< 時の流れに >
『チハヤ!! 大丈夫かい!!
今すぐ、扉を開くから!!』
朦朧としていた頭に、彼の声が響く・・・
一度しか会った事が無かったのに、私の心に住み着いた人。
また会えるとは思わなかった―――
『駄目よ・・・扉が開くと同時に、私の身体も切断されるわ。』
私の四肢は宇宙服と一緒に、本当に溶接をされていた・・・
どう考えても、私の力では外す事なんて出来ない。
それに、今ポッドの扉を開ける事は自殺行為に等しい。
もう、大気圏に突入をする寸前なのだから・・・
『くそっ!! くそっ!! 何か方法があるはずだ!!
諦めたら駄目なんだよ!!』
自分自身に言い聞かせるように、そう呟くアオイさん。
私の為に、そこまで必死になってくれる事が―――凄く嬉しかった。
今まで、ここまで真剣に私の事を考えてくれた人がいただろうか?
裏の世界でそんな事を求めるのは、愚かな事でしかなかった。
そう、私の弱い心では・・・地獄でしかなかったあの世界。
『ねえ、アオイさん・・・もう直ぐ大気圏よ。
無駄な事はせずに、突入のショックに構えないと駄目。』
自分でも信じられない程穏やかだった。
―――もう、助からない事は解っている。
でも、彼は助かる。
それだけでも、十分に満足だった。
近づいてくる地球は、凄く綺麗で―――何だか泣けてきた。
『君が好きなんだ!!』
!!
『だから諦めないでよ!!
一緒にナデシコに行くって約束したじゃないか!!
僕は頼り無い男だけど、精一杯君を守るから!!』
この涙は―――嬉し涙だと解った。
こんな涙を流す事が出来るなんて、思ってもいなかった。
私には無縁の感情表現だと思っていたから・・・
ただ、その涙を見て欲しい人は壁を隔ているのだけど。
それでも、私は新鮮な感動を味わっていた。
『・・・ズルイ、そんな事言われたら、覚悟が鈍るじゃない。』
震える声で、アオイさんにそう告げる。
『まだ希望はあるはずだよ、そうさ何か手があるはずなんだ!!』
でも、もう無理よね・・・
それに私はアオイさんに相応しい女とは―――思えない。
例え身勝手と言われても、自分に嘘を吐いてると解っていても。
『卑怯なのは承知で―――言わせて貰いますね。
私は穢れているんです。
そして、弱い女なんです・・・そんな穢れている自分が、許せ無いんです。』
『そんな事無いよ!!』
貴方なら、そう言ってくれると知ってました。
でも、その事に拘る自分を捨てる事は―――最後まで出来なかったんです。
ゴォォォォォォォォ・・・
大気との摩擦により、段々と息苦しくなってきます。
でも心の中は何故かますます穏やかになり・・・
『有り難う、アオイさん。
私、最後の最後で夢を見れました。
幼い頃の夢・・・何も知らず、幸せだったあの頃の―――』
『夢じゃない!!
君は僕と一緒にこれからも生きるんだ!!
生きないと駄目だ!!
いや!! 生きてくれ!!!』
アオイさんの叫び声だけが、失いかける意識を繋ぎ止めてくれます。
本人は否定してるけど、この人は強い人。
それに周りには、沢山の友人がいる。
そう、あのテンカワ アキトも―――
結局、この事態も彼の忠告を活かせなかった私自身の問題。
それに巻き込まれたのが、アオイさんかもしれない。
でも、私がアオイさんに感じたこの気持ちは・・・本当だと信じてる。
きっと立ち直ってくれる、私が消えても・・・
私が死ぬ事で、アオイさんが落ち込み、嘆き悲しむ事を予感している。
それが嬉しくもあり、悲しくもあり―――切なくもある。
それでも最後にはきっと立ち直ってくれると信じてる。
自分勝手な希望だとは解っているけれど。
遠ざかる意識の中、両親との思い出とアオイさんとの出会いの場面が交差する。
あの庭園では、赤い顔をして自分の事を話してくれた。
私の過去を知っても、側に居てくれると言ってくれた。
そして、こんな私の事を好きと・・・言ってくれた。
幸せになれた・・・最後の最後で私は・・・
『幾つも、貴方に残したい想いがありました。
伝えたい言葉も・・・沢山あります。
でも、やっぱりこれだけは伝えておきたい―――貴方が、すきで・・・』
私という意識は白い光に・・・飲み込まれて・・・
『チハヤ・・・・・・嘘だろ?
冗談・・・だよね?
ねえ!! そうなんだろ!!
返事をしてよ・・・
チハヤァァァァァァ!!!!!』
『源八郎!! 何故サツキミドリはコース変更をしない!!』
元一郎が凄い形相で俺に質問をしてくる。
「・・・やられたな。」
俺は苦々しい思いを込めて―――そう呟くだけだ。
『どう言うことだ?』
九十九が表面上は冷静な口調で、そう問い質してくる。
だが、事態は最悪な方向に向かって、突っ走っている。
「艦長!! サツキミドリから3つの脱出ポッドが打ち出されました!!」
『もしかして、そいつらがサツキミドリに細工をしたのか!!』
オペレーターの報告を聞き、元一郎が吠える。
・・・しかし、地球にサツキミドリを落として得をする人物がいるのか?
もしサツキミドリの本体が地球に落ちれば、確実に人が住めなくなる。
仮に住めるようになったとしても、それは何十年も先の話だ。
大昔に恐竜が滅んだ理由の一つとされる、隕石の落下・・・
まさか、俺自身の手でそれを再現するとはな。
いや、まだだ。
まだ、サツキミドリは地球に落ちてはいない。
ましてや、大量殺人の犯人としてこのまま生き残るつもりもない!!
「元一郎、九十九、済まん。」
俺が頭を下げた事に驚き、そして納得をする二人。
伊達に長年の付き合いでは無い。
俺の考えている事は手に取る様に解っているだろう。
『飛厘殿が泣くぞ?』
九十九が苦笑をしながら、俺にそう訪ねる。
俺の考えている事はつまり・・・特攻だ
自分の乗る戦艦をぶつけて、せめて海に落ちる様にサツキミドリを誘導する。
それだけが、俺に残された手段だった。
その事には、九十九も元一郎も気付いているだろう。
「だが、生き残っても・・・幸せには出来ない。
それならば、せめて勇敢に戦った男の元許婚として、残りの人生を生きて欲しい。
ま、俺以上の男が現れたら―――その男と幸せになるだろうさ。」
もっとも俺以上の男が、そうそう現れるとは思わんがな。
笑いながら俺はそう言いきった。
未練は―――勿論ある。
だが、自分が運んできた大荷物だ。
最後の最後まで俺が面倒を見るべきだろう。
『だが、戦艦一隻では焼け石に水だろう。
こうなったら、俺も付き合うぜ。』
『元一郎と源八郎だけに、良い格好はさせられんさ。
俺だけ残っていては、京子殿と飛厘殿に殺されてしまう。』
二人はそう言って笑いながら、自分達のクルーを見回した。
『自分達も付いていきます!!』
『今更脱出しろと言うのは、自分達に対する侮辱です!!』
『それに我々は自分の死に場所は、この艦内と決めております!!』
どうやら、木連の兵士は馬鹿ばかりなのだな・・・
つくづく、そう思うよ。
『源八郎、これはお前だけの失態じゃない。
作戦指揮こそお前がとったが、俺達も同罪には違いない。
お互い長い付き合いじゃないか、今更断らないよな?』
九十九が、覚悟を決めた顔で俺に決断を迫った。
まったく、本当に義理堅い奴だな。
「どうせ俺が拒んでも勝手に付いて来るだろうが!!」
『当たり前だ!!』 × 2人
「そこまでして死にたいのなら勝手にしろ!!
だが、あの世で飛厘と京子殿と千紗殿に再会しても俺は弁護しないからな!!」
『そ、それは困るな・・・』 × 2人
二人同時に困る姿を見て、俺と・・・今まで背後に控えていた三郎太が笑い出す。
俺の艦のオペレーターも、二人の艦のオペレーター達の笑い声も唱和する。
「わはははは!! 三郎太!!
お前も三姫殿に怒鳴られたくなかったら、今から脱出した方がいいぞ?」
「それこそ冗談にもなりませんよ、艦長!!
おめおめと俺だけが生き延びた日には、三人の女性と三姫に締め上げられますよ。」
表情は笑っていたが、目は痛いほどに真剣だった。
・・・悪かったな、馬鹿な事に付き合せてしまって。
「・・・さて、時間も残り少ない。
ならばそろそろ―――」
俺が発進の号令を出そうとした時。
「緊急通信入りました!!
これは―――舞歌殿からです!!」
「何だと!! スクリーンに出せ!!」
「はい!!」
予想外の出来事だった。
確か舞歌殿はこの宙域より、かなり離れた場所で戦っておられる筈ではなかったのか?
それが通信可能な宙域にまで来られているとは・・・
ピッ!!
そして俺の指示に従い、オペレーターがスクリーンに舞歌殿の通信を映す。
『燃え上がってるところ残念だけど、その特攻は許可出来ないわね。』
舞歌殿の第一声は、厳しいものだった。
「ですが、このままでは自分達は過去の地球人より愚かな事をした事になります!!」
『草壁閣下の思惑はどうあれ・・・最悪の事態を導いたのは、他の勢力の仕業でしょう?
それに、戦艦3隻で特攻をしたところで、結果はそれ程変わらないわ。
何より、自己満足と罪の意識から逃げる為の自殺は認めません!!
それでも貴方達は栄えある優人部隊の隊長ですか!!』
「!!」
悔しいが・・・舞歌殿の御指摘の通りだった。
自分達の罪を認めるのを忌避し、特攻を決意したとは否定出来ない。
何より、もっとも忌み嫌ってきた過去の地球の政治家達と同列に見られる事を、避けたかったのだ。
だが、地球に住んでる罪の無い一般人を心配した事も本当だ!!
「舞歌殿のお言葉に、私は反論のしようも御座いません。
ですが、出来る限りの悪足掻きはしたいと思います。
地球に住んでいる、戦争とは無縁の人々を救いたいと思ってはいけないのでしょうか?」
ありったけの意思を乗せ、舞歌殿の顔を見詰める。
九十九と元一郎は俺に判断を委ねているようだ。
『・・・言ったでしょう、無駄死は認めない、と。
それに、貴方達が死んだ後、誰があの子達を慰めるのよ?
断っておくけど、私は御免だからね。』
口調が軽いが、その言葉には有無を言わさぬ力が篭っていた。
―――命を賭けた償いさえ、許してはもらえないのか!!
ギリィ!!
噛み締めた奥歯が軋み、掌に爪が食い込む。
そして少し冷静になり、疑問に思う。
そもそも、秘密裏に事を運んでいたはずなのに、どうして舞歌殿がこの宙域に向かっているのだ?
・・・まさか!!
俺は背後に控えていた三郎太を睨みつける!!
そんな俺の視線に怯まず、その場で頷く三郎太!!
「お察しの通りです、自分が独断で・・・舞歌様に情報を送りました。」
「三郎太!!」
バキィ!!
俺の一撃を受け、背後に吹き飛ぶ三郎太!!
更に追撃をしようとする俺に、舞歌殿から制止の声が掛る!!
『待ちなさい!! 秋山少佐!!
高杉副長は最初からこの作戦に否定的だったのよ。
でも、貴方はその意見を無視した・・・その為に三姫への手紙に、暗号を織り込んでいたのよ。』
・・・確かに、俺は草壁閣下の事を信じてこの作戦を行なった。
三郎太が俺の判断に、反対をしていた事も確かだ。
それでも、三郎太は俺に同行をして―――
振り上げた拳と、愚かな自分がとことん惨めだった。
「艦長、黙っていた事は謝ります。
ですが、俺にはどうしてもこの作戦を信じられませんでした。
何より俺達の直属の上司である舞歌様を無視した時点で、閣下の考えが理解出来ません。
それに、クリムゾンという地球の組織の動きが怪しかったものですから―――」
「・・・もういい、俺が浅はかだっただけだ。
悪かったな、三郎太。」
地面に倒れていた三郎太の手を取り、立ち上がらせる。
渋い顔をしている俺に、三郎太は苦笑をしながら話し出す。
「いや〜、久しぶりに艦長の鉄拳を貰いましたよ。」
「上官に黙って策謀をしていたんだ、安い罰則だろうが?」
「確かに。」
俺は三郎太の胸に軽く拳をあてて笑う。
サブロウタも自分の髪をかきながら、笑っている。
少なくとも、この件はもう終った。
三郎太が俺の馬鹿な特攻に付き合おうとした気持ちも―――本物だと知っているからな。
全ての行動は俺の為だったのだ。
本当なら俺には三郎太を殴る権利すらなかった・・・
もう少しで、親友とその部下すら巻き込んで自滅するところだったのだからな。
『はいはい、仲直りの時間は終わりよ。
今からは―――ショータイムね。』
『何なのですか、それは?』
口調は砕けているが、何処か冷たい響きを持つ舞歌殿の声。
それを聞きつけ、九十九が質問をする。
『サツキミドリの件をね、ナデシコにも通信しておいたわ。
ナデシコ―――いえ、彼からの返信は一言だけ・・・『任せろ』、よ。』
「そんな馬鹿な!!
戦艦一隻で太刀打ちできる問題では無い!!
それに、肝心のナデシコはまだこの宙域にさえ来ていないじゃないですか!!」
レーダーにはまだナデシコの反応は無い。
少なくとも、サツキミドリにギリギリ追いつける位置にいる艦隊は俺達だけだ!!
俺がそんな叫びを上げたと同時に・・・
「艦長!! サツキミドリの前方に、空間歪曲場の発生を確認しました!!
このエネルギーパターンは―――戦艦ナデシコ所属!! 『ブローディア』です!!」
戦艦ですらなく・・・機動兵器単体で立ち向かう気か!! あの男は!!
ブゥゥゥゥゥンン・・・
見慣れた虹色の光が消え去り。
イメージ通りに、俺はサツキミドリと、地球の中間に姿を現した。
今までの出来事は、通信を受信する事が可能になった時点でカズシさんから聞いている。
「誰か!! 誰でもいいから助けてくれ!!
彼女を!! チハヤを助けてくれ!!」
ジュンの叫びに反応して、俺は何度も格納庫から飛び出そうとした。
しかし、既にその脱出ポッドは数千度の炎に包まれており・・・
人の存在は認められなかった―――
「くそぉぉ! 何か手は無いのか!!
このままだと俺は・・・ちくしょう!!!
ちくしょぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
そして続くナオさんの叫び声と、それを取り押さえるゴートさんとウリバタケさんの声。
自分の目の前で大切なモノを失うという喪失感・・・
それは、幾度体験しても慣れるものではない。
また、慣れる事などあってはならない事だ。
二人の叫び声が俺の心を散り散りにする。
そして地上では大パニックが起きている。
こうなった以上・・・躊躇いは無用だ。
例え、その結果俺が―――
「ブローディア、出るぞ。」
そして、虹色の光に包まれて俺はこの地に舞い降りた。
跳ぶだけならば・・・もう少し早くにこの場に辿り付けた。
ナデシコが通信を拾った時には、全てが終った後だったのだ。
もし、それだけの時間があれば少なくともチハヤ君は・・・
よそう、全ては手遅れであり、俺の心にまた消える事のない後悔の傷痕を残したのだから―――
今はあの娘の眠る地と、あの娘の大好きだった姉を守る!!
そしてサラちゃんとアリサちゃんの故郷をグラシス中将を!!
俺の大切な戦友と言っていい、あのMoon Nightの皆を!!
それが、俺がこの場に居る理由だ!!
そして理由など、それだけでも十分だ!!
ピッ!!
『アキト・・・お爺様を・・・お願い。』
「ああ、そこで見ててくれサラちゃん。
もう、こんな戦争の犠牲は沢山なんだよ・・・」
泣きそうな顔のサラちゃんにそう応え、俺は戦闘準備を整える。
ここから先は・・・俺にとっても未知の領域だ。
大きく息を吸い込み、最後の合図を送る!!
「ラピス!! ルリ!! ユリカ!!
俺を・・・信じろ!!」
遥か彼方・・・
ギリギリの通信範囲にいるナデシコに向けて、俺の叫び声が走った!!