ACT:2

 その少年は、日本のとある会社社長夫妻の一人息子として生まれた。
 父親とその一族が経営する会社は大会社というほど大きくはないが、機械製品の国内に向けた流通・販売のほか国外への輸出も手がける商社で、80人からの社員を問題なく食わせていける程度には利益を上げていた。
 その経営者一族の元に生まれた彼は、いずれ親の会社を継ぐため人一倍の努力をした。小学生の頃の成績は学年で一位をほぼ独占していたし、中学では全国模試で上位トップ10に食い込んだ。14歳の頃にアメリカで大ヒットした小説の日本語訳版が発売され、その誤訳を投書で指摘したところ回収騒ぎにまで発展したのは彼を知る皆の語り草だ。
 やがて高校を卒業した後は海外に語学留学し、世界を股にかけて働く商社マンとして父の会社を支えるのだと、既に将来の人生設計までが出来上がっていた。彼自身を含む誰もが、彼の前途は明るいと疑っていなかった。
 とはいえ、勉強熱心で将来有望ながり勉くん、と周囲から見られていた彼にも年相応に遊びたい欲求はあり、高校進学を控えた15歳の時に友人からの勧めでアームド・ユートピアを始めた。時間を食う類のゲームではあったが、親は概ね容認していた。プレイ時間は勉学に支障が出ない程度に抑えていたし、なによりたかがゲームが取り返しのつかないレベルで彼の人生を狂わせるなど、彼も親も予想できようはずはなかったのだから。
 アームド・ユートピアというゲームが脱出不可能の牢獄となり、その虜囚となった彼は気が狂うほどの恐慌を味わった。志望した私立高校の合格通知が届いた矢先の事だったのだ。一刻も早く帰らなければ、高校進学、海外留学、一族の会社への就職という思い描いていた未来図が破綻してしまう。
 だが、すぐに来ると思っていた助けは終ぞ来る事のないまま月日が流れ、脱出に繋がる希望と見られた巨大同盟が脆くも瓦解する様を目の当たりにした彼は、やがて『統一派』の思想に傾倒していった。根拠薄弱な方法論であっても、彼らにとっては地獄に下ろされた一筋の蜘蛛の糸であったのだ。
 世界を統一し、この世界から脱出するため『統一派』コミュニティーに入った彼ではあったが、その道は遠かった。いくつもの統一派コミュニティーが乱立し、我こそが主導権を握ると潰しあう中で勝ち進むのは用意ではなく、彼のコミュニティーは戦いに敗れ、吸収され、以降彼はそのコミュニティーの兵士として最前線に立たされた。そしてそのコミュニティーもまた負け――――と、彼は何度となく所属するコミュニティーを変えながらも生き延びてきた。
 彼にとっては歯がゆい事この上ない時期であった。彼の目から見ればどいつもこいつもコミュニティーの運営に無駄が多すぎる。適材適所とはおよそ思えないプレイヤーの配置であったり、能力地の低い使えないNPCを雇用し続けたり、よりよい武器の購入に使うべき金を肉や酒といった嗜好品に費やしたり……
 彼はある言葉を大事にしている。『無駄を省く事が成功の秘訣』という父の教えだ。
 彼の祖父の代、折からの経済不振で会社が傾いていた時期があった。その経営再建を任された彼の父は多すぎる社員のリストラを断行し、不採算事業をたたみ、コストカットを徹底する事で事業の効率化を計り、会社の経営を立て直したという実績のある人物だった。そんな父親からコストカットを徹底し、効率的な経営を是とし、必要ならリストラも断行する、という経営論を教え込まれた彼に言わせれば、渡り歩いてきたコミュニティーの連中は揃いも揃って非効率な運営に終始する無能ばかりだった。
 食肉用クローン家畜は制限し、畑の生産品目を家畜の飼料から人が食べる穀物に切り替えれば生産量も備蓄量も増やせる。能力値の高いNPCを選別し、使えないNPCはオプスに突っ込めば間引きと報酬獲得が一度に行える。もっと効率的にコミュニティーを運営すればまだまだ戦力を増強できる。
 だがいくら訴えたところで、所詮は敗残の身。コミュニティーの運営に口を出す事は簡単ではなかった。やがて彼はろくな勢力拡大もできないまま離散集合ばかりを繰り返すコミュニティーに見切りをつけ、知り合った幾人かの仲間と共に脱走した。
 彼らが新たに立ち上げたコミュニティーは『ブレイブ・ハート』。ボスは仲間内で最も人望厚く、優秀な戦績を収めていたアダマス。その他彼やアヘマルといった創設メンバーが幹部として運営するそれは確実に頭角を現し、周辺のコミュニティーを飲み込んで大きくなっていった。
 この成功で彼は、自分のやり方は間違っていなかったと自信を深め、このメンバーとなら世界の統一も夢ではないと希望を持った。

 ――――その希望を叩き壊したのは、この世界に生まれるようになった新しい命たちだった。



 L&Pから人類解放戦線に所有者を変え、解放戦線の第31番ホームとなったそこの中心部には、一際目を引く立派な住居が鎮座している。
 外装もさることながら内装もまた間接照明に赤絨毯と趣向を凝らしたそこは、以前はL&Pの幹部プレイヤーたちが利用していた幹部宿舎。その会議室と札の掛けられた一室で、解放戦線の主だった幹部プレイヤーたちが大机を囲んで列席していた。
 当然、彼――――解放戦線の現ボス、ゴーリィもそこにいた。
「第11番、第7番、および第4番ホームからも『死の風』が到達したと連絡がありました。第9番ホームは収穫が間に合わず、一部作物が汚染されたと……」
 他ホームからの報告を読み上げるNPCの言葉を聞く、彼らの表情は硬い。机の上に広げられた解放戦線支配域の地図には、ホームを示す凸印の半分近くに汚染された事を表す×印が付けられている。
 気象レーダーから得られた情報によって、数日中にいくつかの耕作地が汚染される事は把握していた。本来ならあと数日は準備を要するはずだったこの31番ホーム攻略作戦を、予定を前倒しにする形で強行したのもその対策だ。
 だが今、テープで目張りしたガラス窓の外では毒々しい灰色の風が吹き荒れていた。準備不十分なまま犠牲を払いながらもなんとか手に入れた耕作地が、手に入れてすぐ汚染されたのでは意味がない。
 そして今、他ホームからもたらされる『死の風』の被害報告は予想を超える数で増え続けていた。全てのホームに気象レーダーがあるわけではないから仕方ないにせよ、ゴーリィはこの元凶であるストーリーテラーを心底忌々しく思った。
 これほどの規模で『死の風』を起こし、解放戦線を狙ったように直撃するというのは、ストーリーテラーが本格的に解放戦線の力を削ぎにかかってきた証拠だ。永遠にコミュニティー同士を争い合わせたいアレさえなければ、とっくの昔に世界の統一は成っていたろうに。
 リアル時間換算で30年というのは長い時間だった。当時15歳だったゴーリィも今や45歳。自分が記憶にある両親と同年代に近くなりつつある事を思い出すたび、ゴーリィは身を焦がすような不安に襲われる。両親も、自分が継ぐはずだった会社も、もうこの世にないのではないかと。それを思うたびに、早く帰らなければという焦燥感に駆られる。
 そして、リアルの家族をこそ思い続けている自分は正常だと、そう実感できる。
「それから9番ホームで収穫作業中だったNPC3人の避難が遅れ、肺疾患を発症したので薬を送って欲しいと要請が……」
「そんな事はどうでもいい!」
「食糧事情の見通しを報告しろ!」
 余計な報告に幹部たちからの罵声が跳び、連絡役のNPCがびくっと身体を震わせて怯えの表情を見せる。
 この世界がゲームだった頃はもっと人形じみて従順だったNPCが、日を追うごとに表情豊かになっていったのはいつ頃からだったか。プレイヤーの目がないところで情報交換をしたり談笑したりしている彼ら彼女らは、確かに“人間らしく”なっている。
 だからこそ気味が悪い。今は従順に従っているようで、腹の中では何を考えているのか窺い知れない。
「い、今入っている情報だけでも、食糧生産量は45パーセント減と試算されています。まだ報告の来ていないホームも含めると、最悪56パーセントは減るかと……」
「……そうなると、各ホームの備蓄食糧を放出しても、今の人数を支えられるのはせいぜい三週間が限度か」
 ゴーリィは無意識に爪を噛む。三週間後に備蓄食糧が尽きれば、飢餓状態に陥ったNPCは急激にメンタルを悪化させる。そうなれば彼らは錯乱して銃を乱射したり、食糧を強奪して逃げたりする。そうなればどれだけの被害が出るか。
「新規発生した耕作地の捜索は?」
『死の風』発生に伴って新規に発生する耕作地を早期に見つける事が、この状況を乗り切る頼みの綱だ。そのために『死の風』の来ていないホームからヘリを飛ばして周辺を捜索させているが、
「今のところ、耕作地発見の報は来ていません……」
 そのNPCの言葉に、会議室の空気がますます重くなる。『死の風』が過ぎたら他のホームからもヘリを飛ばす予定だが、この調子では解放戦線の支配域内、あるいはごく近隣に耕作地が発生しているとは期待できそうにない。
 ――『間引き』は避けられないか。
「耕作地が汚染されたホームは敵対コミュニティーの支配域沿いのものを除いて放棄。人員とリソースは『死の風』が過ぎ次第他のホームに集約させろ」
 それと、とゴーリィは全員の前に、NPCとその所在するホームが明記されたリストを表示させる。
「各ホームから能力地の低い非戦闘職NPCを50人ほど選別して徴兵、オプスの攻略部隊を編成しろ『間引き』を実行する」
 養いきれないNPCを選別し、数を減らす『間引き』――――プレイヤーが直接手を下す事は残ったNPCのメンタルを大きく悪化させるため、危険なオプスに突っ込ませるなどの婉曲なやり方で殺す。『使える』NPCを失わないためには当然の措置だ。
「50人ですか? それではとても足りないのでは……」
「必要ならさらに間引く。焦って数を減らしすぎた結果、他所の連中につけ込まれても面白くないからな。平行して他コミュニティーの支配域に侵入しての耕作地捜索も行う。これには出せるだけの小隊を出せ。敵対コミュニティーより先に耕作地を確保しろ」
 新たに耕作地が発生したのは遥か遠くの土地で、解放戦線の手が届く場所にはもうない、という可能性は考慮しなくていい。ストーリーテラーは究極的にはコミュニティー同士の争いを激化させる――――つまりはゲームを活性化させるためのAIだ。敵対するコミュニティー同士の勢力圏が接する近くに必ず新たな耕作地がある。
 それは解放戦線にとっては受けるダメージをリカバリーできるチャンスだが、同時に周辺の敵対コミュニティーにとっては耕作地を手に入れ、それをテコに勢力を盛り返すチャンスでもある。争奪戦は激しいものになるだろう。ストーリーテラーは実に狡猾だ。
「敵対コミュニティーに先を越されるな。奴らより先に耕作地を確保してダメージを最小限に抑える。直ちにかかれ」
 イエス・ボス! と唱和した幹部プレイヤーたちが席を立つ。
「安心しろ。お前たちは必ずリアルへ帰してやる。世界を統一するのは、我々だ」
 最期に皆を勇気付ける言葉をかけて、その会議は終了となった。


 会議終了から数時間後、ゴーリィは追加の『間引き』の候補をリストから選びながら、自室で夕食を摂った。
 その日の夕食は、トウモロコシのお粥に温野菜のサラダ、ポークソテーという献立だ。今回の食糧不足でまた食肉生産は制限する事になるだろうから、これで当分肉は食べ収めだろう。
 物足りなさはあるが仕方がない。所詮これも機械の再現した偽者の感覚だと割り切りながらも肉を噛み締めるように味わっていると、部屋のドアがコンコンとノックされた。
「ちょっといいすか、ボス?」
 ドアを開けたのはアヘマルだった。ド派手なドレッドヘアーをドア枠に引っ掛けながらずかずかと上がりこんでくる。
「俺も捜索活動に加わりたいんで、車を使わしてくれますかね」
 アヘマルの言葉に、ゴーリィは眉根を寄せる。
 本来アヘマルはヘリコプターパイロットだが、『死の風』が吹く中でヘリは飛ばせない。車両を使うのは別におかしくはない。
 ないのだが、そんな事は先刻の会議で言えばいい。それが終わった後でわざわざ部屋に押しかけてくるのは、他の連中に聞かれると具合の悪い内容を含むからだろう。この話が。
「探しに行きたいのは耕作地か? それともユートか?」
「ユートの坊主をっつうか、帰ってきてない連中を連れ帰って、ついでに耕作地も探してくるか、なんて」
 ――お前はどちら側の人間だ、コウモリ野郎が。
 質問に対する返答を曖昧にはぐらかしたアヘマルを、ゴーリィは内心で罵る。
 このアヘマルという男の思想信条は、どちらかと言えば自分よりアダマスのそれに近い。NPCに心が宿ったと本気で信じている節があるのだ。数日前に採集任務に向かったきり戻らないユートの事を気にしているのも、アレが父親と死別した原因が自分にあるみたいに思っているからだろう。
 ――お前といいアダマスといい、NPCに愛着を持ちすぎだ、アホが。
 親子関係も、向けられる感情も、全てはゲームの設定でしかない。それをリアルと混同するのは、この異常な状況では滑稽を通り越して危険思想に類するというのがゴーリィの考えだ。その危険思想を持ち続けている節があるアヘマルは、かつて共に『ブレイブ・ハート』を立ち上げた仲間同士で、以前助けられた恩があるために今も幹部として登用しているが、それでも心から信頼はできない奴だった。
 とはいえ簡単に補充できない第二世代と、練度の高い戦闘職NPCをいたずらに失いたくないのは一理ある。
「……まあいい。好きにしろ」
「へへへ、ありがとよ、ボス」
「礼はいい。燃料と防毒マスクはお前が自腹で用意しろ」
 言って、再びリストに目を戻す。食事の片手間に能力値が低かったり人物特性に問題のあるNPCを選別して、間引きの候補に加えていく。
 今頃は会議でゴーリィが指示した最初の『間引き』もそろそろ始まっている頃だ。食わせる飯がないから飢える前に切り捨てるその作業を淡々とこなす姿に、アヘマルは肩をすくめて嘆息した。
「変わったねえお前さんも。昔はもうちょっとこの世界を楽しんでたと思うんだがな」
 昔の事を掘り返すアヘマルに胸を掻き毟りたくなるような苛立ちを覚え、ゴーリィは彼を剣呑な目で睨む。
「当たり前だ……私は、アダマスとは違う」
 昔の自分はどうかしていた。この世界を昔のままのゲームとして楽しむなんて、無駄を通り越して恐ろしい。そんな事をしていたから、アダマスは狂ったのだ。
 第二世代とその出産が実装された時、アダマスは『NPCの嫁と好きなだけニャンニャンして子作りもできるとか、素晴らしいじゃねえか!』などと無邪気に大喜びしていた。そしてアップデートから間もなく集中的に育成していた戦闘職NPCと結婚して、第二世代を作る努力を始めた。
 確かに減る一方だったプレイヤーが増えるのはありがたい。労働力としても戦力としても育てれば大きな助けにはなる。実際、今や第二世代はどこのコミュニティーにとってもなくてはならない存在だ。労働力としては言うに及ばず、戦力としても彼らを前面に出す事で、第一世代が死ぬリスクを最小限にできるのだから。
 だがゴーリィは、NPCや女性プレイヤーと第二世代を作ろうとした事はない。別に女性への苦手意識があるとかそういうわけではないが、この頃には既に相当な人間らしさを獲得していたNPCが、ゴーリィには気味の悪い存在になりつつあった。有り体に言えば不気味だったのだ。生まれてきた赤ん坊――――第二世代が、システム上プレイヤーとして扱われるNPCという不可解極まる存在だった事も、その認識に拍車をかけた。
 そんなゴーリィの懸念とは無関係に、第二世代の親となるプレイヤーは確実に増えていった。やがてアダマスは生まれた第二世代の子、ユートに情が移り、いよいよ他コミュニティーへの攻撃に積極的でなくなった。コミュニティーの方針変更に抗議したゴーリィたちに向かって、アダマスははっきりとこう言ったのだ――――妻と息子との生活を手放したくないと。
 アダマスはこの仮想世界のバーチャルな家族をリアルのそれと混同し、溺れ、コミュニティーの皆を裏切った。その結果があの流血の内紛だ。
 あれ以来、ゴーリィは第二世代とNPCに首輪を付け、高グレードの武器を与えず、兵隊として扱う事を徹底してきた。この異常な状況では、人の心は簡単に甘い空想に飲み込まれる。外見に惑わされ、NPCを人間と錯誤したが最期、アダマスのようにリアルを失ってしまう。
「私は、そうはならないぞ……この地獄じみた世界から、必ず脱出してみせる。リアルで待っている父と母のためにもな」
「……だよな。オレたちにはそれが一番大事なんだよな……」
 納得したのかしていないのか、遠い目をしたアヘマルが退室しようとする。
 とそこへ、蹴破らんばかりの勢いで一人の第一世代プレイヤーが入ってきた。
「第7番ホームより緊急連絡! 敵襲です!」
「なに?」
 ゴーリィは眉根を寄せる。第7番ホームといえば、つい先ほどの会議で汚染されたから放棄すると決まったばかりのホームだ。他コミュニティーの支配域とも接していないから防衛装備も最低限で、襲撃するメリットは殆どないはず。だがそこで、アヘマルが何かに気付いたように血相を変えた。
「おいおいおい。第7番ホームっていったら……」
 その言葉に、ゴーリィもはっとした。慌てて先ほどのリスト、そのプレイヤー欄に目を通す。
 そこには予想した通りの物があった。一瞬呆然とし、次の瞬間湧き上がってきた怒りに任せて机を殴る。
「クソガキが……!」



 数分前、第7番ホームNPC用住居――――

 軽く百畳はある広い部屋の中、ひたすら二段ベッドと小さな物入ればかりが並んでいる収容所じみた住居の中、非戦闘職のNPC数十人が不安げな表情で身を寄せ合っていた。
『死の風』のせいで外に出られない中、突然戦闘職NPCを引き連れたプレイヤーが数人、この第7番ホームへ押しかけてきた。その時点ですでに彼らは『間引き』が始まったのだと悟っていた。
「今度は誰が間引かれるんだ……」
「死にたくないよ……」
「怖いよ、姉ちゃん……」
 NPCたちは怯えていた。戦闘関連の能力値が低い非戦闘職は優先順位も低い。このような食糧危機に見舞われれば、真っ先に間引かれるのは自分たちだと彼らは知っている。このホームへ押しかけてきたプレイヤーたちは、彼らにとっては処刑人だった。
「大丈夫よ……あなたたちは間引かれたりしないから……」
 そんなNPCたちの取りまとめ役――――ツバキは、皆を賢明に励ましていた。23歳相当の16歳である彼女は同年代のNPCや第二世代の中では年上で、昔から皆の世話役を務める事が多かった。
 ――あの人たちは、またこんな事を……
 憤りにギリッと奥歯が鳴る。こんな年端も行かない子供たちが、自分が殺されるかもと怯えて泣いているのに、第一世代の連中は 何の痛痒も感じる様子がない。……NPCは、所詮データの塊でゲームの駒だと、奴らは今でも思っているから。今はもう違うと訴えたところで、奴らの認識が改まる事は恐らくない。
 一時は『間引き』を禁止し、NPCを人間として扱ってくれた時期もあったが、それも3年前のあの時に壊れてしまった。いや、元通りのあるべき形に戻ったと言うべきか。
 結局、プレイヤーは絶対的な支配者で、NPCはそれに逆らえない奴隷。人と神のそれに等しい絶対的な上位関係は、決して変わりはしないのだ。自分たちNPCはここで、死ぬまで『間引き』に怯えながら暮らすしかない。
 ――ユー君……
 ツバキは、いまや頼れるただ一人のプレイヤーとなった少年に思いを馳せた。
 ユートには、辛い思いをさせてきた。自分たちが人質に取られているせいで彼は逃げも逆らいもできないまま、耐える事を強いられてきた。……ツバキたちのために耐えてきたのだ。そんな彼のために、ツバキがやってきた事は――――
 その時玄関の戸が乱暴に開かれ、ひぃっ、とNPCたちが怯えた声を漏らした。どかどかと靴音も高く、第一世代プレイヤー二人とそれに率いられた戦闘職NPCの小隊が上がりこんでくる。
「NPCアザミ、クロッカス、サザンカ! お前たちに徴兵命令が出ている、ただちに武装の上外に集合しろ!」
「ぼさっとするな、早くしろ!」
 二人の第一世代による恫喝じみた命令。『死の風』対策に不気味な防毒マスクを着用したその姿は死神のようだ。
 抗弁の余地などあるわけもなく、2人のNPC――17歳相当の9歳であるアザミと、15歳相当の3歳であるクロッカス――が渋々それに従って彼らの元へ向かう。
 だが名を呼ばれた最期の一人は、その姿を見せなかった。チッと舌打ちして、ヘルメットに派手な羽飾りをつけた第一世代がツバキたちの下へ銃を鳴らして歩み寄ってくる。
「サザンカは? もう一人いるはずだ。どこにいる?」
「私は知りません」
 とぼけるツバキに、派手な第一世代は苛立った顔で詰め寄ってくる。
「おい、隠したら今度はお前に『次』が回ってくるぞ」
 その言葉ははったりではない。反抗的なNPCはプレイヤーにとって、いつサボタージュを企てるかもしれない危険な存在だ。この状況ならきっと『間引き』の対象になりうる。
「……本当に知りません」
 それでも、ツバキはしらをきった。ここで恫喝に屈したら、ユートや皆に顔向けできない。
「とっとと誰か答えろ。答えた奴は間引かれないかもしれないぞ」
 ――このクズ……!
 ツバキは歯軋りする。
 この第一世代は餌をぶら下げて、家族を売らせる気だ。しかもその餌を得られるのは一人きり。取られる前に取らなければ死ぬかもしれない。
「そ、そこです……!」
 そんな状況で、餌に手を伸ばす奴が出るのは人間の悲しい必然だった。
「あなた……!」
 ツバキは自身の座るベッドを指差したNPCの少女を睨みつけたが、すぐに「どけ!」と第一世代に突き飛ばされ、床に倒れた。
 ベッドを動かすと、その下には跳ね上げ式の扉があった。このホームができた時にはなかったもの――――『間引き』の際に候補と思われるNPCを隠すため、一部の第二世代が作ったものだ。無駄と解ってはいたが、ささやかな抵抗だった。
「こんな所に隠しやがって……」
 毒づいた第一世代が扉を開けると、中から甲高い悲鳴が上がる。NPCの中でも、設定年齢と実年齢ともに一ケタの子供たちだ。その中の一人を、第一世代は人形でも掴むように乱暴に引っ張り出した。
「間違いない。こいつがサザンカだ。手間取らせやがって。連れて行くぞ」
「い、いやーっ!」
 サザンカ――――6歳相当の4歳の女の子がじたばたと手足を振り回して暴れる。
「やめなさい! 確かに他の子に比べて能力地の伸びは悪いけど、まだ子供なのよ!?」
 黙って見てはいられず、ツバキは第一世代の腰にしがみついて抵抗する。その子もまた『ブレイブ・ハート』時代から育ててきた家族――――手放すなど考えられない存在だった。
「育てればまだ――――あうっ!」
 そんなツバキの抗弁に、理不尽な殴打が返された。そのまま髪の毛を掴まれ、乱暴に持ち上げられる。
「完全に反抗的だな。こいつも一緒に間引こう」
「今回の間引き対象には入ってないが、それがいいな」
 まるで出来の悪いアイテムを捨てるのと変わらない調子で、ツバキも殺すと決める第一世代二人。
 NPCと第一世代では、命の価値があまりに違う。そもそも彼らは自分たちに命があるとさえ思っていない。
「ユー君、ごめんね……」
 下手に抵抗した結果、自分に間引きの順番が回ってきてしまい、ツバキはユートに申し訳なく思った。
 自分が殺されたと知ったら、あの子はどれだけ悲しむだろう。
「さっさと立て。そんなに離れるのが嫌なら、お前も一緒に――――」
 逝かせてやる、と第一世代が言い放とうとしたその時、ピシっ! と何かが割れるような音がした。
「――――え?」
「あ?」
 ツバキと、その髪を掴んでいた第一世代が、共に呆けた声を漏らす。
 第一世代の、派手な羽飾りをつけたヘルメットの下、顔を覆っていた防毒マスクの左目部分が蜘蛛の巣状に割れていた。そこから赤いダメージエフェクトが散り、間違いなく銃弾が左目から脳に達して体力を全損しただろう第一世代の身体が、ぐらりと傾いで倒れ、そのまま動かなくなる。
「スティーブン!? 何だ、誰が撃った!」
 前触れもなく仲間が倒れ、一人の第一世代が狼狽した声を上げる。混乱しながらも反射的に窓から見えない位置に身を隠したのはさすが歴戦のプレイヤーというべきか。
 窓ガラスを体当たりでぶち破り、誰かが中へ飛び込んできたのはその時だった。
「ユー君……?」


 ツバキに暴力を振るう第一世代プレイヤー。その光景を目にした途端、ユートは視界が真っ赤に染まるような怒りを覚えた。
「サクヤ、撃て!」
 ユートが射撃を命じ、『了解』と簡潔な答えと同時に後ろから銃声が響く。防壁上に陣取ったサクヤのMK12による射撃。ツバキに暴力を振るっていた第一世代プレイヤーが左目をぶち抜かれ、瀕死となって転がった。
 ――あれはスティーブン先輩か……
 ゴーリィに近い第一世代プレイヤーの一人だ。子供の頃から見知った相手だが、もはや殺す事に痛痒は感じない。
 機関銃の連射音が響き渡り、それに応射する銃声と怒声がいくつも重なり合って響く。カエデたちがNPC部隊と戦端を開いたのだ。サクヤにカエデたちを援護するよう指示を出し、ユートは体当たりでガラスを破って住居の中へ突っ込む。
「ユー君……?」
 呆然とした顔でツバキがユートを見る。その綺麗だったクリーム色の髪が乱れ、顔に殴打の跡があるのを見て、ユートは眩暈がするような怒りを感じた。
「ツバキ姉、そこに伏せてて。……みんなを迎えに来てみれば、何だよこれは。ボス……いやゴーリィの奴がツバキ姉まで間引けなんて命令したか? コヨーテ先輩」
「ユート!? てめえこの野郎、何のつもりだ!? 俺たちを攻撃したらローグプレイヤーになるぞ!」
 第一世代の側もユートに気付き、口角泡を飛ばして怒声を放つ。
 裏切り者ローグプレイヤー。味方を故意に殺し、あるいは危害を加えたプレイヤーはボスの閲覧できるリスト上で名前が赤く表示され、裏切り者である事が一目で解る。味方への裏切り行為を隠す事は、この世界ではまずできない。
 今頃ゴーリィもユートのローグ化に気付いているだろう。きっとスキンヘッドに青筋立てて机を殴っているに違いない。
 だがもうどうでもいい。
「ローグ? みんなを裏切って間引こうとしたのはそっちだろ、この仲間殺し。何の権利があって仲間を殺すんだ?」
 前々から言いたかった事をぶちまける。
 そんなユートの言葉を、コヨーテは「はあ?」と聞き返す。心底理解できないと言わんばかりに。
「権利も何も食糧が足りなくなったんだから仕方ないだろ。お前こそたかがNPCに……いやお前もそうか。とにかく人権があるとでも言うつもりか?」
「そうだよ。第一世代も第二世代も――――プレイヤーもNPCも、同じ『人間』だろ」
「ああくそ。やっぱ成長した第二世代は第一世代に逆らうって、こういうイベント仕込んであったのか……」
 ユートの反逆を、まるでゾンビの襲撃と同じ、筋書きに沿ったイベントと同列に語るコヨーテの言葉に、ユートは心の底から落胆する。
 この行動を起こすと決めたのは他でもないユート自身だ。ストーリーテラーにお膳立てされた気配がないわけではないにしろ、間違いなく自分で、人間として考えて、決断した事だと自分では思っている。
 だがこいつら第一世代は、あくまで第二世代とNPCに『意思』があると信じたがらない。リアルの肉体がないというただそれだけの理由で、ユートたちを徹頭徹尾ゲームの駒扱いするその認識を変えさせる事は、今は不可能だろう。
「イベントでも何でもいいよ。もう誰も間引かせたりしない――――もうあんたたちの争いのために使い捨てられるのはうんざりだ! 俺たちは、俺たちのために生きてやる!」
 その言葉が開戦の合図になった。「死ね!」とコヨーテが横に二つ並んだチューブラーマガジンが特徴的なケル・テックKSGショットガンを撃ち放ち、同時に彼の小隊のNPC兵も銃撃を浴びせてくる。乱舞する銃弾が林立する二段ベッドを穴だらけにし、ユートはそれを横に跳んで避けつつACRを3バースト射撃。被弾したNPC兵が倒れる。
 防具を易々と貫くACRの威力に軽く感動を覚えるが、ここで下手に撃ち合うと後ろのツバキたちに流れ弾が当たりかねない。ユートはコヨーテへ回り込みつつ接近。お返しとばかりに放たれるコヨーテからの銃撃は、弾丸が如き勢いで疾駆するユートを捉えきれない。
 その速さは運動力ステータスの高さもあるが、それをユートの着ている特殊スーツがさらに高めていた。EXOスーツと呼ばれるそれは人口筋肉のアシストによって着用者の運動力を向上させる、廃墟で戦った思考戦車のラストアタックボーナスでドロップしたアイテムだ。
「畜生め、お前ら全員であいつを――――」
 苛立ったコヨーテが集中射撃を命じようとしたその時、「うわあっ!」「ぎゃーっ!」と悲鳴が上がる。振り向いたコヨーテの目に映ったのは、高周波サムライブレードを振るう黒衣の第二世代によって自分のNPC兵が全滅していく光景だった。
「L&Pのフィーアだと……!? まさか、敵に取り入りやがったのか!?」
「それも悪くないけどね、一時的協力だよ」
 答え、ユートは足のバネを使って全力で跳んだ。一瞬でコヨーテに肉薄し、今まさに火を噴こうとするKSGに空中での回し蹴りを叩き込む。狙いを逸らされた散弾が天井を穿ち、銃はコヨーテの手を離れて床に転がる。
「こ、この野郎……!」
 恐怖と怒りを顔に張り付かせ、コヨーテは逆手に抜いたナイフで刺しにくるが、アダマスのそれに比べれば極めて拙いナイフの扱いだ。振り下ろされる腕をACRの銃身で押さえて攻撃を止め、そのまま銃身に腕を巻きつけるようにして背中へ回し、関節を極めるのは容易かった。
 ダメ押しに膝裏を蹴って片足を付かせる。完全に動きを封じたところで、ユートはコヨーテの後頭部にグロックを突きつけた。
「さよなら、先輩。魂だけでもリアルに帰れるといいな」
「ヒイィッ!? や、やめ――――!」
 命乞いを無視して弾丸を叩き込む。
 後頭部からダメージエフェクトを撒き散らして倒れたコヨーテから、ユートは武器装備に蘇生アイテムまで根こそぎ回収する。蘇生させるつもりはない。生かせばまた自分たちを狙ってくる。敵は減らすに越した事はない。
 そして味方は多いほうがいい。ユートはコヨーテの通信機を使って呼びかける。
「ツバキ姉――――そしてここにいる全員聞いてくれ! 俺はこれから解放戦線を抜ける! そして新しいコミュニティーを興す! 間引かれるのも、間引くのも嫌な奴は、俺たちについてこい!」
『なんだそれ、本気なのか……?』
『食糧は? 耕作地はあるの?』
『そんなうまい話があるかよ! なんかの罠だろ……』
 通信機から次々当惑気味なNPCたちの声が聞こえてくる。外の連中――――コヨーテとスティーブンが小隊を組んでいたNPC兵の中にも、同胞を殺すのは心苦しい連中は少なからずいる。第二世代もそうだ。間引きから逃れる道があると聞いて、半信半疑ながら耳を傾けたくもなる。
「ユー君、本当なの……?」
「本当だよツバキ姉。本当だから迎えに着たんだ。耕作地はもう見つけてある。こんなNPCを軽々しく間引くコミュニティーを抜けて、俺たちだけの新しいコミュニティーを作ろう。父さん母さんがいた頃の『ブレイブ・ハート』みたいな、みんなが人間らしく生きられるコミュニティーを」
 鳴り響いていた外の銃声が、明らかに弱まる。
『こ、こちらドナルドだ! ユート、まだちょっと信じられないが、俺も連れて行ってくれ!』
『こちらアリアドネ! 私も行くわ、もう『間引き』の手伝いは嫌よ!』
『マツカゼだ。悪いが、おれは怖いし母ちゃんがまだ……』
『こちらサクヤ。敵の一部に離反の動きが出てきた』
 サクヤの通信に、よっしゃ、とユートは拳を握った。全員ではないにしろ、これで戦闘職NPCと第二世代プレイヤーを含むかなりの人数を連れ出せる。
「みんな、ありがとう。それと……」
「もちろん私たちも行くわ。ここにいても間引かれるだけだもの」
「あたしも、ツバキ姉ちゃんと一緒に行く!」
「ぼくも!」
「わたしもー!」
 ツバキたち元『ブレイブ・ハート』のNPCたちもほぼ賛同してくれた。これで今度こそ解放戦線に残る理由はない――――
「よし! みんな、外は『死の風』が噴いてる! 絶対にマスクを着用しろ! 長旅になるから食糧も持てるだけ持っていく! 新生『ブレイブ・ハート』結成だ!」
 おおー! とその場の全員が拳を振り上げる。

 その数分後、装甲兵員輸送車とトラックに乗って、ユートたちプレイヤーとNPCおよそ60人が解放戦線から離脱した。



「――――というわけで、7番ホームにいた非戦闘職NPCが50人くらいと、第二世代プレイヤー2人とその小隊の戦闘職NPCが8人くらいの、60人近いお調子者たちがユートに連れて行かれました……」
「それでお前たちは指を加えて見送ったわけか!? 戦って止めるか追いかけるかできなかったのか!?」
 だん! と幹部プレイヤーの一人が怒りに任せて机を叩き、怒りを向けられた第二世代プレイヤーの少年がびくりと怯えて身を硬くする。
 ユートたちの離脱は同調しなかったプレイヤーたちによって解放戦線の上に伝えられ、ゴーリィはその日二度目となる緊急の幹部会議を招集した。
 にわかには信じがたかったが、事実として二人の第一世代プレイヤーが殺され、数十人の第二世代とNPCが連れ去られた。そしてボス専用ウィンドウのリストでも、ユートの名前はローグを示す赤に変わっている。疑いの余地はなかった。
「ゆ、ユートの小隊は高グレードの武器を持ってて、おまけにL&Pのフィーアまでいて、どうしようもなかったですし……」
「チッ……高グレードの武器を手に入れて調子に乗ったかあのガキ! 誰のおかげで飯が食えていたと思ってやがる!」
「いや、そもそもアレはNPCだろ? という事は『死の風』も含めてこういうイベントなのでは……」
「イベントでも何でもいいわ。それより新しいコミュニティーを作るなんて私たちとの明確な敵対行為だわ。すぐにでも追いかけて、殺すべきよ」
 居並ぶ幹部プレイヤーの面々は、鼻息も荒くユート許すまじといきり立つ。
 解放戦線を抜けて新しいコミュニティーを興すなど、世界の統一を遠ざける明確な敵対行為だ。これも『死の風』やゾンビの襲撃同様、ストーリーテラーの起こしたイベントなのか、それとも別コミュニティーの策動なのかは判然としないが、叩き潰すのは当然の事だった。
 ゴーリィも同感だったが、彼はユートがNPCを連れ去る時口にしたという言葉が気になっていた。
「……耕作地は見つけてある、ユートはそう言ったのか?」
「は、はい。確かにそう言っていました……」
 ゴーリィに問われ、少年は震えながら答える。
「本当なのでしょうか? 我々がこれだけヘリを飛ばして見つけられていないのに……」
 一人の幹部プレイヤーが疑問符を投げたが、ゴーリィは信じてもいいのではと思っていた。そもそも、ユートが嘘を吐いていたとしたらみんな仲良く餓死するだけだ。ユートが錯乱して無理心中を図っているという極小の可能性を除けば、本当に耕作地を見つけたのかもしれない。
「今はコミュニティーの建て直しに注力する。ユートはしばらく泳がせておけ」
「いいんですか? 放置したら他の連中にもどんな影響があるか……」
「制裁はいつでもできる。それよりも奴が見つけたという耕作地を手に入れたほうが、コミュニティーのためにはプラスになる」
 奴には鈴をつけてある。遠からず見つかるだろうとゴーリィは言った。



 ユートたちの脱走から、一ヶ月が過ぎた。

「んー、豊作豊作! いい眺めだよ」
 ユートは額に流れる汗を拭い、満足げに微笑む。
 眼前には見渡す限り、米、麦、トウモロコシなどが黄金色に輝き、数種類の野菜が鮮やかな緑色の葉を広げた広大な畑が出来上がっていた。耕作地の規模も大きいだけに畑の面積も大きく、カエデたち戦闘職まで動員しなければ収穫が追いつかないほどの広さだ。
 7番ホームからツバキたちを連れ出し、解放戦線を離脱したユートたちが向かったのは解放戦線支配地域から南東に500キロは離れた場所だった。この周辺はこれまで数百キロに亘って耕作地も大したダンジョンもなく、どこのコミュニティーも見向きもしなかった空白地帯だったのだが、『死の風』に伴って大きな耕作地が発生していた。見つける事ができたのはもちろんサテライトスキャン端末のおかげだ。
 大勢の非戦闘職NPCを連れてこの長距離を移動するのは大変だった。『死の風』のおかげもあってか解放戦線の追っ手に攻撃される事はなかったが、7番ホームから持ち出せた限りある保存食を皆で分け合い、夜は敵性MOBと戦いながら移動した。子供もいたのによく耐えてくれたと思う。
 その甲斐あってフル活用すれば200人は養えるだけの大きな耕作地を手に入れる事ができた。到着してすぐに畑を作り、ステーションで手に入れた作物の種を撒き、今は収穫に保存食への加工、次の作付けなどが子供たちまで含めた総動員体制で行われ、皆は嬉しい悲鳴を上げていた。
 ちなみに作物の作付けから収穫までがあまりに早いが、設定的にはこれらの作物が遺伝子操作された成長の早い作物だからであり、見も蓋もない言い方をすればリアル通りの成長速度ではゲームが成り立たないからだ。
「みんなー! 昼ごはんできたわよー!」
 ツバキが皆を呼ぶ声がし、ユートは小走りにそちらへ向かった。
 今日の昼食はスパイスで味付けして焼いた鶏肉と野菜を挟んだパンだった。当然、それらの材料全てがここで収穫された物。鶏肉はステーションで見つけた冷凍受精卵から培養機で誕生させたクローン鶏をここで収穫した飼料で育て、肉にした物だ。畑の傍にブルーシートを広げ、皆でバスケットを囲んで肉汁溢れるパンにかぶりつく。
「はうう、お肉料理は久々ですねえ……」
「おいしい」
「ふむ。美味であるな」
「いやー、ここのメシは前のとこよりええなあ。酒も飲めるし」
「ああ、勝手にお酒を持ち出しちゃだめでしょう!」
 カエデ、サクヤ、それにフィーアと久々の肉に舌鼓を打っていた。ピアニーが勝手に飲んで、ツバキに怒られているのは作りたてのビールだ。それも当然ここでホップを栽培するところから作った。
「しかし肉が食べられるのはいいが、今は人間用の食料の生産と備蓄を優先するべき時ではないのか?」
 そうフィーアが訊いてくる。
 基本、食肉を得るためには畑で飼料を生産しなければならない。例えば牛を1キロ太らせて食肉とするためには、およそ7〜8キロの飼料が必要となる。この辺はリアルにかなり近いシステムになっているらしく、食肉生産は人間用の作物が圧迫され、非効率だ。
 飼料を生産して肉を得るくらいなら、人間用の作物を生産したほうが効率的――――フィーアが言っているのはそういう事だ。
「コストの低い鶏肉を少し生産する程度には余裕があるよ。もちろん豚や牛はまだ無理だけど」
「お肉、やっぱり食べたいですもんね」
 ユートの言葉にカエデが頷く。
 腹が膨れるという以上に肉を食べられる事による満足感は大きい。あの無駄を病的に嫌うゴーリィでさえ、余裕がある時には肉を生産させていたのだ。今頃は肉が食えなくなってイライラしているだろうが。
「みんなにいい暮らしをさせてやりたいから、こうやって解放戦線を抜けてきたんだ……約束は守るから、このくらいは大目に見てくれ」
「サザンカもお肉すきー!」
 ユートの言っている事が理解できたわけではないだろうが、ツバキの隣に座るサザンカも肉入りパンを美味しそうに頬張っていた。
「口元が汚れているぞ。女の子ならちゃんと綺麗にするがよい」
 と、フィーアが白いハンカチでサザンカの口元を甲斐甲斐しく拭いてやった。敵を高周波サムライブレードで叩っ切る彼女からは想像しがたい家庭的な姿に、思わずユートは「ぷはっ……」と噴き出してしまう。
「……何がおかしい。私とて女だ……ホームの子供の面倒を見た事だってある」
「いや……あんたも戦うだけじゃないんだと思ってな。喋り方だってゴーリィくらいの中年オヤジみたいなのに」
「仕方なかろうが! 私の周りにいたのは揃いも揃って尊大で嫌な性格の中年オヤジばかりだったのだから!」
 フィーアはむきになって怒鳴る。どうも心の地雷を踏んだらしかった。
「……まあ、肉を食える環境がメンタルに好影響なのは確かだからな」
 私も早く弟にこれを食わせてやりたいものだ、とフィーアは遠い目をする。
 フィーアの弟のツヴェルフはまだL&Pにいる。彼女にとっても予想外に長く弟の元を離れる事になってしまい心配なのだろう。
 今でこそこうしてユートたちと行動を共にし、協力してくれるフィーアだが、これはあくまで一時的な協力関係だ。さすがにこのまま一緒のコミュニティーでというつもりはフィーアにはないらしく、ツヴェルフら家族を連れ出し次第彼女とシュバルツ小隊はここを去る事になっている。その家族の救出にユートたちも協力する事が、協力関係を結ぶ交換条件だった。
 今ユートが口にした『約束』とはそれであり、今はそのための準備期間だ。
「L&Pじゃ肉は食えなかったのか?」
「昔はともかく、ここ何年かはホームを失い続けて、食糧生産に余裕がなくてご無沙汰でな」
 そのフィーアの言葉に、あっ……、と皆が押し黙った。
 L&Pのホームと耕作地を片端から奪い取っていったのは当然ながら解放戦線。フィーアたちが肉を食えなかったのも、だいたいユートたちのせいという事になる。
「ふっ、まあそんな顔をするな。解放戦線にお返ししたいのは否定しないが、それはお前たちではない」
 第一世代に振り回されてきたのはお互い様だろう、と告げたフィーアに、ユートはほっとした。
「じゃあ、これで少しはその胸にもお肉が付くかもしれないわね」
「………………あ゛?」
 ――ぎゃああああああああああああああああああああっ!
 それも束の間。地雷をわざと踏むようなカエデの言葉にフィーアが顔に青筋を立て、ユートは内心で絶叫する。
「……貴様。それは私に対する宣戦布告か?」
「いえいえ。ただそのまな板が、少しはご主人様好みの立派な胸になるといいわねー、と思っただけで」
「おい俺がいつそんな事言った!?」
「無駄な贅肉をぶら下げた娘が好みか、汚らわしい」
「変な言いがかりはやめろおおおおお!?」
 トップ82の胸を誇らしげに張って挑発するカエデと、悔しげで恨めしげな目をして睨んでくるフィーアに挟まれ、ユートは針の筵に立たされた。
 ――なんでこの二人、こんな相性が悪いんだ……
 カエデは何か、フィーアに妙な対抗意識があるらしくしばしば挑発的な言葉を投げる。フィーアも気にしなければ良いものを、体の一部サイズにコンプレックスでもあるのか聞き流せないのだった。
 一触即発の空気が流れ、本格的な言い争いが勃発するかと思われた、その時。
「コラーッ! ケンカはやめなさーい!」
 がばっと立ち上がって天を突くように怒鳴ったツバキの迫力に、カエデとフィーアは押し黙った。
 怒鳴り声もそうだが、カエデのそれを上回るトップ93の巨乳がどたぷんと揺れ、二人を圧倒していた。
「カエデちゃん、人の身体的特徴を揶揄するのは下品な女よ! フィーアちゃんも大人げないっ! 二人ともキキョウさんがいたら『めっ!』ってされるわよ!?」
「は、はい……」
「くっ……」
 絶対的強者を前に交戦意欲が失せたか、カエデとフィーアは揃って「負けた」という顔で項垂れる。
「なんやその『めっ!』てのは。怖いんか?」
「……聞かないで」
 当時を知らないピアニーの問いに、サクヤが目を逸らす。母の『めっ!』は怖い。アダマスも勝てないほど怖い。ユートも思い出しただけで震えが来る。
 ……そんな事を思い出したのもいつ振りだろうかと、ユートは現状に懐かしさを感じた。
 昔もこうやって、皆と肉料理を食べながら下らない話をしたものだった。その時間を取り返せただけでも、勇気を出して行動を起こした甲斐があったというものだ。
「フィーア。ありがとうな」
「……藪から棒になんだ、気色悪い」
「あんたがいなかったら、あのレイドボスには勝てなかったし、アイテムも手に入らなかった。おかげでこうやって、またツバキ姉たちと一緒に飯が食える」
「ふん……貴様のためにした事では」
「ただな、ここで満足する気はないぞ」
 憎まれ口を叩くフィーアを遮って、ユートは言う。
「俺はまだ、父さん母さんの仇を討ててない」
 家族を無事に連れ出す事はできた。それはいい。だが父と母を殺したゴーリィと解放戦線はそのままだ。あれからまた行われただろう『間引き』の犠牲になったNPCたちを思うと胸が苦しく、助けられなかったのが悔しい。
 このホームは解放戦線の支配地域からは離れているが、間に障壁となるものがない以上いつかは見つかるだろう。その時に備えて逃げる備えはしてあるが、いずれは新生『ブレイブ・ハート』を解放戦線に勝てるほどの強いコミュニティーに育て上げ、ゴーリィを殺して両親の仇を討ち、第二世代とNPCを解放する。
「……そんなに親が好きか、貴様は」
「はあ?」
 次なる目標を語っていると、フィーアが脈絡のない事を言い出した。
「当たり前だよ。俺を産んで、育てて、鍛えてくれたんだから。今は準備段階だけど、必ず父さん母さんの仇を討ってやる」
「……そうか。当たり前か」
「さっきからなんだよ?」
「いや、こちらの事だ。……解放戦線と戦う時は、我々にも声をかけろ。私にとっても奴らは仲間の仇だ」
 フィーアの言葉には、韜晦めいた響きがあった。
 その目が寂しそうに見えたのは、ユートの気のせいだったろうか。


「奴は随分と父親を慕っているようだな」
 ユートがまだ作業中のNPCたちにパンを配りに行った時、フィーアはふと、そんな言葉を漏らしていた。
 死んだ両親、特に父親への強い尊敬の念がユートの行動原理のようだが、フィーアにとって親とは以前語ったように、捨てたところで惜しくない連中でしかない。
 そんなフィーアに、サクヤがアダマスの事を語る。
「……アダマスはいい父親だった。ユートに戦い方を教え、私たちNPCも人間として扱った。彼がボスだった頃は『間引き』もなかった」
「ええ。まあそれは間違いないわ……彼はわたしたちにとって、いいボスだった」
 カエデも頷く。どこか言葉を選ぶような言い方が引っかかったが、2人の語るアダマスとは第二世代に対し、よく言えば優しい、ひねくれた言い方をすれば都合のいい第一世代だ。
 フィーアの両親は、父母共に第一世代プレイヤーだ。この世界で知り合い、共に戦ううちに愛し合うようになった、周囲のプレイヤーたちも羨むほど仲睦まじい夫婦だが、彼らは常にこう語っていた。リアルに帰ったら、リアルで再開して本当の子供を作ろう、と。
 あの2人は、この世界で生まれた肉体を持たない存在を、自分たちの本当の意味での子供とは認めなかった。あくまでも自分たちがリアルに帰るための新しい戦力としてフィーアたちは生み出され、6歳を過ぎた頃に教官役のプレイヤーへ預けられてからは数えるほどしか会っていない。
 親元を離されてからの彼女は、教官役の下でひたすら戦闘訓練を受けてきた。彼はリアルの戦闘職――『ゲンエキジエイカン』と言っていたか――で、その訓練は苛烈だった。事故で瀕死になった事も一度や二度ではない。
 おかげでユートを圧倒するほどの技術を見につけたわけだが、そのような環境で育ったフィーアにとって、第一世代とは基本2種類しかいない。両親を含めた冷酷な支配者か、敵かだ。
 もっとも、フィーアが今日まで生き延び、弟や仲間を守る事もできたのも彼から教わった技術あっての事だから、ある意味感謝すべきかもしれなかったが。
 ともあれ、アダマスのような人物が実在していたとは、第一世代に敵意しかない彼女にはいささか驚きだった。
「けったいな人だったんやねえ。物好きっちゅうかなんちゅうか」
 ピアニーはちびちび酒を煽りながら、率直な感想を口にする。
「貴様は生前のアダマスを知らんのか?」
「あたしは前にいたコミュニティーが解放戦線に降伏して、そっちで働く事になったのがほんの一年前やからな」
 報酬さえ貰えてうまい酒が飲めれば誰がマスターでも気にせえへんけどね、と相変わらず即物的なピアニーに、カエデたちは苦笑していた。
「まあ、物好きというか……ボスは奥様のキキョウ先輩も、息子のご主人様も人間として愛していたから。『ブレイブ・ハート』時代にはそういう人も結構いたのよ」
「はーん……3年前に起きた内紛ちゅーのはそれのせいなんやな?」
「そう。アダマスたちはリアルに帰る気がなくなって、ゴーリィのような帰るために必死な連中の邪魔になったから」
「それで殺されたわけか。さもありなん、だな」
 あの連中ならそのくらいはやりそうだ、とフィーアも素直に頷ける話だった。
 内紛でアダマスの側が勝っていれば、ユートたちはこうして逃げる必要もなかっただろう。その場合、自分は今どうなっていただろうとフィーアは思った。
「そりゃー惜しい人を亡くしたもんやなあ。ご愁傷様」
 ピアニーは茶化すように言ったが、確かに惜しい人を亡くしたはずだった。……が、
「……どちらでも同じよ」
「は?」
 ツバキの口から思わぬ返事が返ってきて、フィーアはぽかんと口を開けた。
「私たちを大事にしてくれる『いい第一世代』はいるわ。昔の『ブレイブ・ハート』の居心地がよかったのも本当……でも、やっぱり第一世代と私たちは対等になれないのよ」
「それは、どういう……」
「ツバキ先輩……やめましょう。その話は」
 問い質そうとしたフィーアを遮って、カエデが話を打ち切る。
「ボスは立派なボスだった。そしてご主人様のいい父親だった。そのためにゴーリィたちに殺された……それでいいんです」
「みんなで約束したはず。ツバキ」
「……そうね。ごめんなさい」
 それきり、彼女らが口を開く事はなかった。



 ――――異変が起きたのは、その日の夜の事だった。

「ん……」
 くいくい、と髪の毛を引っ張られる感触に、ユートは目を覚ました。
 ユートと第二世代たちが一日で建てた、解放戦線のそれと大差ない真四角建築の住居の中では、新生『ブレイブ・ハート』のメンバーほぼ全員が床に敷いた毛布で雑魚寝していた。本当は皆に個室を用意したかったが、資材も時間も、何より建築センスも足りなかった。
 既に夜は遅く、皆が農作業の後の心地良い疲労感に包まれ眠っている。隣ではカエデが「ご主人様ぁ……」と寝言を漏らしていた。
「誰だ? ……サザンカか」
 視線をそちらへ向けると、髪を引っ張っていたのはサザンカだ。
「どうした? 喉でも渇いたか」
「ユートの兄ちゃん、ツバキのお姉ちゃんがお外に行っちゃったよ」
 ――寝ぼけてるな、こいつ。
 ユートは苦笑する。このホームは防壁が未完成で、夜になれば敵性MOBが入ってくる危険がまだある。非戦闘職のツバキが一人で出て行けるはずがないし、出て行くはずがない。
「ほら、ツバキ姉ならここにいるから大人しく寝て……?」
 サザンカをツバキが寝ているはずの毛布へ導くと、そこには誰も入っていなかった。
 まさかと思って入り口を見ると、あろう事かかんぬきが外されて戸が半開きになっている。間違いなく誰かが出て行った跡だ。
「おいおい、冗談だろ……!?」
 ざわざわと不安が沸き起こり、ユートは急いでバックパックを引っつかむ。拍子に寝ているカエデの身体を踏んづけて「うきゃっ!?」と悲鳴を上げた彼女が目を覚ます。
「ご、ご主人様っ!? そういう事は18までダメってキキョウ先輩が――――って、何事ですか!?」
「なんだか知らないが、何かあったらしい!」
 ユートはインベントリからACRを取り出すと、装備を身に付けるのもそこそこに外へ飛び出した。
「ツバキ姉っ!?」
 返事はない。真っ暗闇の外にはツバキの姿はおろかゾンビの影さえ見えない。
「ご、ご主人様、いったい何が……!?」
「何かあった?」
「なんだなんだ、ゾンビでも来たか!?」
 カエデが外に出てきて、次いでサクヤや寝ていた皆も起き始める。皆、状況は不明ながらもとりあえず銃を持ち、不測の事態に備えてくれているのは頼もしい。
 その時、駐車場として使っている一角に車のヘッドライトらしい明かりが見えた。ユートは誰かいるのかと走りより、ACRのサイドレールに付けたフラッシュライトで明かりのついたトラックの運転席を照らす。
「誰だ!?」
「うお、まぶしっ! ……その声はユートはんか。起こしてもうたか? すんまへんなあ」
 誰何すると、フラッシュライトの明かりに顔を顰めながらピアニーが顔を出した。まるで普段と変わらない飄々とした雰囲気だが、こんな夜中に皆に隠れて車を出すのはどういうわけだ。
「お前何をしてるんだ!? 勝手にトラックを持ち出してどこに行くつもりだよ!?」
「どこって帰るんよ。解放戦線にな。畑はいい感じに完成したし、ここをボスに教えれば食糧不足は解決、あたしは報酬がっぽりや。あんがとさん」
 一仕事終えた後の労いのような調子で言うピアニーの言葉が、ユートの心臓に冷たく刺さる。
「てめえ……俺たちを売り飛ばす気か!?」
「いやあ、実はあたしボスから、あんたが何かやらかすようならそれを教えれば報酬貰えるって言われとってな。ここだけの話、他にも何人かおるんやで。第二世代が逆らわないか見張っとるNPCがな」
「……最初からゴーリィの手下だったのか、あんたを連れてきたのは間違いだったみたいだな……」
 歯噛みする。
 ピアニーの裏切り行為はもとより、彼女を信用しきっていた自分の迂闊さに腹が立つ。サクヤが以前言ったように、もう少し彼女を疑うべきだったと心底後悔した。
「やってくれたものだな」
 突然すぐ隣から声がし、ユートは軽く驚いた。
 ユートの右隣で、フィーアが両手に構えたヴェクターをピアニーへ向けていた。いつの間に来たのかと思ったが、今はそれどころではないと銃を構えなおす。
「それを聞いて、大人しく行かせてやると思うのか?」
 ユートの言葉に無言で答えるように、カエデたちがピアニーへ銃を向ける。トラックが少しでも動けば、たちまち数百の銃弾が彼女をトラックごと蜂の巣にするだろう。
 ここでピアニーを行かせれば、解放戦線は間違いなくこのホームを制圧にやってくる。今のユートたちにそれを撃退する戦力がないのは重々承知している。
 だからこそ、ここでピアニーを殺してでも止めるしかない。それを躊躇う気はなかったが、
「まあ思っとらんよ。だから一緒に乗ってもろうたわ」
 不適に笑い、ピアニーは助手席から何かを自分の側に引き寄せた。
「……っ!?」
 その場の全員が息を呑む。
 フラッシュライトの光に照らされたそれは、両手両足を縛られ口に猿轡をされたツバキだった。その首にはネックレスのように紐でつながれた手榴弾がかけられていて、もしあれに弾が当たれば誘爆しかねない。被弾して瀕死状態になったところにゼロ距離爆発が重なれば、最悪そのまま死亡カウントダウンがゼロになって即死する。
「それじゃあ、あたしはおいとまさしてもらうで。近いうち迎えが来ると思うから、逃げんといてえな?」
 逃げたらツバキはんがどうなるか解るやろ? とお決まりの脅し文句を添えて、ピアニーがトラックを急発進させる。ユートは跳ね飛ばされそうになって危うく避けた。
「くっそ、行かせるか!」
 何人かの第二世代とNPCがトラックに向けて発砲する。だが、ユートは銃身を掴んで制止した。
「撃つな! ツバキ姉に当たる!」
「だけど! あいつを行かせたらここのホームは……!」
「よせ。もう手遅れだ」
 フィーアが冷たく言い放つ。すでにピアニーとツバキを載せたトラックは、銃の届かない距離まで走り去っていた。
「追いかけましょう! すぐに車を出せば追いつけます!」
「……無理、燃料が抜かれてる」
 四輪駆動車を出そうとしたカエデとサクヤだが、ご丁寧に燃料メーターがゼロになっているのを見て「そんな……」と項垂れた。ピアニーの運転技術なら、倉庫から燃料を持ってきて補充している間に見失っているだろう。
 もうピアニーを止めるのは無理だと誰もが理解し、呆然と立ち尽くしたまま遠ざかるトラックのテールライトを見送った。
 何もかもが順調に進んでいると思っていたところに、この不意打ちのような裏切り。鉛のように重たい沈黙が満ち、遠くから響くゾンビの嘲笑するような遠吠えがいやに大きく聞こえた。
 誰も、何も、一言も発しなかった。何を話し合うべきかは解っていたが、それを誰も口にしたくなかった。
 短くも長い沈黙を破ったのは、冷たいナイフのようなフィーアの声だった。
「これでこのホームの在り処は、解放戦線に露呈したというわけだ」
 ずん、と腹の中に石の塊を押し込まれたような不快感。
 誰もが怖くて口にできなかった破滅。フィーアはそれを容赦なく突きつけてきた。
「貴様たちはこれからどうする? 遠からずここに解放戦線の部隊が押し寄せるぞ」
 戦うか? それとも逃げるか? と決断を迫るフィーアに、ざわざわ……と細波のようにざわめきが広がっていく。
「ど、どうしよう、今からでも解放戦線に帰るか……?」
「バカ言うなよ、あのボスが許すと思うか? 戦ってここを守るんだよ」
「バカはどっちよ、勝てると思ってんの!? 逃げるのよ!」
「ツバキさんを置いていけってか!? できるかバカ野郎!」
「ああ、こんな事なら裏切らずにあのまま!」
「もうだめだ、おしまいだぁ!」
「う、うわあああああああああああん! こわいよー!」
 意見は当然のように分かれ、それはたちまち言い争いや取っ組み合いのケンカに発展していく。子供たちは怯えて泣き出し、それを宥める者もいない。
「俺は……」
 こういう時こそボスであるユートがなんとかするべきだったが、ユートも皆に提示するべき今の状況に対する解決策を、何も思いつかなかった。
 戦う? 冗談じゃない。解放戦線の力は誰よりよく知っている。こんな防壁も未完成のホームで、たった十数人の戦闘職で、相手になるはずがない。
 では逃げるか? いつかここが解放戦線に見つかった時に備えて、逃げる時に持ち出す備蓄食はある。だが、逃げたらツバキを殺すとピアニーは示唆していた。それはユートにとって簡単に切り捨てられるものではない。
 どちらを選んでも、守りたかったはずのものが失われる。最適解があるなら教えて欲しかった。
「おい、なんとかしろよユート!」
「ちょっと落ち着いて! パニックが広がるわよ!?」
「うるさい! そもそもお前らが解放戦線を抜けるなんて言うからこんな事になったんだ!」
 動揺が瞬く間に伝播し、混乱は狂騒へと変わる。ボスであるユートへ苛立ちをぶつける者も出始め、カエデとサクヤが懸命に止める。肝心のユートははただ拳を握って立ち尽くしている。
 そんな見苦しい狂態を前に、フィーアはふう、と嘆息した。――――そして「四駆に燃料を入れろ」とシュバルツ小隊のNPCに命じて、

「どうやらここまでのようだな。我々は古巣に帰らせてもらおう」

 後の事は貴様たちの好きにするがいい、と冷酷に言い放ったフィーアに、ユートは弾かれたように顔を上げた。
 それはユートたちと、このホームを見限る言葉。それに思い至るなり頭にかっと血が上り、ACRの矛先をフィーアに向ける。
「お前は……! 都合が悪くなったからって、自分たちだけで逃げるつもりか!?」
「この洗濯板女! ご主人様とわたしたちを裏切って、生きて帰れるとは思ってないでしょうね!?」
 殺意さえ閃く目でカエデもフィーアに銃口を向け、それに触発されて他の戦闘職たちもフィーアたちシュバルツ小隊を取り囲むように銃を向ける。
 ここまで一緒にやっておきながら、都合が悪くなったら早々と関係を打ち切ろうとするフィーアの態度は二度目の裏切りに等しい。不安の渦中にあった彼らの敵意を買うには十分すぎた。
 だが裏切られた憤りと見限られた悔しさで銃口を震わせるユートへ、フィーアははっ、と嘲笑を浴びせたのだ。
「解放戦線が攻めてくると聞けば見苦しくうろたえていたくせに、我々には強気だな」
「なっ……」
 結局貴様らは強いコミュニティーの下で、自分より弱いものとしか戦えない腑抜けでしかなかったか、とフィーアは絶句するユートたちをあからさまに侮蔑して嗤った。
 危機を前にした裏切り行為からの、この開き直りじみた態度。誰もが一瞬絶句して言葉を失い、次の瞬間ナパームのように怒りの声が燃え上がった。
「なんだとこのアマ! もう一度言ってみやがれ!」
「逃げようとしてるくせになによ! あんたこそ裏切り者でしょうが!」
「誰が腑抜けだ! 俺は逃げねえぞコラァ!」
「殺す! 殺してやる!」
 目を血走らせたNPCと第二世代たちが罵詈雑言の雨を浴びせる。
 次の瞬間には言葉ではなく銃弾が飛びかねない一触即発の状況で、しかしフィーアは不遜な態度を崩そうとしない。
「図星を突かれてお冠か? 違うというなら怒鳴って威圧するようなつまらぬ真似はよせ。口ではなく力で証明して見せろ」
 相手になるぞ、と挑発するフィーアに、しかし銃弾は放たれない。
 皆、本当は解っているのだ。ここでフィーアたちを殺したところで状況は好転しない。弾は無駄に消費され、むしろフィーアの反撃で犠牲者が出るかもしれない。その程度の判断ができる程度には、彼らは歴戦の戦闘職だった。
 その逡巡をどう受け取ったのか、フィーアはさらに言葉の刃を投げてくる。
「結局撃たんのか。情けない。その程度だからホームも守れず、ツバキも助けられない。我々まで道連れに死ぬのはごめんだ」
 言い放ち、フィーアは四駆に歩み寄る。今度こそ本当に出て行くつもりだ。
「ピアニーには感謝せねばな。貴様らのようなクズとの馴れ合いを終わりにするいい機会をくれた」
「てめえ……!」
 思わずトリガーにかけた人差し指に力が入る。
 すると、サクヤに止められた。
「ユート。待って」
「何で止めるんだよ!? こいつは――――!」
「違う。落ち着いて」
 何が違うって言うんだ――――と言いかけて、ふと何かか腹に落ちてきた。
 いくらなんでもおかしい。なぜフィーアはユートや皆の怒りを煽るような言動を繰り返す? ユートたちが暴発すれば、殺されるかもしれないのに。
「畜生め! 俺だってこんなとこで終わりたくねえよ!」
「私だってこの子たちを守りたい……! もう子供を間引くのは嫌よ!」
「誰があんな、俺たちを人と思わない連中に従うかよ!」
 フィーアに反発する皆の声を聞いて、ユートははっとした。
 解放戦線が攻めてくると聞いて右往左往していた皆が、フィーアへの反発によって意識が一方向に向きつつある。死ぬのは怖い――――だが解放戦線に負けたくもない。逃げればフィーアの言う通り自分たちは腰抜けのクズになる、そんなのは嫌だと。
「うまい肉の礼だ。最期に一つ忠告してやる」
 フィーアはユートに目を向けて言う。
「貴様はいささか人を信じすぎる。私やピアニーが何を考えているか、もう少し疑う事だ。コミュニティーのボスになるのなら、その程度の駆け引きは身に付けろ」
 このどん詰まりの状況で、今更にも程がある心構えを説いたフィーアは、踵を返して燃料を入れ終わった四駆に向かう。これで話は終わりらしい。
「待ちなさい! この洗濯板、殺してやる……!」
 無論、暴発寸前の怒りを抱えたままのカエデたちはフィーアの無防備な背中を黙って見送りはしない。抑制の箍が外れかけ、今にも誰かがぶっ放すと思った刹那、ぽとりと足元に何かが落ちた。
「グレネードだ!」
「逃げろーっ!」
 それが安全ピンの外れた手榴弾と解った途端、フィーアに銃を向けていた戦闘職たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。次の瞬間手榴弾が爆発――――ではなく灰色の煙を撒き散らした。夜闇の中で真っ黒に見えるそれを吸った皆がゲホゲホと咳き込む中、四駆のエンジン音が聞こえた。
「逃げるつもりね洗濯板! 絶対に殺してやるんだからーっ!」
「バカやめろ、味方に当たるぞ!」
 ヒステリックにM249を乱射しようとするカエデを、ユートは銃を回して奪い、止める。
 そして煙幕の向こうで見えないフィーアたちを睨み付け、煙を吸い込むのも構わず叫んだ。
「おい、フィーア! よくも散々俺たちをバカにしてくれたな! あんたは好きにすればいいけど、俺たちは俺たちはツバキ姉も助けるし、降伏もしない! 絶対に負けないからな!」
「は、せいぜい粘って戦うがいい、無駄だろうがな!」
 ――返事をしてきた……
 その言葉を最期に、エンジン音が遠ざかっていく。
 煙幕が晴れた時、彼らの前からフィーアたちは最初からいなかったかのように姿を消していた。クソが、と誰かが悪態を吐く。
 解放戦線の侵攻が迫り、協力関係にあったフィーアたちシュバルツ小隊は逃走。まさに四面楚歌の状態だ。だが――――
「みんな、あいつにあそこまで言わせといて、今更逃げるとか降伏はないよな」
 確認するように皆へ問いかけたユートの声に、一瞬の間を置いて「当たり前だ!」と一人の第二世代が叫んだ。
「言いたい放題言って逃げやがって。俺はもうあんなとこには戻らないからな!」
「子供たちも、非戦闘職のみんなも、連れ戻されれば間引かれるわ……私は、そんな事絶対に許さない!」
「ツバキさんを助け出そう! ぼくたち非戦闘職もやれる事があれば手伝うよ!」
「そうだよ! 降参なんかしてやるもんか! 徹底抗戦だ!」
 先ほどまでうろたえ、混乱していた皆の声が一つになっていく。戦闘職も非戦闘職も、プレイヤーもNPCも、戦って状況を打開しようと口々に言い合った。
「これって……」
「カエデ。私たちはフィーアに助けられた」
 ようやく状況のおかしさに気がついたらしいカエデへ、サクヤが親切にも説明する。
 あのままでは、恐怖から来る混乱で皆はまとまらず、脱走したりする者とそれを止めようとしたりする者との小競り合いが起きて、戦うまでもなくユートたちは瓦解していた。それをフィーアはわざと怒りを煽る言動によって恐怖より怒りが勝る状態に誘導し、おかげで皆の意思は一つにまとまった。
「最期の大勝負だ。解放戦線に一泡吹かせてやるぞ!」
「了解!」
「おー!」
「ヒィハァー! やったるぜぇー!」
 ユートの呼びかけに、皆が拳と銃を空へ突き上げた。



アームド・ユートピア・3