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第五話
2197年1月
火星へと向かうナデシコに対して、散発的な木星蜥蜴からの攻撃が行われていた。
こちらの出方を見る為なのか、それともナデシコのディストーション・フィールドの強度を試しているのか解らないが、ユリカ達は静観の構えを取った。
不気味な均衡を保ちつつ、ナデシコは火星への路を急ぐ。
『この野郎っ!!』
赤色のエステバリスの攻撃に合わせる様に、水色のエステバリスのライフルからも銃弾が次々に吐き出される。
だが、目の前に迫っていた漆黒のエステバリスは有り得ない機動で攻撃を避け、突然ほぼ直角に進行方向を変更してみせた。
その動きに視線が追いつかず、リョーコが相手を一瞬見失った隙に、隣に居た水色のエステバリスのアサルトピットから閃光が走り撃墜される。
『イズミ!!』
視線を撃墜された友人に向けた時には、目の前に迫るナイフが視界一杯に広がる姿を見ただけだった。
「リョーコ、もうちょっと粘ってくれないかなぁ
私はヤマダ君を押さえ込むのに精一杯なんだから」
「うるせー、こっちも色々と考えて戦ってるんだよ!!」
「だから俺の名前はダイゴウジ ガイだ!!」
「はいはい、私に一対一で勝てたらそう呼んであげるよぉ〜」
「くくく、これで男性チームとのシミュレーション対戦成績は、連続28敗になったわね。
何処までこの記録が伸びるのかしら」
「次だ!!次こそヒカルに勝つ!!」
「うるさい、黙れこの熱血馬鹿!!」
「・・・何だこのカオス?」
シミュレーション後の反省会として、シミュレーションルームの壁際にあるベンチで全員で座っている筈なのに、会話の内容は見事にカオスと化していた。
その状況を少し離れた所で見ていたアキトは、何とも言えない表情でそう呟く。
「・・・いや、それ以前に副官の僕をパイロットの訓練に引きずり込むなよ?
僕の役職知ってるだろ? ユリカの副官だぞ」
アキト達と同じ様に、何故かパイロットスーツを着せられたジュンが、疲れたような溜息を吐く。
実際、訓練開始数分でイズミに撃墜され続けており、シミュレーション回数の28回はジュンがイズミに撃墜された回数でもあった。
「え、そのユリカから許可は出てるけど?
今はブリッジ周りは暇だから、どうせならジュンを鍛えてくれって。
まあ、人数合わせの為だし仕方ないだろう、他にパイロット用のIFS保持者が居ないんだから」
「・・・今日ほどIFSを注入した、自分の軽率さを呪った日は無い」
スポーツドリンクを飲みながら告げられたアキトの言葉に、盛大に肩を落とすジュンだった。
「相手が同数だった場合、組し易い相手から個別撃破をして、難敵に複数で当たるのは一つの戦術だ」
ジュンがホワイトボードに3つの丸と三角を記入し、それぞれに対になるように線を引きながら説明をする。
「実際、僕は開始早々マキ機に撃墜。
ガイはアマノ機に押さえ込まれて、他の仲間のフォローが出来ない状態。
通常なら、2対1になったこの時点で勝負はかなり女性チームに有利に働く」
「だよねー」
ヒカルの合の手を聞きながら、ジュンが三角に一つ×を入れて、空いた丸から改めてもう一つの三角に線を引く。
「でも、今回は相手が悪すぎた。
敵戦力を低く見積もったって所か」
三角を相手取っていた丸の二つに×を入れ、その後、逆に2対1となった最後の丸にも×を入れた。
「まあ、同じ様なパターンで28連敗もしていれば、連敗の原因が何か言うまでもないだろう?」
ジュンの言葉を聞いた瞬間、全員の視線がアキトに集中する。
その視線を受けながら、アキトはばつが悪そうに顔を背けて意味も無く頭を掻いていた。
「実の所、テンカワの戦力計算はブリッジでも把握しきれていない。
現状使用されているエステバリスのスペックを十全に引き出しているのに、本人にまだ余裕があるみたいだしな。
僕としては意味の無いこの組み合わせで戦うよりも、むしろテンカワ対残り全員での訓練の方が身になると思う」
テンカワの実力の底が見えるかもしれないしね、と良い笑顔を見せつつジュンがそう提案する。
不承不承ながらも、アキトの底を見る方が先決と判断をしたのか、その提案にリョーコも首を縦に振った。
――――――結果、28連敗が35連敗に更新された。
「テンカワさん、奢ってくれるって本当ですか?」
「ああ、代金はそこの机で倒れているジュンが払ってくれるから、どんどん頼んでいいよ」
丁度休憩時間で食堂に顔を出してきたメグミに、アキトが厨房の奥から声を掛ける。
同じ様に休憩時間だったルリは、既に山のように料理を注文しており、アキトはその調理に忙殺されていた。
「ルリちゃん、どうしてアオイさんが私達に奢ってくれるのか知ってる?」
「弱い者苛めをしようとして、返り討ちにあったんです。
その時に賭け事をしていて、負けたほうが勝った方に奢る事になってたんです」
「違う!!人聞きの悪い事を言わないでくれ!!
テンカワ相手だと、むしろこっちが弱者だろ?」
ルリの一言に咄嗟に復活を果たし、訂正を求めてくるジュン。
そのジュンに向かってルリは容赦の無い言葉を放った。
「どう言い繕った所で、アキトさんが5対1で戦った事に違いは無いじゃないですか」
「うわぁ・・・その挙句、負けたんですか?」
二人から生暖かい瞳で見詰められて、ジュンは再び机と同化した。
「何で僕だけが責められるんだよぉ・・・
せめてガイが居れば、この晒し者状態を分散出来たのに」
そんなジュンの態度を微笑ましく思ったのか、メグミは小さく笑うと遠慮なく料理の注文を開始した。
その隣ではアキトから新しいチキンライスを受け取り、笑顔でスプーンを動かすルリの姿もあった。
「最初は堅苦しい人だと思ってましたけど、アオイさんも結構面白い人なんですね」
「ええ、私もそれには同意見です」
メグミとルリの追い討ちを受けて、ジュンはとうとう黙り込んでしまった。
暫くすると、生きる屍と化したジュンの両隣で、ルリとメグミが満足気に食後のお茶を飲んでいた。
「まあ、改めて言うのも何ですが、アキトさん相手に仕掛けるにはお粗末な戦術でしたね」
「本当に骨身に染みたよ・・・
僕は開始早々に撃墜されるから大丈夫だったけど、ある程度対応できるパイロット組は振り回されていたからね。
お陰で未だシミュレーションルームの床で全員呻いているよ」
メグミから手渡された緑茶を、礼を言いながら受け取るジュン。
そして、ルリからの指摘に対しては素直に自分の非を認めた。
「でもテンカワの弱点も分かったよ」
「・・・チームワークに物量戦ですか?」
さらりと発言されたルリの言葉を聞いて、ジュンが一瞬絶句する。
「・・・・・・怖い子だな、君は。
ホシノ君の言う通り、テンカワは個人の戦闘能力が突出し過ぎている。
その為に、敵陣などの侵攻時には、背後を守れる仲間が彼に着いて来れない。
かと言って、あれだけの突破力を発揮せずに、ノロノロと戦場をうろつかせるのはただの人材と時間の浪費だ。
そうなるとテンカワを使う手段が限られてしまう。
それにテンカワ自身、どうやら単独戦闘に特化した戦いを好む性格みたいだしな」
分かるよね、と視線でルリに問い掛けるジュン。
その言葉に頷いて続きを話すルリ。
何しろアキトの戦闘スタイルについて語らせれば、自分の右に出る存在はラピス以外に存在しないだろうとルリは思っていた。
「こちらの手は、圧倒的スピードを基軸にした、単騎駆けによる敵中枢部への一撃離脱。
防御側はそれを阻止しえる物量を用意出来れば、アキトさんの動きが止まった後に、包囲網により殲滅」
「実際、僕は当然除くけれど、今のナデシコのエステバリスライダーでテンカワのカバーが出来る人間は居ない。
シミュレーター戦で改めてその事を実感したよ・・・強すぎる故に孤高、か。
だからなのか、テンカワの戦闘スタイルが単独戦闘に重きを置いているのは」
ホウメイに怒鳴られながら、必死に鍋を振るうアキトを見ながら、ジュンは最後の言葉を呟くように溢した。
しかし、早い段階でテンカワの異質さに気付けたのは、逆に言えば良かったのかもしれない。
無理にチームフォーメーションに組み込んだところで、その持ち味を壊し、逆にナデシコに危機を招きかねないのだから。
そう考えた瞬間、ジュンはユリカが業務中にもかかわらず、自分をパイロット達の訓練に貸し出した理由を悟った。
「くくく・・・そうか、そう言う事か。
随分と愛されてるな、テンカワ」
「どうしたんですか?」
メグミが突然笑い出したジュンを不思議に思い、そう問い掛けてきた。
そのメグミに何でもないと答えながら、ジュンはテンカワを活かす為の戦術を改めて考え出した。
それがユリカから出された、自分への課題だと分かったからだ。
その頃のシミュレーション室では、パイロット連中がお互いに肩を貸し合い立ち上がろうとしていた。
「ねえ〜、もうテンカワ君に突っ掛かるの止めたら?
5人掛りでコテンパンにされちゃうくらい、腕に差があるんだしぃ」
「・・・」
「無駄よ、リョーコなら気絶してるわ」
「一番最後まで、アキトの機動に喰らい着いてたからなぁ・・・
良い根性してやがるぜ」
真っ先に心も身体も立ち直ったガイが、そう言いながらヒカルとイズミに手を差し出す。
そのガイの心遣いに礼を言いながら、手を取って二人は立ち上がり、意識が無いリョーコを両脇から抱えあげた。
意識の無い人間の身体を運ぶのは難しいのだが、二人は手馴れた様子でリョーコを備え付けのベンチに運んで寝かす。
「でも実際の話、このままだと訓練にならねーぞ?」
「その意見には同意するわ」
5対1でも少々苦戦した位にしか、アキトの表情には出ていなかったのだ。
根が正直な所があるアキトは、顔を見れば何を考えているのか殆ど分かってしまう。
それが分かるだけに、リョーコは余計に闘志を燃やしているのだが。
「となると、後はリョーコをどう説得するかだよねぇ」
「・・・もう無理強いはしねぇよ」
「あ、気が付いたんだ?」
ヒカルの声を聞いて、リョーコは寝そべっていたベンチから身体を起こした。
そして辛そうに息を一つ吐くと、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「ここまで腕に差があるんだ、認めるしかねぇ・・・テンカワは機動戦では圧倒的に俺より強い。
これ以上無理なシミュレーションをしても、俺達が生き残る為の糧にはならない事も分かってる。
俺のプライドの為に、仲間達を危ない目に合わす訳にはいかないからな。
だから、明日からはちゃんとテンカワを中心に据えた、フォーメーションの練習を始めようぜ」
悔しそうに述べられたリョーコの意見に、反対をする仲間は誰も居なかった。
ふらふらとした足取りで、自室に向かうリョーコを見送った後、ガイとヒカルは何となくシミュレーション室に残っていた。
イズミは不思議な笑みを浮かべた後、二人に向かってごゆっくりと言い残して一人で去って行った。
「なあ、何であんなにスバルはアキトに拘ってるんだ?」
「うーん、人それぞれの事情かなぁ・・・
ほら、私なんて生活の為に、ネルガルのパイロットになっただけなんだけど。
リョーコは何だか思い入れがあって、トップを目指してるみたいだよ」
「そうか、俺は趣味の為にネルガルと契約したけどなぁ
皆色々とややこし事、考えてるんだな」
胸を張ってそう宣言をするガイに、思わず呆然とした顔をした後、ヒカルは大声で楽しそうに笑い出した。
「・・・筋金入りだね、ヤマダ君」
「だから俺の名前は、ダイゴウジ ガイだ」
「ラピス、そっちの作業はどうだ?」
『順調、問題無し・・・いや有った』
「問題有り?
何が有ったんだ?」
『マキビに直接会った』
「そ、そうか・・・」
『研究所の定期健診で来てた』
「ふーん、どんな子だった」
『良く分からない、ただ・・・』
「ただ、どうしたんだ?」
『レンジャーシリーズのレッド役は、アキトが担当ってどういう事?』
「・・・・・・は?」
『ヤマダはイエローで決まりだと力説してた』
「・・・・・・・・・え?」
『女性陣が三人とは歴史を変えたね、って力説してた』
「・・・へー」
ハーリーをラピスの補佐に着けたのは失敗だったのかもしれないと、アキトが真剣に悩みだした瞬間だった。
翌日になり、日課の早朝トレーニングを行おうとしたアキトがトレーニングルームに行くと、そこには先客が待ち構えていた。
「機動戦には負けても、生身なら負けねぇぞ!!」
緑色のショートカットに白い鉢巻を巻いた紺色のジャージ姿のリョーコが、気合満点の声で鞘に入った模造刀を片手にアキトに宣戦布告を行う。
「・・・いや、スバルさん。
俺はそういう事には興味が」
「まあまあ、一つでもテンカワ君に勝っている部分を見つけようと、リョーコも必死なんだよ。
ゴメンだけど、もうちょっと付き合ってあげてよ」
そう言いながら、同じ様なジャージ姿のヒカルが、アキトに向かって手を合わせてお願いをする。
ちなみにその後ろでは、ガイが暇そうにサンドバックを叩いていた。
イズミの姿が見えないのは、どうやら早起きが苦手だったらしい。
ガイも朝はそれほど強くは無いのだが、今朝はヒカルに叩き起こされてトレーニングルームに来ていた。
そして、リョーコとヒカルの強引さに負けて、結局アキトは勝負を受ける事となった。
「一本勝負、始め!!」
この勝負を始める前にも、素手で戦おうとするアキトに激昂するリョーコの姿があったが、今は雑念を振り払ったのかその目に迷いは無かった。
ヒカルの開始の声を合図に、ジャージを脱いで動きやすい短パンと半袖のシャツに着替えたリョーコが、模造刀を鞘に入れたまま腰を落とす。
どっしりとした構えで柄を握り、鯉口を少しだけ開いている姿は、全体的に見ると見事に脱力をしていた。
その年季の入った居合い抜きの構えに、アキトも真剣な瞳になって少しずつ前進をする。
次の瞬間、鞘鳴りの音が響き、一瞬の煌きがアキトの前髪を揺らした。
「・・・スゲーな、俺の居合いが見えてるのかよ。
ギリギリの所で首を引いて避けるなんて、思ってもいなかったぜ」
「まあ、何とかね」
実際に見て避けた以上、下手な言い訳は相手の機嫌を損ねると思い、正直にリョーコの言葉を認める。
だがアキトにしても「気」で動体視力を強化しておかなければ、リョーコの剣閃を捕らえる事は不可能だろうと思っていた。
それほどまでに、リョーコの居合い術は鍛え上げられていたのだ。
そんなアキトの言葉を聞いて、リョーコは嬉しそうに笑った。
「強いなテンカワ、俺の師匠の爺ちゃん並に強い男には初めて会ったぜ。
でもな、負けっ放しは性分じゃ無いんだ、次は本気の本気でいくぜ」
先程より前傾姿勢になったリョーコが、再び模造刀の柄に右手を乗せた。
極限まで集中力を高めるリョーコに釣られ、アキトも自然と体内に「気」を循環させて、どんな攻撃にも対処出来る様に備える。
ギャラリーと化しているガイとヒカルも、二人の気の高ぶりに中てられたのか、動いてもいないのに汗を額に浮かべて見守っていた。
再度、鞘鳴りが響き、アキトは先程より速く自分の顔に向かって伸びてくる模造刀の輝きを認め、瞬時に回避に入った。
しかし、余裕は無いが当たりはしない距離を取ったアキトの予想を超えて、刃が喉元に迫る。
「!!」
リョーコの攻撃範囲を見切っていたアキトは、有りえない現象に下半身の力を振り絞り、その一撃から何とか身体を反らした。
次の瞬間、鞘を両手に構えたリョーコが、体勢の崩れたアキトの喉に向かって突きを繰り出すのが見えた。
「ちょっと、リョーコやり過ぎ!!」
「おい、大丈夫かアキト!!」
リョーコの鞘を使った全力の突きを喉に喰らい、アキトは壁際まで吹き飛んでいた。
そのアキトに向かってガイが駆け寄り、極度の集中状態から解放され、荒い息を吐くリョーコにはヒカルが抗議をしていた。
「はぁはぁ・・・やり過ぎか?」
「だってテンカワ君、あんなに吹き飛んでるよ!!」
「違うな、当たった瞬間に自分で跳んだんだよ、最低限の衝撃だけで済む様にな。
その上、置き土産までしていきやがったぜ」
そう言って、リョーコは苦笑をしながらヒカルに砕かれた鞘を見せる。
あの瞬間、模造刀を手放してアキトの体勢を崩した後、本命の鞘で全力の突きに行った。
模造刀によるフェイントは成功をしていたのに、自分の身体能力が足りない為に、最後の一撃を綺麗に入れる事は出来ず、アキトの反撃を鞘に受けたのだ。
リョーコが習った流派において、最後の手段とも言える捨て身技も、見事に破られた。
生身において全力を出し尽くしてもアキトに届かなかった事に、リョーコは逆に爽快感を感じていた。
ここまでやっても駄目だったのだ、この男に自分が何をやっても今の所届かないと、いい加減認めるしかないだろう。
「テンカワ、悪かったな・・・無理矢理着き合せちまってよ。
男だらけの世界で、負けたくないって突っぱねてきたから、そうそう素直に負けを認められなくてな。
でも、もうこれからは、訳も無く突っ掛かる事は止める」
「あー、それは有り難い。
このままだと何時か、スバルさんに喉を貫かれそうだ」
ちょっと赤くなった喉を摩り、少しだみ声になったアキトが、苦笑をしながら模造刀を片手にリョーコ達の所に歩いてきた。
そんなアキトから模造刀を受け取り、壊れた鞘に戻しながらリョーコは笑顔で話しかけた。
「いやぁ、負けた負けた、完敗だ!!
素手を相手に刀を使って負けるとは思わなかったな、すげー奴だよお前。
それと俺の事は、リョーコと呼んでくれていいぞ」
「ああ、分かったよ」
以前のように名前を度々名前を呼びそうになっていたアキトにとって、リョーコからのこの申し出は嬉しいものだった。
「悪かったな、俺が変に拘ってたせいで色々と迷惑を掛けちまって」
「まあ・・・確かに迷惑だったかな。
でもまあ、仲間なんだしこれからは仲良くしようよ。
宜しく、リョーコちゃん」
そう言って二人は笑顔で握手をした。
元々リョーコの性格を知ってるアキトは、今後は後腐れなく付き合っていけると分かっていたので、今迄の諍いは忘れようとしていた。
そして、以前は見る事のなかったリョーコの剣術の腕前については、改めて感心をしていた。
「じゃあ、これからは機動戦の訓練だけじゃなく、白兵戦の訓練もテンカワに教えてもらおうかな。
俺はもっと強くなりたいんだ、テンカワみたいに!!」
「それなら俺はリョーコちゃんに、剣術を教えて貰おうかな。
さっきの一撃を受けて、剣術に凄く興味が湧いてきたんだ」
「そ、そうなのか?
へへへ、嬉しい事を言ってくれるじゃねぇか。
でも、俺の指導は爺ちゃん譲りで厳しいからな、覚悟しておけよ!!」
リョーコは翳りの無い満面の笑顔をアキトに向けた。
ナデシコには通常の戦艦には有り得ない程に、クルーにとって過ごし易い生活環境が整えられている。
その一つとして、クルーが共同で使用している大浴場があった。
「ふぅ、大きな風呂に入るとやっぱり気持ちが良いよなぁ〜」
だらけきった顔で風呂に浸かっているガイから、そんな台詞が飛び出す。
「というか何で僕まで、ガイ達の訓練に付き合わないといけないんだ?」
こちら呆然とした表情で、風呂の中で頭にタオルを乗せたジュンが小声で呟いている。
先程までパイロット連中と同じ訓練を行った結果、激しい疲労に襲われて文句を言う気力さえ尽き掛けようとしていた。
実際の話として歩く気力すら無いジュンを、アキトとガイが両脇を抱えてこの大浴場に連れてきたのだ。
「・・・いや、やっぱりユリカから連れて行ってくれ、と俺達が頼まれたからなんだが?」
頭を洗いながら、ジュンの呟きを辛うじて拾ったアキトが、その疑問に答えを与える。
「・・・・・・これにも何か、ユリカの裏の意図があるのか」
「単なる厄介払いだろ。
俺達のフォーメーション案を山のように作って、艦長の暇を見付けては毎日のように意見を求めてるらしいし」
「ああ、納得出来るなその理由」
無駄な長考に入ろうとするジュンの思考を、アキトがユリカの本心を述べて、ガイが頷く事で引き摺り戻す。
長考をするのは勝手だが、その挙句風呂場でのぼせたジュンを介抱するのは自分達の役割になるので、事前に手を打っておいたのだ。
「しっかし、難しいもんだな「気」って奴はよー
使えれば、かなりの戦力アップになるんだろ?」
アキトの真似をしているつもりなのか、今日早速教えられた木連式柔の型を、風呂から上がり不恰好ながら演じるヤマダ。
勿論タオルを腰に巻いているとはいえ、見苦しい事には違いは無いので、アキトとジュンから同時に風呂桶が飛んだ。
「あー、まあ、な・・・
でも、結局は「気」が使えても、扱う身体を鍛えてないと、反動で大変な事になるだけだしな。
そう経験者は語るというやつだ。
リョーコちゃんも言ってたけど、通常なら心身を共に鍛えた上で、最終的に習得する技術らしいから。
そう考えたら、2〜3日でマスター出来る筈ないって分かるだろ?」
「じゃあ何でアキトは使えるんだよ?」
2つの風呂桶が当たった頭を摩りながら、ガイが不思議そうにアキトに訊ねる。
「・・・ま、俺は例外って事にしておいてくれ」
ガイからの追求に曖昧な笑みを浮かべて、アキトは回答を濁す。
自分自身、分かっていない所もある「気」について、意外にもリョーコから詳しい説明を受ける事が出来た。
他の流派にも言える事だが、身体を鍛えていくうちに自然と辿り着く境地が「気」を使用した身体操作らしい。
本来なら長い年月を掛けて修行をして会得するその技術を、俺は既に手に入れていた。
不思議がるリョーコ達に理由を聞かれ、適当に誤魔化していたが理由は何となく分かっている。
『戻る』前の、あの五感が絶たれた状態の自分が、何とか騙し騙しに身体を動かせていたのは無意識のうちに「気」を使用していたからだろう。
ラピスのサポートにも当然支えられていたが、両方が合わさった上での効果により、北辰を倒しユリカを救い出せたのだ。
それ以降、身体自体が本格的に壊れだし、「気」の使用限界も訪れて、急激に身体能力が低下したと思われる。
月臣に教えられた時に使えないと判断した技術だが、実は既に使用中だったという訳だ。
「その顔になったテンカワには何を聞いても無駄だぞ、諦めるんだなガイ」
「確かに時間の無駄っぽいよな。
まあ、「気」の使い方を教えてくれない訳じゃないし、問題無いか」
風呂の中でだらけながら、ガイとジュンはアキトの秘密主義は何時もの事と割り切っていた。
同じ頃の女湯では、上機嫌でリョーコが風呂に浸かっていた。
「極楽だぁ〜」
ガイと同じ様に緩みきった顔で風呂に浸かっているリョーコを見て、イズミが不思議そうにヒカルに訊ねた。
「随分とリョーコの機嫌が良いわね?」
「ほら、テンカワ君に剣術を教えてる時、さんざん先輩面できたじゃない」
「そう言えば楽しそうに、素振りから教えていたわね」
先程のトレーニングを思い出し、イズミはヒカルの言葉に頷いた。
私が早朝の訓練に寝坊している間に、リョーコはテンカワ君と生身で一戦を交え、その結果敗れたとしても吹っ切れたらしい。
その後は、遅刻した私とテンカワ君とヤマダ君が拉致してきたアオイ君と一緒に、様々なトレーニングを行った。
私としても「気」については興味があったので、大人しく彼の指導に従い訓練を受けたのだ。
「でも、テンカワ君の使ってる「気」って凄いねぇ
そこそこに鍛えられた程度の身体で、ヤマダ君を片手で軽々と持ち上げて、遠投したり出来るんだもん」
「・・・私は遠投されたヤマダ君が壁に激突しても、ピンピンしていた事に驚いたわ」
「ははは、タフだよねぇヤマダ君って」
そこでガイと同じ様に、アキトに教えてもらった木連式柔の型をトレースするヒカル。
自分達以外に入っているクルーも居ないので、イズミはそのままヒカルを放置しておいた。
ただ、女性同士とはいえ、慎み持って欲しいと忠告だけはしておく。
「ありゃ諸刃の剣だ、本当なら使用に耐える身体が出来上がるまで使うべきじゃねぇよ。
それが分かっているから、テンカワの奴も身体を必死で鍛えてるんじゃねぇか」
緩みきっていた表情を真剣なものに戻して、リョーコが二人に話しかける。
「今までも必要に駆られて使ったらしいけど、その度に入院してるらしいしな。
俺の爺ちゃんも似た様な事は出来るけど、もっと洗練されてて身体に負荷は掛けすぎてないぜ。
そういう意味では、俺もテンカワも修行不足なんだろうな」
「じゃあ、エステバリスの操縦が上手いのも「気」の補助があったからなんだ?」
「確かにそれも理由の一つでしょうね。
でも、テンカワ君に聞いた限りだと、身体能力の向上以外に「気」の効果は無いわ。
急激なGに対応する事や、動体視力の底上げには使えるかもしれない。
でも、その能力を使用して的確な機動と、効果的な攻撃を行うのは本人の経験と技量次第。
何より多分・・・彼の機動戦における戦闘経験値は、私達とは凄い差があると思うわ」
ヒカルの疑問に、イズミが真面目な顔で更に訂正をしてきた。
そして、追加して自分の疑問を口に出す。
「・・・彼は余りに存在がアンバランス過ぎる。
達人級の武術を修めているのに、身体はそこそこ鍛えられた素人レベル。
エースパイロットを超える技量を持つのに、その操縦に耐えられずに出撃の度に、負荷による入院をしたりしている。
あれほどの腕前なのに、プロスさんの調査では機動兵器の戦闘経験者としての履歴を、特に確認できなかったそうよ」
「プロスさんやゴートさんも、疑いだすと切が無いから今は放任してるらしいしねぇ
これまでの実績で考えれば、ネルガルに対して敵対行動はしてないのは確かだけど。
でも、艦長は無条件で信じてるみたいだよね?」
「それは、惚れた弱みでしょ」
そう言いながら、イズミとヒカルも湯船に身体を沈めてきた。
そんな二人にリョーコがどうでも良いとばかりに言葉を投げ掛ける。
「別に秘密があっても良いじゃねぇか、今は仲間なんだし。
それに俺の指導通りに、無心に木刀を振ってる姿に嘘は無かったよ。
俺達だけで火星に向かう予定だったのに、頼りになる仲間が増えたんだ、良い事なんだよ、きっと・・・」
一番馴染むのが難しいと思っていたリョーコが、そう言って納得している事に驚きながらも。
その呟きを聞いていた二人は、頷いてその言葉に同意を返した。
「てな事が、今朝方にあったんだよ艦長」
「へー、そうなんだ。
だからアキトが喉に包帯を巻いているんだ」
晩御飯を食べているガイから事情を聞いて、心配そうにアキトを窺うユリカ。
その当の本人は、ユリカからの心配を他所に元気に厨房で玉葱を刻んでいた。
「テンカワ君、機動戦と白兵戦の腕は超一流なのに。
料理の腕は微妙ー」
「ああ、それは何か理由が有るらしいぞ。
というか、それならアキトの料理をリクエストしなけりゃいいじゃないか」
「だってホウメイさんとテンカワ君、どっちか料理人を選べるなら、試しにテンカワ君を選ぶのも有りでしょ?」
そう言いながらも、アキトの作った八宝菜を残さず食べきるヒカル。
その隣の席に座っているガイは、同じくアキトが作った牛丼を勢い良く食べていた。
「でも日々美味くなってるぞ、アキトの料理は。
俺は親友として毎日食べてるからな、成長具合の把握もばっちりだ!!
最初に出てきた炭の塊から比べれば、今の料理は食べられるだけマシだ!!」
「うわぁ、付き合いが良いね・・・」
米粒を飛ばしてくるガイの行動を予想していたヒカルとユリカは、素早く手元のトレーで防御壁を築いていた。
「というか、随分と仲が良いね二人とも?」
「「え、そう(か)?」」
ユリカの問い掛けに、揃って首を傾げるガイとヒカル。
本人達には自覚はないようだが、その動き一つを取っても見事に息が合っていた。
「うん、傍目には見事なカップルさんだね」
「それは困りますな!!」
「おわっ!!」
ユリカの背後から影を背負って登場をしたのは、今やナデシコの最後の良心と呼ばれているプロスペクターだった。
突然発生した圧力に、思わず仰け反り椅子から転げ落ちそうになるガイ。
その隣に座っているヒカリは、驚いて目を白黒させていた。
「ヤマダさん、ヒカルさん。
このネルガルとの間に交わされた契約書を、忘れたとは言わせませんよ!!」
契約書の写しを二人の前に突き出し、何やら得意気に語りだすプロス。
彼曰く、ナデシコ内での異性交遊は手を繋ぐまでであり、それ以上の行為は認めないとの事だった。
だが、この発言を聞いて慌てたのは指摘をされたガイ達ではなく、隣で聞いていたユリカだった。
「えー、あの契約事項って本気だったんですかー
ネルガル流のジョークだと思っていたのにぃ
私とアキトの将来の為にも、その項目の破棄を提案します!!」
「ええ、勿論、ジョークでは有りません。
というか貴女みたいな権限も有るのに、暴走する人を押さえ込む為に契約はあるんです。
ですから艦長も、テンカワさんとデートをする時は気をつけて下さいね」
「そんな、アキトとデートって、えへへへへ」
「・・・ご機嫌な所を申し訳有りませんが、本当に気を付けて下さいよ?
艦長たる者、全クルーの見本となるべき姿を見せていただかないと」
照れながら妄想の海にダイブしたユリカの姿に、かなり引き攣りながらプロスが念を押す。
だが既にその言葉はユリカに届いて居なかった。
そんな二人の姿を厨房から観察してたアキトは、盛大に溜息を吐くのであった。
「何だか私達の事は置いてけぼりじゃない?」
「ま、別にどうでもいいんじゃねぇの?」
食べ終わった食器を仲良く片付けながら、ガイとヒカルは生温い目でユリカとプロスのやり取りを見ていた。
その後、ネルガルとの間に交された契約についてクルー内に一悶着があったが、最終的には異様なプレッシャーを纏ったプロスによって全て押しつぶされた。
そして月日は経ち、リョーコ達が合流してから一ヶ月後、ナデシコの火星までの航海は大詰めを迎えていた。
ブリッジクルー達は連日火星到着時に考えられるトラブルや妨害について話し合い、パイロット達も心身共に厳しい鍛錬を続けていた。
明日には敵に占領された火星への突入という状態に、クルー全員がピリピリとした緊張感を纏っている。
そんな中、何時ものように厨房に立ち続ける師弟は、激務により飢えたクルー達の胃を満足させるべく頑張っていた。
「テンカワ、このラーメンをフクベ提督の部屋に出前頼むよ!!」
「はい、ホウメイさん!!」
おかもちにラーメンを入れて、アキトが凄い勢いで食堂から出て行く。
持ち場を離れる事が出来ないクルーも多いが、フクベ提督は一人きりでの食事を好み、よく出前を厨房に頼んでいた。
アキトは既に通い慣れた感じがある、仕官クルー用の部屋が立ち並ぶ区域に入り込み、直ぐにお目当てのフクベ提督の部屋に向かった。
「フクベ提督、出前をお持ちしましたー」
部屋の前に立ち、部屋に備え付けれているインターフォンからフクベ提督に出前の到着を知らせるが返答が無い。
不思議に思いつつ気配を探ると、確かにフクベ提督の存在は室内に感じられた。
色々と悩んだ末に、アキトは駄目元で部屋の扉を開けるスイッチに手を掛けた。
「フクベ提督、大丈夫ですか!!」
予想に反して、部屋の扉にはロックが掛かっていなかった。
そして部屋に入ったアキトが見たものは、床に倒れて呻いているフクベ提督だった。
「直ぐに医務室に連れていきます!!」
「ま、待ってくれ・・・ちょっとした発作だから心配するな。
薬を飲んで時間を置けば、直ぐに良くなる」
アキトがフクベ提督を背負って医務室に向かおうとした時、弱々しい声で当の本人から待ったを掛けられた。
当初は複雑な表情をしていたアキトだが、再三フクベ提督に頼まれたので、諦めてベットにフクベ提督を降ろした。
「机の一番上の引き出しに・・・薬瓶が入ってる・・・それを取ってくれ」
「これですね?」
フクベ提督は苦しそうに胸を押さえながら、アキトに薬の場所を教える。
アキトはその言葉に従い、直ぐに薬瓶を見付けて戻ってきた。
その薬瓶を受け取り、中身の錠剤を幾つか飲み込み、暫くするとフクベ提督の呼吸が穏やかなものに変わった。
「・・・仕事中にすまんね」
「いえ、別に構いません。
それより医務室に行かなくても良いんですか?」
時間を取らせた事を謝罪するフクベ提督に、アキトは逆に医務室に行きたがらない理由を訊ねた。
「医務室に行った所で同じ薬を処方されるだけだよ。
年寄りになると、色々と身体のあちこちにガタがきてね」
「はあ、そうなんですか・・・」
アキトとしては身体が不自由になる恐怖は嫌というほど味わっている。
その経験から言うと、フクベ提督のように達観した言葉は、そうそう述べる事は出来ないと知っていた。
実際、自分がその境地に立ったのは死を覚悟した瞬間だったのだから。
「君はユートピアコロニーの生き残りだそうだね」
「ええ、そうですよ」
自分の個人情報が漏れている事を不思議に思うが、多分上層部には要注意人物として注意文でも回っているのだろうと想像する。
実際、プロスやゴートからの干渉は無くなったが、完全に信用されているとはアキト自身思っていなかった。
「・・・故郷を消した私を恨んでいるかね?」
「・・・ムネタケ副提督にも言われましたけど、特に恨んではないです。
それに、恨む資格なんて俺には無いです」
フクベ提督が故意にチューリップを、ユートピアコロニーに落とした訳ではない事は分かっている。
それを言うならば、幾つものコロニーを自らの復讐に巻き込んで壊滅させた自分の方が、遥かに罪は重い。
「君に資格が無いというのは・・・きっと話せない理由なんだろうな。
プロス君が危ぶむ訳だ、君には強さと危うさを同時に感じさせる。
では、何を求めて君は火星に行くんだ?」
「火星に行く理由ですか・・・改めて聞かれると、困りますね。
俺自身、色々な事情が重なった結果、この場に居るみたいなものですから。
それこそ、フクベ提督は何故火星に拘るんですか?」
「贖罪を求めて・・・かな」
アキトが食堂に帰り、ホウメイに長時間職場を離れて居た事を謝ると、軽く肩をすくめて許して貰えた。
その事を不思議に思っていると、苦笑をしながら食堂の端に座っているユリカを指差して、その理由を話してくれた。
「お前さんがフクベ提督に捕まっているのは、ルリルリ経由で艦長に報告されてたのさ。
艦長からお前さんが、提督の長話に付き合って遅くなるって聞いたのさ。
まあ、発作で緊急ボタンを押した提督の部屋に、たまたま出前に行ってたのが運の尽きだったね。
それと厨房の後片付けも終わってるから、今日の仕事はもう良いよ」
「え?
は、はあ・・・そういう事でしたら、今日は上がらして貰います」
ホウメイとホウメイガールズに挨拶をして、アキトは食堂から出て行った。
その後ろを当然のようにユリカが着いて来るが、今回の事については借りが有るのでアキトは何も言わず、幾つか設置されている休憩所に向かう。
時間が遅かった為か休憩場は無人だった。
アキトは自動販売機からジュースを2つ購入し、一つをユリカに差し出した。
「長時間厨房を空けた事をフォローしてくれたみたいだな、有難う」
「うん、ルリちゃんから事情は聞いてるから。
ホウメイさんも何となく、何かあったと思ってるみたいだったから、適当に理由を話しておいたよ」
「そうか、助かったよ。
職場放棄なんてしたら、プロスさんに大目玉喰らっちゃうからな」
そう言って苦笑をした後、ベンチに座ったアキトの隣に、ユリカは無言で座り込む。
暫くの間、お互いに無言のまま時間だけが過ぎていった。
ユリカから感じる暖かい気配を感じ、アキトはささくれていた心が少しづつ癒されていく事を感じていた。
最初に口を開いたのはアキトだった。
「・・・フクベ提督はユートピアコロニーの事について、誰にも責められない事が苦痛だったらしい。
それどころか、地球に戻れば英雄として軍に祭り上げられ、勲章まで貰ったそうだ。
本当に惨めだったと、俺に話してくれた」
「それで、アキトは提督を責めたの?」
「いや、俺には出来なかった・・・」
フクベ提督は断罪をしてくれる人を求めていた。
だが、むしろ俺自身がその断罪を求めていた人間なのだ、今更何をフクベ提督に言えるというのか。
己の欲望のままに数万の死者を出し、その上で救出したユリカを結果として見殺しにし、引き止めようとするルリから逃げ続けた臆病者。
きっと地球でルリが手を差し伸べてくれなければ、また自分はナデシコとユリカから逃げ出していただろう。
「英雄、か・・・空しい存在なんだな」
「そうだね、提督も大変だったんだよね。
でも、大衆が苦しい時に英雄を求めるのは、仕方が無い事だと分かるんだ。
何か一つでも光明があれば、人は頑張れるんだから。
きっと今の苦しい戦況で飛び抜けた人物が現れれば、その人もきっと英雄にされるだろうね」
アキトにもユリカが言っている事は理解できた。
自分自身、地獄の底で何度も諦めそうになった時、縋り付いたのはユリカを助けるという約束と、残してきた家族のルリの安否だった。
「英雄なんて、そうそう都合良く生まれるもんじゃないんだろうな」
「でも、私にとってアキトは昔から王子様でヒーローだよ」
「・・・」
そのヒーローは一番大切な時に、お姫様を守る事が出来なかった。
ユリカにそう告げたい気持ちが湧き上がるが、このユリカにそれを述べた所で何も意味は無い。
伝えたい事や言いたい事が山の様に心の内を埋め尽くしているのに、言葉にして口からは何も言えない。
こうなる事が分かっていたから、ユリカとの接触を意図的に今まで避けてきた。
「アキトが何時も何かに悩んでいる事は、何となく分かってる。
何時か私に、その事を話してくれると嬉しいな」
「ユリカが想像も出来ない様な、最低最悪な話かもしれないぞ?」
「それも含めて受け止めてみせます!!
だって、私は――――――」
途中で言葉を止めたユリカを、不思議そうな顔で見るアキト。
そしてユリカの視線の先には、珍しくばつの悪そうな表情で二人を見詰めているルリの姿があった。
「・・・失敗しました、思わず身を乗り出してしまいました」
「ル、ルルルルル、ルリちゃん?」
舌が回っていないのか、不明瞭な言葉を繰り返すユリカ。
「はい、ホシノ ルリです。
では、良い子は寝る時間なので、お休みなさい」
「あ、うん。
お休み、ルリちゃん」
「お休み」
そう言って可愛い仕草で一礼をした後、ルリはその場を後にした。
その後姿に向けて、アキトとユリカが言葉を掛ける。
最後までその場に残されたのは、気まずい表情をしたユリカと、苦笑をしたアキトだけだった。
「もう遅い時間だし、俺達も部屋に帰るか」
「うん、そうだね」
幾分、晴れやかな気分になったアキトは、少し不貞腐れた表情のユリカの手を取って立ち上がらせた。
それだけの事なのに、アキトに向けてユリカは、あの頃と変わらない満面の笑顔を見せてくれた。
小走りになって自室に帰り着いたルリは、激しい動悸を抑えるように心臓の部分に手を当て息を吐いていた。
「・・・どうして、あのタイミングで私は」
自分の望みを考えれば、ユリカとアキトの仲が進展する事は良い事の筈なのに。
何故、この時点で考えれば決定的とも言えるチャンスを潰してしまったのか。
「やっぱり、分かりません」
胸のうちにモヤモヤとする不思議なモノを感じながら、ルリはベット上に身を投げ出した。
翌日、ついにナデシコは火星に到着する。
気合の入った顔付きのユリカがジュンを従えてブリッジに立つ。
他のブリッジクルー達も何時もの緩い雰囲気は無く、引き締まった顔をしていた。
そんな中、ルリから敵艦発見という報告が入る。
「進路上に戦艦タイプ 3隻、護衛艦タイプ 30隻を確認」
その報告を受けた後、ユリカは小さく頷くと目の前に開いている関係部署への通信ウィンドウと、ブリッジクルーに向けて宣言する。
「皆、征くよ」
――――――ナデシコの本格的な戦闘の幕が上がった。
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