< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 タンタンタン・・・・

 

 まな板に包丁がぶつかる音が聞える。

 私はその音を聞いて、意識を覚醒した。

 

「・・・私の部屋、だな」

 

 身を起こした事により、額に置かれていたと思われるタオルが目の前に落ちる。

 そこで私は自分が風邪をおして職場に出かけ、その後で意識を失った事を思い出した。

 最後に聞いたのは、イネス君の叫び声だったかな?

 

『タニさん!! しっかりしてください!!

 ちょっと、誰か救護班を呼んで!!』

 

 恥かしい話だが、自分で自分の体調を理解していなかったのだな。

 

 その時、一人暮らしには充分な広さを持つ2LDKの部屋に、食欲をそそる匂いが満ちてきた。

 どうやら、職場の人間が私の看病の為に来てくれているみたいだ。

 頭痛を訴える頭に顔を顰めつつ、私は殆ど使っていないキッチンへと足を運んだ。

 

 ・・・そこに居たのは、意外な人物だった。

 

「目が醒めたのか?

 風邪をひいてるのに、倒れるまで仕事をするなんて無茶のし過ぎだぞ」

 

「か、万葉?

 どうしてここに?」

 

 私の娘であり、妻の生き写しの姿をした万葉が、エプロン姿で菜箸を突きつけながらそう怒っていた。

 彼女に自分が父親だと名乗ってから結構な時間が経っていた。

 ・・・良くも悪くも、既に大人の女性である娘は最初はショックを受けたものの、その後は私とは距離を置いていた。

 時たまネルガルの私の職場に顔を出す事はあっても、この私の部屋まで顔を出した事は一度も無かったのだ。

 

「もう直ぐおかゆが出来るから、部屋で待っててくれ。

 それに出歩くにしても、何か羽織ってないと身体に障るぞ?」

 

 菜箸で鍋の中の炒め物を掻き混ぜながら、万葉がそう注意をする。

 そのリズミカルな動きに合わせて、ポニーテールにしている黒髪が左右に揺れる。

 その時私は不覚にも、亡くなった妻の姿を思い出し・・・少し涙ぐんでしまった。

 

「・・・木連で戦闘訓練ばかりしてたから、そんな家庭的な事は出来ないと思ってたんだがな」

 

 それは私の親心からの質問だった。

 

「馬鹿にしないように。

 家事一通りは、木連の女性は当然身につけている。

 舞歌様も料理の腕に関しては、そこら辺の下手な料理人より腕は確かだ」

 

 おかゆの出来具合を確かめながら、そんな返事をする娘の姿を、私は飽きもせずに眺めていた。

 妻を失った時、私には研究しか残されていないと思っていた。

 研究所で知り合い、そして研究所の実験で別れた妻。

 どんな悪戯な運命が動いたのか知らないが、今の私にはその妻に瓜二つの娘が居る。

 ある意味、幸福なのだろうな・・・

 

 ふと、疑問に思った事を娘に聞いてみる。

 

「では、あの北斗殿も料理が出来るのか?

 枝織殿なら得意そうだが」

 

 あの真紅の羅刹が料理をする姿は、どんなに想像力を働かしても思い浮かばないのだが。

 ・・・血染めの刀があれほど似合う女性は、そうそう居ないだろう。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・命が惜しかったら、本人の前でその事を言わないように」

 

 たっぷりと5分位は固まった後、搾り出すような声で私の質問に答える。

 どうやら、触れてはならない話題だったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、寝室からジャケットを持ってきた私は、キッチンの隣にあるダイニングに移動をした。

 テーブルの側の椅子を引き出して、急がしそうに動く娘を見ていた。

 

 ・・・万葉にも、私にも共通の過去の思い出など存在しない。

 ただ血が繋がっているだけの存在とも言える。

 だが、この娘には確実にあの妻の・・・少々お節介焼きの血は流れているのだろう。

 

「しかし、どうして急にこの部屋に来たんだ?」

 

 『今まで避けられていると思っていたが?』―――その台詞はさすがに話さない。

 

「・・・貴方が倒れたと連絡を受けた時、ガイの奴がどうしても行けって背中を押したから。

 それにヒカルの奴も、記憶になくとも親は親だって言われて。

 その後で、二人揃って今行かないと、この先も顔は出せないぞ、って凄い剣幕で怒るから」

 

 私はかなりの衝撃を受けた。

 ヒカルという女性の心配りが嬉しくもあったが。

 あの男にそこまで気を回す事が出来たとは!!

 

 ・・・ナデシコでの資料や、他人から聞いた彼の性格を聞く辺り、そんな気配りが出来る男性とは思ってもいなかったからだ。

 私の表情からその考えを読んだのか、万葉は手を腰に当てて怒り出した。

 

「勘違いしてるみたいだから言うけど、ガイはそんなに考え無しじゃないぞ。

 確かに他人の意見を聞かない男だけど、それは自分の中の譲れない部分が絡んでいるからだ。

 私みたいな兵士ににとって、背中を預ける事が出来る存在がどれだけ貴重なのか・・・

 科学者の貴方には分からないかもしれないけど」

 

 ムキになってあの男を庇うその姿に、微笑ましいもの感じた。

 敵味方に分かれて戦っていた二人が、何の因果か恋人同士の関係になったのだ。

 色々と問題のある男だと聞いているが、良くも悪くも裏表の無い人間だとも評価されていた。

 

「確かに、私には理解できない事なんだろうな・・・

 ましてや命のやり取りをした仲だからな、君達は。

 ―――楽しいか、地球での生活は?」

 

「勿論気に入ってるよ、凄くね」

 

 そう言って娘は初めて笑顔を私に見せてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ガラガラ・・・

 

「ちわ〜」

 

「こんにちわ、ホウメイさん!!」

 

 お昼の掻き入れ時の少し前に、暖簾を分けて入って来た二人に私は笑顔で返事をした。

 背が高く、黒髪を立たせた男らしい顔付きの男と、それに寄り添うように立っている栗色の巻き毛の女性だ。

 二人とも少々厚着をしているところを見ると、店の外はそこそこに寒いみたいだね。

 

「やぁ、いらっしゃい!!

 ・・・おや、何時もより連れが一人少ないみたいだね?」

 

 鍋を振りながらチラリと見た客は、馴染みの客

 適当に空いているテーブルを見つけて、その席に座ったのはヤマダ ジロウとアマノ ヒカルだった。

 万葉がヤマダの家に居候をして以来、この三人が離れて行動をするのは珍しいね。

 

「ああ、何でも親父さんが風邪で倒れたそうだからさ。

 マンションの近くまで騙して連れて行って、そのまま放り込んできた」

 

 ヒカルが淹れてくれたお茶を飲みながら、そんな事を言うヤマダ。

 そういえばタニさんが倒れたと、昼御飯を食べに来ていた会長とミスターが話していたね。

 

「説得が大変だったよ〜

 万葉ちゃんも、変に意地を張るんだから」

 

 メニューと睨めっこをしながら、こちらはちょっと不機嫌そうにこぼす。

 まあ、ヒカルの両親が既に居ない事を考えると、その感情も仕方が無いことかね。

 

「20歳にもなって急に実の父親が出来たんだ、そりゃあ色々と思うことがあるさね。

 それより、注文する品は決まったのかい?」

 

 メモ張を片手に私がカウンターの中から声を掛ける。

 ヤマダは既に決めていた・・・と言うより、何故かこの男は同じ料理しか頼まないんだけどね。

 

「俺、何時もの焼肉定食

 勿論、大盛りで頼むぜホウメイさん」

 

「私、照焼きチキン丼・・・って、またメニュー増えたんだね、ホウメイさん」

 

「なあに、料理も日々精進が大切なのさ」

 

 ズラリと並んだお品書きに、新に書き足されている部分を見てヒカルがそんな感想を言ってきた。

 その後、注文の品を作る為に私が厨房に戻ると、また新しいお客さんが店に入って来た。

 

 

    ガラガラ・・・

 

 

「こんにちわ〜」

 

 新しいお客さんは、長い黒髪をそのままストレートにして背中に流している女性が一人だった。

 ちなみに、この女性も私の顔見知りだ。

 

「いらっしゃい」

 

 私が笑顔でそう返事をすると、その女性に気が付いたヤマダとヒカルが声を掛ける。

 

「お、イツキじゃね〜か?

 今日は一人なのか?」

 

「あ、本当だ。

 久しぶりだね〜、イツキちゃん」

 

「本当、久しぶりですね。

 でも、私も一人で出歩く事もありますよ」

 

 二人の質問に苦笑をしながら応え、同じテーブルに座って良いかと視線で問い掛ける。

 その視線を受けたヒカルが頷き、イツキはヒカルの隣の椅子に座った。

 先にヤマダ達が座っていたテーブルは、4人掛けのテーブルなので充分なスペースはある。

 

「で、注文はどうするんだい?」

 

 これまたヒカルが淹れてくれたお茶を飲み、一息付いたイツキに私がそう声を掛ける。

 それを聞いて少しだけ悩んだ後、イツキはカレーを頼んできた。

 

「う〜ん、悪いけどあんたの好みの辛さは作れないよ?」

 

 残念だけど私にはあの辛さは作れないね・・・味見もできないしさ。

 

「あ、別にそれでかまいませんよ」

 

「ふ〜ん、イツキちゃんも辛い物に妥協をするようになったんだ」

 

「いえ、近頃は手製のスパイスを持参してるんですよ。

 結構自信作なんですけど、ヤマダさん一振りどうです?」

 

 そう言いつつ、ハンドバックから胡椒入れのようなモノを取り出すイツキ。

 

 だがそれを見た瞬間、目の前の焼肉定食を必死に隠すヤマダ。

 イツキの隣に座っているヒカルも、引き攣った笑みをしていたもんさ。

 

 ・・・・・ま、気持ちは良く分かるけどね。

 

「・・・・・・・・・・何ですか、その反応は?」

 

「・・・・・・・・・・いや、極々当然の反応だと思うぞ」

 

 そうしてイツキの頼んだ料理を私が運ぶまで、睨み合う二人だった。

 その後はヒカルが仲裁に入った為、和やかに昼食を楽しむ3人がいた。

 元々は命を賭けて戦った戦友同士だし、お互いの良い所も悪い所も心得てるって事さね。

 

 

 

 

 そして昼時になれば、この店は客で一杯になる。

 広告などは出していないが、口コミで結構な数の馴染みの客が出来てるからだろうね。

 私としても、自分の料理を美味いと認めてくれる客が多い事は嬉しい事だ。

 だけど、店を大きくしたりするつもりは無いし、他の料理人を雇うつもりも今は無いね。

 私はこの小さな店が、一番気に入ってるんだ。

 

 

 

 

「・・・・・・辛くないんですか?」

 

「え、別になんともないですよ?」

 

 ふと視線を上げると、イツキが初めて見る客と話をしていた。

 4人掛けのテーブルに3人が座っているのだから、一人分空いている計算にはなる。

 どうやら店が一杯なので相席をしているみたいだね。

 

 その相席をした男性が、何故か赤色に染まっているカレーらしきモノを見て、つい質問をしてしまったようだ。

 背は高く180半ばだろう、無造作に伸ばした短い黒髪と焦げ茶色の瞳をしている。

 動き易そうなシャツにジーパン姿だが、結構痩せてみえる男性だった。

 ・・・年は20代半ば位かね?

 

「おいおい、無駄な質問だぜそれは。

 このイツキは舌の感覚が俺達とは―――」

 

 最後まで台詞を言う事無く、ヤマダはテーブルに額を付けて足の脛をおさえていた。

 ・・・机の下でイツキの蹴りが入ったらしいね。

 涙目でイツキを睨むヤマダだが、当の本人は涼しい顔をしている。

 

「て、てめぇ〜!!」

 

「はいはい、ヤマダ君は黙っていよう〜」

 

           ゴン!!

 

 大声で叫ぼうとしたヤマダを沈黙させたのは、ヒカルの手にあった急須だった。

 そのまま今度は頭を抑えてテーブルにつっぷすヤマダ・・・まあ、あの男なら数分で復活するだろう。

 

「こらこら、喧嘩は外でするんだよアンタ達!!

 それで、そこのお客さんは何を頼むんだい?」

 

「あの・・・珈琲を一つ・・・」

 

 気弱そうな顔に引き攣った笑みを浮かべる男性に、私は苦笑をしながら頷いた。

 どうやらナデシコでは極々日常となった光景も、普通の人には食欲を無くすような事らしい。

 

 

 

 

 

 

 しかし、その気弱そうな青年が起こした次の行動に・・・イツキが過剰に反応をした。

 

 

 

 

「貴方・・・どれだけ砂糖を入れるつもりですか?」

 

「え、何時もこれ位入れてるけど?」

 

 スプーンで6杯目の砂糖を珈琲に入れた時、堪り切れない様子でイツキがそう言った。

 珈琲はブラック派のイツキからすれば、この男性の行動はとても許せないものだったのだろう。

 隣に座っているヒカルも、何とも表現に難しい顔をしているし。

 

「そんな事だと、近い将来に成人病になってしまいますよ。

 だいたい良い大人が恥かしくないんですか・・・小学生ではあるまいし」

 

「え、それを言ったら君も胃を痛めて将来は大変だよ・・・肌の手入れとか」

 

 一人は額に青筋を浮かべながら、もう一人は気弱そうな声で精一杯に、そんな会話を交す。

 面白そうに観戦していたヤマダは、ヒカルに手を引かれてカウンターの前に移動をしていた。

 やっぱり良いコンビだね、この二人。

 

 その間にも二人の口論は静かにエスカレートしていた。

 

「ふふふふふ、自慢じゃないですけど私は自分の肌に自信がありますから」

 

「あは、あはははは、でもほら、余り辛い物を食べると舌が馬鹿になりますよ?

 それとも既に馬鹿になってるんじゃ・・・あわわわわわ、すみません、すみません!!」

 

 何故か笑顔のままのイツキに、慌てて頭を下げる青年。

 こちらからは笑顔しか見えないが、どうやら青年には違う顔に見えるらしい。

 

「そこまで言うのなら、このカレーを一口食べて確かめてみてくださいよ?

 私の舌が馬鹿になってるかどうか、それで分かるでしょ?」

 

「「死んだな、あの男(人)」

 

 カウンターの席に座っていたヤマダとヒカルが声を揃えてそう呟く。

 どうやら助けるつもりはないみたいだね。

 

「あううううううううう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 涙目で周囲に助を求める気弱げな男性・・・しかし、誰も救いの手を差し伸べようとはしなかった。

 店の客も突然のイベントに興味津々の顔で二人のやり取りを見ている。

 

 ―――残念ながら私は、今は調理中で忙しい。

 

「不本意そうですね?

 じゃ、私もその珈琲を飲んでさしあげますよ」

 

「いや、それは本末転倒では・・・はい、食べさせて頂きます」

 

 そして、二人は同時にそれぞれ相手の飲み物(?)に口を付けた。

 

 

 

「甘ッ!!」  「辛ッ!!」

 

 

           ドタッ・・・   × 2

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・自爆だな」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・自爆だね」

 

 呆れた顔で、同時にテーブルに倒れる二人にコメントをするヤマダとヒカルだった。

 店も騒ぎの一段落を見て、何時もの騒がしさを取り戻していた。

 

 そして次の瞬間、店の入り口に新しい客が現れた。

 

    ガラガラ・・・

 

「こんにちわ。

 やっと病人が大人しく寝たから出て来たんだが、ガイ、ヒカル居るか・・・・と、何をしている?」

 

「いや、まあ何をしてると聞かれても・・・どうしよう?」

 

「どうしようって・・・どうする?」

 

 ヤマダは長身の男性を、ヒカルはイツキを抱えたまま引き攣った顔で、万葉に逆に質問をしていた。

 私はそんな騒動を横目で見ながら、笑いを噛み殺していたのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その4に続く

 

 

 

 

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