此処で起こったのは、考えもつかない程の最悪の事態だった。霊脈に根ざし、大源から魔力を集める魔術装置。これは大規模な儀式を行うなら、存在しているのは別段おかしな事ではない。
ただ、その上で構築された魔術の術式に問題があった。
冬木の聖杯システムを知る誰かが入れ知恵――または類似する他のシステム――だが状況からしてクライスト――ならやはり冬木のシステム――したのだろう、ここでは根源に至る孔を作り出す方法として大聖杯に相当するシステムを建造し、桜を小聖杯の代用として儀式を行ったのか。
桜の体に巣食っていた刻印虫は全て『破壊すべき全ての符』により魔術としての機能を無効化され、心臓に寄生していた臓硯もアーチャーの手で引きずり出され、グラムを突きつけられてこの世から消えた。
本来なら死んでいるはずの桜……確かにあの時『全て遠き理想郷』で傷を癒した。
だがそれ以上に…一度聖杯の器にされた事で手に入れた『生命力そのものである魔力』が尋常ではないほどに増強されている。既に大聖杯は存在しないのに、だ。これはイリヤも同様だが、だからこそ『呼び水』として桜を連れ去り、擬似的な聖杯システムを起動させたのか。
だがそんな憶測なんて必要ない。
今、目の前に居る悪夢、そいつ以外に問題なんて無い。
全身の細胞がいっせいに悲鳴をあげて、逃げろと叫んでいる。生存本能が、この場に居る事に拒否を示す。一体何度、あれによって殺されたと思っているのか、と。もはやこの身に聖剣の鞘の加護は無い。殺された癖に死なずに生き残るなんて真似は、出来ないのだと、理性が撤退を命じてくる。
逃げないのは意地だ。
守るべきものがあるからだ。
戦うべき理由があるからだ。
だから、俺は今此処に立ち続ける。
けれど、あれに初めて遭遇した二人はそうもいかない。
「…あ、あれは。あれは一体何なんですか…?!」
ヒステリックにさえ感じる、クリスの悲鳴と同等の叫び。
「あの魔力、威圧感……人では在り得ません……」
ルヴィア、それは正しい。あれは人間からかけ離れすぎた存在だ、もとより神代にすら存在したかどうか分からないモノ。人間の思いによって作り上げられた、理想の具現。だからこそあいつは、人間の理想そのものとして機能する。
眼光は、視線の先にある物全てをすり潰すような鈍さを兼ね備えた冷たい光。
ただ一度、睥睨したのみ。
それだけで二人を黙らせる。
「二人とも下がって。ここに居るのがあいつなら、まともな魔術師じゃ前に出ることさえ無意味だ」
それを言った時に、喉が張り付いて痛みを訴えている事に驚いた。
この程度でまともに話せてるのだから。
そして、そいつは如何にも楽しげに口を開く。
「久しぶりだな雑種、そして我が愛しき騎士王よ」
金の鎧を身につけた英雄王は、アルトリアに情愛と情欲の混じった眼を、そして俺に憎悪と殺意だけの目を向けた。
Fate偽伝/After Fate/Again
第3章
第8話『真実の英雄、偽りの英雄』
「聖杯のサーヴァント? …ううん、これは違う?」
「ほう、雑種にしては目が効くな、小娘」
ギルガメッシュの否定。
ではこれは一体何なのか。あの冬木の聖杯と同じ状況であるというのに。
「あれは人を滅ぼすだけの毒の器。願望機としての機能を省き、ただ『
心底楽しそうな英雄王。
今一度確信する。俺はコイツとは相容れない。決定的に、異なるのだから。
願望機では無く、単純に殺傷のみを追及したもの、『この世全ての悪』をこの世界に降ろす為の『召還機』。
「クライストという愚か者、お前たちを確実に殺す事をのみ考えている。…実に小気味良いではないか」
その言葉に反応したわけではないだろう、剣を構えるアルトリアに目を向け、その宝具を発動させる。
ゆらりと揺らめくのは、宙に開いた門から覗く、17の宝具。
その一つ一つが、俺を殺すのならば一つで10回は殺せる代物だ。
「積もる話もあるが、貴様は目障りだ。失せろ贋作者」
言葉と共に、更に増すプレッシャー。
眼前にある、死の具現たるギルガメッシュ。
人間の魔術では防げない宝具の群れと、こちらの魔術構成を容易に看破する魔術に対する洞察力と、行使された魔術を容易に跳ね返す対魔術の装備。対抗するには、ただ宝具を持って相殺する事しかないのか。
だがどうする。
蔵の宝具『王の財宝』から呼び出される宝具ならともかく、奴の宝具『乖離剣』は投影どころか解析さえ出来ない。それはあの公園での戦いで思い知らされている。アルトリアの魔力防護壁を容易に突破する威力。確かに『全て遠き理想郷』なら防げるだろうけど、あれは投影の負担が大きすぎる。
一撃を防いで、そのまま力尽きるなんて事になれば殺されるだけ。
防いでその隙にアルトリアが切り捨てたとしても、その時は聖剣は消失して、召還機を破壊できなくなる。第一、凛やイリヤ、ルヴィアがどれほど優秀な魔術師であろうと、人間の能力では勝てない。
彼の英雄王が何を考えているのかは分からないが、必殺の気配だけは容易にわかる。だから俺は決意する。
右腕にある、自らに使用を禁じた『刻印』に意識が移る。英霊並みの強敵、かつ悪。目の前の英雄王はまさに『それ』だ。もしこれを使うなら、いや既に使わざるを得ない状況になっている。なら俺以外の人間は、むしろ邪魔といわざるを得ない。どれほどの『破壊』を撒き散らすかなど、分からないのだから。
「アルトリアとクリスは…」
「シロウ?」
「クライストを倒して桜を助けてくれ」
「必ず」
「凛」
「何、士郎」
「イリヤとルヴィアを連れて、召還機の破壊を頼む」
補給源さえなくなれば、魔力消費の激しい宝具の連続使用は出来ず…ギルガメッシュは消滅するはずだ。
いや、消滅させてみせる。
「馬鹿なことを言わないで。英雄王なんて者を相手に、貴方一人で何が…」
「行くわよミスエーデルフェルト……士郎が本気で戦えば、私たちは足手まといにしかならない」
「そうよ。悔しいけど、英霊と真正面から力をぶつけ合う戦いなら、私達三人がかりでもシロウには及ばない」
凛とイリヤの悔しさと信頼に満ちた声に、ルヴィアは息を飲む。半人前とさえ呼べない、まだまだ初歩の魔術しか行使できない俺に、二人程の魔術師が信頼しているのがそんなに驚く事――なんだろうな、やっぱり――らしく、ほんの数秒だけ言葉を失った。
「分かったわ士郎。でも私たちだけじゃ――」
ああ、”根源に至る孔”さえ破壊する力は、生半な魔術では得られない。それこそ宝具クラスの魔術兵装で無ければならない。それも凛にとって馴染みのある武器。それは俺が知る限りただ一つ、かつての戦いの中見た、幾つもの光景を記憶の中から引き出し、再生する。
アーチャーの心象世界の中、廃棄場の如き大地に、墓標の如く突き刺さる剣の群れ。そしてギルガメッシュの宝具『王の財宝』から沸き出でる宝具の群れ。それは俺の心象世界に剣を生み出しつづける。
その中の一本を、在り方を無視し、力を生み出すための形だけを取り繕い、それでもこの世に再現する。
「
この最悪の事態を目にし、俺は決めた。
衛宮士郎の限界を超える奇跡を、自分の理解など到底及ばないものを、あの世界から引き上げる。英霊エミヤの置き土産の一つを呼び起こし、俺の世界に眠るそいつをこの世に現出させる。
出来ない道理など無い。
この身は剣製においてのみ特化した魔術回路、そしてそれ以上にアイツがした事を、俺が出来ない道理は無い。俺の敵は常に俺自身であり、アイツに負けることは最大の敗北であるのだから。
存在のあり方なんて理解できよう筈が無い。
それでもその能力を引き出す為だけに、カタチとそれに見合うだけの中身を読み込み、魔力を持って形を与え、投影を行う。常に無い、激しい衝撃。それは魔術回路の発光さえ起こし、背後からの息を飲む声さえ聞こえないほどの極限への挑戦。
結果生まれるものは『究極の一』たる第二魔法の触媒たる偽物。
「
凛に向けて放ったのは、剣としては到底役に立たないだろう、一本の短剣。ただし、宝石魔術の使い手である凛にとってはこれ以上ない最強の武器『宝石剣ゼルレッチ』に他ならない。
ルヴィアがまた息を飲んだのが分かった。
けれど説明している暇なんて無い。
「サクラは私が」
「行ってくるわ」
「ああ。さっさと終わらせて朝飯にしよう」
「じゃあシロウ、私はハンバーグが――」
「分かった。可能な限り、リクエストには応えるさ」
再び偽りの呼び水とされた桜を救うために、アルトリアとクリスが。
歪み穢れた召還機に、凛とイリヤとルヴィアの三人が。
なら、俺はここで時間を稼ぐ――いや、あいつを倒す。
「茶番は終わったか」
「律儀に待ってくれるなんてな。王様の余裕って奴か」
「かもしれぬ。――く、ははは、ふははははははははははははははははは!!!」
何がおかしいのか、ギルガメッシュは笑い始めた。
偽善者め。そう言い捨てて、先程よりも遥かに明確な意思を俺にぶつけてくる。
「確信したぞ、雑種。例え異なる世界であっても貴様はあの雑種と同一の存在であったか。その偽善、虫唾が走るわ!!」
それぞれのすべき事を理解し走り出す、俺の最も大切な人たち。
彼女たちを守る。
今大切なのは、そのことだけ。
「――
空中に広がる17の宝具、それは見ただけで理解できた、いや既にこの俺の世界の中にある。見ただけで複製する、それとも受け継いだアーチャーの記憶の中にあったのか。
「
「ふん、『あの時』と同じか」
その言葉の意味は俺には知りようが無い、いや――英霊エミヤは、衛宮士郎がギルガメッシュと戦っている姿を見ていた。ならばこの男には?――知りようはある。相殺は出来る、だがそれだけか、何か出来ないのか、あいつを超える方法は無いのか!
「行くぞ、雑種。確かめてくれる」
撃ち出される宝具、それは形を得た『死』そのもの。
俺に出来る事はただ一つ、世界を、剣を作ることのみ!
「
>interlude 8-1
表面上冷静を取り繕ってはいたが、ルヴィアは半ば混乱していた。
交霊学科の副学科長の造反、聖杯に似せて造った『召還機』という名の魔術兵器、人類最古の叙事詩に名を残す英雄王、偽りであるはずの投影魔術で宝石剣さえ作り上げる青年。何もかもが、魔術師であるならば囚われてならないはずの彼女の『常識』を無理やり削り取っていく。
士郎と英雄王を置き去りにして、隣を走る二人に疑問を投げかける。
「これは一体、どういう事ですか?」
と。
だが凛、イリヤとて情報は不足している。分かるのは単純な事実だけ。
「今は何も聞かないで。これが終わって生きてたら、その時は話すわ」
「…その宝石剣は、使えますの?」
「それは間違いないわ。士郎が造った物である以上、本物と同等の偽物であるはずよ」
その言葉は既に異常。だが衛宮士郎という青年を知る人間こそが、それを最も理解し、その上で受け入れている。全幅の信頼を持って。
理由が知りたいと彼女は思った。ただただ真っ直ぐで、頑なで、不器用な生き様の彼が一体、どのような人間であるのか、彼女自身にとってどのような人物であるのかを見極めたいと思った。
魔術師と英雄王の戦いの場から、ほんの数キロ。
其処にあったのはやはり、召還機となる魔術の祭壇。龍脈に根ざし、魔力を際限なく飲み込みつづけ、魔術式に注ぎ込みつづけている。そんなものの所為で、この場は枯れ果て、すでに穢れに満ちていた。
召還機の作り上げた、いまだ不完全ながら開き始めた『根源にいたる孔』は黒い粘性の高い、まるで泥のような穢れを延々と吐き出しつづけ、泥は蛇の如く鎌首を持ち上げ、近付く獲物を探している。
これでは近付く事さえ危険だ。
あまりにも歪んだこれは、やはり本質的には大聖杯と同じものであるとイリヤは理解した。
大規模な回路の中心から伸びる、穢れきった『孔』に手を伸ばすのは、やはり受肉を望む『この世全ての悪』か。
それはまさに召還機、呼び出されたのは黒く汚れ穢れ濁り沈殿した、人の悪意その物が受肉した、形さえ持てずにのた打ち回る、黒い泥としか形容の出来ないもの。
「これが、こんなものが……?」
初めてこれを見る凛とルヴィアが息を飲む。
ゾッとしている二人を他所に、イリヤは冷静だ。
「確かに聖杯じゃないわね。これ、意図的に書き換えられているもの。アイツが言った通り、ただの召還機よ」
僅かに圧倒されるルヴィアに、イリヤはアインツベルンの魔術師としての見解を淡々と告げる。
「霊脈を枯らすほど吸い上げて、その上に住んでいる人間の悪意で染めた魔力で…ううん、それだけじゃない。きっと汚染された小聖杯も使ってる。英霊も『
「つまり此処で召還すると、最初から金ピカみたいなサーヴァントがゴロゴロ?」
「そうじゃない? あれしか見てないから知らないけど」
投げやりなイリヤに、凛は諦めの色のある目を向け、黒い塔を見上げては僅かに嘆息してしまう。
「聞くと見るじゃ大違い。ホントに士郎、こんなのと戦ったのかしら」
「なに、リン、もう泣き言? やっぱりトオサカの家はダメダメなの?」
イリヤはその言葉に皮肉を載せて言ったつもりだった。
なのにそれは、ただの強がりにさえ聞こえなかった。
繰り返す。眼前にあるのは形を手に入れ、のた打ち回る、触手の如き悪意の塊。
「…言ってくれるじゃない。イリヤこそ泣き言なんて言うんじゃないわよ」
「レディはそんな事言わないわ」
シロウ、戦った、これと。
その情報は、余計にルヴィアを混乱させる。こんな『視覚化されるほどの呪い』など、解呪出来るはずも無い。しかし士郎が過去に戦ったと言うのなら、これは何らかの方法で破壊できるのだと、そういうことではないのか。
「分かる人間だけで話すのではなく、どういう事か、私にも教えてくださらない」
「要するに。根源に至る孔に満ちている魔力は、人類全てを殺し尽くすだけの『呪詛』に変化しているって事。それ自体はどうしようもないけど、根源に至る孔そのものを破壊する事は可能って事よ」
ルヴィアの問いに、イリヤは断じる。しかしイリヤはどこか、違和感を感じていた。
この召還機が聖杯システムを模したものである事は分かっている。ならば共通点があるはずだ。あの時、自分は聖杯の目前で括られていて、すぐ傍に言峰が居た。大空洞では桜に臓硯が寄生していたとも聞いた。
今此処に桜が居ない事は最初からわかっていた。
なら、別の何かが居るはず。
それは一体、何処に居るのか。
「リン、誰かが此処に居るわ。何かされる前に、召還機を破壊して!」
「分かったわ」
「お待ちなさい、貴方は魔術師でありながら”根源に至る孔”と祭器を破壊しても良いと――」
「誰かが開いた物じゃなくて、自分で開くから価値があるのよ。結果だけ掠め取るなんて下種な真似、私は遠坂凛の誇りを持って否定するわ。貴方はどうなの、ミスエーデルフェルト」
私のライバルなら、そんな真似はしないでしょうけど。
彼女の言葉はそう含んでいる。
「異論はありません。これが私の誇りを否定するものであるのなら、今すぐにでも壊してしまうべきですわ。それに、貴方の手にある物にも興味がありますもの」
その言葉には一片の嘘も無い。
勿論、宝石剣への興味もあるだろう。彼女らキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの流れを汲む宝石魔術師の究極の悲願であるのだから。もしこれが本当に『そう』なら、それは彼女の一族の悲願への扉となるのだから。
凛はその手に宝石剣を持ち、自らの魔力を呼び水とする。この暴力的なまでの魔力の渦、そして平行世界のこの場に存在する『大源』に手を伸ばす祭器『宝石剣ゼルレッチ』の真価を発揮させる為に。
宝石剣の輝きは人間の知覚の及ぶ範囲を超え、理解してはならない領域の光を放つ。
凛は裂帛の気合と共に、それを開放する!!
「イィィィ…ヤァァァァァッ!!」
「―させぬよ」
その声はどこからかけられたものか、それを察しようとした時、ゴウと音を立てて風を纏った炎の渦が龍の如く襲い掛かった。
――あれは大魔術に属するもの、生半な力ではどうとする事も出来ない、だが今この手には生半どころでは無い、強大な力がある!
『――力の流れを、召還機から敵の魔術に変更――!!』
それを一瞬で理解し、最優先対象をこの瞬間――目標を召還機から、炎の龍へと――向ける。
「チィッ!」
発生しかけている魔術を無理やり捻じ曲げ、ビュウという風の断末魔を残して炎の龍を切り裂く。
「すごい…」
人間の魔術回路の発生させる魔力量を遥かに超える魔力をその一撃に込めていたのは、一目でわかった。あれは『本物』だと。例えそれが目的――召還機の破壊――目掛けて振るわれたものでないとしても、その威力と能力にルヴィアは胸を躍らせた。
あれは間違い無く、一族の歴史を重ねて追い求めるに相応しい力であると確信して。
「…、もう一撃――っ?!」
とさっ…。
凛は膝をついた。その時になって現実に引き戻されたルヴィアは、凛の苦しげな表情に驚く。
「ミストオサカ?!」
「ぅ…っ……だ、大丈夫。士郎が『本気』になっただけ…みたいだから」
唐突に凛を襲う激しい虚脱感。
呼び水とすべき魔力に歪みが生じるのを凛は自覚して――倒れた。以前とは違い、士郎がその力を使う事は覚悟していたし、そのための備えもしていた。だがそれは以前とは桁が違っていた。あの時よりも遥かに、強烈な魔力の吸い上げだ。
それは彼女の闘う姿を目に焼き付けようと――技を盗もうと――していたルヴィアの目には、ドクリドクリと脈打つように、魔力が奪われていくように見えた。まるで、生命力そのものを吸い取られるような姿に見えていた。
――だがイリヤは其方を見ていない。
リンなら、シロウなら自分で何とかするはずだ、と信じているから彼女は、彼女にしか出来ない事をする。
ここに居るはずの儀式を司る魔術師と、その力の流れを見極める為に。この大規模な召還機にある相似性を見極める事はアインツベルンの魔術に精通した彼女だけ、ならすべき事を、するだけだ。
感じるのは気配。
大聖杯から小聖杯へのパスがあったように、此処にも小聖杯に相当するモノの気配がする。
「居る」
はっきりと言葉にする。
そうだ、これは桜に埋め込まれていたのと同じ、かつての聖杯の欠片の気配。それを纏っている何かがいる。例えどれほど魔力を、気配を消してもそれだけは彼女から隠す事は出来ない。
「ルヴィアゼリッタ」
断ずる声。
その苛烈なまでの清冽さにルヴィアはイリヤのほうを見る事になる。
其処にあるのは、美しいと言うべき、決意に満ちた魔術師の顔。
「魔弾を用意して。居るわ、人間を辞めた奴が。……場所は……」
チャリと、ルヴィアの手の中から、硬いものがぶつかり合う音が漏れる。
「……」
シンとした静寂が、耳に感じられるほど。零れ落ちる泥の音など、既に聞こえていないのではないかと言うほどに集中する。
イリヤの視線が動き、それを追いかけるルヴィアの視線が一点で結びつく。
「あそこよ!」
示された場所に驚き、ルヴィアは手にある宝石を起動させよう――とした時、それはほんの僅かの差となって現われた。
「*****」
人間の聴覚では理解することの適わない、音に成り果てた数十の詠唱の重なり。それは一つの意味を語るが故に、重なりの果てに一つの結論を紡ぎだした。
球状の雷撃、即ち高エネルギーにより電離したガス『プラズマ』。
それが高速で飛来する。
――大魔術を一工程で?!
「いけない!!」
驚愕しながらも、ルヴィアは跪いている凛に、自らの魔術を持って盾となる。水の属性を持って盾と成し、高電圧体を地へと逃す。冗談のようなそれを防いだ事で気が緩んだわけではなかった。
「避けて!」
そう叫ぶイリヤの声を聞いた時、既に事態は悪化していたのだから。
――チクリ。
「え――?」
キィキィ。
そう鳴き声を上げる、錆びた鉄の蝙蝠を見逃していたのは。
「えぁ、ぁ…」
首筋に手をあて、ルヴィアの表情が一気に青褪める。体を立たせている事などできず、膝をつき、そのまま倒れ込む。
「これで、私を傷つける事の出来る者――宝石剣の使い手――は居なくなった」
どぶりと、泥の中から人影が持ち上がった。
それは人間に似ているが、決定的なものを違えた存在だった。外見だけなら人間だ。だが其処から漏れ出る本質的なものは、人である事と決別した存在のみが持ちえるものだ。
「く…」
凛が倒れ、ルヴィアは首筋に手を当て昏倒。残るイリヤには、召還機の基盤を傷つける破壊力を有する魔術は無い。
「……これで……私は、時計塔だって支配できる……」
泥と溶け合うようにしながら這い出して来たモノは、イリヤには知りようが無いがかつては交霊学科副学科長ウェルシュ――召還機を使うのに最も適した――と呼ばれた魔術師の行き着いた最後の姿だった。
表層は変わらない。だが本質は決定的に汚染され、すでに意味を失っている。
「いや…魔法にだって、手が届く……」
小悪党のなれの果て、か。
そう呟いて凛は体を起こす。膝を着いた事自体、元々急激な魔力の消費によるショック。今でも魔力の減少は続いているが……動こうと思えば、動ける。
「イリヤ、ミスエーデルフェルトの解毒は出来る?」
「毒の周囲の特定、体力の復元、解毒……時間がかかるわ」
解毒自体は可能だという。
ならばと凛はする事を決めた。
「私が時間を稼ぐわ。イリヤはその間にルヴィアを解毒。解毒終了と同時にイリヤは防壁を展開、私がそこで全力で召還機を破壊する。問題は?」
「無いわ。リン、好きにやりなさい」
ウェルシュは召還機――正確には其処から零れ出た『この世全ての悪』――と繋がった事で、無限に近い魔力を得ようとしていた。
「ええ、勿論。――行くわよバケモノ」
凛は宝石剣を構える。
真っ直ぐに、するべき事を知り、見る事が出来る目をして。
それを受けるのは、もはやそれが出来ない目だ。
何処までがウェルシュなのか泥なのか、区別のつかないその姿のまま体をずるりと動かし、泥がねらりと零れだす。零れた泥の中に居たのは人形や傀儡たち。
見覚えのある甲殻類の傀儡人形。あからさまに見せつけるように色のついた煙を、周囲を完全に覆い隠そうと途切れる事無く吐き出しつづける。ふざけているのか、兵隊の人形が砲兵隊を編成して凛達を狙っている。更には大型の、クロムのような重金属で作られたライオンまでが、獲物を狙うように周囲を歩き出す。
凛に出来るのは球状の防壁を作り、毒煙や砲弾を防ぐこと。
その防壁も、ライオンの体当たりを受けるたびに僅かに形状をたゆませる。
「そんな事をしても無駄だ、後は此処に居るお前たちを殺せば、全てが終わる、始まる、私のための世界が始まるのだぁぁぁぁぁ……」
妄執以外には何も残っていない、そんな声が獣の咆哮のように漏れ出て――
「******」
全身にある、口のようなモノから呪を紡ぎだした。
「私の、勝ちだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
瘧にかかったように震えながら、勝利に酔おうとする声を制止したのは――
「――それはどうかな、人に滅びをもたらすモノよ」
という不遜な声だった。
>interlude out
炎。
衝撃。
振動。
轟音。
それ以外には表現のしようなど無い。
人の身をもって遥かな高みに存在する幻想種とさえ戦う力となる、宝具と言う名の究極の幻想。真偽を超越して、真正面から真っ直ぐにぶつかり合い、砕け散る。その全てが吐き出す力の凄まじさはいかほどのものか。
吹き飛ばされかける体を、無意識に投影した剣を地面に突き刺す事によって支える。
「やはりか雑種。貴様は――」
ギリと、ギルガメッシュの目に明確な殺意が宿る。
サーヴァントではなく英雄王としての、ギルガメッシュそのものの放つ殺意。
「貴様はこの我の全身全霊をもって、一欠けらも残さずこの世界より消滅させてくれる」
熱くなっていた全身が、一気に冷える。
人類最古の王、その本気の殺意は、あの時感じたバーサーカーのものと何ら遜色が無い。
乾き、喉に張り付いた舌を痛みを伴ってはがし、挑むように言葉を出す。震えないように、挑戦的に聞こえるようにだ。
「……光栄だよ、英雄王」
考えろ。奴を出し抜く方法を。人間が英霊に勝つなんて、どれほど無茶な事か、俺自身が誰よりも知っている。思い出せ、俺に何が出来るか。
考えろ。この状況をひっくり返す為のペテンを。見極めろ。奴の急所を。奴を倒す、最大の好機の在処を。
殆どの宝具は駄目だ、奴の身体能力は正にサーヴァント、英雄の力だ。だが奴は担い手ではなく持ち主、遣りようによっては倒せなくとも、肉薄は出来る。だが何を使えば良いのか。ゲイボルクのような魔法じみた呪いの槍だとて、俺の魔力程度なら奴の対魔力で十分対抗できるはず。この状況で博打は出来ない。
幸い奴はまだ俺を見下している、その隙をついて――
――油断するな!!
「
一呼吸で、全工程を行う。
かかる負担は尋常でなく、ただでさえ身に余る魔術であるのに、敵の宝具を討ち漏らす事は――できない!!
幾たび目かの、破壊の奔流。真偽の宝具のぶつかり合う事によって生まれるそれは、最強の破壊力の一つ『
体を吹き飛ばされないようにするのが精一杯、何とか足を踏ん張って一を確保し、敵の姿を探し――舞い散る破壊の余波の土煙――その中に、何か光るものが――それは予知にも近い、戦闘理論の展開。
何かを考える事も無く、体は勝手に反応していた。
「
ギギィィィィッ!!
腕を支える体が、体を支える足が、足を支える大地が一度に悲鳴をあげる。
干将莫耶の夫婦剣が、ギルガメッシュの手にある槍の宝具『
「良くぞ防いだ、誉めてやろう」
「テッ…テメェに誉められる、筋合いは無ぇっ!!」
担い手ならともかく、持ち主の武器なんて俺にも防げ…って、こ、この状況から更に発動する『
全身の何処がどれほど痛もうとも、この状況で――泣き言を言う暇なんて無いじゃないか!!
「
ギリシア最大の英雄ヘラクレスが、無限に再生する多頭蛇を滅ぼす為に作り上げた極限の弓技、それを応用した剣技を、投影魔術の併用により再現するこの技、ならば例え英雄王を相手にしても――
ドウッ!
一足で後方へと跳躍する英雄王、代わりに背後に控えていた宝具が飛翔を開始する――?!
理解しろ、新たなる剣筋を!!
敵を破壊することに変わりは無い、英雄王を打ち滅ぼす事と、打ち出された宝具を滅ぼす事、その違いなど僅かだと思い込め――!!
「――『
ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ…ハァッ!!
強制的に呼吸を整える。
ほんの僅かな時間で乱れた呼吸を正す、戦う為の呼吸。アルトリアに長期戦の為の最初の技術と教え込まれたそれにより、意識に乱れが残る中、体だけは到底まともとは言いがたいが、十分戦えるだけの余力を残している。
「随分堅実な戦い方をするじゃないか、英雄王ともあろう者が」
至近距離で発生した『
体は既にボロボロに違いない。
罅だらけになった両腕の骨、それはもう干将莫耶を持ち続けている事さえ異常。筋繊維は片端から断線しかかっており、神経は何故意識を手足に伝えているのか。不思議に思えるほどバラバラの体は、戦うことを否定する。
此処までか、お前は此処までの人間なのか、お前の夢の先は、此処で途切れるのかと。偽者だからこそ憧れる真実のユメの輝きに追いつけないのかと。『後一歩、指一本、たったそれだけで届くはずの輝き、今こそ掴む時だ』と衛宮士郎と言う存在そのものが叫ぶ。
俺の夢、追いつづけるものは遥か、遥か、遥かに遠く、永遠に追い続けたとしても手に入れることは、勝利する事は有り得ない。だが諦める事は、自分自身に負けることだけは絶対に有り得ない。
『
ならば、すべき事は一つ。
俺の決意を待っていたわけではないだろう。だがそれを待っていたかの如く、魔力の奔流に巻き上げられた地表は雨のように降り注ぎ、唐突に止んだ。そしてその向こうに立つ英雄王の姿が現われる。
「なるほど『堅実な戦い方』か。そうだな、我は慢心せぬ、英雄王の名に相応しき最大の一撃を持って雑種、貴様を灰燼と化してくれよう」
その言葉と共に、奴は背後の空間に浮かんだ一本の剣を手にする――!
>interlude 8-2
凛たちが祭壇――召還機の中枢――に辿り着いた頃、アルトリアもまた敵に遭遇していた。
意識を失っている桜。
彼女は何か、巨大なフラスコのような何かに囚われている。
其処から助けようとするアルトリアは、剣を構える。彼女のために存在し、彼女のために作り出された聖剣エクスカリバー。最悪の一瞬に備えて風王結界に封じ、これからの戦闘に用いる事とする。
「クリストファ、警戒を」
「……はい、アルトリアさん」
クリスは武器を持たず、代わりにリュックから犬と猫と鷲のヌイグルミ――に偽装した人形――をばら撒く。それらは人形とは思えないほど、ヌイグルミには思えないほどに精気に満ち溢れた仕草で周囲を警戒しだす。
流石にそれには毒気を抜かれた。
「……それはなんですか、クリストファ」
聞きたくは無いが、それでも聞かなければならない事を、自分の信念を曲げてまで聞かなければならないと言う苦悩が、声に滲み出していた。
その問いに照れた表情でクリスは答える。
「職質されたときに怪しまれない持ち物、という点で持って来れるのはこれしか無かったんですよ」
フゥゥッ、グルルルル、ピュィーーーアッ。
その言葉に同意しているのか、ヌイグルミ達がその外見に相応しくないほど獰猛に声を上げる。
いや?
――違う。これは警告、警戒の声。
声の原因は簡単に分かる。自らの姿を晒したその男によって。
「ああ、なんてくだらない。それでも七百年の伝統を持つクライストの魔術師か」
言葉。
その言葉は、今まで何も存在しなかったこの場所を物理的に埋め尽くす。
地面を埋め尽くす、有り得ないカタチ。元は何かモデルがあったのかもしれない。しかしそこにあるのは甲殻類の殻、鉄、錫、金、石、銀、足、手、鋏、指、目、犬、猿、鳥、獅子、爪、牙、毛皮、すべてが整合性を無視して、ただ強いだけのカタチを手にしている。
その命亡き者たちの王の如く、余裕綽々で歩み寄るクライスト。
「ミスアルトリア。我が子孫にして妹たるライラを此処まで導いていただき、私はとても嬉しい。何故だか分かるかね」
それにではなく声――自分自身の声は自らの体を反響する為、本来の声とは別個の音として認識される――のに、クリスにはそれが自分の声だと分かった。
「シュ…トラウス……く、クライストォォォォォ!!!」
絶叫に近いクリスの叫び、それに反応して人形がその本分を果たさんと地を駆け、空を翔ける!
見た目は縫いぐるみ。
しかしその実は魔術によって作られた人形であり、その実体は現代科学でさえ無し得ない、最先端兵器を魔術によって無理やり組み込んだ戦闘兵器だ。レーザーメスを埋め込んだ爪、高周波振動ブレードの牙、毛皮の下から覗く圧縮空気の排出口。
本来であれば大電力や大型のポンプが必要なそれを、魔術の力で代用した人形は、ある種戦術家にとって理想の兵器だった。
「まずは、貴女方を侮った非礼をお詫びしよう」
声に引き続き現われるのは、変わる事の無いインバネスコートを着たその姿、暗殺魔術師シュトラウス・クライスト。襲い掛かろうとするクリスの人形は、その周囲に溢れ返る傀儡によってその進撃を止められた。
アルトリアは剣を、風王結界を構えその場に立つ。
「まさかあの英雄王を相手に一人を残し、他は異なる戦いの場に走る……その決断のみならず、いまだに戦いつづけられる彼にも賞賛を送ろう」
「世迷言を――」
キッ…と敵意を剥き出しにして突っかかろうとするクリスを手で抑え、アルトリアはその身を沈める。
「クリスには後衛を任せます――貴方に前衛は向いていません」
鋭く、しかし反論を許さない忠告。
「クライストは僕が!」
「おやおや、仲間割れか。しかし無視されるのも悲しいものだね」
ギリとクリスが歯軋りをした。
「退きなさいクリス! ―クライスト、敵と問答する意味など無い! いざ参る!」
大地を蹴り、疾走する。
普段は抑えている竜種の因子を持つが故の、圧倒的な魔力を推進力と防護壁に転化させ、その身を巨大な砲弾にかえて疾駆する。
ザ、ザ、ザムッ!!
「ハァァァァァァァァ!!!」
振るわれる剣、纏った風が全てを切り裂いてゆく。
人の限界を超えた運動能力、人のそれを遥かに超える魔力量、敵の攻撃を寄せ付けない魔力の防壁、宝具という魔術を超えた魔術の産物、そしてその技量。魔力防護壁に吹き飛ばされる傀儡、しかし吹き飛ばされなかった傀儡はその強さゆえにアルトリアの剣に両断させられる。
ジャガゴッキャメシャバキ……
金属の上に金属の欠片がバラバラと撒き散らされる音がするが、それも次の瞬間にはざわめきにとって変わる。
まるで共食い。
アルトリアの剣によって切り裂かれた傀儡は、切り裂かれなかった傀儡によって『喰われて』いく。
「くっ…」
傀儡が次第に強化されていく。
アルトリアはその手にした剣を通じて、それを感じ取っていた。
今はまだ容易に切り裂けるが、直に手応えを感じるようになるだろう。限界がどこにあるのか。それを見誤れば、こちらに分が悪い。
チッ…
僅かな音がして、左腕の裾が裂ける。
皮膚まで到達していないとは言え、僅か五分に満たない時間で魔力防護壁を突破した……その進化の力は異常だ。何かがある、それも思いもよらない何かが――!
ばさりと、優雅にインバネスコートの裾をはためかせてクライストは歩を進める。
「失礼とは思うがミスアルトリアは傀儡に任せ、私はライラ君の相手をするとしよう」
「――っ! 僕はライラじゃない!!」
襲い掛かろうとする傀儡の波を知り、縫いぐるみの姿をした傀儡の犬と猫と鷲が、迎撃の為に駆け出した。
縫いぐるみの軽い体は、組み込まれた圧縮空気排出口はほんの一瞬だけしか使えなくとも、その体の姿を人間の視覚……眼球の構造の限界以上の動きを可能とする。あらかじめ定められたプログラム通りの動きしか出来なくとも、考えうる全てのパターンと優先順位を組み込んである。
爪で切り裂き、牙で引き千切り、足で磨り潰し、地を駆け、空を翔け、クリスの体を確実に保護する。
それは常に一撃必殺。
残骸を貪ろうと集まる人形を、それ幸いと集まったところを打ち崩す。
異なる思想の元に造られた、三機で一つとして機能する人形。
どれほど戦力差があろうとも、各個撃破出来るような状況であれば、疲れを知らない人形の戦場は、別の側に傾く事は無い。
パチパチと、この場には不似合いな賞賛の拍手が鳴り響く。
「見せる価値は有るようだね、……ならば我が『クライスト』の真髄を今、此処に知らしめようぞ」
はためくコート。
風も無いのにバサバサ、バサバサとはためかせて音を立てつづける。それはまるで、田を耕す、風車の回る、川の流れる、風の通る、そんな日常の音ばかりが聞こえてくる。
「--
コートの裏側の布地が、まるで映画館のスクリーンのように景色を映し出す。
それは異世界の光景。
絵に書いた空、絵に書いた雲、絵に書いた大地、絵に書いた草木、絵に書いた……住人たち。人間に見えるが、人間とは異なるそれは、有象無象の如く、雲霞の如く藁々と『こちら』に向かって歩きつづける。
異世界の住人は、まるでそこがドアや窓のように潜り抜け、地に零れ落ち、歩き始める。
零れ落ちたそれは、今まで『絵』だったことを否定するかのように『厚み』を手に入れてモゾモゾと動き始める。二次元が三次元に変わった反動なのか、それは崩れ、中から様々なものを吐き出しながら立ち上がり、あるはずの無い形を取り始める。
皮膚が裂け、その下から木の肌を見せつけるもの。自分の中から溢れ出す歯車に轢き殺されるもの。釘や螺子を生やすもの。
それは何処までも果てしなく歪んでいく。
息を飲み、我知らず呟く。
「人形……魔術……それとも…?」
「分からないのも……仕方ないかも知れんな。時計塔の秘密主義は、この程度の知識さえ秘匿する。隠せば良いというわけでもあるまい」
それは後進の能力を嘆く、先達者の声。
「これが固有結界『
それはまさに傀儡、人形、操られるだけの存在。
ただ違うのは、自らの意思を持たず、ゆえに意思を与えられるだけで行動の全てが決定されるという事実。
「東洋魔術にある蠱毒、西洋科学の誇る自動人形、その二つを併せ持つ……人形の住む世界、王国だ」
吹き上がる人形は地を埋め尽くし、壁となり、津波となり、全てを飲み込もうとする。
ゴヴァッ!
薙ぎ払われ、まるでモーゼの奇跡の如く人形の海が割れる。だが彼女が駆けるよりも早く、割れた海はまた閉じる。
「―クリス、早くクライストを!」
いまだ真の姿を現さない聖剣、その鞘でしかない風王結界の能力飽和が近い。
「……?」
浮かぶ疑問。
腕を組んで頭をヤレヤレと言いたげに横に振る。
「前から聞こうと思っていたのだが、何故彼女らは君を『クリス』と呼ぶんだね、ライラ君」
「うるさい!! 僕は僕の体を取り戻す…それができないなら……シュトラウス、おまえを殺すだけだ!!」
「……? 何を言っているんだライラ君」
「違う! 僕はクリストファだ、おまえに体を奪われた、その体の本当の持ち主だ!!」
一瞬、これがあのクライストかと疑いたくなるほどに隙だらけの顔を見せる。
「まだ分かってなかったなんて驚きだ」
クライストは、本気で驚きの表情を作った。
「私を遠慮なく攻撃するからてっきり誤解してしまっていたようだ。間抜けなことに『わかっていると言う前提』で行動してしまったじゃないか」
それは演技では無い、初めて見せられた彼の本当の表情。それはまるで、聞き分けの無い子供に説教する父親や、物憶えの悪い生徒に苦労する教師の顔だ。
「確かに人形に魂を馴染ませる事は可能であるが、クライストの魔術に『人間の体を生きたまま奪い、自分の予備とする』ものは無い」
「え――?」
何を言っているのか。
それでは自分の体を奪った『シュトラウス・クライスト』は一体何者の積もりなのかと。
「ここまで言って、まだ分からないのか。仕方ない、もう少し分かりやすく言ってやろう。ライラ・クライストの魂に、クリストファ・クライストの記憶と精神を上書きした」
何を言っているのか理解出来る。
それが脳に浸透しない。
表層をなぞった瞬間、頭の中をすり抜けていく。
それは自己防衛本能に根ざした行動。
だがクライストは平然と言葉を続ける。
「そして私は『クリストファ・クライストの魂』を塗りつぶした『シュトラウス・クライストの情報体』に過ぎない。言い換えよう、お前はかつてライラ・クライストだったものに過ぎず、今はクリストファの偽者に過ぎない」
ソフトウェアで言うのなら『複製』『上書』『復元』を、人間を対象に行うと言うのか。
今までの学者然とした表情は消えた。
今張り付いているのは、ただただ愉悦に浸る、厭らしいだけの表情とは呼べないモノだった。
「永遠を目指し連鎖する血の中に存在するもの、自らさえも人形とする狂気の人形遣い、ゆえに私はクライスト、そう。私こそが唯一完全なクライストなのだ」
其処にあるのは人ではなく、ただの狂気。
魔術師であるゆえの、何百年と続いた家系の、蓄積された澱のように沈み、落ち着いた狂気。
「……嘘だ」
抜け落ちた表情で、それだけを口にする。
追い討ちがかかる。
「嘘であるものか。クライストは『人形遣い』の一族、自分自身さえ『人形』とする究極の人形遣い」
有り得ないほど、真っ直ぐな表情で否定する。例え自分自身をも騙しうる詐欺師でさえ此処まで透明な表情は出来ない。
全てを超越する真実であると、誰にも分かるほど。
「うそだぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
クリストファなのかライラなのか、それすら分からない、自らの全てを否定された『誰か』の叫びが、自分の口から出て行くのを他人事のように見つめる自分自身の目を――絶望の淵で見つめていた。
>interlude out
英雄王ギルガメッシュ。人類最古の神話ギルガメッシュ叙事詩に名を残し、半神半人の血を持つ真実の英雄。
衛宮士郎。ただ正義の味方であろうとする、英雄ではない、敢えて言うなら偽りの英雄。
真偽を超えて二人の英雄は対峙する。
抜き放たれた乖離剣エア。
大地を埋め尽くす剣の群れ。
既に戦況は、彼我の戦力差は数を凌駕する質の問題に変わっている。
「真実王者の剣たるこのエア。偽物の及ぶ所ではない」
「この程度で…諦めることは出来ない」
切り札はあった。
冬木で経験した最後の戦い。
複製し、貯蔵し、在り方を捻じ曲げ、生み出す、固有結界『
衛宮士郎の持つただ一つの魔術『固有結界"Unlimited
blade works"』。そして唯一作り上げた同じでありながら異なる魔術『Blacksmith』――そして極限へと至る複合魔術『"Unlimited
blade works - blacksmith"』。
例えどのような魔術であろうとも、魔力を注ぐと言う単一動作で行使できる魔術刻印と言う神秘。だがこれは起動は出来ても、その終了までにかかる時間が大きい。時間を稼ぐ方法を考えろ、衛宮士郎!!
「絶対たる王の命令だ。――死ね」
ギルガメッシュの手に握られたのはあの『乖離剣エア』、あいつは一切の妥協無く、それに魔力を注ぎ込む。三つの円柱がバラバラに回転し、ゴウゴウビュウビュウと風が渦巻き、それは世界を切り裂かんばかりに激しくなる。
時間が足りない。
防御を、今はただ防御を、あの丘から、最も強い盾を引きずり出せ――!!
「『
「――『
互いの全力。
ただの人間に対し、嘘偽り無く全力を注ぎ込むか、あのギルガメッシュが―――?!
「滅べ雑種ゥゥゥッ!!」
「負けられる、ものかぁぁ!!!」
真っ白に白む世界を前に、俺はただ、全力を注ぐだけ――!!