イギリスの『伝統料理』を謳っている店に入り、出てきたものを口に入れた瞬間……
「あ、結構ざ……いやいや、シンプルな味付けだな」
「ホント、アルトリアの言う通りね。シンプルすぎて収まりが悪いわ」
「……やはり、雑です」
「野趣溢れる味、って事にしておきましょうよ」
「取り繕っても何にもならないわ、ここはやっぱり『雑』の一言ね」
 上から俺、凛、アルトリア、桜、イリヤの順である。

 そして俺は理解した。
 なぜ、郷土料理とか伝統料理を名乗る店に入ろうとすると、アルトリアが必死になって止めたのかを。
「現代風にアレンジしてると思ったんだけどさ……」
「何しろ伝統料理を謳い文句にしているくらいだもの、油断しちゃったみたいね…」
「しかし、ある意味懐かしい味です……」
「アルトリアの食い意地の張り方、理由が良く分かったわ」
「それは流石に失礼ですよ、私も納得できましたけど」
 王様ちょっぴりご乱心。
 顔で笑って心で涙。

 今日の夕食に何を作ればアルトリアの機嫌を直せるのか。俺の考えはその一点に集約されるのだった。


Fate偽伝/After Fate/Again 第3章
第5話『真偽を越え、なお偽りを求めるモノ』



 凛の経済観念――細かい割りに、宝石に関しては大雑把――により、国際電話料金の高さは許容外だったらしい。そのため電話は月に数度だけだったがメールでのやり取りは頻繁にしていたので別に話題があるわけでは無い。そう思っていた。
 けれど実際に会ってみればそんな事は無く、話は途切れる事無く続いていく。
 女性の話し好きを甘く見た……。
「へぇ、綾子ってば柳洞君と付き合ってたんだ」
「はい。でも美綴先輩は地元ですが柳洞先輩は仏教大学に進学しましたし……あの性格ですから」
「恥ずかしがって距離を取り損ねている。…イッセイらしいというべきですね」
「それでもアヤコってば、家に愚痴を言いに来るたび最後には惚気に変わってるのよ、タイガなんて最後には『うがー、それは独り者への嫌がらせかー』って」
 うん、その光景、簡単に想像がつくよ。
 しかし美綴と一成か。ある意味お似合いのようなそうで無いような……?
「それでですね」
 そう前置きする桜の目には、どこかタイガーver.大虎に似た光が爛々としていた。それどころか他三人も、同じ目をしてる。
 そんなに恋話が好きか、君らは……?
「この間の連休に、藤村先生のお爺さんとちょっとした悪戯をしまして」
「ライガ爺さん……それはまた……」
 あの老人が介入しているのなら、それはとても碌でも無いことに違いない。何しろあの藤ねえを育てた一人だ。
「藤村組の慰問旅行に二人を招待したんです」
 ……藤ねえの実家の、というところで油断があったんだろうな……。
 大体よくよく考えてみれば、近所付き合いを大切にするアットホームな『藤村組』なんておかしな代物だから悪いのだ。あれはれっきとした古き良き時代の『任侠』の生き残り、身も蓋も無い言い方、歯に衣着せぬ物言いをすれば『極道』なのだから。
「で、いつもの宿に『人数分』部屋を取って、それ系の雰囲気を作って、居たたまれなくなった二人に『組の人間でも無い君達にこの空気は毒だろう、離れも確保してあるから其方に行くと良い』って言われたそうなんです」
「ライガったらタイガを上手く使ってアヤコとイッセイを『ほろ酔い気分』にしていたもの、それに」
 ぐい、と顔を前に突き出して、イリヤは俺たちなんかより遥かに年上に見える表情を浮かべ、
「『組関係の人の為に確保する離れ』よ、最初からその為に宿の人たちがセッティングしていたもの、作戦は上手く行ったらしいわ」
 ……一成……捕まったんだな、可哀想に……。
「で、イッセイったら『男として責任を取る』とか言って、三ヶ月間バイトし続けて体重7キロ落として目の下にクマ作って、なんとアヤコに指輪贈ったのよ」
 指輪…?
 三ヶ月…?
 それってあれか、推測は状況証拠を経て、確定的な物的証拠を得て、現物が周囲に知らしめたわけだ。
「……式は?」
 いかん、緊張と悪寒と予感で声が震えている。
「仏教式と教会式で意見が真っ二つ。とりあえずは卒業と同時に、らしいわ。ついでに言っておくけど、急いでいないって事で分かるでしょ、子供が出来たとかそう言うことじゃない、恋愛感情の結果としてのプロポーズだったらしいわ」
「好き合った結果の結婚……憧れます」
「外堀の埋め方に問題があるように見受けられますが」
「埋めすぎて身動きが取れない人の言う台詞じゃないわよ、アルトリア」
「……この身はかつて戦場を駆けしもの、戦術戦略には理解があります。それは日常生活に通じます」
 それは俺の日常が、戦争レベルと言う事で無い、と思い込みたい。
「あ、それとこれがお二人の写真です」

 ぱさりとテーブルの上に示された数枚の写真。
 仲睦まじそうな二人、先ほど話に出た指輪を『左手薬指』に嵌め、かつての男前な雰囲気の全く無い、本当に女の子らしい笑顔を浮かべた美綴の姿があった。一目見ただけで問答無用に幸せとわかる姿だった。
 隣に写る一成など、購入の為に苦労したのだろう、記憶にある姿よりも幾分やつれているが、その姿には男としての自信が備わっているように見えた。写真の向こうにありながら、その目は美綴を優しくいとおしげに見ていることが分かる。

「良い顔してるじゃないか、二人とも」
「うん、本当に自然に笑ってる」
「はい、これほど自然に寄り添える二人……素敵な事ですね」
 置いて行かれてしまった気がする。
 一抹の寂しさはあるけれど、それでも羨ましくもある。この世で最も難しくて、その実当たり前な『幸せになる事』を手に入れた二人が妬ましくて、だから祝福してやりたい。それは誰に言われた事でもなく自然に思えた、間違えようの無い真実。
 …あれ?
「どうしたのですかイリヤスフィール、そのような敵意を込めた視線で私を見るなど」
「桜、だからその俯いて睨むの止めなさい。ホラ、向こうのテーブルの人、メドゥーサに睨まれたみたいに怯えて固まってるじゃない」
 何で二人に睨まれてるんだ、俺は?
「三人とも、なんでそんなに自然に居られるんですか…?」
「もしかしてシロウ、何か決定的なことしちゃった?」

 え、と固まる二人。
 それを見て複雑な表情を作る二人。
 そして集まる四人の目。その先にいるのは認めたくは無いけど俺……だれか、誰かこの危険な話の飛び交う戦場から、俺を助け出してくれーーーーっ!


>interlude


 都市。
 それは人の住む場所であり、霊的にも安定し、繁栄を招くだろう土地に作られる事が多い。それは古代・近代・現代を問わず、僅かでも暮らしやすい場を求める人間の本能に近いものがさせるのか。
 故に大都市と呼ばれるものこそ、大地の精気の満ちる場所に作られるのだ。
 その意味ではこのロンドンの街はとても強い霊脈…いやむしろ龍脈と呼ぶべき場所に在るからこそ、時計塔のような施設が作られるのだろう。
 その時計塔の地下には、大規模な魔術行使のために作られた祭壇がある。電気を貯めて一気に開放するコンデンサのように、魔力を貯める魔術装置がその祭壇の意味だ。

 それを眼下に収め、一人立つのは交霊学科の副学科長補佐ウェルシュ、その姿はまさに『絵物語の魔法使い』。
 まるで自分こそが『そう』であるかのごとく振舞いたいのか、けれんの強い魔術師でさえしない格好に着替え、悦に入っていた。
「やはり、足りないのか」
 そう言葉にする彼の足元には、かつて人間であったはずのそれは『物体』に成り下がって崩れ落ちている。
「貪欲な怪物めが」
 嘲笑う。
 怪物を見誤っていた自分をではなく、幾らでも喰い続けている怪物を、怪物の腹を満たせない『かつての弟子たち』をゲラゲラと嘲笑う。

 かちかちかち。
 硬質の足に似た何かが、床を叩く音が響く。
 蟹…だろうか。それはチグハグな長さの八本の足を器用に動かし、真っ直ぐにウェルシュの足元に這いより、必要も無いのに取り付けられた、バネも無いのにキチキチと動く歯車を軋ませ言葉を吐き出していく。
「ソノ行為ハ無意味。あいんつべるんノ聖杯、ソノ神秘、貴様ノ及ブトコロデハナイ」
 ギリと歯を軋ませる。
「コノ蟹ノ背ニアル歯車ヲ使エ、汚染サレテハイルガ、真実あいんつべるんノ造リアゲタ聖杯ノ欠片。汚染サエ呼ビ水トナロウ」
 魔術師はモノの本質を知る目をもっている。
 ウェルシュはそれを使い『聖杯の欠片』を解析しようとする。言葉にある蟹の歯車、それは確かに異質なものだった。ウェルシュに知る術は無いが、これは第三魔法に至る道の道程の一つ、その欠片に違いない。
「これほどの品ならば確かに、この魔術装置を起動させる事が…」
「出来ヌヨ。ココデハ容量ガ小サ過ギル。蟹ノ腹ニアル場所ノ地図ヲ入レテオイタ。ソコデナラ十分ニ儀式ニ耐エルダケノ魔力ヲ集積デキヨウゾ。ソシテ依リ代ヲ手ニ入レロ。幸イ既ニ此処ニ呼ビ寄テアル」
「……何を望む」
 魔術師の取引は等価交換。
 此処までウェルシュに都合の良い取引ばかり持ちかけてくるクライストに、何の狙いがあるのか、今更になってそれを知ろうと考えるようになった。もしもの場合は契約を破棄し、協会の手をもって滅ぼせばよい。そう思っていたが、此処まで彼に都合が良すぎると不気味すぎる。
「魔術師エミヤノ息子、シロウ。奴ハ間違イ無ク妨害ニ現ワレル。奴ヲ殺シテホシイ、タダソレダケダ。私ニトッテソレハ何ヨリモ優先サレルベキ事柄。来イ、私ノ居ルコノ場所、神殿跡ヘ、私ノ工房ヘ」
 その言葉に納得できたわけではないが、ウェルシュは考える。
 クライストのこだわりを不審に思い、調べた結果『シロウ・エミヤの成績は悪すぎる』のだ。どのような訓練をつんできたのかは知ることを出来ないが、現在の師匠である凛の能力を考えれば、あまりにおかしい。
 何か、隠し種が有ると見るべきだ、と小人ゆえの臆病な堅実さでウェルシュは結論付けた。
 だが構うまい、力さえ手に入れれば…私に敵は居なくなるのだからな。暗殺魔術師クライスト……この手で羽虫の如く引き千切るのも面白いかもしれんな。と。

 言葉は正しく伝わらない。
 真実の断片を知ったとして、その集合体が原型を取り戻すとは限らないのだから。
 願望機たる聖杯を目前にし、気の緩んだウェルシュはやはり聞き逃す。
「……アア終ニ、遂ニ完成スル時ダ。イザ胎動セヨ、偽リノ聖杯ヨリ生マレヨ、死ヲ呼ブ『召還機』……クフハハハハハハハ……」

 ―ぶつん。

 まるでテレビのスイッチを切った……いや、テレビを見ていたらコンセントが断線したような、そんな切れ方をして、何十と言う視界と聴覚から一つが切れた。
「くっ…」
 少年の姿のクライストは額を抑える。
 その手の中から零れるように、皮膚表面から血が滲み出し道を作る。
「この体では、やはり困難か……」
 悔しげに、歯を軋ませる。
 ああ、何という事か。
 クライストの家系に生まれし、百数十年ぶりに魔術回路を持つ子供、それは『クライスト』の魔術を再現するには貧弱すぎる。
 魔術刻印を持ち、鍛えられた魔術回路を持ち、しかし肉体は貧弱。
 フィードバック一つ、抑えきれていない。
 これではまるで、魔術を知らぬただの人間ではないか。
 絶望の淵に立たされかねないほどの弱体化。
「面白い、面白いぞ、この不自由さ! 傀儡達の嘆きが聞こえるようだ!!」

 この異常さは、共にクライストの家の魔術師でありながら彼が『かつて』クリストファであり、しかし『今』はシュトラウスである事が原因なのか。
 彼は自らに対する嘲笑に塗れ、その中で言葉を紡ぎつづける。
「フユキの街で! リュウドウ・テンプルで『体』の一つを破壊されたときのようだ! キリツグに体を破壊されたときのようだ!!」
 柳洞寺で、葛木宗一郎の手によって破壊された人形の、死を伴わずに味わった殺される感覚。
 切嗣の銃撃により破壊された体、それを押してなお完全に殺された、痛みを超えた恐怖。
 その二つ、それとも今までに感じた幾つもの痛みと恐怖と死、それがこの男を此処まで変えてしまったのか。
「生物が滅する時に感じると言う恍惚、痛み止めの脳内麻薬など超えている、この甘美さ、まるで夢の如くよ!!」
 喉が枯れるまで哄笑を上げ、自らが流す涙の意味さえ察する事無く、ただ、欲望の求めるままに自らの存在を行使する。
 目的の為に手段を選ばない、どころの話ではない。
 この男は目的も手段も捨てた。
 今の自分を作り上げた根本を、その本能が命じるままに衝動として発散する為に。


>interlude out


 寄宿舎での一幕。
 ――凛とアルトリアの部屋と、俺の部屋が繋がっている事で一悶着。
 ――部屋を見ていた桜が凛の工房に近寄って、トラップを踏んで一悶着。
 ――何で姉さんを『名前で呼んでいるんですか』と桜が叫んで、イリヤもにじり寄ってきてまた一悶着。

 疲れた体を休めたくて、みんなでお茶をする事になった。
「そう言えば先輩、姉さんから聞いたんですけど…絵を描いているんですか?」
 …そう言えば、桜に言った記憶が無いような気もする。
「ん、まあ。藤ねえには美大に留学、って事にしてあるからさ。本業に問題が出ない限りはそっちもね」
「魔術は片手間で出来るほど甘くないって言ってるのに、偽装の方まで本気でやる辺り士郎らしいわよ」
「いいじゃないか。それに絵を描いていると……なんて言うか……そうだな、外側に向かって自分が閉じていく、そんな感じがするんだ」
「なんかシロウ、変なこと言ってるよ」
「おかしくは無いでしょう。私は魔術は使えませんが、その感覚は理解出来る。限界まで引き絞られた自分が、内面ではなく外面に対し現われる。自分自身を超えるのではなく、自分の外にある物全てを感じ取る感覚と言えば良いのでしょうか。これはどちらかと言えば剣士の領分でしょう」
 アルトリアの言っている事には納得出来る一面、自分にとっては少し違う気がする。
 魔術の鍛錬においては、自分の内面世界こそを超えるもの。
 しかし絵画は、外の世界を自らに取り込んでいく感触がある。
 これは全く違う刺激なんだ。

「それで、何を描かれるんですか?」
「風景画と静止画。……後たまに人物画も」
 ピリ、と気まずく空気が固まる。
「人物画ですか。……せ、先輩、あのですね、わ…私もモデルに立候補していいですか?」
「やめときなさい。いきなり『抽象画』で描かれた時は、流石の私も眩暈を感じたわよ」
 眉間にその指をあて、苦悩のポーズを取る。
「あれは上手く描けたと思ったんだけどな」
「シロウ、私に抽象画の批評は出来ませんが……全身がバラバラのパーツで統合された謎の物体と化し、有り得ない色彩で描かれれば私とて認めたくなくなります」
 うむ、確かあの時は高名なる画家『ピカソ』後期の作品を模写している時の事だったからな。とすれば多分、凛は初期作品の模写を見『私をモデルにしなさい』って言って来たんだろう。
「……写実画を描く時、モデルが必要なら私に声をかけてくださいね」
 言い直す辺り、しっかり黒くなってるようで悲しいぞ。


 どっ…と疲れた。
 けれど、研鑚を怠る事は出来ない。たった一日休んだなら、何日かけて遅れを、失ったものを取り戻せるのか。
「……ヴァイオリンなんては一日分を取り戻すのに三日かかるとか言うよな?」
 ケースを開き、画材を手にする。
 向かう先は、真っ白い四角いキャンバス。
 意識を集中し、絵筆を動かす。
 筆の毛の硬さから絵の具の伸び、キャンバスの質と張り具合、構成と技法を脳内から自身の肉体に情報として伝達する。
 ス、スッ…
 小気味良い綺麗な音が、彩りを増していく。
 空間上に存在する三次元の情報を、脳内で二次元情報に変換し、更に強調すべき点を選択、デフォルメされた映像を自らの腕を用いて再現する。現実と再現物の差異を意識して、有り得ないものを書き記す。
 魔術のように、己を滅して行うのではない。
 自分と言うフィルターを通して、現実を侵食する幻想を生み出す。……ある意味、絵を書くと言う行為は固有結界のそれに近い。自分の心象世界を絵というカタチでこの世に生み出すのだから。
 そんな事を考えたせいか、右腕が一瞬痛んだ。そいつは叫ぶように、訥々と語るように、痛みをもって訴えかける『創る者よ、その本分を果たせ』と。
 振り払う。
 それだけは出来ない。怖いんだ――それを、してしまいそうな自分が居て。してしまえばきっと、今が壊れてしまう。考えただけで、死にそうなほどの喪失感。

「―シロウ」
「ん? イリヤ、どうかしたのか?」
「ううん。サクラがみんなに食べてもらいたいってキッチン占拠しちゃったでしょ? する事無くなって部屋の中見てたんだけど……なんだかこの辺、見た事有るような絵が沢山有って…」
 僅かに戸惑い、イリヤの見ている先、重ねられたキャンバスを見やる。
 あれは確か、前に描いた習作……だったよな。
「それのこと?」
「うん」
 そう言いながらイリヤが手にしたキャンバス。
 流石に美術館に有ったものを片っ端から模写しただけあって、イリヤみたいな博識な人間には分かる物が多いのか。
「まあ、美術館に飾ってあったのを片っ端から『解析』して、模写してるんだ。投影は出来ないけどさ、あれ以来、剣以外のものも結構深いところまで読めるようになってね」
「これ、シロウが描いたの?」
「まだ未熟だけどね。これでも結構いいトコまで行くんだよ、この間なんて最終選考まで残ったし」
 何か言いたそうなイリヤを見て、今日の練習を止める事にしようと思った。筆に残る絵の具を油で溶かし、画材をテーブルの上に片す。
 椅子を勧めながら、自分も座る。
 テーブルの向こうにいるはずなのに、妙に距離を遠く感じた。それは体の距離ではなくて、心の距離なのかもしれない。
「気になること、あるのかい」
「…うん」
 突然、イリヤの表情が変わる。
 まるで年上のように。
 この一年ですっかり成長期に入ったからか、余計に……大人びて見える。
「シロウ、貴方は本当に『乗り越えられた』の?」
 ……!!
 心臓が、大きく脈を打って暴れる。
 掌から汗が滲み出す。
 これはただの生理反応、緊張しただけ、落ち着け、ただの質問だ。
「どうなんだろうか? …ただ、言葉に出来ない大切なもの、それがすぐ傍にある。それだけは理解できた」
「本当に理解出来ているの? いつか失われるかもしれない、別の道を歩むかもしれない、そんな『他人の存在』に答えを求めていいの…?」
 自分を救うのは自分であり、自分が他人を本当に救えるなんてそうは無い。
 分かっている。
 だから動揺するんじゃない、落ち着くんだ。
「キリツグは私を助けてくれたし、タイガやライガ、リズやセラも助けてくれた。でもその為にシロウが傷ついたんだよ」
「……でも、俺はちゃんと此処にいる。それでいいじゃないか」
「結果論よ! いい、シロウがどんなに頑張っても絶対に救えない人が出てくる。救われても、救われた事に気づかないでずっと苦しみ続ける人だって居るかもしれない、ううん、きっといる。それでも良いの?!」
 分かっている。
 それはずっと昔に気づいて、顔を背けてきた……当たり前の事だから。
「誰もがシロウみたいに耐えられる訳じゃない、だから……だから!」
 衛宮士郎と言う人間の、変えられる筈の無い生き方を彼女は本当に心配してくれている。それが本当に嬉しい。
「っ、シロウ?!」
 頬に当てられた手に驚いたのか、イリヤは頬を真っ赤に染める。
「ありがとうイリヤ。今の俺のままじゃ英霊エミヤになるかもしれない。でもきっと、大丈夫だよ。こんな俺を心配してくれる子がいるんだ、俺も変わりたいと思っているんだ。だから、きっと変われる」
 イリヤは頬どころか首まで真っ赤に染めて、彼女の頬に当てられている俺の手に自分の手を重ねてきた。ってこれ、もしかして無茶苦茶恥ずかしいことしてるんじゃないのか俺は?
「私、シロウの妹だから、シロウが一番好きだから、だからずっと一緒にいる。もしシロウが苦しんでいるなら助けてみせる」
 ……暖かい。
「私は生きてるんだよ、シロウが助けてくれたから。あの時だって、誰にも助けられない命が沢山あった。でもシロウは私を助けてくれたんだもの、命を助けたんだもの。それを大事にして、それはきっとシロウの心を強くしてくれる、支えてくれるもの」
 イリヤの手が、とても暖かい。
 生きている暖かさ、絶対に失いたくない大切な暖かさ。
 聖杯戦争で触れられそうだった命、助けられたかもしれない命、助けられなかった命。失われたその暖かさ。
「囚われちゃ駄目、助けた命を見て。シロウ、貴方が助けたんだから」
 助けられなかった命に囚われず、この暖かい命を忘れない。
 そうか、俺は……助けられたんだ、助ける事が、出来たんだ……此処に暖かい命を持って、一人の女の子が生きている。そうなんだ。
 …スッ…
 不意に、イリヤの手が俺の顔に触れた。
「あ、れ…?」
「泣いちゃ駄目だよ、嬉しいんだから、笑わなくちゃ」
 そうか、泣いてるのか、俺は……嬉しいんだ。笑える。今ならきっと笑える。
『助かってくれて、ありがとう』
 オヤジはあの時、そう言ったんだ…。
「うん、その笑顔。今のシロウ、すっごく可愛いよ」
「…う」
 恥ずかしい所、見せちゃったな……はは……。

 って、なんだか……視線を感じるような?
 敵意は無いが、何かこう、背中がムズムズするような……危機感を募らせるような……慣れ親しんだ視線を……感じる。
「……やるわね、白い小悪魔」
「まさかあのような説得をするとは……しかし私にも納得できるものです」
「イリヤちゃん、抜け駆け禁止ですよ……」

 なんか、聞こえた。
 見たくは無いけど、見なければならない、きっと。油の切れたロボットみたく、何とか顔の向きを変える。ああ、どこか頭の冷静な部分で理解していたさ、この事態は。むしろ当たり前すぎる事だけど。
「……三人とも、なんで部屋の中を見てるのさ」
 その問いに三人は答える事無く、それぞれの世界に没頭したまま、どこか向こう側の言葉を放つ。
「い、いえ、イリヤが抜け駆けしないか監視していただけよ!」
「シロウは絵を描いていますからね、しかし流石にイリヤスフィールのヌードデッサンは許せません。日本でならば淫行に当たる行為と邪推されるでしょう。こちらでならより厳しい法に触れると思われますから」
「……イリヤちゃん、先輩に頬をなでてもらっていた……ずるいですよ……」

 駄目だ、色々と駄目だ。
 何と言うか、これはもう駄目だ。衛宮士郎は何時の頃からか、既に死地にいたらしい。
「ど、どうしたのさ、みんな……」
「ご飯できたので、呼びに来たんですよ」
 桜……口に出せないけどさ、俺思うんだ。
 何か桜の笑顔が『黒くなってる』って。


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