切り分けられたトーストに、バター、チーズ、ジャム。数種の野菜サラダに特製のドレッシング、軽く味をつけた目玉焼きにポタージュ。ティーサーバーにはシンプルにセイロンティーの二番摘み(セカンドフラッシュ)、コーヒーサーバーには何かこだわりがあるのかキリマン70%・モカ20%・ブルマン10%のブレンド。
 それらをテーブルに並べ、イリヤは満面の笑みに自信をミキシングしていた。
「どうぞ♪ 賄いのおばさん達に教わった、藤村組流ブレックファースト・イリヤ・アレンジバージョンです♪」
 ぱくり。
 出来合いじゃない。ちゃんと粉から作った食パンは、オヤジが死んだ後、精神的に潰れてた俺がお世話になった藤村組のおばさん達の味だ。
「あ、なんか懐かしいや」
「でしょう」
 ふふん、てな感じのイリヤ。
 年上なんだか年下なんだか分からないのが、この少女の持ち味だよな。
「シロウ、ミスアルトリアは…一体どうしたのですか」
「……ルヴィアはさ、料理できるか?」
「私はエーデルフェルトの主となる身、そのような瑣末ごとを学ぶ暇はありませんでした」
 ルヴィアの顔がこっちを向いているのを良い事に、凛の顔が『ヴィクトリィ!』って感じになる。そういえば俺の料理を初めて食べた時も『これなら勝った』とか言ってたような。
 赤いあくまは『淑女の皮』をかぶって、考えついた危険な言葉を発することをとめないだろう。

「ではミスエーデルフェルトはご自分で料理はされないのですね」
 意訳:どーせ出来ないんでしょ、アンタは。
「ええ。研究のための時間を割くようなことはできませんもの」
 意訳:そんな事する暇は無いわ。
「でも、ご自分の手料理を食べさせたい男性などは居ませんの?」
 意訳:男も居ないの? 寂しいものね。
「ええ。中々私の目にかなう男性がおりませんですから」
 意訳:貴方みたいに手ごろなのを選ぶつもりは無いわ。

 うう、こんなに懐かしい味なのに、食べてて美味しくない……この空気は……辛い……
「そちらのドレッシングは僕が作りました。少し濃い目に作ってあるので、量には気をつけてください……って、マトウ?」
 ぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱく、はむはむはむはむはむはむはむはむ……ごっくん。
 下品になどならない、ゆったりとしながら食べる桜。
 しかし一口ごとの量が微妙に多い。しかも『ゆったりと見える』であって『ゆっくり』ではない。
「えっと、どうかしましたか、クリスさん」
「……失礼な質問だということは重々承知していますが、宜しいですか……?」
「え? ええ、本当に失礼なものでなければ……」
「どこに入っているんですか、今食べたものは?」
 にっこり笑って桜。
「黙秘権を行使させていただきますね」

「はい」
 石化の魔眼でも持っているんじゃないかと、本気で疑いたくなる視線。
 桜にそんな目をさせる、致命的な言葉をしてしまったクリスにみんなは……
「さすがシロウの弟分ね」
「はい、とてもよく似ています」
「魔術を失敗させて暴走させるところもそっくりですね」
「でも料理は上手みたいね」

 ……それが俺の評価なんですか、皆さん?


 イリヤとクリスの合作の朝食は、実は中々美味しかった。
 ……一部材料が、魔術保護されたイリヤのバッグから出てきた時には一抹の不安を感じた。何だか『ぎろり』と巨大な目玉が動いたような気もしたから、内心怖くて見ることはできなかった。
 珍しく食事中に終始無言だった――この場で唯一料理できない――ルヴィアは不明――アルトリアはポツリと意見をこぼした。
『美味しかった。でも……涙の味がしました』
 ぽむ。
 彼女の肩に手を置き、言葉をかける。ここで下手な慰めはできない。
「ビシバシ鍛えるぞ」
「……はい!」
 アルトリア、其処で戦場に赴く騎士のような表情はしなくて良いんだって、涙の跡が残っているぞ。……手を抜いたら、風王結界で斬られそうだな……うん、手抜きしないで全力で俺の技術を教えよう。


Fate偽伝/After Fate/Again 第3章
第7話『召還機』



 呆然と、冷蔵庫を見ているだろう俺。
 理由は言わずもがな。
 冷蔵庫のストックは俺、凛、アルトリアの三人前+αが1〜2日分があった。
 前からやって来ることが分かっていた桜とイリヤの分もまあ、ちゃんと用意していた。けれど更にルヴィアとクリスだ。それほど大きくない冷蔵庫は、これで完全に空っぽになってしまっていた。

「――という訳で、俺は買い物に言ってくるけど、誰かもう一人手を貸してくれないかな」
「久しぶりに先輩とご一緒したかったんですけど……今日は手続きをしなければなりませんから…」
 残念そうに言う桜。
 確かに久しぶりにゆっくり話すのも魅力的だけど、そうだよな。桜は今回、その為にやって来たんだし。
「じゃあ手続きには、私が案内するわ」
「いえ。少し此処を見てみたいですから……」
 しかし凛の申し出までやんわりと断る。
 …おかしいな。
 いつもの桜なら、凛の申し出を蹴ったりなんてしないのに?
「イリヤは?」
「ちょっと気になる事があるの、だからシロウとは行けない」
 …この表情はアインツベルンの魔術師としてのイリヤだ…何か、あるのか?
「――イリヤスフィール?」
「リン、サポートをお願い。此処の工房を使わせてもらうわ。それとアルトリアはシロウの護衛を。……クライストは、強いわ」
 最後の一瞬だけ、魔術師から『娘』の表情に変わる。
 イリヤの持っている切嗣の記憶は、とても優しくて悲しい物だけ。クライストはそれを引きずり出してイリヤを傷つける。それが許せない。
「ここは私の工房よ」
「だからよ。リンのサポートが要るの」
 凛の疑問を打ち消すほど強い、イリヤの目の光。
 それは暗い情念など無い、ただ未来を見ている瞳――それは強い。イリヤは『乗り越えた』んだ。

「あの、僕にお手伝いできることは無いでしょうか」
「――ありがとう。でもこれは『私』の仕事だから」
 そうですかと、クリスは一目で分かるほどに項垂れる。

「退出する前に、皆さんに伝えておきたいころがあります」
 そう前置きしてルヴィアは立ち上がり、簡潔に言葉を紡ぐ。
「今後の対策を練るために、幾つか機材を提供いたします。皆さんはそう…本日夕刻六時ごろに私の屋敷へいらしてください」
「何を考えています、ミスエーデルフェルト」
「それは邪推ですわ、ミストオサカ。……昨日発生した遭遇戦において、クライストは私の『魔弾』を弾きました」
 その言葉に、凛の表情が凍る。
 ルヴィアと凛の実力は、とてつもなく高いレベルで拮抗している。その彼女の攻撃を難なく弾いた――対抗呪文の組み込まれた――インバネスコート、あれは間違いなく脅威だ。
 それに、あの傀儡の虫もだ。
 たった一体のゴーレムを抑えるのに苦心していたクリスに、やすやすとあの大群を操っていたクライスト。
 何か、策が巡らされている筈だ。
 それがわからない以上……まだ、だめだ。
「分かったルヴィア。その提案を飲むよ」
「魔術師の取引は等価交換。シロウ、私の機材と交換できるものはお持ちですか」
「何とか工面してみるさ、こっちも魔術師の端くれだから、さ」


「どうするつもりですかシロウ、貴方には――」
「アンタには交換できる物なんて無いでしょう!」
 詰め寄る二人、イリヤは我関せずとばかりにクッキー片手に紅茶を飲みながらこちらを見ている。くそう、藤ねえのダメなとこばかりそっくりに育ってるじゃないか! お兄ちゃん悲しいぞ、親父もきっと草葉の陰で泣いてるはずだ!
「シロウ!」
「士郎!」
 といっても、エーデルフェルトの財力とか考えれば、きっと良い品が用意できるはずで。
 なら、ちょっとくらい、いやいや、それはまずい、けど……
 ……聞くだけならタダだよな?
「ところでさ、凛」
「――何よ? 取引材料をくれって言ってもあげないわよ。私だってやりくり大変なんだもの」
「適当に宝具を投影して、冬木の聖杯戦争のサーヴァントの置き土産だって渡すのはどうかな?」
 パキリと、鏡の割れる効果音が聞こえた。
 それが何か考えず――もしかしたら、考えることを放棄したのかもしれない――言葉を続けてしまう。
「サーヴァントはもう居ないから使えば崩壊するけど、魔力で編まれた本物だとか誤魔化して――」
「いいわね、それ、面白そうよ」
 邪悪な顔をした赤いあくまが其処にいた。
「そうね、実費ゼロで最高級の魔術武器を作れるんだもの、それも最高級の『宝具』を」
 にぃやぁりぃ。
「し、シロウ、リンを止めてください?」
「……無理だよ……」
 すいません、アルトリアさん。こんな馬鹿なことを考えた俺が愚かでした。ですからこの暴走した凛を何とか止めてください。


>interlude


 凛は不機嫌を隠さずにイリヤを見る。
 甘え下手な彼女は、イリヤと桜が来たことで士郎との距離感が遠ざかったような孤独を感じていた。せっかく一緒に買い物に行けると、喜んでいたというのにだ。
「それで何なのよイリヤスフィール、わざわざ指名するくらいだからそれなりの用件なんでしょうね」
 凛の言葉に、イリヤは全く別の事を答えた。
 とても彼女らしい、冷酷でありながら優しい、矛盾を飲み込んだ魔術師の表情を浮かべながら。
「秘密は守ってもらえるのでしょうね」
 と。
「勿論よ」
 そう、とだけ答える。
 その様子に凛は、これからの会話が尋常ではない重要な事実を話すのだと察した。
「転生について」
 主題を前に置き、イリヤは回り道などせずに
「人間の魂は非常に脆弱で、器が無ければ霧散してしまう物でしかないわ」
 今更何を当たり前の事を、そう凛は考えるがイリヤの言葉にはまだ続きがある事を察して口を結び続ける。
「人形遣いの魔術は、その魂を保護する『殻』を作ること。魂は肉体に、肉体は魂によって変化し、やがて人形の体は人間のものに変わる」
 それも有名な事実。
「では、魂がある体の中に別の魂を入れることは可能なのか? …たぶん可能でしょうね、それをした吸血種は居たもの」
「でもそれも『真祖の姫君』『代行者第七位』に追われて、完全に滅んだって噂よ」
「永遠なんてありえないわ。今はそこから離れて」
 話は此処で切り替えろという。
 そして本来の『人形』についての議題を展開する
「人形は、人間とはかけ離れたもので人体を作り出すことを至上目的としているわ」
「有名なのは『伽藍の堂』のオーナー、蒼崎橙子ね。彼女の人形は封印指定を受けるほどの極上品だって聞いてるわ。確かにあれなら魂も何の問題も無く定着するでしょうね」
 その言葉に、イリヤは大きく頷いた。
「もし人形遣いの矛盾……生きた人間を人形に変え、人形に仮初の魂を定着させ、施術者の魂が宿るまでの代用とするとしたら? それがもしも、自分の魂が宿るに相応しい、最も抵抗の少ないだろう『血族』の体だったら?」
 その可能性を否定する意味はないように思えた。
 あまりにも、あり得る可能性だった。
「なら、あの『クリス』はどうなの? あの子は一体……流石にスライド式なんて事はありえないでしょうし」
「上位者が下位者の肉体を奪うとすれば、下位者はより下位の魔術師の肉体を用意している……その可能性も無くは無いでしょうけど、それ以上に意味は無いわ。乗っ取られると知っていれば、誰だって抵抗するもの」
「だったら……」
「……あの子の体、そこにクライストの秘密がありそうね」
 そうねと頷いた。
 ただ、それを確かめる術は無い。

「次の疑問よ」
 唐突に変わる話。
 イリヤは人払いしたのはこちらが本命だからと告げた。
「サクラの事。いくらマキリの後継者だからといっても、突然編入試験が免除になるなんておかしいと思わない?」
 何の実績も無い、あるとすればマキリという家系と魔術。それも名ばかりで、彼女が魔術師として行った事といえば――呪いの苗床にされた神父を助け出した事と、それと――
「マガイモノの小聖杯」
「まさか…」
「流石に時計塔の中で不埒な真似に及ぶ馬鹿は居ないと思うけど」
 顔を青ざめる凛に、大丈夫だと言おうとして――イリヤは突然眼前に突き出された顔に飛び退いた。
「――ってイリヤ、アンタ、さっきの話聞いてなかったの?! ああ違う、アンタはあの時料理してたのか……クッ!」
「なに自己完結してるのよリン! 私も分かるように言いなさい!!」
「今朝あの女が言ってたのよ! 時計塔の中で人形遣いに襲われて、魔術師が何人も行方不明になってるって!!」
「え――?」
 それは本当に不意打ちの一撃だった。
 イリヤの意識が一瞬飛ぶほどに。
「――探査をするわ、リンは急いで使い魔を!!」


>interlude out


 テーブルに置いた紙袋が倒れ、中身が零れた。
 俺達が戻ってきたとき、既に桜とは連絡が取れなくなっていたらしい。
「凛、最後に足取りが確認されたのは何処だった?」
「……事務局で、書類手続きをしたところまでよ」
「イリヤは?」
「似たようなものよ。ただ、おかしな物は見つけたわ」
 おかしな物、そう言ってイリヤは口を閉ざす。
 それは悩んでいる風でもあるし、明確な回答を持ちながら口出しできないようでもある。
「サクラの気配が途切れた場所に、二種類の魔術の痕跡があったわ。だから二人以上の魔術師が絡んでいる。それと――」
 イリヤが手にしたのは歯車。
 ――意識するより先に視覚が切り替わる。人間から魔術師の視覚へ、魔術師の視覚さえ超えた、衛宮士郎という魔術回路の世界に切り替わる。本来なら歯車として機能するはずの無い、歪んだ形。けれどそれが動いている姿が自然に想像できる。
 それは元から、歪んだものを動かすからこその歪み。
 俺がそれを知ると同時に凛はそれを見て一つの結論、当たり前の結論に行き着いた。
「これ、まるきり士郎の投影と同じ…」
「――!」
 アルトリアも息を飲む。
 これは現実を侵食する幻想、即ち固有結界の断片
 三人の目が俺に集まる。
「これ多分、魔術で歪められているぞ」
「え」
「カラドボルグIIと同じだ。もしかすると昨日のあれは……」
 コートの中から溢れ出す人形……固有結界……なら……ルールがあるはずだ。何か、ルールが……俺なら見たことのある剣なら全て複製貯蔵する『無限の剣製』……やつの『人形』が固有結界の産物なら……その生み出された人形に課せられたルールは……一体何だ……?
 最悪、力押しで倒すしかないか…?
「相手が固有結界なら、こちらも固有結界で対抗…」
「駄目よ」
 凛の制止。
 続くは忠告。
「士郎の『アンリミテッドブレイドワークス』はまだ、その能力を出しきれてないでしょう」
「かてて加えて、敵の能力も未知数。物量に物量で対抗するとしても、その質が問題となります。生半な魔術全てを寄せ付けない私が直接あたるべきでしょう。敵が魔術師だとしても、人形の物理攻撃力を考慮してもそれが最も優れた手段だと判断できます」
「アルトリアが聖剣を返還した以上、もしもの時に魔術装置を破壊できるのはシロウだけだもの」
 戦場に赴くのは自分だと告げる声に、破壊力の確保を告げる声が続く。
「なら最悪、私たちはシロウを守る盾になるのですね」
 その言葉は……聞きたくなかった。
「アルトリア。俺はもうマスターじゃないし、君はサーヴァントでもない。そんな言葉は使ってほしくない」
「それでも、最悪の場合の備えはしておかなければなりません」
 分かっている。
 彼女の頑固さは、分かっているつもりだ。
 俺一人じゃ出来ない事の方が多い。
 エゴだって分かっている。
 それでも譲れないものがある。
 ただ守られるだけの人間にはなりたくない。
「シロウ。その右腕の『刻印』は使えないのですか。今まで一度もそれを使っている姿を見た事がないのですが?」
 ギリ。
 右腕を握り締めるようにしている自分に気がついた。
『――造れ――』
 駄目だ、これは危険すぎる。
 俺が、人間が使える力じゃない。
「――ごめん、これは……例え相手が魔術師だとしても、人間相手には使えない。使える相手が居るとすれば、相手が……英雄以上の力を持った悪党だったときだけだよ」
 だから。
「聖剣は先にここで造る事にするよ。だからアルトリアがわざわざ俺の盾になることなんて無い。みんなが自分のするべき事をする時なんだ」
 息が飲む声が聞こえた。
 そんな事を気にしている暇は無い。
「何を言ってるのよ。あんた、アインツベルンの森でボロボロ担ったことを忘れたんじゃないでしょうね」
「だから、今投影するんだよ。戦ってる最中に倒れるなんて事は出来ないから」
 制止の声が聞こえた。
 それでも俺はやる。

「止めなさい! 聖剣の鞘が無いアンタに、聖剣は…」
 いや、聖剣は既に俺の中に『在る』。後は投影しきるだけ…!!
「――投影、開始!!」
「シロウ!!」
 俺を案じるアルトリアの声、それはより深くより強く聖剣を呼び出す力となる!!


>interlude


 それは、大規模な魔力を集める為の魔術装置。
 それは、人形遣いの王国。
 操るための糸を地面に引きずりながら走りつづける人形たち、その糸はまるで無いかのように扱われ、実際に絡まるような事故も起きない。人形たちは魔力を集めるための祭壇に刻まれた陣を縦横に駆け巡り、情報を書き換えていく。

 祭壇の中心にあるのはフラスコ。
 化学実験に使うような、見た目はガラスだが、実際には魔術で作り上げた水晶の単一結晶体であり、魔力を通しやすい物質であった。その中に気を失った人間が一人入っている。魔力は命そのものであり、死んでしまっては取り出す事が出来ない。意識を失わせてはあるがそれだけで、彼女は延々と眠りつづけている。
 吸い上げられた魔力は、呼び水となる。
 そう、それは誰でもなく桜。
 ウェルシュという男の策謀で時計塔に呼び寄せられた、彼の妄執を叶えさせる為の道具。かつてマガイモノの小聖杯とされた桜の体には尋常の魔術師では手の届かないほどの魔力が備わっている。それは破壊されたはずの大聖杯からの力の供給。
 これほど、この目的に適した存在は居なかった。

「これで私は……魔法さえ手に入れる事が……」
「出来ないよ」
 妄執に満ちた声を軽々と握りつぶすのは、少年のような声だった。断定できないのは、それに含まれた声の深さにあった。
 ばさりとインバネスコートの翻る音。
 それだけで誰何の声をあげる事無く、何者であるかを理解した。
 ならば込めるのは侮蔑の意思だけ。
「今更貴様に用は無い、消えろ下賎な魔術師(クライスト)
 それが通用する相手ではない。
 そよ風にさえ満たない。
 まるで壊れてしまった玩具を、どうせ捨てるなら気が済むまで壊してから捨てようという、歪み。善悪の判断を必要としていない子供の行動理論。
「下賎、下賎か。確かに私は下賎な魔術師だ。だが君はどうだいウェルシュ、自分が何者であるか、分かっているのかい?」
 この言葉に、寛容と思い込んでいた彼の意思は意味を失った。
 役に立つまでは飼っていても良いと考えていた。
 既に役に立った。
 なら、飼っておく必要は無い。
「私か、私は時計塔交霊学科副……」
「ああ、そんな肩書き、能書きは要らないよ。君は自分の中にあるものを理解していない……どうやら失敗作みたいだね『自動人形(オートマトン)』君」
 ぶちんと、切れていた何かが繋がった。
 それは最初からあったもので、最初から千切れていたもの、千切られていたモノだ。
 理性から声が、本能からより強い声が等しく叫ぶ。眼前に居る存在を完膚なきまでに殺せ、肉片一つ残さずに破壊しろと。理解する前に、理解させられる前にこの場に居る全てを殺し尽くし無かった事にしてしまえと。
「死、ね――」
 殺すためのイメージをカタチにする。
 水と雷の複合。
 ただでさえ魔術で造られた常識外の雷を、水という伝導体を使う事でより効率的に叩き込む、単純で豪快な殺し方。それをイメージして魔術回路を起動し――ようとして、異変が起きた。
「……な、に…?」
 ウェルシュの意思に反して魔術は発動せず、それどころか指先一つ、瞬き一つが彼の意思に従わない。
 出せるのはただ声だけ、それも屈辱の声だけだ。
 驚愕に青ざめているウェルシュの顔を、見るに堪えないと溜息をはき捨てる。
「君は魔術師としては有能だったが人間としては下の下。それどころか、この私の造った『人形』としては失敗作だったよ」
 その言葉は真実としての重みを持っていた。
 否定する要素が無かった。
 ウェルシュという魔術師は虚像の上に作られた人形だったという事を、否応無く思い知らされた。
 ガランとガラスが砕け散る音を、ウェルシュが自らの心と思い込んでいたものの砕ける音を聞き、全ての意識を放棄した。

 動く物は数限りなく、しかし命を持つものは二つ、意思を持つものは一つ。
「いや……もう暫くだけ使うか。一部記憶を破棄して、ついでに意識の改竄、最後には再起動……さて、君にはここで彼らを待ち受けてくれ。そのために渡したのだからね、あの『聖杯の欠片』を」
 意識も魂も無く、しかしウェルシュの脳は生理反応として痛覚に反応し、体をぐちゃぐちゃに動かす。歪な固まり、聖灰の欠片を飲み込む痛みによって、まるで本当の人形のように、ガタガタと音を鳴らしながら。
 そんなガラクタに、あっさりと興味を無くす。
 向かい合う先にあるのは、濁り始めた魔力の流れ、それを司る祭壇の姿。
 喜びに震え、終わりの始まりを宣言する。
「さあ、第二幕のフィナーレの始まりだ。……いざ動き出せ、滅びを呼び込め、我が『召還機』よ!」
 観衆も無く、聴衆も無く、それでも全てが始まった。
 終わりをもたらすモノの、始まりだ。


>interlude out


 ルヴィアの洋館を前に、凛は胸を張って言葉を告げる。
 その様はまさに戦隊ヒーローの主人公、彼女のイメージカラー通りの『レッド』だ。
「ここが悪の要塞、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの居城よ」
「リン?」
「此処では邪悪な魔術師による邪悪な研究が日々行われているわ」
「いや、彼女は凛と同じ宝石魔術師じゃないか、なら内容は……」
「私達の目的は並み居る戦闘員を片端からなぎ倒し、ミスエーデルフェルトを打倒、宝物庫に囚われている財宝を保護することよ」
 戦闘員って、俺の先輩方なんですけど。
「突込みどころが多すぎて、もはや何も言えん」
 コークスクリュー・ブロー。
 肩・肘・拳が一直線になる理想的な、それもねじりの入った一撃。
 吹き飛ぶ俺、きっと錐揉み。
 くるまだ飛び。

「……がふっ」
「キジも鳴かずば撃たれまい」
「シロウ、正直なところは貴方の美徳ですが、時と場合と相手を考慮すべきだ」
「アンタも言うようになったわね…」
 ……どうやら凛は、落ち着いているようできっちり錯乱しているようだ。
 いや、俺だって錯乱できたほうがきっと楽だと思っている。
 けれどそんな逃避は出来ない。
「…凛、まだ、体中痛いんだけど……投影の後遺症って、結構痛みが酷いんだぞ」
「ふんっ、自業自得じゃない!」
 悪かったとは思ってくれているのだろうか、顔を赤らめながらそっぽを向く。
 そして今、アルトリアはただ一時の為に、今一度聖剣を携えている。後はこれを使う『時』が来るのを待つだけだった。


 出迎えたメイドの一人に来訪の目的を告げ、ルヴィアの自室へと通される。
「まずはこれを見てくれ」
 言って、俺は荷物をテーブルに置き、幾重にも貼り付けた封印を剥がす。それっぽさを演出するためにでデッチ上げた箱を開き、中から包みを幾つも取り出す。布の中に包まれていた物が姿を顕した時、この中身を知らなかったルヴィアとクリスが息を飲んだ。
「冬木の聖杯戦争で、宝具さえコピーする、私達とは全く違う投影を使うサーヴァントが居たわ。これはその置き土産よ」
 テーブルの上に所狭しと並べられるのは俺が投影魔術で作り上げた、『抜けば誰か一人を殺す剣(ティルヴィング)』『裏切りを許さぬ剣(ブルトガング)』『友を斬る、裏切りの剣(アロンダイト)』『無為の剣(フルンティング)』『聖槍の欠片、宿せし剣(ジュワユース)』……名だたる名剣の数々。魔術師なら分かるだろう。これが現実を侵食する幻想という、有り得ない偽物でありながら本物に劣る事の無いものであることが。だからこそ、受肉した英雄の存在にこれを重ねあわせ、騙される。
 俺は、凛が超一流の詐欺師でも出来そうに無いほど流暢に嘘をつける人間だと確信した。嘘に嘘を重ねればそれは真実の輝きを失い、簡単に看破されるだろう。だが、真実と適度に混ぜ合わされれば、その輝きを見分けることは難しい。
 本当にごく一部以外は正しい。
「これが、投影魔術の産物ですって……」
 戦慄するルヴィア、その顔には僅かながら冷や汗のようなものさえ流れている。
 手に取り、見やる。
 グラムを手に取りながら必死にそれを調べているルヴィアの横で、クリスはジュワユースの柄を開けてその中にあるものを取り出した。
「本物じゃない、でも偽物でも無い……これ、ロンギヌスの槍の欠片だ……」
「なんですって?!」
 難攻不落のジェリコの壁を砕き、槍の名手ロンギヌスによって聖人キリストの脇腹を突き刺し殺し、その血によって聖別された伝説の槍の欠片。その秘められた力は数多くの伝説を残している。
「力を解放すれば消失するようですが、研究素材としては申し分ないと思いますが、ミスエーデルフェルト、クリス、如何ですか」
 見える。
 英霊エミヤのように背中で語っている。
 想像したくもないくらい、邪悪な笑みをしているって背中で語ってるよーーーっ!

「ええ、…これなら十分に、交渉材料たりえます」
「僕に用意できたの…単純なものしか無いんですが……」
 声の上ずるルヴィア、等価交換には足りないと残念がるクリス。

「それでは私達の用意したこれらの武具を確認してください――」
 その言葉がまるで引き金だった。
 ルヴィアの言葉が途切れたと同時に別の声、聞き覚えのある少年(クライスト)の声が流れる。
『面白そうだね、それは僕が貰っていくとしよう――』
 ガシャン!
 窓ガラスを周囲の壁ごと破壊して、排気ガスや埃を纏わりつかせた塊が飛び込んで来た。
 関節があるわけでもないくせに、遅滞無く流れるように体を動かし、表面では筋肉のつもりだろうか、四肢が盛り上がり、その体を動かす。発声器官があるわけでもないのに『ギャアア』と鳴く。
 工房そのものではないとはいえ、魔術師のテリトリーである館に突如現われたそれは、悪魔を思わせる外見をした『動く石像(ガーゴイル)』だった。
 ガーゴイルは大型が四体。突入口を二体が塞ぎ、残る二体が室内で威嚇を始めている。
 何しろ石の塊であるし、宝石魔術の『魔弾』はこの密閉空間で使えるような代物ではない。なら此処で戦えるのは――!
「ルヴィア、凛とクリスを安全な場所に! 凛、二人を戦場から遠ざけてくれ!」
 自分も戦える、そう言おうとしたのだろうが、凛もルヴィアもそれぞれの意図を解釈してくれたようだ。単体での戦闘能力の殆ど無いクリスを守って欲しいとルヴィアが、俺が此処で『魔術』を使って戦う姿は他人に見せられないものである事を凛が理解してくれた。
「わかったわ」
「分かりましたわ、二人ともこちらへ!」
「え、あ? ちょ、原因である僕が逃げる訳には――」
 ドップラー効果さえ実現しながら遁走する二人には賞賛を送りたい気持ちで一杯だ。
 さて。
「アルトリア、大型は頼む。俺は小型三体を潰す」
「信頼していますよ、シロウ」
「了解、お師匠様。――投影、開始」

 振るわれる、石の塊ガーゴイルの腕。
 莫耶を持って迎撃する。
 ギィン!
 そのまま回転し、勢いのついた尻尾が俺の頭を狙って振り払われる。
 ゴグゥ。
 盾となった干将に歪みが入る。
 急制動。
 ありえないタイミングで反転、尻尾、バックブロー、それぞれを双剣で防ぎ、蹴りを受け損なう。
 皮膚が裂け、ガードに使った腕からはだくだくと血が滴り落ちる。幸いというか骨に異常は無い。かつてライダーの釘もどきの短剣を止めた骨、だからってガーゴイルの攻撃を防ぎきれるのか?
 暴れる心臓と肺腑を押さえつけ、俺はただ敵を睨みつける。骨に張り巡らされた筋肉は、神経の伝える信号の制御を抜け出して暴発しようと震えている。干将莫耶の夫婦剣を持つ手は血に塗れ、既に持つ事さえ困難だ。
 だが……夫婦剣の宝具という肩書きは伊達じゃない!
「そっちのダメージも……少なくない!」
 ゴウと風を切り裂いて薙ぐ干将、その刀身に皹が入る――関係ない。
 干将を破棄、再度投影、更にもう一撃。
 受けるたびに崩壊していくガーゴイルと、常に最高の切れ味を発揮しつづける宝具の双剣、その攻撃に、差はついに開きだす。

 バキィン!
 干将一本を代償に、ガーゴイルの腕はあらぬ方向に飛んでいく。
 それなりの腕前と宝具が、魔力を帯びた石ころを切り捨てた結果はあたりまえのものだ。だが代償として干将が欠ける。損傷した干将は急激に存在を消失させていく。消える前に第二撃、腕を失ったガーゴイルの腹に残る莫耶を突き立て、奴等の突入口へと蹴り飛ばす。
「痛ゥッ!」
 石を全力で蹴り飛ばした反動で、足が痛む。骨には問題ないだろうが、筋肉にはかなりの負荷がかかった。内出血くらいは起しているはずだ、とりあえず無視する。
 ガーゴイル(1)が窓の外、見えない位置に飛んでいった事を有視界で確認、叫ぶ!
壊れた幻想(ブロウクン・ファンタズム)!!」
 ごぶぁあ!
 膨れ上がったエネルギーはガーゴイルの内側で遺憾なく発揮され、石の欠片を撒き散らして吹き飛ぶ。
 その衝撃に体に皹を入れながら三体目が侵入を始める。

 ガラン…!
 俺が見たのは、風王結界を手にしたアルトリアがガーゴイル(2)に背を向けた姿だった。
 彼女が敵に背を向けるなんて事がある筈無い、そう思った時――輪切りになってガーゴイルが地面に落ちる。それはまるで、斬られた事に気づかずに動き回って崩れ落ちる……アニメの1シーンのようだった。
 チャリと、風王結界に隠された剣の本体、俺の作り出した聖剣を手にして凄絶な笑みを浮かべる。
「ふ、やはり……この(エクスカリバー)こそが私の手に最も馴染む……」
 その瞳はどこか、これから辻斬りに赴こうとする浪人を連想させた。間違っても子供に見せてはならない顔だ。あの丘に突き刺さる剣の……一部の刀が俺も俺もと騒いでいるような錯覚を感じた。
「次の獲物……」
 彼女に相応しくない笑みが、どうしても消えない。
 ずるりと部屋の中に入り込んだガーゴイル(3)が、心を持たないはずの石の魔像が脅えたように見えたのが、とてつもなく印象的だった。
「シロウ……見ていてください。サーヴァントの制約の無いこの私、アルトリア・ペンドラゴンの真の力を!」
 解かれる風王結界、姿をあらわす聖剣エクスカリバー。
 俺の作る剣は、確かに宝具としてのランクは僅かに下がる。だがそれだけだ。そこには全てが込められている。彼女の手に在る以上、それは真実エクスカリバーとなる。
 剣士、剣、鎧、盾……担い手と武具。組み合わされる事により、剣を振る、盾を構える、鎧を纏う、それらによって異なってしまう重心、足の運び、そして心。アルトリア・ペンドラゴンという剣士の全てを発揮するのは、この聖剣エクスカリバーを持って他に無い!
 セイバーではない、今まで見てきたアルトリアではない。
 ここに現れたのは戦場を駆け巡った王の、騎士として戦うその姿!!

 断ッ!!
 背後の壁ごとガーゴイルが両断され、切断面から衝撃が走り、砕け、灰燼と化し、石像が砂となり、舞い、散っていく!
 疾走ッ!
 突入をためらうガーゴイル(4)に瞬時に肉薄し、その砲弾に匹敵する爆発力を発揮、足元の床石を砕きながら、足跡を刻みながら、魔力防護壁ごと弾き飛ばす!
 ……って、そこは空中…
「アルトリアァァッ!!」
 掴めるはずは無い、それでも空中に飛び出した彼女の手を掴もうと走り、手を伸ばしたその先に――
「ハァァァァァ!」
 衝撃で動きを止めたガーゴイルに身を預けるようにして――
 斬ッ!
 ガーゴイルの首を刎ねる!
 当然のように崩れ始めるガーゴイルを、今度こそ常識を無視して――足場にし、跳躍した!
 なんて無茶。
 足場にされたガーゴイルは更に加速、地面に触れる前に粉微塵と化し、跳躍したアルトリアは俺のすぐ前に――その凛々しい顔を綻ばせて――
「シロウ!」
 全ての思考を吹き飛ばすような笑顔を見せ、手を伸ばし――俺は何も考えず、彼女の手を掴んで、そのまま抱き寄せた。
 知っていた。
 彼女は剣士で、騎士で、王様だった。俺はそんな事を知った上で、一人の女の子として好きになったんだ、愛したんだ、だから――騎士になってしまった彼女を、氷を溶かすように、思い切り抱きしめたかったんだ。
 俺は思った。
 俺はとことん最低な、女好きなのかもしれない。
 だってここで彼女を抱きしめながら、俺とアルトリアともう一人、凛が居なければピースが足りないなんて考えてしまうんだから。



「等価交換には足りないかもしれませんが……これを見てください」
 そう言って渡されたのは、クリスの持ってきたコート。
 誰かの息を飲む声が聞こえ、見た先にいたのは凛。いつもなら彼女はルヴィアがいる場所では一切、対抗意識以外の感情を出さないようにしている。その凛が、クリスの『赤い』コートを見て息を飲んだ。
「――いえ、交換などせずとも差し上げます。クライストの魔術師が未熟な幼年期に自分の身を守るためのものですが……決めました。クライストは『魔術師』である事を捨てます、これはもう必要ありません」
「待ちなさい!! 魔術師であることを捨てる…その様な事が出来ると思っているのですか!」
「出来る出来ない、ではありません。悲劇の連鎖を留める為に、しなければならない決断です」
 昔、凛が俺とオヤジの魔術師としての関係を聞いたときのことを思い出した。
 魔術師としての衛宮の歴史を終わらせようとしたオヤジと、衛宮の魔術を継ぐ事は出来ないのに、オヤジのようになろうとした俺。
 そして、生まれたとき…いや、生まれる前から魔術師としての運命を背負わされていた凛。それはルヴィアも同じだ。体に刻まれた魔術師の歴史と魔術刻印は既に呪いと同じ。一生、共に存在するもの。代を重ね重みを増すもの。
 それを理解して生きてきた人間にとって、魔術師の廃業など、到底許されるモノではない。凛は既に衛宮という前例を知っていて、それを彼女なりに理解している。けれどルヴィアはきっと、これが最初の事例なのだろう、彼女らしくない姿をさらけ出している。
「訂正しなさい、クリストファ・クライスト!! 貴方のそれは、魔術師全てに対する冒涜です!!」
「僕は訂正なんてしません。例えそれがどれほど間違った事であるとしても、それが正しいと信じています」

 そうだ。
 クリスの目は、俺と同じものを見ている。
 魔術を扱うものでありながら、魔術師としてでは無く、人間として前を見ている。
 ならここで俺が言うべき事は、一つだけ。
「…クリス。俺の父親、衛宮切嗣は魔術師であることを捨てた人間だった。衛宮の魔術の歴史は其処で途切れた。それでもなお、衛宮士郎と言う跡を継ぐ者が現われた。魔術が人を惹きつけるモノである以上、君が歴史を閉じた所でいずれ後継者が現われるはずなのに、そこで閉じてしまって本当に良いのか」
 途切れたものを、繋ぎなおす。
「途切れさせるよりも、正す人間であるべきじゃないのか。君はそれで後悔せずに済む道を選ぶべきじゃないのか」
 シンと、その場の流れが止まる。
 真っ直ぐに自分の道を歩く。
 偽りの無い生き方を、そして後悔をしない生を駆け抜ける為に。
 死んで後悔したあの男。そうなってはならない事を。
「参考になればいいと思う。いつか君が親になった時、子供たちに伝えたい事を考えるのは悪い事じゃないさ」
 ……ってクリスだけじゃなくルヴィア、何でそんな『其処まで考えていたんですか?!』的な表情をするんだ?

 そんな俺たちを捨て置いて、凛とアルトリアはクリスのコートを見ていた。
「これは、あのコートでは…」
「ええ。きっとそう、これが『そう』なのよ」
 凛はそれを手に取ると、何のためらいも無くナイフを通した。
「なんて事をっ! 正気ですか、ミストオサカ! 聖遺物である聖骸布を切り裂くなど!」
「私は正気です、ミスエーデルフェルト。私達は、これが一体何のためにここで私達の前に現われたのか、それを『知っています』から」
 クライストの子供を守るためのコートは、長い歴史を重ねてきたのだろう、子供たちの体格の違いを考慮し、重ね着する冬の事を考慮し、かなり大きなものになっている。けれどそれは彼女のような女性ならともかく、俺のような男が着る事はまず難しい。
 だから凛は、赤い『魔力殺しの聖骸布』で出来たコートを三つに切り裂いた。
 左右の袖と、背中から下。

「士郎」
「……わかった」
 俺に対魔力がほとんど無い事も、成長すれば伸びるなんて事も考えようは無かった。なにしろ聖杯戦争でマスターが認識するサーヴァントの能力値、衛宮士郎の果ての向こうにいるあの男の耐魔力は『D』、シングルアクションの魔術を防ぐのがやっとだったのだ。
 なら、魔術すら飛び交う戦場でアイツが戦いつづけるのに必要だったのは、魔術に対する防護、それだ。
 理解はした。
 ……理解はしたのだが。
「シロウ、分かっていても……いえだからこそ似ています」
「そうね。私も分かっている積もりだったけど、こうして改めて見ると、ね」
 袖を通し、落ちないように背中と胸元で固定する。腰のベルトに巻きつける。確かにこれは、あいつのコートの巻きつけ方だ。何かこう……運命に操られているような気がする。夢で聞いた、あいつの忠告のように。
「覚えていてくださいエミヤ。それは魔力殺しの聖骸布、外界に働きかける魔術はほぼ全てシャットアウトされます」
「その辺の心配は要らない。――この格好をして思い知ったよ。俺は、自前の魔術しか使えないってさ」



 静観を保つ時計塔。
 事ここに至っても、ルヴィアや凛にだけ、この件を任せるようだ。
 オヤジが言っていた『協会と関わってはいけない』という言葉の意味が良く理解できた。あれは、能力以外の全てが駄目な人間の溜まり場なんだ。それを理解して俺達は、イリヤに先導されて郊外にまで来ていた。

 凛は正面に立ち、リーダーに相応しい威厳に満ちた態度と声で宣言した。
「準備は良いわね、みんな。私達のする事はとても単純よ……アルトリア」
 はい、と頷きアルトリアが一歩進み出る。
「サクラを助けてクライストの一味を倒す。敵戦力がはっきりとしない以上、全力をもって急襲し離脱する。相手がこちらの襲撃を予想している事、それを念頭に置いた上で行うのですから……こちらの被害は十分に予測されます」
 改めてその言葉に、緊張が走る。
 しかしルヴィアはそれを優雅に振り払う。
「その為のチーム編成としてミスアルトリアをリーダーにクリストファとシロウをAチームとし、私をリーダーにミストオサカ、イリヤスフィールをBチームとして編成する事を提案いたします」
「その判断基準は?」
「最大戦力であるミスアルトリアを前衛、クリストファを後衛とし、何故居るのかわからないシロウをついでに守ります」
 あまりと言えばあまりのルヴィアの台詞。
 俺は心の中で泣くしか出来ず、凛とアルトリアとイリヤは揃って『ああ知らないんだな、こいつ』と目で訴えかけていた。
「次により多くの宝石を持つ私をメインに、私と同じ戦術理論を持つミストオサカがサポート、最大威力に一歩劣りながら多彩な魔術を持つイリヤスフィールが後衛に着きます」
 …いや『熾天覆う七つの円環』『壊れた幻想』さえ使えれば、力押しでは誰にも負けないんだけどな。
「ではイリヤスフィール、情報を」
 凛がレッドなら、ルヴィアは金色だけどブルー。冷静に主人公と対抗するキャラクター色だ。
「リンの工房を使えたから探査は案外簡単だったわ。場所は倫敦郊外の、特に名前もついていない丘。ただ、都市に出入りする龍脈の集中する場所で、神殿とまでは行かないけど、普通の工房じゃない何かが作られているわね」

 そこまで言った時の事だった。
 突然、ズンと地面が縦に大きく揺れた。大地は鳴動し、地割れを起し、断層を見せる。立ち続ける事は困難で、体を支える事は難しい。急激に吸い上げられた霊脈が、有り得ない事実に異常を訴え、地を揺らしているのか。
 鳴動が消失した瞬間、寒気がした。
 この感覚には覚えがある。
 それは12年前の新都、2年前の柳洞寺――聖杯の出現による、その注がれる中身……『この世全ての悪』の放つ悪意。
 この光景には覚えがある。
 それは数キロ先、地上から伸びる黒い塔と、夜なのに見える、黒い太陽。

「―なんですの、あれは」
 ルヴィアの声は震えていた。
「ミスエーデルフェルト……そうね、貴女は知らないのね」
 知らなければ、それも幸せでないのか。凛の声には、その様な響きも含まれていた。だが、この場でそれの意味を知らなければ、死ぬ危険はどれほど増大するか。
「本物がどうあれ、少なくともあれは私達が冬木の街で見た『聖杯』と同じものよ」
 俺たち全員が夜空に浮かぶ『真っ黒な太陽』を見上げる中、凛の言葉が続く。
「そしてあれが此処にあるということは、既に六体のサーヴァントは倒れて……」

「聖杯とは違う。だが同じでもある」

 忘れようの無い声。
 おそらくは、声そのものを忘れても、その声に含まれる圧倒的な存在感と暴的なイメージが消えることは無い。
「まさか貴方が現界しているとは…」
 アルトリアは既に剣を構えている。
「くっ…」
 竦みかねない体を推し、凛は宝石を飛礫のように放つ為の姿勢に入っている。
「あれは…まさか…」
 聖杯、サーヴァント。つい先ほどの話に聞いていた単語、それが殺意を隠さずに膨大な魔力と共に現われれば、慣れている俺たちだって緊張するのだ。ルヴィアの硬直も仕方ないだろう。
 クリスに至っては、声さえ出せないらしい。
「油断するな。一瞬で殺されるぞ」
 この状況で一体なんて間抜けな言葉を言っているんだか。
 一々言わずとも、言われずとも分かるような事じゃないか。
 けれど、言わずには居られない。
「ほかの六騎は、既に――」

「そう、雑魚どもは消えた。最強たる我が居るのみだ」
 見覚えのある、黄金の男が其処にいた。



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