< 時の流れに >
中学最後の夏休みを、僕は殆ど覚えていない。
何時の間にか始って、何時の間にか終っていた。
勿論、何もしなかった訳じゃ無い・・・
自分なりに身体を鍛えたり、受験勉強の為に塾に行ったりしていた。
でも、どうしても現実感が無かった。
「あ〜あ、夏休みも終ってみれば短く感じるよな〜
中学最後の夏休みも、勉強尽くしだしさ。
お前は何か楽しい思い出でもあったか、セガワ?」
「全く無し」
親しい友人の一人が、教室で考え事をしている僕にそう話し掛けてきた。
普通の中学3年生にとって、この最後の夏休みは遊ぶ事など出来ない時期だった。
僕自身、綿密に計画を練って有意義に過ごすつもりだった。
だけど・・・
夏休みが始る直前に起きた大事件
ピースランドへの旅が、総ての思惑を壊してしまった。
身分違いとかそんなレベルの問題じゃない、彼女との差を思い知らされた。
また、その周囲を取り巻く大人達の凄さに、踏み込めない自分を呪った。
あの場には連合軍・統合軍の将官が複数居た、凄腕のシークレットサービスが居た、ネルガルの会長が居た。
そして・・・彼等から誕生日のお祝いの言葉を受ける、ピースランドの第一王女が居た。
ただの同じ年の女の子だと思っていた。
頭は良いけれど、運動が苦手な同級生だと思っていた。
でもその同級生は、その年で国際外交をこなし、一国の未来を左右する存在だった。
「おっはよ!! カズヒサ君!!
久しぶりだね〜」
横手から元気な挨拶が聞える。
顔を向けると、そこには僕と同じ様な目にあった同級生であるイトウさんと・・・ホシノさんが居た。
「おはよう、カズヒサ君」
「ああ、おはようホシノさん、イトウさん」
二人に挨拶を返す。
僕に挨拶をしたあと、クラスの親しい友人達に夏休みの話題を提供するイトウさん。
そんなイトウさんの後ろで、クラスメイトとの会話に耳を傾けているホシノさん。
・・・夏休み前と全く同じ構図であり、今ではまるで違う光景に見える日常の一コマだった。
以前と同じ態度で、ホシノさんと付き合っているイトウさん。
ホシノさんの正体を知っても、その態度が変わらない事を不思議に思い、一度尋ねた事があった。
その時のイトウさんの返事は―――
『貸しはあるけど、借りはないもん。
それとも何? カズヒサ君って、ルリルリの正体を知ったらもう逃げ腰?』
・・・そう言って僕の顔を睨みつける彼女を、単純に強いと思った。
イトウさん自身、ホシノさんが国から逃げ出した後に大変な目に会ったのだと、その時愚痴を聞かされた。
そして、そんな目に会いながらも彼女は、ホシノさんとの友情を壊すつもりは無いと言い切った。
大切な友人なのだから、と
しかし、僕はそんな簡単な事さえ割り切る事が出来ないでいる。
それはそうだろう、僕がなりたいのは『友人』なのではなく・・・『恋人』なのだから。
始業式が終わり、今日の行事は総てが終った。
後は家に帰るだけの状況で、僕は友人の一人に捕まっていた。
「カズヒサ〜、何か夏風邪をひいてから元気が無いな?
イトウの奴も同じ様に風邪をひいた割には、相変わらず無闇やたらに元気だけどよ」
「・・・そうかな?」
確かに以前の様にホシノさんにアタックをしなくなった。
その事をクラスメイト達は、僕がホシノさんを諦めたからだろうと言っている。
否定は・・・出来ない。
今でもホシノさんを慕う気持ちは持っている、だけど自分にその資格があるのかどうかを悩んでいるのだ。
勿論、ホシノさんと僕との間にある身分の問題もある。
だけど一番大きな問題は―――
その時、ピースランドでの会話が僕の脳裏に蘇ってきた。
人を小馬鹿にしたような態度をする長髪の男性に、僕がくって掛っていった時の事だった・・・
場所は王城の一角にある庭
イトウさんはホシノさんの変装をして挨拶に出ていて、僕は今回の事件について説明を受けていた。
そんな時に、目の前の男性から子供は無茶をするなと忠告を受けた。
それと、背伸びは疲れるだけだ、とも・・・
「・・・吊りあわない、とか思ってるんですか?」
「別にそんな事は言わないよ。
それを決めるのはルリ君と君の問題だし、僕が言った所で納得しないだろう?」
肩を竦めて僕の言葉を受け流す男性
後で知った事だけど、この男性・・・アカツキさんは、あの巨大企業ネルガルの会長だった。
「―――もう少し早く知り合っていれば!!
僕の方がホシノさんを理解してあげた!!
ずっと側にも居てあげるのに!!」
出合った時期の差が悔しく、そう叫ぶ僕をアカツキさんは無表情な目で見ていた。
「そんな事言っても仕方が無いんじゃないかな?
それに、現状が思い通りにならないからって泣き叫ぶのは、子供の駄々だよ」
「じゃあ!! どうすればホシノさんを振り向かす事が出来るんですか!!
僕に足りないモノって何ですか!!」
僕より長身のアカツキさんのスーツに掴みかかり、大きく揺さぶる僕に・・・
アカツキさんは溜息を吐いて、僕を引き離した後、静かに語り出した。
「仮定でこんな話をしようかな・・・
君は戦艦の艦長、時代は星間戦争の真っ最中
巡航パトロール中に君は敵の戦艦を3隻発見した。
彼我の戦力差は確実だ、しかし相手は君の艦を見つけていない。
今、不意打ちをすれば確実に助かる―――さて、どうする?」
「そんなの、不意打ちをするに決まってるじゃないですか」
何を当たり前な事を・・・
「ただし、目の前の戦艦に乗ってる人間の人数は・・・およそ600人
君の命令一つでその命は消え失せる訳だ。
勿論、親兄弟、恋人の存在を考えれば・・・嘆き悲しむ人数はその数倍以上
そして、君を憎む人物がそれだけ増えるということだ。
―――それでも撃つかい?」
「!!」
一瞬、600人という数字の持つ意味に打ちのめされてしまった。
軽く不意打ちと言ったけど、その一瞬のやりとりに掛かる命の数は並ではなかった。
そして、その現実を僕が考えている間に・・・
「はい、10秒経過・・・君の戦艦は敵に発見され、包囲された後に、健闘空しく撃沈
戦艦のクルー200人の命も消え去った」
「・・・か、仮定の話じゃないですか!!」
僕の精一杯の反論も、アカツキさんの前では意味の無いものだった。
「そう仮定の話だから君は艦長になれる。
だが、現実に艦長になった時・・・君の判断に200人のクルーの命が掛った時
君はそのプレッシャーに耐えられるかい?
数百、数千の人間を殺す命令を出し、その数倍に及ぶ人間の憎悪を受け止める自信はあるかい?」
2年前の戦争は・・・僕にとって遠い出来事だった。
両親が一喜一憂をしていて、シェルターに篭もっている間に、総ては終っていた。
しかし、実際の戦争の世界ではそんな判断を日常茶飯事で行なわれるんだろう。
そして、目の前に居る男性は・・・その戦争を戦い抜いたパイロットの一人だと、僕は聞いていた。
「ルリ君の周りにいる人間は、少なからずそんな判断を迫られた経験を持っている。
悔やんだ人もいれば、納得しようと言い聞かせている人も居る。
過ぎ去った過去に怯える人も居れば、立ち向かおうとする人も居る。
そして、その中で一番悩み、一番嘆いた人物が、ルリ君の想い人なんだよ。
ルリ君自身、色々と人には言えない傷があるかもしれないしね?」
諭すような口調で、僕を嘲笑するわけではなく・・・ただ淡々と話を続けるアカツキさん。
「君は何が足りないと僕に聞いたよね?
そんな事、僕には分かるはずがないでしょ?
その答えを知っているのは、ルリ君しかいないんだから。
ただ、さっきの例でも言ったけど・・・実はルリ君は先の戦争に直に関わっている。
大人の身勝手な罪だが、多数の人間の生き死にをその目で見据えてきた。
そんなルリ君からすれば、君やイトウ君は逆に理解し難い存在なんだろうな。
・・・逆に聞くけど、君はルリ君の何に惹かれているのかな?」
その問い掛けに、一瞬心に浮かぶホシノさんの姿・・・
確かにその神秘的な容姿と、雰囲気に惹かれていた。
でも、それだけじゃない・・・それだけじゃないはずなんだ。
改めて考え込む僕を見て、アカツキさんは苦笑をしていた。
「・・・ま、惚れた腫れたは本人の意思とは関係無いところで決まるからね。
ただ、焦っても仕方が無い事だと分かって欲しいな。
時間の流れは残酷だ、ルリ君も想い人との日々を振り切れる日がくるかもしれない。
その時、君がどんな成長を遂げているのかが楽しみだけどね」
「要するに、落ち着いて時間が過ぎるのを待てと言うんですか?」
「御名答
ついでに自分自身を磨く事を忘れずにね」
確認するように尋ねた僕に、これもまたふざけた仕草で返事をするアカツキさん。
僕は慰められたのか、騙されたのか良く分からない気分で、その場を後にした。
だから、こんな呟きをアカツキさんがした事なんて知らなかった・・・
「もっとも、大人しく待つような女性でもないんだな・・・君が憧れている姫君は、さ」
その後、ヤガミさんの元に僕は向かった。
これでも一応は剣道部の主将を務めた身だ。
遊びではなく、本当のプロの技術を見たいと思ったからだった。
そして・・・先の戦争を戦い抜いた男の、戦争についての本音を聞きたかったのもあった。
「あ〜、まあ中学生にしては体力があるほうじゃないかな?
いまいち基準が分からないから、曖昧だけどさ」
「・・・」
地面に横たわったまま、荒い息を吐く僕は返事も出来ない。
本当に大人と子供の関係を、その通りに実感させられた瞬間だった。
・・・所詮、子供だましの腕では、本当のプロには勝てないのは当然か。
しかも、ヤガミさんはその場を一歩も動かず・・・尚且つ両目を塞いだ状態で、僕の攻撃を総て避けていた。
最初はからかわれていると思い、手加減をして攻撃を仕掛けたけど、直ぐに本気になった。
まるで予定通りのように僕の攻撃は避けられ、験しに仕掛けたフェイントも鼻で笑われた。
まるでマタドールの赤いマントに向かう闘牛の様に、僕は無様に操られるだけだった。
「強くなりたい気持ちってのは、男なら誰も持ってるもんさ。
ましてや守りたい人が居る場合、それは特別な意味を持つ。
・・・だけどな、人間には越えちゃならない一線、ってのは確実に存在するんだ」
「な、何ですか・・それ、は?」
何とか首だけを持ち上げ、目隠しを取り外しサングラスを掛けるヤガミさんに尋ねる。
地面の上に居る僕にチラリと視線を向けた後、ヤガミさんは城に向かって歩きながら―――
「人を殺した時だ」
鉄の塊のようなその声に、僕は何も言う事が出来なかった。
ピースランドでは、普段の生活ではまず出会えない大人達と出合った。
それぞれが強い信念や、高い実力を持ち・・・自信に満ち溢れていた。
叩かれても、潰されても、這い上がってくると信じさせる強さがあの人達にはあった。
そんな人達に囲まれて生きてきたホシノさんからすれば、確かに僕は物足りない存在なんだろう。
無理な事だと分かっているけれど、自分がごく普通の中学生である事に、悔しさを覚えた。
だけど―――
「諦めない限り、道は開けるんですよね?」
自分にそう言い聞かせる事が、近頃の僕の日課になっていた。