最初のうちは『華美な容姿を持ち、近寄りがたい雰囲気を持つ』と思っていた彼女は、実は気さくな所のある人で、最近は『お嬢様』ではなく『ルヴィア』と名前で呼んでも良いと言われている。
 が、そのことを言った当日、凛とアルトリアに笑顔は無かった。
『……リン、何か良い『呪い』はありませんか』
『指定されていない異性に触れると激痛が走る、というのはどう。半ば禁呪に指定されている危険なものだけど』
『ルヴィアゼリッタは要注意ですから、それも良いでしょう』
『じゃあ士郎が寝たのを見計らって……』

 その日俺は、一睡も出来ず、徹夜で画展に出品する為の絵を書きつづけていました。その真摯さが通じたからでしょうか、絵筆や絵の具に施した『強化』は物凄くすんなり成功しました。
 現実逃避でこれほど上手く行くなど、自分でも信じられません。それほどの改心の出来。……逃げたいって気持ちがそうさせたのでしょうか。……ハァ。

 正直に言います。
 こんな日々が半年も続けば、否応も無く慣れ――ませんでした。


Fate偽伝/After Fate/Again 第3章
第3話『似て非なるは赤の宝石、金の宝石』



 執事といった所で、半ばバイトの見習の俺じゃ『地下室で巨大メカの整備』『100Mロボのワックスがけ』『刀使いにボクシングで対抗』なんて事はしない。本職だって多分やらない。するのはせいぜい、召使の女性たちの手の届かない…例えるなら男手の必要な仕事ばかり。
 平たく言えば雑務だ。
 これなら長年の雑用人生――言って、少し悲しくなった――で慣れている。
 庭の端から館に梯子を立てかけ昇る。館の中から修理道具を手渡してもらい、宝石の粉を規則どおりに四隅に付着させる。それでようやく内側からでは取れない窓ガラスを壊れた木枠ごと外せる。
 しかしこうして見ると、思う事がある。
「防犯の為とはいえ、物騒だなー」
 と。
「どの辺りがですか?」
「そりゃあ勿論この窓。魔術で解呪しないで外側から弄ろうとすると、一瞬で昏倒するじゃないか」
「外から開けるのは泥棒でしょう」
 だからって忍び込んだ泥棒が、三階の窓の位置から昏倒すれば、多分間違い無く死ぬぞ? やっぱり魔術師ってのは、ある意味非情で非常識にならないと務まらないのだろうか。
「それって、中に協力者がいれば別じゃないか」
「つまり、犯罪意識にも反応する仕掛けを施せということですね」
 …?
 この声、メイド長だよな。でも何か違う気もするし。けど工具渡してくれてるし?
「他に危ない場所は有ると思いますか?」
「使用人部屋の冷蔵庫。勤務時間内に開けると、ひどい風邪をひいて強制的に休む事になる」
「仕事中につまみ食いをするさもしい精神には相応しいお仕置きですよ」
「それで病院で一週間も寝込むのはどうかと思うし、交代制で勤務時間外の人だって居るじゃないか」
「…それもそうですね。では個人識別能力を上げなくては…」
 何故だろう。
 戦闘向きの『アーチャーの心眼(真)』『アサシンの心眼(偽)』とかならまだしも、俺の生活の中で磨かれた勘が言っている。今すぐ口を閉ざし、迅速に仕事を終わらせ、疾風の如き速さで此処より逃げろと。
「それにしても、また時計塔で騒ぎがあったらしいわね」
「クリスがまた、ミリタリーゴーレムとか言う変な物を作って……何で『関係者による解決を』で俺が呼び出されるんだか……」
 砂袋を関節に突っ込んだら動作不良を起こす代物だったから良いようなものの……あれ、まともに動いたらかなりヤバイ代物だったぞ。遠距離戦用にミサイルポッドにバルカン砲、ついでとばかりに近接戦闘用の高周波振動ブレードにウォーターメス。……はぁ、最後は結局暴走するくせに、なんでああも高性能なゴーレムばかり作るんだ、アイツは?
「ミストオサカはどうしたのですか?」
「凛なら宝石け…って、なんでここで『ミストオサカ』?」
 メイド長は凛のことをミストオサカなんて呼ばない。ルヴィアと唯一対等に遣り合える彼女を尊敬と親愛を込めてリン、と呼んでいるはずだ。
 ……とすると、此処に居るのは……
「あのー、もしかしてそこに居るのは……お嬢様でしょうか?」
「一段落したらお茶にしましょう、五人分お願いします。分かりましたね、シロウ」
「……はい、ルヴィア」
 シ・ロ・ウ、と殊更強調されたイントネーション。さらには喉の辺りに何か変な石を当てているルヴィアに、人物像の修正を余儀なくさせされた。
『類似点:悪戯のタイミングの悪辣さ』

 心のノートに書き込んで、梯子を降りる事にした。ため息が漏れるのはどうしても止められない。
 ……何処で人生を間違ったんだろう?
 いや、あの事件がなければ俺は『アイツ』に成り果てていたってことは理解してるんだが……うん、まずそんな事はありえないだろうけど、もしあいつの姿を見たら、問答無用で張り倒そう。


 作業用のツナギを脱ぎ、館の制服に着替え、ティーセットとスコーンに数種のクリームを用意する。ワゴンをドアの脇に置き、緊張して扉をコンコンと叩けば、間をおかずに『入りなさい』と言葉が返ってくる。
「失礼します」
「他人行儀は必要ありません」
 分かりましたと答え、使用人の顔をやめる。
「で、今日は何があったのさ。仕事中に『来い』って言うんだから、また凛と一悶着あったんだろ」
 にこやかな表情の裏側に、遠坂そっくりの殺気の隠し方。ううむこの質と量、これぞまさしく職人芸。凛とアルトリアの二人がかりで鍛えられていれば多少は耐性もつくけど、やっぱり慣れるものじゃない。
「そんな事ありません」
 でも、と前置きして、
「その様な事、言わないでいただきたいものです」
「オーケイ、ルヴィア。それで、他のお客さんは?」
「奥の部屋に居ます。貴方も来て下さい」

 部屋に入れば、そこにはルヴィア以外にも見知った顔があった。
 出会いはかなり突発的だったが、今は馴染んでくれている彼は、普段どおりに挨拶してきた。
「こんにちわ、エミヤ」
「ああ久しぶり、…クリス」
 俺の声が一度止まってしまったのは、彼の手にあるのが『武器』のカタログだったからだろう。単純な白兵戦用武器から銃器、果ては兵器まで。
 クリスはそんな事に気を留めるそぶりは無く、ルヴィアに向かって注文を加えた。
「では、この投擲地雷に『追跡』、銃剣に『汚呪』、ミサイルポッドには『軽量化』をお願いします」
「分かりました、では料金は」
「はい、先日謎の壊滅をした武装強盗団のアジトに、なぜか落ちていた宝石類ですが、ちゃんと『綺麗』にしてあります」
「ええ、これならば。では納品は一週間後に」

 ……いや、すいません、その話についていく勇気がありませんでした。
 って、
「クリス、また変な人形を…」
「ええ、残念ながらこの体に魔術刻印はありませんから、人体の代替物とかは作れないんです。それで一番相性の良いのがゴーレムメイクですから」
「いや、問題にしているのはそこじゃなくて」
 何であんな聞いた瞬間に物騒だと思えるものを幾つも言葉にしているのか、それを気にしているのですが。
 しかもその相性のいいゴーレムも、毎回暴走しているし。
「ゴーレムは機動力には乏しいので、武装強化を行っているのです。幸い我がエーデルフェルト家は各方面への人脈を有しておりますの。クリストファとの仲介を行っているに過ぎません」
「その割には…」
「力を器物に蓄積させる。ミスエーデルフェルトの技術は素晴らしいですから」
「ええ。シュバインオーグを大師父とするエーデルフェルトの魔術、どのような魔術を相手取ろうとも遅れをとることはありません」

 ……まぁ、俺の知ってる魔術師とか魔術は無茶苦茶なのばっかだし……ましてそれは人間じゃなくてサーヴァントばっかりだし。

「エミヤ、何か言いたそうですね」
 俺の沈黙が気に障ったのか、彼女の目がこちらを向く。
 目にあるのは誇り、もし私の誇りを傷つける事を考えていたのならば許さないという雄弁な光だ。
「いや? 凛も宝石魔術については専門以外の人間に教えられる事じゃないって、詳しくは教えてくれないからさ、ルヴィアの事は凄いとしか分からないよ」
「それはそうですよ。僕だって人形そのものは商品でもありますからそれほど気にはしませんけど、作り出すための魔術の深奥は明かせませんよ」
「だよな。誰だって奥の手は持ってるものだし」
「…その言葉、シロウにも『奥の手』があるというのですね」
 まずった。
 やばい、あれだけはばれたら拙い。
「それについては黙秘権を行使します。使ったりばれたりしたら、凛とアルトリア二人がかりの折檻を受けるから……」
 予測されるのは転落人生。
 封印指定、逃亡生活、まともな糧を得る事は出来ない、手を染めるのは裏稼業、果てに……死?
 嫌だっ!
 ある意味アイツよか悲惨な人生じゃないかぁ!

『……むしろ理想を抱いて溺死しろ』
 はっ、何か突然あいつの声が聞こえた?!

「……エミヤ、その折檻というのは辛いんですか?」
「物凄く」
 その一言に、さしもの二人が黙る。
 認めてはいないが、ルヴィアは凛ととてもよく似ている。ならルヴィアが想像する折檻とは一体、という事になれば、彼女の想像する俺の未来は、きっと正確なんだろうな。
 ……話を変えよう。
「魔術といえばさ、俺の知ってる魔術師とか魔術とかって、ただでさえ無茶苦茶な魔術ばっかりだと思ってね」
「少し気になりますね。シロウ、聞かせてもらいましょうか」
 …矜持に触れたんだろうな、目がちょっと怖い。
「俺の知ってるのって、時計塔で見聞きしたのを除くと聖杯戦争の時にサーヴァントが使ってた奴くらいなんだよ」
 聖杯戦争、のくだりで二人が息を飲んだ。
 そういえば聖杯戦争って、結構情報が制限されてるとか言ってたよな、有名な割に? 協会は教会に、教会は協会にほんの少しでも情報を渡したくないとか。しかも俺達が巻き込まれた時の監督者は言峰だったから、両方とも碌な情報貰ってなかったらしいし。
 ……さわり位なら、良いよな?
「学校一つ丸ごと囲って、生徒を溶かして血肉ごと魔力を喰う結界とか」
「悪趣味な」
 ライダー……結局正体は分からなかったんだよな……誰だったんだろ?
「大挙して襲ってくる、壊しても壊しても湧き出してくる竜牙兵」
「竜牙兵? …触媒が竜種の牙ですよ。そんな物を幾らでもって…材料がありませんよ、現代の魔術師じゃ無理です」
 キャスター……アーチャーの『破戒すべき全ての符』を目にした今なら、解析した今なら分かる。あれは神代の『コルキスの魔女メディア』だった。ただ、ルールブレイカーに刻まれた、メディアの過去、あれは魔女なんかじゃなかった。
「魔術も使えないのに、日本刀だけで『多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)』を再現する侍とか」
 あれには参った。
 何しろ、聖杯戦争の時は何時の間にか居なくなってたくせに、夏には臓硯の手下になって復活してきたし。アーチャーが現界してなかったら、絶対に『この世全ての悪』が受肉していたよな、あれは。
「待ちなさい! そんな事が出来るはずは」
「そんな事が出来るのが『英雄』で、そんなのが戦いあうのが『聖杯戦争』だったんだよ」
 ギリ、と爪を噛むルヴィア。
「何故、私はその場に居なかったのでしょうか……!!」
 その辺は聖杯にじゃないと分からないけど……まあ、場所が遠かったとか……あ、イリヤのアインツベルンも遠いよな。その辺の基準ってどうなってたんだろ。…シード権でももってたのかな、製作者の末裔だし?
 ――って、
「? クリスはどうも思わないのか?」
「いえ、結局誰も聖杯を手に入れられなかったんでしょう、結果が無意味なら経過にこだわる意味も無いと思って」
「拘ります! 私たち宝石魔術師全ての悲願を東洋の島国のサムライなどという剣士が再現したですって?! これを憤らずにどうしろというのですか!」
 結構、感情的なところもあるんだなぁ。
 凛そっくりだぞ、あいつの剣を見た直後の。
「それでエミヤ、他には見なかったのですか? 宝具の力なども…」
「……! コホン、私も興味はあります。人間が手に入れることの出来る最強の力の一つ『宝具(ノウブル・ファンタズム)』、その力を」
「って、俺の見た限りだと……アーサー王のエクスカリバーとカリバーン、クー・フーリンのゲイボルク、ヘラクレスの十二の試練(ゴッド・ハンズ)、アーチャーの……」
 あいつの宝具、固有結界……あれは……言えない。
 何かあったとき、この二人なら黙秘してくれそうだけど……全く同種の心象世界なんて他人が持つはずは無いしな……。
「アーチャー? エミヤ、続きを」
「……英雄王ギルガメッシュ、この世全ての財、全ての宝具を収めた蔵の宝具『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』と世界を創造した『乖離剣(エア)』」
 全ての宝具、という言葉に二人の動きが止まる。
 アルトリア……セイバーに『全て遠き理想郷』がなければ、絶対に勝てなかった。
「どうやって倒したのですか!?」
「それは……俺は見てなかったから。でもきっとアーサー王が倒してくれたんだよ」
 言峰と戦っていたから。
 言峰と戦って……殺したから。
 あいつは間違いなく『悪』だった。だけど一人の命だった。それを忘れてはならない。


 注がれる紅茶――凛曰く、アーチャーの方がまだ数段美味い――をルヴィアはどこか楽しそうに見ていた。
 きっと俺の表情を見て、話を変えてくれたんだろう。彼女に言うと怒るけど、そういう所は凛にそっくりで優しいからな。
「それでシロウ、あなたの修行ははかどっていますか」
「絵、それとも魔術?」
「自分の弟子でもない魔術師の進歩を気にする事も無いでしょう」
 という事は絵か。
「…技術だけならかなり上達したって言われるよ。この間も最終選考まで残ったし」
 偽物を作る…というのは言葉は悪いが、模写というのは上達のために特に役立つ。そういう意味では、徹底的に隠さなければならないほどの解析能力というのもありがたい。
 そんな俺にかけられる温かい言葉は大抵、
「魔術師ではなく、画家になったほうが大成するのではなくて」
 という温かいお言葉ばかり。
 …今もかけられてしまったが。
「大体、魔術の腕も中々上がらずに失敗ばかりしていると聞きますが」
「そういえばこの間、なんか爆発させてませんでしたか? ほら、失敗作を廃棄する為の爆発物処理場を吹き飛ばした――」
 ちっ、あれを見られていたか。
 失敗作のカラドボルグIIを破棄しようとして、つい『壊れた幻想(ブロウクン・ファンタズム)』やっちまったのを。
「物凄い爆発でしたからね、時計塔が物理的に揺れるなんてそう滅多に無いですよ」
「し、シロウがやったのですか、あれを!」
「まー、所詮失敗作だから」
 ぎらり。
 何十人と人を切り殺した刀に光が反射すればするかもしれない、そんな光。
「何を、しましたか、シロウ」
 一言一句、区切りながらの発言。
 怖い、怖いぞ、これは本当に!
「もしやとは思いますが、それを創り出したのはミストオサカ、ということは無いでしょうね」
 意識するのは盾、たとえどんな攻撃が来ても防ぎきれる盾、『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』すら超える盾を……まさに『全て遠き理想郷(アヴァロン)』の如き――I am the b――だから待て!
 こんなところで使ったら、もうどうしようもなく封印指定食らって逃亡生活だぞ!!
 何か――誰か――この場を収めてくれる偶然に来てもらえたら――

 コン、コン。
『――お嬢様、ミストオサカ、ミスアルトリアがいらっしゃいました』
命拾いしましたね、シロウ。――こちらに通しなさい」
『はい』
 ……ありがとう、ありがとう、誰か分からなかったけどたぶんメイドの人。
 これで何とか今日は生き延びられる……!!


 そんなわけで、色々と考えているうちに……残る客がきた。
 いつも見ている、いつでも見ていたい、けれどここでだけは見たくない顔。それは我が師匠にして同居人の方々と、年下の友人。
「お招きに預かり光栄ですわ、ミスエーデルフェルト」
「いえ。貴方がたをお迎えでき、私こそ光栄です、ミストオサカ」
 ざらりと。
 雪崩とか、氷河の崩落に巻き込まれたような……大量の氷雪が部屋の中を不自然なほど自然に飲み込んだ。これは錯覚では無く、この状況を正確に表す為の表現。それほどなのだ、ここは。
 俺の後ろに、アルトリアがクリスを庇うように立つ。……って俺が盾になるのは前提か、アルトリア。
「喉が渇いていられませんか? まずはお茶でも如何でしょう」
「いえ、お気になさらずに。私たちの間に、そのようなお気遣いは無用ですわ」
「そうですわね」
 今ここに背景をつけるなら、書割には70年代スポコン少女漫画のように『オホホホホ』とでも書いてあるんだろうな。
 正直言って、頭痛がしてきた。
 これは魔術の使いすぎの時に起きる、頭の割れそうな頭痛とは質は違うけれど、精神的に感じる苦痛は上回っている、絶対に。
「まあ、あの二人は置いといて……」
 こうなったら俺に出来る事は無い。仕方ないから諦めた顔のアルトリアと、怯えの隠しきれていないクリスと話すくらいか。
「アルトリア、ここに皆を集めたのは凛なのか」
「いえ、それはルヴィアゼリッタですが、彼女にここに私たちを集めるよう進言したのは」
「はい、僕です」
「何でさ。まだあいつは見つかっていないんだろ」
 その言葉にクリスは首を振り、
「噂を聞いたんです。『時計塔の上層部の誰かと暗殺魔術師シュトラウス・クライストが接触した』という」
 そう言いきった。
「……アイツが、すぐ近くに」
 イリヤを狙って、結局切嗣を操っている積もりで操られ、その果てに倒された魔術師。
 直接会いはしたが、アイツの戦いそのものを見ていなかった俺には分からない部分が大きい。言葉だけで結果を判断するなら間抜けそうだが、厭らしい攻め手をもつ危険な魔術師とアルトリアは判断したそうだ。戦闘用の人形には古代近代現代の違いなど無く、ただ緩慢な死と、突然の死だけが其処にあったと言う。風王結界という『風』と、地下という限定された空間、常時放出される魔力の壁。それがあるからこそ防げたと彼女は言う。
 ギリリと歯を食いしばる。
 あの時の『二度目の死』は、決して忘れない。
 悪となってでも正義を貫こうとした、大切なものの為だけに戦う男の姿を。
 だから俺は決断する。
「ルヴィア、済まないけど今日は早退させてくれ。やらなくちゃいけない事が出来た」
「構いません。ですが私も同行しましょう。友人を危険に追いやらなければならない…それは私としても本意ではありませんから」
「いえミスエーデルフェルト。これは私達の問題です、弟子の仕事先の上司とはいえ、貴方の助成を求めるほどではありません」
「雇用者の義務では無く、シロウへの友情と理解してください」
「友人であるならば、それ以上踏み込んではならない場所があることもご存知でしょう」
 ……あー、蛇とマングースの幻覚も、最近じゃ見慣れたなあ。

「ちょっと気になったんだけどさ」
「……シロウ、このような時に貴方が話を振ってくるのは、他人に聞かれては拙い事である場合が多いのですが、それでも発言するつもりですか」
「? いや、拙い事を聞くつもりは無いけど…」
 そんなに変な事ばかり言っているのか、俺は。
「何であんなにムキになってるんだろうな、ルヴィアは。そう思っただけだけど」
 ピキリと。
 俺以外の全てが凍った。
 ただ、氷の中にチロチロと燃える炎が見えた気もするが、精神的な安寧を得る為に無視する事に決めた。
「このような質問も今まで何回もしました。それでも聞くこととしましょう。……シロウ、本気で聞いているのですか」
「ああ、そうだよ」
 全員が共通して『処置無し』と言う顔をする。……なんでさ。
「何だよクリス。そんなこれから処刑される人間を哀れむような顔なんかして」
「気にしないでください、そんな気分なんです」
 ……で、何で『そんな気分』で見ている先に居るのが俺なんだ?
「ミストオサカ。エミヤは本当に、本気で言っているのですか、今の言葉を」
「ええ。あれが衛宮士郎と言う人間よ」
「……胸中、お察しします」
「……ありがとう」
 そこ、何か失礼な事言わなかったか?


>interlude


 ルヴィアは、士郎が着替えの為に退出したのを見計らって言葉をかける。
「先ほどシロウから聖杯戦争で見たという魔術や宝具について話を聞きました」
 僅かに緊張が走る。
 それは、凛にとってもアルトリアにとっても忘れることの出来ない過去。
 引き起こされた数々の事件とその悲劇。
「……ミストオサカ、貴女もマスターとして参加していたと以前聞いた覚えがありますが、そのサーヴァントは一体どのクラスだったのですか」
「答える必要はありません。ミスエーデルフェルトが知らないというのなら、情報が制限されるだけの理由があると判断されているのでしょう、ならば私の口から語ることでもないでしょう。ただ、言えるのは――」
 よぎる想いは複雑すぎた。
 アーチャーの召還、ランサーの襲撃、士郎の心臓の修復、イリヤとバーサーカーとの遭遇、柳洞寺への突入失敗、校舎とビル屋上でのライダーとの決戦、アインツベルンの森、キャスターを瞬殺するギルガメッシュ、教会、柳洞寺に召還された聖杯。
 マスターやサーヴァントに傷つけられ、そして命を無くした顔も名前さえも知らない多くの人たち。
 彼女自身が体験したこと、士郎が語ったこと。
 一朝一夕に、ましてや興味本位の人間に語れることではない。
「――それが本当にあなたの誇り、矜持を傷つけてでも聞き出したいことなら答えるわ」
 挑む目。
 遠坂凛という魔術師の瞳。いや、魔術師というだけではない、遠坂凛という人間の全てをもって話すことを拒絶する。
「―ミストオサカ、貴女……」
 それは僅か一瞬とはいえ、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトという存在を真正面から押し切った。
 これ以上は本当に戦いになる。それを察知してアルトリアは間に入る。
「リン、ルヴィアゼリッタ、そこまでです」
 彼女の手には、既に風王結界が握られている。
 見えない剣、しかしその力は誰にも感じられる。
「クリストファ、貴方も構いませんね」
「う、うん…」
 凛が挑む目なら、アルトリアは断ずる目だ。逆らう者を許さず、裁く者の目だ。
 ――それでも。
「聞かせてもらいましょう、聖杯戦争が何を引き起こしたのか。貴方たちの態度でますます興味を持ちました」
「魔術師であろうとするその態度、立派ですねミスエーデルフェルト。ですが人間として最低の部類よ」
「私は魔術師です。貴方も魔術師であるなら、それを理解できるはず」
 根源に至ろうとする魔術師の執念は消える事は無い。
 ルヴィアゼリッタは心底(・・)魔術師だった。
 そして遠坂凛は魔術師として、彼女に僅かに劣った。その分だけ人間として勝る。
 だから、衝突する。

 表層心理、深層心理、能力、似た物を持ちながら、決定的に違う。衛宮士郎という人間であろうとする、正義の味方であろうとする半端者の魔術使いが、彼女を人間に押しとどめる重りになっている。
 その不自由さがどれほど大切なものか。

「繰り返しますが、話す気はありません」
「――此処が何処だか分かっていらっしゃるの?」
「――貴方の工房、他の魔術師にとっての鬼門」
 互いに持つのは魔弾。
「分かっているのなら」
「――くどい」
 たった一言開放の呪文を唱えれば、それだけで内に秘められた力を放出する、大魔術にも匹敵する一工程の魔術。欠点は、こんな室内で使うような魔術では有り得ないという事だ。
 起動に必要な魔力、そのほんの僅かなそれが生まれた瞬間……二人の間に生まれつつある魔力、それを吹き消すほどの膨大な魔力が迸った。
「其処までと言った筈です、ルヴィアゼリッタ。これ以上の狼藉は私が許しません」
 違う。
 一歩引きこの場を見ていたクリスも、直接あてられた凛とルヴィアも、此処に居るのがいつも生真面目で融通の利かないアルトリアという人間でないことを力ずくで知らされた。
 彼女を知る凛だけが、それが戦乱のイングランドを守り抜いた英雄アーサー・ペンドラゴンの姿であると知っていた。
 だが知っているだけで、理解しているだけで、恐怖に晒される本能を押さえ込むことなど出来ない。知らない二人にはなおさらだ。
「貴女方が望むなら、私はこの身に課した全ての制約を振り払って戦います」
 それはただの宣言。
 それはただ戦う意思を提示したのみ。
 それは馬鹿馬鹿しいまでに、命を刈り取るという事実を突きつける。
「私はミスエーデルフェルトが領域に踏み込まない限り――自ら戦うことは無いわ」
「……分かりました、今は私が引きましょう」
 今までのこと全てが嘘だったかのように、いつもの二人に戻ってしれっとのたまった。

 そのタイミングを見計らったわけではないだろうが、コンコンというノックの音が鳴り、返事を聞く前にドアが開いた。
「お待たせー。いや、みんなからお土産だってパイ貰ってさ、早く帰って……あれ?」
 全ての毒気を流してしまうような、無害そのものの笑顔。
 しかもその手にあるのはバスケット。
 漂ってくるのは甘い香り。
 やる気を削がれてルヴィアは部屋の中に居る人間全てを見て、凛に向かって複雑な顔を見せる。
「ミストオサカ、シロウはよく『タイミングが悪い』『タイミングが良すぎる』と言われるのではないですか」
「……私が言いたいわ」


>interlude out


 酷い一日だった。それは間違いないのに、それが日常になっているのは何故だろう?
「何か……大切なものを踏み違えたような気がする」
「気の所為じゃないわよ」
「ええ、違いますね」
 もしかして、言葉にしてました?
 聞くまでもないでしょ、なんて笑顔をダブルで返されてしまった。
 ……しかし。
「凛」
「…何?」
「前から聞こうと思ってたんだけどさ、他人の体を乗っ取る、なんて事が出来るものなのか?」
「蛇……そう呼ばれる吸血種が『転生』という魔術を操っているって聞いた事はあるわ。似たような何かで、儀式を施した体を奪う……それが出来ないって道理も無いもの」
 ボソリと『自分の分身や本体を潜り込ませる方法もあるもの』と、かつての事を悔いるように零した。
 あれには……俺も気づけなかった。だから、凛だけが悪いわけでもない。誰もが……ほんの少しだけ悪かったんだ、それが桜に不幸を……!! でも桜は笑ってた、助けてくれてありがとうって、言ってた。
 アルトリアもそれを思い出してか、表情に取り繕った所がある。
「可能性はありますね。話によればクリストファの体には魔術刻印があったそうですが、彼の家に魔術師は居ません。ですから、それを刻んだのは…」
 魔術刻印を刻むのは、刻まれるのは常に魔術師。そうでなければ意味を失う。とすればそれを施せるのはただ一人。
「クライストね」
「はい」
 そこまで話して、一度会話の流れが止まった。
 言い難い事を、どう言うべきなのか困っている顔で凛は悩んでいる。こういう時に下手に声をかけてはいけない。彼女が彼女なりの答えを出すまで、こちらは沈黙を守るべきだから。
 即断即決を常道とする彼女には珍しく、数十秒の時間が過ぎ、アルトリアに話を振った。
「―では私から。ルヴィアゼリッタに招待の電話を受ける少し前のことです。時計塔執行部より、関わりを持つ私達にクライストを討て、との要請がありました」
「要請…?」
「便宜上はね。実質は拒否を許さない命令(・・)よ」

 ハァと嘆息する。
 終わりはまだ見えない。
 けれど――
「カラクリは見えてきた」
「手口は分からない。でも黒幕は分かったし、多分目的も」
「敵がクライストである以上……おそらくは、地に落ちた自分の名を回復させる為の復讐でしょう。あの手の人間は、昔からその程度の事に拘りますから」
 名誉が生きる証だった時代に生きた、彼女が言うからこそより重みのある響きに彩られる。
 俺にもそれが、真実だと分かってしまうほどに。
 ……あの男が、また来るのか。
 それも、俺を殺す為に。

 話題のせいで部屋の中が鎮まってしまった。
 それを思ってか凛は、ポンと一つ拍手を打って、ああどうして今まで忘れていたのかしらと前置きし、さも今思い出したという風に、波乱を巻き起こすだろう言葉を言った。
「そうそう。時計塔からの連絡がショックで言い忘れてたけど、士郎が出てった後に桜とイリヤから連絡があったわ」
「え、二人から?」
「そう。あの子マキリの後継者ってことで、時計塔の編入試験パスになったの。で、手続きとか色々あるから何日か泊めてほしいって」
 言われ思い出してみれば、日本を出てからずっと会っていない二人。
 久しぶりに会えるとなれば、正直嬉しく楽しみである。
 桜はきっと綺麗になっていることだろうし、イリヤもあの年頃の女の子は一気に成長するだろう。
 あれ……?
 時計塔の編入試験、桜は免除になったのか……て、受験……免除?
「こんなに急に免除に?」
「そうみたいね。養子縁組がどうとか……そのあたりはともかくとして、今の桜はマキリの後継者である事に間違いは無いもの」
 彼女は一人前の魔術師である、そう言おうとしたのだろうか。
 なにか、引っかかる。
 それは所詮直感めいたものに過ぎないのに、見逃してはいけない何かがあるような気がしてならない。
 けれど今それが何を意味するのかは分からない。
 ただ確実なのは、此処にイリヤと桜の二人が来る事。
 なら、改めて確認するまでも無い未来が想像出来る。
「また騒動が起きるのか? これだけじゃ…済まないのか?」
「諦めなさい士郎。それは貴方の運命よ」
「済まないシロウ、私は貴方を守る盾になると誓ったのに……」
 アルトリア、それは俺を見捨てるという事なのか?
 ああやはり、世は無常……。


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