窓から差し込む光に刺激され、目を開ける。
ああもう朝かと思い体を起こせば、其処にあるのは冬木にいた頃とは到底似つかない雑然とした部屋。
藤ねえたちには美大に留学するなどと言った手前、部屋の中に油絵の具やキャンバス、イーゼル、クッキー帳などの画材道具が広げられている光景は仕方ないだろうけれど、判然としない事実が此処にある。
「遠坂の荷物まであるのは、何でだろう…?」
一人前の魔術師として招聘された彼女の部屋は、日本人の感覚からすれば寄宿舎とは思えないほど広く工房までついている代物だ。こんな半人前の魔術師見習いの部屋にまで荷物を置く理由は皆目見当もつかない。
ちなみに俺は遠坂の弟子扱いになっているので、彼女の隣室に部屋を持っている。
アルトリアは遠坂と同室だ。
部屋割りについては、二人の間でかなりの論議を繰り広げたらしい。
……ただし。
隣室だから、師匠と弟子だからという説明で、二つの部屋は続き部屋に改装されてしまった。無論、鍵は向こう側からしかかけられないし、外せない。男のプライバシーというものは、女の子には理解されないものなのだろうか。
Fate偽伝/After Fate/Again
第3章
第1話『奇しき出会いは、時計塔で』
日本食専門店を探して買い入れた、味噌や醤油の匂いを嗅ぎながら朝食の用意をする。日本から直輸入されているので、普段と同じ調味料が揃ったのは、非常にありがたくあった。
例え二人が洋食派でも、俺は日本人として朝御飯に和食は譲れない。
「……おはよー、士郎」
「おはよう、シロウ」
「おはようアルトリア、とおさ……凛」
とてつもなく不機嫌になった彼女の目を見て、凛、と言い直す。こちらでは親しい間柄の人間を姓で呼ぶのはおかしいから『凛』と呼ぶようにと言葉通り耳が痛くなるまで説教されたのだ。
……今もってそう呼ぶのは気恥ずかしいものがあるのだが。
ほら、凛だって顔、赤いじゃないか。
台所に立ったまま、テーブルに座る二人と話す。
ちなみに食事当番は俺と凛の交代制。アルトリアはまだ料理については仮免どころか教習すら受けていない。そういった訳で、今は俺が料理をしている。
「それで今日はどうするの? 正規の学科が始まるのは明日からだし、自由になるのは今日までだけど」
「私は図書館に。あの戦いの後がどうなったのか、ここには一般に出回っているのとはかなり違う歴史書がありますから、それを調べてみたいのです」
歴史は、後の権力者達に都合の良いように改竄される。これは仕方のない事かもしれない。けれど彼女にとって、過去の真実を知ることは重要な試練。自らの罪と、過去と向き合い乗り越え、今を生きるために。
魔術師は、そんな歴史の権力者と迎合し、反発し、独自の生活様式の中で生き続けて来たのだから、此処の図書館には世に出せば歴史研究家達が泣き叫ぶような書が大量に保管されている。それこそ、アーサー王を裏切る為にモードレッドが何をしたか、仔細な事まで記されているのだろう。
そんな決意をさらりと言われては、こちらの行動など言いにくい事この上ないが、言うしかあるまい。
「俺は…そうだな。午前はバイト先の面接があるからさ、午後からは美術館めぐりでも行こうかと思ってるんだ。ほら、昔の画家が何を考えて作品を残したのか知りたいから」
「その意味では、便利な目よね?」
以前に凛の魔術講座で俺の固有結界の話が出たときに剣以外の、例えば盾……そういったものが投影できるのだからと色々試してみたが、投影までは出来ずとも、解析までであるなら、かなりのモノまでが可能であると判明した。
かつて様々な思いをもって描かれた絵画の数々。その中に眠る『創造の理念』『基本となる骨子』『構成された材質』『製作に及ぶ技術』『成長に至る経験』『蓄積された年月』『あらゆる工程』を解析し、自らの技術と成す。
凛に言わせれば、魔術ではなく自らの手で描く違いはあっても、俺はやはり『贋作者』らしい。
「シロウ、アルバイトなどして魔術や剣術の鍛錬は一体どうするつもりですか」
「やるよ、勿論。けど、俺がバイトするのは……二人のためでもあるんだからな」
そう釘を刺す事を忘れてなるものか。
凛が色々やって一人の人間として生きる事のできるようになったアルトリア。しかしこの時代の知識をもっていても、この時代の経験の絶対量の不足する彼女であるからして、正直アルバイトなどに出かけられると後が怖い。事実冬木では、ウェイトレスのバイトで痴漢行為を働こうとした客を『返り討ち』にした経緯がある。
反面、凛は何でも器用にこなすが時計塔ですべき事が多く、軌道に乗るまではバイトをする時間など無いだろう。第一、以前アーチャーが置いていった宝石剣の研究はいまだに終わっていない。
言い直そう。
結局の所、収支に対する支出、特にエンゲル係数……有体に言えば食費の割合が大きすぎるのだ。このままでいけば干上がってしまうのは確実。奨学金を適用されている凛ならともかく、その助手扱いのアルトリアと弟子の俺には特に金銭は回ってきていないから。
そんな俺の内心を知ってか知らずか。
「しかしアレね」
唐突に、箸で金平牛蒡を持ち上げながら凛が意味不明なことを言い始める。
「?」
「戦時中のアメリカ人捕虜が『日本人には木の根っこを食わされた、これは捕虜虐待ではないか』って裁判を起こして、収容所の所長を死刑にしたじゃない」
まあ木の根を食わせられれば、俺だって怒るぞ。
第一、戦中の日本の食料なんて限りなくゼロに近かったじゃないか。
そういったら凛は、
「ゴボウよ。木の根っこ、ていうのは」
「こんなに美味しいではないですか」
言って、甘さと辛さを両立させる為に苦心した一品をほおばり、嬉しそうに咀嚼するアルトリア。
こう言ってはなんだが、彼の伝説のアーサー王が実は女の子だった上、祖国の地を踏みながら嬉しそうに日本食を食べていると知ったら、イギリス人はどれほど嘆くだろうか。
「フランス辺りじゃ食べるらしいけど、他の国じゃただの根っこ」
……いわゆるムダ知識という奴だろう。しかし凛がそんな物をひけらかす人間には思えない。何か裏があるのか?
「で、此処はロンドン、国で言えばイギリス。今言った『他の国』よ」
凛さん、それは遠まわしに『死刑!』といっているのでしょうか? アルトリアまで、何か嫌な予感に――むしろクラスAのスキル『直感』に――身を固めていますよ。俺だって最近はC−くらいですけど『心眼(真)』は持ってると思いますし。
ですからお願いします、その「すまいる・おぶ・赤いあくま」は止めてください。シャツに隠れて見えないでしょうが、俺の全身には鳥肌がズラリとたっているんですよ、今。
「判決に手心を加えて欲しかったら、今日は私に付き合いなさい。良いわね?」
ことりと、殊更音を立てて茶碗がテーブルの上に置かれる。
うわ、部屋の体感温度が5度は下がったぞ、今。
「…リン、それは協定に反する」
「あら。アルトリアは図書館に行くんでしょ。なら予定の立っていなかった私が士郎をどう使おうとも問題は無いじゃない」
……空になった茶碗を置き、緑茶を手にしてほっと一息。
日本だろうとイギリスだろうと、自分のペースを全く崩さない二人はきっと大物なのだろう。
「シロウは今、美術館へ行くと自分の予定を言った。それを無理やり変えるのは問題ではないのか」
「私も美術館へ行くわよ」
当然じゃないとばかりに、凛。
しかし彼女は間違い無く魔術師である。つまり、自分を最優先させるのだ。
「でもその後でどこに行こうとも良いでしょ。ね、士郎」
そこで俺に振りますかっ?!
「……シロウ、私は貴方の意見を聞きたい」
アルトリアまでっ……援軍は……藤ねえと桜とイリヤは……日本において来たぁ! しまった、本気で孤立無援じゃないか、本土、本土、至急増援を……前線はもう維持できません!!
リン・アルトリア連合軍はもう眼前まで迫ってきているであります!!
>interlude
洗い物を士郎に任せ、相談があるからと言い残して二人は工房へと引きこもる。
部屋の中は理路整然としながらも、混沌の如き様相を示していた。見た目だけなら整理されているのに、彼女以外の人間……いや、彼女でさえ何処に何が在るのかわかるかどうか。
そんな部屋にある椅子に腰掛け、アルトリアは目をそらす凛に、僅かに諦めの入った目を向ける。
「少し、苛めすぎではありませんか」
窘めるように、凛を諭そうとしても彼女はそれが到底届くものでないと知っている。
だから彼女の答えは決まっている。
「……分かってるくせに」
こう、言った本人が悪いと思わせるような表情と声でアルトリアを責め立てる。
「今の自分じゃ答えが出せないって、士郎ったら全然私達に手を出そうとさえしないじゃない」
う、と唸る。
様々な要因が重なったとはいえ、衛宮士郎が複数の女性と関係の持てるような器用な人間でない事は、彼を知る人間であるなら誰もが知っている。それは三人が渡英すると告げたとき、ショックから立ち直った美綴綾子や柳洞一成も理解した上で責めたてていたが。
「私たちが士郎を好きなんだって、本気で好きなんだって知っているんだから……少しくらい言葉や行動で返して欲しいじゃない」
「それは……分かります」
分かっているからこそアルトリアは、此処にいる。
衛宮士郎は、アルトリアと凛、二人を真剣に愛している。それは優劣などつけようの無い激しく熱い、偽らざる感情だ。また、彼の育ってきた環境では一夫一婦制がしかれており、複数の相手をもつ事は倫理的にも感情的にも不道徳とされる。
そして彼は、今の自分が誰かを選ぶ事ができるほどの人間ではないと思っている。
同時に、二人に相応しいだけの人間になろうと苦しんでいる。
そうして士郎が引いた『一線』に、二人は心を焦がしている。
「結局、シロウの一人勝ちですね」
「全く、私たちが『惚れた弱み』なんてね」
言って笑う。
それは気恥ずかしさの混じった、同じ思いを抱く者に対して見せる、共犯者めいた笑い。
「その上アイツったら、桜とイリヤまでよ? 手を出さないのはアイツなりの良識なのかしらね」
「いいえ、あれは極悪人です」
「だったらどうしようか」
「それはもちろん、シロウに認めさせるんです」
頷きあい、同時に、
「心を偽る事は出来ないって」
「ただ、シロウを愛している事を」
『――それだけは知っていて欲しいのに』
ぶるり。
流水で皿についた洗剤の泡を流しながら、突然の悪寒に身を震わせた青年がいた。
彼はその原因を予想しながら、必死に頭の角に追いやる事だけを考えつづけた。
じりりりりん、じりりりりりりん…
部屋に備え付けられた、古風な電話がベルを鳴らす。
「あ、私が出るわ」
受話器を取ると、二言三言会話し、少しばかり緊張した面持ちで凛は電話に向かい、
「……分かりました、本人に伝えておきます」
とだけ言った。
「アルトリア、午後の予定は全部キャンセル。士郎を呼んできて、今から用意を始めるわよ」
「…? 何か起きたのですか」
「これから、起きるかもしれないわ」
そう言いながら凛は、確信めいた表情をしながら、アルトリアの見ている前で攻撃のための宝石を選び始めた。
>interlude out
――ほんの一週間前までの話だ。
高校の三年ともなれば三学期は殆どが自主登校となり、勉強に専念したいとか言う人間でもなければ、指定日以外に学校に行く必要はない。そんな訳で、留学する事を決めた俺達にしてみれば、学校に行かず、別の事をする時間として有意義だった。
元々外国の魔術師と交流――決して友好的なものではない――を持っていた凛。元々英語圏――ただしかなり古風なブリティッシュイングリッシュ――の住人であるアルトリア。ついでに役立たずと呼び声の高い形式ばった英語だが、一応は英語教諭である藤ねえ。この三人から叩き込まれた。
およそ三ヶ月、寝言でさえ日本語を禁止されたのは恐ろしい体験――凛特製の呪いに汚染された日々――だった。そのおかげか、買い物をする時などの日常会話に困った事は、今の所は無い。
そんな訳で、午前中のバイト先の面接には『見聞を広める為にも、日本人の執事が居るのも良い経験でしょう』という一言で採用を貰えました。精神的に疲れたので、部屋で寝るかと戻ってみれば――
「行くわよ、士郎」
「既に私達の準備は整っています」
…と、その気になれば魔力がいつも以上に充実していると、一目でわかる二人に両手をつかまれた。身長差があるので――俺のほうが高い――引きずられるような形だったが、軍の兵士に両手を掴まれて写真に写された宇宙人の気分が少しだけ分かった気がしたんです。
なんでも遠坂の説明によれば、以前出会った暗殺用の人形も、大別すればアーティファクトらしい。
そんなアーティファクトの専門家に呼び出された俺に、凛とアルトリアが何故か着いてきた。ここまではいつもの事なので特に問題はない。問題は、これからの……と言うか今現在、進行形で行われているものだ。
「それで、何処のバイトの面接だったの?」
「学生課って言うのかな、本部の事務室に置いてある求人広告。そこで
「うわ。それ、すっごい無駄遣い。だいたい何、メイドにバトラーって……召使、それとも
「流石に日本語の『奴隷』を当てはめるのは問題があるのでは?」
「凛…俺だって相手は選ぶよ。ただ…」
「ただ?」
「相手先の主人だけどさ、なんて言うか? ほら、凛が演技してた頃の…そう、昔の『遠坂』っぽかったっていうか…」
ひぅ。
魔術になる前の魔力が、僅かに漏れ出た感触があった。魂の力そのものである魔力、それは魂の色に染まる。というより感情に染まる。今感じたのは、どこか寒気がするから『怒り』が近かったのではないか?
「へえ、私に?」
「いや、それは凛が美人だって事で…」
「するとシロウのバイト先の主人は女性、それも美人という事ですか」
すう、と、
今度感じたのは、汗が止まらなくなりそうな、熱い魔力の波。
衛宮士郎はその魔術の性質からか、世界の異常には過敏に反応する。これは異界だ、魔術による結界などではなく、もっと根本的な、むしろ『根源』に近い異界だ。そんな物を感じたからだろう。
……そうだろうな、こんな当たり前の結果に繋がったのは。
魔術師とは異端であり、異端は異端を呼ぶもの。これが今更確認するまでも無い事実とはいえ、目の前の光景を見ては、こう言わざるを得ない。
「いくら時計塔だからって、敷地に入った途端これってのは、無いよな?」
俺のぼやきに、凛もアルトリアも首を縦に振って同意してくれた。
けど。
「さすがシロウ、行き先には既にトラブルが待っているのですね」
「まあ士郎だし」
俺だけの所為ではあるまい。というのか自分達がどういう人間か理解していないのか、二人とも?
言われてもへこんでいる暇は無い、目の前で起きている事件を幻想ではなく事実であると受け止め、記憶にあるデータを掘り起こす。
ゴーレム。
ゲームでもポピュラーな、魔術によって偽りの魂を吹き込まれた人形、その名の意味は『胎児』。弱点は体の何処かに書かれている『
どこかバーサーカーに似た――むしろバーサーカーが人間外だったかもしれない――面影のある、全身に対抗魔術の陣をびっしりと書き込まれたそれが、全身に固定用の鎖と重りを巻きつけたまま、地響きを伝えながらズシンズシンと歩いている。
「誰か、止めてくださーーーーい!!!」
と、この場にそぐわない少年を手に掴んだまま。
いくら敷地の中だからといって……こう、魔術師の欠点そのもののような光景を見せ付けられては何を言っていいのだろうか。
魔術師としては非常に平穏な日常を送っていた(過去形)俺であるが、最近のこの手の光景に慣れてしまった事に哀しみを感じる。
「遠坂、これ、何か……ほら、体育会系に良くある『儀式』って奴かな?」
「体育会系から一番遠い魔術師に対する歓迎じゃないわよ、こんなの」
「ではこれは、純然たる暴走事故だと?」
時計塔は魔術師の最高学府、といっても一般社会に対するカムフラージュを怠ってはいない。とはいえキャンパスの敷地に入った途端に目に入る光景がこれでは、それも何処まで効果があるのか、非常に疑わしくあるのだが。
そのゴーレムは駆動系に機械を導入しているらしく、これならロボット工学の実験とでも――あれ?
「こっち、来てないか?」
否定してほしくて背後の二人に声をかけ、声が帰ってこないので後ろを振り向くと、其処には風王結界を構えたアルトリアと、宝石を手にした凛がいた。
機械モドキのゴーレム。
それが本当に俺たちを認識しているのかは知らないが、真っ直ぐにこっちに向かってきている。しかもその手には少年が一人捕まっている。
タイミングを見計らっていると、その少年が悲鳴そのものの声で助けを求めてきた。
「お願いします、壊していいから助けてくださいっ!!」
「……後で弁償しろなんていわないわね?!」
「当たり前じゃないですか!!」
……余裕じゃないか。
あれは多分。捕まってはいるけれど絞められてはいないのだろう。
「言質は取ったわ。良いわね二人とも」
臨時のリーダーとなった凛が僅かに声を低くして宣言する。会話の中に多少釈然としない、遠坂家の魔術師らしい台詞があったような気もするが、俺は遠坂家の魔術師がどんな苦労をしているのかは知らないので、言葉にしない事にする。
言えば必ず、烈火の如き言葉が飛んでくるに決まっているのだ。
ならば、この場で俺がすべき事は一つ。
「凛、アルトリア、タイミングは任せる」
「シロウは私の一秒後にスタートしてください」
「全速で逃げなさいよ」
真っ直ぐにこちらに向かってくるゴーレム。しかし視線で表面をなぞっても『EMETH』の文字は見当たらない。確か、内臓は出来なかったはずだけど…ああ、うろ覚えの知識じゃ駄目だ。
「
「…行きます」
くん、と体が一瞬にして沈み込んだアルトリアが視線と意識を戦闘レベルに移行させる。
ザン、ザン、ザンという音を上げて、タイル張りの歩道を彼女は駆けて行く。
一秒経過!
ダ、ダ、ダと彼女の後姿を視界に入れ、本気の疾走をする。タイミングを誤る事など出来ない。
スィ…と地を駆けるアルトリアの右手が揺らぎ、ゴーレムの手首が風王結界を素通しさせる。そんな錯覚をした一瞬の、次の一瞬。パキリという音が立ち、手首から下が真下に落ちる。
地面に落ちる前に引っ手繰り、凛の前言通り全速で逃げる。
落ちる腕と少年を地面に落ちる前に拾い上げ……ってなんか軽いぞ?!
「Drei!!」
…凛お得意の風呪のトパーズかっ?!
欠片を飛び散らかせて浮き上がる、動きの取れないゴーレムを…
「ハアァァァァァッ!!」
斬、と。頭頂から股間まで、弱点の『EMETH』など無視して真っ二つに斬り滅ぼす。
……なんて過激な。英国最大の英雄であり、本来は死後なるはずの英霊であったこともあるアルトリア。そんな彼女と遣り合えるゴーレムなど早々作れないという事なのか。
さらに、そいつは補助部分に機械を使っていたからか……ジジジ、バチバチという音を立てて……あ、なんかデジャブ。子供の頃、よく見た画像が脳内でリプレイされた。そうそう、番組の終わり辺りで組織の名前を叫びながら『バンザーイッ!!』とかいう、あの名シーン。
て事はあれかっ?!
「逃げろ凛、アルトリア!」
いや、アルトリアは近すぎる……いや。
アルトリアはゴーレムの『断末魔』を理解せず、自らの直感に従い、今一度その剣を振るう。
ゴウと吹いた暴風に、その残骸は巻き上げられ……
ドグゥワァアァァァアアアン……!!!
「……なんでさ」
何と言うか、爆発だ。毎週テレビの前で見ていた光景だったとはいえ、いざ自分がその場面に追いやられると緊張もするが、過ぎてしまえば呆れ声しかでないものだと納得してしまった。
この状況に1、2秒はボウとしてしまっていたのだろう。
爆発の炎も衝撃も俺の方に伝わってこなかった。人目があるから俺が唯一使える防御手段『
そんなことを考えていると、閃光に眩んだ目がようやく戻った。
ゴーレムの爆発による炎と電光の乱舞の中、こちらに背を向けるようにして立つ、凛なら『金ピカ』とでも形容しそうな姿の女性がいた。その手には幾つかの宝石が――彼女も宝石魔術を使うのか――握られていた。
状況からして、この状況を見かけた彼女は咄嗟に俺たちを庇ってくれたのか。
「大丈夫ですね?」
凛とした声に、精緻な彫刻を思わせる美貌。
常日頃から美人を見慣れていても、こう言った淑女系の美人に耐性は無いので一瞬ドキリとしてしまう。けれど、その顔にはついさっき見た憶えがあった。
「ミスエーデルフェルト?」
「貴方はシロウ…でしたか。このような場所で会うとは思いませんでしたが…そちらの少年は無事ですか」
脈はしっかりしているし、呼吸に問題は無いようだ。特に怪我した風には見えないが、それでも精密検査をすべきかもしれない。
「見た感じでは怪我は無いようです。でも、助かりました」
「いえ。弱きものを助けるのは貴族の務めですから」
…弱き者ですか。
確かに俺は未熟な魔術使いですが、こうあからさまに言われるのも久しぶりだな……。
腕の中でびくりと動く感覚、ついで聞こえてきたのは――
「あ、ああ……」
まずい、ひきつけを起こしたか?!
「ちょ、大丈夫か、君?」
振るわれた風王結界の余波を受け、翻弄される草木。そのざわめきに、腕の中の少年を見て、今更ながらに慌ててしまう。大きく目を見開いて、粉々のゴーレムの残骸を見たその目がくるくると回って遠巻きに身を固めている――しかし無傷の――アルトリアと凛、ついでに俺を順繰りに何度も往復して、「ひぃ」と悲鳴のような声をあげて、かくり、と気を失った。
僅かに遅れて、駆け寄ってきた凛とアルトリア。アルトリアが警戒する中、凛は俺に言葉をかけてくれる。
「士郎、その子は大丈夫?」
その凛の言葉には、どこか刺があった。
こう、飲み込んでしまってから、今の魚には骨があったんじゃないだろうかと半信半疑になるような、微妙なとげが。その原因はおそらく、俺を助けてくれたこの女性に在るのだとは思うのだけれど、その理由が分からない。
「大丈夫。この人が庇ってくれたから」
「士郎を助けていただきありがとう御座います。私はリン・トオサカ。…貴女は?」
「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。今期から鉱石学科で学ぶものです」
「では、私と同期になられる方ですね」
「それは奇遇ですね。このような出会いですが、縁を大切にしましょう、ミストオサカ」
「はい、ミスエーデルフェルト」
……あれ?
何か、見える。ハブとマングースとか、虎と竜とか、猫と熊とか。こう…一触即発って感じの、よくアニメの表現に使うような幻覚が。
そうか、よく分かった。
似てるのは、やっぱり内面だったんだ。昔の俺じゃ絶対に気づかないほどに、巧妙に隠された『猫』を被っていたんだ。
腕の中で、身じろぎされる感覚。
少年はうっすらと目をあけ、その視界にあの二人を見て……
「ヒッ?!」
と声を上げて『また』気を失ってしまった。
それを聞きつけたのか、この緊迫感溢れる上品なにらみ合いは終わり、二人が同時に俺の腕の中で気を失っている少年に視線をうつす。
「失礼な子ね。私たち、そんなに怖いかしら」
「流石にあのような光景を見たばかりですから、ショックが強いのは仕方が無いのかもしれませんわ」
つまり、この少年にとって遠坂やアルトリアは恐怖そのものだということだろうか。……その考えは良く分かるが、初対面の人間にまで言われる覚えは無い。
「シロウ、リン。敵の反応は消えました」
「分かったわ。貴方も剣を仕舞った方が良いわね」
「……そうですね」
アルトリアは脅威が消えたことを確認しつつ、ミスエーデルフェルトへと視線を移した。突如現れたこの女性に対し、何か警戒を持っていても、とりあえず敵対の意思が無いことを示そうと、剣をしまう。
手に残るのは代行者の持つ『黒鍵』だ。アルトリアの魔力供給が消えるとその刀身が消え、柄だけがその手に残った。……実は、言峰の後任が来る前に凛に連れ出されて教会を家捜ししたときに見つけた武器である。
風王結界は宝具とは言え、風の固まり、不可視の魔術。ゆえにその名は『インビジブル・エア』。常識を無視した切れ味を誇りながらも、剣として使用できようとも、その本質は『鞘』であり剣ではない。
そして彼女は剣士、ならばその手にあるのは魔術の鞘ではなく、剣でなければならない。
投影した宝具を倫敦に持ち込むことは出来ないので、これが次善の策だった。
「それにしても酷い脅えようね、この子は」
「仕方ありません、あのゴーレムはそれなりでした。いえ、現代よりも神代の魔術の産物に近い『斬りにくさ』を持っていました。それを難なく壊してしまう人間を見れば、多少は恐怖をもつでしょう」
「ふうん? 対抗魔術の術式で宝具の切れ味を落とせるとは思えないし……何かあるわね」
ニィと笑う凛。こうなったら彼女には暫く近付かない方が吉の筈だ。ミスエーデルフェルトに至っては日本語が分からないのか『ホウグ? 何のことかしら』と呟いてアルトリアの手元を見ていた。
…って、それよりも先にする事があるじゃないか!
「だ、大丈夫か?!」
ぺちぺちと頬を叩くと、案外簡単に気づいてくれた。
わたわたと飛びのいて、凛の手に宝石が無い事を確認し、アルトリアの手に『見えない剣』が在るかどうか分からないことにおろおろとして、いつでも逃げれるように体勢を整えて……
「た、助けていただき、ありがとう御座いました」
声が震えているのは、いつも同じ目にあっているから良く分かる。
同情の目を向けたら、理解者の瞳が返ってきた。……物凄く悲しいや。
年の頃は14,5歳くらい。けど日本人の目から見ているのだから、もしかしたら後2,3歳は下かもしれない。
色素が薄いのか、金色がかった瞳にアッシュブロンドの髪。その髪もしっかりとうなじの所で結ばれているからか、アルトリアのような凛々しさがある。僅かでも化粧すれば十分美人になるだろうけど、多分男の子だ。先刻引っつかんだ時に、女の子の感触はしなかったから。……成長が遅いとかあるかもしれないけど。
という訳でその少年は、見事なまでに怯えながら自己紹介をしてくれることになった。
「えええええっと、もしかして貴方が『エミヤ』ですか?」
「? …ああ、そうだけど」
答えた途端、恐ろしいものを見たような目で、俺を見る少年。
オヤジの事でも知っているんだろうか、この視線は。
けれど少年は居住まいを正すと、多少混乱して入るけど、礼儀に叶った作法で会釈し、自分が何者かを名乗った。
「僕が貴方達をお呼びした魔術器物学科の学生で、人形遣いのクリストファ・クライストです!! うちの先祖が迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした!」
「あいつの……子孫だって?」
俺や凛、アルトリアにはかなり印象に残る出来事だったが、ミスエーデルフェルトは知らないはず……そう思った次の瞬間、彼女は『人形遣い』『クライスト』、そう口の中で小さく呟き、
「まさか、暗殺魔術師?!」
ザッと、今一度魔弾の宝石を取り出し、身を引いた。その手にある魔弾は、凛がかつてアインツベルンの森でバーサーカーに撃ち込んだ宝石と同じレベルに見えた。まずい、あれは致死量だ。
少年もその力に気づいたのか、大慌てで制止の言葉をぶつけるしかなかった。
「違います! …ええと、ですから暗殺魔術師クライストを倒した貴方達に、もう一度奴を倒していただきたいんです!」
「……は?」
と、物凄く間抜けな声が、俺の口から出た。
けれど凛もアルトリアも、似たような表情をしていた。