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第三話
2197年4月
「僕は恋をした・・・」
ネルガルの会長という世間的には栄光に満ちた任に就く青年が、その会長席に座ったまま幸せな笑顔を浮かべそう呟く。
その言葉を聞いた瞬間、動きを停滞させた二人の秘書は、約2秒後には何事も無かったかのように仕事を再開した。
「失礼します。
頼まれていた書類の搬送をしてきました」
「有難うテンカワ君。
御免なさいね、本業はシークレット・サービスなのに配達の仕事を頼んじゃって」
「いいですよ、コレくらい。
会長室のセキュリティは最高レベルですからね、少しくらい俺が居なくても大丈夫ですから」
頭を軽く下げるサヤカに問題有りませんと返し、アキトがアカツキの席を何気なく見てみると、そこには幸せそうな思い出し笑いをしている奴が居た。
「・・・」
何も見なかった事にしたアキトは、シークレット・サービスの待機用として用意されている別室に移動を開始する。
その背中にアカツキの独り言がぶつかった。
「恋を、したんだぁ・・・」
足を止めたアキトは、哀れな人を見るような視線をアカツキに向ける。
「春、だからなぁ・・・」
「そうね、春だしね」
その言葉を呟いたアキトにサヤカが追従する、そして同時に何処までも重い溜息を吐く。
二人は本当にこの男を旗頭にして、ネルガルの社長派と闘い抜けるのだろうかと、今更ながら不安に思っていた。
やっと再開された会長の仕事は、まだそれほど多くは無いとはいえ重要な案件も結構含んでいる事を、アキトは二人の秘書から愚痴と一緒に聞かされている。
「予想以上に使えない会長ね」
一人黙々と仕事をこなしながら、新人秘書のエリナはアカツキの評価を更に下方修正していた。
頭に色ボケの花を咲かしているアカツキを残して、秘書達とアキトは近場のレストランに休憩に出た。
「サヤカさん。
あの会長、昔からあんな感じなんですか?」
紅茶に入れたミルクをスプーンで掻き混ぜながら、エリナが呆れたように質問をする。
「以前ならともかく、最近はもう少し凛々しかった筈なんだけど。
何か衝撃的な出会いでもあったのかしら?
子供の頃から、意外と惚れっぽいところもあるし。
本人はモテてるつもりで、良く道化になってるし」
「・・・少し前のアカツキって、どんな奴だったんだ」
サヤカの微妙なフォローを聞いて、アキトは思わず思った事を口にだしていた。
「まあ良いでしょう、その駄目っぷりもある意味予想範囲内よ。
どこぞのヒヒオヤジのように身体を求められるよりマシ、という事で納得します」
「ああ、アカツキの奴はシスコンだからな。
サヤカさんみたいに、包容力のある優しい女性じゃないと惹かれないと思うぞ?」
「優しくして欲しいなら、それなりの働きをしなさいっての。
というか、結構言ってくれるわねテンカワ君?」
暗に包容力が足りないと言われたエリナが、頬を少し引き攣らせながらアキトに食って掛かる。
その視線を受けたアキトは、視線を逸らして追求から逃れようとした。
「まあまあ、ナガレ君は昔から気が多い子だったから。
きっと優しくされて、気になる女性が出来たんじゃないのかしら」
「どれだけ愛情に飢えてるのよ、あの人・・・」
「色々と有るんだろきっと。
取り合えずアカツキの事は放置するとして、エリナさんは少しは仕事に慣れたのか?」
「ふふん、伊達にネルガル会長に自分を売り込んだわけじゃないわよ。
既存の処理作業については引継ぎは終ってるわ。
何より私の夢を叶える為には、こんな所で躓いていられないのよ」
自信満々に胸を張ってそんな宣言をするエリナに、サヤカとアキトは小さく手を叩いた。
「でも今の業務内容を考えれば、量が多いだけでちょっとした腕の人なら、誰にでも出来て当然なレベルなのよね。
私が考えていたような大きな仕事には、まだまだ手が出ていないわ。
その為にも、一刻も早くあの会長をサポートして、色々な仕事に係わらないと!!」
「ふふふ、頑張ってね」
気勢を上げるエリナに心から応援をするサヤカだった。
実際、何処か保守的なアカツキとこの攻撃的なエリナでは、仕事上のパートナーとして相性は良いのではないかとサヤカは思っていた。
その日のスバル邸での夕食時、何時もの面子に囲まれたテーブルで、アキトがユウにお願いをしていた。
「師匠、明日の午後は少し時間を頂いて、出掛けても良いですか?」
「む、別にキリュウの方の仕事に支障が無ければ、わしは別に問題は無いが。
何ぞ出掛ける用事でも有るのか?」
「はい、世話になっている・・・というか、世話をしている娘と一緒に買い物でも行こうかと」
「・・・あれ、そう言えばアキト君のご家族は?」
そう言えば、アキトの家族構成について何も知らない事に気が付いたカナデが、その事を思い出したのかアキトに尋ねる。
今の今まで家族の話題が無かっただけに、特に気にせずに全員がスバル邸で生活を続けていたのだ。
「言ってませんでしたっけ、俺は天涯孤独の身ですよ?」
「2ヶ月以上、一緒の家に住んでて、今更聞くような話じゃないよな、うん」
自分も聞いていなかった事を棚に上げて、ヒデアキが卵焼きを口に放り込みながらそうぼやく。
「そんな、アキト君が天涯孤独だったなんて・・・今日からは『お母さん』と呼んでもいいのよ?
ああん、前からアキト君にみたいな男の子が欲しかったのよねぇ。
あ、ヒデアキさん、明日役所に養子縁組の書類を取りに行って来るわね」
「いや、どうせならそこは結婚届けにしようよ。
お父さん、お母さんと呼ばれるのは、リョーコと結婚するまでの楽しみに取っておこう」
「あら、それは良い考えねヒデアキさん。
ふふふ、リョーコが今度帰って来た時には直ぐに結納をしないと」
「やっぱり僕達がお世話になった神社で、挙式をするのが良いよね」
「うんうん!!」
話の当人であるアキトそっちのけで盛り上がる鴛夫婦に、アキトは箸を加えたままげんなりとした顔をしていた。
リョーコがナデシコから帰ってきた日は、もしかすると自分の命日かもしれないな、とアキトは思えてきた。
「・・・誰かこの夫婦を止めてくれ」
救いを求める視線をユウに向けるアキト。
その視線に気付いたのか、ユウは片眉を少しだけ吊り上げた後に、アキトに向けて珍しく笑顔で話し掛けた。
「養子と婿養子、どちらが良いか決めておけよ」
珍しくアキトから休暇申請が出されていた為、キリュウはその日のアカツキの護衛任務をマウロに任せていた。
そして派遣されたマウロは、色ボケのアカツキから延々と下らない相談を聞かされ続ける事となる。
「つまりこう言う事かな?
アカツキは休日に出会った、飾らない美貌かつ心優しい花屋の未亡人にメロメロだと」
「イェス!!」
アカツキの役職を考えると、何を考えてるんだコイツと思わなくないが、流石に雇い主にそこまで言うのはと脅威の忍耐力を発揮するマウロ。
そんな殴りたい衝動を必死に抑えているマウロを前にして、アカツキは如何に彼女の癒しオーラが凄いかを朗々と語る。
「もうね、傍に居るだけで心が癒されるわけよ。
ほら僕のとこに来た新人秘書・・・あの刺々しいオーラを毎日受けてるせいで、もう胃が限界なわけ。
その胃痛を和らげてくれるのが、彼女の笑顔なんだぁ」
「・・・あー、そー」
こんなアカツキの護衛を黙々とこなし、時には暴走を突っ込みで止める事があるというアキトに、マウロは心の底から尊敬の念を抱いた。
自分なら一週間後には眉間をライフルで打ち抜いてると、マウロは確信する。
もし、美人秘書の2人が同じ職場に居なければ、マウロは当日中にターゲットを殺っていたかもしれない。
「あら、今日はテンカワ君はお休みなのかしら?」
書類の束を片手に、会長室に入ってきたサヤカがマウロにそう尋ねる。
「そうなんですよ。
あの仕事一筋のアキトが、珍しく人と会う予定があるからと休みを取ってるんです」
美人が相手の時は何処までも陽気になれるマウロは、先程までのアカツキに抱いた殺気を封印し、笑顔でサヤカに返事をする。
「それは確かに珍しいわね。
まあ、テンカワ君も若いんだし、恋人が居てもおかしくないわよ」
サヤカ以上の書類の束を両手に抱えたエリナが、アカツキの机の上にその書類を置きながら話を繋げる。
ちなみに、最初は書類運び位は手伝おうとしたマウロだが、重要書類という事で触れる事を断れらたのだった。
自分の真意が、セクハラに有る事を見抜いた二人の秘書に、会長と違って侮れないとマウロが心の中で唸っていた。
その結果、アカツキの馬鹿話の聞き役に指定されたのだから、マウロからすれば正に泣きっ面に蜂状態だった。
「そうそう、僕もそれが気になって聞いたんだけど、意外な返事があったんですよ。
それを聞いて、キリュウ隊長を含めて全員ビックリでーす」
「あら、そんなに意外な話だったの?」
サヤカの後ろに居たエリナが、不思議そうに首を傾げる。
そんな秘書達に向かって満面の笑みを浮かべながらマウロは爆弾を投下した。
「アキトの奴、娘が居るらしいんですよー」
「「「・・・・・・は?」」」
マウロの爆撃を受けて、会長と会長秘書達の刻が止まった。
その頃、スバル邸にはカナデの悲鳴が響き渡っていた。
「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
凄く似合ってるわよ、ラピスちゃん!!」
「あ、有難う・・・」
リョーコのお古を使っての着せ替え人形状態のラピスが、助けを求めるような視線をアキトに向ける。
しかし、何時もは頼れる保護者は、その師匠との鍛錬により庭で伸びていた。
「まだまだ剣速が足りんわ!!精進せい!!」
「は、はい!!」
膝を震わせながら立ち上がったアキトが、再び木刀を腰に構える。
その対面に立つユウも同じ様な構えを取った。
呼吸を落ち着かせたアキトが、次の瞬間、無言のままに裂帛の気合を込めて木刀を抜き打つ。
ラピスには何時アキトが動いたのかさえ見えなかったが、対面に立つユウは自分が持つ木刀で、アキトが放った一撃を上方に弾いた。
そして、次の瞬間には弾いた木刀を使ってアキトの左肩を打ち据える。
「抜刀までの一連の動きに滞っている部分が有る!!
そのせいで剣速が落ちていると、何度も言っておるだろうが!!」
「すみません、師匠!!」
左肩を抑えながら立ち上がり、再度同じ構えを取るアキト。
厳しい顔でそのアキトを見ながら、ユウも同じ構えを取る。
そして、深い集中状態に入ったのか、アキトは目を閉じて調息を行う。
午後からアキトとのお出掛けを約束していたラピスは、ちょっとした悪戯心を発揮してスバル邸までタクシーで移動をした。
研究所にはダッシュと一緒に作成した擬似人格が、ラピスを息抜きに連れ出したという記録を残してある。
しかし、少々浮かれていたラピスは予定より随分と早く研究所を出ていた為、スバル邸には午前中に着いてしまった。
アキトをリンクを使って呼び出すのは簡単だが、稽古中に声を掛ける事を躊躇ったラピスは、スバル邸の玄関前で立ち往生をしてしまい・・・カナデに捕獲された。
そして、アキトから大よその事情を聞いたカナデにより、ラピスは着せ替え人形へと変わったのだった。
アキトの稽古風景を初めて見たラピスは、『戻る』前の月臣との殺伐とした稽古ではなく、何処か爽やかなその風景に最初は戸惑いを覚えた。
しかし、それは決して悪い事では無いと思い、カナデにされるがままになりながらも、アキトに声を掛けようとはしなかった。
「っ!!」
再度アキトから放たれた一撃は先程の剣速を超え、今度はユウに弾かれる事なく、空中で絡まるようにして止まっていた。
「・・・まあ、今日は此処までだな」
「御指導、有難う御座いました!!」
そして、汗だらけのアキトが大きく頭を下げて、午前中の稽古は終った。
「いらっしゃーい・・・って、テンカワとラピスちゃんかよ。
って、後ろの女性は誰でい?」
サイゾウが久しぶりに現れた二人組みに声を掛けようとすると、その背後にもう一人女性が居る事に気が付いた。
「あ、初めまして。
アキトとラピスの母親で、カナデと――――――」
「お、俺が今厄介になってる家の人です!!」
何処か必死の形相でカナデの名乗りを誤魔化そうとするアキトに、また苦労してそうだなぁコイツと、サイゾウは内心で思った。
アキトに口上を遮られたカナデは最初は不満そうな顔をしていたが、ラピスに手を引かれて席に向かう途中で機嫌は直っていた。
カナデに買ってもらったラピスの洋服の山を、アキトが座席に積み上げている間に、カナデとラピスは仲良くメニューを見ていた。
そうやって仲の良い二人を見ていると、アキトには本当に親子のように見えた。
考えてみれば、アキトはラピスの保護者としてまともな対応をした事など、数えるほどしかなかった。
こうやって出掛ける事すらも、二ヶ月振りともなれば自分自身呆れてしまう。
今もある意味自分勝手な願いを適える為に、ラピスを研究所に閉じ込めているというのにだ。
本当に酷い男だと、アキトは仲の良いカナデとラピスの姿を見て、自分を省みた。
「なーに、暗い顔をしてやがるテンカワ?
男なら辛い時も悲しい時も、歯ぁ喰いしばってデンと構えてろよ。
前よりはマシになったと思ってたが、まだまだだな」
「ははは、全くその通りです、サイゾウさん」
サイゾウに後ろから声を掛けられて、アキトは苦笑をしながらその意見に頷いた。
内心でアキトがラピスに謝ると、ラピスは自分は今は幸せだよ・・・と返してくれた。
「いいかい、テンプレは使い古されているけれど、成功確立が高いというのもまた事実」
「はい、先生!!」
ホワイトボードに何やら怪しい言葉を書き連ねるマウロに、必死にノートを取るアカツキ。
その姿を見て頭痛を覚えたエリナは、最近持参している頭痛薬を取り出して飲み込んだ。
それとは対照的に、付き合いの長さ故か、むしろ微笑ましそうにアカツキの奇行を見ているサヤカだった。
「何らかのアクシデントの後に、女性との仲が進展するのは吊橋効果として有名だね」
「つまり彼女を危険に晒せと?
そんな事、僕は許さないよ!!」
興奮をして立ち上がり、マウロへと詰め寄るアカツキ。
「黙れこの蛆虫野郎、最後まで話を聞け!!」
「サー、イエッサー!!」
だが、マウロの怒声を聞いて、反射的に体勢を整えて敬礼をするアカツキ。
未だ続いている週末の野外訓練では、階級的にアキトと一緒に最下層をキープしている為、この手の怒声を聞くと反射的に敬礼をしてしまう。
そんな光景を何度も繰り返し見た為、いいかげん飽きが来ていたエリナは以前から不思議に思っていた事をサヤカに尋ねた。
「そういえば傭兵なんて氏素性の怪しい人達を、よく雇う気になりましたね?」
「会長派として信頼の出来る人物からの、紹介だったからよ。
本当ならセキュリティ関連は、彼に一任する予定だったんだけど。
・・・前会長の音頭で発足したスキャパレリプロジェクトを、任せる事が出来るのがその人だけだったから」
サヤカの説明を受けて、エリナはその人物「プロスペクター」というふざけた名前の男性について考える。
そしてそんな貴重な人材を、博打のような計画に盛り込んだ重役連中に怒りを覚えた。
「まあ、山師という名前を堂々と名乗っている時点で、その人も大概に怪しいと思いますけどね・・・」
「ふふふ、でも職務に忠実で良い人よ、顔が驚くほど広い人だし」
プロスペクターの飄々とした姿を思い出したのか、サヤカが楽しそうに笑った。
「その結果がキリュウさん率いる傭兵団を、シークレット・サービスへの採用ですか。
まあ、確かに通常のシークレット・サービスでは対応出来ないでしょうね、あの会長の相手は」
ついに掴み合いの喧嘩に発展したアカツキとマウロの口論を、冷めた目で見ながらエリナが呟く。
「でも、キリュウさんから聞いた話だと、テンカワ君は最近になって途中採用された一般人らしいわよ?」
「はぁ? あの素手でコンクリを叩き割るわ、棒切れで拳銃相手に圧勝するわ、会長のボケを片手突っ込みで吹き飛ばす彼が、一般人?
むしろ一度研究所で、テンカワ君の身体調査をするべきじゃないの」
実はアカツキが形成する会長派の一人として、エリナは何度か謎の暴漢に襲撃を受けていた。
その暴漢の襲撃を、表に出る前にキリュウが配置したシークレット・サービスモドキの傭兵団が潰していたのだ。
ただの嫌がらせのため、使われる人員がそこいらのチンピラだったので、キリュウの引いた防衛線を突破する事はまず不可能だった。
しかし、運悪く偶然が重なった結果、数人の男がエリナの前に現れた事が一度あった。
その時はアキトが現場に急行し、拳銃で脅してきた暴漢達を拳と木刀で制圧したのだ。
現場を目撃したエリナ曰く、「むしろ暴漢達が可哀想だった・・・」という惨事が巻き起こされた。
普段のアカツキとの漫才を見慣れていたエリナには、アキトの本当の実力は中々衝撃的だったらしい。
「これでも一度全員の素性調査をしようとしたのよ?
でもキリュウさんから、傭兵の過去を知っても碌な事にならないと忠告されてね。
それに、調査をされる位なら、この仕事は請け負わないって断言されちゃったのよ。
会長としての立場が殆ど無い今の現状で、キリュウさん達みたいな優秀な人材を手放す訳にはいかなかったしね。
・・・今となっては、色々な意味でナガレ君には彼等が必要なんだと、確信してるわ」
そうして悪戯っ子のように微笑んだサヤカの目の前では、マウロから見事なアッパーを喰らい、気絶をしたアカツキが居た。
その日の夕食時、始終ご機嫌なカナデはラピスを隣に座らせて、食事の世話を甲斐甲斐しく行っていた。
妻のその姿を懐かしそうに見守るヒデアキに、最早に何も言うまいと無言のまま箸を進めるアキト。
ユウは既に食事を終わらせており、食後の茶を楽しんでいた。
「しかし、アキト君。
ラピスちゃんを養うにしても、この家に連れて来たほうがいいんじゃないのかい?
子育ての経験者から言わせて貰うけど、女の子を男一人で育てるのは大変だよ」
「・・・それは・・・確かに」
『戻る』前にルリと一緒に住んでいた時も、ユリカが居なければ大変だった時が都度有った。
それにラピスに事に関しても、エリナやイネスが何かと世話をしていた事も覚えている。
ラピスを保護して育てるなど、所詮、独りよがりだと教えられたアキトだが、ヒデアキの言葉はラピス本人によって否定された。
「アキトは悪くない」
「あら、ラピスちゃんは小母さんの事が嫌い?」
「ううん、そんな事は無い。
ただ、私にもアキトにもやる事がある。
それはこの家では出来ない事だから」
その言葉を聞いたカナデは、ラピスの顔を正面から覗き込み、真剣な表情で尋ねた。
「それは・・・ラピスちゃんじゃないと出来ない仕事なの?」
「うん」
カナデの目を見ながら、ラピスは正直に頷いた。
その目に6歳児とは思えない覚悟を見たカナデは、その意思を尊重する事に決めた。
「そっか、じゃあ仕方が無いわね・・・
でも、たまに遊びに来るのは大丈夫なんでしょ?」
「うん!!」
今日一番の笑顔を作ったラピスを、感極まったカナデが胸にきつく抱きしめた。
そして、そんな二人を見て辛そうな顔をしているアキトを、ユウとヒデアキが静かに見ていた。
「今日も一日、よく働いたなー」
ネルガル会長室でアカツキは一日の疲れを癒すかのように、大きく背伸びをしていた。
「・・・決済間違いした書類、ちゃんと明日中に修正しておきなさいよ」
「・・・はい」
さあ帰ろうとしていたアカツキは、エリナから掛けられた声に意気消沈をしながら返事をする。
この姿だけを見ていると、どちらが雇い主なのか分からない、とマウロは思った。
「ほら、燃え尽きてないでさっさとアカツキのお勧めのバーに行こうよ。
そこが女性を誘うに相応しいかどうか、僕が判断してあげるよー
あ、ちなみにアカツキの奢りだよね」
「・・・まあ、仕方が無いか」
「経費で落とすなんて、馬鹿な事を考えてないわよね?」
言葉には出さなかったが、アカツキの考えを先読みしたエリナが釘を刺す。
その先制攻撃により、アカツキの動きが止まった。
「それと余り飲み過ぎないようにね、ナガレ君。
明日から出張なんだから」
「え?」
サヤカの追い討ちを受けて、アカツキが不思議そうに敬愛する姉を見る。
その表情を見て、本当に聞いていなかったのかコイツ、という表情でエリナが脅しをかけてくる。
「ちゃんと昼前に説明したでしょ、明日から出張をしてクリムゾンの令嬢と会談する予定だって。
まあ、クリムゾンの後継者に顔を見せとけなんて、社長派からの嫌がらせとしか思えないけど。
向うからお誘いがあって、理由も無く断る事が出来ない以上、顔だけは出しておかないとね。
・・・敵地に乗り込むようなものだから、護衛のテンカワ君が大変だろうな、こうなると」
「ええ?」
本当に覚えてなかった為、怨敵の後継者に会いに行くと言う突発イベントに、アカツキの顔色が急速に悪くなる。
そんなアカツキの肩を、色々と疑わしいが一応は頼もしい上官と分類されるマウロが優しく叩く。
「マ、マウロさん、僕はどうすれば・・・」
「アカツキ、グットラック!!」
――――――慰めではなく、突き放すだけの上官だった。
スバル邸の縁側に腰を下ろしたユウとヒデアキは、月見酒と洒落込んでいた。
酒の肴として、アキトが料理した蛸の酢の物等が小皿に幾つか盛られている。
師匠に弟子入りして以来、ユウとヒデアキがする晩酌の酒の肴は、全てアキトが作成していた。
お手伝いは既に帰宅している時間であり、カナデが料理を得意としない為、料理が出来るアキトの存在はこの点においてもスバル家に愛されていた。
夕食後、ラピスは研究所に戻ろうとしたが、カナデの本気の泣き落としにあい、スバル邸に宿泊する事となった。
勿論、寝室はカナデと一緒である。
機嫌が回復したカナデはラピスと一緒に、今は仲良く風呂に入っている。
風呂場の方から微かに聞こえるカナデの嬉しそうな声に、頬を緩めながらヒデアキは義理の父に話しかけた。
「アキト君は、また自己鍛錬中ですか?」
「ああ、それも日課だからな。
此処に来た当初から、寝る前の2時間を体術の訓練に当てておる。
今も道場の方で、良い踏み込みの音がしておるわ」
ヒデアキには聞こえないが、瞑目をして何かを聞いているユウの空のコップに、日本酒を継ぎ足した。
しばらく無言のままお互いに酒を味わった後、ユウが渋い声で隣に座るヒデアキに話しかけた。
「・・・まだリョーコから連絡は無いのか?」
「ええ、何時もなら月に一度位は、メールなり通信なりがあるんですがね。
ネルガルに問合せても、のらりくらりと逃げる一方ですよ」
「何ぞあったという事か」
目に剣呑な光を宿すユウに、ヒデアキも同意するように頷いた。
既にリョーコから連絡が入らなくなって、三ヶ月近くが経とうとしていた。
愛娘かつ可愛がっていた孫を奪われた二人は、外見はどうあれ内心では怒りを溜め込んでいる。
そしてカナデもまたその焦りを内心に封印し、日々募る動揺を家族に悟られまいとしていた。
「今日までは無関係と思っていましたが、アキト君なら何らかの情報を持っているかもしれませんね」
「ほう、何故だ?」
アキトから聞いた話では、パイロット訓練所でリョーコと一緒だった事しか教えて貰っていない。
その後、キリュウを通してネルガルと雇用関係を結んではいるが、社の一大プロジェクトの内容を教えて貰うほどの親密性はないはずだった。
実際、リョーコの親族たる自分達にさえ、機密保持の名目によりリョーコから仕事内容を聞きだす事は出来なかったのだ。
何よりユウやカナデが心底気に入っているので、ヒデアキは特にアキトの過去を無理に問い質そうとした事は無かった。
だが、今日の出来事を省みるとそれは間違いだったのかもしれないと、ヒデアキは思い出した。
「ラピスちゃんの金色の瞳・・・あれはネルガルが極秘に研究をしていた、IFS強化体質の特徴です。
軍の知り合いに、その手の情報に詳しい奴が居たので、確認を取りました。
リョーコが乗っているナデシコにも、同じ様なIFS強化体質の少女が乗っているそうです。
それらの情報で判断をすると、多分ラピスちゃんの存在はネルガルにとって最重要機密に相当します。
そのラピスちゃんの重要性を知りつつ、保護しているアキト君が普通の社員とは思えないでしょう?」
「なるほど、夕食時に見せたあの暗い顔は、あの娘の境遇を案じたが故か」
己の愛弟子がひた隠す過去の一端を掴み、ユウは難しい顔をした。
勿論、ユウにもアキトの過去が気になる事は多々有った。
会話の端々に、軍関係や政治家などに対する不信感や嫌悪感が目立つのだ。
だが、己の業を余す事無く身に付けていくアキトに、少々の疑問など吹き飛んでしまった。
何より師弟関係としてこれまで過ごした日々が、アキトが復讐などの暗い情念から己を鍛えていない事を教えてくれた。
そんな風に純粋に剣術を極めようとするアキトと、世界最大規模の大企業の闇の部分が係わっている。
そう聞かされると、ユウにもアキトの隠している事が少し気になってきた。
本人から語ってもらわなければ、師として家族として手助け出来る事が何かすら、判断をする事が出来ないのだから。
「ですから、今度それとなくアキト君にリョーコの事を聞いてみようと思っています。
2ヶ月以上も一緒に過ごせば、彼が心根の優しい青年だと信じられますから」
「真っ直ぐすぎるのも、困りものなのだがな」
ユウは稽古時の事を色々と思い出し、苦笑をしながら手元の酒を飲み干した。
翌朝、呼び出しを受けたアキトがネルガル本社に行くと、ガタガタと震えるアカツキと苦笑いを貼り付けたエリナが迎えてくれた。
そして、理由も分からぬまま会長の専用飛行機に乗せられ、大空に旅立った。
説明を求めるアキトに対して、隣の席に座っているエリナが笑顔で経緯を説明してくれた。
それを聞いたアキトは、何とも言えない顔をした後、アカツキに向けて気の毒そうな視線を向けた。
「・・・毒を盛られなければいいけどな」
「ネルガル会長の正式訪問で、そんな馬鹿な事はしないでしょ」
アキトの呟きを聞き、何も言ってるのとばかりに呆れた表情をするエリナ。
それをするのが、あの娘なんだけどなぁ・・・と心の内でさらに呟きながら、かつての被害者であるアキトは飛行機のシートに深く身体を沈めた。
「ようこそ、おいで下さいました」
クリムゾン・グループが保有するリーゾト地に降り立ったアカツキ達を、既に先方は待ち構えていた。
そこには、水色の髪をショートカットにした美少女が、白いドレスの裾を軽く持ち上げて微笑みながら頭を下げる。
「ロバート・クリムゾンの娘、アクア・クリムゾンと申します。
以後、宜しくお見知りおき下さい」
「いや、こちらこそ呼んでいただき光栄です。
ネルガル会長を務めています、アカツキ ナガレです。
クリムゾン・グループの後継者と目される方と、ましてや社交界デビュー前に会えるとは思ってもいませんでした。
それがこんな美しい方だとは、まさに喜ばしい限りです」
真面目モードに入っているアカツキは、向うの指定通りにカジュアルな服装で受け答えをしていた。
相手からの呼び出しの名目は、同じ年代ながら既にネルガル会長として腕を振るっているアカツキに、その心得を後継者に説いてほしいというものだった。
ちなみに、その名目を聞かされた時、アカツキ・サイドの全員が微妙な表情を作った。
アカツキに褒められたアクアは、頬を染めながらお礼を言った。
「過分なお言葉、有難うございます。
では、日差しも高い事ですので、早速ですがあちらのレストランで食事をしながら、お話を聞かせて頂けますか?
お恥ずかしい限りですが、私が食後のデザートを作っております」
「ほお、それは楽しみですね!!」
笑顔で先導をするアクアに、のこのこと着いて行くアカツキ。
仇敵ロバート・クリムゾンについては心を許すつもりは無いが、その娘に罪は無いとアカツキは思った。
勿論、その理由はアクアが可憐な美少女だという理由が大きいのだが。
アキトはこの時、そうか食後のデザートか・・・と、思いつつ心の中でドナドナの歌を、アカツキの背中に向けて歌っていた。
嫌味がないが高いセンスの調度品に囲まれたレストランの真中に、白いテーブルクロスに包まれた大きなテーブルが鎮座していた。
その対面にお互いに座ったアカツキとアクアが、談笑をしながら食前酒を飲んでいる。
これから訪れる未来を知らない事は、幸せな事なんだなぁと思いつつ、アキトはアカツキの背後にさり気なく立った。
周囲を確認してみると、意外にも護衛の数は少なく、向うがまだ本気でアカツキを排除しようとしていないと思われた。
実際、今のお飾り状態のアカツキを消した所で、クリムゾン・グループには何のメリットも無い。
一応の用心の為、空港近くのホテルに残してきたエリナには悪い事をしたかな、とアキトは思った。
『様子見、というのがクリムゾン側の狙いだろうね。
社長派の狙いはいまいち読みきれないけど・・・もしかしたら』
事前にキリュウによって指示されていた事を思い出したアキトは、どちらにしろアカツキには明るい未来は無いなと同情をした。
アキトがそれとなく周囲を警戒していると、隣からある意味聞きなれた音が響いてきた。
そちらを見ると中々立派な体格の・・・一言で言えば肥満体型の黒服が立っていた。
大きな丸顔に合うサイズが無かったのか、サングラスの縁が今にも壊れそうな角度で顔に張り付いている。
服装を見る限り、クリムゾン側のシークレット・サービスと思われるが、何故かその視線はアクアではなくその料理に向けられている。
ぐー
「・・・そんなに空腹なら、食事に行ってきたらどうだ?」
本来のアキトなら、怨敵とも言えるクリムゾンの人間に、そのような言葉を掛ける事など考えた事も無かった。
しかし、料理人としての心を復活させつつあるアキトには、腹を空かしている人間の存在を許す事が出来なくなっていた。
「な、何を言っている!!
俺の仕事はアクアお嬢様の警備だぞ!!
あのフィレ肉を見ろ、見事なミディアムレアじゃないか、しかも最高級のサーロインだ!!
切り分けた時に流れ出る肉汁と、その匂いが堪らん!!」
「本音と建前が混在してるぞ、おい」
クリムゾン・グループと言っても色んな人間が居るんだな、当然だよなぁ
と、今更な事を再認識したアキトは、むしろ優しい瞳で料理の解説をしている男を観察した。
肥満体を覆い隠す黒い制服は、限界一杯まで生地が伸びきっていた。
身長自体はアキトを超えて180cmに届いているが、体重は軽く2倍以上はありそうだ。
「俺は此処を動かんぞ!!
お前がネルガルのシークレット・サービスである以上、アクアお嬢様に迫る危険は全て俺が止めてみせる!!」
「あー、はいはい」
コミカルなフットワークでシャドーをして見せる太っちょに、アキトは適当に答えを返しながらアカツキに視線を戻した。
そこでは相変わらず笑顔のまま、アクアとの会話を楽しむアカツキの姿があった。
「いかん、酸欠と空腹で目眩が・・・」
「何しに来たんだよ、お前」
余計な運動をしたせいで更にグロッキー状態に陥った太っちょに、アキトは溜息を吐きながら配給されている携帯食料を放り投げた。
突然、手の上に現れた食料に目を白黒させている相手に、アキトが前を向いたまま話し掛ける。
「毒なんて入ってないから、食べたければ食べろよ。
直ぐ隣で腹の虫が鳴り続けると、気が散るだろうが」
「む、それならば仕方が無いな。
貴様が頼むから、優しい俺様がコレを食べてやる!!」
「別に無理矢理食べなくてもいいんだぞ?」
「ふっ、もう食べ終わった後だ!!」
「早いな!!」
「返せというなら胃からリバースするぞ?」
「身体ごとトイレに放り込んでやろうか?」
「残念だが此処のトイレの入り口は狭くてな、俺の腹では通行不可だ!!
そう、既に実証済みなのだ!!」
「威張るところが違うと思う」
「ちなみにトイレが我慢できない時は、外で」
「食事中に話す事か!!」
思わず太っちょの頭に、手加減無しの突っ込み入れて発言を止めるアキト。
「・・・テンカワ君、別に漫才を見せてもらう為に、君を雇ってる訳じゃないんだけど?」
「あ・・・」
ニコニコと楽しそうに笑うアクアと、引き攣った笑みのアカツキに睨まれて、アキトは気絶した太っちょを連れてその場から去った。
後の事は同行してきた仕事の仲間のシークレット・サービスに、暫くの間任せる事となった。
緊急事態にでもならない限り、今の所問題は無いだろうというのがアキトの判断だった。
「何なんですか、この人」
アキトは部屋の外に待機していたクリムゾン・グループの人員に、引きずってきた太っちょを渡す。
素早く四人の黒服が太っちょの手足を掴み、別室に運ぼうと奮闘を開始した。
「いや、気はいい奴なんだがどうにも食い意地が凄くてな・・・
仕事も真面目にやってるんだけど、残念な事に食事関連が絡むと理性の箍が外れるんだ。
ほら何処にでも居るだろ、コメディアン体質の同僚って。
しかし、細い外見の割りにとんでもない力持ちだな、君は。
どうだい、ネルガルを首になったらクリムゾンに来ないか?」
「お断りします。
しかし、あのクリムゾンのシークレット・サービスが、これだけアットホームというのが信じられませんよ」
『戻る』前に激戦を繰り広げた事もある、クリムゾン・グループの精鋭を思い出しながら、アキトは呆れたような声で話しかけた。
その質問を受けて人の良さそうな笑みを浮かべた男性は、アキトの質問に対して回答をした。
「ははは、クリムゾンみたいな大きな会社になると、人員の質に関しては差が激しいもんさ。
それに俺達の部署は、クリムゾンの恥部と呼ばれるアクアお嬢様の護衛だからな。
正直、精鋭と呼ばれる人間は配置されないさ。
おっと、この事はオフレコで頼むよ」
「アクアさんは、クリムゾン・グループの唯一人の跡取り娘でしょう?」
「・・・さあね、その情報が本当かどうかはトップしか知らないだろうな」
流石にそれ以上の情報を洩らす事は無く、その友好的な男性との会話は終った。
アキトは腑に落ちないモノを感じながらも、アカツキとアクアが食事をしている部屋へと戻った。
そこでは、アクアが作ったと思われるケーキを、美味しそうに食べているアカツキの姿が有った。
「あ、忘れてた」
1分後、アカツキは痺れだした身体を懸命に動かし、視線でアキトに助けを求める。
2分後、アキトと先程会話をしたクリムゾンの男性とが慌てて解毒剤を探し出し、アカツキの口に放り込む。
5分後、担架に乗せられてアカツキは、笑顔のアクアに見送れらながらレストランを去って行った。
「はっ、此処は何処だ!!」
「帰りの飛行機の中よ」
悪夢から覚めたアカツキは、上半身を起こして必死に周囲を見回す。
そこにアクアが居ない事を確認し、かわりにエリナが居る事を確認して、安心したように再び座席に身を沈めた。
「僕はどれくらい眠っていたんだい?」
「約2日ほどかしら」
「まさか、あんなに堂々と毒を盛るとは思ってもいなかったよ。
幾らお飾りとはいえ、ネルガルの会長だよ僕は」
「そうね、クリムゾンから詫び状がきてたわよ。
娘の趣味で大変な目にあわせてしまい、申し訳有りませんって」
「・・・趣味?」
「そ、気に入った人には毒を盛って無理心中とかを図るんだって」
「それは・・・趣味じゃない。
むしろ病気だ」
「まあ良かったじゃない、美少女にそれだけ気に入られたんだから。
涅槃までもお付き合いいたします、だって。
正式に婚約でもしてみる?」
「死んでも嫌だ」
ネルガル社長室にて、一人の恰幅の良い50代位の男性が提出されたレポートを読んでいた。
「クリムゾンも殺す価値なしと見たか・・・まあ、態々手を汚す必要は、確かに無いからな」
殆ど嫌がらせにしかならない重役連中の策の結果を見て、男性はレポートをシュレッダーに放り込んだ。
もう少し洗練された策を考えるような奴は居ないのか、と口に出さず内心で呟く。
先代と先々代の会長がやり手だっただけに、今の会長の醜態を見て部下達の気が抜けている事が、目下の問題だった。
「ムトウ社長、重役会議の時間です」
「ああ、分かってる。
確か今日の会議はコスモスの建造報告だったな」
「はい、その通りです」
「・・・それで、例の連中の始末はついたのか?」
丁寧に頭を下げて次のスケジュールを呼び上げる秘書に向けて、ムトウは確認をした。
「残念ながら、以前配属されていた者達とは、桁違いの腕前のようでして。
こちらから用意できる足の付かないチンピラ程度では、歯が立たないようです」
「ふん、プロスペクターの奴。
居なくなる時にまで、余計な土産を残していきよってからに」
何とか追い出した厄介者も、想定通り火星で消えたのだが、残り火のようにアカツキ家の出来損ないが粘っている。
当初の脅しが随分と効いたのか、最近までは大人しくしていたのが、プロスペクターが紹介したという人材のせいでまたぞろ息を吹き返していた。
試しに同じ手段で警告を指示してみれば、その結果として今度の相手は手強いという事が分かったのだ。
「窮鼠猫を噛むという事もあるからな、気を抜かずに監視をするように。
それと重役連中にこれ以上の工作は無理だと思ったら、お前の権限で目障りな奴等を処理しておけ。
我々が生き残る為の戦いなのだ、手加減など考えるなよ」
「了解致しました」
秘書にそう言い残し、ムトウは会議室へと向かった。
「あー、何であんな強行軍で出張をしないといけないんだ?
せっかく南国まで行ったのに、ろくに遊べないって堪らないよね」
出張があった日の深夜、一人で会長室に戻ったアカツキは、そう愚痴りながらメールの確認を始めた。
その理由は会長秘書を通さずに、直接会長にくるような重要メールを処理する必要があったからだ。
未だ大きな案件については社長派に握られているが、過去からアカツキ家に恩義を感じてる人物が多数存在するのも確かだった。
そんな人物達から優先的に回される仕事を、アカツキ達は日常業務としてこなしていた。
サヤカの父親もそんな人達の一人だった。
「しかし、これで本来の業務の10分の1なのか・・・父さんと兄さんの辣腕振りが良く分かるよ」
そんな愚痴を溢しながらも、次々とメールを確認していく。
自分が馬鹿をやっている間にも、見捨てる事無く待っていてくれた人達に応える為にも、アカツキは社長派に負けたくは無かった。
だが、現状の戦力では5ヵ月後に迫った役員会議で、逆転をする方法がまるで思いつかない。
エリナやサヤカ達と一緒になって、必死に方法を考えているが光明はまだ見えなかった。
「・・・子持ちのテンカワ君やキリュウさん達を、路頭に迷わせるのも忍びないしねぇ」
ある意味友人に近いポジションに収まった人物と、その人物の所属する傭兵団を思い出し、思わず頬が綻ぶ。
彼等のようなタフな人材が自分に付いてくれた事を、幸運として認識はしていた。
ならば後は自分達の力で、道を切り開くしかないとアカツキは気合を入れなおした。
ざっとメールの内容を確認し、必要な指示を簡潔に纏めて返信をする。
先代には及ばないと自嘲をしていたが、その仕事ぶりは決して愚鈍なものでは無かった。
二時間ほどで作業を終えた後、帰り支度を始めるアカツキの目の前で新着メールを告げる音が鳴る。
「おいおい、もう12時を過ぎてますよ、働きすぎじゃないですか?」
苦笑をしながらも、相手の苦労を思いメールを開こうとする。
だが、そこには・・・差し出し人の書かれていないメールがあった。
通常、ネルガルのセキュリティを突破して、このようなメールを会長におくるなど不可能と考えられる。
ウィルスメールの可能性も考えられる為、アカツキは即座にチェックをかけてみたが結果はシロと表示された。
こんな怪しいメールは即座に処分するに限りのだが、どうしてもそのメールの『件名』がアカツキには気になって仕方が無かった。
「・・・この時代に怪談、かな?」
好奇心に負けたアカツキは、廃棄予定だった古いパソコンを取り出し、メールを移し変えて開いてみた。
そして数分後、メールの添付ファイルすら開き、その内容をアカツキは何度も熟読する。
アカツキの震える肩が、その内容の衝撃度を語っていた。
メールの『件名』には「火星のナデシコより」と記されていた。
――――――若葉が鮮やかに映える5月、ネルガル社内の混沌は激しさを増していった。
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