「なっ…魔族を使って民間人を攻撃したぁっ!?」
美智恵の報告を受けてオカルトGメン上層部の者達は腰を浮かせた。あってはならない。これ以上とない不祥事だ。
「はい、如何いたしましょう?」
どんな返事が返ってくるかは予想できるが、一応形式上伺わなければならない。
「し、知らん! 私は知らんぞ!」
「その様な事をする男に見えなかったが…真に遺憾だよ」
「美神君、これはオカルトGメン日本支部の屋台骨を揺るがす事態だ…わかるね?」
「この件に関しては我々上層部は一切関わっていない。事後処理は君の責任でやりたまえ」
口々に自分は無関係だ等と責任逃れをする者達。美智恵の予想通りの反応だ。
「…わかりました。では早急に調査を行い事実を白日の下に晒しましょう」
「い、いや! 君がそこまでする必要はない! 調査し、彼をここに出頭させてくれればよい!」
「…了解しました」
言いたい事は山程あったが、その一言だけを言うと踵を返して退室し、重々しい音を立てて閉じられた重厚な扉を見上げてこう呟いた。
「この際、出せる膿は全部出しておきましょうか」
証拠隠滅をされる前に動かなければならない。これは時間との勝負だと美智恵は矢継ぎ早に指示を飛ばす。
件の山の作戦に駆り出されて普段の半分程しか職員がいないため、受付嬢を連れて来て本部に連絡係として残し自らも捜査に乗り出そうとする。
「あ、あの…美神隊長。例の男から連絡が」
「良いタイミングだわ」
例の男とは言うまでもなくデミアン達と契約を交わしたあの男だ。
できれば逆探知と行きたい所だが、流石にその準備は間に合わないので、美智恵は録音の準備だけを手早く整えて受話器を受け取った。
「もしもし?」
「や、山の連中は武装集団だ! 至急フル装備で応援に来い! 精霊石弾頭ミサイルを撃ち込め! あの山全てを焼き尽くすんだ!!」
「………」
成る程、そうやって証拠を隠滅して自分を正当化するつもりかと美智恵は呆れ顔で受話器の向こうの男の声を聞いていたが、やがて聞くのも嫌になったのか男の声を遮ってこう言い放った。
「貴方が魔族を使って大量殺人しようとした事は既にわかっているわ。こうなったら犯罪者として素直に自首して裁きを受けるべきではないかしら?」
「なっ! 貴様何を…!?」
ガシャッと大きな音と共に通話が途切れてしまった。
「あら、ここからが本番だったのに」
何を楽しみにしていたかは謎だが、とても残念そうに受話器を置く美智恵。
しかし、あの山で騒ぎが起き始めてからの時間を考えるに、あの男は確実にあの山から遠く離れていない位置にいる。美智恵はすぐさま山への応援を至急派遣するように指示を出した。
無論あの男を助けるためではない。捕えるためだ。
しかし…あの大きな音は実は電話を切った音ではなかった。
「貴様、生きていたのか!?」
「あの様な前振りの長い技、本体の位置をずらすには充分だ…だが、魔力を消耗し過ぎた」
そう、デミアンにより電話を壊された音だったのだ。
「ひいぃぃぃぃぃ…」
「貴様にGメンの組織力が無くなっては最早利用価値はないな」
腰が抜けて立ち上がる事のできない男に、デミアンが一歩、また一歩と近付く。
「質は悪そうだが…四の五の言ってられんのでな」
「ま、待ってく…!」
その後、美智恵達は必死になって彼の行方を追ったが、その懸命な捜査にも関わらず彼の足取りを掴む事はできなかったと言う。
そのため、西条をはじめとする山に向かっていた隊員達の証言しか証拠はなく、美智恵の望む上層部の浄化には程遠い結果に終わってしまった事を、ここに追記しておく。
一方、横島を救うべく妙神山を目指して猛スピードで飛んでいた魔族は妙神山の目前まで迫っていた。
鬼門の目ならば肉眼で確認できる距離だ。
「む、あれは魔族!」
「そこな魔族! ここを妙神山と知って来た者か!」
その声が響くと同時に門の両脇に控えていた鬼門達の体が動き始める。
対する魔族の男は傷を癒す間もなくここまで全力で飛び続けて来たため、言葉を発する余力も残っておらず門の前に降り立つと愛子の机を降ろして交渉は愛子達にまかせようと自分は力尽きて座り込んでしまった。
「この机は…最近どこかで見たような?」
「はっ! これはまさか愛子殿の!?」
鬼門の言葉とほぼ同時に机の天板から愛子が、口からタマモとかおりが姿を現す。
「やはりそなた等か…何故魔族と共に? そちらの娘はここを訪れるのは初めてのようだが」
「そんな事より横島が大変なのよ!」
「「なんと!?」」
タマモの言葉を聞いた鬼門達は慌てて小竜姫やパピリオに蹴破られないよう門を開き、その直後パピリオが中から飛び出して来た。正に間一髪だ。
「横島は大丈夫なんでちゅか!?」
「そ、それが意識が戻らないの…」
伝説の修業場から子供が飛び出し、しかもそれがかつて自分を病院送りにした魔族だった事に戸惑いながらもかおりは答える。
「大変でちゅ! 鬼門、何をぼーっとしてるでちゅか! 早く横島を運ぶでちゅよ!」
「「はい!」」
どうやらこの妙神山においては巨大な鬼より小さな子供の方が立場が上の様だ。
実力的には妙神山において猿神に次ぐ力を持つパピリオ。当然と言えば当然の事かも知れない。
「お前達もさっさと入るでちゅよ」
パピリオに促されてタマモ、愛子、かおりの三人は妙神山の門を潜るが、魔族の男だけがその場から動こうとしない。
「お前も怪我してまちゅね。早く入るでちゅよ」
「我は魔族なり、神族の領域たる妙神山に足を踏み入れるは…」
いかにデタントのテストケースとは言え、一般の魔族から見た妙神山と言うのはやはり神族の縄張りに過ぎない。やはり中にまで入るのは抵抗があるようだ。
「パピリオだって魔族でちゅよ」
「むむむ…」
あっけらかんと言うパピリオに反論できずに唸る魔族。対するパピリオはすぐにでも横島の元へ行きたいので相手が結論を出すまで待つつもりもなかった。
「何がむむむでちゅか、さっさと入らないとカトちゃんとゴレちゃんを嗾けまちゅよ」
そう言いつつもパピリオは相手に反論する間も与えず足を持って巨漢の魔族を引き摺り、そのまま妙神山に入るとさっさと門を閉めてしまうのだった。
「横島さんの様子は?」
「どうもこうもないのねー。横島さん無茶し過ぎよー」
客間の一室。横島がここで修業をしている間ずっと使っていた部屋に布団を敷いて横島の体を横たえたヒャクメは、その身体に幾つもの器具を取り付けて横島がこうなった原因を調べている。
霊力を消耗している事は一目でわかったのでタマモ達三人は別室に通し、横島の安全のため治療の邪魔をしない様にと言い含めてこちらには来ない様にしている。
今の横島にとって霊力を消耗すると言う事は、魔族化した腕を人間に擬態するための霊力も足りなくなると言う事なのだ。
「横島の奴、なんてムチャを…」
ヒャクメの持つ端末を横から覗き込むメドーサが呆れ顔で呟いた。
「本来使えもしない霊能…いや、霊能と呼ぶのもおこがましい力技を使うなんて自殺行為だろ」
メドーサの言っているのは、横島がベルゼブルの群を一掃するのに使った《ヨコシマン・バーニングファイヤメガクラッシュ》の事である。
「横島さんは過去に韋駄天に憑依された事があったって話だから、使う方法を体が覚えていたんだろうけど…」
「霊能ってのはそこまで都合の良い物じゃないだろ」
あの霊能は別に特殊な物ではない。単純に強力な霊波を全身から放出するだけだ。
しかし、「全身」から「強力」な霊波を放出すると言う事は、当然の事だが大量の霊気を必要とする。
かつて横島に憑依した韋駄天八兵衛は元・鬼族にして今は仏の眷族。腕が魔族と化したとは言え横島と比べて十倍以上のマイト数を誇るのだ。
「人間の霊力だけで使える訳ないんだ。根本的に」
要するに、あの霊能は韋駄天の霊力があってこそ可能なのであって、人間の少ない霊力で同じ事をしようとしても発動しないか、しても霊力を使い過ぎて下手をすれば命を落とす事になる。
ここで一つ断っておくが、人間には全身から強力な霊波を放つ霊能が使えないと言っている訳ではない。
ただ、横島の体に残っていた霊能の回路が韋駄天のマイト数に基づいた物だったため、せいぜい100マイト弱の横島の霊力では「命がけの霊力消費量」になってしまっていた訳だ。
「それでは、私が竜気を送り込んで…」
「このおバカが」
意気天を衝いて横島に竜気を送り込もうと立ち上がった小竜姫をメドーサが背後から蹴倒した。
「何するんですか!?」
メドーサはしゃがみ込んで頭を上げた小竜姫に目線を合わせ、座った目で彼女にこう言い放った。
「あのな…今の横島の体にゃ霊力だけじゃなくて魔力もあるんだぞ? そこに更に竜気を送り込んでちゃんぽんにしてどうすんだ? 布切れに竜気を込めるのとは訳が違うんだよ?」
「…あ」
横島の危機に冷静さを失ってしまっていたのか、小竜姫は自分の行おうとしていた事の危険性に気付いて項垂れた。
現在、横島の魂は一部を魔力に侵食されながらも辛うじて安定している状態である。
今、霊力を消耗している状態で竜気を送り込めば竜気と魔力は互いに反発し合い、まず最初に消滅するのは人間としての霊力だろう。その結果どうなるかは想像に難くない。
魂の発するエネルギーを総称して「霊力」と呼ぶのは実は人間界だけの話だったりする。
その種類は霊力、竜気、妖気、魔力とあって、これは種族によって決定し、一つの肉体に二種類の力が混在する事は極めて稀な事だ。
人類と神族の大半は霊力を持ち、竜神の一族は竜気を持っている。また神族の中では動植物の魂、或いは妖怪が昇華されて神格を持った者達は妖力を持ち、これは通常の妖怪が持つ妖力と同じ物だ。
魔力は当然魔族が持つ物だが、他にも闇の眷族と呼ばれるヴァンパイア等も魔力を持っている。
「先生、質問でちゅ!」
「ハーイ、パピリオちゃん何なのねー?」
「竜気を持ってるはずの小竜姫とかメドーサは自分で神通力とか魔力とか言ってるけど、これは二人がおバカって事でちゅか?」
「良い質問なのねー」
パピリオの疑問にヒャクメは笑顔で頷いて説明を続けた。
「力の大きさを示す時に使う神通力、魔力、言い方色々あるけど、実はこれぜーんぶ古い言い方なのねー。そもそも「マイト」と言う単位はデタントの流れが始まった頃に天界、魔界の共通単位としてできた物なんだけど、これができる前はそれぞれ独自の単位を持ってたのねー」
「それじゃ人間の言う霊力は?」
「人間界も「マイト」って単位が伝わるまでは「人間側」なら何でも「霊力」と言ってたのねー。と言うか人間界で「マイト」の単位が使われ始めてから、まだ一年も経ってないのねー」
ちなみに人類「マイト」の単位を伝えた神族…それは、他ならぬヒャクメだったりする。アシュタロスとの戦いにおいて令子達にルシオラ達三姉妹の強さを伝えるためにマイトを使ったのが最初なのだ。
それ以降「マイト」は天界、魔界だけでなく三界共通の単位として使われている。
「要するに昔からの習慣なのねー。二人ともとし…」
小竜姫の神剣を喉元に突き付けられてヒャクメは思わず息を飲んで説明を止めた。確かにそこから先は禁句だろう。
では、同じ種類の力を持つ人間と神族、また魔族とヴァンパイアは同一なのか? 答えは否だ。力の分類にはまだもう少し先がある。
もう一つの分類、それは「属性」だ。
「神」、「魔」、「神魔混合」の三種類に別れ、これは生まれた世界により決定し、基本的に天界で生まれた者は「神」、魔界で生まれた者は「魔」、そして人間界で生まれた者はどちらにも偏っていない「神魔混合」となる。
その中では「神」属性は天界に『キーやん』、『ブっちゃん』、『アっちゃん』がいる事からわかる様に更に三系統に別れている。つまり、仏と天使では同じ力、属性でありながらその系統が異なると言う事だ。
更に同じ力、属性、系統の中にも幾つかの「型」が存在し、本人の資質等により攻撃タイプ、守備タイプ、ノーマルタイプと別れるのだが、この辺りは割愛する。
ただ、属性と言う物は他の分類と違って本人の精神、周囲の環境等によって後天的に変化する事がある。例えばメドーサは天界で生まれ元々は「神」属性であったが、魔性に堕ちた際に「魔」属性に転じている。
属性の変化が最も著しいのは「神魔混合」の者。特に人間は変化する者が多く、神学を学び、信仰に基づいて霊能を使う唐巣はその精神から「神」属性に転じた者であり、仏教系の霊能を受け継ぐ弓家に生まれ育ったかおりは同じ「神」属性「仏教系」が環境的にも血筋的にも染み付いている。逆に魔術を使うエミや魔鈴は「魔」に転じた者達だ。
元々「魔」属性に近い魔力を持つヴァンパイアも生まれた時点では「神魔混合」属性である。確かに環境的に「魔」属性に転じる者が多いのだが、そんな中唐巣と出会い「神」属性に転じたピートは極めて珍しい例と言えるだろう。
人間でありながら霊力、魔力を混在させている横島は更に珍しい珍種中の珍種である事は言うまでもない。
「多分、三界のどこを探しても横島さんと同質の霊力を持ってる人はいないのねー」
「横島自身が回復しなきゃならないって事か」
メドーサの言葉にヒャクメは頷いた。
「それじゃ、これからどうするでちゅか?」
「対処療法ですが、これ以上魔力が霊力を侵食しない様に霊的に安定させて霊力の回復を待つしかありませんね」
パピリオと合流し、隣の部屋に移動して今後の事を話し合う四人。
時間を掛ければ掛ける程、魔力の侵食を抑える事が難しくなるため、できる事ならすぐさま回復させたい所なのだが、それが無理である以上今四人が第一にすべき事は横島の魂を安定した状態に保つ事だ。
「あの三人は?」
「腕の事を知らないなら知らないままでいた方がいいのねー」
「早急に下山してもらいましょう。ここにいれば見舞いをさせないだけでも不審に思われるでしょうし」
もうひとつ重要なのは横島と一緒に来た三人の少女達に横島の魔族化した腕の事を知られない様にする事だ。これが人間達に知られてしまえば、横島は確実に人間界にいられなくなるだろう。横島の目的を考えれば、それは避けねばならない。
「あら? 私は知ってるわよ?」
突然背後からかけられた声に振り向くと、そこにまタマモが腕を組み、不敵な笑みを浮かべて立っていた。障子は足で開けたらしい。まったくもってはしたない。
「私等下山させて邪魔者を少しでも減らそうっての? 相変わらずせこい真似するわねー」
「だっ誰もそんな事言っていません!」
竜狐対決再び。
そのまま言い争いに発展しそうな二人の間にメドーサが割って入った。
「タマモとか言ったな。何故お前があの事を知っている? 横島から聞いたのか?」
「わざと要点ぼかしてカマかけなくてもいいわよ。魔族化した腕の事でしょ? 言っとくけど横島から喋った訳じゃないわよ、私が自分で気付いただけ」
「…事情がわかってるなら協力しな。とっととあの二人を連れて下山するんだ」
メドーサも横島の腕の秘密を守る事に関しては小竜姫と同意見であり、タマモも愛子とかおりの二人を今の横島から引き離す事に関しては異論はないのだが…
「そうは言っても、あいつがいなきゃ家は仕事できないのよ。もうちょっと手早くなんとかならないかしら? ただでさえ金食い虫がいるんだから」
「「「………」」」
タマモの言葉に金銭的な苦労とは無縁であった小竜姫、メドーサ、パピリオは反論する事ができない。下級神族の公務員として苦労してきたヒャクメだけが思い当たる事があるのか、しきりにうんうんと頷いている。
ちなみに、今現在の横島家の家族は横島、愛子、タマモ、小鳩、テレサ、マリア、Dr.カオス、そしてハニワ子さんとハニワ兵達だ。この中で金食い虫とは一体誰を指すのか?
実は研究費と称して色々と使っているカオスと、他ならぬきつねうどんやいなり寿司等、油揚げ関連の食べ歩きを密かな趣味としているタマモだと言うのはここだけの話である。
「…ま、あいつらは私が食い止めとくから何とかお願いね」
そう言ってタマモは部屋を出て行った。
心情的には横島の側にいたいのだろうが、横島の魂を安定させるために魔力を抑え込もうと神聖な気に満たされた部屋に入るのは妖力を消費したタマモには辛い事なのだ。
「そうは言っても横島さんの魂は特殊なのねー」
「回復するのを待つしか手は…」
ないでちゅと続けようとしたパピリオだったが、ここである事を思い出した。横島と初めて出会った時の事だ。
あの時、まったく効きはしなかったが横島に不意を突かれ文珠で攻撃された。当時10マイト前後の霊力しかない横島が放った文珠には300マイト近い霊力が込められていた。あの300マイトは一体どこにあったと言うのか?
「もしかして…ヒャクメ! 横島が普段文珠をどこにストックしてるか調べるでちゅよ!」
「え? わ、わかったのねー」
パピリオに言われ、横島の身体を調べたヒャクメは驚きの声を上げる。
「あー! あるのねー、横島さんの魂とは別に文珠が!」
「何ですって?」
パピリオはエヘンと胸を張る。
普通に考えて人間の魂の容量では300マイトの霊力を凝縮して文珠を作る事などできる訳がないのだ。凝縮する前は300マイトそのままの霊力なのだから。
では、何故横島は文珠を作る事ができるのか? それは文珠と言う霊能が持つ特殊な性質に原因がある。
文珠を作るために、まず横島は普通に霊力を使うのと同じように文珠を作ろうと霊能の「型」に霊力を流し込む。それと同時に流し込まれた霊力を凝縮しながら霊力を溜め続け、それが約300マイトに達した時点で1つの文珠が完成する。
この時、型に流し込まれた霊力は文珠として完成するまでは完全に安定しない。
速成しようとして失敗した文珠が爆発するのは「型」に流し込まれた霊力を文珠として完成する前に取り出そうとしても文珠として完成していないため安定しておらず、魂の容量よりも大きいために魂の方に戻る事もできず、そのまま一気に放出されてしまうためだ。
つまり、横島は文珠を作るために約300マイトの霊力を一気に引き出しているのではなく、徐々に霊力を蓄えて300マイト溜まった時にそれを文珠にしてストックしているという事だ。
ちなみに、横島は妙神山のウルトラスペシャルデンジャラス&ハード修業コースで文珠を身に付けた時一瞬で数個の文珠を作ったが、あれは擬似空間で猿神の霊力を受け続ける事により一時的に霊力の出力が増したからこそできた事だ。
実はあの時点で横島と雪之丞の二人は小竜姫並とは言わないが人間の限界を遥かに超越したマイト数を引き出していたのだ。
その霊力をかなり無駄に使いながらも魔装術の極みへの道を魂に刻み込んだ雪之丞。
対する横島はその霊力で文珠という霊能を身に付け、出力が元に戻る前に文珠を作りストックした。この辺りは二人の性格の差なのだろう。
閑話休題。
では、完成したが使われていない文珠は一体どこにあるのか?
結論から言ってしまえば曖昧な表現だが、魂の外側の肉体の内側に収められている。横島の魂の中に戻る事はない、そんな事をすれば魂に負担がかかるからだ。
文珠を作れる事ばかりに注目されがちだが、実は文珠を体内にストックし、いつでも取り出せると言う事も立派な霊能だ。
現に横島以外が文珠を持っても文字通り所持するだけで、体内にストックできる者はいない。
逆に言えば、ストックできる横島以外では文珠はただの霊具であり、複数の文字を同時に扱うような事はできない。複数の文珠を霊具としてではなく一つの霊能として扱う事のできる者だけが、複数の文珠を用いてその汎用性を飛躍的に高められるのだ。
「そうか! 横島の霊力を凝縮して作られた文珠ならその中に詰まっているのは横島の霊力と同質だ!」
「それが横島さんの魂とは別に存在するなら、還元させて消耗した魂の霊力を補えますね!」
「早速、精神にダイブして文珠を出す様に命令しまちゅ」
そう言ってパピリオは横島の眠る隣の部屋に入っていった。今の意識のない横島の体を操る事ぐらいなら自在にとは言わないがパピリオにもできる。既にストックされている文珠を出す事ぐらいなら可能なはずだ。
「しかし…今の横島の魂の容量はせいぜい100マイト。文珠には約300マイトの霊力が込められている…横島がパンクしてしまわないか?」
「う…」
その可能性は極めて高い。通常の状態でも無理だと言うのに、弱った状態なのだから尚更だ。
「文珠が出たでちゅよー…って、あれ? どうしたんでちゅか?」
パピリオが文珠を手に元気良く戻って来た時、三人は額を突き合わせて悩んでいた。
「文珠はあるが…さて、どうやってこれで横島を回復させるか」
「『治』とか『癒』じゃ、だめでちゅか?」
「傷を治すのとはちょっと違うのねー。今の横島さんは霊能力者が普通に使える霊力の限界をぶっち切りに飛び越して魂を形成する霊力まで使っちゃってるのよー」
水を入れる器をイメージすればわかりやすいかも知れない。
霊力はその器から湧き出てくる水の事で、その器が水で満たされている状態が魂と考えて欲しい。普通の人間は幾ら水が湧き出ても器から溢れ出す事はないのだが、中には器から水を溢れ出させてしまう者もいる。それが霊能力者だ。
霊能力者が扱う霊力と言うのはその器から溢れ出した分の水の事であり、使い続けて溢れ出した分では足りなくなれば器の中の水も使う事ができるのだが、器が水で満たされなくなったらどうなるのか?
言うまでもない。その先に待っているのはかつて横島がベスパの妖毒により霊気構造が足りなくなった状態…すなわち死だ。
「『増』とかで霊力を増やしてもあれは一時的な物ですし」
三人を越えて四人で寄っても文珠の知恵とはいかずに頭を抱える四人。いかに文珠と言えども一文字でできる事には限界がある。
文珠を霊力に還元し、その一部を横島の魂に戻す事ができれば一番なのだが、生憎とここに集まった四人にはそんな器用な事ができる者はいない。本来、その様な器用な霊力の使い方と言うのはマイト数に劣る人間の専売特許であり、神、魔族は力の使い方が基本的に大雑把なのだ。マイト数が高い者程その傾向が強い。
四人が頭を抱えていると、庭から男の声が聞こえきた。
「後は私に任せていただけますか?」
四人が庭に出て咄嗟に身構えると、パピリオが魔界へと行き来するためのゲートが起動している。
わりとアバウトに使用されている物とは言え、神界、魔界双方の許可がなくてはこのゲートは使用できない。
小竜姫の知る限りでは、このゲートの使用が許可されている魔族はパピリオとワルキューレのみだ。ベスパもかつては許可されていたが、横島の修行が終わった時点で取り消されている。
しかし、ゲートから聞こえてきた声は明らかに男。魔界からの連絡もなしに男がこれを使用して来る事はないはずなのだ。
「ご安心を…これは天界、魔界双方の最高指導者の承認の元に使用を特別に許されております故…」
その言葉と共に一人の魔族が魔法陣から現れる。ワルキューレのそれとは違う制服。明らかに彼女よりも地位が上の者だ。
整えられた銀の髪、その佇まいから魔界軍の中でもかなりのエリートだろうと推察する事ができる。
「何者か! 名を名乗りなさい!」
小竜姫が神剣を構えて問い質す。メドーサとパピリオもいつでも動ける様に戦闘体勢で身構え、ヒャクメは横島を守るべく身を翻して部屋に飛び込んだ。
しかし、魔族の士官はこちらを攻撃する意志は無いらしく、静かに庭に降り立った。
「あの…私はジーク・フリートですが、わかりませんか?」
「…へ?」
「………」
「………」
「誰でちたっけ?」
時が止まった。
「あ、あはははは…覚えてるに決まってるじゃないですか! 立派になって見違えたから一瞬誰だかわかりませんでしたよ!」
「久しぶりでちゅねー。元気にしてまちたか?」
「あの頃とは立場が違いますので…」
そう言ってジークはブーツを脱いで縁側から横島の寝かされている部屋に入って行った。
「…あんたら、本気で忘れてたろ?」
ジークがいなくなってからジークとは初対面のメドーサがささやかに突っ込むが、それはおそらく正しい。
ちなみに、パピリオは留学生としてレポートを魔界軍本部に提出する際に毎回顔を合わせている。
横島の眠る部屋に入ったジークは制服の袖を捲った。
「それじゃ、早速始めましょうか」
「始めるって…ジークさん、横島さんを助けられるのですか!?」
小竜姫の驚きの声にジークは無言で頷いて答える。
パピリオは藁にもすがる思いでジークに文珠を渡し、それを受け取ったジークは両手で印を結び小竜姫達はおろかパピリオにも理解できない呪文を唱え始めた。
ただ、横島と懇意だからとジークが派遣されて来た訳ではない。ジークにそれだけの力があったからだ。
かつて留学生として妙神山にいたジーク。ただ無為に日々を過ごしていた訳ではない。猿神の元で猿神の故郷に伝わる霊能力の技術体系…そう、仙術を研究し学んでいたのだ。人間と同じ方法で。
結局、魔界に帰還するまでに仙術を修める事はできなかったが、その過程において他の魔族に比べて器用な力の使い方を身に付ける事ができた。そして帰還後も修練を続け、それが『ルー坊』の目に止まりどんどんと出世していったのだ。
実は姉、ワルキューレやベスパよりも魔界軍における地位は高い。
その勤勉さが便利そうだと思われていたのは『サっちゃん』だけの秘密である。
「小竜姫殿、余剰霊力により部屋が壊れます。よろしいですね?」
それで横島が治ると言うならば、部屋が壊れる等如何ほどの事か。小竜姫は迷う事なく頷いた。
ジークの眼前では文珠と言う形を失った霊力がジークの魔力により拡散する事なく抑え込まれている。
「行きます!」
ジークは印を結んでいた両手を広げ横島へと向ける。それと同時に抑え込まれていた霊力が手の動きに呼応するように奔流となって横島へと注ぎ込まれ、横島の体が輝きを放つ。
「よし、魂への霊力の補充はできた…残りは………弾けろッ!!」
「きゃっ!」
ジークの叫びと共に余剰霊力が迸り、爆音と共に部屋の障子が吹き飛ばす。
「横島さん!」
小竜姫達が湧き上がる煙をものともせずに横島に駆け寄る。
部屋の入り口に立っていたメドーサからは横島の姿を確認する事ができない。
「大丈夫なのか?」
「霊力の爆発は横島さんの肉体に戻りかけた霊力、つまり横島さんの肉体から外へ向けて発生しているはずですから理論上は…」
とは言え、前例のない初めてのケースだ。
メドーサの問いに答えるジークもどこか自信なさげだった。