< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 俺は溜息を吐きながら、目の前のベットに腰を降ろした。

 その瞬間、シーツに包まった状態の女性が、大きく身体を震わす。

 ・・・どうにもこうにも、やり難いもんだ。

 

「お嬢さん、少しだけでいいから何か食べてくれませんかね?

 このままだと、身体がもちませんよ」

 

 優しく話し掛けるが、全然反応は無い。

 以前、このお嬢さんに自殺願望があると資料で見た事があるが・・・それが再発でもしたのか?

 とにかく、運んできた食事を部屋に備え付けのテーブルの上に置き、俺は部屋を出た。

 

「兄貴の奴、とんでもない依頼をしやがって」

 

 廊下に出てから煙草に火をつけ、大きく紫煙を吸い込む。

 俺が兄貴に指定された場所に、アクア・クリムゾンを迎えてから既に3日・・・

 クリムゾン側からの大きな動きは無いが、油断はしていない。

 何しろ、俺が出迎えたアクア・クリムゾンは、他人の血を浴びて全身を真っ赤に染めていたんだからな。

 

 ―――多分、最後まで護衛に付いていた、シークレット・サービスの血糊だろうな。

 

「お嬢さん育ちには、少々キツイもん見せられたみたいだな」

 

 隠れ家の一つに連れて来て以来、最低限の言葉だけを喋り、ろくに食事も取らず・・・睡眠も充分ではないだろう。

 このままではストレスに押し潰され、駄目になるのは目に見えている。

 

「心のケアまでするほど、俺は勤労精神が旺盛じゃないんだぜ・・・兄貴」

 

 今の俺の立場上、相手に直接文句を言えない事がもどかしかった。

 

 

 

 

 次の日、お嬢さんの様子を見に部屋に行くと・・・ベットに問題の人物は居なかった。

 一瞬、狼狽をしたがテラスに続くドアが開いているのを見て、俺は急いでテラスに向かった。

 この隠れ家は海岸沿いにある別荘なのだが、上空からは森が邪魔で発見し難く、通行も不便な片田舎である。

 少なくとも、俺と兄貴以外にこの別荘の正確な場所を知る者は居ない。

 ・・・かと言って、そうそう油断をするつもりは無い。

 

「おいおい、自分が命を狙われてる自覚が無いのか?」

 

 俺の予想通りに、白いパジャマを着たお嬢様は、テラスの片隅で膝を抱えて座っていた。

 その瞳は固定されたように、目の前の海を眺めている。

 既に日は陰り、もう直ぐ夜になろうとしている時間だ。

 どうやら、日没の光景をずっと見ていたらしいな。

 全く、何を思い出していたんだか・・・

 

 虚ろなその視線に、俺は現在この娘がかなり危険な状態にある事を思い知らされた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・『死』って、全然綺麗じゃなかった」

 

「何だって?」

 

 ポツリと呟かれた言葉に、俺が反応して聞き返す。

 アクアは別に俺の反応など気にしていないかのように、数十秒黙り込んでから再び口を開いた。

 12月の冷たい風が、アクアのセミロングの髪の毛を弄ぶ。

 

「皆、私の目の前で殺されました。

 腕を吹き飛ばされたり、拳銃で頭を撃たれたり、お腹からはみ出す内蔵を押さえ込んだりしながら。

 全然、全然綺麗じゃなかった!!

 血塗れで!! 不細工で!! 汚くて!!」

 

 『死』に対する美化、か。

 何に憧れるかは本人の自由だが、このアクアの想像する『死』と、現実の『死』は違いすぎた。

 ましてや虐殺現場に居合わせたのなら、当然の結果か。

 

 静かに嗚咽を漏らすアクアの背中に、俺は自分の着ていたスーツの上着をかぶせた。

 ここで下手に風邪をひかれたら面倒だし、何より逃亡する時に困るからな。

 一番手っ取り早いのは、部屋に場所を移す事だが・・・動きそうにないしな。

 

 俺が煙草を2本吸い終わるまで、アクアは泣き続けていた。

 

「お嬢さんよ・・・あんた、今まで本物の死体を見た事が無かったんだろ?」

 

「・・・はい」

 

 殆ど聞き取れないような声で、アクアは俺の質問に応えた。

 煙草の吸殻を、持参していたポケット灰皿に入れながら俺は話を続ける。

 

「俺が初めて死体を見たのは5つの時だ。

 6つ年上の兄貴と一緒に、親父の亡骸を見に行った。

 親父は明日香インダストリーの会長を守る為に、爆弾テロで身代わりになったのさ。

 ・・・想像できるか、人間のパーツで一杯の棺の中を?

 あれが本当に親父だったのか、俺も兄貴も分からなかった。

 だけど一つの区切りにはなった。

 親父がこの世から消えた、って区切りにはな」

 

 話が終ると、アクアが初めて俺の方に顔を向けた。

 泣きはらして真っ赤な顔をしているが・・・美人には違いない。

 その信じられないほど真っ直ぐな瞳に、ちょっとだけビビってしまった。

 

「・・・何故、そんなに簡単に割り切れたのですか?」

 

「ん〜、まあその頃には明日香インダストリー専用の護衛になる為に、教育を受けてたからな。

 俺の家系は言ってみれば、明日香インダストリーお抱えのシークレット・サービスなのさ。

 戦闘関連ではそこそこの腕しか無かった俺は、主に諜報関連を担当していたけどな。

 ・・・言い聞かされてたんだよ、何時、何処で倒れてもおかしく無い仕事だってな」

 

 親父もそうやって育った・・・勿論、兄貴も俺も。

 母親は顔すら知らない、もしかすると俺と兄貴には血の繋がりさえ無いかもな。

 それでも、今までの人生を兄弟として過ごしてきたんだ、それは『兄弟』と呼べる関係に間違いは無いだろう。

 

「親父の死体を見てつくづく思ったね、死ねば終わりだとな。

 どんな金持ちも有名人でも、死ぬ時は死ぬ。

 自殺も事故死も病死も他殺も、死ねば全部終ってしまうのさ。

 ・・・それを踏まえて、アンタを守る為に死んでいった奴の事を少しは覚えていてやれよ」

 

 その一言を聞いて、アクアは大きく目を開いて・・・再び泣き出した。

 どうやら、一番触れて欲しくない部分に当たってしまったらしい。

 

 結局、その後2時間もの間、俺は泣き続けるアクアに付き合ってテラスに居た。

 泣き疲れて眠ってしまったアクアを部屋に戻しつつ、先行きの困難さを思い知った。 

 

 

 

 

「本気で勘弁して欲しいぜ・・・兄貴」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儂が今執務室で対峙している相手は、血の繋がった孫だった。

 一時期、儂の元から逃げ出していた息子が、今の妻と結婚する前に生ませた子供である。

 面識は有った、だがそれは彼女が5歳の時の話だ。

 血が繋がっている事以外、特に興味を惹く存在ではなかったからだ。

 

 その後、監視を兼ねて生活の保障などは息子がしていたはずなのだがな・・・

 

「さて、お久しぶりですねお爺様」

 

 豪奢な金髪を背中になびかせ、赤いスーツを隙もなく着こなしている美人が儂にそう挨拶をする。

 

「・・・まさか、お前がここで出てくるとはな」

 

 先程叩きつけられた事実・・・

 我社―――クリムゾン・グループの株式の3分の1を握り、尚且つ儂の息子の持つ株を手に入れた女。

 

 それはこのシャロン・ウィードリンによって、クリムゾン・グループが抑えられた事を物語っていた。

 

「お爺様もそろそろ隠居をされたほうが宜しいでしょう?

 後は私がクリムゾン家を大きくしていきますわ」

 

 嫣然と勝ち誇った笑顔を儂に向けるシャロン。

 確かに世間に認知されていないが、血縁に当たるシャロンが儂の後釜になることは不思議ではない。

 年齢もネルガルの会長の事を考えれば、シャロンの就任への障害にならないだろう。

 ・・・息子は会社経営よりも芸術を好んだ、その結果、儂の後継ぎとしての資格を放棄したのだからな。

 

 そう、劇的ともいえる交替劇は何処の世界でもある。

 ましてや弱肉強食は儂の経営方針そのものだろう。

 だから儂も本来なら素直に身を引いたかもしれん・・・本来ならな。

 

「引退そのものに文句は言わん・・・言えん状況でもあるしな。

 儂が聞きたいのは二つだけだ、お前の後に居る男は何者だ?」

 

 執務室にある机に肘を付いたまま、シャロンの後に控える黒いスーツを着た男性を睨んだ。

 その男の顔を儂は知っていた。

 まず・・・この場に居るはずが無い存在だった。

 

 儂と目があったその男性が、嘲笑うような笑みを顔に浮かべる。

 

「シンジョウの事かしら?

 彼は私の大切なビジネス・パートナーですよ」

 

「初めましてロバート様、シャロン様の筆頭秘書を勤めているシンジョウ・アリトモと言います」

 

 深々と礼をするシンジョウに、儂は憮然とした顔をした。

 儂はシャロン一人で、ここまで見事な作戦が出来るとは思えなかった。

 確かに儂の血を引くだけあって、定期的に送られる報告書の成績はなかなかのモノだったが。

 これで数年間、実際の修羅場を経験したのなら、儂も後継者の一人として考えたかもしれん。

 ・・・だが、今は踊らされているピエロにしか過ぎん。

 

 それも操ってる相手は最悪と断言出来る相手だ。

 

「もう一つの質問だ、息子・・・お前の父親が儂に報告もなく、よく株を譲渡したな?」

 

 その情報があれば、ここまで窮地に簡単に陥るはずが無かった。

 

「ええ、馬鹿なもう一人の娘より、私の方がクリムゾンを継ぐのに相応しいと判断してくれました。

 私が何時までも日陰者でいる必要は無い、と励ましてさえくれましたわ。

 シンジョウもお父様の紹介で私の秘書になってくれたのよ。

 彼も私こそがクリムゾンの会長に相応しいと、色々と手を尽くしてくれたんです」

 

 嬉しそうに・・・本当に嬉しそうに微笑むシャロンに、儂は深々と溜息をついた。

 『日陰者』、この言葉がシャロンのコンプレックスの元だと分かったからだ。

 そしてなまじ頭が良いだけに、もう一人の孫であるアクアとの扱いの差に不満を抱いていたのだろう。

 だが、あの息子は儂に似ず博愛主義者だ、アクアを甘やかす一方で、シャロンの事も気に掛けていたはずだ。

 そのお人好しが、自分の娘を貶める発言をしただと?

 

 鋭い視線をシンジョウに向ける・・・そこには、酷薄な笑みを浮かべる男の顔があった。

 全ての糸を操っている男が、そこに居た。

 

「ああ、心配されなくてもお爺様の今後の生活は私が保障します。

 色々とクリムゾン・グループの為に敵を作られたそうですけど・・・それも全て私が引き受けますわ。

 お爺様は余生をゆっくりと楽しんで下さいね」

 

 さすがに突然の奇襲に少々後味が悪いのか、儂にそんな優しい言葉を掛けるシャロン。

 ・・・やはりあの馬鹿息子の娘だな、悪ぶっていても本質的には優しい女らしい。

 だが、そんな甘さがあるからこそ、シンジョウなどに隙を突かれる。

 そしてその甘さは、この世界に限って言えば必要が無いものだった。

 

「余生か・・・静かな湖畔で釣りをして暮らせ、とでも?」

 

「それなら猫など飼われたらどうでしょうか?

 気位は高いでしょうが、懐くと可愛いものですよ」

 

 シンジョウがにこやかに笑いながら儂に話し掛けつつ・・・視線を一瞬だけシャロンに向ける。

 既に儂に反撃の手は残っていない事を知り尽くした男は、言葉と視線でもって敗者を嬲っていた。

 最近のコロニー襲撃事件の後始末や、未だ木連の草壁と繋がっていると思われる重役を探すのに時間を掛けすぎたのだ。

 

 ―――なにより、我社に対する株操作に気が付くのが遅すぎた。

 

「さて、ではシャロン様の会長就任を通達しましょう。

 ロバート様はこちらへ・・・」

 

 そう言って儂を手招くシンジョウ、シャロンの視線は既に会長の椅子にしか向かっていなかった。

 ゆっくりと席を立ち上がり、シャロンが代わりにその席に座るのを見ながら、儂はシンジョウの開いた扉から執務室を出た。

 会長の椅子に座り、嬉しそうに微笑むシャロンの顔だけが閉じられた扉から見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・息子夫婦はどうした?」

 

 廊下を歩きながら、儂の前を歩くシンジョウに問い掛ける。

 儂に逃げられないように、既に背後にも数人の男性が控えている。

 

「何、貴方が研究させていたマインド・ブーストの一人の仕業ですよ。

 まあ、強力な暗示を受けて数日の記憶は無いでしょうが、元々経営には興味がなかったみたいですしね。

 何より・・・この世に居ませんし」

 

 先に逝ったか・・・儂の息子でなければ、もう少しマシな人生を送れただろうな。

 しかしマインド・ブースト達の研究は遅れていると聞いていたが、既にコイツ等の根はクリムゾンに深く食い込んでいたのか。

 

 そして執務室からエレベータに乗せられ、たどり着いたのは地下の駐車場だった。

 随分と広く感じる薄暗い空間で、儂に向かって振り向いたシンジョウの顔は、感情を押し殺した軍人の顔だった。

 

「しかし、逃げ出すなり騒ぐなりすると思っていたが・・・流石はクリムゾン・グループの会長といった所か?

 とてもじゃないが、あの息子と孫娘達の血縁者とは思えんな」

 

「今まで自分自身が行なってきた事だ。

 ―――その順番が回ってきただけだろう」

 

 胸を張ってシンジョウを睨みつける。

 その視線を受け、一つ頷いた後・・・シンジョウは隣に控えている黒服からブラスターを受け取った。

 そして無造作に儂の額に銃口を押し付ける。

 

 冷たい鉄の感触が、そのブラスターの存在感を儂に伝えていた。

 

「言い残す事はあるか?」

 

「お前達は・・・何の為にそこまでする。

 そして何を目指す」

 

 儂の最後の質問に対して、シンジョウはニヤリと口元を歪ませ―――

 

「全ては・・・草壁閣下が作られる、新たなる秩序の為に!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ――――――ドウゥゥゥゥゥゥンンン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この死体はどうするんすか?」

 

 駐車場に止まっていた一台のワゴンから、イマリが降りてくる。

 

「息子夫婦の自宅で、夫婦の亡骸と一緒に火事でも装え。 

 その方がシャロンも納得するだろう。

 ・・・それより、もう一人の孫娘の居場所は突き止めたのか?」

 

 倒れ伏したロバートを一度だけ見た後、興味が無くなったのか顔をイマリに向けるシンジョウ。

 

「人探しは俺向きの仕事じゃないッス」

 

 そのシンジョウの質問に肩を竦めるイマリ。

 確かに、相対する敵が居れば無敵の『魔眼』も、目標が隠れていれば意味が無い。

 それに何かと騒がしく、短慮な所があるイマリに、人の捜索という仕事は不向きだった。

 動かせる人手が少ないからといって、イマリにこの仕事を割り振った事をシンジョウは少し後悔した。

 もっとも、真面目に捜索などせずにワゴンの中で漫画を読むか、ゲームで遊んでいただけだと思うが。

 

 ―――そして、そんなシンジョウの予想は見事に当たっていた。

 

「まあ良い、なら次の作戦である妖精達の拉致を実行しろ。

 拉致が無理なら・・・殺せ」

 

「・・・へいへい、でもヤガミの兄貴って手応え無いんだよな〜」

 

 再びワゴンに乗り込むイマリを見送りながら、シンジョウは憮然とした顔をしていた。

 イマリの実力は認めているが、相手も只者で無い事を知っているからだ。

 だが自分が注意を促したところで、イマリがそれを素直に聞き入れるはずが無い事もまた、シンジョウは心得ていた。

 

 そんな二人のやりとりを横目に、部下達が黙々とロバートの死体を運び、血痕を消していく。 

 

 

 

 

「さて、そろそろ会長室に戻るか。

 堪え性が無いからな、あの猫には」

 

 

 

 ブラスターを部下に手渡し、何事も無かったように会長室に向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その5に続く

 

 

 

 

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