魔術師は、辿り着けないと知っていながらも真理たる魔法へ近付こうと、代を重ねて探求を続ける。閉鎖的な環境で生活し、また自分が魔術師であると他人に知られないようにする為に自分を律しつづける。
だが魔術回路の喪失、家系の断絶……そのような何らかの理由で探求の手が途切れてしまったらどうするのか。高い能力を持ちながらも、何の知識も持ち合わせていなければ役立ちはしないではないか。
その様な事態は、全体の損失に繋がる。そう考えれば、魔術師のための教育機関が存在するのは、別段おかしな事ではない。
魔術師は、一般人と比べれば幾分…変わり者に分類される人間である事が多い。
そんな彼らが大勢集まる魔術師の最高学府、時計塔。学部の一つ『鉱石学科』では、ある『警告』が飛び交っている。
『トオサカとエーデルフェルトがかちあう授業には出席するな』
このトオサカというのは遠坂凛のことであり、エーデルフェルトと言うのもやはりルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトに相違ない……あまり認めたくないが、事実なので目を背ける事は得策ではない。
しかし、俺は専門的な知識を殆どもたない『魔術使い』であり、遠坂のように専門的な教育を受けることは出来ない。だから今は、初級者に混じって基礎的な魔術の修得に勤しんでいる。
第一、衛宮士郎の魔術はただ一つ『固有結界』だけ、他の魔術『強化、投影、解析』は其処から漏れ出るモノに過ぎない。しかしそれは使えない。魔術師協会は固有結界を禁呪とし、使い手の俺を『封印』と称して生涯幽閉する公算が高いからだ。
だから、そこから漏れ出たものを使うのだが……それでも、投影を見られればバレる可能性もある。事実、遠坂にその可能性を看破された事だってある。すると使えるのは結局の所、オヤジに習って訓練を続けてきた強化と、遠坂やここで習った初級の魔術くらいのものだ。
衛宮士郎の属性は剣。なので、剣以外のものにはパスを作りにくく、剣以外のものといっても、それの武器としての能力を強化するしかない有り様だ。
「――
座を組み、目の前にあるランプの構造を読み取る。
普通の魔術師であればランプの構造を読み取るのではなく、必要な情報だけをピックアップするらしいが、俺にとっては解析しようと意識しただけで構造の全ての情報を解析する事になってしまう。
それでも、通すべき魔力の位置だけはわかるから――そこに意識を向ける。
「――
イメージするのは明るいランプ。ほんの僅かな燃料で、明るく静かに輝く姿、それをイメージして強化のために魔力を注ぎ込む。
慎重に慎重に、あの頃に比べれば格段に進歩した……強化の魔術を行使する。
魔力による強化を終え、ランプに破損場所が無いかを確認するが……壊れた所は……無さそうだ。
「よし、見た目はうまくいった。じゃあ火を点けてみるか」
ゴウッ!!!
確かに『明るいランプ』だ。
だがこれは、
「……火炎放射器?」
呆れたように横からかかる凛の声、眼前で踊る吹き上がる炎を見て、やはり日常品でさえ武器になってしまうのか……そう落ち込むしか出来ない俺だった。
Fate偽伝/After Fate/Again
第3章
第4話『過去より来る、未来への警告』
>interlude 4-1
衛宮切嗣が聖杯戦争の拠点として利用し、現在は息子である士郎に相続された衛宮邸は、士郎の知人であり恩人である藤村雷画により管理されている。
ただ管理するのなら、其処は無人の屋敷であるだけで、人が居ないゆえの寂しさのようなものが占拠するはずだろう。しかしこの家には血縁も何も無い人間を集め、過ごさせる……暖かさのようなものが満ちている。
間桐桜はかつて生まれ育った遠坂家に住み、管理をしている――しかし掃除の際など、遠坂秘伝の魔術の隠された工房に偶然近寄って、酷い目にあったことも少なくは無いのだ――が、それでも食事を衛宮邸で取る事が多い。
これは一人で食事するのは寂しいからであり、屋敷の主人が渡英した後でも当たり前のようにこの家に食事を取りに藤村大河とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが訪れるからであった。
だから桜は、時計塔の入門試験を受けるため――実際には免除になったが――数日間とはいえ渡英する事になったその当日でも、衛宮邸を訪れての朝食作りに余念が無かった。
士郎達に会える、そんな事を考え嬉しくなっていたからだろう。
「きゃああああ?!」
焼き途中の魚の切り身に、香りつけのつもりで振った胡椒が……ドサリと出た。
あうあう言いながら、桜は切り身の上に降り注いだ胡椒を取り除こうとする。
「気が緩んでいるのですか、サクラ」
「あっ、セラさん…」
ここ何日か失敗の多い桜を見かねてか、離れに居たはずのセラ――衛宮邸の管理人――が、彼女にしては珍しく微苦笑を浮かべながら声をかけてきた。
「シロウ達に会えるから浮かれるのはわかりますが、そのせいでお嬢様の朝食が不備になるのでしたら見過ごせません」
「だ、大丈夫です、昨日みたいな失敗はもうしませんから…」
桜は何か思い至る事があるらしく、これ以上無いほど不審な動きをする。
セラは僅かに目を細め、無理やり自分を納得させようと一つ頷く。
「それならば貴女を信用いたしましょう。…準備は終わったのですか」
「ええ、昨日のうちに終わらせましたから。…セラさん、イリヤちゃんの準備は終わったんですか」
「シロウ達への土産物を選んでいるらしく、邪魔だからと追い出されてしまいました。後どのくらいかは分かりませんが、少なくとも…もう暫くかかると思われます」
再び彼女らしい無表情に戻りながら、自らの主人に対しての言葉を選んで状況を説明する。
土産、といっても士郎の性格からすれば彼女ら自身の来訪こそを一番に喜ぶだろう。だからと言って手ぶらで行くなど出来よう筈が無い。日本でしか手に入らないだろう物を、サクラは苦心して見つけていた。
そんな頃、離れに――何時の間にか――作られたイリヤの部屋。
其処ではイリヤが、とりあえず数日分の着替えを入れたトラベルバッグに、ついでとばかりに、どう考えても税関を通るはずの無いものを入れた。流石にそれを見咎めたのか、リーズリットが窘める。
「イリヤ、それ、流石にまずい。国際法とかレッドデータブックとかワシントン条約とか色々」
「大丈夫よ、ちゃあんと誤魔化せるから」
どの辺が大丈夫なのか、それはリズだけで無くイリヤにも分かっていないだろうが、それで話は無理やり流されてしまった。
言いつつ、怪しげ極まりない護符をバッグに取り付ける。それはストラップのような小さな飾りだが、彼女が取り付ける以上、到底まともな物ではあるまい。ちなみに形状は何故か『ホワイトタイガー』であるあたり、大河に汚染されている可能性は高い。
「イリヤ。サクラが呼んでる」
リーズリットのいつまでたっても怪しげな日本語。最近では『フリ』では無いかとイリヤたちは疑っているのだが……その真実は彼女にしか分からない。
『桜ちゃーーーん、お腹空いたよう! 今日の朝ご飯、なにー?!』
その声を聞いて、イリヤは苦笑するしか出来なかった。
イリヤがとんとんとんと軽い足音を立て、後ろからはぎしぎしと床を軋ませるリーズリットの足音が響いている。その手にはイリヤの荷物があった。大きさそのものは標準的なトラベルバックと変わらない。
イリヤが持つ時には軽量化の魔術がかけられるのだろうが、リーズリットはその本来の重さを抱えているのだ。この足音は、それ本来の重さを感じさせる。
「イリヤ、これ。空港で検査の時、怪しまれる」
荷物検査でイリヤのような小さな子供がこれだけの重量のある物を楽々持てば、流石に魔術のことはバレはしないだろうが、不審感をもたれてしまうだろう。その辺はイリヤも先刻承知らしい。
得意そうな表情を作って、指をぴこぴこ揺らす。
「…重過ぎるものね。でも大丈夫、ちゃんとカートも用意するから」
てくてくと歩き、居間の襖を開け、いつもの表情で――
「おはようサクラ。…タイガ、なに、あの挨拶は」
「おはようございます、イリヤちゃん」
「……挨拶って、何よ」
「挨拶は挨拶よ。お腹空いた、朝ご飯なに。そんなだからライガや組の皆に『いかず後家予備軍』なんて言われるのよ」
「お、お祖父様まで?! くっ、それでもいいもん、いざとなったら士郎に貰ってもらうもの…」
「駄目ですっ!」
「タイガには無理ね」
「残念ながら」
「……」
怒る桜に、あっさり否定するイリヤ、無表情なセラ、無言で首を振るリーズリット。繰り返すが、共通するのは否定の意思だけ。
それにショックを受けたのか、タイガは驚愕を顔に張り付かせて立ち上がり、常の如く吼えた。
「桜ちゃんと白い小あくまどころか、リズとセラまで?!」
召使は主人の後に食事を取る。
そういった決まりらしく、一緒に食べたいと言うリーズリットを窘めながらセラは別室にて待機するので、居間で食事を取るのは必然的に桜とイリヤとタイガの三人となる。
こくこくはむはむぱくぱくがふがふごっくん。
まさに『飢えた虎』に相応しいペースで朝食を食べる…否、口の中に放り込む、それとも胃袋に投げ捨てる、か。健啖家と言う言葉程度では納得できない光景が繰り広げられている。
そこをほんの数十センチ移動すればしずしずと、しかし中々のスピードを誇り、しかも勢いの衰えない食事風景が繰り広げられている。
この光景を見ただけでお腹一杯と言わんばかりに人並みの量しか食べないイリヤなど、逆に食が細いのではと心配になってしまうだろう。
そんないつもの食事風景の中、大河は口を開く。
「大体一週間くらい、だったかな?」
「はい。向こうでの手続きとか…色々ありますが、そのくらいで戻ってこれると思います」
「で、イリヤちゃんは行くのに何で私はお留守番なの?」
私も旅行に行きたいのに、そう言っている。
おくびにも出さずに二人は苦笑する。
何しろ行き先はイギリスの霧の都ロンドン……と、ここまでは良い。ただその後に続くのは、対外的には美大になっているがその実体は、あろうことか奇人変人異端の集まり、魔術師の殿堂『時計塔』なのだ。あんな所に行って、もし何かの拍子でばれようものなら……記憶操作は免れまい。
それはあまり楽しい事ではない。
「で、でも藤村先生はお仕事があるじゃないですか。ほら、今年の三年生の進路の事が…」
「あーもーそれいーの。この時期になったらもう教師に出来ること無いし、後はみんなの頑張り次第。だから私がどっか行ったって問題無いんだってば」
確かにそうかもしれないけれど、どこか無責任に聞こえますね。そう言いたいのを必死で抑える。
「終わったらシロウたちを連れてくるから、タイガもみんなを脅かすくらいの料理を一品くらい作れるようになってなさいよ、本当に『いき遅れ』になりたく無いならね」
ニマリと。
「う、ならイリヤちゃんはどうなのよ」
結婚適齢期の女性が、少なくとも外見的にはそれ以前の少女に挑みかかるようにぶつかっていく。
しかしイリヤはするりとかわす。
「まだ猶予期間を楽しませてもらうわ。いざとなればシロウの愛人にでもなるから」
きしりと。
何かが壊れるような音が、桜のこめかみあたりから聞こえた。
にこやかな笑みが、嘘臭い。
「イリヤちゃん、どういうつもりですか」
「別に? 好きな人と一緒に居れれば良い、そう思っているだけだもの。正妻云々に拘るつもりも無いし」
それは、アインツベルン一千年の狂気の中で、ただ聖杯たれと育てられた彼女にとって、愛情やくつろげる場所があるのなら体裁に拘る必要は無いと思っているのではないだろうか。
士郎の側がどう思うのかは別として。という但し書きが着くのだが。
しかし桜は違う。
彼女はイリヤと非常に似た運命を突きつけられ育ってきたが、イリヤと大きく違う点に執着心の強さがある。それが例え血を分けた姉であったとしても、絶対に渡せないと憎悪を掻き立ててしまうほどに、強い闇を持っている。
それを察してか、助言を入れる。
「大丈夫よ。リンもアルトリアも『協定』を守っているみたいだし、サクラにもチャンスはあるわ」
その情報をどうやって手に入れたか、それについては口を噤むが、代わりにその横で『組』関係の人間の女性関係の姿を思い出し、自分がどれほど染まっているのかを思い出して懊悩するタイガーの姿があった。
そんな、いつも通りの騒がしい朝食が終わり、時間は過ぎる。
乗り込む便は、到着時間が向こうの朝になるように調整する事に決めていた。だからトランプなどで遊びながら時間が来るのを待ち、二人は藤村雷画の用意した車――仁侠映画並みに立派な、全面防弾仕様のベンツ――に乗り込む。しかし誰もこの車が『そう言う改造をされている事』を知っていながら無視をする。
「じゃあリズ、セラ。一週間だけど、タイガのお世話、お願いね」
はい、分かりましたと頷く二人。
しかし流石に聞きとがめたのか、大河は顔に不満を張り付かせる。
「ちょっとイリヤちゃん、それどういう事」
桜とイリヤは顔を見合わせ、ふうやれやれと言わんばかりに、目をつむった挙句に首を振る。
「な、何よ二人とも…その顔は」
「藤村先生、確認しますが……春休みに私たちが小旅行に出かけて三日空けた時、この家がどのようになってしまっていたのか……お忘れでは、ありませんよね?」
にっこりと、真っ黒な悪魔の笑みを浮かべる。
士郎がこの場にいれば、やはり姉妹だと項垂れる事は間違いないほどに素敵な笑みだ。
「う」
「ライガに言ったら、お小遣い減らされちゃったもんね」
「う」
「…先生、まだ貰ってたんですか」
「う」
段々と追い詰められて行き……
「うわーん、悪魔っこが増えたよう、士郎、かむばーーーっく!」
そんな叫びがこの一週間毎日轟く事に、近所の住人は腹と頭を抱えて笑っていたそうな。
>interlude out
――夢を見ていた。
夢というのは願望であり幻想であると同時に、単に整合性を持たない記憶でもある。これは俺の体験した事の無い物であるが、願望ではないし、幻想でもない。
どうやら俺以外の俺からもたらされた、記憶であるらしい。
これはまるで万華鏡、子供の頃に見た、玩具のカレイドスコープ、それとも遊園地のミラーラビリンスか。それぞれ炎に囲まれた、等しく剣の突き立てられた、本質を異にしながらも等しい大地。幾十、幾百、幾千と、認識さえ出来ないほどそれは永遠に続いている。
『ついに…終に此処まで来る者が現われたか』
言葉を発するのは俺以外に唯一ここにある、剣以外の存在だった。
白い髪、褐色の肌、黒い鎧とズボン、赤い外套を着た魔術師の英霊。
俺は自然に、そいつの名前をそう呼んだ。
『アーチャー……いや英霊エミヤ』
『久しいな。と言っても私に時間の概念は無い。ふむ、どうやらお前は『アルトリアに再会した衛宮士郎』のようだな』
『ああ』
違和感があった。
こいつはアーチャーでありながら、決定的に違う何かが。ならばこの、かつて見たアーチャーとも守護者エミヤとも違うコイツは一体何者か。
『此処は英霊の座、そして私が英霊エミヤの本体と言うべきか』
分身ではなく、本体。
あらゆる場所、あらゆる時代に召還される英霊エミヤの情報のすべてを知る存在、エミヤ。
その顔にはただの人間である俺には想像も出来ないほどの時間の積み重ねがあった。それはかつて見たエミヤとは決定的に違う。それは一体何が違うのだろうか。俺には分からない何か、それが違うのだけは確かだ。
『英霊の座……ならいずれ、俺もここに来るのか?』
『違う』
エミヤは断言した。
『全ての平行世界において、英霊になることを選んだ衛宮士郎はここに辿り着く。永遠に等しい時間を戦いつづけた結果がこの無限の剣の世界。ここに来るのは英霊となることを選択したエミヤだけだ』
お前はまだ違う。
違う者になるべく足掻いているのではないのか。
そう前置きして言葉は続く。
『忘れるな、世界は常に英霊を欲している。特に私のような使い勝手の良い英霊を。……そう、お前を英霊エミヤとする為に、世界は僅かに可能性を変革している』
『な、に?』
『お前が英霊の契約を結ぶまで、世界はお前が知らぬ間に事件の中心にお前を連れ出す』
英霊エミヤは空を見上げ、其処に居るだろうモノを睨みつける。
そう。
固有結界たるこの世界、現実を侵食する大禁呪、世界に存在を許されない存在、ゆえに衛宮士郎の本分とは、…ならば衛宮士郎とは世界に許されざるものなのか。
『かつて私がただの人であった時……あの事故に遭遇したのも、ただの偶然だと思っていた……』
『遭遇した事故……偶然?』
『だが利点もある。滅亡の阻止限界点以前に、その場に居合わせることが出来る事だ』
おまえは『正義の味方』なのだろう、ならすべき事は分かっているな。
雄弁に語るその表情。しかし……どうしてもコイツに言われるとムカツクんだよな。
『忘れるな、衛宮士郎の敵、そして乗り越えるのは自分自身だ。そしてセイバーや凛たち、お前に味方するものが存在する事を。それだけは如何なる存在を前にしても忘れるな』
それはとても重要な事。
衛宮士郎が衛宮士郎であるために、あり続ける為に必要な事。
『そして聞け。お前に味方する、人ならざるものの聲を』
お前は一人ではないのだと。
そう言いきる聲。
『悲しく、脆く、弱くありながらも強い、決して折れぬ彼らの聲を!』
『うわっ?!』
ゴウと吹き荒れる風のような何か、それは英霊エミヤから吹き荒れる『何か』だ。
竜巻の中に飛び込むような刃物のように鋭い空気の流れ、台風の中を進むような重い空気の壁、圧倒的に『違うもの』になってしまったエミヤシロウとの『違い』のようなもの。
それに吹き飛ばされる。
トラックにでも轢かれたのか、そう思ってしまうくらいに全身が痛い。どこまでも転がっていくような激しい苦痛。目がようやく開けるようになった時、そこに残っていたのは俺だけだった。
そして此処にあるのは俺の世界だけだ。
一日の始まりを象徴する朝焼けの色、それとも一日の終わりを象徴する夕焼けの色か。始まりと終わりを同時に想起させる…昼と夜の入り混じる、不可思議な空の下に俺はいた。ここは間違い無く俺の心象世界そのもの。
広がる荒野には、たった一つの住人たちが存在している。彼らは世に名だたる聖剣魔剣、何処の誰の使っていたとも知れない無名の剣たち。
大地に突き刺さる剣達は何かを言っている。
『造る者よ、その使命を果たせ、我らの意思を知れ』
『知らねばならぬ、我らの生まれた意味を、造り手の意味を』
『成さねばならぬ、勝利を、敗北を』
『戦う者よ、剣を鍛ち、剣を執れ』
『真実と偽りの差など、己自身で乗り越え打破するもの』
『持ち手と担い手の差など、業と技の差でしかない』
『この世の全てに意味は無く、故に全ては意味を持つ』
『――我ら、誰が為の剣か!』
彼らの叫び。
それは俺の理解を超えている。単純であるからこそ、難しい事。造る者にとっての永遠の命題。生きるものにとっての宿命。この世に存在したもの全てが願う事。それを成せ、そう叫ぶ剣達の聲、聲、聲。
その悲痛にして蛮勇な声を聞き、脳は許容量を超えて苦痛を訴えるだけ。その苦痛は脳から這い出し、魔術回路と肉体が一体化している異端者、衛宮士郎の右腕に、まるで剣を鍛える為の金槌のようなカタチを浮かび上がらせる。
ゴウンと轟音が響き、空に歯車が現われる。
再び眼前に広がるのは、俺の世界と同じでありながら決定的に異なる世界。
赤い騎士はそこにいる。
『私の最後を思い出せ。お前の周りに居る大事な人間を思い出せ。お前は私と同じであってはならない!!』
――それはただの事故。
止める事など出来ない、既に起こってしまっていた、ただの事故。
人間にはどうにも出来ないほどの、例え魔術師であったとしても非常に困難なもの。
それでも。
このような事故が起きるのならば。
このような事故を防げるのならば。
そう思うことは罪なのだろうか。
だから事故の被害の中心で、言ってはならない事を言った。
『我が死後を預ける。その報酬として――』
それは間違い無く、衛宮士郎が生きながらにして英霊エミヤへと変わった瞬間だった。
俺はそれを見て、憧れと忌避感を憶えた。
人である事を捨ててでも手にしたい願い。
捨ててしまうほどに『身軽』である悲しさ。
そして、俺を繋ぎ止めてくれる、沢山の人たち。
こいつは、それを何故失ってしまったのだろう、何故捨ててしまったのだろう。そう思わずにはいられなかった。
>interlude 4-2
どくり、どくりと脈を打つ。
ぎしり、ぎしりと悲鳴が上がる。
人間と言う、正しいものと正しくないものが混在した存在から漏れ出たものを、魔術儀式の祭壇と言うフィルターを使って掬い上げていく。零れ落ちるのは魔力と呼ばれる不可視の力、しかしそれは人間から排出されたものらしく、独自の色を手に入れていた。
かつての古戦場、開けた場所にあるが故に戦力を集結しやすく、騎士道に囚われたかつての戦争――夜間戦闘の禁止、砲撃の禁止、背後からの奇襲の禁止――には使い勝手の良い戦場だった。
だからこそ、此処は歪んでいる。
そういう場所にある『歪み』を効率的に集めるために、いつの時代かの魔術師が築いた祭壇、そこに居るのは少年だった。
クリスによく似た…いや違う。その少年こそがクリストファ・クライストの体を奪った暗殺魔術師シュトラウス・クライストだ。クライストは自身のシンボルとも言うべきインバネスコートを着込み、ただ其処に居る。
キリキリ、カチカチ、クルクルと、命無き物は其処を己の領土とするかのように互いに食い潰しあい、弱者を淘汰していく。壊れた人形はより弱い人形の欠片を取り込み、異なる姿へと変貌していく。
それは正に、人形遣いの作る蠱毒の坩堝だ。甲殻類の殻のようなもの、剣、歯車、獣の牙、針、骨、それが無秩序に絡み合って秩序、すなわち形を得ている。
そんな命無き者の煉獄の中に沈む少年の肉体を奪った老人、彼は久方ぶりの来客を迎え、上機嫌に笑った。
闇の中にわだかまるのは、おそらく傀儡にされた人間か、人の形をした使い魔か。そんな物を幾つも引き連れた、小太りで禿頭の男だった。姿そのものは恰幅の良い初老の政治家を思わせるものだったが、彼の纏う空気は淀み荒み、黴の生えた小悪党にさえ見えない低俗なものだった。
だがその自分自身を自覚していないのか、ただただ尊大に言葉を発する。
「暗殺魔術師クライスト。まさか君が此処に戻ってくるとはね」
「久しぶり、確か君は交霊学科・副学長補佐のウェルシュ君だったね。実験は上手くいっているのかい」
殊更少年らしさを強調したクライストの皮肉に塗れた声など気にする事無く、禿頭の男は飄々と答えた。
「ああ。これで補佐から正式な副学長になれそうだよ」
笑い声。
それはウェルシュの口からだけでなく、闇に隠れた彼の全身からゲラゲラと品の無い声で漏れ出て行く。
詠唱を必要とせずに、魔力と行使するための意思だけで魔術を発動させる『魔術刻印』。
しかしこのウェルシュの全身にあるのは全く別のもの。それは多重詠唱器官『ヒュドラキャスト』。魔術刻印の代替器官として彼自身が作り上げた、高速かつ多重に詠唱を必要とする魔術を行使するための器官。
超一流と呼ばれる魔術師でさえ一分、高速詠唱を用いても30秒はかかる『大魔術』を、彼はこのヒュドラキャストの多重詠唱により数秒で行使することを可能とした。
そんなヒュドラキャストのもつ異様さによってか、まるでウェルシュの体はそれだけで構築されているように見えた。
しかしクライストはその光景に何の違和感、不気味さを感じていないのか平然としている。
「それでどうだい、あいつらは」
「新人にしては『それなり』だな。他の学科から流れてくる噂話程度では、それ以上の評価は出来んさ」
「ほう?」
「リン・トオサカに関しては、優秀としか言いようが無い。極東の島国の一魔術師とは思えぬほどだ。ミスアルトリアもだ。学園内で最も優秀なトラブルバスターとして、ミストオサカの助手として非常に際立った存在だ」
「では、キリツグの息子はどうだ」
此処でウェルシュは言い淀んだ。
最も危険な暗殺魔術師であるクライストが、恐れている。僅かにとはいえ、言葉の中にまぎれも無い恐怖が隠れている。この男が感じる恐怖に興味さえ沸いてくる。それを抑えられない。
だが、それも杞憂であろうと結論付ける。
なぜなら――
「シロウ・エミヤは基礎クラスにおいても目立った成績は上げていない。むしろ属性に『剣』などという偏りが在るからだろう、その不器用さは時計塔内部に広まっている。『何故このような男を、ミストオサカはパートナーにしているのか。所詮あれも女か』と揶揄されるほどに」
ウェルシュの評価を、クライストはあえて変える事無くスルーさせる。
あれは、自らの目で見なければその真価を理解することは出来ない。
因果を狂わせる――魔法の域に近い魔術武器を作り出すなど、人に出来よう筈が無い。第一それほどの力を持つものなど、神話の英雄たちの宝具でもなければ有り得ない。そんな物を持つ、意味を失うほど単純に殺傷能力に長けた魔術師の力、分かっていたとしてもどうこうできるものではない。
「ならば進めるが良い。だが気をつけろ。
「そんなものは、子供の世界の住人に過ぎぬ。この大人の世界で何が出来るものか」
純粋な忠告だというのに、ウェルシュは全く気にも留めない。
老人が背を向け帰っていく。
少年の姿をした老人は、背を向けたままのウェルシュに何の色も無い皮肉を投げかける。
「真の恐怖に気づきもしない人形……そろそろ廃棄すべき時か」
ウェルシュは気にしない。
投げかけられた言葉を。
自分の額に塗られた奇妙な粘液を。
その粘液に、まるで指を頭蓋に突き刺していたかのような丸い穴が五つ、開いている事を。
彼の意識は、既にそれを気にしないように『されていた』のだから。
>interlude out
「何、士郎? この世の終わりみたいな顔して」
む、そんなむちゃくちゃな顔をしているのだろうか。とりあえず触ってみるが、自分の顔だけに分からない。分からないので、推測で物を語ってみる事にしよう。
「じゃあ俺、寝起きの遠坂みたいな顔してるのか」
ぴしりと、遠坂の顔に亀裂が入った……ように錯覚した。
錯覚であったと思いたい、そう願いながら、アルトリアの声を聞く。
「シロウ、正直な所はあなたの美徳だが、時と場所と相手を考えるのは必要だ」
アルトリア、それはフォローになっていない。
とりあえず、取り返しがつかなくなるほどに機嫌が悪化する前に手は打たなければならない。
「わかった、おーけい、言うから落ち着いてくれ。そんな顔をされたら、包丁を持つ手がヤバイ」
とりあえず朝食を並べて、テーブルにつきながら、何処から切り出して良いのか分からず、仕方ないので一番最初から話すことにした。きっとそれが一番遠回りでも、この場合は正解のはずだから。
「……夢を見たんだ」
「夢って…エッチなやつ?」
「シロウが求めるなら、私は吝かではなく…」
「そんなんじゃない」
なんと言うか、誘っているんじゃないかっていう、遠坂の目。しどろもどろなアルトリア。
……駄目だ、気を確かに持て、俺!
こんな状況でどっちかに手を出すなんて最悪だ、良いか、ちゃんとした答えも出せないのに、これ以上二人を傷つけるような行為は――『据え膳を食わんのも、女の矜持を著しく傷つけるらしいが』――って、なんで此処でアーチャーの声が聞こえるんだ、こんなのは都合のいい幻聴じゃないか!!
……落ち着け。
此処はシリアスな場面だ。
それに、何か大事な事に思えてならない。二人の意見を、聞かなければならないんだ。
「アイツだ。あいつに会った……そう思う」
あいつ。
その言葉に、二人の追求が止まる。
「アーチャーね」
「英霊エミヤですね」
ああ、と頷く。
「あいつが、あいつになった瞬間の夢。今まで何度か見たことがある……けれど、今日は違った」
俺があいつと戦った時から見るようになった、あいつの記憶が映し出される『夢』の数々。戦い、戦い、戦い、ただそれだけで日常は無い。それがどれほど殺伐としたもので、虚しさだけをもたらすものであったのか。
それはまるで警告。
何処とも知れない、何時とも知れない、そんな戦いだけの記憶。
……しかし今日は違った。
「アイツの契約したその場所に、見覚えがあったんだ。こんな事は初めてだった」
英霊エミヤの生まれた瞬間の記憶。
今一判然としない部分が大きいのだが、あの場所には見覚えがある……気がする。今までそんな事を考えた事は無かった。なら、今日と今まででは何が違う? そう尋ねてみると、二人は表情を変えた。想像の行き先は、どうやら同じらしい。
「シロウ、それはもしかすると…」
「アルトリアもそう思う? なら士郎、ロンドンに来た今になって見覚えがあるって言うなら、それは」
頷く。
「…英霊エミヤは、このロンドンで起きた『事故』で、力を求めたんだ」
事故。
その単語の持つ不吉さに、アルトリアはうめいた。
「でもそうするならば……これから、この街で何か事件が起きるのでしょうか」
未来予測。
未来視の魔眼でもあるのなら話は違うだろうが、此処で議論しても終わらない。
もっとも、一番高い可能性は……水面下で動いているクライストの存在か。だがそれも、動いている事が分かるだけで何をしているかは分からない。
沈み込む空気を前に、ガタンと凛が立ち上がった。
「まあ……予測も憶測もいくらでも立つけど、今日のところは二人を迎えに行くとしますか」
「そうですね、空港で二人を待つとしましょう。正直日本とこの街では交通に違いがありますから」
何かを吹っ切るような二人を見て、俺も奮起しなくちゃならない、そう思わせられた。
……やっぱり俺は、この二人に心底惚れ込んでいるんだよな……。
そんな深刻な顔を二人に見せるつもりかと忠告され、無理やり顔を作って、入国管理ゲートを前に彼女達を待ちつづけて十数分。時間通りに着陸した飛行機から降りてきた客の中に、懐かしい顔が見えた。
「遠――姉さん!」
「桜!」
一瞬、言いなれた呼び方をしようとしてしまった事に気付き、桜は慌てて訂正した。多分、凛が寂しそうにしたからだと思う。桜だって凛の事を呼びたがっていたことに違いは無いんだから。
「相変わらず不器用ね、あの二人」
「仕方ありませんよ、今までのことを考えれば。――でも今が幸せなのですから、きっと大丈夫になれる日が来ます」
今だって二人はとても仲の良い姉妹なのだから、そう願いを込めてアルトリアの声がイリヤに応えた。
「話したい事は一杯あるけど、今は……久しぶりねシロウ、アルトリア、リン。また会えて嬉しいわ」
「ああ。俺も嬉しいよイリヤ、桜」
「はい、私もです先輩」
抱き合って喜ぶ桜と凛、それを微笑ましそうに見ているアルトリアに、ニマリとして揶揄するイリヤ。騒がしくて懐かしい、いつもの日常に戻ったようだ。
「それでどうしようか。寄宿舎の方は二人が泊まっても大丈夫にしてあるけど……」
「準備したんだから二人とも来なさい。……ホテル代なんて勿体無いもの、使わずに済むならそれ以上は無いでしょう」
来るか、そう聞くつもりだったのに、凛の声は拒否を許さない命令的なものだった。
桜は少しだけ驚きで息を呑んで、イリヤは予想できていたとばかりに表情を動かさず…。
「えっ? は、はい」
「それで良いわ。折角会えたんだもの、別行動でホテルに泊まるのも面白くないから」
――うん、やっぱりこれがいつもの俺たちなんだ。
そんな事を考えて、嬉しがって、気が緩んでいた所為なんだと思う。
コトリ。
すぐ背後から聞こえた、硬質の音を気に留めず、放置してしまった原因は。
この時、それを追及していれば、これから起きる事も無かったのではないのか。
俺は、そう思わずにいられなかった。