< 時の流れに >
正直に言えば・・・自分が家庭を持つ未来を予想した事なんて無かった。
日々の生活ですら、生と死の狭間を歩くような人生だった。
そんなあやふやな自分が、一人の女性と暮らしていけると思わなかった。
だが、それを承知の上で・・・一緒になりたいと思う女性に、出会ってしまったのは・・・
不幸なのだろうか? それとも幸運なのだろうか?
―――もっとも、その答えを俺は既に出しているけどな。
「どうしたんです? 難しい顔をして?
・・・気をつけないと、ハンマーで指を叩きますよ?」
トレーに紅茶のポットとカップを載せ、白いエプロンドレスに身を包んだミリアが庭に出てきた。
その上に乗っているチーズケーキは、きっとサラちゃんの店の品だろう。
「おっと、危ない危ない」
その注意を聞いて、俺は振り上げていたハンマーを寸前の所で止める。
こんなつまらないミスで怪我をして、本業に差し支えが出たら笑い話にもならない。
日本とは全然違う、過ごし易い気温に包まれた庭で、俺は本棚の製作をしていた。
ミリアが近頃読書に熱心なので、家にある本棚が一杯になってしまったのが本棚の作成に至った原因だ。
まあ、俺としては趣味も兼ねているので、結構本格的に枠組みから入っている。
何時から、こんな趣味を持ったのか自分でも覚えていない。
ただ、アキトの奴が料理を通じて『日常』との接点を求めたように。
壊すだけが仕事のような俺にも、物を作る充実感が嬉しかったのかもしれない。
・・・こんな事を話しても、共感を得るのはアキトだけかもな。
ゴートさんは別の世界と交信して心を癒してるし。
いや、まあ、本人がそれで楽しいのなら、文句を言う筋合いはないんだが。
「でも、まさか結婚より先にマイホームを手に入れるなんて、予想もしていなかったわ」
「はははは、俺の甲斐性を甘く見たな?」
何度目になるか分からない感嘆の声を上げながら、ミリアが自分の出てきた家を振り返る。
西欧の町並みに溶け込んでいる、新築の白い家・・・それが俺とミリアの新居だった。
何処となくミリアが昔住んでいた家と似ているのは、設計の時にミリアの要望を取り入れたからだ。
俺も自分の趣味を楽しめるように、庭を大きめに取ったり、大きなガレージを地下に作ってみたりと手を加えてみた。
ただ、設計作製部分で・・・ウリバタケの旦那が噛んでいる事が、唯一の悩みだ。
一応、その腕が超一流なのは疑いはしないが・・・突然爆発したりしないだろうな?
ミリアに万が一の事でもあってみろ、生き地獄を見せてやる。
ちなみに、我が家はグラシス中将の実家の隣の敷地だったりする。
防犯上の問題や、今もグラシス中将の家でハウスキーパーをしているミリアからすれば、願っても無い位置だろう。
・・・もちろん、裏で複数の人間が暗躍した事は想像に容易いが。
ま、その事を差っぴいても利点が多い事は確かだ。
俺が各地で動いている間にも、ちょくちょくサラちゃんやアリサちゃんが遊びに来てくれるしな。
ミリアも今ではあの2人を妹の様に可愛がっている。
金髪と銀髪の双子の事を俺が思い出していた時・・・
「「こんにちわ〜♪」」
元気一杯の声の二重奏が、庭先にあるレンガ造りの門の前から聞えてきた。
聞き覚えのある声と気配なので、俺は門扉に移動するミリアを後から見送っていた。
そして、ミリアが門を開いた先には、予想通りの人物達が居た。
「あら、アリサちゃんにサラちゃん!!
二人で一緒に着てくれたの?
丁度良かった、今から午後のお茶にするつもりだったのよ。
一緒に楽しまないかしら?」
色違いのパーカーを着た二人が、そこには居た。
しかし、サラちゃんが濃緑のスカート、アリサちゃんがジーンズというファッションが、二人の性格の違いを物語っている。
髪型は何時もと同じようにサラちゃんが後に金髪を流し、アリサちゃんはポニーテールをしていた。
見た目では、アリサちゃんが活動的な女性に見えるし、サラちゃんは深窓の令嬢にも見える。
・・・案外、根っこの部分では一緒かもしれないと俺は考えている。
「勿論、私達もそのつもりです!!」
「姉さんの店から、取って置きを持ってきました!!」
元気にミリアの誘いに返事を返し、そのまま招かれるままに俺の居る庭に入ってくる二人
アリサちゃんが手に持っていたバスケットを高々と上げて、ミリアに自慢気に見せながら歩いてくる。
そして、俺の姿を見て・・・二人はその動きを止めた。
「・・・何だよ?」
何も言い出さない二人を怪訝に思い、俺が先に口を開く。
すると、二人は凄い衝撃を受けたみたいにお互いの手を取り合い、顔を寄せ合って自分達が驚いている事を俺にアピールする。
・・・こう言うときこの二人が双子なんだと、再確認をしてしまうな。
示し合わせた様に、同じ動きをするんだからさ。
髪の色と髪型が違う事を覗けば、合わせ鏡を見ているみたいだ。
「あの、ナオさん・・・そのダブダブのズボンはなんですか?」
恐る恐る、という感じでサラちゃんが俺に尋ねてくる。
「あ? これはニッカボッカといって由緒正しい大工の格好だぞ?」
俺が随分と余裕のある裾を広げて、二人にその歴史の長さを説明する。
「その・・・足に履いているのは?」
アリサちゃんの視線が俺の足先に集中していた。
「コレか?
これは足袋といってだな、鳶職の人が使う靴みたいなもんだ」
そう言って、片足を振り上げて親指だけが動く足袋を見せびらかす。
この二つのアイテムは、俺が日曜大工をならった師匠に譲って貰った大切な宝物だ。
もっとも、既に何度も買い換えているので、厳密に言えば譲って貰った品そのままではないが。
・・・この格好の拘りに、師匠の魂が生きているのだ!!
「「・・・その格好に半袖のシャツ、しかもサングラスはかなり恐いんですけどぉ〜」」
「煩い」
本当に涙目で訴える二人を俺は一言で斬り捨てる。
ミリアはそんな俺達のやりとりを見ながら、嬉しそうにサラちゃんとアリサちゃんのカップを用意していた。
俺もそんな楽しそうなミリアを見ているだけで、心が軽くなっていく。
サラちゃんとアリサちゃんも、俺の格好に文句を言いながらも、楽しそうに笑っていた。
静かに時間は過ぎていく。
これだけは、誰の上にでも、平等に―――
・・・深く穿たれた傷が癒えても、残された心の空洞は満たされないだろう。
だが、別の想い出でその空洞を覆うことは出来る、包み込む事が出来ると俺は思っている。
そして、ミリア自身も強くなっていたのだから
あれは忘れもしない、和平が成立して一年が経った時だ。
季節は秋を過ぎ、冬に指しかかろうとしていた。
久々の休暇を取り、俺はグラシス中将の家に・・・住み込みで働いているミリアの元を訪れた。
そして、俺は・・・ミリアに総てを話した。
俺自身ですら知らなかった生い立ちと、兄弟達との戦いを・・・
ミリアは大きく目を開き、心底驚いていた。
それはそうだろう、言ってみれば俺は禁忌の存在・・・普通の人とはまるで違う誕生の仕方をしているのだから。
―――人造の生物、それが俺だ。
キリスト教の信者でもあるミリアにとって、俺の存在は受け入れ難いはずだ。
嫌われる事も、覚悟の上だった。
・・・ただ、ミリアを守り続ける事だけは自分自身と、アキトに誓っていた。
俺とミリアを引き合わせたのは・・・アキトだった。
そして俺を鍛え、ミリアを守る力をくれたのもまた、アキトだ。
アキトと出会わなければ、俺は何も知らず、何も疑わず・・・クリムゾンで便利に使われ続けただろう。
そして、何時か始末をされるか、実験体として生涯を閉じていたと思う。
パチパチ・・・
暖炉の中で、音を立てながら小さく薪が弾ける。
俺は隣のソファに座っているミリアを見る事が出来ず、サングラスを外した目でその暖炉を見ていた。
自分が人間だと疑う必要など無かった。
・・・戦争が終わり、心に余裕が戻って来た時に、俺は自分自身の存在に疑いを抱いた。
あの戦争で知らされた自分自身の秘密の重みが、今頃になって俺の心に圧し掛かってきた。
それは、もしかするとあの最後の戦いで散った兄弟達の、無念の思いなのかもしれない。
同じ実験体の中で、ただ一人生き残り・・・普通の幸せを得ようとする俺に対する。
その時、強く唇を噛み締める俺の手に、ミリアの手が重なった。
驚いて顔を向けると、ミリアは静かに首を左右に振る。
薄紫のカーデガンを羽織った背中に、栗色の髪が静かに揺れる。
「・・・暖かいですよ、ナオさんの手は。
ここで、こうして生きてる証拠ですね。
今更、生まれなんてどうでもいいじゃないですか?
私達は色々な事を乗り越えて、ここに居ます。
あの娘や、お父さんや、アキトさん達の手助けがあって」
そう言いながら、俺の手を頬に当てる。
俺はそんなミリアのなすがままになりながら、その言葉を噛み締めていた。
「生まれがどうあれ、今までのナオさんの人生が偽りだった訳ではないんです。
泣いて、笑って、怒って・・・私を絶望の淵から救い出してくれて。
アキトさんがこの場に居ても同じ事を言うはずです。
ナオさんが助けられたのと同じ位、アキトさんもナオさんに助けられたと思っていますよ。
兄弟の事は残念だと思います、ナオさんがその事で悩むのも分かります。
でも・・・身勝手なお願いですけど・・・生きて私の側に居て下さい、私を放さないで!!」
強く抱きついてきたミリアを俺も強く抱き締めた。
俺はもしかしたらミリアを試していたのかも知れない・・・こんな自分でも良いのか、と
ミリアもその事に気が付いていたから、俺を引き止めようと必死になったのだろう。
事実―――俺はこの時ミリアに拒絶されれば、二度と彼女の目の前に出ないと決めていた。
そして、俺は震える声で約束した・・・
「ああ、絶対に離すもんか!!
お前みたいな最高の女を、逃がしたりはしない!!」
ミリアの身体の震えが止まるまで・・・俺はきつくその身体を抱き締めていた。
自分自身、涙を流して居ることに気が付かずに。
そして、俺には帰るべき場所が、守るべき場所が生まれた。
これからも苦難は襲い掛かると思う・・・だが、俺はそれに立ち向かい、絶対に生きて帰る『理由』が出来たのだ。