……生きてるのか、俺……?
 今にも壊れそうになる自分を繋ぎとめ、床に倒れている自分を起き上がらせようとする。
 ガタン。
 手に当たって酒瓶が転がる。
 ゴトン、ゴロゴロ、ゴロゴロ……。
 酒瓶は当たり前の如く床を相手に擦過音を上げていく。それは聴覚を経由し、脳に衝撃を伴って伝わっていく。アルコール分解の為に全身から奪われた水分、それにより僅かにむくんだ脳が悲鳴をあげる。
「あだだだだーー?!」
 のた打ち回るだけで脳がシェイクされ、痛覚は暴れ踊り狂う。すると痛みで体を抑えることが難しい?! 悲しいほどの連鎖反応がーーーー!!!

「……はぁ、はぁ、はぁ……」
 まるで海老のように踊る俺は、痛みを堪えながら目の隙間に入ってきた光景を、あるのかどうか分からない、脳のどこか冷静といえなくも無い部分で整理する。
 アルトリアとイリヤは椅子の上、凛はソファに、桜は何故か胡座を組んで空の酒瓶を幾つも抱きしめている。
 ここまでは良い。
 しかし何でテーブルの下でクリスが丸くなっていて、ルヴィアが凛を抱きしめて寝てるんだ?
 思い出せ、思い出せ、確か昨日は酒宴を開いてその後――何をしたか!


Fate偽伝/After Fate/Again 第3章
第6話『人形の踊る夜』



 ふうと息を吐き、アルコールが体から出て行ってくれることを願う。
 スポーツドリンクを片手に寄宿舎の横に設けられた中庭に、何時の間にか立っていた。
「――贅沢だな、俺って」
 苦笑いしか出来ない。
 きっと、幸せすぎる事が怖いんだ。あんなにも何も無かった、命以外の全てを失ってしまったはずの俺がこんなに幸せでいいのかって、今まで俺が歩いてきた場所にいる『失われた命』のことが浮かぶんだ。
「イリヤにあんなことを言われたのは……『お兄ちゃん』として失格だな」
 まったく、妹に助けてもらうなんてかっこ悪いぞ、俺。
 そんなだから、皆が話している場所を離れて一人でこんな所にいるんだ。

『ちょっと出てくる。クリスの所になんか新しい情報が入ってるかもしれないし』
 無理やり、こじつけ以外の何者でもない理屈をぶつける。
『クリス、さん…ですか?』
『ん……そうね、士郎の弟分て感じかしら。いろいろ複雑な…女の子だけど』
『へぇーーーーーえ? 先輩、もしかして他にも何人も親しい女の子が居るとか言いませんよね?』
 赤いあくまと血が繋がっている事を、強制的に納得させられる恐怖の笑顔。命名『ぶらっくちぇりぃ』なんてどうだ?
 ドラマならきっと笑いながら、ネクタイを締めるんだ。ギューーーーッと。
 何とか誤魔化そうとしていると、目のとろんとした、魔力が駄々漏れになっているアルトリアがしゃっくりを一つして、危険な言葉を吐き始めた。
『ルヴィアゼリッタはどうです? 最近仲が良いようですが』
『……アルトリア、折角のワインが不味くなるわ。例え名前だけでも、あの女を此処で出さないで』
 本家赤いあくま、降臨。
 凛の飲んでいる赤ワインが、理解を拒絶させる表情のせいか、血の色に見えた。
『どうもルヴィアゼリッタの表情を見ていると思うのです。彼女はシロウとリン、両方を狙っているのではないかと』
『え?』
『は?』
 言われて思い出す。
 ルヴィアの行動は、どこか『好きだから構ってしまう、苛めてしまう、小学生の愛情表現』に似たものがあることを。
 ぞぞぞぞぞぞっと震える凛。
『姉さん、どうせならそちらに走ってみたら如何です? 新境地が開けるかもしれませんにゃー
 にゃー?
 桜の手元にあったのは、冗談半分で購入した伝説の99%ウォッカ。その顔は名前のとおり『桜色』だ。
『さ、桜?! ちょ、冗談じゃすまないって、こらっ…きゃぁあああ?!』
『にふふふふふふ、先輩にシテもらってないんですかぁ? 全然成長してないにゃー
 ふにふに、きゃあきゃあ、むにむに、やーめーてー。
 ……うあ、R指定とX指定のどっちか貰うぞ、この桜の行動。

『た、助けて士郎ーー』
『え、あ、そうだ桜ストップ!! ほら、凛から手を離してーー!!』
 何とか桜の手を凛のシャツの中から引きずり出す。
 ずるんと、緻密なデザインの黒いアダルティな肩紐の無いブラが、桜の手と一緒に凛のシャツから出てきました。

『哀れなものね、成長期の終わった大人なんて。幾ら引っ張ったからってブラが『ずるん』よ?』
『いりやすふぃーる、あなたも、にたようなものでしょう。…けぷ』
 だからそこ、危険な話をまぜっかえすんじゃない!!
 い、急いでこの地獄から逃げ出さねば……!!
『士郎のスケベーーー!!!』
 シュヴァッ!!

 ああ……星が、天井が見える……これは伝説の、タイガーアッパーカット……げふ。

 際限なく沈んでいく意識の中、俺は一つのことを思った。
 揺れてなかったぞ、凛。


 風が冷たく、流れる雲の向こうから時折のぞく月が優しい光を放つ。月明かりと雲の織り成すコントラストが大地を幾重にも彩っていく。土を、芝生を、噴水の上がる池を。本当に幻想的と呼ぶに相応しい光景だ。
 ……綺麗だ。
 こんなにも単純に、世界は綺麗なのに、どうして争いが起こるのか。それもクライストが……衛宮切嗣が二度死んだ原因が出てくるんだ。オヤジの死んだあの時の姿を、イリヤに思い出させるだけじゃないか。
「桜とイリヤが居るうちには何も無いと良いんだけど……無理かもしれないな」
「そうだね」
 声。
 日本語の呟きに返って来た日本語の答え。その聞き覚えのある口調に、内容に、意識はごく自然に戦闘モードに変わる。
 普段から見覚えのある姿に僅かに印象を変えた、如何にも魔術師という表情を組み合わせればこうなるのだろう。だがそれ以上に、あの時と全く同じデザインのインバネスコートが印象に残っていた。
「で、わざわざお出ましって事は、戦いたいって事で良いのか、シュトラウス・クライスト」
「どうだろうか。君のあの赤い短剣『刺し貫く死翔の偽槍(ゲイボルク2)』と言ったかい。あのようなモノ、受けたくも無いからね」
 微妙に、老齢と若年者の言葉が混ざる。
 クライストの体を雲散霧消させるほどの、圧倒的な破壊のイメージは既に完成している。
 だが、使えない。
 あの体は『クリストファ・クライスト』のものだ。下手に傷つける事は…できない。
「――投影、開始」
 ギリと脳を圧迫するほどの苦痛が発生、その苦痛を代償としてその呪文と共に、七つの赤い短剣が地に突き刺さる。
 まるで、その体同様の子供のような興味心身の表情でそれを見るクライスト。おそらくこれが意味の無い威嚇だと言う事も理解しているはず。
「零れ落ちた『固有結界』の断片……因果を覆す槍、そのレプリカか」
「改良品といってほしいな。より少ない魔力で作り出して、しかし本物と同じ効果を持つ。この状況でも『俺の声だけ』を聞く……意味はわかるな。例え何処にあっても、地面に突き刺さっていてもお前を貫く
「分かるとも。私はこれの真名は知っていても、発動方法が分からない。私では偽りの担い手にさえなれない、本当に残念だ」
 そう言って、クライストがゲイボルクIIに触れた瞬間、赤い短剣はバサリと砂を撒き散らすように砕けて消えた。そう、威嚇の為に可能な限り『緩く』かつ『杜撰』に作ったために、持ち上げられる事に耐えられず瓦解したんだ。
「敵に渡った時、自動で消えるようにプログラムしたのかな? 中々器用なことをするね」
 …上手く誤解してくれたか?
 いや。
 あれはそんな相手じゃない。僅かでも気を緩めるな。
「……で、何のために来た。世間話も魔術談義もするつもりは無いんだろ」
「残念だよ。最近じゃ封印指定が怖くてただでさえ稀な固有結界を、持っていても誰もが隠す。私も魔術師として興味があるというのに。これは魔術師の根源を目指すという願望を先細らせるだけじゃないかと思うんだよ。ねえ、エミヤの後継者『正義の味方』君」
 クライストのインバネスコートがもぞもぞと蠢く。
 零れ落ちるのは、カブトムシくらいの大きさをした虫の傀儡人形。
 あれが一体『何』であろうとも関係ない。今俺に出来るのは『クリストファの体を傷つけず』、この場を収めること。それしか出来ない以上、対処療法的にこの虫を破壊するだけだ。
投影(トレース)―」
「まあ待ちたまえ、私の相手は君じゃないようだ」
 ――何だって?

 それが疑問となって口から出る前に、新たな声が飛んだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 場所は…寄宿舎!
 ドゴウ。
 破壊音としか形容できないものが外壁を撒き散らしながら、部屋の中から飛び出してくる。いつもとは違い、所々機械の部品を露出しながらも形状そのものは標準的。そんなものは時計塔広しと言えども、一人しか作らない。その見覚えのあるカタチは……クリス特製のマシンゴーレムか!
 ズゴウと地響きを立てながら、地表が粉末化して巻き上がる。
 くっきりと付いた足跡は、その衝撃、重量共に尋常では無い事を教えてくる。
 そのゴーレムの背中、ウェポンラックに張り付いているその人影は……クリス?!
「クライストォォォォッ!!!」
「……腐っても『クライスト』か。夜にゴーレムを動かし、なおかつ制御するとは楽しみな『素材』だ」
 錯乱気味のクリスに、いやに冷静なクライスト?
 何かある…と言うか、この展開は!
「やめるんだクリス、そいつを傷つけちゃ…!」
 クリスがダンとその背を蹴り、魔力で強化されていたのか、5,6メートルほど離れた場所に一度降り、更にもう一度後方に跳躍する。距離にしてマシンゴーレムから12メートル、クライストから20メートル。
 ヴゥゥォォォオオオオオオオ!!!
 どこか、船の汽笛に似た唸り声がマシンゴーレムの心臓辺りから、ズシンとした衝撃に近い重低音で辺りに響く。背部に設置された、無理やり推進力を得るためのペレットが爆発し、暴力的なエネルギーでゴーレムの巨体をクライストの眼前に吹き飛ばす。
「やめ―」
 やめるんだ、そう呼ぶより早く。
 戦いは、始まっていた。


>interlude


 寄宿舎にある彼の自室、その工房に存在する異常な世界。浴槽とベッドの中間のそれを前にして、迷いを表情に張り付かせる。
「こんな事は、ありえないはずだ……」
 独り言と言う意味の無い行動を取るほどに彼は、クリスは焦っていた。
 その言葉に反応したわけではないだろうがゴトリと、不整合性を示すかのようにゴーレムの右腕が剥落し、その体を埋めている液体が生物のように動き、そのカタチを元に戻して繋ぎ停めてしまう。まるで模型に対する接着剤のようだ。
 彼にとって最も理解しているはずの『人形遣い』に必要な『土』の属性がこの体には無い。魔術刻印を持たず、また備わった属性は『水』と『風』だ。無理やり作り上げられたゴーレムはいつも必ず『綻び』が出る。
 本来ならば、それはまさに『魔導人形』と呼ぶに相応しい力を持つ魔術の結晶であるはずだ。
 壁に背を預け、そのままずるずると床に腰を落とす。
「何だ…何が足りないんだ……」
 あまりにも稚拙な技術で作られたそれは、命令に従う程度の知能しか持たず、その体を維持運営する為の機能にも欠陥が多い。結果として、機械部品での補助をせざるを得ず、また形状も『人間のカタチ』からかけ離れている。
 血と肉と錆びた鉄の臭い――機械(サイボーグ)化した肉の魔導人形(フレッシュゴーレム)
 壁際には外科医の手術具に似た金属が理路整然と並べられ、反対側には精密な金属加工を果たす為の巨大な工具が並べられている。中央にあるのはデフォルメされた人体。
 それは芸術品として作られた、現実には存在しないモノ。だが異形の美として存在を許されたに過ぎない。3メートル近い巨体に、人でなら200kgを下らない筋肉の固まりのような存在。
 完成された人体であるはずのゴーレムに至る所から金属パイプ、電源に繋げられたケーブル、近代兵器を超えるものが幾つも埋め込まれ、その膨れ上がった自重を支える為にその半身を、鮮血色の液体に浸している。
 そう、その人型は『胎児』に相応しい、何にも染められて居ない表情のまま其処にいた。

 歪な体、歪な心。
 クリスはただそれを悩む。苦しむ。それは自分自身の鏡なのではないのか。
「僕は、誰なんだ」
 思う。
 自分のパーソナリティは間違い無く『クリストファ』のものだ。
 全く違和感が存在しない事実が、だからこそ違和感を生み出す。
「僕は……っ!?」
 痛みに胸をかきむしる。
 それはぎしり、と魂が軋む感触。有り得ない感触が、現実的な痛みを伴って体の奥底から滲み出る。その感触は、音叉の共鳴に似ている。
 ――いる――近い――これは――中庭か?
 それだけが理解出来る。
 彼のすべき事はクライストを倒す事、それが自分の体を失う事と同義であっても。

 魔術回路の起動。
 自分自身を人形に見立て操る……人間クリストファが魔術師クリストファを操るイメージをもって、魔術回路を起動させる。諾々と内側から外側を目指して吹き上がる魔力を言葉に乗せ、ただ物体でありつづけようとするモノに叩きつける!
「目を覚ませ、ゴーレムっ!」
 ヴォォゥッ!
 心臓に埋め込まれた、オーバーテクノロジーの産物が唸りを上げる。魔術師ならば誰もが忌避する、魔術と科学の融合体。
 ソイツが唸りを上げて、修復機能を備えた保存液を撒き散らしながら上半身を持ち上げる。電源ケーブルを引き千切ぎり、火花を散らしながら、寝ていた事で分散されていた重量が二本の足に集中した事で床に足跡をつけて歩き始める。
 ヒートパイプに付着した保存液が、音を立てて蒸発していく。
 人間の色だった皮膚が、自分が人間でない事を思い出したかのように鉄の色に変わっていく。
 ガキンガコンと、全身からドラムの回転する音、薬莢が装填される音が響く。

 ギゴォォォォォォォッッッ!!!
 ゴーレムと言う魔術にかかる『昼のみに動かせる』と言う制約は、夜に活動させれば凶暴になり暴走するという事実を生み出す。
 ミチッという音を立て、床石が砕けた。
 暴走すれば主など関係無い。ただすべて意味の無い行動を取るだけ。その中に暴れるという行動や、主を傷つける可能性があるということ。暴走を止めようとする主が近くにいれば、その中で命を落とすことも十分にありえる。
「従え!」
 一度目、歩が止まる。
「従え!」
 二度目、腕が止まる。
「従え!」
 三度目、膝が床を叩く。
「従えと言ったぞ、ゴーレム!」
 四度目、遂には頭を垂れ、恭順の姿勢を取る。
 それを目で、繋げたラインで、自分に隷属しているか二重の確認を取り、此処でようやく息を継ぐ事が出来た。
「……はぁ」
 僅かに苦笑する。
 こんな所で、日頃の暴走を抑える成果が発揮出来る日が来た事に。
 いつも迷惑をかけている年上の友人達に、残っている意識の全てで感謝の意を示して。
 それも僅か数秒、キリと戦場に赴く者の目を作り上げる。
「――出撃するぞ!」
 ウェポンラックの隙間に足を乗せ、手で掴み、意識が命じるままに――寄宿舎の中庭に向け――室内と言う事を無視して走り出す。ギジギジという、砂を力任せに掴んだような音を立て、拳が固まる。
 そして壁に激突する寸前、それが叩きつけられた。
 勢いがそれで止まる事は無い。

 自らを鼓舞する為に叫ぶ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 衝撃、一瞬の浮遊感、一秒ほどの落下に続き、またも衝撃。
 ズゴウと地響きを立てながら、地表が粉末化して巻き上がる。
 くっきりと付いた足跡は、その衝撃、重量共に尋常では無い事を教えてくる。
「クライストォォォォッ!!!」
「……腐っても『クライスト』か。夜にゴーレムを動かし、なおかつ制御するとは楽しみな『素材』だ」
 クリスは叫ぶ。
 だがクライストは冷静にコートの中から、それだけでなく地中からも黒い鉄球のような虫を這い出させる。
 氷原の如き怒りに任せて、噛み締められた歯は、唇から一筋の血を流させる。

 クリスは冷静に、クライストを殺す事だけを考えている。
 だがその場にいるの彼らだけではない。衛宮士郎もまた其処にいた。
「やめるんだクリス、そいつを傷つけちゃ…!」
 生死を告げるその叫びは、開戦の合図以上の意味を持ち得なかった。
 クリスは自分の脚力に強化を施し、ダンと蹴りつけゴーレムを戦闘に入らせる為に自らを遠ざける。一度で6メートル、それでは不十分ともう一度背後へ跳ぶ。
 ヴゥゥォォォオオオオオオオ!!!
 自分の存在を維持できないほどの高温、その所為でヒートパイプからは血煙を吐き出し、背部のウェポンラックから供給される冷却材が次々と送り込まれていく。その音はまるで船の汽笛、蒸気を利用して鳴らされる笛の音か。
 それを合図にしたわけでもあるまいが、ゴーレムの足裏、両肩、腰の数箇所で爆発が起こる。
 備え付けられたペレットが、極度の指向性を伴って爆発し、その初速をもってクライストに肉薄する。

 クライストを倒せるだろう一撃、クリストファの体を破壊するだろう一撃、それを想像して士郎が――
「やめ―」
 ――やめるんだ、そう呼ぶより早く。

 ――ぞぞぞぞぞぞぞぞ!!
 突如盛り上がる黒い地面…いや、虫の傀儡人形。それは投げつけられた卵を優しく抱きとめるように、柔らかな壁となる。
 ミシィッ…ギ、ギギ、ギギギギギ……!!
 どちらもが悲鳴のような音を上げ、互いを潰しあう。正確には小さな傀儡のほうが多く壊れるが、その代わりが穴を埋め直す。
「鈍重な外見に反する反応速度、力も中々だ……ふむ」
「批評する暇なんて……与えない!!」
 壊す。
 クリスの意思にゴーレムの意思が反応したのか、明確な破壊の意思がその場にいる誰にも分かる。それほど単純かつ強大な意思が発露する。
 ヴィィィィィ…ッ!
 雲霞の如く羽虫が湧き出せばするかもしれない、そんな音がした。
 ゾヴァアッッ!!
 霧消する虫の壁、粉々になる虫の壁、赤熱し溶解する虫の壁。それはどちらもゴーレムの両手を中心としていた。

熱破壊装置(ヒート・クラッシャー・システム)高振動粉砕機構(ハイ・ヴァイヴレーション・ディストラクション・システム)か。魔術師が近代兵器を使うのはあまり誉められたものではないが……確かに有用、面白いな」
 子供がお気に入りの玩具を手にしたような、表情。
 自分を殺すものだとしても、それだからこそか、楽しんでいる。
 古代の人間が『戦争をゲームと表現した』ように、クライストは自分の命をチップ代わりに楽しんでいた。その姿はただ怒りに注がれる油だった。
「その『面白い物』に、お前は殺されるんだ!!」
 腕を振り上げ、その動きをもってより強いイメージとし、ゴーレムへ命令を下す。
 振り上げた手を掴むのは、士郎だった。
 その表情は常に無い、真剣な表情だった。
 ドクリと心臓が強く打たれた。
「やめるんだクリス、あの体は――」
「――エミヤ?! あなたが何でここに……いやそれより! 奴を分離する手段が無いんです! シュトラウスを倒す為には、あの体ごと倒すしかないんです!」
「何か方法があるはずだ、諦めるな!」

 士郎たちの葛藤を他所に、クライストに迷いは無い。
 それは魔術師が魔術師である所以、自分以外の全てを切り捨てる非常さ。
「傀儡ども、真似ろ(・・・)
 壁は消える。
 代わりに其処にいたのは、クリスの物と寸分たがわぬ傀儡の人形。わざわざ機械部分までカタチを真似ている。
 まるで子供のブロック遊び。
 そんな馬鹿な事を考えるくらい、でこぼこでバラバラで、それでも形を真似ていた。
「偽物に――」
「――負けるんだよ、本物が」
 その言葉に、とてもよく似た言葉を聞いたことがある。
 ヴォォォォォォォォ!!
 ゾザザザザザザザザ!!

 汽笛に似た叫びと、数百の虫の這いずる音が共演する。

 鉄色の巨人と、歪な虫の巨人が一片たりとも違わぬフォームで互いの顔面を殴りつける。
 ドガンと、まるで爆弾が炸裂したような衝撃が撒き散らされる。
 吹き飛ばされた体を首を捻っただけで相殺し、体のねじりをもどす動きをそのまま攻撃に転化し、再び一撃を与えあう。
 離れている士郎達にも伝わるほど、爆発的な力が吹き荒れる。
 二度、三度、四度。
 グゥァオゥ!
 全身を軋ませながら、互いの手を掴む『力比べ』の体勢に落ち着いた。
 足元が沈みこみ、火花が飛び散り、高熱が互いに動きが止まる。
 ジャッ、バラララララララララララ!!!!
 突然ゴーレムの胸が開き、銃口が覗き、それを誰が認識するより早く銃弾が射出される。虫の傀儡の軍隊である巨人は、動力伝達にでも使っていたのか、何か異様な体液をばら撒きながら飛び散っていく。
 キィキィ、キィキィ。
 まるでそれが蘇ってきたかのように、地面の中から同じ虫の傀儡が這い出してくる。それは巨人に同化し、補填し、形を保つ。

 悔しげにクリスが歯噛みする。
「……百…二百…? 一体どれだけ支配下に置いているんだ…!」
「さてね?」
 だが、と笑い、言葉を繋ぐ。
「君よりも遥かに少ない負担で、同等の力を扱える。……分かるかい、これが人形遣い『クライスト』の能力だよ」
 パチン。
 鳴らされた指の音。
 その音に反応し、拮抗していた虫の巨人が動き出す。
 虫が踊りだした。それも一匹二匹ではなく、全てが。それは本来有り得ない動き、しかしこれは魔術の産物だ。何をしてもおかしくは無い。警戒するよりも早く、予測するよりも早く、事態は走る。
 ジュヴァ!
 油が撥ねたような音がし、ゴーレムの両腕が付け根近くまで消失する。
「先刻と同じ…?」
「振動破壊。――現代科学など、魔術でも十分代用が効く。本当に優れたものを作り上げない限り、私には勝てない」
 てことはあれも『高周波振動破壊』とか言う奴を使ったのか…?!
 不味い、剣で斬ろうにも、触れただけで粉砕されるなら……。

 ぺたりと、地面に座り込んでしまうクリス。
 フィードバックにより、両手を地面につき、そのまま倒れ込む。
「戦闘不能か、残念だ」
 そう嘯いて、クライストは背を向ける。
 だが、傀儡の虫はいまだ警戒を解いていない。
「この場で最も有利なのが誰だか分かったら、悪いが帰らせてもらおう。……邪魔はすまい? この場所で戦う事の不利益は、互いによく知っている筈だよエミヤの息子、いや、シロウ・エミヤ」
 それも違うな、と言い、最後にはこう訂正した。
「ミスタ・エミヤ。尊敬の念をもってそう呼ばせてもらうよ、魔術使いどの」

「――敵を逃すと思って?」
 出現し襲いかかるのは火を孕みながら渦巻く竜巻。火はその熱によって風を造りだし、風は空気を運び火を燃え盛らせる。炎の竜巻は、その声の主が誰か理解するよりも早くクライストの肉体を焼滅させてゆく。
「シロウ、クリス。このような時間にこんな場所で戦うなんて、交友関係を見直したほうがよろしいのではなくて」
 より激しくなりながら全てを飲み込んだ魔術の向こう側、芝生に移った炎を腕の一振りで消し飛ばす、戦いの女神ミネルヴァが其処にいた。上品な装身具を身に付け、しかしその全てが実用の『魔弾』である事は、俺にも分かる。
 彼女は、最初から此処に戦いにきたんだ。
「ミスエーデルフェルト!」
「―ルヴィア!」
 彼女はクライストにもゴーレムにも、蟲の傀儡にも興味を失ったのか、真っ直ぐにシロウ達へと歩いていく。
「魔術師の失踪騒ぎを調べていたのですが、どうやら黒幕はクライストのようでしたし――お二人を救うために滅ぼさせていただきました」
 その言葉に、クリスは呆然とする。
 士郎はクリストファの体が失われた事に、救えなかった事実に愕然とする。
 だが彼女はまごう事無き魔術師だ。それは瑣末事として既に切り捨てている。
 全ては此処で終わるかに思えた。
 だが、終わるはずは無い。
 パチパチパチパチ。
「中々の攻撃だ」
 炎の中から、声がする。
「ただ惜しむらくは、この『今』の私を超える魔術師でありながら、実戦経験が少なすぎる事だよ」
 それは断末魔の叫びではなく、理路整然とした極々普通の言葉だった。
 はためくのはインバネスコート。
 その表面は漆黒、しかしそれは、幾重にも重なった陣図の為のものなのか。瞬間ごとに、全く別の回路が魔力に反応して光り、消え、光る。
 顔を引きつらせると言う珍しい表情をするルヴィアに、クライストは子供の顔を見せた。
「次はもう少し楽しませてくださいよ、お嬢――いえ、お姉さん」
 そう、嫌みを感じさせない厭らしさを声にだけ乗せて――傀儡の虫の『自爆』がおきた。


>interlude out


 ……そうだ。
 あの後荒れている二人を連れて部屋に戻って、ルヴィアと凛が飲み比べを始めて、イリヤとクリスが飲み始めて……ええと……後、何があったっけか…?
 確か、騒ぎなんて日常茶飯事だとか、今更誰も外で騒いだって確認なんかしないとか。
 危機管理に問題を感じそうな話を延々と……。

「っ、む……?」
 誰かおきたかのか?
 ……そう思ってそちらを見てみると、凛が目を擦っていた。
 むくりと起き上がるそれを見て、いつものことだと微笑みかける。こんな油断をした顔をしてくれるのは、きっとそうしても良いって位、俺を信用してくれているって事なんだから。
 少し、いやとても嬉しい。
「凛、起きたのか」
「士郎、おはよー」
 いつものように据わった目をする起き抜けの凛に、一言『おはよう』と挨拶し、コップに入れた牛乳を渡す。こくりこくりと可愛い感じで飲み干すと、今更ながらに自分を抱きしめるようにして眠っているルヴィアに目をやり、あれ、と首をかしげる。
「……何で?」
 あ。
 ルヴィアの手、それがどうしてか凛の……シャツの中に両方ともまわされてるじゃないですか。
 捲れあがった裾から見える、白く柔らかい凛のお腹とおへそ。細くて、滑らかで、……何というか、艶かしい。しかもそこに添えられているのがルヴィアの手なわけで、物凄く…いやらしい。
 こう、理性が本能にラッシュを食らうような衝撃。
 TKO寸前まで叩かれて、叩かれて……うああああああああ、こんな事で結果を出しちゃだめだ、みんないるんだぞ、修羅場だぞ、きっと包丁かなんか持ち出して『あなたを殺して私も死ぬ』とか言い出して、そんなのは自惚れもいいところで、でも何だか真実を言い当てているような気がするぞ、本当に!!

 ……自覚症状があるくらいに錯乱してるってどういうことかな、本当に。
「後ろ向く!」
「はいっ!」
 ……危なかった。
 今の凛の声が無かったら、きっと取り返しのつかないことになってた……。
 もぞもぞごそごそ。
 そんな音が聞こえて妄想が膨らんでしまう。さて、俺も魔術師なんだからもう少し自分をコントロールせねば……。


 67本。
 数えなおしてもやっぱり67本の酒瓶が、この部屋には空になって転がっていた。
「こ、こんなにあったっけ……?」
「いえ、皆さんお酒を嗜まれると言うことで、我が家の執事に少々運ばせました」
 俺の質問に、最悪の言葉で返すルヴィア。
 何とか意識を取り戻すと、そこにある酒瓶のラベルには俺にもわかるほど有名で高そうなブランド名がいくつも書いてある。
「えーと、これ……」
 震える手で、いつも飲む酒より一桁多い金額を想像する。
「私の好意です。…私も幾分いただきましたから」
 そう言ってくれると助かる……。
「暫くの間、屋敷で大仕事があるのですが、加わってくれると非常に助かります」
 大規模改装か、宝石の加工装置の修理か、それとも吹き抜けの天井のシャンデリアの清掃か……どれにしても重労働か。
「承知いたしました、お嬢様……」
「それで……これは一体、どういう事なのでしょうか、ミスエーデルフェルト」
 ルヴィアがいるので、凛は猫をかぶっている……さて、猫というのは肉食獣で、トラやライオンと同じ猫科の生き物だ。つまり、ルヴィアも凛も肉食獣の皮をかぶっていることに変わりはない。
 そして最も重要なのは、こんなことを考えていることを悟られない『面の皮の厚さ』を保つこと。……まだ死にたくないし。

 ソーサーごとカップを落ち上げ、上品に紅茶を口に運ぶ。
 凛は気に入らないらしいが、こういう時の彼女はいかにも貴族の令嬢らしくて気品に溢れている。
「そうですね、まずは……いえ、最初からお話しましょう。時計塔執行部は事なかれ主義のようでして、魔術師クライストの件は貴女方に任せられていました」
「それは知ってるけど……」
「ええ。以前話したわね。士郎の事だから何も考えずに探しに出るんじゃないかと心配したもの」
 けどな、俺だって何時までも猪突猛進を繰り返してばかりじゃない。
「その件と平行して私に下ったのは、学生の立場から『魔術師の連続失踪事件』を追えとの命でした」
「魔術師が姿を消すのは珍しい事ではない筈ですが……問題になるほど多発しているのですか」
「ええ」
 カップがテーブルに置かれる。
 ルヴィアはこれ以上を言うべきか、それを悩むそぶりを見せ、話を続けることにした。
「失踪した魔術師に共通するのは、全て召還や創造に長けた魔術師であること。その多くは交霊学科の魔術師であること、交戦の痕跡がある場所では、『傀儡』の残骸と思しきものが発見されることです」
「傀儡…人形遣い」
「ええ。そしてこのような事件を引き起こす可能性のある魔術師と、私の知る限り関わりを持つのは貴方達だけですからね。…申し訳ありませんが、ここ数日、監視させていただきました」
 しれっと、全く悪びれずに言う。
 まあ、助けてもらったからいいとしようか。

「それはそれとして、あれは何ですか」
 何か、ルヴィアは気にした風で、部屋の隅っこを視線で示した。其処に居るのは床に蹲って、ぼそぼそと何かを延々と呟くアルトリア。
 ……聴覚を強化する。
『料理できないのは私だけ、料理できないのはタイガだけ、私とタイガは同じなのですか……? 料理できないのは私だけ、料理できない――』
 なるほど。
 虚ろな表情をするアルトリアの真正面にあるのはキッチン。
 其処に居るのは、イリヤとクリス。
 俺達が渡英してからずっと料理の勉強をしていて、その成果をここで見せると遅めの朝食を作り始めたイリヤ。その脇に居るのはクリスで、ずっと一人暮らしで鍛えた腕で手伝うと言い張っていた。
 ――昨日、落ち込んでいたクリスと悔しがっているルヴィアを部屋に連れて来て、紹介しあったときの第一声が……
『く、クリストファ・クライストと申します! い、イリヤスフィールさんと言うのですか、よいお名前ですね!』
 ……だったもんなぁ。
 さすがの俺にもわかったぞ。


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