< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 俺が空港に辿り付いた時、医務室には二人の女性と一人の男性がいた。

 

「・・・ゴートさん、予想より大分早かったな」

 

 ナオが呟くようにそう言ってきた。

 やりきれない感情が、その声には篭もっていた。

 

「ああ、会社のヘリを使わせてもらったからな」

 

 背中でむづがる赤ん坊を感じつつ、俺は医務室に入る。

 ベットに寝ている女性は・・・初めて会ったときは長かったブロンドを短く切り揃え、その身体は血に染まってた。

 ただ、その視線だけは固定されたように俺の背中だけを見ていた。

 

「・・・アリサちゃん、部屋を出よう。

 俺達には出来ることは、もう何も無い」

 

「・・・はい」

 

 泣きはらした顔のアリサを連れて、ナオが医務室から出て行く。

 そして俺の隣を通り過ぎ様―――

 

「『デス・リミット』をライザに使った。

 後、10分程の命だ」

 

 そう言い残していった。

 俺が視線を向けた先には、ライザが穏やかな顔で頷いていた。

 死にゆく身体を、暫しの間だけ繋ぎとめる薬『デス・リミット』

 すなわちそれは、ライザの命が確実に助からない事を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・悔しいわね、やっと辿り付けたのに、息子を抱けないなんて」

 

「抱けば良い、お前にはその資格がある」

 

 背中から赤ん坊を下ろし、興味深げにライザを眺めるその子を抱かせようとした。

 しかし、ライザは力なく首を左右に振る・・・

 

 そして自分の血で濡れた両手を俺に見せて、己を嘲笑うように話を続けた。

 

「見てよ、血塗れのこの両手を・・・私の人生そのものだわ。

 もし、神様なんて気の利いた存在が居れば、他人の血で汚れた私の手を見せてるのよ。

 お前はそんな手で、自分の息子を抱くのか? ってね。

 ―――こんな手でこの子を抱けない、抱いてはいけないのよ」

 

 嘘だと俺にも分かった

 ライザの目は、一時として彼女の息子から離れた事は無く。

 また震える両腕が、その内心の葛藤を物語っていた。

 

 だからこそ俺は、無言のままその両腕に赤ん坊を押し付けた。

 ライザに残された時間は残り少ないのだから・・・

 

 そして、赤ん坊を両腕に感じた瞬間、ライザは涙を流しながらその胸に掻き抱いた。

 二度と離さないないとばかりに、しかし限りなく優しい力で。

 

「・・・ごめん、ごめんね、ママ血塗れなんだ、汚れちゃったね。

 ずっと、ずっと、一緒に居るって約束したかったのに、それも無理なの。

 パパの事とか、色々と話してあげたかったのにね」

 

 赤ん坊の頬を指で擦り、その頬に血の跡が引かれる。

 そしてその血の跡を、ライザの目から流れ落ちた涙が注ぎ落とす。

 

 ・・・俺も彼女のこれまでの苦闘を、ナオから報告を受けている。

 

 女一人の身で、半年もの期間をクリムゾンの追っ手から逃れ続けるなど、最早奇跡に近い。

 俺でも何のバックアップも無しに、半年もの間逃げ続けるのは困難だろう。

 しかし、それを可能にしたのは・・・ライザの息子への想いである事は確かだった。

 

「だぁ〜、ぶ〜?」

 

 自分の頬を擦っているライザを不思議そうな顔で見る赤ん坊。

 その笑顔を見るたびに、ライザの顔が喜びと悲しみに歪む。

 

「ママね、凄く悪い人だったの、パパもそうだった。

 天罰ってきっと存在するのよ?

 だから貴方は・・・貴方は真っ直ぐに生きるのよ」

 

「だぁだぁ〜」

 

 手足を動かす赤ん坊の元気さを嬉しく思いながら、その成長を見る事は出来ない。

 そんな彼女の気持ちを、俺は痛いほど感じた。

 

「・・・私のトランクの内蓋の中に、特殊加工をしたデータディスクが隠されてるわ。

 それがクリムゾンの考えている計画よ」

 

「分かった」

 

 赤ん坊をあやしながら、俺に今回の取り引きの材料のありかを教えるライザ

 幸せそうな笑みに、俺は黙って頷く。

 

「この子、半年見なかっただけで随分重くなってるわ。

 成長が早いのね、赤ん坊って」

 

「だろうな、俺も驚いている」

 

 記憶の中の赤ん坊との違いに驚きながらも、その仕草や顔を忘れる事が無いようにとばかりに、赤ん坊を見るライザ

 実際、今の彼女の思考は赤ん坊の事しか無いのだろう・・・最後の最後まで。

 

「名前、付けてくれた?」

 

「俺の考えた名前は、仲間内では不評でな・・・お前こそ考えてなかったのか?」

 

「・・・ハヤト、それが私の考えたこの子の名前」

 

「良い名前だな、息子には名付け親が母親だと教えておいてやる」

 

 少なくとも赤の他人の俺よりは喜ぶだろう。

 俺の提案を聞いて、ライザの顔が満面の笑顔を造り出す。

 何処までも儚く、透明なその笑みに、俺は現実の残酷さを思い知る。

 

 ・・・彼女からすれば、それは初めてで最後の、息子への贈り物だから。

 

「ええ、この子をお願いね・・・」

 

 ライザの頼みを聞いた後、俺は医務室を出た。

 もう、俺が彼女にしてやれる事は何も無い・・・

 残された時間、彼女は魂にまで自分の子供の姿を焼き付けるだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室の外には、膝を抱えて泣いているアリサと、壁に背を預けているナオが居た。

 二人共憔悴した顔をしており、動く力もないみたいだ。

 ナオからすれば不意打ちとはいえ、女性を守れなかった事を憤り。

 アリサからすれば、一人の女性に対する運命の過酷さに、打ちのめされていた。

 俺はそんなナオの隣で同じように壁に背を預ける。

 

 ・・・お互いに、掛ける言葉など無かった。

 

 

 

 

 やがて、歌声が聞えてきた。

 俺が聞いた事が無い歌で、どうやら日本の歌でもなさそうだ。

 

「・・・これ、私がライザさんに教えた歌です。

 車で移動していた時に、自分は子守唄なんて知らないから・・・教えて欲しいって頼まれて。

 あんなに子供に歌ってあげる事を楽しみにしてたのに!!

 こんな、こんな結末って酷すぎます!!

 確かにライザさんの罪は許せません!!

 だけど、だけど、だからって!!」

 

 歌の邪魔にならないように、強く膝を抱えて泣き出すアリサに、俺もナオも掛ける言葉は無かった。

 時間だけが、何時もと同じ歩調で過ぎていく。

 

 そして、砂時計の砂は・・・総て無くなった。

 

 

 

 

 

 歌声が途絶え、静寂だけが俺達に届いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室のベットの上で、ライザは幸せそうに眠っていた。

 その腕にしっかりと愛する息子を抱えて。

 穏やかなその表情に、俺は逆に無力感を感じていた。

 そしてそれは、隣にいる二人も一緒だろう・・・

 

「うぇ、うぇぇぇぇぇんんん!!」

 

 俺達が医務室に入ってきた音に目を覚ましたハヤトが、泣き声を上げる。

 俺はライザの胸から、ハヤトを受け取りあやしながらその顔をライザに向けた。

 不思議そうに動かないライザの頬を叩くハヤト

 

「だぁ、ばぁ〜、あう〜」

 

「よく覚えておけ、これがお前を世界で一番愛した女性だ。

 お前の為に命を投げ出し、お前の為に生きようと足掻いた。

 忘れるな、自分が力の限り愛されていた事を」

 

 

 

 

 

 

 

 母親の血に汚れたハヤトの、不思議そうな顔を見ながら俺も誓った。

 必ずハヤトを守りきってみせると。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十六話に続く

 

 

 

 

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