< 時の流れに >
「ルリ達は、何処に向かっています?」
「スカンジナビアのフィヨルドに向けて・・・今は空の上だ。
多分、例の研究所を訪れるつもりなのだろうな。」
「どうしてルリがあの場所を!!」
「さあな・・・だが、あの娘は一人ではない。
テンカワ君と一緒なら、心配はあるまい。」
「確かに、そうかもしれませんが・・・」
「現実を受け入れられる娘だよ、ルリは。
そして、それを乗り越える強さも持っている。
私とお前の娘なんだ、信じようじゃないか。」
「そう・・・ですね。」
ゴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!
「有り難う。」
飛び去って行く連絡船を見送り、私はそう呟きます。
今、私達がいるのはスカンジナビアのあの研究所。
ナデシコに戻る前に、一度は訪ねておきたかったんです。
・・・私の本当の生まれ故郷でもあるのですから。
「・・・行こうか、ルリちゃん?」
「はい。」
アキトさんに誘導されながら、私はあの研究所に入ります。
ギィィィィィ・・・
軋んだ音を上げて、玄関のドアが開きます。
そして、無言のままに私達は中に入りました。
記憶の上では二度目・・・
この身体では初めての、生まれ故郷への帰郷。
研究所自体は、何も変わっていない。
ホコリが積もった廊下も。
蜘蛛の巣がはった窓も。
だけど、過去に訪れた時よりも落ち着いて歩を進める事が出来ます。
あの時も、隣にはアキトさんがいてくれました。
そして、今回も・・・
私があの人を見上げたとき。
優しい微笑で、あの人は私を見ていました。
そう、この人は本当の私を見てくれている。
マシンチャイルドではなく、ピースランドの王女でもなく。
一人の女の子として接してくれる人。
それは昔も、今も変わらない・・・
ここで私が過ごした時間も、全ては過去の出来事。
時間は止まらない、戻せない・・・
でも、その絶対の不文律を破り。
私達は再びこの場所に立っている。
それが何を意味するのか?
私達の存在が、本当にこの世界に受け入れられているのか?
コツコツコツ・・・
薄暗い廊下を歩き。
その空気の流れに、足元のホコリが宙に舞い。
窓から差し込む陽光と合わさって、複雑な煌きを描きます。
無意識のうちに、その光景を目で追いながら私は・・・
「アキトさんは、過去に飛んだ事を偶然だと思いますか?」
「・・・さあ、ね。
でも、俺の願望が現れた・・・そう理解をしているよ。
罪の意識に耐えかねた、弱い俺の心が求めたんだろうな。
幸せだった過去に戻る事を。」
私の質問に、そう答えるアキトさん。
でも、それは・・・
「なら、その願望はアキトさん一人のモノではありません。」
「・・・」
「私も、ラピスも・・・過去に戻れるのなら、と考えていました。」
その場に立ち止まり、片手を窓に向けて差し上げる・・・
強い陽光に、私の掌が透けて見えます。
そう、ここに私は確かに実在している。
5年後の知識と経験を持つ私が。
「サブロウタさんも、過去の出来事に悩んでいました。
普段の態度は、ああでしたが。
・・・時々、悲しい顔をしていました。」
そして、私はアキトさんを見詰める。
「皆、過去で大切なモノを無くし、裏切られ・・・そして忘れてきました。
忘れようと、努力もしました。
でも、忘れらない想いもあります。」
静かに見詰め合ったまま、時だけが過ぎていきます。
その心地よい沈黙に身を委ね、私はアキトさんだけを見ていました。
何も変わっていないのに、大きく狂ってしまった世界。
歴史の中に投じられた、小さなイレギュラー。
しかし、イレギュラーの起こした波紋は時間と共に大きくなり。
この先も、否応無しに私を・・・アキトさんを巻き込むでしょう。
それを自らの贖罪と考えている、この人を中心に。
「・・・で、喧嘩の原因は何?」
「・・・料理が・・・不味かった。」
「・・・そんな理由で、店を一軒潰したわけ?
あのね、ヤガミ君。
貴方も近頃テンカワ君に師事した影響で、格段に戦闘能力が上がってるのよ!!
その貴方が暴れれば、店が潰れる事くらい予想出来るでしょう!!」
「ははは、いやあ〜そんな過大に評価されているなんてな。
俺、困っちゃうな〜」
「そう、開き直るのね。
・・・ミリアさんに、さっきのサラとのデート写真を送付しておくわ。」
「ちょっと待った〜〜〜〜〜〜!!」
「何よ?」
「・・・俺が悪かったです、はい。」
「初めから素直にそう言えばいいのよ。
でも、もう遅いわよ。
ここに来る前に、その写真はミリアさんに送付しておいたわ。」
「あ、あんた鬼や!!」
「あら、今度はアリサとレイナの写真がいいのかしら?
ラピスちゃんに頼めば、合成写真とは思えない出来になるわよ?」
「・・・」
「・・・ルリ、さんだね?」
私達の時間を壊したのは・・・
過去でも出会った、この研究所の元研究員でした。
「久しぶり・・・と言うべきでしょうかね?」
「私の事を覚えているのかね!!」
「はい、その通りです。」
私の挨拶を聞いて、驚いた顔をする元研究員。
まあ、私としては過去で会いましたし。
・・・つまらない話を聞かされたりもしましたからね。
そして、私達は無言のままに連れ立ち、私が過去に使っていた部屋に入りました。
つい、足が向いてしまったのです。
「しかし、驚かないのかね?
私がここに来た事に。」
椅子に座りながら、私にそう話し掛ける元研究員。
「アキトさんが、私に害意のある人物を会わせるとは思えません。
また、私に害を加えようとする人物を、アキトさんが防げ無いはずはないです。」
壁際で背中を壁に付け、私達の会話を聞いているアキトさんに視線を向けつつ。
私はそう返事をします。
そして、私の返事を聞いて頭を左右に振る元研究員。
「随分と、信頼してるんだね彼を・・・
だが、君にはそんな感情は不要だと教えたはずだ。
・・・人間は余計な事を覚えすぎる。
私の生徒は余計な事を覚え無い、ただ優秀な人材として活躍すればいい。
その証拠がルリさん、貴方だ。」
「馬鹿な考えですね。
人間は感情を持つ動物です。
感情が無い人間は・・・人形でしかありません。」
元研究員の目を睨みながら、私がそう言い放ちます。
やはり、この人は変わってなかった。
・・・当たり前の事ですが、心が痛いです。
私は・・・人形じゃない。
「そんな人形を作る為に、遺伝子に手を加えたのですか?」
私の非難の眼差しを受け。
元研究員は少し驚いた顔をしましたが・・・
そのまま言葉を続けました。
「遺伝子研究は、これから先の世界には必要不可欠なものだ。
優れた知能、病気にならない健康な身体。
これらが揃ってこそ、人間は宇宙で生活が出来るのだ。」
「だが、俺はこのままでも火星で生活をしてきた。
勿論他にも多数の移住者が、火星に居を構え住んでいた。
・・・その現実はどうする?
人間には無限の可能性があると、信じられないのか?」
今まで黙っていたアキトさんが、初めて元研究員に話し掛けました。
「だが・・・君こそ、異例中の異例と言うべきだろうな、テンカワ アキト君。
私は科学者として、君の存在には興味が尽きないよ。」
「・・・」
アキトさんの気配が・・・少し変わりました。
これは、元研究員の人に注意をしたほうがいいでしょう。
「しかし、それも・・・全ては過ぎ去った、『過去』の事だ。
遺伝子研究は禁止され。
私の研究は全て破棄された。
そして・・・離れた位置で見れば、自分の行いの非道さも確認出来る。
私は抵抗の出来ない子供達を使って、罪を犯していたのだな。」
「だが、その事に気が付き悔やむ事が出来る貴方は、まだ正気だ。
罪を罪と認識しつつ、大儀と言う隠れ蓑で実験を行う奴もいる。
知識欲に支配された外道もいる。
・・・結局、泣くのは力が無い人間や子供だ。」
アキトさんのその台詞に、元研究員の肩が震えます。
この人も、罪の意識を持ってるのでしょう。
いや、持っていると信じたいです・・・
やがて溜息を一つ吐くと、元研究員は私に話し掛けました。
「・・・ルリさん、実は貴方は4歳の時に。」
「ネルガルの研究機関に買われたんですね?
知ってます。」
私の台詞に、元研究員が自分の懐に入れた手が止まります。
そして、少しの間を置いて・・・
「そうか・・・それならば、コレを・・・」
「人身売買のお金なんていりません。
それは、ここから旅立っていった他の子供達の補助金に当てて下さい。」
私の言動に、益々驚いた顔をする元研究員。
でも、私としては自分を売ったお金を受け取るほど、趣味は悪くないです。
過去では自分の仮の両親の正体に動揺して、混乱をしましたが。
今の私は良い意味でも、悪い意味でも強くなっています。
そう、何時までもこんな過去を引き摺りません。
また、思い悩むつもりも無いです。
私は私・・・
今、ここに確かに存在しているのですから。
「生かしてくれた事には礼を言います。
今後は、他の子供達の面倒を影から見守ってあげてください。」
「・・・ビンタの一つでも貰うと思っていたのだがね。」
苦笑をしながら椅子から立ち上がり、部屋を立ち去ろうとする元研究員に・・・
私は背中を向けて返事をします。
「そんな事はしません。
それにもし貴方の頬を叩くのなら・・・アキトさんに頼んでます。」
「手加減無しで殴ってあげますよ。
それで罪の意識が消えるのならね。」
アキトさんの台詞を聞いて、私は振り向いて二人に微笑みます。
そして、私の微笑と・・・
アキトさんの苦笑に見送られ・・・
「それだけは、ご免こうむるよ。
本当に良い男らしいな、君は。
・・・ルリさん、君の未来に幸多からん事を。」
「・・・幸せは、自分で掴みます。
でも、有り難う。」
最後の最後に、私は元研究員に礼をしました。
あの人がいなければ、私はこの世に存在しませんでした。
そうなれば、アキトさんに出会う事も無かった。
教育方法、遺伝子操作、仮の両親、ネルガルへの売却・・・
ナデシコへの乗艦、アキトさんとの出会い、新しい家族、初めての居場所・・・
恨み言もあれば、感謝の言葉もあります。
ですから、最後の挨拶はその全てを篭めたもの。
私は・・・
「ルリちゃん、悲しい事はやはり悲しいと思うよ。
いくら過去で一度経験をしていても、ね。
泣きたければ泣けばいいさ・・・ルリちゃんは人間なんだから。」
「アキト、さん・・・」
バッ!!
アキトさんの胸に抱きつき・・・
私は少し泣きました。
心から安心できる場所があって・・・良かった。
「・・・で、どうして傷が悪化してるんだジュン?」
バッ!! ババ!! ババババ!!
バッバ!! バッババ!! バババッ!!
「あん?
・・・『テンカワに吹き飛ばされた、何時からアイツは超能力者になったんだ。』、か。」
コクコク!!
「あ〜・・・正確に言うと二日目の深夜かな。
そう言えば、あの時にはもうお前は倒れてたよな。
でも手加減はされてるみたいだぞ、本気ならお前の身体は跡形もなく消えてたな。」
ブルブルブル!!
「今頃怯えるなよ。
火薬庫の側で火遊びをしてると、今更気が付いたガキか、お前は?
これに懲りて、もう少し頭を使ってアキトを監視するんだな。」
「・・・でも、止めないんですねオオサキ提督。」
「おっと、これは失言だったな。
エリナ君、帰りの準備はいいのか?」
「そうね・・・後は、この馬鹿なミイラ男を積み込んで。
警察に行けばお終いよ。」
「・・・警察?」
「どっかの大男が、職質されて抵抗をして、連行されたのよ。」
「・・・」
「警官と人形の奪い合いをしたらしいわ。」
「・・・ほお。」
「武器か、麻薬が入ってると思われたみたいね。
外見だけで判断すれば、確かに運び屋や暗殺者に見えない事は無いしね。
・・・はあ、どうしてこう問題ばかり起こすのかしら、ナデシコクルーは。」
「類は友を呼ぶからな〜」
「提督も自覚はあったんですね。」
「・・・(汗)」
バシャッ、バシャッ!!
研究所の裏では、鮭の群が泳いでました。
・・・この音が、過去の私の唯一の『思い出』でした。
しかし、今回は・・・
「アキトさん、あの草原も変わらずにあるのでしょうか?」
「そうだと思うよ・・・行ってみるかい?」
「はい。」
過去で・・・あの鮭の大群を見て、私は少し立ち直りました。
そして、何気なく鮭を追いながら河の上流に歩いていきました。
アキトさんに手を引かれながら・・・
そして、少し離れた場所に私達は草原を見つけたのです。
広い広い新緑に覆われた草原。
春の到来によって、新しい命の息吹に包まれた大地。
小鳥達の囀り、遠くに見える山々の雄大さ。
暖かく優しい光が、天空の太陽から降り注いでいます。
ザァァァァァ・・・
ザァァァァァ・・・
爽やかな風が、その光景に魅入っていた私とアキトさんに吹きました。
その風に吹かれ、首を振る新緑の草原と陽光の煌き・・・
私達はその光景を、黙って見続けていました。
『火星の草原とは・・・違うんだよなやっぱり。』
眩しそうに、その光景を見ながらアキトさんが呟き。
『私は、この光景を・・・テンカワさんと見た事を忘れません。』
私もそう返事を返しました。
これが私の故郷で綴った、大切な『思い出』・・・
「・・・もう直ぐですね。」
あの草原に向けて歩きながら。
私はアキトさんに話し掛けます。
足元が危ないので、今回も勿論アキトさんと手を繋いで歩いています。
「ああ、そうだね。」
私の言葉に、軽く微笑みながら返事をしてくれるアキトさん。
その笑顔は過去に見たモノと変わらない。
では、過去と違うモノは何でしょう?
アキトさんの立場?
私の知識?
ナデシコの存在価値?
・・・でも、それも小さな事かも知れません。
「着きましたね。」
「ああ・・・」
ザァァァァァ・・・
ザァァァァァ・・・
そして、再び私達はこの草原に立っています。
懐かしい思いと・・・感動を胸に。
やはり、その自然を美しいと感じました。
そんな感情が持てる自分が、誇らしいです。
「アキトさん、過去では膝枕をしてあげましたよね?」
「あ、あの時は扉を蹴った後遺症で足首を痛めたから・・・
ほら、今回は大丈夫だよ。」
まあ、蹴り飛ばした扉が『く』の字に曲がって10mも吹き飛べば、そうでしょうね。
でも私は、アキトさんに膝枕がしたいんです。
ストッ・・・
その場に座り、無言でアキトさんを見上げます。
「・・・」
「・・・解ったよ。」
ドサッ・・・
私の無言の圧力に負けたアキトさんが、私の隣に腰を降ろし。
私の膝の上に頭を置きます。
ザァァァァァ・・・
ザァァァァァ・・・
優しい風と、草原の奏でる音楽が、私とアキトさんを包み込みます。
暖かい太陽の光に目を細めながら、膝で目を瞑っているアキトを見詰めます。
「・・・変わりませんよね、ここは?」
「そうだね・・・」
私達が変わっても、この草原は変わらない。
何時までも、生命のサイクルを刻み続けるのでしょう。
そう、どれだけ私達が変わってしまっても・・・
「また、この光景を見る事が出来ました。
過去では、もう一度一緒に見ようと約束しましたよね。
次も、アキトさんと一緒に来れるでしょうか?」
「・・・」
何時の間にか、アキトさんは眠りに落ちていました。
・・・返事が無かったのは悲しいですが、悔しくはありません。
その無防備な寝顔に、アキトさんが私を信頼してくれているのが解ります。
そして、私もアキトさんを信頼してます。
今は信頼関係だけですが・・・
何時か、その関係を変えていきたい。
そう、お互いを一番大切に想えるように・・・
「ナデシコに帰れば、アキトさんを独占なんて出来ませんよね?
ですから今は・・・今だけは、私の・・・」
最後は自分でも聞こえない程の大きさで呟き。
私は優しくアキトさんの髪を梳きます・・・
太陽の光と、草原の匂いに包まれながら。
「もう帰るのか、ルリよ?」
「はい、父。
ナデシコには、まだ私がやるべき事がありますから。」
「ルリ、辛くなったら何時でも帰ってきていいのですよ。」
「有り難う御座います、母。」
「それでは・・・」
「ルリを頼みましたぞ、テンカワ君。」
「はい、必ず無事にお二人の下に連れて帰ってみせます。」
「その時は・・・」
「母、それは私の言うべき事です。」
「そうですね。」
「では、アキトさん。」
「ああ、そうだね・・・帰ろうか、ナデシコに。」
ゴォォォォォォォォォ・・・
「それは何かね?」
「これ、ですか?
ルリの置き土産・・・あの娘の決意を書いた詩だそうです。
私達に詳しい事情は話せ無い代わりに、自分の精一杯の気持ちを詩にしたそうです。」
「・・・だが、これは。
益々、テンカワ君には覚悟をしてもらわないとな。」
「そうですね、草原での愛の語らいも撮ってありますし。」
「お、おい、何だその愛の語らい、とは?
いや、それ以前に・・・まさか、我が国の監視衛星を!!」
「ふふふふ、逃がしませんよ婿殿・・・」
「・・・駄目だ、目がイッてしまっている。」
「国王・・・今晩はスペシャルコースでお仕置きです♪」