< 時の流れに >

 

 

 

 

 

第十六話 『再臨』

 

 

 

 

 

 

 

     ジリリリリン!!

                    ジリリリリン!!

 

 頭の芯を貫くようなベルの音に、俺の意識は否応無しに覚醒させられた。

 これが目覚し時計のベルならば、その場で止める事も出来るのだが・・・

 

 生憎と、このベルの発信源は俺が趣味で取り付けたアンティークな電話機からだった。

 

「はい、もしもし・・・」

 

 寝癖のついた頭をかきながら、俺は寝転がっていたソファの上から受話器を取る。

 狭い事務所に置かれた、小さなソファに収まりきらない足がプラプラと宙に浮いている。

 昨日は悪友達と羽目を外して飲んでいたせいで、2階にあるベットにまで歩く気力は無かったのだ。

 勿論、着ている服も昨日のままだ・・・ああ、シャワーが浴びたい。 

 しかし、11月に入ったら朝が肌寒くなったな〜

 

 げ、一張羅のスーツに変な染みが付いてら

 

『健二か、相変わらず朝は弱いみたいだな』

 

 受話器から聞えてきたのは、俺の良く知る人物

 6歳年上の兄貴・・・日向 隆一(ひゅうが りゅういち)からの電話だったのだ。

 

「・・・兄貴か、今更この不忠義者に何の用だよ?」

 

 相手の第一声により、俺の意識は急速に醒めていった。

 つまらない用件なら電話の相手を怒鳴り散らしてやろうと思っていたが、予想外の相手により出鼻を挫かれた。

 しかし、兄貴から電話をしてくるとは・・・お嬢様に何かあったのか?

 

 自分の脳裏に浮かんだ不吉な考えを振り払うように、兄貴の次の言葉を聞き逃さないように集中する。

 

『先日、お前がネルガル関係の人間と接触したと、諜報部から報告を聞いたのだが?』

 

「ああ、その事か。

 別に、昔の知り合いに頼まれて人探しと、案内をしてやっただけだ。

 とくにネルガルの人間と親しくしてたわけじゃないさ。

 兄貴なら知ってるだろう、俺の今の仕事くらい?」

 

 余り重要な内容ではなさそうなので、心の中で安堵の溜息を吐きながらソファから身を起す。

 そのまま受話器を肩と頭部で固定をし、事務所に備え付けの冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出す。

 ・・・さすがに、迎え酒をするつもりにはなれない。

 

 ちなみに受話器はコードレスだ、見た目はレトロでも最低限の機能は有している。

 勿論、職業柄それだけじゃないんだがな。

 

『元明日香インダストリー諜報部の精鋭も、随分と自堕落になったものだな』

 

「うっせい、その諜報部のトップである兄貴が、この愚弟に何の用なんだよ?」

 

 コップに注いだお茶を飲みながら、兄貴の愚痴に茶々を入れる。

 確かにあの頃は会社の利益と、何よりお嬢様の側に居れる事に満足をしていた。

 諜報部を辞めた今も、明日香インダストリーという会社自体には愛着すら感じている。

 ・・・ただ、あのまま同じ仕事を続けるには、俺には辛すぎる環境だったのだ。

 

 あ〜、古傷を抉るような事、思い出させやがって!!

 

「近況報告ならまた今度聞かせてやるさ!!

 とにかく、俺には俺の生活があるんだから余計な干渉は止してくれ!!」

 

 そう言い捨てて、電話を切ろうとした俺に、兄貴の低い声がストップをかけてきた。

 

『ならビジネスの話をしよう。

 お前に一つ頼みたい仕事がある』

 

「・・・内容と報酬によるな。

 兄貴を信用しない訳じゃないが、最近の企業間の諜報戦に関わるつもりは無いぜ。

 ネルガルもクリムゾンも、裏の世界では派手に動いてるみたいだしな。

 そこに明日香インダストリーが介入する以上、小競り合いで終わりはしないんだろう?」

 

 最近裏の世界は活発に動いている。

 表の世界の平穏が、どれだけ偽りに満ちている事か。

 そして確実に、その流れは大きな澱みを作り上げていた。

 

 その大元にあるものは―――木連の人間に対する憎しみだ。

 

 幾ら奇麗事で塗り固めても、地球側からすれば無差別大量殺人の犯人は木連の人間だった。

 彼等が100年前に月から逃げ出した独立派の人間だろうと、そんな事は問題では無い。

 今、この時に、被害者となっている地球側の感情がそれだ。

 統合軍では明らかに木連の軍人と、連合軍の軍人で内部で対立を起している。

 移住の始まった火星でも、地球人と木連の間で諍いが絶えない。

 大体、理性や理屈で解決できる問題ならば、戦争など起こるはずが無いのだ。

 

 人間だからこそ、感情に従い、感情のままに動く。

 

 この和平の最大の失敗は、お互いの陣営から支持されるような強力な指導者を作らなかった事だろう。

 ま、そうそう戦時に相手の尊敬を勝ち取るような英傑が生まれるとは思わんがな。

 

『内容はロバート・クリムゾンの孫娘であるアクア・クリムゾンの護衛だ』

 

「ちょっと待て!! もう一度言ってみろ!!」

 

 聞き間違いでは無いかと、俺は思わず兄貴にそう叫び返した!!

 その序に急いで盗聴されていないか回線のセキュリティに目を通す。

 兄貴がそんなヘマをするとは思えないが、自分の身を守るために確認は怠る訳にはいかない。

 

『盗聴なら大丈夫だ、こちらのセキュリティに不備はない・・・今の所はな。

 俺からの依頼は、クリムゾン・グループのロバート会長の孫娘である、アクア・クリムゾンの護衛を頼む。

 ある偶発的な事件により、我々はアクア・クリムゾンの身柄を確保した。

 しかし、明日香インダストリーとしては彼女の身柄を押えている事をクリムゾンには知られたくない。

 詳しくは話せないが、現在のクリムゾンに情報戦で勝てるのはネルガルだけだ。

 我々が身柄を隠していても、直ぐに居場所を突き止められるだろう。

 ・・・そこで、現在は独立した探偵業を行なっているお前に頼む事にした』

 

「・・・思いっきり厄介事じゃね〜か」

 

 額を手で覆いながら、俺はそんな嘆息をした。

 ・・・決めた、断ろう。

 

『報酬はそうだな・・・言い値の金額でも、お前は納得しないだろうな』

 

 当たり前だろうが、個人で企業に挑めと言ってるようなものだぞ。

 兄貴の話を聞きながら、何時このふざけた依頼の電話を切ってやろうかと、俺はタイミングを計っていた。

 

『・・・カグヤお嬢様との対談、と言うのはどうだ?』

 

 受話器を握る手に力が篭もった。

 

「兄貴の口から、そんな提案が出るなんてな。

 ・・・俺がお嬢様に手を出そうとした事は知ってるだろう?

 お嬢様の恩情と今までの功績、それと未遂という事で旦那様から始末される事は無かったが。

 ―――今更、どんな顔でお嬢様の前に出ろと言うんだ」

 

 2年前に犯した馬鹿な行いは、今でも俺を苦しめる。

 だが、あの時はそうしなければ自分がおかしくなりそうだったのだ。

 俺は護衛対象のはずのお嬢様に・・・カグヤ様に恋をした。

 朝に昼に夜に、常にその身辺を守る者として、抱いてはならない感情だった。

 ・・・勿論、そんな俺の状態を知れば兄貴は俺をカグヤ様の警備から外していただろう。

 俺はその時に既に完全にカグヤ様にベタ惚れ状態だった。

 引き離されたくない一心で、兄貴にもばれないように必死に自分を律した。

 

 しかし、積り積もった想いは最後に弾けた・・・それは感情である以上、仕方が無い事かもしれない。

 

 今でも押し倒した女性の身体の柔らかさを覚えている。

 抱き締めた時に、俺を睨みつける黒瞳の美しさも。

 毅然としたその表情を最後に、俺は兄貴の一撃により意識を失った。

 

 ・・・何て事は無い、兄貴は随分前から俺の心の内に気付いていたのだ。

 

 結局、兄貴と旦那様の間にどんなやりとりがあったのかは分からない。

 ただ、お嬢様の口添えもあり、俺は護衛の任を解かれだけですみ始末をされる事だけは逃れた。

 しかし、自分の行いを恥じた俺は、旦那様に頭を下げて明日香インダストリーを辞めた。

 

 今振り返っても、惨め過ぎる過去だ。

 あの場でお嬢様に殺されていた方が、いっそスッキリしてたかもしれない。

 

 だが、今―――俺はこうして生きている、後悔の念に塗れながら

 

『お前、お嬢様に面と向かって謝罪はしていないだろうが?

 前科者がお嬢様の前に立てる最後のチャンスだぞ。

 ・・・ケジメを付けなければ、前には進めん性格だったよな』

 

 流石兄貴、嫌になるくらい弟の性格を見抜いてらっしゃる。

 俺の顔に苦笑が浮かぶ。

 

「報酬は魅力的だが。

 最後まで生き残ってる保証は限りなく低いぜ?」

 

 荒事はそれなりにこなせるが、裏の世界ではそれほど強い方ではない。

 どちらかと言えば、俺は諜報戦・・・偵察とか潜入が一番得意なのだ。

 護衛の任務には、正直に言えば向いているとは言い難い。

 

『アクア・クリムゾンを狙っているのは、クリムゾングループの中の一部にすぎん。

 お前の得意な諜報戦に持ち込めば、充分に持ち堪えられる。

 戦う事より、逃げ続ける事を選べば充分だ。

 どうせ、その棲家の周辺にも色々とトラップを仕掛けているんだろう?』

 

「御名答、とそんな事はどうでもいい。

 ・・・なんだか裏が有りそうなんだが」

 

 孫娘の失踪に対して、全力で捜査をしないと言い切る兄貴に、俺は不信感を抱いた。

 どうやら、かなり複雑な動きがクリムゾンにあるみたいだ。

 

『この世界、裏の無い依頼があると思うか?』

 

「・・・自分で調べろ、って事ね。

 良いだろ受けるよ、その依頼」

 

 お嬢様にもう一度会える・・・俺にとって充分な動機じゃないか。

 この依頼を断っても、兄貴は責めないだろう、それだけ無茶な依頼なのだから。

 しかし、この機会を逃せば―――もう二度と、お嬢様と会う事は不可能になる。

 

 なら、悔いが無い人生を送る為には・・・賭けに乗るしかない、か。

 

 何より、この依頼・・・退屈だった日常を覆す予感に溢れていやがるしな。

 

『ふっ、頼んだぞ。

 またこの件が終ったあとで、二人で呑みに行くか』

 

「勿論、奢りだよな?」

 

『当然だ』

 

 兄貴のその言葉を聞き終えた後、俺は受話器を置いた。

 依頼を受けた以上、直ぐに兄貴は動くだろう。

 

 ・・・さて、忙しくなりそうだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2に続く

 

 

 

 

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