< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと・・・俺はソファの上で寝ていた。

 

 最後に覚えていた記憶は、降り出した雨を避けるために何処かの軒先に入った事

 そして、アルコールに占領された身体が欲する、強烈な睡眠欲

 特にその欲求に反抗をするつもりも無いので、俺はそのまま意識を手放した・・・

 

 

 

 

 

「・・・軒先で寝てた俺を、わざわざ運び込んだのか?」

 

 二日酔いどころではなく、ここ最近朝の日課となっている頭痛に顔を顰めながら、俺は自分の周りを見回した。

 まず、椅子が並んだカウンターが目に止まり・・・

 次に綺麗に並べられたテーブルと、ソファの列が目に入った。

 それほど広くはないが、どうやらここは喫茶店のようだ。

 

「そう言えば、昨日は誰かと一緒に飲んでいた気がするが・・・思い出せない」

 

 記憶をはっきりさせようと自分の頭を軽く小突くが、帰ってくるのは鈍い鈍痛だけだった。

 そのうち、俺は昨日の事を忘れる事にした・・・どうせ、相手も俺の事を覚えていないさ。

 

 こんな、冴えない男なんて、な。

 

    カラン、カラン♪

 

 自嘲気味にそんな事を考えていると、喫茶店の玄関に吊るしてあるベルが鳴った。

 驚いて顔を向けると、そこには小柄だがなかなかの美人が箒とちり取りを持って立っていた。

 

「あ、気が付きました?

 どうでもいいですけど、店の前で寝るのは止めてもらえません?」

 

 腰に手を当てて、怒っている事をアピールする彼女に俺は少し気圧された。

 悪いのはどう考えても俺であり、営業妨害と思われても仕方は無いのだ。

 

「ああ、悪かったな」

 

 ソファから身を起し、謝意と一緒に財布を探す・・・

 探すが・・・無かった。

 

 ・・・昨日、一緒に飲んだ奴か?

 

「なんか、凄く顔色が悪いですけど・・・大丈夫ですか?」

 

 見る見る悪くなる俺の顔色に、心配になったのか目の前の女性が尋ねてくる。

 しかし、俺はそんな彼女の心使いに返事をする余裕も無かった。

 とにかく警察に駆け込み、カードの停止とアパートの鍵をどうになしなければならない。

 

 そう、俺の身分証明書とも言える、統合軍の認識票「ナカザト ケイジ」の紛失届も出さなければ、な。

 

 例のエジプトの一件以来、窓際どころか存在自体を統合軍で無視されている俺だが・・・一応、籍は統合軍に置いてあった。

 それも、未だにオオサキ大佐の副官待遇として。

 

 ・・・あの人が何を考えているのかは俺には理解出来ない。

 最初は統合軍上層部の、オオサキ大佐への嫌がらせかと思ったが。

 特にオオサキ大佐からの配置換えの要望も出ていないので、そのままの地位に俺はいるらしい。

 

 どちらにしろ、俺はあの人の前に帰国後、一度も顔を出していない・・・出せるはずが無い。

 大体、どんな顔であの人の前に立てというのだ?

 自分を暗殺しようとした男を、あの人はどう扱う?

 

 どう考えても、俺の人生はもう無茶苦茶だ。

 今更、ホームレスになったところで、誰も気に止めはしないだろうさ。

 家族と顔をあわせるのにも、気が引ける・・・

 

「・・・迷惑をかけたな、直ぐに出て行くよ」

 

 本当に物事がどうでも良くなった俺は、いっそ清々しい気分で目の前の女性にそう言った。

 

「う〜ん、今にも自殺しそうな顔でそんな事を言われましてもね〜

 とにかく、マスターに頼んでこの店のシャワーでも浴びてきなさい!!」

 

 その返事に、思わず目の前の女性の顔を凝視する。

 小柄な身体をウェイトレス用と思われる、明るい黄色の制服で身を包み。

 栗色の長い髪を首の後のあたりで赤い紐で結んでいる。

 笑っている目は閉じられたような糸目をしており、今も優しそうな微笑を浮かべて俺を見ている。

 ・・・年齢は俺とそうは変らないだろう。

 

 親切心から俺の事を気に掛けてくれているみたいだが、俺の様な厄介者に関わっても良い事など一つもないのだ。

 申し出は有り難いが、早くこの店を出てしまおう。

 

「いや、そこまで迷惑を掛けるつもりは・・・」

 

 丁寧に辞退を申し込もうとした時・・・

 

「マスター、殺(や)っちゃって♪」

 

「・・・分かった」

 

 

    ゴン!!

 

 

 後頭部から鈍い音が響き・・・俺の意識は再び闇に落ちた・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・カフェ・オ・レ、お待たせしました」

 

 慎重な手付きで、彼女の前にマスターの作ったカフェ・オ・レを運ぶ。

 教えれらた通りに、完璧な仕草と手順で仕事を終え、俺は一礼をした。

 

「愛想が無〜い」

 

     ビシッ!!

 

 そんな俺の額に、彼女が振り下ろしたメニュー表が叩き付けられる。

 そしてウェイターの格好をした俺は、理不尽な現実について行こうと必死に努力をしていた。

 

「モモセ君、どう考えても俺には不向きだと思うんだが・・・この仕事?」

 

「身長もあって、顔もそこそこ良くって、一応大学を出てる秀才が何言ってるんですか。

 良いですか、世の中は先の戦争で慢性的な人手不足なんですよ?

 若く健康な人が働かなくてど〜するんです!!」

 

 ・・・一喝されてしまった

 

 あの後、気絶した俺を服を着たままシャワー室に放り込み、水を振り掛けた後

 濡れた服は取り上げられ、用意されていたのは・・・この店のマスターが着ている制服だった。

 シャワー室から出た後、俺は例のウェイトレスの彼女と、大柄なマスターの前に引き出され身の上を聞かれた。

 

 一応、俺にも一欠けらのプライドは残っていたので、統合軍の所属である事は黙り込み。

 就職した企業を戦争で潰され、やる気を無くした平社員だと名乗る事にした。

 どうせ、身分証明書になる統合軍の認識票は無いのだし・・・この人達とも二度と会う事はないのだしな。

 

「・・・ふ〜ん、戦争で会社が潰れた?

 それくらいで人生投げてどうするんですか?

 甘い、甘すぎますよ、ナカザトさん!!」

 

「モモセ君も戦争の被害者だ。

 2年前、両親を失い途方に暮れていたのを、私が引き取った」

 

 俺の言葉に憤慨する彼女と、その身の上を簡単に説明してくれるマスター

 実際、先の戦争で孤児になった子供な数は馬鹿にならない。

 その為の施設も設置されたが、はっきり言えば効果は薄い。

 近年の犯罪率の増加も、この戦災孤児が原因だと言っている人物も多かった。

 

 そのマスター自身、戦争で負った怪我で右足が義足だった。

 強面の顔の右側にも、大きな裂傷の跡がある。

 そして、一緒に喫茶店を経営していた家族も失い失意に暮れていた時に、モモセ君と出合ったそうだ。

 

 確かに彼等からすれば、俺の生い立ちや悩みなんて笑ってしまうモノでしかないのだろう。

 俺がチンケなプライドにしがみ付いている間、必死に生きようと足掻いていたのだから・・・

 

 ついつい考え込んでいた俺が、ふと視線を上げると。

 興味深そうに俺を観察しているモモセ君の視線と会った。

 

「マスター、近頃男性客のハートは私が獲得してますけどぉ

 そろそろ女性客も増やしません?

 マスターの強面だったら、なかなか女性のお客さん増えませんよ?」

 

「・・・良いアイデアだな

 ちょうどプータローだし」

 

 楽しそうに笑いながら俺の品定めをする二人・・・

 

「・・・はい?」

 

 そして、俺の意思に関係無く喫茶店「SUN」のウェイターへと就職が決まったのだった。

 統合軍ではアルバイトは禁止されているのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ、疲れた・・・」

 

 慣れない労働に、慣れない笑顔・・・

 今までの人生で、笑顔で人に接する事など殆ど無かった俺には、接客業は拷問に等しかった。

 3分前に最後の客が去り、やっとこの店に平穏が訪れたのだ。

 

 喫茶店というものが、これほどまでに忙しく気を使うものだとは知らなかった。

 

「駄目ですよ〜、自然に笑顔が作れないと?

 素材は良いんですから、無愛想な顔をしているとお客さんが恐がります」

 

    コトッ

 

 カウンターで突っ伏している俺の目の前に、マスターが淹れてくれた珈琲を置き。

 自分も俺の隣の席に座るモモセ君

 

 ・・・俺の倍以上の働きをしていたのに、見た目からは疲れた様子は見当たらない。

 

「慣れないうちは無理かもしれませんけど、変えようと思わないと変れませんよ。

 そのうちマスターみたいに表情が消えちゃいます」

 

「こら、俺にも表情はあるぞ」

 

 カウンターの裏で皿を洗いながら、幾分苦笑を含んだ声でそう反論をするマスター

 ・・・そう言えば、マスターの名前は聞いていなかったな?

 

「もっとも、顔の傷が原因で殆ど変化は無いがな」

 

 先程の自分の発言を自分で否定するマスターだった。

 

 そして手馴れた手付きで皿やカップを選別し、それぞれ所定の棚へとしまっていく。

 その流れるような動作からは、とても右足が義足だとは思えない。

 

 ・・・最愛の家族を亡くし、片足を失い、それでも生きようとした努力の賜物なのだろう。

 そんなマスターを助ける為に、モモセ君は学校を辞めてこの店で働き出したそうだ。

 昨日までこの二人は二人三脚で、この店を切り盛りしてきた。

 

 そして、そんな優しさと強さが・・・落ちぶれた俺をほおっておけなかったのだろうか?

 

「どうだ、今日一日働いた感想は?」

 

「筋は悪くないですよ・・・無愛想ですけど」

 

 クスクスと笑いながら、俺の代わりにマスターに返事をするモモセ君

 そんな二人と、昨日まで腐りきってた自分との差が恥かしくて、俺は何も言えなかった。

 よくよく考えてみれば、俺には学歴もある、五体も満足だ。

 ただ、無いものねだりをする餓鬼を、ひたすら演じていただけじゃないのか?

 

「ならどうする?

 一応この店の2階に部屋を用意してあるが・・・続けるか?」

 

 そんな確認をしてくるマスターに、俺は・・・

 

「・・・当分、厄介になります」

 

 と、返事をした。

 少なくとも、あのまま腐り続けるよりは前進だろう。

 羞恥で己を嘆く事など、彼等の生き方からすれば本当に些細な事に過ぎない。

 

『ナカザト・・・お前、本当に頭が硬いな〜』

 

 少し前にそう言われた事がある。

 確かに俺は自分の事しか考えていなかった。

 周囲を見回す余裕すら持とうとしなかった。

 

「本当? いや〜、助かります〜♪

 もう、明日からはビシバシ鍛えちゃいますからね!!」

 

「お、お手柔らかに頼む」

 

 座っていた席から飛び降り、嬉しそうにはしゃぐモモセ君を見ながら・・・

 俺は止まっていた何かが、少しずつ動き出そうとしていると感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 それが、はっきりと分かるのは・・・まだまだ先になりそうだったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その4に続く

 

 

 

 

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