「で、話とは何だ? ミスター」


「まずは、これを見てください」

 椅子に座ったプロスは、自室に招いたゴートに、机の上に浮かんだホログラフィ2Dウィンドウを見せる。


 プロスの私室は、事務室に見紛うような簡素な部屋模様だが、写真立てや招き猫など、要所要所の小物が人情味を出していた。


 ウィンドウに映る報告書を読み終わったゴートは「むう」と唸ったきり、口を噤む。


 中指で押し上げられたプロスの眼鏡が、ウィンドウ画面の発光を鈍く反射した。

「ええ。読んでの通りです。
 我々、ナデシコが地球を脱出した時、テンカワさんが虐殺した連合空軍第八艦隊の件が、公的には『事故』として処理されてるのです」

バカな! 本当に、軍はこんな報告書を通したのか?


 その軍の公的な文書には、『整備不良による戦艦機関部の爆発』で324名もの死者が出たと記載されている。


 だが、常識的に考えて機関部の爆発で、戦闘機パイロットばかりが死ぬことなどありない。

 事務方と上役が居眠りでもしてたかのような非常識な報告書。


 ゴートが吠えるのも、無理からぬことだった。


「ええ。私も気になって調べたのですが、…………信じられないことに、あの戦闘は無かったことにされているのです」

「なんだと?」

「何処を調べても、記録すら残ってません」


「それについて、空軍第八艦隊は黙っていたのか?」


「彼らもまさか、エステバリスたった1機に、戦艦を3隻も墜とされたとは声を大にして言えないでしょう。
 それこそ、軍のプライドが許しません」



 あの戦闘という名の殺戮で、人員は四分の一にまで減り、艦隊は解体される寸前にまで陥ったが、
 残った者が必死になって繋ぎ留めたのだ。
 ただし、9隻あった戦艦は3隻まで減らされ、提督は副提督に降格。艦長以下は減俸という処罰を受けている。
 それで済んだのは、皮肉なことに『事故』扱いにされたからだろう。


 報告書を見るゴートの眼が鋭く細められる。


「だが、艦隊を存続させた、その後の戦績は到底、戦艦3隻でやったものとは思えん」

「ええ。彼らは、全てを注ぎ込んで、戦艦にマスドライバーを装備したようです。
 それこそ、兵員が費用を工面する為、非合法のバイト(傭兵)までしたという噂が伝わってるほどですから」


 報告書には、この増設した質量砲でチューリップに対し、空軍中、最高の撃破率を誇り、
さらに現在、レールカノン装備の最新戦闘機を増強してると記されていた。


「間違いなく、ディストーション・フィールド対策だな」

「はい。木星蜥蜴に対して絶大な効果を上げてます。
 ですが、彼らの最終の目的は――」

「このナデシコ(・・・・)か」


 重々しい口調のゴートに、プロスは頭が痛いですなと二本指で額を押さえ、深々と溜息を吐き出した。


「木星蜥蜴だけではなく、地球連合空軍とも争うことになりそうですなぁ」


「なんとか、避けることは出来ないのか?」

「手は尽くしてみるつもりですが――仲間の死を『事故』扱いにされ、人員は四分の一まで減り、解体の憂き目をみて、
 それでも、『打倒ナデシコ』の一念でどん底から這い上がってきた彼らです。難しいでしょう。
 政治的な牽制も、意味をなすかどうか」

「ネルガルはなんと?」


「知らないようです」


「なに?」

「我々がネルガルに送った資料は、ほとんど改竄されてました。
 地球連合海軍のカメラ映像から、このナデシコの記録まで全てです。
 ですから、『事故』と断定されたようですね。はい」


ナデシコの記録までだと!?
 そんなことが出来るのは――――『星野瑠璃』」


 プロスがウィンドウの報告書を指で弾くと、画面が発光しながら波打つように揺らめく。

「ええ。裏から手を廻してることは知っておりましたが、まさか、ここまで先手を打たれてるとは思いませんでしたなぁ」


 背凭れに体重を預けたプロスは、ゴートを見上げた。


「ただ、ナデシコに不利になるとは思えませんし…………、かと言って、手をかけた程のメリットも殆どありません。
 それに、全ての戦闘データを改竄してるわけではないのです。
 火星の戦闘記録などは、ほぼ、そのまま残っておりますし」


「目的がない?」


「真意が見えないと言った方が正しいでしょう。
 いったい、何のためにデータの改竄を行なったのか?」

「むう。それを、探ればよいのだな」


「まあ、簡単に尻尾を見せるとは思えませんからなぁ。
 気長に(慎重に)探っていきましょうか」


「むう」





*




「シュウ。元気でな」

「うん。あんたたちもな」


 イネスとシュウ以外、ナデシコに残留を希望する火星避難民はいなかった。

 彼らはナデシコからコスモスに移り、月を経由して地球に降りる予定である。


 ナデシコで地球まで送らないのは、修理が済み次第、そのまま軍の作戦に組み込まれる事が決定されたからだ。


「ま、小僧。おまえがナデシコに残るのは、悪いとは言わないぜ。
 なんせ、口癖の『バッカじゃねぇの』が、かなり減ったからな」

「それは、ナデシコのクルーにバカが多すぎて、
 言い続けてたら、それだけで一日終わっちまうからなんだけど……」


「「「「…………確かに…………」」」」



「フレサンジュ・リーダーもお元気で」

「大丈夫よ。この艦は、説明する機会が多そうだから。
 説明をしてる限り、元気がなくなるなんて事は
絶対にありえないわね」

「うわっ。ナデシコクルーも災難だな」

「くわばら、くわばら」

「触らぬ神にタタリなし」


「あなたたち…………別れの場面に『イネス先生の説明会』と云う思い出の一幕を作ることになりたい?」


「「「遠慮させて頂きます!! イネス隊長!!」」」

「…………あら。残念ね」


「おっと、もう行く時間か」

 サブリーダーだった男が、少し慌てた様子で腕時計を確認した。

「シュウ。何かあった時は、迷わずフレサンジュ・リーダーに相談しろよ」

「三倍の説明が返ってきそうなんだけど」

「それは、リーダーの仕様だ。諦めろ」


「あら、どういう意味かしら?
 説明して貰いたいわね。
 それとも、たっぷりと説明して欲しい?

「あ……ほら。時間もありませんですし…………ははは」


 愛想笑いでごまかすサブリーダーに、シュウがツッコム。

「バッカじゃねぇの」


「言うじゃねぇか。小僧。
 って、本当に時間がねぇや。
 シュウ。月か地球に着いたら、手紙書くからな」

「うん」


 別の避難民が1レフ・デジタル・カメラを掲げた。

「地球の写真を撮りまくって送るから、楽しみにしとけよ」

「うん。楽しみにしてる」


 さらに別の避難民が、手作りゲキガン・バッチを頭上に掲げる。

「シュウ!! 亡き同志『ダイゴウジ・ガイ』の熱き意志を継いで発足させた『熱き魂ゲキ・ガンガー同志会』の会報と同人誌も送るぞ。
 
今なら、特製ゲキガン・バッチの特典も付いてるぜ!!

「いや。それは、いらない」



 途端に、火星避難民たち全員が恨みがましい眼で、シュウを睨めつけた。

「シュウ。なぜ、お前にはゲキ・ガンガーの良さが判らんのだ」

「シュウも見てみろ。あれは傑作だぞ」

「そうとも、あれこそ、人生の全てが含まれてる」

「見て燃えろ。そして、萌えろ!!

「あの素晴らしさは、代々受け継がなくてはならないものよ」



 口々にゲキ・ガンガーの良さを語り始める避難民に、イネスは頭痛を堪えるような口調で、彼らを制する。

「あ〜〜。あんたたち、もう行く時間じゃなかったの?」


 はっ と、我に返る避難民たち。


「…………そうだった。
 では、名残惜しいですが、我々はこれで失礼します。

 フレサンジュ・リーダー。あなたのおかげで、俺たちは生き延びました。
 感謝してもしきれません。
 本当に、ありがとうございました。
 それから、小僧。また、どこかで会おうぜ」


「イネスリーダー。お世話になりました」

「じゃあな。シュウ」

「またな」

「いつか、また、お会いしましょう」

「元気でな」

「リーダー。あなたは俺たちの希望でした」

「風邪ひくなよ」

「再会を祈って。健康と息災と友愛を」

「会報送るからな。
 それまでに、ゲキ・ガンガー。全話、見とけよ」

「イネス博士。今まで、ありがとうございました」


 火星避難民たちは、イネスとシュウに一声づつ別れを告げながら、コスモスのタラップに乗り移って行った。




 最後の一人がコスモスに消えてから、イネスがぽつりと呟く。

「結局、彼ら、ゲキ・ガンガーが抜けなかったわね」


「…………だな」



*


「で、オレたちパイロットを集めて、何するつもりだ? 艦長」


「そうよ〜〜。
 折角、暇になったから、漫画を描こうと思ってたのに。
 ああ、8カ月もペン握らなくて、画力おちてないかな〜〜。心配だな〜〜」

「…………平気よ。ヒカル。
 ワタシ達の体感時間じゃ……3日も経ってないから……」


ダメよ、イズミ!!
 ローマは、一日して成らず。
 漫画は睡眠時間、4時間にして成らず!!
 漫画道に近道は無く、新人賞の道は遥か遠くキビチィーのよ〜〜!!

「ヒカル…………意味が解らないわ。
 意味が解らない……いみがわらない……君が笑わない……クククク」

「イズミの方こそ、意味が解らないよ〜〜」


 イズミとヒカルをピッと指さしたユリカはブリッジに響く、鋭い声で注意。

「そこっ!! 私語、厳禁!!」


「…………厳禁で………現金払い……プクククク」

 が、イズミに()なされ、アキトに泣きつく。


「アキト〜〜。ミンナが黙ってくれないの〜〜」


「いいから、話を進めろ」

「……クスン。アキト、冷たい」


 イジケ始めたユリカを見、一つ、嘆息したジュンが結論から述べる。

「済まないが、パイロットには哨戒任務に就いてもらいたいんだ」


「はっ? なんでだよ?」

 リョーコの疑問に、ユリカが振り向き、

「あ、それはですね――」


「説明しましょう!!」

 ユリカを遮って、イネスのコミュニケ画面が前面に現れた。

「先程のレーダーに映らない戦艦は覚えてるわね。
 あの戦艦が、修理中のナデシコを狙って襲撃してくる可能性がある以上、哨戒と防衛は必須よ。
 一応、各種レーダーも作動させてるけど、この場合、目視に勝る安全策はないわ。
 そういう訳で、ナデシコの修理が終わるまで、パイロットたちにはもう少し頑張って貰わなきゃね。
 以上、コンパクトに説明したわ」

「あたしの台詞……」

「んなもん、コスモスの連中にやらせりゃ良いじゃねぇか」

 再び、しゃがみ込んで床に『の』の字を書き始めたユリカを、ジュンが呼ぶ。

「ユリカ」

「……あ……はい。拒否されちゃいました」

「拒否?」


 前髪を掻き上げたアカツキが、肩を竦める。

「仕方ないさ。レーダーに映らない戦艦なんて言われても、俄には信じられないよ。
 ボクなんか、記録を見ても半信半疑なほどさ」


「はン。ま、しゃーねぇか。
 オレだって、この眼で見なきゃ信じられなかったしよ」

「仕様がないね〜〜」

「苦しくても……背に腹は替られないわ…………背苦腹……セクハラ……プクククク」


「じゃあ、前半が君達三人。
 後半は、ボクとテンカワ君でどうだい?」


「ロン毛。何で、てめぇが仕切ってんだよ」

「まあ、風格かな」


「ああっ。何が風格だ。
 寝言は寝てから言いやがれ!!


「……寝言は寝てから言いやがれ…………猫の保健所…………猫とは、寝てから生き焼かれ…………ウヒャヒャヒャヒャ」

「イズミちゃん。ザンコク〜〜」


 椅子をバンバン叩いて笑い転げてるイズミと、横でニコニコと笑みを浮かべるヒカルを、扉の前で振り返ったリョーコが大声で呼んだ。


「おらっ! さっさと行くぞ!!
 ヒカル、イズミ」


*





「やあ、エリナくん。本当に乗船するとはね」

 私室を訪れたアカツキに振り向きもせず、エリナは答える。

「会長こそ」


「で、どうだい?」


「ええ。良いですわ」

 細い足を組み、椅子に座るエリナの前のモニターには、アキトがボソン・ジャンプして消えたシーンが映っていた。

「へぇ。こりゃ、鮮明だね。
 でも、テンカワ君の纏ってるこれって、ボソン・フィールドじゃないのかい?」

「そのようですね。
 ただ、テンカワ・アキトが現れた映像が無いのが残念だわ。
 ナデシコがジャンプする10分前から、ジャンプ後の20分後まで、艦内の記録が無いのよ。

 ボソン・ジャンプはオモイカネにも影響を与えるのかしら?」


「まあ、それは今後の課題ということかな」


「そうですね。
 生体ボソンジャンプ技術。
 絶対に、成功させて見せるわ」


「へぇ。期待してるよ」


 軽い口調で返したアカツキへ、エリナは妖艶に笑み、彼の顎に細く白い指を掛ける。

「アタシは、美貌と幸運と金運の女神よ。
 期待じゃ足らないわ。
 
ひれ伏しなさい。アカツキ君


「…………その自信は何処から出てくるんだい?」


「勿論、活断層と大洋プレートよ。
 知らないの、アカツキ君。
 小学生からやり直してくれば?」




「…………その地震じゃないよ」



*


「元気、ありませんね」


 艦長席で、何かを思い悩ませてるユリカが、横に立つルリを見上げた。


 コスモスに着艦後、ブリッジ・クルーは休憩に入り、今は二人だけしかいない。


「ねぇ。ルリちゃん」

「はい?」

「前に、艦長て何かな? って訊いたよね」

「はい」


「その時、ルリちゃん。
 二百名の『命』が、あたしの『命令』にかかってるって、二百名の『命』を背負う決断をしなきゃならないって言ったよね」

「はい」


「フクベ提督が自決を決断した時、あたしはそれを許した。

 あたしはその命を切り捨てた。

 それで、良かったのかな?
 あれで、あってたのかな?」


「最小の犠牲で最大の効果を上げる。
 戦術的には、最善の手です」


「うん。…………それはわかってる。
 戦術的には、間違ってない。

 でも、艦長としてはどうなのかな?
 人として……どうなのかな?」


「『人を殺すな』と言うのは簡単です。
 『戦争をするな』と言うのは簡単です。
 でも、私たち軍人は人を殺し、戦争をするのが仕事です。
 そして艦長は、人を殺せ。と言うのが仕事です。
 それが、嫌なら艦長など辞めるべきです」


「あたしたち、まだ軍人じゃないよ?」

「軍に編入された以上、名前はどうであれ、兵器を扱い戦場を駆ることは変わりません。
 特に強力な兵器を操る者は、――このナデシコは、最前線に配備されると思います。
 そうなれば、民間人だろうが企業からの出向だろうが、人は『軍人』と呼ぶでしょう」

「うん。…………それは、そうかもしれないけど。
 あっ。でも、もしかしたら、ぜんぜん戦いの無い所に配備されるとか、
 木星蜥蜴が侵略に飽きて、戦争が終わる可能性も」


 ユリカ自身、まったく信じてない願望的観測を、ルリは切り捨てる。


「世界は甘くありません。
 世界は無慈悲に争いを好み、何かを護るには、他人か自分を犠牲にしなければならないのが現実です。
 そして、何かを犠牲にしても……それでも、護れない場合も多い。それが、この世界の有様です」

「うん。そうだけど――
 悲惨なことが、世界に溢れてるのが現実だけど――
 でも、ルリちゃん。そんなの、哀しいよ。
 何か…………哀しすぎるよ」


「なら、艦長が変えてみてはどうですか?」


「ふえ?」


「現代の戦争とは、利権の絡んだシステムです。
 なら、そのシステムを根底から変えてみたらいかがですか?」

「うにゅぅ。あたしは、ただの艦長さんなんだよ」


「艦長の信じる道が、艦長の行くべき道だと思います。
 間違ってるかどうかは、終わってみなければ判りません」


「あたしの行くべき道?」

「はい。艦長の信じる、そして、艦長にしか歩けない、全てを根底から覆す道を」



「ふにゅ〜。そんな難しいこと言われても〜〜」




 泣きそうになるユリカに、ルリはしれっと言い募る。

「あんまり、泣き言を言ってると、私がテンカワさん、盗っちゃいますよ?」




「ダァァァァァメェェェェェ!!」


「冗談です」


「うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

 上目遣いで睨むユリカの頭を、ルリはなでなでと撫でた。



「ルリさん。ちょっと、よろしいですかな?」


 ユリカの艶やかな黒髪から手を離したルリは、後方の出入口へ振り向く。


「ご用ですか? プロスさん」

「少々、お話がありまして。
 私の自室まで来ていただけると嬉しいのですが」


「戦闘中に、寝ていた処罰ですか?」

「いえいえ。
 お一つ、ルリさんにお聞きしたいことがあるだけでして。はい。
 ご都合が悪ければ、日を改めますが?」

「今で、かまいません」


「…………ルリちゃん」


 心配そうな表情を浮かべるユリカを見、ルリは眼を細めた。

「出来てますよ」


「えっ?」


「ちゃんと、部下への心配も出来てます。
 十分に艦長らしいですよ。艦長は」


「ほへっ?」


「行きましょう。プロスさん」



*



 厨房で皿洗いしてる『ムラサメ・シュウ』が、一つ、溜息を吐いた。


「溜息なんか吐いて、どうしたの? シュウ」

 振り返ったシュウを、茶色の髪をお団子に纏めた少女が眉をひそめて、覗き込む。



 ホウメイガールズの中で、一番、背丈の低い少女。

 17歳のはずだが、小柄なシュウと目線の高さは殆ど変わらない。

 名は『サトウ・ミカコ』と言ったか。


「サトウさん……だっけ? 何か用か?」

「もうっ!! 同僚になったんだから、そんな他人行儀な呼び方しないで、ミカコって呼んでよ」

「えっ……と、ミカコ……さん」


「ミ・カ・コ!!」


「う……ミ……ミカコ…………」

「は〜〜い。よろしい」

 きゃははと笑い声を上げたミカコは悪戯っぽい眼で、シュウを見上げる。


「ね〜〜。シュウ。
 包丁、扱ってみたくない?」

「え? そりゃ、使いたいけど……」

「じゃあ、皿洗いはちょっと、休憩。
 皮剥きから、始めるよ〜」


「いいのか? 一カ月は皿洗いだって」

「皿洗いばかりじゃ、飽きちゃうでしょ〜〜。
 大丈夫。大丈夫。
 ちゃんと、ホウメイさんから許可、貰ったから」


 シュウの問い掛けの視線に、ホウメイが苦笑して頷いた。

「ミカコちゃんの熱意には負けたさ」


「ほらねっ」

 手を引いて、厨房の隅の椅子にシュウを引っ張って行く。

「まずは、ジャガイモの皮剥き。
 剥き方、教えて上げるね」


「ミカコ」

「ん?」


「……その…………ありがとう」


「うんっ。どういたしまして」

 ミカコの心底、嬉しそうな満面の笑顔。


「…………」


「ん? どうしたの?」

 小首を傾げるミカコに、赤い顔のシュウは慌てたように包丁を取る。

「えっ?……あ、いや……何でもない。
 剥き方、教えてくれ」

「うん。
 ジャガイモはね。こうやって、なるべく、包丁を動かさず、ジャガイモを動かして剥いていく方が効率的。
 一度に大量に剥くから、手早くやらないとね。
 それと、ジャガイモの芽は、ソラニンって言う毒があるから、包丁の刃元を使ってちゃんと取ってね」



うふふふふふふぅ〜〜


 唐突にシュウの背後から、低い笑い声が沸き立った。


 声の感じからして怖がらせようとしてるのだろうが、声が間延びしてて、逆に癒される。



 寝ぼけたような眼を精一杯吊り上げて、笑い声を響かせる『タナカ・ハルミ』に、ミカコが唇を尖らせた。


「ハルちゃん!! 包丁を持ってる時に、脅かしたら危ないよ」


 一つ、嘆息してから、シュウは首を振る。

「大丈夫。
 全然、まったく、これっぽちも驚かないから」


「イズミさんだったら、凄い迫力と雰囲気あると思うけど……。
 ハルミがやっても、可愛いというか、何だか癒されるというか……」


 ポニーテールにした黒髪を払う『テラサキ・サユリ』の感想に、ハルミが茶色の髪の三つ編みを指に巻ながら、のんびりと首を傾げた。

「ですかぁ〜〜?」


「でも、ハルちゃん。包丁持ってる時は、危ないから止めて」


 唇を尖らせるミカコに、吊り目気味の眼を糸のように細めた『ウエムラ・エリ』がお腹を抱え、茶髪のポニーテールを揺らして笑い声を上げる。

「ミカにゃんはシュウくんのことになるとっ、途端に神経質になるよねっ」


「そ……そそそそんなことないよ〜」


 ニマニマと笑みを浮かべるハルミとサユリ。

「ミ〜ちゃん。動揺してますぅ」

「あらまぁ。もろ判りね」


「隠すの下手ね。ミカコは」

 ボブカットの藍の髪を掻き上げた『ミズハラ・ジュンコ』に、エリがピッと人指し指を立てた。

「それがっ、ミカにゃんの良いところっ♪」


 真っ赤に顔を染めたミカコは声も出せず、口をあうあうと開け閉めする。


 エリがシュウの手元を覗き込んだ。

「シュウくんって、結構、包丁手慣れてるねっ」

「プロに比べれば、天と地の差だけどな」

 苦笑いのシュウに、ハルミとサユリも褒める。


「でもぉ〜〜。上手いと思いますぅ〜〜」

「確かに男の子で、その年齢にしてはね」



「そうそう。最近の子供はカップ麺が出来て、レンジが使えれば上等だって言うし」

「お湯を沸かすのも怖がる子がいるって話さっ。
 嘆かわしいねっ」

 ジュンコが嘆息し、エリが大仰な身振りで首を振った。


「それ考えると、シュウはとっても上手いと思うよ」

 赤面から立ち直った――まだ多少頬が赤いが――ミカコが訊く。

「もしかして、家で料理してたとか〜?」

「当たり」


「ありゃ。当たっちゃった」


「両親は共働きで、朝早く出て、夜遅かったし、
 姉ちゃんは、…………凄まじく不器用だったから。
 初めは、卵一つ割るのも苦労してた。
 最後には、卵に向かって逆ギレしてたし」


「いるの? 世の中にそんな人」

「いるんだよ。
 あ〜〜、でも、刀を扱わせると、天下一品だった。
 宙に投げた大根を日本刀で3つに輪切りにできたし」

「それってぇ〜〜、凄いのですかぁ〜〜?」

「らしいよ。
 空中で斬るから、斬り方が悪いと、大根が明後日の方向に飛んじゃうとか言ってたな」


「でもっ、卵は割れなかったんだねっ」


「うん。結局、姉ちゃんが休日に作ってくれた目玉焼きに殻が入ってなかったのは、一度もなかったな。
 姉ちゃんは、そういう料理なの。とか、カルシウム不足の弟の為に。とか屁理屈、捏ねてたけど。

 だから、夕食は毎回、俺が作ってた」

「なるほどね。シュウくんが包丁に手慣れてるわけだわ。納得」


「ですぅ〜〜」


 会話が途切れたのを見計らったホウメイが手を叩き、皆の注意を引いた。

「ほらほら、みんな。
 整備班の男どもが、来始めたさね。
 そろそろ、注文が殺到しだすよ」


「「「「「は〜〜い」」」」」


「あ、俺は?」


「シュウはそのまま、ジャガイモの皮剥き。
 終わったら、皿洗いに戻るさね」

「はい」


*


 プロスの自室に招かれたルリは開口一番、本題を切り出す。


「で、質問とは何ですか? プロスさん」

 仮面のような無表情のルリに、プロスは苦笑を浮かべる。

「そうですなぁ。
 お聞きしたいことは、山ほどあるのですが……、今は目下の懸案事項の解決が急務でしょう。
 まずは、この映像を見てください」


 ナデシコが月宙域に出現してから、コスモスが多重グラビティ・ブラストを放つまでの映像記録が、卓上に浮かぶウィンドウに流れ始めた。


 それは先程、ルリが寝ていた間の戦闘場面。


 チューリップを吹き飛ばして出現したナデシコが、フィールドだけ張って後退。


 赤、オレンジ、水色、少し遅れてピンクのエステバリスが出撃し、群がるバッタを破壊していく。


 そして、現われる正体不明の青い戦艦。

 死華咲く戦場で、スポーツを観戦してるかのように、悠然と漂っていた。


 無表情で、映像を眺めてたルリが声無く、唇を動かす。


”見つけた”




 流し終わった映像を巻き戻し、青い戦艦の場面で止めたプロスが、背後に立つルリへ振り返った。

「質問は、この青い戦艦についてです。
 ルリさん、何か御存知ではありませんか?」

「…………なぜ、私に訊くんです?」


「ハルカさんが、体当たりの時、この戦艦の操舵の癖とあなたの操舵の癖が同じだと仰っておりましたので。はい」


 ルリは微かに口許を緩める。

「さすがは………………ミナトさんですね」


「やはり、御存知のようですなぁ」


 軽い口調とは裏腹な、プロスの全てを見通すような深く鋭い視線に、ルリは表情を消した。


「プロスさん」


「はい」

 居住まいを正すプロス。


「この戦艦の操舵士と、テンカワさんのカスタムに傷をつけた機動兵器のパイロット………
………………欲しくありませんか?


「はいっ!?」



 声の裏返ったプロスを見つめるルリの金の双眸が、妖しく妖光する。


「この二人…………欲しくありませんか?

 私に任せて頂ければ、スカウトできますが」






*



 約八ヶ月の時を超える超常現象に遭っても、人の生活サイクルはそう変わらない。


 簡単に言えば、どんな場合でも人間、腹が減る時は腹が減る。



 そんなわけで、ナデシコの厨房はフル回転していた。


 姉妹艦『コスモス』から補充された食材もあり、存分に腕を振るってるホウメイたちが、精力的に料理を仕上げていく。


 ざっと状況を見回したアキトは包丁を取って、厨房の片隅でジャガイモの皮剥きに悪戦苦闘してるシュウの隣に座った。

 アキトは、シュウの三倍ものスピードでジャガイモを剥いては、竹篭に入れていく。

「テンカワ……さんだっけ?」

「ん?」

「コック兼パイロットって本当なんだな」

「ああ。昔取った何とやらだ」


 シュウの手捌きも器用だが、やはりアキトと比べると見劣りする。

「俺を……情けないと思うか?」

「なんでシュウが情けないんだ?」

「俺が戦うことじゃなく、料理を選んだから…………」

「まさか。より困難な道を選んだ人間の、何が情けない?」

「え?」

「料理もパイロットも同じだ。
 ただ、相手が違うだけさ。
 パイロットの相手は木星蜥蜴。料理の相手はお客。
 破壊するか、喜んでもらえるかの違いはあるけど、基本的に常に上を見続けて、自分を研鑽琢磨するのは同じだ。

 しかも、客の好みはそれこそ千差万別だ。
 誰にでも、喜んでもらえる料理。
 料理人を辞めない限り、シュウは一生、それを追い求めていくことになる。
 見方によっては、そっちの方がパイロットより遙かに困難だ」


「…………」


 沈黙したシュウに、アキトはニヤリと意地悪い笑みを作った。

「料理の先輩から言わせて貰えば、大変になるのはこれから――」


 パカーン!


 オタマで頭を叩かれるアキト。


「テンカワ。なに、シュウ坊をイヂメて遊んでんだい。
 とっとと、ジャガイモの皮剥き終わらせて、こっちを手伝うさね」

「了解っす」


 頭をさすりながら、ホウメイに返答したアキトは、シュウに片目を瞑った。

「なっ」


 シュウに笑みが浮かぶ。




「そういえば、シュウは火星生まれだったな」


「? ……そうだけど」


 一瞬、近くに人が居ないか見回したアキトは声を潜め、尋ねる。


「ボソン・ジ……チュウリップを抜けた時、おかしなことが起きなかったか?」

「おかしなことって?」


「例えば……起きた時に、別の場所に移動してたとか?」


「な、なんで知ってんだ?」

 眼を丸くして驚くシュウに、アキトは眉を顰めた。

「…………やはり……か。
 それを、誰かに言ったか?」

「いや。言ってないけど……誰かが、気を失った俺らを運んでくれたんじゃないのか?」

「詳しくは話せない。
 だが、この事は誰にも言うな。
 いいな?」

「う、うん」

 一変したアキトの鋭い視線に、シュウは気押されたように頷いた。


「後は…………しまった!!

 片手で額を押さえたアキトは、渋面を作った。


 『今回』、何故か、この時点でエリナがナデシコに乗り込んでいる。

 オモイカネの記憶を見れば、火星避難民たちで人体実験を強行するだろう。

 すぐに、ルリちゃんに連絡を取って――…………いや、彼女はまだ、『敵か味方か』判別できてない。迂闊なことは、話せない。


 アカツキなら…………今のアカツキに話すと、喜んでエリナに協力しそうだ。


 …………どうする? …………打つ手が……見つからない。




 しばし考え込んでいたアキトだが、ふっと自嘲気味に(わら)うと、肩の力を抜き、首を振った。


 火星で、ユートピアコロニーに行くと決めた時、俺は彼らを『殺す』ことを選んだ。

 結果的にナデシコが押し潰さなかったからといって、今更、何を取り繕う必要がある。


 『他人』が、生きようが死のうが拷問されようが人体実験されようが、俺の知ったことじゃない。

 最優先事項は『ナデシコの仲間を護る』こと。


 やれやれ。木連で過ごした八ヶ月で、俺も随分と『甘く』なったもんだ。


 『ナデシコの仲間が護れ』れば十分だ。

 ナデシコの仲間となったシュウに害が及ばなければ、それで良い。

 それだけで、良い。


「なあ。何が、しまった! なんだ?
 なんか俺、失敗でもしたか?」


 不安げに眉根を寄せるシュウに、小さな笑みを見せるアキト。

「いや、俺の勘違いだったよ。
 ああ。それと、さっきも言ったが、移動したことは誰にも言うな」

「うん。言わないけど」


「なら、良いさ」



「アキト〜〜〜」



 会話を隔つように、カウンター越しからユリカの声が響いた。


 だが、その声には、普段の元気と能天気さが欠片もない。



「どうした? ユリカ」


 振り向いたアキトの前のカウンターに、雨に濡れた子犬のような表情のユリカが突っ伏していた。

「あのね。あのね。アキト。
 ルリちゃんがね」


「ルリちゃんが?」



「この戦争を止めてみろって言うの」

「この地球木……蜥蜴戦争をか?」


「うん。戦争はシステムの一部だから、そのシステムを根底から引っ繰り返せって…………無茶だよね?」


「そうだな。誰にでも出来ることじゃないな」

「でしょ、でしょ!! やっぱり――」


「だが、『ミスマル・ユリカ』ならば出来ると思う」


「ふぇ?」


 眼を大きく見開いたユリカは、すぐに唇を尖らせる。

「でも、でも、アキト。
 あたしは、ただの艦長さんなんだよ」


「そうだな。ただの艦長じゃ無理だろうな」

「うん。そうだよね。だから――」


「だが、ナデシコの艦長なら話は別だ」


「ほへ?」


「自分が自分らしくやっていける、このナデシコならば。
 そして、自分らしくやっているナデシコ艦長『ミスマル・ユリカ』ならば不可能じゃないと、俺は思ってる」


「…………あたしが……あたしらしくやっていけるナデシコ?」


「そうだ」



 暫く、その言葉を繰り返し呟いてたユリカが、徐々に満面の笑みに変わり――、

 カウンターを両手で叩いて、勢いよく立ち上がった。


「うん! そうよ!! それよ、アキト!!

 
あたしがあたしらしくいられる場所!!


 ユリカは、世界を抱き包むように両腕を大きく広げる。

それは、クルーの皆が、自分らしくいられる場所!!

 あたしは、そこの艦長になれば良いんだ。
 あたしは、そんな『ナデシコ』を作っていけば良いんだ。

 ルリちゃんの言ったことが出来るとは思えない。
 戦争を止められるとも思えない。

 でも……自分が自分らしくいられるナデシコの、
 あたしが、あたしらしい艦長になれば良いんだ。

 だから――

 軍に編成されたけど、ナデシコはナデシコらしいナデシコでやっていく。

 凄いよ、アキト。アキトはやっぱりユリカの王子様ね。

 ユリカの目指すべき艦長が決まったよ!!


「礼はいらないさ」

 微かに微笑むアキト。


 『私らしく、自分らしく』

 それは、『前』のユリカの言葉なのだから。



 何時もの元気を取り戻したユリカが、その場でクルクルと回り始める。


アキト〜〜。アキト! アキト!!

 あたしらしくなるために、一番手初めに、やらなきゃならないことがわかったよ!!」


「なんだ?」


 回転を止め、ビシッ! とアキトを指さすユリカ。

今日はアキトのお部屋で、一緒に寝るの!!



「…………何をぶっ飛んでるんだ、おまえは?」




「だって、ルリちゃんばっかりズルイズルイズル〜〜イ。
 あたしが、あたしらしくいる為には、不公平は是正しないといけません。

 アキト。艦長命令です。

 
今日は、あたしと添い寝しなさい〜〜!!


「そうです。ルリちゃんばっかり、ズルイです。
 私にもアキトさんと添い寝する権利があります!!

 その……できたら……、
その先まで…………キャッ

「メ……メグミちゃんまで……」


羨ましいぞ。コンチクショウ!!
 おい。誰か!! テンカワのエステ、水色とピンクの水玉模様に塗ってやれ。

 
ファンシーにだっ!!

「「「「「 ういっす!! 」」」」」


「ウリバタケさん。…………それだけは勘弁してください」


「じゃあ、艦長とメグちゃんと寝顔の生写真で手を打ってやらぁ。
 おっと、二人に手ぇ出したら、黄色のキリンと、茶色のカンガルーも描き込むからな。肝に銘じとけよ


「空飛ぶキリンさんにカンガルーさん…………。はふぅ。良いかもですぅ」

「キャハハハ、ハルちゃんが夢見るモードに入っちゃったぁ」

「ファンシー好きだもんね。ハルミって」

「ペンギン、熊さん、ゾウさん、羊さん……うふふふぅ〜〜う

「ハルミィッ!! 何処行く気っ?」


うふふふふぅ〜〜。ペンキ〜〜ィ。ペンキィ〜〜。
 ペンキはぁ何処でしたっけぇ〜〜


「あら、ハルミ。描く気バリバリね」

 頬に手を当てるサユリと、腹を抱えて大笑いするエリ。

あはははははははっ。
 ハルミィ。可愛いの頼むよっ」



ハルミちゃんを止めろ〜〜!!

 青ざめたアキトは思わず叫んで、ハルミを止めにかかった。



「え〜〜。描いて貰えば良いのに〜〜。
 そしたら〜、敵が寄って来なくなるかもしれないよ?」

「うぅぅ。キツネさん、カエルさん……」

 どうにか、ハルミを止めたアキトの鼻先に、コミュニケ画面が開き、コルリがクルリと回った。


「そうねぇ。木星蜥蜴もぉ、あれは何だぁ? って、警戒するかもしれないしねぇ」


「絶対に、お断りだ」


 コルリとミナトに、アキトは憤然と口をねじ曲げる。


「おや、ミナト。
 ブリッジは良いのかい?」

「えぇ。ホウメイさん。
 ルリルリが留守番してるからぁ大丈夫。
 本当はぁ、ルリルリも誘ったんだけどぉ「私は、留守番してます」ってぇ断られちゃった」

「ほう。
 だ、そうだよ。テンカワ」

「なぜ、俺に振るんです?」

「あらぁ。ルリルリをお布団に引っ張り込んでおいてぇ、よくもぉ言えたものね」

「おや。テンカワ。
 そんなことしたのかい。
 責任は、ちゃんと取るんだよ」

あれは、誤解だ!!


「アキト!! ムキに否定するところがアヤシイよ!!
 本当の所はどうなの!?」

「ユリカ。お前は、あの場に居ただろう」


えっ!?


「? 何を驚く?」



ええぇ? ユリカって、アキトとルリちゃんのHの現場に居たの!?


「んなわけあるか!!」




「Hの現場?」

 シュウの疑問の視線に、

「え〜〜と…………」

 ミカコが同僚(ホウメイガールズ)に眼で助けを求めるが、皆、さっと視線を逸らした。

 もっとも、口許はニヤついていたが。

「なんでアタシ〜〜!?」

「どうかしたのか?」


 シュウを見つめたミカコの顔が赤くなり、それに釣られてシュウも赤くなる。

 顔を赤くした二人は、無言で見つめ合っていた。


「うふふふふぅ。
 ミ〜ちゃんにもぉ、春ですぅ」


「良いわねぇ。若いって」

「あのさ。サユリ。
 アタシらもミカコと同年代よ」

 サユリにツッコむジュンコの隣で、大爆笑してるエリ。

「あはははははははっ。
 ひぃ〜〜。ひぃ〜〜。苦しいっ」



 驚愕の表情で固まっていたユリカが、ハッと何かに思い当たり、愕然と首を振る。

「そんなっ!!
 
アキトってば、見られると燃える人だったの!?


さらに、待て!!



「おやおや、テンカワ君。随分とマニアックだね。
 露出狂のロリコンとは」

 食堂に、アカツキとエリナが姿を見せる。

「あなたと話が合うんじゃない?」


「そうそう。他人の視線という環境に、少女の恥じらいが加わって、…………って、何を言わせるんだい。エリナ君。
 ボクをテンカワ君と一緒にしないでくれたまえ」

 アカツキは、さっと長髪を掻き上げた。

「ボクは健全な(・・・)スケコマシなのさ」


「でも、スケコマシにしては〜、エリナ副操舵士に、頭が上がんないけどね〜」

「な、なななな何を言ってるんだ。
 そ、そそそんなことある訳ないじゃないか」

「あらぁ、わかりやすい動揺ねぇ。
 もう。尻の下に敷かれてるのかなぁ?」


「尻の下じゃなくてよ。ハルカ・ミナト。
 こいつはヒールの下」


 メグミが大きく眼を見開き、

ええっ!! アキトさんはロリコンの露出狂で、アカツキさんはマゾだったんですか?


「「誤解だ!!」」


 異口同音にアカツキとアキトが叫び、


「「それに――」」



「アカツキなんかと、同列に見ないでくれ」

「テンカワ君のようなマニアと、一緒にしないでもらおう」



 二人は無言でお互いを見る。


「ははははは。
 アカツキのようなお気楽ダメ人間レベルには、俺じゃ、到底歯がたたないさ」

「はっはっは。
 テンカワ君のような、人間失格レベルのマニア相手じゃ、ボクなんかマダマダ」



「同じ穴のムジナだと思うよ〜〜」


 コルリの冷たいツッコミに、皆が一斉に頷いた。


「俺の評価って…………」

「ボクって、何か悪いことしたかい?」


「いけませんなぁ。
 軍の所属になっても、男女の仲は手を繋ぐまでという、ナデシコ規約は有効ですよ」

「テンカワ。事情聴取が済んでなかったな。
 さあ、話して貰おうか」

 プロスとゴートが食堂に入って来る。


 と、その時、


キーーーー! あんたたち、何、全員でこんなとこで駄弁ってんのよ。
 仕事するのよ。仕事!!

 
キーーーッキーーーーッよっ!!

 高音波が食堂に響き渡った。


 耳を塞いで防御したクルーは、手を離すと同時に――

「「「終わってます!!」」」

 全員一致の即答で、ムネタケを黙らせる。

「あんた。もっと、端っこ座りなさいよ」


「大丈夫。落ち込むことないよ。アキト。
 アキトは普通だよ。
 ちゃんと証拠もあるんだから!!

「あの黒尽くめでも?」

「本当か?」

「艦長の中ではぁ、普通なんじゃぁないのぉ」

「うん。だって、アキトは、ユリカの王子様だもの!!



「説得力ネーー」

 コルリのツッコミに、皆が一斉に頷いた。



 ゴートが手帳を片手に、アキトの前に立ち塞がった。

「さあ、テンカワ。詳細を話せ。
 包み隠さず、詳しく、具体的に、事細かく、だ。

 勿論、あくまでも調査の為だからな



 皆が耳を傾け、固唾を呑んでアキトの言葉を待つ。



「詳細と言われてもな。
 ルリちゃんが、ブリッジにいなかったから、部屋覗いて……、
 それでも見つからなかったから、諦めて戦闘準備してたら、
 目覚ましが鳴り響いて……後は、皆が知ってる通りだ」


ダメだよ!! アキトニィ。

 いい?

 ブリッジを出て行ったルリネェを、アキトニィは手首を掴んで薄暗い部屋に連れ込んだ。

 「
何のようですか? テンカワさん

 アキトニィはそれに答えず、突如、ルリネェの唇を奪う!
 始めは、何のことかわからずに茫然自失していたルリネェも、理解するにつれ、接吻したまま抵抗するようにパタパタと暴れだす。

 ――しかしっ!

 アキトニィは、そんなルリネェをギュッと抱きしめ、ルリネェに舌を入れた。
 その口内を蹂躙する荒々しくも繊細な舌技に、ルリネェの抵抗も徐々に弱くなり、…………やがて無くなる。

 互いの唾液を貪る淫靡な湿音だけが、薄暗い部屋に響く。


 白糸を引いて唇を離した二人は、見つめ合った。

 「
いいかい? ルリちゃん

 ルリネェは、何のことか? なんて訊かない。

 瞳を潤ませたルリネェは頬染め、恥じらいを含んだ透明な笑みを浮かべ――、
 こくりと、頷き返した。

 背中に指を這わせながら、アキトニィは、するりとルリネェのネクタイをほどいた。

 ルリネェは、アキトニィの黒瞳に魅入られながらも、背中を這う彼の指に、ぴくぴくっと肢体を反応させる……………………。


 
てなくらい、詳細かつ、具体的に真実を話さなきゃ!!


「どこが、真実だ!! どこがっ!!

 
ゴート。鉛筆を握り締めながら、メモするな!!
 プロス。何、ソロバン弾いてる!?



「おやおや。テンカワ、強引さねぇ」

「のっけからぁ、激しぃですぅ〜」

「アキトさん。…………アタシじゃ守備範囲外ですか?」

「テンカワ君。性犯罪者、まっしぐら?」

「うわっ。アキトさんっ。本格的だねっ。
 もう、どうしかようかなっ?」

「ど……ドキドキ……」

「バ、バッカじゃねぇの……てか、年齢的に犯罪だと思う」



「アキトさん。……アタシが、正常な道に戻してあげます!!」


「むう。テンカワ。躊躇いなく、詳細に詳しく、続きを話せ。
 勿論、あくまでも調査の為にだぞ

「ルリさんへの賠償金は、テンカワさんの給料から差っ引くとしまして…………未成年なのも考慮に入れまして……おや、テンカワさんの給料、きっかり60年分ですなぁ」

「キーーーーーッ!!
 テンカワ。あんたロリコンだったのね。
 人の風上はおろか、風下にもおけないわ!!」

「オカマも、どうかと思うぜ?
 でだ。テンカワ。続きはどうなった?」


「あら、なんてこと。アキト君……――――死刑ね」

「あらぁ、いきなりぃ結論?」

「当然よ。
 アタシを見ずに、あんな小娘を見るなんて万死に値するわ。
 もっとも、ストーカーして来たら、それはそれで生きながらに地獄を見せるけど」

「なんで、こっちを見るんだい? エリナ君」




コルリちゃん!! 本当なの!?


 涙声のユリカに、心の底から漏れ出るような深い深い溜息を吐き出すコルリ。



「ユリカ艦長。
 真実は、いつでも残酷なものなんだよ。

 昔から、言うでしょ。

 
コンピューター、ウソつかな〜い。って」


「「「「「「 うわっ。信用できねぇ 」」」」」」


え〜〜!! なんで〜〜?
 アタシ、嘘なんて吐いてないよ〜。


 ただちょっと、標高が高くなって太陽に近づくほど寒くなるから本当は、太陽は冷たいんだよとか、
 光速の0.6倍のスピードのロケットから光速の0.6倍の速度のミサイルを発射すれば光速の1.2倍になるはずだから、物体が光速度を超えられない相対性理論は間違ってる〜とか、
 トルマリンからはタキオン粒子が出てるから幸運になれるのさとか、
 グラビティ・コントロール・ブレード(ディストーションフィールド発生ブレード)で、反重力子(グラビティーノ)の斥力を利用してディストーション・フィールドを展開できるとか、

 しか、話してないよ〜」


「「「「「 十分だ!! 」」」」」


「オモイカネ〜。
 オモイカネは味方だよね?」

『基本的に味方。
 でも、コルリの信用率は66.6%です』

「微妙な数字だな、おい」


裏切ったな〜!! アタシの気持ちを裏切ったな〜!! オモイカネ〜



「オモイカネェ。一番信用してるのはぁ誰?」

『ルリさん。信用率99.89%』

「まあ、予想の範囲内だな」

 皆が一斉に頷く。



「じゃあ、一番信用できないのは?」

『キノコ提督。信用率8.7%』

「納得だ」

 皆はうんうんと頷く。

「それに100倍掛けなさいよ。100倍。
 アタシは提督なのよ。偉いのよ!!」


『でも、女性関係においてのみを言えば、テンカワ・アキトの信用率は0.000000001%』


「「「「 異議なし 」」」」

 皆が深く賛同の頷きを返した。



「俺に何か、恨みでもあるのか? オモイカネ」



アキトニィ。
 オモイカネに裏切られた者同士、仲良くしよ〜よ。

 なに、すぐにアキトニィも、
 俺は発見した。ブラックホールには三本の毛が生えてるんだ。とか、
 人間が観測するからこそ、宇宙のあらゆる物は存在できるようになるんだぞ。とか、
 先進波に乗れば、過去や未来や平行世界や異世界を自由に行き来できる! とか、

 真顔で語るようになるからさ〜」


寄るな


聞く前段階で全否定!?




「コルリちゃん。
 アキトを、おかしな世界に引き込まないで!!


「ふっ。ユリカ艦長。こんな話を知ってる?

 ピンクの絆創膏の裏に、青のペンで好きな人の名前を書いて、薬指に巻いておけば、想いが通じるとか、
 消しゴムに名前を書いて、無くさずに使い切れば、恋がかなうとか、
 髪の毛を一本手にいれて、満月の夜に自分の髪と結び合わせて枕の下に敷いて眠ると、想い人と幸せになれるとか、
 パジャマを裏返しに着て、十日間、寝る間に2回以上、夢に現れた人と将来結婚するとか、
 時空間移動のコスモプロセッサと融合すれば、王子様が命を懸けて助けに来てくれるとか、

 ちなみに、全部、実行するとス
ゴイコトになるよ〜」

「ス、スゴイコトって?」


 固唾を呑み込むユリカの耳元で、ニンマリと嗤ったコルリが絶好調で、ボソボソと吹き込んでいく。

全部を実行した途端、眼の色が変わったアキトニィが…………ガバッと……で……アキトニィが……舌を使って…………だ……強引に……ユリカ艦長を……そこで……腰を…………じっくりと……最後には……


ああっ、アキトってば大胆!!

 顔を真っ赤にして、いやんいやんと身悶えるユリカ。

 その横で、一仕事終えた営業マンのように、ジョッキ・ビールを煽るコルリ。

「商談成立後のビールは美味い」
「コルリちゃん。そのトンデモ話は仕事なのか?」

「アキトさん。さらに手を広げますか」

「トンデモ言うな〜〜」

「テンカワ君。オカルトなんて邪道だよ」

「そうですぅ。トンデモない話ですぅ〜。
 未成年は、飲酒厳禁ですぅ

「キーーーー!!
 MPは何してるのよ。ここに、犯罪者がいるわよ」

そこ!? ツッコミどころ、そこなの!?

「ムウ。我々は軍ではないので、軍警察の介入はない」

「ムムム。な〜かなかやるね。ハルミ調理師」

「ゴートさんよ。論点ずれてるぞ」

「うふふふふふぅ〜。コルリちゃんこそですぅ〜」


 アカツキが長髪を掻き上げる。

「そうそう。まずは、テンカワ君の処遇を決めるべきさ」



「死刑よ」



「…………エリナ君。一言で終わらせたね」



「それが嫌なら、アタシの専属コックになることで許してあげるわ。
 勿論、休日の荷物持ちも当然ね」


そんなの認められません!!

「あら、ネルガル会長秘書が認めれば、すぐにでもアタシの専属よ」


エリナさん。職権乱用です!!

 テーブルを叩いて立ち上がるメグミに、エリナは高笑いをかます。


お〜〜ほほほほほほ。
 職権なんてクダラナイもの、後生大事に飾っとく趣味はないわ。

 
職権は、乱用するためにある!!

 だいだい、他にどんな使い道があるの」



お、横暴です!!

 メグミの抗議を鼻先で笑い飛ばしたエリナは片目を瞑った(ウインク)


「悪いわね。横暴は、美女の特権(・・・・・)



「まあまあ、エリナ女史。ほどほどに」

 諌めるプロスに、エリナは赤い唇に人差指を添えて考える。

「そうねぇ。
 じゃあ、現会長を首にして、アキト君を据えようかしら?」


「エリナさんて、会長より権力あるんですか?」

当然! 会長は会長秘書の責任を取るためだけ(・・)に存在するのよ」

「……僕の存在意義って……」


「なんかぁ〜、アカツキさんがぁ暗いですぅ〜〜」

「放っといて良いですよ。ハルミさん。
 極楽トンボは、放っとけば、また極楽トンボりますから。はい。

 ええ。たまに本物の極楽に叩き込みたくなるほど、お気楽極楽トンボトンボしてますからなぁ」


「キャハハハハ。
 プロスさん。眼が笑ってないよ〜」

「…………それを笑いながら言えるミカコも、大物だと思う」

「シュウくんっ。
 それが、ミカにゃんさっ。
 釣り合うように、大物になれよっ」

「つ……釣り合うって……」


「おおっ。シュウ見習い料理人も、コルリちゃん(アタシ)のおマジナイいる〜?

 身長を伸ばす、ぶら下がり健康器とか、
 血がサラサラになって、みるみる痩せる納豆だとか、
 エーテルのフリーエネルギーで永久回転運動するテスラ・コイルとか、
 腕に付けるだけで、発生するマイナスイオンで筋肉質になれるゲルマニウム入りチタンブレスレットとか、
 周囲の空間を相転移させてエネルギーを得る相転移エンジンとか、

 大物になれるブツがいっぱいだよ〜〜」


こっち、見るな


イジメ!?



 呆れるような笑みを見せてるアキトの前のカウンター席に、ミナトが座った。

「あらぁ、楽しそうね?」

「……そう見えるか?」


 組んだ手に顎を乗せたミナトは微笑みを浮かべる。

「ええ。ちょっと前は、一歩引いた所からぁ、皆を見てたけどぉ、今は――」


 ミナトがアキトへ、楽しそうに笑いかけた。

「ぅん。良い顔してるわよぉ。アキト君」



 良い雰囲気のアキトとミナトを、ウリバタケが目敏く見つける。


「おっ。テンカワ。
 ミナトさんにまで、手を出すつもりか?」


「なっ!? ダメです。
 ミナトさんだけはダメです!!

 慌てるメグミに、胸の前で手を組んで頷くサユリ。

「ええ。競い合ったら、勝ち目ないわ」


「「「「羨ましいぞ。テンカワ・アキト」」」」

「あんたたち、どうしてこういう時だけ、息がぴったりなのよ」



「おぉ〜、ミナト操舵士までが毒牙に!?」


「ム、ムウ!?」

「おや。ゴート君。何を焦ってるのですかな?」

ゴホン! いや……別に……


「なんで、テンカワばっかり、女は引かれていくんだ〜〜〜!!」


「はっはっは。
 女性版の誘蛾灯かい?
 大関スケコマシのボクも形無しだねぇ」


「特別なフェロモンでも出してるのかしら?
 アキト君。今度、ネルガルで研究させてくれない? 媚薬として売り出すから」


「「「「分けろ!! テンカワ。分けてくれ!!」」」」


「なるほどですぅ〜。それでぇ寄ってきた女性を手当たり次第……」

「ア、アタシって、……蛾ってこと?」

「キャハハハハ。見境なしなんだね。テンカワさんて」

「うわっ。アキトさんっ。救い無しだっ」

「テンカワ君。鬼畜ね」


「羨ましいような……羨ましくないような」


「テンカワ。ほどほどにしときなよ。
 明日の仕事に差し障るからね」



待て!! 俺が何をやった?

 カウンター裏の丸イスから立ち上がり、抗議を上げるアキトに、


「何をやったかだって?」

「これだから、自覚がない奴は……」


 一斉に首を振ったクルーは、


「艦長、メグちゃん、リョーコちゃん、サユリちゃんを次々に落としていき――」


「それでも足りずと、
 ルリルリを布団に引っ張り込み――」


「あまつさえ、その情事を艦長に見せつけ――」


「今度は、オカルトで艦長まで毒牙に――」


「さらに、ミナトさんにまで粉かけて――」



そろそろ、警備の時間だな。うん!


 アキトは態とらしい大声で、彼らの台詞を遮った。



「まだ、30分もあるぜ」


「あ〜〜。……そう。点検!!
 エステの点検があった


 言い訳けめいた台詞を吐きながら、アキトは食堂から逃げ出した。



「ちぇっ。逃げやがった」

「あ〜あ。お開きか」


「ちょっと、イジメすぎじゃないですか?」

 頭を掻く整備員に、ウリバタケは鼻で笑った。

「あいつは、からかっておくぐらいが、ちょうど良いのさ。
 一人だと、余計な物まで抱え込み過ぎるからな」


「…………本当は、羨ましいだけでしょ」


 図星を突く整備班のイマイを蹴り飛ばす。

「うるせぇ!!
 ほら、仕事だ。仕事。
 休憩は終わりだ。とっとと、仕事に戻るぞ!!」

「ういっす」

「ほいさ」

「了解」

 彼らが椅子から立ち上がろうとした時、


「ちょっと、あんたたち!! 仕事は終わったって言ってなかった?」

 ムネタケが高音の怒鳴り声を張り上げた。


「言ったか?」

「さあ?」

「覚えがないな」


キーーーーーーーーーッ!!
 あんたたち、責任者のアタシにウソ吐くなんて、なに考えてるのよっ!!


 怒り心頭のムネタケに、彼らは眼を見交わす。


良いこと。
 ウソを吐いて良いのは、
このアタシだけよ!!


 皆は、じと目の白い視線。


 ムネタケはパン! と扇子を開く。

「ホホホホホ。特権階級の正当な権利よ。
 悔しかったら、せいぜい偉くなることね」

 高笑いしながら、ムネタケは意気揚々と食堂から出て行った。


 誰からともなく溜め息が漏れ出る。

「……いくか?」

「……………ああ」

「…………そうですね」


 皆はぞろぞろと食堂を後にした。




 最後に残るのは食堂の中央で、妄想全開で悶えてるユリカ。


「いいんですか?」

 指さしたサユリに、ホウメイが苦笑いを浮かべる。

「止めても、止まらんさね」


 煽ったコルリが、人事のように肩を竦めた。

「自動増殖型妄想融合炉だからね〜〜。
 電力の発電に使えないのは残念だけどさ〜」





*





 イネスが訪れた時、ナデシコ・ブリッジには星野瑠璃、一人しか居なかった。


 右手を置いたコンソールに、虹色の光が踊り走り、
 メインモニターに食堂の様子が映し出されていた。


 その食堂では、主なクルーが揃い、アキトを中心にして賑やかに騒いでいる。



 ただし、無音。



 ルリの右手のIFSが虹色に発光していた。IFSを経由して、音を聞いてるのだろう。


 イネスが隣に立つと、ルリは一瞥すらせずに告げる。


「今から食堂に行けば、まだ間に合いますよ」


「遠慮しとくわ。
 そう言うあなたこそ、覗き見るぐらいなら、行けば良いのに」


「騒ぎの元凶が……ですか?」


 訝しげに、イネスはモニターを見上げた。

 無音だが、イネスは読唇術で騒ぎの内容を把握する。


 『ルリ』と『ロリコン』という単語が、もっとも多く飛び交っていた。


「アキト君も災難ね」


「ですね」

 他人事のように返すルリ。




 しばし、無言で食堂の騒動を眺めてたイネスが、期待に満ちた口調で問いかける。


「ロリータ・コンプレックスの説明、欲しくない?」


「いりません。
 説明したければ、食堂に闖入することをお奨めします。
 説明する機会は、多々あるかと」


「それは、心引かれる提案ね。
 でも、遠慮しとくわ。

 …………ダメなのよ。ああいう雰囲気は。
 どうしても、違和感と疎外感を感じてしまうから」


「違和感?」


「そう。ここに自分が居ることをね。
 ワタシは8歳より前の記憶がないの。
 だからかな。ここにいるワタシは、本当の自分じゃない気がするわけ。

 だから、皆がワイワイ騒いでる中にいるのは、あまり好きじゃないの。
 違和感を強くするから」


「なぜなにナデシコは?」


 白衣のポケットに手を入れたまま、ルリを見下ろした。

「あれは、良いの。
 『なぜなにナデシコ』で、ナデシコクルーに溶け込もうとする、ワタシの健気な努力よ」


 ちらっと横目で見上げるルリ。

「単に説明が好きなだけなのでは?」


 一瞬、表情が引き攣ったイネスは、宙に視線を泳がす。

「それについて、弁明と弁解と弁護をしても良いかしら?」


「ダメです」


「酷いのね。
 それじゃ、ワタシは、ただの説明お姉さんになってしまうわ」




「…………………………お姉さん?」



「何か疑問でもあるのかしら? 星野瑠璃」



「――――いえ。別に」


 奇麗な微笑みを浮かべたイネスから、ルリはすっと眼を逸らした。





「そういうあなたは、どうなの?」

「何がですか?」


「彼らに加わらないの?」




 ルリはモニターを見つめ、返答する。


「懐かしいですし、大切な思い出です。

 ですが、戻りたい(・・・・)とは思いません」



「あなた、今、ここに居るんじゃないの?」



「いいえ。
 すでに、過ぎ去った(過去の)ものです」




「…………」


「…………」



「精神分析と、それに基づく説明はいる?」


「いりません」


「そう、残念ね」




 モニターの中で、アキトが逃げ出すように食堂から出て行った。


「…………アキト君。少し、涙ぐんでたわね」


 ルリは無言を返す。


「謝った方が良いんじゃない?」



「……はあ」


 気の抜けた返事を返したルリが、コンソールから手を離した。


 食堂の映像が消え、星空が映る。


 同時に、イネスは白衣を翻して、ブリッジの出口へ歩き出した。





 ブリッジの半場まで来たとき、イネスは足を止め、

「一つだけ、聞いて良い? 『星野瑠璃』」


「何でしょう」


 互いに、背中越しに話す。


「あなた、何時まで、ナデシコ・クルーに背を向けてるの?」





始め(地球木連戦争)から、終わり(フェアリー・ダンス)まで」





「そう」


 一言だけ返したイネスは、ブリッジから出て行った。




 ブリッジは再びルリ、独り。


 目の前のモニターには、漆黒の宇宙と無数の星々。



「…………少し…………やり過ぎたかな……」



 しばらく、考え込んでいたルリは、何かを思いついたように一つ頷くと、ブリッジを出て行った。














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