< 時の流れに >
目の前では舞歌が黙々と書類に目を通し、時々ペンで何事か書き込んでいる。
零夜はその隣でお茶入れや、封筒の選別をしており。
千沙は隣の部屋で来客の相手や、舞歌に見せる必要の無いと判断した書類を捌いている。
・・・暇だ。
最近、舞歌や千沙達から勧められて読書をしているが、それほど面白いとは思えない。
やはり一箇所で大人しくしているのは、俺には似合わないのだ。
何かこう、血沸き肉踊るような出来事は無いのだろうか?
零夜によって無理矢理括られた赤毛を弄りつつ、俺はそんな物騒な事を考えていた。
「・・・北斗、いじけるのは貴女の勝手だけど、その服装でソファに寝そべっていると下着が丸見えよ?」
ちらりと書類から頭を上げ、俺の姿を見てそんな注意をする舞歌
だらしなくソファの上で寝そべっている俺に、とうとう呆れてしまったみたいだ。
俺がここに居る一番の理由は、舞歌の護衛なのだが・・・そうそう、この官邸の奥まで忍び込める手練は居ない。
逆に言えば、ここまで到達してこそ、俺が楽しめるレベルの実力者であるという事だ。
でも、今は暇だ。
「俺は別に気にしない。
大体、この官邸に入るのに、制服が必要だという制度が悪いんだ。
今からでも遅くない、私服でもいいように制度の変更をしろ」
どう交渉をしても、舞歌は俺に男物の制服を着ることを許さなかった。
しかも髪の毛も結い上げるか、括るように伝達してくるし・・・
確かに男性でも長髪が珍しく無い木連だけに、髪の毛でも性別を分ける必要はあるのかもしれないが。
まあ、少し前に男の格好でトイレに行って、警備兵を呼び出されたのが最大の失敗だと思う。
・・・警備兵を全員半年の入院コースに送ったのも、少々響いているかもな。
舞歌は俺の返事を聞いて、少しだけ眉を潜めたあと、肩を落として嘆息をした。
「北ちゃんが気にしなくても、来客の人が気にするんだよ・・・
暇だったら散歩でもしてきたら?
ああ、先に言っとくけど、物を壊したり、人を吹き飛ばしたりしたら駄目だからね!!」
「それと、迷子になった時は素直に零夜を呼ぶか、『四陣』を頼りなさいよ」
零夜と舞歌のその提案を聞き、俺は寝そべっていたソファから一気に身体を起す。
そして、次の瞬間には舞歌の執務室から飛び出していた。
あのままあの部屋に居たら、息が詰ってしまうぞ、全く。
そして北斗が飛び出した執務室では・・・
「う〜ん、もう少し落ち着いてくれないかしらね?」
指先でペンを操りながら、溜息交じりにそう呟く舞歌
気分転換をするように、手元に置いてある少し冷めてしまった紅茶を飲む。
「でも、大分刺々しい気配は無くなりましたよ?」
不要と判断された手紙や書類を、シュレッダーにかけながらそう返事をする零夜
そんな零夜の返事に、少しだけ間を開けた後で・・・
「・・・表面上はね、戦いが始れば、また元に戻るわよ」
悲しげに舞歌はそう言い切り。
「・・・ええ、多分そうですね」
零夜も力無く同意をした。
廊下を軽い足取りで歩いていると・・・前方から天敵といえる存在が歩いてくるのを見つけた。
薄くなった髪を気にしているらしいが、心労が絶えず育毛剤も全然効かないと以前愚痴を言われた。
・・・あの嘆きの言葉で拘束された3時間は、俺にとって最も過酷な拷問だった。
前方の小太りの男の名前は西沢 学
「四方天」の一人であり、和平前、和平後の木連の経済を取り仕切る男だ。
俺は西沢の存在を認めると、素早く身体を壁に隠し、完全に気配を断つ。
今の俺を見つける事が出来る人物は、枝織とアキトくらいしか居ないだろう。
一人は俺の相棒であり、もう一人が行方不明な以上・・・つまり、俺を見つける事が出来る人物は、ここに居ないという事だ。
しかし、ここで意外な人物が反対側の通路から現れた。
それは一人の女性だった・・・
「あら、西沢様も舞歌様に御用ですか?」
「ああ、これは飛厘殿
いや、ちょっと緊急に判を押して欲しい書類が出来ましてね」
こちらも支給品である制服をした飛厘が、通路を歩いてきた西沢に軽く話し掛ける。
しかも・・・計ったように俺の目の前で。
「でも予算案は既に通ってますし、最近大きな出費は無かったと思いますけど?」
「・・・修理費ですよ、北斗殿が最近壊したコロニー内部のね。
武人にとって鍛練は欠かせないものかもしれませんが、その度にコロニーを壊されては堪りませんね。
しかし、鍛練をしただけでコロニーの外壁まで被害を及ぼしますかね?
また、機会を見て注意をしないと駄目ですな」
眼鏡を直しながら、剣呑に目を光らせる西沢・・・
飛厘の引き攣った顔を見る限り、かなり危ない状態になっているのだろう。
この西沢には、舞歌もそうそう反抗できない。
何故なら、彼はまさに木連の為だけに滅私奉公をする『忠臣』だからだ。
西沢がこなす仕事には私心が無く、草壁から離反をした理由もあのまま戦争が続けば、木連の存在が危ないと判断したが故だった。
逆に言えば、木連の存続の敵には本当に容赦をしない『口撃』を展開する。
・・・舞歌に口で勝てるのは、木連の中ではこの男くらいだろう。
だが、ただ頭の堅いだけの男ではなく、家庭では優しい父親をしているらしい。
以前、無理矢理舞歌に参加させられたパーティ会場で、俺に挨拶をするために足を運んだ幸せそうな一家がそれを証明していた。
まあ、とにかく厄介な男に目を付けられたものだ・・・・
当分、武者修行の旅にでも出たほうが良さそうだな。
逃げる様に歩き去る飛厘と、戦意満々で舞歌の執務室に向かう西沢を見送りながら、俺はそんな事を考えていた。
「ん? 月臣と海神の爺さんじゃないか?」
官邸の屋根で寝そべり、景色と人工の日差しを楽しんでいた俺は、中庭を歩く二人の姿を見付けた。
白い優人部隊の制服を着こなした、黒い長髪をした男と、小柄な体躯を茶色のスーツでつつんだ老人がそこに居た。
何時も海神の隣に居るあの大男は、今日はどうやら不在らしい。
・・・海神の爺さんと、あの大男が離れているのも珍しいな?
何となく興味も持った俺は、寝転んでいた屋根から身を起すと、軽く跳躍して中庭に降り立った。
「二人揃って、何を話しているんだ?」
背後から掛けられた俺の質問に驚き、海神の爺さんを背後に庇う格好で、その場を跳び退きながら構えをとる月臣
・・・爺さんを庇う動きをする辺り、結構仲良くやっているみたいだな。
「なっ!! ・・・北斗殿、お願いですから普通に登場して下さいよ」
俺の姿を認めて、構えを解き、抗議の声を上げる。
そんな月臣の抗議を、軽く肩を揺すって受け止める。
ま、月臣も俺がそんな事で態度を改める事は無いと、分かっていて文句を言ってるんだろうがな。
俺自身、改めるつもりは皆無だし。
「まあそう四角張った事言うなって。
どうせ、このお嬢ちゃんにそんな意見を言っても無駄だって、お前さんも充分知ってるだろうが?」
「・・・何度も言ってるが、俺を『お嬢ちゃん』と呼ぶな、爺さん」
自分自身、相手が聞かない事を承知しているが・・・まあ、癖のようなモノだ。
この前、零夜の買い物に付き合って顔を合わせてから何度も言っているが、この初老の爺さんは直そうとしない。
殺気も叩きつけたし、鬼気レベルのものまで叩きつけたりもした。
だが・・・人間、この年になるとある種の『覚悟』が出来るものらしい。
その時の会話を俺は思い出していた。
平和そのものだった喫茶店に、突然俺を中心に威圧的な空気が張り詰める。
小柄な体躯に溢れんばかりの気迫を込め、俺の鬼気を受け止める爺さん。
そして、俺の鬼気に怯むどころか、鼻で笑ってこう言い切った。
「はっ!! ふざけんなよ、お嬢ちゃんよ!!
こちとらお前さんの軽く倍の人生を経験してんるんでい!!
年上を無条件に敬えなんて事は言わんがな、自分を偽るような奴はマシな人間にならね〜んだよ!!
お前さんの生い立ちや理由は知らね〜が、俺から見たあんたは『お嬢ちゃん』以外に言い様がねえんだ。
それが気に入らねぇなら、煮るなり焼くなり好きにしな!!」
・・・正直に言えば、こんな反応を返してきた人物は初めてだった。
今まで俺がこんな老人に手を掛けた事が無い・・・などと言う筈が無い。
それこそ、目に涙を溜め、泡を吹きながら命乞いをする老人の命を、幾つも奪ってきた。
まあ、せめてもの慈悲という感じで、一撃で苦しまずに止めを刺してやったがな。
勿論、目の前の爺さんに俺の一撃を防いだり、受け止めたり出来るはずが無い。
また、背後に控えている大男が、俺が攻撃を繰り出した瞬間、我が身を呈してこの爺さんを守ろうとする気迫が俺には伝わっている。
だからと言って、昔の俺ならば手を下す事に躊躇う事も無かっただろうが―――
結局、俺はその後何も言う事無く、その場を後にした。
この爺さんを殺す事は、俺にとってある意味『敗北』につながると思ったからだ。
実際のところ、俺はこの爺さんの理屈に何も言い返す事は出来なかったのだから・・・
それがこの海神爺さんの、俺の持つ強さとは別の意味での『強さ』だった。
あの時の事を思い出し、知らず知らず苦笑をする。
そんな俺の反応を見て、月臣が驚いた表情をしていた。
ま、コイツからすれば、俺を『お嬢ちゃん』呼ばわりして無事な海神の爺さんは、信じられない存在なんだろうな。
・・・お前が言った日には、京子には悪いが即死コースだ。
「で、何の話をしてたんだ?」
話を元に戻し、そう質問をする。
「ああ、優人部隊の増員について説明を受けてたんだ。
一応、木連内の治安維持の為だが、戦力の増加には違いねぇからな。
ま、他にも例の『御仁』の警戒が必要になりそうなのが理由なんだが、な。
俺としてもそれなりの理由を聞いておかないと、地球の奴等に聞かれた時に説明出来ねぇしよ」
「・・・それなりに重要事項なので、自分と海神さんだけで話をしたかったのですが」
ふ〜ん、どうりであの大男が居ないわけだ。
軽く気配を探れば、あの大男が中庭の入り口付近に居る事が分かった。
どうやら見張りをしているつもりらしいが・・・
まあ、俺の様にいきなり4階の屋根から飛び降りてくる奴はそうそう居ないだろう。
「優華部隊の再編成も考えているのか?」
優人部隊の増加が行なわれるなら、優華部隊はどうなるのかと、俺の脳裏にそんな疑問が浮かんだ。
優華部隊は俺にとっても色々と思い出深い部隊だ。
初めて、零夜と舞歌以外の人間に『北斗』と『枝織』の存在を受け入れてもらった場所でもある。
「その件なのですが・・・実は、一つ不思議な事実が判明しまして」
歯切れ悪く呟く月臣に、俺の眉が跳ねる。
どうやら海神爺さんの存在を気にしているようで、チラチラとそちらを伺っている。
それを感じたのか、気を利かせて海神爺さんは中庭の出口に向かおうとする。
「・・・護衛の件もあるし、何時かはこの爺さんの耳にも入る話だろうが。
さっさっと話せ」
立ち去る爺さんの襟首を掴んで、引き寄せながら俺がそう言うと、月臣の表情が面白いほどに引き攣った。
「こらっ!! テメ〜、何しやがる!!」
「俺は護衛上、必要な事をしているだけだ、我慢しろ爺さん」
・・・襟首を掴まれた爺さんは、何や大声で怒鳴り散らしているが。
ま、やられっぱなしと言うのは、どうも俺の性格には合わんのでな。
元気に暴れまわる爺さんを巧みに押さえつけつつ、俺は内心で快哉を挙げていた。
そして、俺の催促と海神爺さんの怒声を聞いて決心をしたのか、月臣がポツリポツリと語り出す。
「・・・優華部隊の設立は、当初舞歌様の立案により結成されました。
文章上の記録では、そうなっています。
しかし、実はそれ以前から草壁殿の命令で、優華部隊の元となる人選はされていたのです」
「・・・何だと?」
月臣が話す意外な真実に、俺の動きは止まり。
その気配を感じたのか、暴れていた海神爺さんも動きを止める。
「詳しい資料は消去されていましたが・・・
玉 百華のスパイ事件の他にも何か意図が隠されているような気がします。
優華部隊には、まだまだ秘密が隠されていると、私は見ています」
青い顔で話す月臣に、俺は何も言う事が出来なかった・・・