< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

「正直に言うと・・・貴女とこうして同じ車に乗る日が来るなんて、予想もしていませんでした」

 

 私の隣に座っているアリサ=ファー=ハーテッドが、感情を押し殺した低い声でそう呟く。

 先程まで、何か言おうとしては黙り込んでいた彼女の、最初の一言がそれだった。

 素っ気無いその台詞が、精一杯の彼女のなりの責めの言葉なのだろう。

 

 私は苦笑をしながら、そんな彼女の台詞を受け止めていた・・・

 

 今、私は車の後部座席に座り、その隣にはアリサが座っている。

 向かっている先は空港・・・ヤガミ ナオが乗る予定の飛行機に、私も便乗を許された結果だ。

 

 そのヤガミ ナオ自身は、彼の恋人との別離を惜しみつつ、今はこの車を運転している。

 サラ=ファー=ハーテッドは、その恋人と一緒にこの国に残っている。

 何でもネルガルの急な呼び出しに、護衛の手配が遅れているためヤガミ ナオも二人以上の護衛は避けたかったそうだ。

 サラの代わりに、私を連れて日本に行く事を・・・アリサが反発をする理由の一つなのだろう。

 

 だが、憎まれても恨まれても―――譲れないものもある。

 

 座席から見える、秋に向かう景色を追いかけながら、私は先程のアリサの質問に答えを返していた。

 

「それは私も同じよ・・・あの時、西欧で活動してきた人間なら、誰もが予想もしてなかったでしょうね。

 お互いに、戦場を舞台に戦ったのだから、何時死んでもおかしく無い状況だったわね」

 

 あの時の事は良く覚えている。

 私が所属していたクリムゾンの諜報機関「真紅の牙」最後の任務であり、あの人が亡くなった作戦だったのだから。

 何時もと同じように標的を追い詰め、最後の最後で逆転をされた。

 

 「真紅の牙」の初の敗北は―――その部隊の壊滅を華々しく飾った。

 

 でも、それは総て過去の出来事

 

「・・・ナオさんの前に、よく顔を出す気になれましたね。

 私には貴女という人間が理解出来ません」

 

 苦笑を続ける私に、馬鹿にされたと思ったのか強い口調で私を責めるアリサ

 素直な彼女のその反応が、少々羨ましく思える。

 まあ、空港までの時間つぶしに、彼女と話をするのも一興かしらね。

 

 車を運転しているヤガミ ナオには話し掛ける気もしないけど、この娘は別ね。

 

「別に理解を求めたりしないわ。

 それに説明をしても、貴女には不可解に思えるだけでしょうしね。

 でも、それが私の生き方だったのだから・・・いえ、それしか残されて無かったから。

 私が使える得意な武器といったら、この身体だけだった。

 そういう意味では、貴女・・・処女でしょ?

 最初は惚れた男性に捧げるのが夢かしら?」

 

「なっ、何を言い出すんですか!!」

 

 真っ赤になる彼女を見て笑いながら、私が盗み見たヤガミ ナオは・・・肩を竦めて呆れていた。

 それでも私如きでは全然隙が見出せないのは、さすがね。

 同僚だった頃から、その戦闘能力は抜きん出ていたけれど、今では更に強くなっているみたいね。

 

 そんなヤガミの姿に安堵を覚えながら、私は激昂しているアリサに言葉を投げ掛けた。

 

「私は両親の顔さえ覚えていない。

 初めて男性に抱かれたのも、はっきりと覚えていない程、幼い頃だったわ。

 私には学も力も無かった、無力な子供に・・・他に生きる道なんて無かったのよ。

 ただ、他人の言葉に流されて、生きているだけのモノだったわ。

 そんな私の人生に、初めて選択する権利を与えてくれたのが、テツヤだった」

 

 他人からすれば悲惨な過去の話を、微笑を浮かべて話す私に・・・アリサは青い顔をして見ていた。

 やはり、ここらへんの精神の弱さが、『お嬢様』をしてるわね。

 

「・・・まあ、惚れた相手が悪かったのは認めるわ。

 自分自身で悪党を演じる事を楽しんでた男だったからね。

 それにそういう意味では、そこのヤガミの生い立ちも結構悲惨なのよ?

 貴女は何も知らないだろうけど、憧れのあの戦神にしても―――」

 

      ガン!!

 

 ハンドルに拳を叩き付ける音が車内に響き、無垢な女性を甚振っていた私の意識を引き戻した。

 気が付くと、目の前のアリサは泣きそうな顔で私とヤガミ ナオを交互に見ていた。

 

 ・・・本当、素直な娘ね

 

「ライザ、確かに俺達は職業柄・・・生い立ちや脛に傷を持つ奴等が多い。

 だが、アリサちゃんに無理矢理『裏の世界』を垣間見せても、意味は無いだろうが」

 

「・・・そうね、情け無いけど、嫉妬してたみたいね」

 

 ヤガミ ナオの押し殺した言葉に、私は素直に非を認めた。

 憧れても、どうしようも無いモノは存在する。

 私は私の人生を送ってきた・・・その道をこんな女性に教えるべきではない、か。

 

 決して交わらない道をそれぞれ歩んできたのだから。

 

「初めての家族・・・ヤガミ、貴方ならこの意味が分かるわよね?」

 

「ああ、だから俺はお前との取り引きを信じて、日本に連れて行くと約束した」

 

 私の初めての家族

 赤の他人ではなく、血の繋がりを持つ存在・・・私の息子

 あの子が危ない目に合わされるから、私はクリムゾンを裏切った。

 命懸けの逃走劇に、赤ん坊の体力では危ういと判断をして、私はあの子をゴートに預けた。

 交した言葉は数少なかったが、あの男なら無下に赤ん坊を扱わないと賭けてみた。

 

 ・・・なにより、クリムゾンに対抗できる組織は限られていたのだから。

 

「初めての家族、ですか?」

 

「そうよ、両親の顔も覚えていない私にとって、唯一の家族よ。

 今でも覚えているわ、初めてあの子を胸に抱いた時の感動を・・・私と同じ血を持つ存在を感じた。

 昔は赤ん坊なんて邪魔な存在としか思ってなかったけどね。

 そんな考えは一瞬で吹き飛ばされたわ。

 貴女には理解出来ないかもしれないけど、生まれて初めての肉親なのよ、あの子は」

 

 一緒に居られた時間は、ほとんど数日だけだったけれど・・・あの子の寝顔や笑顔は、一時も忘れた事は無かった。

 あの子に会う事だけを心の糧にして、私は今までクリムゾンの追っ手から逃げてきたのだから・・・

 

 私の言葉に理解が及ばず、難しい顔で悩み込むアリサ

 彼女にとっては当たり前の日常も、私にとっては輝かしい世界なのだと・・・口で言っても理解は出来ないでしょうね。

 

「アリサちゃん、無理に理解をしようとしても無駄だ。

 これだけは・・・世界に自分だけしか居ないという『絶対の孤独』を経験した者しか分からない。

 俺は裏の世界では二通りの人間が居ると思っている。

 一つは愛された事が無い人間、もう一つは愛した相手に裏切られた人間だ。

 ライザは典型的な前者で、テツヤは後者そのものだ・・・俺は中途半端だけどな。」

 

 戸惑うアリサに私とヤガミ ナオの言葉が掛り・・・

 彼女は結局、何も言い出せないまま、黙り込んでしまった。

 

「両親から贈られる無償の愛、って・・・今でも憧れるわね。

 私がそれを受け取れなかったぶん、あの子にはそれを惜しみなく注いであげたい。

 自分の両手が血に染まっている事は知っているけれど、それでも側に居てあげたい。

 ・・・こんな事、言葉で言っても、貴女には分からないかもね」

 

 アリサの方は向かず、車の窓を見たまま私はそんな台詞を続ける。

 何て不確かでありきたりな言葉なんだろう、『愛』とは・・・

 でも、私はそれを感じた事は無いし、またそれを相手に与えていた自信も無い。

 

 ヤガミの言う通り、私は愛と言うモノを実感した事が無いのだから。

 

「見ていて気の毒なくらい必死だったな、お前のテツヤに対するアプローチは」

 

 昔の私とテツヤのやりとりを見ていたのか、ヤガミが平坦な声でそんな事を言う。

 あの頃は・・・また別の意味で人生を楽しんでいたわね、私達は。

 

「・・・そうね、捨てられるのが恐かったから」

 

 愛された事が無い為に、私には相手に尽くすしか繋ぎとめる方法を知らない。

 そして、テツヤは愛していた父親に裏切られた為に、私の想いを決して受け入れようとしなかった。

 本当・・・今考えても、最低の相性のカップルだったわ。

 

 ふと、視線を黙り込んでいたアリサに戻してみると・・・

 

 下を向き、両膝の上に置いた彼女の手の平に涙が落ち。

 静かに嗚咽を噛み殺す彼女に、私はどうしたものかと悩んでしまった。

 感受性が強いのか、それとも自分の知らなかった世界に驚いたのか・・・

 

 どちらにしろ、泣かしてしまった事に変わりはない、か。

 

「・・・苛めすぎたみたいね、悪かったわ」

 

「・・・全くだ。

 どうも、同業さんとドライブをすると、決まって暗い話題しか出ないからな〜」

 

 話題の転換をしようにも、私には年頃の女性を励ます言葉なんて知識に無い。

 ましてやヤガミ ナオに求めるのも、どうにも心許ない。

 車のバックミラーから感じるヤガミの視線には、私にどうにかしろとプレッシャーを掛けていた。

 

 結局、私が取った手段は―――

 

 

 

 

「じゃ、一つだけお願いがあるんだけど?」

 

「・・・何ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月の太陽を受けながら、空港に辿り付いた私達は。

 お互いに無言のまま、それぞれの荷物を車から運び出す。

 もっとも、私は最低限の着替えしか持っていない。

 追い詰められ、逃げ道を失った私が最後にとった手段が・・・クリムゾンの秘密を手土産に、ネルガルに庇護を求める事だった。

 勿論、未だ私が掴んだ情報はヤガミ ナオに渡していない。

 この情報だけが、私の切り札であり、あの子に続く残された掛け橋なのだから。

 

 ヤガミも私の必死の姿勢に何を見たのか、情報の受渡しを請求する事無く、ここまで私を案内してくれた。

 ・・・やっぱり、大本で甘い性格は直ってないわね、この男も。

 

 サングラスを愛用する、元同僚の変わらない姿勢に、私は苦笑を漏らしていた。

 逆に考えれば、変わらないでいる事もこの世界では難しい事だけど。

 

「しかし、よくもまあ半年以上もクリムゾンの追っ手から逃げれたもんだな」

 

 シャトルに乗り込み、座席に座った私に珈琲を手渡しながら、少し驚いた口調でそう尋ねてくるヤガミ

 確かに私の諜報員としての実力はそれほど高くは無かった。

 

 それでも―――

 

 珈琲を受け取りながら、私はヤガミに返事をした。

 

「ねえ、こんな諺を知ってる?」

 

「なんだ?」

 

「母は強し、ってね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その5に続く

 

 

 

 

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