北海道ツーリングレポート
2002年 7月 16日 火曜日 足止めされた日
残念な事に、台風の奴は未だ北上中であった。
ビジネスホテルの外では、今も雨が降り続けている。
「・・・しゃあないな、もう一泊するか」
それが私の出した結論だった。
時間的な制約がある旅ではない。
唯一迷惑をかける人物がいるとすれば・・・代理人だろう。
ビジネスホテルにある備え付けの傘を借りて、再び仙台市内に出る。
なに昨日さんざん迷ったのだ、最早迷う心配はない。
―――そのかわりに傘を無くした。
何処で何時無くしたのかは分からない。
気が付くと、私の手に傘は存在していなかった。
「・・・・・・・100円ショップで買うか」
たまたま見つけた100円ショップで、傘を購入。
不透明なビニール傘は、情熱の赤に染まるビニール傘にランクアップした。
そして昼食を終え、気が付くと傘はやはり手元に無かった。
「・・・・・・・コンビニで買うか」
おりしも外は豪雨。
私は自分のお茶目さに苦笑をしながら、一番安いビニール傘をコンビニで購入するのだった。
傘購入後、20分で雨が止むのはお約束だろう。
もしかすると、代理人の怨念かもしれん・・・侮りがたし、代理人(大汗)
その後、少しだけ迷った後、私はビジネスホテルに帰りついた。
「あ、お客様。
貸し出した傘の返却をお願いします」
「・・・はい、お返しします。
お陰で助かりました」
「・・・あれ、何だか新品みたいなような気が?」
「気のせいです」
「でも」
「気のせいです」
台風と梅雨前線は活発に移動したが、私は移動できなかった・・・(総走行距離1150km)
殆ど目前にあるのに、北海道は遠い・・・
2002年 7月 17日 水曜日 北海道上陸の日
この日は見事に晴れだった。
青森までは残り約350km・・・
私は高速道路で移動する事を止め、通常の道路を行く事にする。
そして実はこの日は、地元の職安に呼び出されていた日でもあった。
ビジネスホテルを出る前に、地元の職安に電話をする。
「もしもし、ハローワークですか?」
『はい、そうですが?』
「実は今日出てくるように言われていた、○○なんですけど。
ちょっとした事情で行けそうにありません」
目的地(職安)との距離、現在1150km
・・・どう考えても無理な距離だった。
『じゃあ7月23日に改めておこし下さい』
「はい、分かりました」
7月23日ね・・・何処に居る事やら。
ちょっと遠い目で考えてしまう自分が居た。
そして、午前九時
二泊したビジネスホテルに別れを告げ(ついでに例の傘にも)、私は旅立った。
少しだけ肌寒い気温に、自分が遠い土地に来た事を実感する。
ついでに、道を聞いたオジサンの言葉が、見事に方言で埋まっている事にも・・・
脳内変換とジェスチャーを駆使し、私は目的地に向かう。
何故か逆走をしていた時は、かなり自棄になったが。
―――そして五時間後
宮城県から脱出できず、途方にくれている私がいた。
ここまでパターン通りだと、自分で自分を笑ってしまう。
わはははははははははは・・・・虚しい。
その時私は悟った、一本道の高速道路でなければ、私に一人旅は無理なんだ、と。
開き直った後の行動は早かった。
直ぐに東北自動車道に乗り込み、青森に向けて爆走する。
その時私の顔には、きっと悟りきった笑みが浮かんでいただろう。
休憩をする事無く走り続けて3時間後
見事私は青森に辿り着いていた。
「よし!!
このままの勢いで大間町まで行くぞ!!」
(大間町から函館行きのフェリーが出てるんです)
そして辿り着いた先は、青森市の青森港
『フェリー乗り場』と書かれた標識を、追い掛け続けた結果だった。
「・・・随分近い、な?」(近すぎです)
所要時間30分、地図上の大間町にはどう考えても3時間はかかります。
首を捻りつつ、フェリー乗り場の人に聞くと、この青森港からも函館行きは出ているとの事。
ちなみに大間町は遥か先だと笑われたのは、まあオマケだ。
何と言うか気が抜けた私は、そのまま青森港から東日本フェリーに乗り、函館へと向かったのでした。
船に揺られる事3時間、ついに私は北海道へと辿り着いたのでした。
上陸した時の私の最初の台詞
「むっちゃ寒い!!!」
すんません、北海道をなめてました・・・私(汗)
・・・その後で、宿泊先を探すのが大変だった。
だって、函館の街って分かりにくいんやもん。
暴走族とチェイスなんかしてたし(コイツ等半袖のTシャツなんですよ?信じられない奴等だ)
結局、パトカーに見つかって逃げて行ったけど。
その警察官に宿の場所が聞けたから良しとしよう。
しかし北海道・・・油断の出来ない土地だぜ。
とうとう辿り着いた北の大地、この日の走行距離350km(総走行距離1500km)
今後のトラブルを嫌でも予感させる、北海道初日だった。