< 時の流れに >
「・・・頭、痛ぇ。」
「それは私もですよ、リョーコ。」
「アリサ!! 気が付いたのね!!」
私は目を覚ましたアリサに飛びつき、その無事を確認する。
「姉さん?
・・・ここは、医療室ですか?」
自分が何故この場所にいるのか、理解出来ないのか不思議そうに周りを見回すアリサ。
「そうよ、部屋で私と話をしている途中に貴方は気絶したの。
原因不明のまま、今まで全然目を覚まさなかったのよ。」
涙目で私がそう言うと―――アリサは急に自分自身の身体を抱き締める。
「・・・寒い、です。」
「お前もか、アリサ?
俺も何故か寒いよ・・・心が、な。」
青い顔でお互いの事を語るアリサとリョーコさん。
私にはその会話が理解できなかった。
「凄く怖い夢を見ました、何もかも壊し尽くしそうな―――そんな意思を感じる。」
「俺自身の心までも、その闇に染められそうだった。
だが、何故俺とアリサが同じ夢を見ているんだ?」
不思議そうに顔を見合わせる二人。
私はアリサが無事に目を覚ましたことで、その事をあまり不思議に思っていなかった。
そして―――
「う、ううん・・・」
「あ、ラピスちゃんも気が付いたのね!!」
ラピスちゃんの覚醒に喜び、そんな疑問を完全に忘れてしまった。
これで目覚めていない人は、艦長、ナオさん、アカツキさん、イネスさん、ジュンさん、ルリちゃん。
そして―――アキトだけ。
「これで、テンカワ君の記憶も終わり、か。
いやはや、大変な経験だったよ。」
「そうだな、アキトの奴の凄さが実感できたぜ。
後は、この状態からどうやって抜け出すかだな。」
ブローディアが分裂した隕石を消し去ったところで、映像は終っていた。
アカツキとナオが、テンカワの記憶が終った事に安堵の溜息を吐く。
―――確かに、そうそう経験できるモノではなかった。
英雄と呼ばれる男の、その道筋を最初から本人の視点で辿ったのだから。
だが―――
「まだです。
いえ、ここからが本番とも言えます。
皆さん、これは忠告です。
ここから先は、私の予想では―――『狂気』『苦痛』『悲哀』『後悔』『懺悔』
これらの負の感情が、雪崩の様に襲い掛かってくるでしょう。
アキトさんの真実を知る事と引き換えに、狂う覚悟はありますか?」
ルリ君の言葉には凄みもハッタリも無く。
本当に事実だけを淡々と話している口調だった。
そして、その事を忠告したルリ君自身が―――恐怖に震えていると俺は感じた。
「ルリちゃん、どうしてそんな事が解るの?」
「艦長・・・最初に言ったはずです、全ての答えはこのアキトさんの記憶の果てにあると。
―――さあ、始りますよ。」
ルリ君の宣言が終ると同時に、新しい映像が映し出される。
それは―――
ナデシコの放つ相転移砲により消し飛ぶ木連の戦艦
無謀にも一人でナデシコに乗り込んできた少女
少女を捕獲しようとするアカツキと対立するナデシコクルー
地球での一時の平穏
再び宇宙へと飛び出すナデシコ
死体となった白鳥九十九に泣き付き縋る―――ミナトと少女
火星での決戦
それぞれの考え故に、対峙するテンカワとアカツキ
木連の大艦隊の到着により破壊されるカキツバタ
火星の遺跡で語られる、イネスとアキトの関係
そして、ユリカとアキトのキスによるボソンジャンプ
「・・・アキト君が、お兄ちゃん?」
呆然としたイネスの声だけが、その場に響く。
俺達はそのもう一つの歴史に圧倒され、何も言えない状態だった。
だが、確かに悲劇は起ったが―――先程ルリ君が警告した程の衝撃は無かった。
これよりも、西欧方面やあの北辰を見た時に襲い掛かってきた感情の方が遥かに凄い。
それに気が付いた俺は、ルリ君の発言を待つ。
「ルリちゃん、確かに驚く内容だったけど・・・さっきの忠告はこの事じゃないんだろ?」
「ええ、まだほんの入り口です。
本当の事件は―――ここから3年後に起ります。」
ナオの疑問にルリ君の肯定の返事が返ってきた。
そして―――
ナデシコクルーは遺跡を遥か彼方へと飛ばす
木連ではクーデターが勃発
ナデシコクルーは機密保持の為にサセボに拘留
相変わらずの騒がしい日々
ルリ君を引き取るユリカ
テンカワの部屋に転がり込む、ユリカとルリ君
満ち足りた日々が続き・・・ユリカとテンカワの結婚が決まる
その平和な日々が何時までも続くと・・・俺は思った。
それは、俺が同調をしているテンカワの心のせいだ。
こんな記憶を、何故テンカワが持っているのかは不思議だが。
幸せ一杯のユリカとルリ君の笑顔は、俺の心にすら安らぎに似たものを呼び起こした。
だが・・・
「―――きます。」
ルリ君の怯えを含んだ言葉により。
―――地獄が始った。
突然の爆発
新婚旅行への旅立ちは―――地獄への旅立ちとなる
「ユリカ!!」
「アキト!!」
差し伸べた手は無情にも空を掴み
あの北辰と呼ばれる男の一撃により、テンカワの意識は断たれる
「テンカワ アキト、お前は我等の栄光の礎となるのだ。」
北辰から背筋が凍り付くような声でそう宣言をされ
次に気が付いた時には診療台の上だった
無表情な医師により施される数々の実験
脳内を弄くられ、寸刻みで身体を切り取られる
次々と投薬される薬に体中が激痛を訴える
泣き叫び、許しを請う、しかし実験は止まらない
いっそ、狂ってしまえれば―――
勿論、俺達にもその苦痛とテンカワの心の叫びが襲い掛かる。
朦朧とした意識の中、想い続けるのは―――守れなかったユリカの事。
そして、離れ離れになってしまった、もう一人の家族と呼べるルリ君の事だった。
幾度も死線をさ迷いつつ、テンカワはその想いに縋りつき死を拒む。
その想いだけが、テンカワが正気でいられる命綱だった。
必ず助け出すと、ユリカに約束をしたから。
必ず帰ると、ルリ君との約束があったから。
壊れ続ける感情と身体
それを支える想いを試す様に続けられる実験、実験、実験・・・
脳内に埋め込まれた遺跡の破片により、ラピス君とのリンクが繋がる
「こんなの無茶苦茶よ!!
人の身体構造を無視した実験に、何の意味が有るというの!!
それ以前に人の所業とは思えないわ!!」
イネスの悲鳴には、テンカワの感じる苦痛が混じっていた
俺達は正気を保つ為に全力を尽くしているため、まともに話す事も出来ない。
始めは数百人もいた火星人が・・・何時の間にか10数人に減っていた。
この頃には、既にテンカワの視力は殆ど無いに等しい状態だった。
感覚は全て大幅に衰え、辛うじて自分が生きている事が解るだけだ。
「おい、いい加減死んでるんじゃないのか?」
「ま、流石にもう弄るところは無いね。
そう言えば奥さんに会いたがってたな。
最後に一目会わせてあげてから、何時もの様に処理しておいてよ。
これまで研究の手助けをしてくれた、優秀な人材だからね。
それ位のご褒美はあげないと。
僕って優しいよね。」
殆ど見えない視界に、眼鏡を掛けた白衣の男が笑っている姿が映っていた。
そして、ユリカとの再会
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その叫び声と共に、ユリカの気配が消える。
テンカワの目に朧気に映ったのは・・・遺跡に取り込まれたユリカの姿だった。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
次の瞬間!! テンカワの感情が爆発する!!
怒りに、憎悪に、殺意に染め尽くされるテンカワの心!!
思い通りに動かぬ体を引きずり、ユリカの元に向かおうとするテンカワ!!
しかし、その前に立ち塞がる男は―――北辰!!
「未練よな、テンカワ アキト。
お前の役目は終ったのだ・・・大人しく死ね。」
無慈悲な言葉と一撃により、テンカワの意識は途絶える。
身心共に限界以上に破壊され尽くしたテンカワを、アイツ等は死体置き場に放置した。
動かぬ体を呪いつつ、呪詛の言葉を吐きつづけるテンカワ。
その猛る想いとは裏腹に、段々と薄れていく意識。
最後の命の灯火すら消えそうな瞬間に、ゴートの姿を見たような気がした。
「・・・何て・・・記憶だよ。
本当に同じ人間がする事か?」
「・・・一番残酷な動物は、人間だと言う事だね。」
弱々しい声で話をする、ナオとアカツキ。
俺には話をする気力も無かった。
この記憶にしても、全ての事象を追っている訳では無い。
・・・ならば、テンカワの受けた苦痛とは一体どれ程のモノなのだ?
俺が狂わずにいれるのは、本当にギリギリの線で踏み止まっているからだ。
「ルリちゃん、これは本当にアキト君の記憶なの?」
「ええ、そうです・・・夢ならばどれだけ良かった事か・・・」
息も絶え絶えに会話をする、イネスとルリ君。
これ以上テンカワの心と同調する事は危険だ。
それ程までに、テンカワの心の中は暗く、重い―――
殺意と憎悪に塗りつぶされた心には、暖かい感情など一欠けらも無かった。
次に気が付いたとき・・・目の前には心配そうな顔のイネスが居た。
「アキト君、気が付いたかしら?」
「俺は・・・生きているのか。」
しかし、五感を失い歩く事もままならない状態を・・・果たして生きていると言い切れるだろうか?
次々に明かされる自分の症状に、テンカワの心に更なる絶望が襲い掛かる。
「・・・後、5年は生きられるんだな?」
「ええ、今の医療技術では・・・それが精一杯なのよ。」
味覚が破壊されたと聞いた時、既にテンカワは自分の未来を諦めていた。
そして、自分の寿命を告げられた時も、それほどに動揺はしていなかった。
既に―――テンカワの心は闇に覆い尽くされていたから。
「アカツキ、俺に力を与えろ。
ネルガルの天敵、クリムゾンを滅ぼしてやる。」
渋い顔のアカツキにそう交渉をして、テンカワは復讐の牙を研ぐ。
もどかしい限りだが、ラピス君のサポートにより少しは五感が戻っていた。
九十九を撃った月臣に師事し、木連式柔を修める。
寝る間を惜しむ―――ではない、2、3日の徹夜は当たり前だった。
心に燃え盛る暗い炎は、テンカワの素質を次々と伸ばしていく。
A級ジャンパーとして、もっとも戦争に適した戦闘マシーン
あの狂った科学者が願った、戦艦単独でのボソンジャンプすら、テンカワは使いこなしてみせた。
素手の格闘にしても、2年で月臣を凌ぐ程に上達し。
射撃や各種諜報戦においても、ゴートの指示の元でその実力を着実に伸ばす。
そして、一人の復讐人が誕生した
「これが、僕が君に与える『鎧』だよ。」
「・・・ほお。」
ブラックサレナ
その漆黒の機体を前にして不気味に笑う男に・・・あのテンカワの面影は無かった。
そして、復讐が始った。
狂った男と、その男を慕う一人の少女の手によって―――
「・・・僕がテンカワ君に、あのブラックサレナを与えたのか?
そして、この惨事を引き起こす引き金となったと言うのか!!」
2201年 7月 1日 ヒサゴプラン ターミナルコロニー 「タカマガ」 襲撃 大破
死者 2500名
2201年 7月10日 同 ターミナルコロニー 「ホスセリ」 襲撃 大破
死者 3000名
「もう充分でしょ、アキト君!!
いえ、もう止めてよ―――お兄ちゃん!!
出撃の度に身体が壊れていくのよ!!」
「テンカワ君、次のコロニーの職員は家族同伴で働いてるのよ?」
「そうか、それは不幸だったな。」
エリナとイネスの制止の声に―――テンカワはそう言って、笑った。
2201年 7月20日 同 ターミナルコロニー 「ウワツツ」 襲撃 中破
死者 5300名
「・・・まだ、お前の復讐は終らないのかよアキト。」
震える声でそう呟くナオ。
俺も真空に投げ出され、もだえ苦しむ家族連れや血煙を上げながら生き絶える男達を見て・・・
心の奥底から湧き上がる、恐怖の感情を覚えた。
2201年 7月31日 同 ターミナルコロニー 「シラヒメ」 襲撃
ダンダンダン!!
「ぐはっ!! い、痛い痛い!!」
「そうか、それは良かったな。
俺には痛覚が無くなって以来、憧れる言葉だ。」
ドン!!
「ぎゃぁぁぁぁぁ!! お、俺の指が!!」
「悲鳴を上げてる暇があったら―――早く遺跡の場所を教えろ。」
「知らない!! 本当だ!!
俺は山崎の助手じゃな―――」
ドドン!!
「じゃあ、死んでろ。」
不気味に笑いながら、男の死体になおも弾丸を撃ち込むテンカワ。
その狂った心に巣食う闇に、俺達の心も食われていく。
変わり果てたテンカワには、人の心は存在していなかった。
「もう・・・駄目!!」
イネスの叫び声が響き、その気配が消える。
あまりに変わり果て・・・壊れ続けるテンカワの姿を見れなくなったのだろう。
そして、ターミナルコロニー 「シラヒメ」は破壊された。
死者 3000名を出しながら。
「・・・もう、充分だろテンカワ。」
俺はその死者の数に呆然としながらそう呟く。
「何を言ってるんですか、ジュンさん。
先程、自分で言ってられましたよね、「殺さない貴様は腑抜けだ」 と。
このアキトさんの行いは、貴方が望んだ行為でしょ?」
俺にはルリ君に返す言葉が無かった。
・・・既に被害者は1万人を超えていた。
しかし、テンカワの心にはその数字に動揺も―――後悔の念も無かった。
2201年 8月 9日 同 ターミナルコロニー 「アマテラス」 襲撃
「もう充分だろテンカワ!!」
俺の叫び声を嘲笑うかのように、コロニーの前に展開された防衛網を切り崩すテンカワ。
ブラックサレナが踊る度に、戦艦が沈み数百の命が散っていく。
そして、リョーコとの邂逅を得て。
ついに、テンカワは遺跡を―――ユリカを見つける。
瞬間、テンカワの心に満ちる懐かしさと羨望。
そして、引き返せない道に入り込んだ自分に対する絶望。
チャリィ―――ン
「遅かりし、復讐人よ。」
遺跡の前に現れる機動兵器。
その機動兵器から聞えてくるのは―――
「北辰!!」
ドゥン!!
次の瞬間、テンカワの心が今まで以上の殺意と狂気に埋め尽くされる!!
「ちぃ!! しまっ―――」
ナオの慌てる声と共に、その気配が消え去る!!
多分ユリカを見つけた事で緩んだテンカワの心に、同調をしすぎたのだろう。
そして、最後のターミナルコロニー 「アマテラス」も沈んだ。
死者 2800名を出しながら。
これが、俺の望んでいる復讐の姿なのか?
一体、どれだけ関係の無い人達を巻き込めば気が済む?
テンカワの狂気に惹き込まれそうな自分を律しながら、俺は嘔吐感に必死に耐えていた。
「僕は・・・共犯者だ。
テンカワ君の憎悪を利用して、この破壊を行なわせただけだ!!」
「そうですよ、アカツキさん。
それでも、アキトさんは貴方に感謝をしていた。
自分に戦う牙を与えてくれた、貴方に。」
アカツキの叫びに、ルリ君の冷静な声が返る。
この場に残っているのは三人だけとなっていた。
俺とアカツキとルリ君
それぞれが、テンカワに複雑な思いを抱きつつ―――
テンカワの物語はクライマックスに向かっていく。