「ただいまでちゅ! って、あれ?」
パピリオがゲートを潜って妙神山に帰って来ると、いつもなら出迎えてくれる小竜姫達の姿が見えない。
「皆、どこにいったんでちゅか?」
「ここに何かあれば、まず魔界に繋がるゲートが使えなくなる。トラブルでないなら小竜姫の本職、修行者が来ているのではないか?」
パピリオに続いてゲートを潜って出て来たのはワルキューレ。
目的は休みを利用して妙神山の温泉で骨休みする事。
それともうひとつ、パピリオの絵日記調レポートの『翻訳』を命じられた者から逃れるためである。
「それじゃ、修業場に行ってみるでちゅ」
「そうだな、まずは斉天大聖か小竜姫に挨拶せねば」
2人はゲートの向こうから聞こえる助けを求める声を無視して修業場に向かった。
その声の主を有り体に言えば、ジークと言ったりする。
その頃、食事も終えたピートは瞑想を続けていた。
「僕は、雪之丞が最初から全てを持っていると思っていた…しかし、それは違った。彼は死にもの狂いで努力したんだ」
ピートの放つ霊気が急激に高まり、それに合わせて周囲の森もざわめき出す
「そうか…そうだったのか…彼と僕に共通しているモノ…僕が克服しなければならないモノ…」
「気付いたようじゃの」
その声に慌てて振り返ると猿神が虚空から姿を現した。
ピートはどこか吹っ切っれたような瞳で立ち上がる。
「はい! 僕が克服しなければならない事 それは『恐怖』! 内なる魔に対する恐怖なのですね!!」
そうだ、雪之丞が内なる魔を恐れていたように自分もまたそれを克服しているとは言い難い。
吸血鬼の能力と神聖なエネルギーを同時に使えるピートだが、そのどちらも霊力を用いている。
「お前は最も古く、最も強力な吸血鬼の一人ブラドー伯爵の子。いかに半分は人間の血が流れていようとも、本来は闇の眷族としての魔力の方が強い」
「ええ…でも、僕はその力を忌み嫌い、自らそれを封じていました。でも! 今はもうヴァンパイアハーフであるこの体を恥じてなどっ」
「わかっておる。だからこそお前は吸血鬼の能力が使えるのだからな。だが…お主の父に関してはどうじゃ?」
「!?」
猿神の核心を突く言葉に目を見開くピート。
あんなのを父親と認めるのは恥ずかしいと言う事もあるが、それ以上にあの男によりどれだけの人間が死に、どれだけの吸血鬼がその野望に巻き込まれたか。
決して許す事はできない。同じ血が自分にも流れているなど恥ずべき事だ。
しかし、
「…許せないかも知れません。でも、もう逃げない。僕は全てを受け止めてみせます!」
決意を秘めたピートの言葉に満足そうに頷いた猿神は如意金剛を振るい森の空間を切り裂き、周囲を地平線と所々から岩の柱が顔を覗かせるだけの異空間へと変える。
「さて、修業の仕上げじゃ。わし自らチト稽古をつけてやろう」
「…お願いします」
ピートは自らの奥深くに封じた強大な魔力を数百年ぶりに解放する。
全身を駆け巡る魔力により肉体が悲鳴を上げるが、ピートにとってはそれが苦しみにも、悦びにも感じられるのだった。
「んー…2つの異空間が使われていまちゅ」
「同時に2人の修行者とは珍しいな。どちらに小竜姫がいるかわかるか?」
「それはここからではわからないでちゅよ。とりあえず先に使われ始めた方から見てみるでちゅ」
パピリオは扉をタイガーが使っている異空間へと繋げて開いた。
すると、そこには禍刀羅守にのされて倒れ込むタイガーの姿があった
「ここにはいないみたいでちゅね、次」
パピリオはそれを無視して扉を閉じようとするが、
「人が倒れてるんだから助けてツカサイ!」
タイガーが起き上がり叫んだ。
「なんだ、元気そうじゃないか」
タイガーが起き上がると同時にじっとしていた禍刀羅守が再び動き出す。
それに気付いたタイガーは慌てて脱衣場へと避難した。
「修業に来ていたのはお前だったのか…確かジャガーだったか?」
「誰でちゅか? 私会った事ないでちゅ」
「タイガー寅吉ですジャー! 南極でいっぺん戦っとります!!」
見事に忘れられていた。
「しっかし、獣人化のおかげでケガはせんがアイツにはまったく歯が立たんッ!」
「そんな強そうにも見えないが?」
確かにワルキューレから見れば大した敵ではないだろう。
パピリオが道場を覗き込みながらタイガーのフォローをする。
「禍刀羅守ちゃんは『なるしー』で自分に絶対の自信を持ってるんでちゅ。だから動きに迷いがなくて実力以上の強さに見えるんでちゅよ」
「自信か、確かにお前では勝てそうもないなピューマ」
「…タイガーですケン」
図星を突かれつつも訂正するタイガー。
確かにタイガーには自信という物が絶対的に欠けているかも知れない。
「わっしでは横島さんみたいにはなれんのカイノー…」
落ち込むタイガーを見かねてワルキューレは1つ助言する事にする。
「ふむ…確かに横島を伝説級の魔剣『グラム』に例えるならばインパラ、貴様は並の名剣レベルだろう」
「それは草食動物ですジャー…」
もはや肉食動物ですらない。
「最後まで聞け。だがな、並の名剣とさほど変わらぬ切れ味にも関わらず伝説級に名を連らねる魔剣も確かに存在するのだ。オカピよ」
「…ワザとやっとりませんか?」
天然かも知れない。
「貴様の名前はともかくとしてだ。その魔剣の名は『ヘルギ』、並の名剣と変わらぬ切れ味しか持たぬそれは、ただ一つの魔法がかけられていた」
「それは、一体…?」
「それは、ある種の感情を操る力…ヘルギはその刃を向けられた者に対し恐怖を与え、同時に己を持つ者に勇気を与える。これがいかに重要であるかは彼奴を相手にしていた貴様ならわかるだろう?」
「…わかりますケン」
ワルキューレの突き刺さるような視線に耐えつつも勇気を振り絞って返事を返すタイガー。
確かに、自分の戦闘能力をこれ以上上げるのは少なくとも今すぐには難しいだろう。
だが、自分にはまだ精神感応がある。自分に対しては使えなくとも、相手に恐怖を与え精神的優位に立つ事は可能なはずだ。
「ところで、小竜姫がどこにいるか知らないでちゅか?」
「あ、えーっと…ピートさんは猿神様の受け持ちだから、多分広間の方だと思いますケン。横島さんもそっちにいるはずジャー」
タイガーの答を聞くとパピリオの顔が途端に眩しい笑顔となる。
「え? 横島が来てるでちゅか!? それを早く言うでちゅよ!!」
そう言うやいなや、すぐさま身を翻して脱衣場を出ていってしまった。
「私も、そちらに行くとしよう」
「わっしはアイツにもう一度勝負を挑みますジャー」
タイガーは再び獣人化して道場へと入ると扉を閉めた。
それを見送ったワルキューレはしばらく扉を眺めていたが、やがてポンと手を叩く。
「思い出したぞ、奴の名前はチーターだ」
まだ間違えていた。
「横島ーーーッ!!」
広間まで辿り着いたパピリオは横島の姿を確認すると、周囲を固める肉の壁等気にも留めずにダイブを敢行した。
妙神山において猿神に次ぐ力を持つパピリオのダイブに抗えるはずもなく、その勢いで横島にしがみついていた3人が弾き飛ばされてしまう。
「うわっ! パ、パピリオか?」
「横島。私はお仕事から帰ってきて疲れてるから、早速一緒に温泉に入るでちゅ♪」
「ちょっちょっと待てーーーッ!?」
パピリオは横島を引きずって広間を出ようとするが、入り口の所でワルキューレとぶつかって足を止めた。
「小竜姫、ここにいたか」
「あら、ワルキューレじゃないですか。また温泉ですか?」
「そう言うな。日頃の激務の疲れを癒すにはアレが一番いいんだ」
少し呆れたような小竜姫の声にワルキューレは照れながらも鼻をかく。
「…ときにパピリオ。横島を引きずって何をしている?」
「ホラホラ、今ならワルキューレのオバチャンも一緒に温泉に入ってくれるでちゅよ♪」
「オ、オバ…!?」
その瞬間、ギンッ!と小竜姫、ヒャクメ、タマモ、愛子と4つの視線と殺気が横島に突き刺さる。ワルキューレの視線と殺気だけはパピリオに向けられていた。
横島は身の危険を感じて逃げ出そうとするが、広間の出入り口は1つしかない上、その入り口はパピリオとワルキューレに押さえられている。
最早逃げ道無しと諦めた時、意外な所から救いの手が差し伸べられた。
「おい、横島。そうやって突っ立ってるだけじゃ暇だろ? なんなら私が稽古をつけてやろうか?」
なんと、その手の主はメドーサだった。
「おおお! 流石は俺の愛娘。さぁ行こう、すぐ行こう、今すぐ行こう!」
「だから娘じゃないってのに…」
そう言いつつ横島はメドーサを小脇に抱えてダッシュで広間から逃げ出した。そのまま脱衣場に向かうのだろう。
残された6人はしばし呆然としていたが、横島が稽古をすると言うならばそれを邪魔するつもりもなく、それぞれのやるべき事を再開する。
「ふぅ…仕事をサボるわけにはいきませんものね」
「タイガーさんの修業も、ピートさんの修業もそろそろ終りそうなのねー」
小竜姫とヒャクメが自分達の仕事をこなし。
「しょーがないからワルキューレのオバ…おねーさまと一緒に温泉入るでちゅ!」
「…良し」
パピリオはワルキューレと連れ立って温泉へと向かう。
ちなみにこの時、パピリオの眉間にはワルキューレの持つ銃が突き付けられていたりする。
そして…
「やっぱりパパに甘えたいのね…別に横島君がバツイチでも…」
「あんた、なんか間違ってない?」
愛子の妄想に対し、タマモが呆れ顔でツっこんでいた。
ちなみにグラムとヘルギは古代北欧の詩歌集『エッダ』が原典で、ヒョルヴァルズ王と美姫シグルリンの子にヘルギの事を伝えるのが、実はスヴァーヴァと言う名のワルキューレだったりします。