは難しい」
 サクヤの指摘に、「あんな潰れかけのコミュニティーは勝手に潰れればいい」とフィーアは首を振った。
「我々はL&Pを抜けて、我々だけの新たなコミュニティーを興す」
「マジかよ……」
 思わずユートは身を乗り出していた。
 我々だけ、というのはつまり、第一世代の影響を排した第二世代とNPCだけのコミュニティーという事だろう。ユートの知る限りそんなものは――世界のどこかで既に誕生している可能性も十分あるが――まだ存在しない。
 自分たちを人間扱いしない第一世代が支配する今のコミュニティーを離反し、新たなコミュニティーを興す。他のコミュニティーからの干渉や攻撃を跳ね除けられるだけの戦力を整備し、第二世代もNPCも等しく人間として生きていける環境を整えた、第二世代とNPCの武装した理想郷アームド・ユートピア……
 ユートも前々から考えていながら、フリーの耕作地が見つかる確率が低すぎる、ツバキたち非戦闘職NPCの皆を連れ歩ける自信がないなどの理由で、実行には移せないでいた事だ。それをフィーアは実行しようとしている。
「フィーア。ご家族は……」
「私の両親は私をただの戦力としか思っておらん。捨てたところで惜しくなどない。それにツヴェルフももう12歳だ」
「……そう。あの弟も戦場に出される年なんだ」
「こんな世界で銃を持たないまま生きていく事は難しいが、第一世代連中の、我々に何の益もない、実現できるかも怪しい目標のために使い潰されるなど我慢ならん。我々は我々のために生きる」
「でも、あなたたちだけであの思考戦車に勝てるの?」
 サクヤと話している途中にカエデが割り込み、理想を語っていたフィーアはむぐ、と言葉に詰まった。  目標は立派だと思うが、いくらフィーアが強くても一人で勝てるほどレイドボスは甘くない。ましてや彼女の連れてきたNPC兵は、ユートたちをホールドアップさせながら逆転を許す程度の頼りない連中だ。
「……やってみなければ解るまい」
「おい。無理はよせよ。気持ちは解るけどここで死んだらなんにも……」
「ふん。そういう貴様はブレイヤーに従うだけのMOBか?」
 窘めようとしたら思いもしなかった嘲笑が帰ってきて、ユートは思わず言葉を失う。
「そうやって第一世代連中の命令に従い、おこぼれを頂戴するだけなら、連中が思っている通りの意思を持たぬNPCと変わらぬであろう。その立場が心地よいと言うのなら、とっとと飼い主の元に帰り餌を頂いてくるがいい」
「お、俺だって……! あんな奴らの下で使い潰されたくなんかない! 誰が父さん母さんを殺した連中に! ……でも、俺にはツバキ姉やみんなが……家族がいるんだ……」
「フィーア。ユートの家族のマスター権限は、ボスに握られている」
 そのサクヤの注釈でだいたいの事情を察したらしいフィーアは、「……なるほど」と嘆息し、矛を収め――――
「バカか貴様は」
 収めなかった。彼女は動こうとしないユートがよほど気に入らないのか、なおも容赦ない言葉の刃が投げつけられる。
「家族を人質に取られているならば、ボスを殺して家族を解放すれば済む話であろう」
「……簡単に言うなよ。そんな大それた事して失敗したらみんながどうなるか……解るだろ?」
「だからこそいつまでその状況に甘んじているつもりだと聞いている。いつまで連中に心まで支配されているつもりだ? それとも自覚がないのか? どうせ今のまま我慢していれば報酬が貰える分ましだとか思っているのだろうが、同じ第二世代として貴様のその飼い犬根性は不憫であり不愉快だ」
「ご主人様の気も知らないで……! ケンカなら相手になるわよ!?」
 今にも背中のバスタードソーに手をかけそうな剣幕でカエデは怒鳴るが、フィーアの投げる言葉は鋭く深々とユートの心に突き刺さってきた。
 反論の余地など何もない。本当に今のユートは、ただ命令に従うだけだった昔のNPCか、それ以下の心を持たないMOBと大差ないのだ。
 ぎゅう、とユートは両の拳をきつく握る。
 自分が精神的に支配されている自覚は大いにあった。家族のためという建前で誤魔化して、できれば見ないでいたかった恥を容赦なく叩きつけられて、悔しくて恥ずかしくて死にそうだ。
 と同時に――――自分が抜け出せないでいる支配から抜け出そうと足掻いているフィーアの姿は、危なっかしくも立派に見えた。
「無駄な時間を過ごしたな。この場は見逃してやるから、我々の邪魔はするなよ」
「待て」
 思考戦車のほうへ向かおうとするフィーアを、ユートは止めた。
 確かにゴーリィたちから支配されっぱなしのユートだが、ここで黙って引き下がるほど落ちぶれたつもりはない。
「黙って聞いていれば好き勝手言いやがって。二度とそんな口利けないようにしてやる」
「いいですよご主人様! こんな洗濯板女はぶちのめしちゃいましょう!」
「ユート……」
 宣戦布告じみた言葉を口にしたユートに、カエデは息巻き、サクヤはせっかく結んだ休戦を台無しにする気かと非難げな目を向ける。
「……ほう。洗濯板とな……またやるつもりか?」  そしてフィーアはカエデの挑発が急所を突いたらしく、肉食獣的な笑みを浮かべて高周波サムライブレードの鯉口を切った。他のNPC兵も身構え、一触即発の空気が流れる。
「俺たちも、あの思考戦車と戦うのに参加させろ」
「上等です! あんな戦車なんて――――って、え?」
 突然の共闘の申し出に、その場の全員がぽかんとした顔でユートを見た。
 敵対コミュニティーの小隊同士が協力してレイドボスに挑む。30年前、この世界がゲームだった頃は普通に行われていたらしいが、今ではあまり聞かれなくなった話だ。
「……何のつもりだ。私たちを罠にでも嵌めるつもりか?」
「俺たちの実力を見せてやるってだけだよ。そっちにしたってあんたと、その頼りないNPC連中だけで挑むよりは確実だと思うけどな」
 挑発めいたユートの言葉に、「こ、この野郎……」とNPCの男が睨んでくるが、いまいち迫力に欠ける。
 見れば他の2人も、どこか期待しているような目でフィーアを見ていた。彼らとて、自分たちだけでは荷が重過ぎると解っているのだ。
 ――さあ、どうだ? こいつらだって死にたくないし、あんただって死なせたくはないよな。
 NPCを――――仲間や家族を無駄死にさせられるのが嫌だから、フィーアは自分のコミュニティーを欲しがっている。ユートの申し出を断る理由はないはずだ。
「……嫌だと言ったら?」
「その時は、あんたが仲間を無駄死にさせたバカ野郎だと笑ってやるだけさ」
 つまらない意地で仲間を死なせるな、というニュアンスを込めたユートの言葉に、フィーアは少し黙考した。
「……ステーションのアイテムは山分け。ラストアタックボーナスは取った者勝ちだ。それでよいな?」
「共闘成立だな」


 およそ20分ほどの時間を置いて、2つの小隊は思考戦車に接近できるギリギリの距離に布陣した。
 ユートは岩の陰から、そっと様子を窺う。クレーターの中には大きな岩や瓦礫がいくつも散乱していて、ある程度は遮蔽物に身を隠して戦えそうだった。さすがに戦車とガチンコの殴り合いを強いるほど、ストーリーテラーは理不尽ではないらしい。
 依然として思考戦車はステーションの前に陣取ったまま一歩も動かず、その代わり昆虫の複眼じみたガンカメラがぐるぐると動いて周囲を見回し続けている。あと少しでも近付けば、あるいは小石の一発でも投げれば、思考戦車は持てる全ての火力でユートたちを殺しに来るだろう。
「フィーア。配置についた。そっちは?」
『まもなく配置完了だ。足を引っ張ってくれるなよ』
「そっちこそヘマするなよ」
 無線越しに穏やかでない言葉の応酬を交わし、お互いが攻撃準備を整えた事を確認する。……ふと、フィーアとこんな風に話すのは初めてだなあと、今更のように感慨深く思った。
「ご主人様。わたしだってああまで言われて黙ってるのは嫌だから、いまさらやめようとは言いませんけど」
 と、横からカエデが面白くなさそうに口を挟んできた。
「どうしてあの女の手助けをする気になったんですか? 敵ですよ?」
「…………」
 ユートは少し、答えに窮する。
 自分同様に家族を救いたいと思っている心に共感したのもあるが、それより前からユートは何度挑んでも勝てなかったのが悔しくて、いつもフィーアの事を思いながら特訓に励んでいた。……憧れに近い特別な感情があって、彼女を死なせたくなかったのも確かだ。
 だがそれを正直に言うのは恥ずかしい……というか、危険だとユートの感覚が告げていたので、適当に誤魔化す事にした。
「まあ……敵に塩を送るってやつだよ。塩くらい送ってやっても勝てるし、他の奴にやられるのも面白く――――」
「あの女を死なせたくないとか言いませんよね?」
 お見通しだった。昔なじみの嗅覚恐るべし。
「そ、そんなわけないじゃないか、ハハハハハ」
「解りました。信じてあげます。……あの洗濯板、いつか殺してやる……」
「おい、今何か言ったか!?」
『2人とも、シュバルツ小隊が配置についた』
 カエデの呟いた不穏な言葉にユートが慄いていると、サクヤから通信が入る。
 ユートたちブレイブ小隊は対戦車ミサイルランチャーのある向かって右側に陣取り、フィーアたちシュバルツ小隊は20ミリ機関砲のある左側から思考戦車を狙っている。上から俯瞰すれば戦車を中心に三角形を描く感じだ。サクヤとシュバルツ小隊のマークスマンは少し離れた所から援護射撃の体勢。
 思考戦車に有効な武器といえばやはり対戦車ロケットやミサイルだが、ユートたちはもちろんフィーアたちもそんな物を都合よく持ってきてはいない。あるのはライフル用のAPアーマーピアッシング弾くらいだ。これは弾頭の中に鋼鉄の弾芯を仕込んだ物で、通常の弾丸が聞きにくい機械系の敵性MOBや軽装甲車にも効果がある。今回ユートたちはこのAP弾をそれぞれマガジン2本、60発ずつ持ってきていた。
 シュバルツ小隊の武器もだいたい同じようなものだが、彼女たちはこの廃墟でM72対戦車ロケットランチャーを見つけていた。貴重な火力には違いないのだが、小型で威力が低い上に一発限りの使い捨て。これら全てをつぎ込んでも思考戦車の耐久力を削りきるには至らないだろう。
 あとはフィーアの高周波サムライブレードも有効だと思うが、高い火力を持つ思考戦車相手に接近戦は自殺行為なので論外。蘇生アイテムもユートたちの分は1本しかないのをシュバルツ小隊のマークスマンに使ったためゼロ。フィーアも2本しか持っていない以上、手榴弾で肉薄攻撃のような無茶はできない。
 そもそも、大人数での攻略が前提のレイドボスに少人数で挑むのが無茶なのだが、そこでユートは一計を講じた。
「ピアニー。状況を報せろ」
『状況は最悪やって! こないな仕事とは聞いてへんでこのブラック隊長!』
 無線でこの場にいないピアニーに呼びかけると、即座に罵声が返ってきた。
『到着予定はあと5分くらいや! 危険手当と超過労働手当、死んだら死亡手当もたんまりはずんでもらうで!』
「死んでも報酬を要求するのか……」
 ぶつっと通信が切れる。徹底したピアニーの拝金主義には閉口するが、とにかく役目は果たしてくれているらしい。
「フィーア。『援軍』到着まで5分だ。俺の合図で――――」
『貴様の指図は受けん』
「……じゃあいち、にの、さんで射撃開始な。頼むからタイミングだけは合わせてくれよ」
『ふん。よかろう』
「行くぞ。いち……」
 強情なフィーアの態度に辟易しつつも、ユートはM4カービンのマガジンを外し、AP弾が装填されているのを確認する。
「にの……」
 岩陰から銃を突き出す。狙うのは思考戦車の主武装、対戦車ミサイルランチャー。アイアンサイトに四角形の発射機を捉え、トリガーに指を添えた。
 その瞬間、それまで一歩も動いていなかった思考戦車が突然動き出した。鈍重そうな見た目にそぐわない俊敏さで四足を屈め、まるで猟犬が敵を前に身構えるような姿勢になった。
 ――まさか、気付かれた!?
 そんなはずはなかったが、思考戦車の砲塔がぐるりと旋回し、20ミリ機関砲の砲身と『目が合った』事で否定の余地がなくなった。
「まずい、伏せろーっ!」
 ユートがカエデと共に岩陰へ身を伏せるのと、思考戦車の機関砲が火を吹いたのはほぼ同時。小銃のそれとは比較にならない、感覚を圧する轟音を上げて20ミリ機関砲弾が連射され、二人の隠れる岩を削岩機のように削り取っていく。
「そんな、この距離なら攻撃しない限り反応しないはずなのに……!」
「……そういえば、この前アップデートがあったんだっけ……」
 数日前に実施された通算197回目のアップデートでは、一部アイテムが追加された他に戦闘のバランス調整も行われたとシステムアナウンスにはあった。その時思考戦車も、『銃を向ける敵』への反応が鋭敏になったのかもしれない。
「畜生め、のっけから作戦瓦解の危機かよ……!」
 反撃しようにもこの砲撃では銃を出した途端に腕ごと持っていかれかねない。かといってこのまま岩陰に隠れ続けるのも不可能だった。
 思考戦車の後部ハッチが開き、そこから虫の羽音めいた音を立てて小さな飛行機械が4機飛び立つ。横に並んだ2枚の回転翼で空を飛び、真ん中の小さな胴体に短機関銃をぶら下げたそれが上空からユートたちに向けて銃撃を仕掛けてくる。
「チッ、鬱陶しい……! 」
 ユートとカエデは応射して1機を叩き落す。もう1機はサクヤの狙撃に羽を折られ、後の2機はシュバルツ小隊の側へ向かって彼女たちに撃墜された。
 ツインロータードローン。思考戦車の取り巻きとして現れる敵性MOB。銃弾一発で破壊できるほど脆いが、胴体にぶら下げた短機関銃は人間のそれと同じ威力があり、破壊しても思考戦車に内蔵された3Dプリンターから再生産された機体が、一定時間ごとに際限なく補充される厄介極まりない敵。
 最初は数も少なく対処は容易だが、嫌らしい事に思考戦車のダメージが蓄積されるに従って同時出現数が増える。これの存在が長期戦を圧倒的に不利なものにしていた。反撃の糸口を見つけるか、それが無理なら逃げたほうがいい。
「サクヤ、悪いけど一発撃って、狙いをそっちに……」
「ご主人様、あれ!」
 カエデに肩を叩かれ、思わずそちらに視線を向ける。岩陰から飛び出した黒い人影――――フィーアがクリス・ヴェクターSDPを両手に持ち、思考戦車へと物凄い速さで肉薄している。
 ――何やってるんだ、死ぬ気かよ!?
 驚愕するユートが見ている前で、フィーアは2丁のヴェクターを思考戦車目掛けてフルオート連射。雨あられと降り注ぐ45口径弾が戦車の装甲に当たって火花を散らし、その攻撃に反応した思考戦車が20ミリ機関砲の矛先をフィーアに向ける。やられると思った。
「――――っ!」
 機関砲が火を吹く瞬間、フィーアは地面を強く蹴って殆ど直角に近い角度で左に進路転換。彼女の身体を吹き飛ばすと思われた砲撃は、その数ミリ横の地面を穿つだけに留まった。
 ――すごい、砲撃のタイミングを完全に読んだ上で避けた……!
 思わずユートは感嘆していた。砲撃のタイミングを読む勘もさる事ながら、彼女の運動力がユートの想像を超えて高い。
 つまり先刻の戦闘では、彼女は本気など出していなかった……悔しさと対抗心がない交ぜになった感情が、ユートの胸を熱く焦がす。
 ――負けるもんかよ。
「今だ! 撃ち方始めぇっ!」
 フィーアに思考戦車の狙いが向いている好機を逃さず、ユート、カエデ、サクヤの3人でAP弾の全力射撃を始める。セミオートで連射される銃弾が思考戦車のミサイルランチャーに当たり、火花に似たダメージエフェクトが派手に散る。
 ちょうどマガジン一つ分を撃ち尽くしたところでグワッ! と爆発音が響き、砲塔左側のミサイルランチャーが炎を吹き上げた。「やったあ!」とカエデが歓声を上げる。
 思考戦車の強固な装甲にAP弾は力不足だが、あの手の大型MOBは部位破壊が可能だ。武装を破壊すれば火力が弱まり、四足を壊せば動きが鈍る。強敵を攻略する上での定石だ。
 ユートたちがミサイルを破壊したのとタイミングを同じくして、フィーアたちシュバルツ小隊の側からロケットの発射音が聞こえた。一発限りのM72を惜しまず使う事にしたらしい。放たれた虎の子の一発は、間違いなく命中するコースで飛翔した。
 だがロケット弾が命中すると思った瞬間、あろう事かドローンの一機が射線上に飛び込んできた。ロケット弾はドローンに命中し、その場で爆発――――当然、思考戦車には殆どダメージがない。
「――っ、マジかよ!?」
「ありですかそんなの!?」
 痛恨のミスショットに全員が目を向く。
 あれが果たしてアップデートの結果追加された行動なのか、それともただの偶然なのかは判断に困るところだが、確かなのは虎の子の一発が無駄になったという事だ。
 そこへけたたましいクラクションの音が聞こえ始め、ユートは腹が鉛を詰め込まれたように重くなった。あの音は『援軍』を連れてきたピアニーだ。彼女が来るまでに機関砲とミサイルを破壊する手はずだったのに、と歯噛みしつつもユートはピアニーへ警告を発する。
「悪い、ピアニー! ミサイルはやったけど、機関砲は破壊できてない! 気をつけろ!」
『はあ!? 話と違うやんかーっ!』
「すまん、報酬は考えとくから!」
 さすがの彼女も余裕がないのか、それ以上の追求はなかった。変わりに「来たで来たで来たで――――――っ!」という叫び声と共に彼女の駆るトラックがクラクションをやかましく鳴り響かせながらクレーターの中へ飛び込んできて、それを追いかけて何十、あるいは百を超える、さながら百鬼夜行のようなゾンビの群れが奇声を上げて乱入してきた。
 これがユートの考えた『援軍』――――機械系と生物系の敵性MOBが争いあう習性を利用し、周辺のゾンビなどを集めてボスクラスの敵にぶつける。プレイヤーに対して行えば『トレイン』あるいは『トレインPK』と呼ばれ、この世界がゲームだった頃は大変なマナー違反とされたらしい行為だ。  それをボスに対してやるのは前々から考えてはいたが、機会がなくて実行したのは初めて。廃墟の真ん中にボス入りのステーションが落下してくるというレアケースだからこそできた作戦だ。
 予断ではあるが、てっきりフィーアたちもトラックか何かでここへ来たと思っていたユートは彼女たちにもゾンビを集めるよう要請したのだが、彼女たちはこの四人だけで、自転車に乗ってここへ来たというので断念し、ピアニーに任せる形になってしまった。
「みんな、撃て! 奴の狙いをピアニーから逸らすんだ!」
 こうなったらもう中止は効かない。少しでも思考戦車の狙いがピアニーに向く時間を稼ぐため、全員の全力射撃でヘイトコントロールを試みる。
「こっちを向けーっ!」
『…………』
 カエデが叫び声を上げてM16A1を連射し、サクヤが黙々と撃ち続ける。シュバルツ小隊の連中もユートの意図を察したのか発射される弾の量が多くなり、思考戦車の全身がダメージエフェクトに包まれる。
 曳航弾が乱舞し、ドローンが次々に叩き落されていく中、ピアニーのトラックがゾンビの百鬼夜行を引き連れて驀進し、それがユートたちより近付いたところで、装甲のないトラックなど一撃で粉砕する20ミリ機関砲の狙いが彼女へ向いた。
「ピアニー、避けろ!」
『なんとおっ!』
 ユートの合図を聞いてか、ピアニーのトラックが右に急ハンドルを切る。それとほぼ同時に20ミリ砲弾が発射され、荷台を一部破壊されながらも辛うじて致命傷は免れた。そして流れ弾が後ろからやってきたゾンビに命中し、これによって百鬼夜行の狙いが思考戦車に向く。
 この時点でゾンビの百鬼夜行に思考戦車を攻撃させる試みは成功したが、依然として思考戦車の狙いはピアニーに向いたままだ。大きな横腹を晒した状態のトラックは、正面から突っ込んできた時よりむしろ狙うに易い。
『……偏差射撃される。あれじゃ避けられない』
「射程外に逃げる暇もないです!」
「もういい! 車を捨てて脱出しろ!」
 サクヤとカエデの焦燥が滲む言葉に、ユートは帰りの足を諦める決断をした。たとえ徒歩で帰る羽目になっても、自分の小隊から死人を出すよりましだ。
 だがピアニーは逃げない。
『あかんて! トラックオシャカにしたら賠償金がっぽり持ってかれるやろが!』
「バカ野郎、金と命とどっちが大事だ!」
 ユートの必死な呼びかけにも耳を貸さず走り続けるピアニーのトラックへ、思考戦車の機関砲が再び照準を向ける。当然目標の走る速度に合わせて未来位置に射撃する偏差射撃だ。
「ふんぬーっ!」
 その時、トラックがギャアアアアアアッ! とタイヤの滑る音を立てて左回りにスピンを始めた。それと同時に砲撃が始まり、舞い上がった噴煙でトラックの姿が覆い隠される。
「ピアニーッ!」
 ユートは思わず叫んでいた。間違いなくピアニーはトラックもろとも粉砕されたと思った。
 だがそこへ、通信機にピアニーの声が飛び込んでくる。
『大丈夫や、あたしもトラックも生きとる!』
 その声にはっとする。薄くなった噴煙の向こうには、車体左側を抉られ、窓ガラスとフロントガラスを割られながらも走り続けるトラックが確かに見えた。
 ――避けたのかよ、あれを……!
 先の一瞬――――ピアニーはギアとブレーキを操りつつ左に急ハンドルを切り、車体を大きく回転させるスピンターンでギリギリ砲撃を避けたのだろう。理屈は解るが実戦で、しかも空荷とはいえ鈍重なトラックでやってのけるなど聞いた事もない。『ほう、やるではないか』とフィーアも感嘆の声を漏らすのが聞こえた。
『あたしの役目はここまでや! 危ない真似した分きっちり報酬払ってもらうで!』
「考慮させてもらう、よくやった!」
 ピアニーはそのままトラックのステーションの裏側に回りこませ、それを盾に砲撃を避けながら離脱していく。そして彼女が引き連れてきたゾンビの百鬼夜行は思考戦車に向けて殺到し、戦車の側も機関砲、そして胴体下の12・7ミリ連装機銃で応戦し始める。攻撃を避ける知恵などないゾンビが気持ちいいほど次々に粉砕されていくが、迎撃が遅れたのもあって全ては止めきれずにゾンビが車体によじ登り、錆びた鉈や斧で攻撃し始める。
 思考戦車の車体からぱしゅっ、という音と共に円筒形の物体が射出されたのはその時だ。空中炸裂式の散弾――――いわゆるSマイン。ゾンビの群れを纏めて吹き飛ばす範囲攻撃が炸裂する刹那、ユートとフィーアは同時に叫んでいた。
「サクヤ、撃て!」
『514号、今だ!』
 隊長2人の号令一下、2人のマークスマンが発砲。数秒前から狙いを定めていた弾丸は、Sマインが炸裂の前兆として静止するタイミングを見事に捉えた。次の瞬間、グワンッ――――! と大きな爆発が起き、思考戦車の巨体が大きく傾ぐ。
 爆発はそれだけに留まらない。百鬼夜行の中に十数匹紛れ込んでいた、右腕全体が濃胞のように膨れ上がったグロテスクなゾンビがSマインの爆発に『誘爆』して次々に連鎖爆発を起こし、そのたびに思考戦車が大きくのけぞった。
 ゾンビの攻撃によるダメージは、思考戦車にとっては虫に刺された程度だろう。ユートが狙ったのはまずSマインを使わせる事。Sマインは炸裂する前に撃ち落とすと、思考戦車本体に大きなダメージを与えられる。たぶん開いたSマインのカバーからダメージが内部に届くためだが、そのためには数メートルの距離まで接近する必要があり、成功したらしたで自分も巻き込まれてまず確実に瀕死、という自爆同然の戦法になる。今回はゾンビを利用してSマインを使わせたわけだ。さらにボマーと呼ばれる、攻撃に反応して爆発する種類の変異型ゾンビが連鎖爆発を起こせば、より大きなダメージソースとして期待できる。
 その策は確かにうまくいった。ピアニーはトラックと共に生還し、Sマインとボマーの連鎖爆発は思考戦車に大きなダメージを与えた。だが倒しきるには至らず、思考戦車は巨体の所々から煙と火花を噴きつつも轟然と佇立している。
「チッ、倒しきれてないか……」
 ユートは舌打ちする。煙を噴き始めたのは耐久力が残り少ない証拠だが、できればあの爆発で倒したかった。
 瀕死の思考戦車は、狂ったように残った武装を乱射し始めた。耐久力残り僅かとなったボスの最後の足掻き、いわゆる発狂モードだ。さらに後部ハッチからは軽く20を超える数のドローンが飛び立ち銃撃を加えてくる。
 20人規模の部隊ですら油断すれば全滅もありうる猛攻。それが僅か7人のユートたちに向けられる。
「あと少しのはずなんだ……残りの弾全部ぶち込んでみて、ダメなら一か八か手榴弾でも……」
『…………』
「――!? おい、フィーア、何を!?」
 フィーアは何を血迷ったか、隠れていた瓦礫から身を躍らせた。そして発狂モードの思考戦車目掛けて単身突っ込んでいく。
 ――あのバカ、ラストアタックボーナスに目が眩んだか!?
 いくらフィーアでも正気の沙汰とは思えなかった。シュバルツ小隊のNPCが援護射撃をしているが、あの嵐のような弾幕の全てを避けながら接近できるはずがない。
『は――――――――!』
 思考戦車から裁断なく放たれる砲弾と機銃弾、そして乱れ飛ぶ数十機のドローンからの銃撃。遠くから見ているユートたちから見ると、曳航弾の航跡でフィーアの姿が覆い隠されるほどの弾幕を、フィーアは走り、跳び、まるで華麗な舞を踊るかのような動きで避ける。それでも時折赤いダメージエフェクトが散り、彼女が確実に傷付いていくのが解る。
「くそっ、撃て!」
「え、は、はい!」
『了解』
 見ていられなくなったユートは思わずカエデとサクヤに援護射撃を命じ、ドローンを撃ち落しつつ思考戦車の狙いを逸らそうと銃撃を加えた。その甲斐あってかフィーアに対する銃撃が僅かに薄くなり――――その隙に思考戦車に十数メートルまで接近したフィーアは、腰に下げていた一発の手榴弾を投擲した。
 爆発は起きなかった。代わりに電流に似たエフェクトが周囲に広がり、それに触れたドローンがポタポタと地面に落ち、思考戦車も動きが止まる。
「EMPグレネードだあ!? 聞いてないぞあんなの持ってるなんて!」
 電磁パルスで電子機器を狂わせ、機械系MOBの動きを止める特殊武器――――便利な武器だが、少々値が張るのでユートは持っていない。作戦前の会議でも、フィーアは持っているとは一言も言わなかった。
『フィーア……最初からラストアタック狙いで切り札を隠してたね』
「き、汚いですねさすが洗濯板は汚い……!」
 取った者勝ちと言いつつ最初から出し抜く算段をしていたフィーアにサクヤは嘆息し、カエデは歯軋りしていた。ユートとしては怒るべきか、それともまんまと出し抜かれた自分の迂闊さを恥じるべきか。
 ともかく、EMPで敵の動きが止まった数秒の隙は、彼女にとっては絶対の勝機となる。
『取った――――!』
 一度の跳躍で思考戦車の車体に飛び乗ったフィーアは、高周波サムライブレードの高周波モードをオンにして戦車へ突き立てる。派手に飛び散るダメージエフェクトは思考戦車の耐久力を確実に削っている証拠。ユートもこれはいけると思った。
 その時、EMPによる麻痺から回復した思考戦車から、再びドローンの群れが飛び立った。本来なら周辺の敵へ散らばっていくそれは、ほぼ全機が思考戦車の周囲で円を描くように旋回し、何十という数の銃口をフィーアただ一人に向けた。
 ユートは、この時はさほど動揺しなかった。あれだけの無茶をやってのけるフィーアの事だから、これもうまく切り抜けてラストアタックを持っていくだろうと思った。それはカエデもサクヤも、シュバルツ小隊のNPC兵たちも、同じように思っていたはずだ。
 それが大間違いだと気が付いたのは、『ぬ……!』と初めて焦燥が滲んだフィーアの声が、通信機から漏れ聞こえた時だった。
「フィーア……!?」
 はっとするユートの前で、フィーアが攻撃を避けるために跳躍する。しかしそれは一瞬遅かった。
 投網のように放たれた無数の火線に絡め取られ、体から赤いダメージエフェクトを散らせたフィーアが、思考戦車の足元へ落下した。
「フィーアっ!」
『マスター!』
 ユートとシュバルツ小隊のNPCの叫び声が、通信機越しに交錯する。
 ――どうして! フィーアなら避けられない攻撃じゃなかっただろ!?
 愕然とするユート。そこに再び思考戦車とドローンの砲撃が向けられ、たまらず頭を下げる。
 フィーアの様子は解らないが、思考戦車が狙いを変えたという事は瀕死になったと見て間違いない。一刻も早く助けなければ危ないが、思考戦車の足元に倒れているのでは近付く事さえできない。
 こうして逡巡している間にも、フィーアの死亡カウントはゼロに近付いていく。かといって思考戦車の撃破を優先しようにも、下手に手榴弾を投げたりしたらフィーアを巻き込む。瀕死状態の奴にそんな事をすれば死亡カウントを縮め、止めを刺してしまう。
 ――いや、そうしてでも思考戦車を撃破するべき、なのか……?
 フィーアはもともと敵対コミュニティーのプレイヤーだ。蘇生アイテムのないユートたちが死ぬ危険を冒してまで、助ける義理はない。
 ましてや彼女が死ねば、ステーションのアイテムも思考戦車のドロップアイテムも全て独占できる。そうなればこちらとしては濡れ手で粟だ。彼女だってアイテム欲しさに出し抜こうとした。文句を言われる筋合いも、失うものも――――
 ――ないわけない!
「カエデ! サクヤッ! 援護しろっ!」
「ご、ご主人様、何を!?」
『ユート……!』
 突然岩陰から飛び出し、思考戦車目掛けて突っ込んだユートに、カエデとサクヤが驚いた声を上げる。
「あんたが死んだら、もう俺が勝てないだろうがあっ!」
 ただ単純に、戦って勝つ機会が失われるだけじゃない。
 なぜあれだけの高い能力を見せたフィーアが、最後の最後で倒れたのか――――理由は解る。彼女は離脱の判断を一瞬遅らせた。ラストアタックに固執するあまり……ボーナスアイテムを欲するあまりに。
 彼女はそうまでして、自分と仲間たちが人間らしく生きられるコミュニティーを作りたかったのだ。その道半ばで自分が死んだら何にもならないのに、それでもあんな無茶をするくらい必死だった。
 ――あんたは確かに凄い奴だよフィーア。俺が第一世代連中や失敗を恐れて踏み出せないでいた事を、あんたは躊躇いなく実行してる……
 フィーアがいつも、自分より一歩も二歩も先を行っているのは認める。だがユートとて、いつまでもフィーアの後塵を拝するつもりはない。
 ――俺の実力も……家族を思う気持ちも……いつか認めさせてやる。それまで死なせないからな!
 まずはフィーアに駆け寄って彼女の持っている蘇生アイテムを使う――――しかし思考戦車とドローンから飛んでくる弾の投射量が凄まじい。ユートも運動力重視のステータス配分だが、フィーアほどの運動力はない。それにEMPも持っていない。
 ユートの頭に閃いたのは、先ほどピアニーが使った手だ。
 ――思考戦車はステーションを攻撃しない……裏に回って、そこから接近すれば!
 重いバックパックとM4を捨て、身軽になって全速力で走る。
 そこへ耳障りな羽音を立てて殺到してくるドローンの群れ。まるでユートの意図を見抜いているように進路を塞いでくる。
「チッ、邪魔を……!」
 足のホルスターからグロック17拳銃を抜き、走りながら応戦――――数機を叩き落すも数が多すぎる。被弾覚悟で走り抜けようとした時、進路上のドローンが次々に叩き落されていった。
『ユート、このまま行って』
 サクヤからの通信――――彼女と、シュバルツ小隊のマークスマンが進路を開いてくれる。
『あなたたちも撃ち続けて! とにかくヘイトを稼ぐの!』
『解ってる! ……おいあんた、頼む、俺たちのマスターを……!』
 シュバルツ小隊のNPC2人もカエデと共に思考戦車に銃撃を加えて狙いを逸らしてくれていた。あの連中も自分たちのマスターをユートに託してくれているのだ。
「みんな、ありがとう……! 任せろ!」
 敵対コミュニティーだったはずの連中との奇妙な一体感を感じながら、ユートはステーションの裏手に回りこんだ。そのまま三角跳びの要領でステーションに飛び乗ると、文字通りの眼下に思考戦車の巨体があった。
 ユートの存在に気付き、思考戦車の砲塔が急速旋回。ユートはそれより早くステーションから滑り降り、思考戦車の胴体下を走り抜ける――――そこに、うつぶせに倒れたまま動かないフィーアの姿があった。
 今すぐ死亡カウントの残りを確認して、蘇生アイテムを使いたい衝動に駆られるが、そんな事をしている間に攻撃されるに決まっている。だから――――
「借りるぞ、フィーア!」
 高周波サムライブレードを倒れた彼女の手からもぎ取ると、高周波のスイッチをオンにして「だらあっ!」と振り返りざまに横薙ぎ一閃。今まさに発砲されようとしていた胴体下の機銃が切断される。
「壊れろっ、壊れろっ、壊れろ――――!」
 叫び、剣の降り方など知らないまま滅茶苦茶にブレードを思考戦車の胴体へ叩き付ける。飛び散るダメージエフェクト――――だが数度切りつけたところで、急にダメージ量が大きく減った。
「だあっ! バッテリー切れかよ!?」
 高周波のバッテリー消費が激しいのは知っていたが、数秒で切れるとは思っていなかった。当てにしていた攻撃手段を失い狼狽するユートに、思考戦車が鉄塊の如き前足を振り上げる。
「ご主人様――――――――っ!」
 踏み潰されると思った刹那、叫び声と共にカエデが割り込んできた。振り下ろされる前足にバスタードソーを叩きつけ、驚いた事に振り下ろしを止めた。
 だが当然、人間一人の力で大型兵器の馬力には抗しきれない。すぐに力負けし、「ぐうっ……」と苦悶の表情を浮かべてカエデが膝を曲げる。
「ユート!」
 そこへユートを呼ぶ声――――どういうわけか、瀕死だったはずのフィーアが苦しげながらも上体を起こしていた。そのまま右手を振り上げ、ユートに向けて長方形の物体を投げる。
 ――高周波ブレードのバッテリー!
「カエデ、頭を下げろぉっ!」
 無我夢中でブレードにバッテリーを叩き入れ、カエデを押し潰そうとしている前足を一刀両断――――足を失い、バランスを崩して前のめりに崩れる思考戦車の上に飛び乗る。
 そこへ再び殺到するドローンの群れ。――もう構ってられるか。
「これで――――――――――――!」
 渾身の力を込め、高周波を乗せた刃を思考戦車に突き入れる。視界を塗りつぶすほど大量のダメージエフェクトが散り、同時にドローンの銃撃が自分の身体中を貫く感覚がしたが、構わずさらに力を入れる。
 その時、ユートは自分の手の中で一際ずぶりと食い込むブレードの刃、そして痙攣したように巨体を震わせる思考戦車を確かに見た。
 ――――それを最期に、ユートの意識はぶつりと途切れた。


 ……声が聞こえる。

「ツバキ姉ちゃん、カエデ姉ちゃん、おいら怖い、怖いようっ!」
「あたしたち、どうなっちゃうの……」
「みんな泣かないで。大丈夫、こんなのすぐ終わるから……」
 真っ暗な部屋の中、恐怖にすすり泣く声が響いていた。
 明かりが漏れないようカーテンを閉めた上に目張りした窓の外からは、誰のものか解らない悲鳴や怒声、そして銃声が絶え間なく聞こえてくる。それ自体はこの世界に住まう限り聞こえない日はない環境音じみたものだったが、今回のそれは違う。
「あの人たち……子供たちが怖がって泣いているのに……」
 そう憤りを漏らしたのは、今のそれより幼い、14歳相当の姿のカエデだ。部屋の入り口横で拳銃を構え、侵入者の気配に神経を尖らせていた。
 外で戦っているのは、つい昨日まで同じコミュニティーの仲間だったはずの第一世代プレイヤー同士。突然始まったコミュニティーの内紛に、まだ幼く無力な第二世代たちは怯え、泣き喚いた。それをツバキたち非戦闘職NPCが必死にあやしているが、彼女たちもまた怯えていた。
「みんな落ち着け。父さんならすぐなんとかしてくれる」
 ユートはカエデと共にドアを見張りながら、皆を元気付けようとそう言った。どうしてこんな事になったのか、この時のユートには何も解らなかったが、父なら――――アダマスならすぐにこの騒ぎも収めてくれる。今までそうだったのだから今回もそうだろうと、ユートは父の力に絶対の信頼を置いていた。
 そこへ、ぎしっ、と床の軋る音がドア越しに聞こえ、ユートとカエデは身を硬くして拳銃のグリップを強く握った。
 誰か来た……が、そもそも妙な人間が来たのなら、隣の部屋で窓から外を見張っているサクヤが撃っているはずだ。
 それでも安心はできない。ユートはこういう時のためキキョウに教えられた手順に従って、拳銃の安全装置と薬室内を確認し、いつでも撃てる状態にある事を確かめる。手に馴染んだはずのグロック17拳銃が普段より重く、グリップが大量の汗で滑りそうになって、慌ててズボンで手を拭いた。
 何者かの気配が、ユートたちのいるドアの前で止まる。
「……誰だ?」
 震える声で誰何したユートに、「ユートか、俺だ」と返事が返ってきて、全員がほっと安堵の息をついた。
 その声は、皆が待っていた相手のものだった。ユートはドアの鍵を開けて声の主を迎え入れる。
 その後に続く光景を、ユートはよく理解できなかった。まるで前後がぐちゃぐちゃで、壊れた記録映像を見ているような感覚。吐き気を催すような意味不明の光景。
 理解できたのは、突然響いた2発の銃声と共にアダマスの額からダメージエフェクトが散り、その身体がぐらりと傾いで倒れた、という事だけで――――
 ――ああ、そうだった。と他人事のようにユートは思う。
 父さんは、死んだんだった。



 ぷしぃっ! という圧縮空気の音と共に、ユートの意識は強制的に覚醒させられた。
「くはぁっ……!」
 一時止まっていた呼吸が再開し、大きく息を吸い込む。……初めてではないが、瀕死状態から蘇生させられるこの感覚は何度味わっても、きつい。
「ご主人様、ご主人様ぁ……!」
 視界が開け、半泣きになったカエデの顔が飛び込んでくる。
「……ッ! そうだ、思考戦車は!? 戦闘はどうなった!?」
「落ち着かんか。戦闘はもう終わった」
 慌てて飛び起きたユートに、冷静な声が投げつけられる。――――フィーアだ。
「そうか、俺……思考戦車を攻撃してる最中に、ドローンの集中射撃を浴びて……あれで勝てたのか?」
「うええええ……ご主人様が瀕死になって、蘇生アイテムもなくて、一時はどうなる事かと……」
「フィーアが持っていた蘇生アイテムを使ってくれた。おかげで助かった」
 カエデはぼろ泣きで、さすがのサクヤも嬉しそうだった。本来であれば敵対コミュニティーのプレイヤーであるユートに、蘇生アイテムを使ってやる義理はない。完全にフィーアの温情に助けられた。
「ふん……398号の頼みだからな。ありがたく思うがいい」
「感謝しとくよ。……ところで、そういうあんたこそ瀕死になってたんじゃなかったのか?」
 ユートの目が確かなら、フィーアも間違いなくドローンに撃ち抜かれて瀕死になったはずだった。あの時点で生きていたのなら間違いなく思考戦車は止めを刺しただろう。あれは死んだふりが通じるような間抜けな思考ルーチンは持っていない。
「私にはこれがあったからな」
 フィーアはパンパンと腰の機械を叩く。……セルフメディカルキット。瀕死状態になったり、重度の負傷や毒などのバッドステータスを受けた時に対応するアイテムを挿しておけば、必要な時に自動で使ってくれる装備だ。
 つまりフィーアは、あの時一度は瀕死になったものの、自動で蘇生していたのだ。そのまま動かず死んだふりをしていれば、確かに思考戦車もごまかせる。後は反撃の機会を伺っていた最中にユートがやってきた――――そんなところか。
 余計な心配だったのかもしれないが、とにかくユートたちブレイブ小隊も、フィーアたちシュバルツ小隊も、最終的な犠牲はゼロ。この程度の少人数でレイドボスに挑んだにしては奇跡と言っていいほどの戦果だ。
「ユート。あなたのラストアタックボーナス」
 サクヤがアイテムを実体化させてユートに見せる。所々に機械的な機構のあるスーツ。フィーアのバトルスーツのような特殊効果付きの戦闘服だろう。前々から欲しかった装備だ。
「やったあ! ……でもいいのか? なんか掻っ攫ったみたいになったけど」
「取った者勝ちと言ったはずだ。気にするな……ブレードは返してもらうがな」
 それはお前の物だ、とフィーアはユートが握りっぱなしだった高周波サムライブレードを受け取りながら言う。
 実はこの時、フィーアは殊勝な事を言いながら3Dプリンターヘッドなどいくつかのドロップアイテムをくすねていたのだが、それにユートたちが気付くのは後の事だ。
「ところでフィーア」
「なんだ」
「さっきバッテリーを投げた時、俺の事『ユート』って名前で呼んだよな? 初めて」
「……さてな。どうでもよかろうそんな事は。それよりも早くステーションを開けるぞ」
 貴様が目を覚ますまで待っていたのだからな、とそっけない態度でフィーアは言ったが、少しは認めてくれた……のかもしれない。
「嬉しそうですね、ご主人様……」
 と、泣いて赤くなった目をしたカエデが、むー、と頬を膨らませて睨んできた。
「あの女の評価が上がったのがそんなに嬉しいですか、そうですか。よかったですね。……やっぱり殺してやる……」
「い、いやそれほどでは……そういえば、カエデ?」
 フィーアへ向け殺気を放つカエデに恐怖を感じ、ユートは話を変えた。
「三年前のあの時、俺たちってどうしてたんだっけ?」
「どうって……ツバキ先輩たちと一緒に、ずっと宿舎にいましたけれど」
「いや、さっき父さんがあの場で撃ち殺される嫌な夢を見てな」
 先刻見た夢の中では、カエデや皆と一緒にホームの住居で震えていたユートの元にやってきたのはアダマスで、彼がユートの目の前で撃ち殺されて目が覚めた。
「おかしな夢だろ。父さんが殺されたのをきっかけにあの内紛が始まったはずで、真っ最中に父さんが来てたらつじつまが合わないよな」
「…………」
「カエデ?」
「あ、い、いえ……無理もないですよ。あの時はショックな事の連続でしたから……わたしも、時々夢に見ますから」
 それより早く行きましょう、とカエデはステーションのほうへそそくさと歩いていく。
 カエデに比べれば鈍いかもしれないが、ユートにも解る。
 カエデは、この件に触れたくないのだ、と。



 入り口から見て右半分をユートたち、左半分をフィーアたちの取り分、いらない物があれば応交換と取り決めた上でステーションの中へ入ると、「おおおおお――――っ!」と誰からともなく声が上がった。
「見ろこの銃! ダネルNTWだ! こりゃあ使えるぜえ!」
「うおおおお、蘇生アイテムがこんなに! これで当分死ぬ心配ないぞ!」
「タングステンインゴットだ! 高く売れるぞ!」
 シュバルツ小隊の連中は、有用なアイテムの数々を前にすっかり舞い上がっていた。
 ユートたちも同じだ。高グレードの武器装備、高価な換金アイテム、有用な資源アイテム……今までなら見つけた端から幹部連中に上納していた宝の山が、目の前に積み上がっている。
「ご主人様、これ使いましょうよ! レミントンACR、グレード6ですよ!」
 カエデが興奮気味に渡してきたのは、サンドカーキ色をした近代的なフォルムのアサルトライフルだった。レミントンACR――――リアルではイスラエルのマグプル社がMASADAという名前で開発したライフル銃で、これは後にレミントン社が販売権を獲得した軍用モデルだ。威力、射程、制度、どれをとっても今までユートが使っていたグレード3のM4A1より高く、アクセサリーを取り付けるためのレールシステムを備えているため拡張性も十分だ。
「カエデ。LMG使いたがってたよね」
 サクヤが持ち出したのはM249・SPW軽機関銃だ。MINIMIとも呼ばれる軽機関銃のアメリカ軍仕様がM249だが、中でもこれは特殊部隊用に余計なパーツを切り詰めたSPWタイプ。軽量で取り回しやすく、ピカティニー・レールを追加しているので拡張性もある。マシンガンナーのペチュニアを失った今、カエデがこれを使えば小隊の火力増強になる。
「いいライフルがあったぞ。サクヤはこれ使ったらどうだ」
 ユートがサクヤに差し出したのは、カーボンファイバーで作られた筒状のハンドガードが特徴的なSPR・MK12オートマチック・スナイパーライフル。M16をベースに改修を施した高性能ライフルだ。銃身を機関部と根元の部分だけで固定するフリーフローティング機構によって700メートル級の高い命中精度を実現し、何より使用弾薬がユートたちの銃と同じ5・56ミリ弾で、互いに融通しやすいのもありがたい。
 どれもこれもユートたちが殆ど使った事のない高グレード武器。これで戦うのを想像すると思わず頬が緩む。
 しかし、中にはハズレのアイテムもあった。衣類を収納する衣装ケースを見て、ユートはまた特殊効果付きの戦闘服かと期待したが、出てきたのはヒラヒラのフリルがついた、実に少女趣味なデザインの、ただの女物の服だった。
「特殊効果もない……ハズレだな」
「あら、可愛い服ですね。着てみたいけど、わたしにはちょっとサイズが合いそうにないですね」
 この時ふたりは気付かなかったが、そのやり取りを聞いたフィーアが後ろで聞き耳を立てた。
「持って帰っても売るだけだな。フィーアが何かと交換してくれないかな……」
 その言葉に、フィーアが期待に目を輝かせた。
「いらないと思いますよ、こんな可愛い服なんて」
「それもそうだな」
 期待を裏切られ、フィーアの肩が落ちた。
 と、サクヤが無言で服をひったくった。
「フィーア。これいらないから、交換してくれる物があるなら言って」
「おお!? う、うむ。ではこちらからは音楽CDを見つけたのでこれと交換しよう。私は音楽は嗜まぬからな」
 不自然な態度でいそいそとアイテムを交換するフィーアとサクヤ。以前同じコミュニティーだった者同士の不可解なやり取りに、ユートとカエデは首を傾げる。
 そこへ、入り口から誰かが入ってくる気配がした。
「おーいユートはん、生きとるかあ?」
「その声はピアニーか? ご苦労さん、おかげで助かったよ」
 戦闘終了の知らせを受けて戻ってきたピアニーに大した怪我はなかったが、乗ってきたトラックは傷だらけでガラスも全て割れた痛々しい状態だった。特に車体左側は砲弾に抉り取られ、助手席のドアがなくなっている有様だ。それを見たユートは本当に紙一重の差で助かったのだと実感した。
 その紙一重で助かったピアニーは、憮然とした顔でユートに言う。
「ほんまえろうこき使ってくれおったな。あたしもトラックもボロッボロや。この分はきっちり払ろうてもらえるんやろな?」
「もちろん。ピアニーも立派な功労者だからな」
 ピアニーがいなければ、ゾンビを集める手は使えず勝てなかったろう。それに彼女の運転テクニックのおかげでトラックを失わずに済み、歩いて帰らなくてもよくなった。損傷したトラックはレンチ一本あれば――比喩ではなく文字通り――直せるし、相応の分け前は払ってやるべきだろう。
「先刻の運転手か。実にいい腕をしていたな」
 不意にフィーアが歩み寄ってきて、ピアニーへ声をかけた。
「どうだ。私の小隊に来ないか。優秀な運転手はぜひ欲しい」
「ふーん、考えへん事もないけど報酬はいくらや? 今のとこより好条件なんやろな?」
「おいコラ。なに人のチームメイトを勝手に引き抜こうとしてるんだ」
 図々しくも勧誘を持ちかけるフィーアを、ユートは追い払う。あれだけの技術がある人材を勝手に持っていかれたらたまらない。
 邪魔をされたフィーアは「ふむ……まあ仕方あるまい」と以外にあっさり諦めた。強硬手段に出るのではと内心身構えていたユートは、少なくとも今フィーアにその気がないようでほっとした。
「じゃあピアニー。積み込みを手伝ってくれ」
「はいよ。……酒がないやんか。しけとんなあ」
「換金アイテムを金に替えたら酒も買えるよ。それより早いとこ隠し場所に持っていこう」
 何気ない一言のつもりで言ったユートに、ピアニーは怪訝な顔をして振り向いた。
「隠し場所? 上に納めるんとちゃうんか?」
 その言葉に、ユートはピアニーだけ何も聞いていなかったのを思い出した。
 これらアイテムの使い道を、ユートはまだはっきりと決めてはいない。だが少なくとも大人しく上に納めて報酬という名の分け前を貰う選択肢はもうない。使うべき時が来るまでこの廃墟に隠匿する事になるだろうが、フィーアとの口論の時その場にいなかったピアニーには、その方針を伝えていない。彼女独りを門外漢にしてしまった形だ。
「ああ悪い。実は――――」
「……ここを出たら休戦は終わるから、帰るまで隠しておく」
 ユートが説明しようとした途端、どういうわけかサクヤがそれを遮って半分だけの理由を口にした。ピアニーはそれで納得したのか「さいですか」と頷いてアイテムを運び出す手伝いに向かう。
「サクヤ? どうして……」
「まだ教えないほうがいい。彼女をそこまで信用していいか、正直判断できない」
 なにせ初対面が数時間前の相手だ。悪い奴ではなさそうだし、世界の統一に疑問を投げていたのを見る限り幹部連中の犬でもなさそうだが、何かにつけて報酬を要求する彼女は徹底した実利主義者だ。解放戦線を抜けて新しいコミュニティーを作りたいなんて、そんな危ない橋についてきてくれるかは怪しい、とサクヤは言う。
「ピアニーが解放戦線に残りたがるかもって? それなら仕方ないんじゃあ……」
「それだけならいい。でも幹部連中に密告でもされたら怖い。その可能性が100%否定できない以上、疑ったほうがいい」
「心配性だな……」
 ユートは苦笑する。彼に言わせれば、ピアニーは思考戦車との戦闘でもあれだけ無茶をして助けてくれたのだ。そうまでしてくれる奴が裏切るわけはないと思った。
 その時、「ユートはん」と件のピアニーが声をかけてきた。
「これ、なんや? けったいなしろもんやけど」
 ピアニーが指したのは、ステーションの奥に鎮座した、キーボードやモニターを備えた機械だった。通信機の端末、あるいはドローンの操作デバイスによく似ていたが、記憶を辿っても該当するアイテムは出てこなかった。
「見た事ないな……何かの端末か?」
 ひょっとしたらこれが、先日のアップデートで追加されたアイテムという奴なのだろうか。とにかくもっとよく調べてみようと端末に触れたりしながら全体を覗き込んだりしていると、突然ブーン、という起動音と共に端末が動き出した。
「わっ!」
「ご主人様、下がって!」
「何事だ!?」
 ユートは驚いて数歩後退し、カエデやフィーアが咄嗟に銃を構える。
 一瞬罠を疑ったが、その後は特に何も起きなかった。どうやら敵性MOBを呼び集めたりする危険なアイテムの類ではなさそうで、一同安堵する。
「なんだ……これ」
 端末には、灰色や赤茶色、そして僅かばかりの青に彩られた球体が映し出され、その上に『Satellite Scan』と記されていた。……サテライトスキャン、と読むのだろうか。
 画面にタッチ。すると球体の一部が拡大され、そこには山があり、枯れた川の跡があり、核兵器に抉り取られたクレーターがあり、今ユートたちがいるように廃墟があった。それでようやく、ユートたちはこれがこの世界を遥か上空から見下ろすものだと解った。
 再度画面にタッチすると、今度は色分けされた地図の上に、目が回りそうなほど多くの情報が表示された。この地域を支配しているコミュニティーの名前、その規模、構成人数……
 中小無数のコミュニティーが離散集合を繰り返しながら争い合う地域があった。
 解放戦線に匹敵する、あるいはそれ以上の規模の巨大コミュニティー同士が激しく凌ぎを削り合う地域があった。
 数百キロに亘って耕作地も何もなく、誰からも見向きもされない地域の真ん中にぽつんと存在する極小のコミュニティーがあった。
「……なんだこれ凄い。半径何千キロって圏内の情報が手に取るみたいだ……」
 雪崩のようにユートたちへと流れ込んでくる、この世界の全容と言っていい情報の数々。正確にはスクロールできる範囲に制限があり、参照できるのはユートたちがいるここを含めた一部のようだが、それでもまだ見ぬ地域とコミュニティーの情報が山のように得られ、ユートたちはそれを食い入るように見つめていた。
「おい。この近辺の耕作地に関する情報はないのか?」
 フィーアが顔を寄せてモニターを覗き込んできて、ユートは思わずどきりとした。
 この地図上で緑色に表示されている場所が、きっと耕作地だろう。これだけでもコミュニティーの幹部連中なら踊りだすほどの有益な情報だ。
 しかしタブの一つにタッチし、ユートたちのいる近辺の耕作地を検索すると、もうその殆どに既存のコミュニティーのホームが置かれていた。
「ぬう、いまさら未発見の耕作地がそう簡単に見つかるとは思っていなかったが……」
 フィーアは落胆したように肩を落とす。
 耕作地が見つからなければ家族や仲間をいつまでも連れ歩けない。ユートにとっても解放戦線を抜けられない理由の一つだ。
 そして、よしんば耕作地が手に入っても、近隣にコミュニティーを立ち上げれば確実に解放戦線が攻めてくる。『統一派』コミュニティーは基本として、自分たち以外のコミュニティーが存在する事を許さない。新興のコミュニティーなど即刻叩き潰される。
 つまり食料が持つ間に仲間たちを連れて行けるほど近く、それでいてすぐに解放戦線の手が届かない程度には遠い、そんな場所に耕作地を見つける事がフィーアの目的を果たす最低限の条件。彼女はこのサテライトスキャンとやらにならそれを見つけられるのではと期待したが、期待が外れた形だ。
 他の手段としては他のコミュニティーの耕作地をホームごと奪うか、今いるホームを内部から乗っ取るか……どちらにしてもリスクは高く、相応の戦力が要る。
 やはり無理なのかとユートが思いかけたその時、カエデが血相を変えて叫んだ。
「ちょ、ちょっとご主人様、これって……!」
 地図上に引かれた赤いライン――――ラインと言っても、幅も長さも数百キロ単位でありそうだ。
 それは近々起きる、『死の風』イベントの被害予測範囲。
 汚染物質を大量に含んだ風により、被害範囲の中にいる人間は屋内に避難するか防毒マスクを着用しなければ病気を発症し、最悪死に至る。それが数日から数週間続くのだが、最も恐ろしいのは範囲内の耕作地が汚染されて、外と同じただの荒地になる事だ。
 気象レーダーによって事前の予測は可能だが、回避の手段はほぼ存在しない最悪のイベント。それが数日後、人類解放戦線の支配域ど真ん中を直撃し、相当数のホームが影響を受けると出ていた。
「……これが本当なら、解放戦線の食糧生産量は半分以下に落ち込むね」
 サクヤは深刻な顔で言う。
 耕作地が汚染され、食糧の生産量が落ち込む事態はこの世界で生きていく以上避けて通れない。しかしこれほどの規模はユートの経験する限り始めてだ。
 食糧の生産量が半分になるという事は、単純に考えても養える人の数が半分になるという事。当然コミュニティーもその時に備えて非常食を備蓄しておくのが常だが、いつまでもは持たない。千数百人規模の解放戦線ともなればなおさらだ。
「は、早く帰って、みんなに伝えないと……!」
 ユートはいてもたってもいられず、ステーションから飛び出そうとする。……と、カエデたちに止められた。
「ご主人様、落ち着いてください……!」
「落ち着いてられるかよ! 早く伝えないとみんなが……!」
「この程度の情報、ゴーリィなら把握しているはず」
 そのサクヤの言葉に、ユートもはたと気がついた。
 解放戦線のホームにも気象レーダーはあるのだ。ここまで具体的なものではないにしろ、いくつかの耕作地が汚染される程度の事はゴーリィたちも把握しているはず。……近頃いつにもまして拙速に他コミュニティーのホームを攻めていたのは、それが理由なのだろうか。
 備蓄食が残っている間に新たな耕作地が見つかればいい。だが見つからなければ、コミュニティーは食糧不足に陥り多くのメンバーが飢餓に晒される。そうなった時ゴーリィたちはプレイヤーが飢える事だけは絶対に防ぐ。であれば奴等はNPCを、またぞろ優先度の低い順に切り捨てていくはずだ。
 そしてユートたちに情報が伏せられているという事は、恐らくゴーリィはその事態を不可避と考えている。十分な耕作地を確保する事は難しく、一部を切り捨てるしかない――――そんな事を公表したら、たちまち食糧を隠匿する者や離反者が出る。
「ふん……第一世代連中の考えそうな事だ」
「……でも、この端末があれば、そんな事しなくてすむはずだ」
『死の風』イベントの後には、必ず近隣のフィールドに新たな耕作地が発生する。耕作地がなくなればゲームが成立しないため当然と言えば当然の措置だが、問題はそれを見つけられるかどうかだ。他のコミュニティーも当然耕作地を狙ってくるため、必然的に激しい争奪戦が起きる。
 だがこのサテライトスキャン端末があれば、近隣の耕作地がどこにあるかが一目で解る。これを持ち帰れば食糧不足も、NPCが切り捨てられる事も避けられる――――と思ったが、
 ――いいのか、それで。
 それでは今までと何も変わらない。ユートたちも、NPCたちも、これまで通り第一世代連中の駒として使い潰される日々が続くだけだ。
 それよりも、この端末があれば……
「……みんな、それにフィーアも聞いてくれ」
「なんだ」
「なんでしょう?」
「俺はこれから――――」



アームド・ユートピア・2