< 時の流れに >
「あ〜、眩暈が治らないな・・・」
ふらつく頭を小突きつつ、俺は備え付けの冷蔵庫からミネラル・ウォーターの入ったボトルを取り出す。
シャワーを浴び、寝汗を流して気分転換を図ったが、効果は無さそうだ。
タオルで頭を拭きながら、着替えを探して部屋をうろつく。
実家なら、こんな事にいちいち時間を取られる事なんてないんだがな。
「姉さんも何時帰れるか分からない状態だし、な」
先日の作戦が終わり、今は木連で割り当てられた部屋に俺は帰っていた。
・・・作戦が始まった今となっては、実家に帰るつもりになれなかった。
あの子煩悩の両親が、今頃どれだけパニックになっている事か、想像するのは容易い。
そんな事を思いながら、俺は冷蔵庫からミネラル・ウォーターのボトルを取り出した。
「ク、クククク・・・」
最早取り返しのつかない道に入っている身なのに、両親の心配などをしている自分が可笑しくて笑った。
ピンポーン
ボトルの中のミネラル・ウォーターを飲み干していた時、来客を告げるベルが鳴る。
尋ねてきた人物に心当たりがあったが、一応誰何の声を上げた。
「・・・誰だ?」
『俺だよ、何時まで寝てるつもりだ?
もう九重が朝御飯の準備を終えてるぞ』
扉のロックを外し、来訪者を迎え入れる。
そこには俺の予想通りの人物・・・一矢が困ったような顔で立っていた。
どうやら、俺を呼ぶように九重に頼まれて来たらしいな。
九重には甘いんだよな、コイツ。
「そう言うなよ、昨日の無茶が祟ってコンディションが最悪なんだからよ」
「・・・後先考えずに無茶するからだ。
確かにヤガミ ナオ相手に、純粋な体術では勝てない。
だからといって、ネルガル会長の単純な挑発にのって、ろくに目標も決めずに『ポイント』を使うからだ。
無理な能力発動は、後で反動が酷いと分かってるだろう?」
「うるせい」
空になったボトルを投げ付けつつ、俺は一矢を軽く睨みつけた。
だいたい、あのネルガル会長に姉さんは勿体無さ過ぎる!!
「その上、見事に奇襲をヤガミ ナオに防がれたんだから、立つ瀬がないよな」
自分に向かって飛んできたボトルを受け止め、俺の部屋の隅にあるゴミ箱に投げ入れる一矢。
そのニヤニヤ笑いを見る限り、俺の今の頭痛を知りつつからかっていると見た。
・・・この野郎〜
ガコン!!
ボトルがゴミ箱に入った瞬間。
俺は一矢の背後に意識を跳ばし・・・俺自身も跳ぶ。
『ポイント』―――言ってみれば瞬間移動という能力だ。
俺は自分の意識を跳ばして、ポイントを定めた場所に跳べる。
詳しい原理は分からないが、これが山崎の奴から受け取った俺の能力だった。
時間さえ掛ければ、意識の続く限りどんな場所にでも跳べる。
もっとも、意識自体はせいぜい全力疾走程度の移動速度しかないが。
幽体離脱と瞬間移動の合体版みたいだが、身体から長時間意識を跳ばすと、本体の生命活動が止まるという欠点もある。
・・・ま、本体が死んだ時、俺の意識がどうなるかなんて、試した事はないけどな。
先日のネルガル会長への奇襲は、殆ど瞬間的に意識を目の前に跳ばしたので、反動が凄かったのだ。
「先行くぞ」
「・・・お前なぁ、体調が悪いくせに能力を使うなよ」
呆れた顔の一矢を背後に引き連れて、俺は食堂へと向かった。
「あああ!! 俺の目玉焼き!!」
食堂にパジャマのまま現れたイマリが、特徴的な緑の目を大きく見開いて叫ぶ。
どうやら一瞬にして眠気は吹き飛んだらしいな。
「起きてくるのが遅いお前が悪い。
どうせ夜遅くまで、ゲームでもして遊んでいたんだろ?」
見せびらかすように目玉焼きを食べる俺を、殆ど親の敵のような視線で睨みつけてくる。
仲間内で最年少のこのイマリを、俺は弟のように思っていた。
「う〜〜〜〜〜〜、食べ物の恨みは恐ろしいっすよ!!」
腰を落として戦闘態勢をとるイマリに、俺は苦笑をしながら座っていた椅子から立ち上がって相対する。
・・・こうしてみると、俺の方がイマリより少し背が低いという現実が重く圧し掛かる。
一矢の隣の椅子に座っていた九重が、そんな俺とイマリの険悪な雰囲気を察してオロオロとしている。
イマリは俺の隙を伺っているが、お互いの能力は嫌と言うほど知っている。
俺はイマリの視線を正面から見ないし、イマリは俺の意識が抜け出す隙を見逃さないだろう。
ちなみに、単純な体術勝負では俺の圧勝だ。
「あの、一矢さん・・・止めてもらえませんか?」
「う〜ん、別に何時もの事だし。
あ、味噌汁お代わりね」
呑気に味噌汁のお代わりを頼む一矢に、困った顔をしながらもお椀を受け取る九重。
俺と同い年なのに、どうしてこうオジン臭いんだ、この男は?
「隙有りっす!!」
「―――ちっ!!」
ゴイン!! × 2
一瞬、一矢と九重のやり取りに気を取られた俺の隙を突き、イマリが突進をしてくる。
俺がその攻撃を避けようと身体を動かした時、頭部に凄い衝撃が走った!!
「・・・朝から元気なのは良い事だけど、食事中は静かにしてね♪」
「「・・・はい」」
顔は笑顔だが、目が笑っていない百瀬さんのゲンコツを前に、一瞬にして大人しくなる俺とイマリだった。
どうも、この人には逆らえないんだよな・・・俺。
結局、九重に新しく焼いてもらった目玉焼きを前に、笑顔で朝食をとるイマリ。
それを横目に眺めつつ、俺は食後のお茶を飲んでいた。
「あ、薬を忘れずに飲むんだぞ、千里」
「へいへい」
新聞を読みながらお茶を飲んでいた一矢が、俺に向かってそう注意をする。
それを聞いて、俺は自分の着ていた服のポケットから、白い錠剤を取り出して飲み込む。
妙に甘いその錠剤を、お茶を飲む事で無理矢理胃に流し込む。
俺の生命線であり、縛り付ける鎖でもあるこの白い錠剤
この錠剤が無ければ、俺は体内を駆け巡る特殊なナノマシンにより殺されるらしい。
本当か嘘かは確かめようが無いが、実際に能力の過負荷による頭痛を、この錠剤は取り除いてくれる。
そしてこの錠剤を作れるのが山崎だけという以上・・・これはやはり俺を縛る『鎖』だった。
「この前も薬を飲み忘れて、部屋で白目剥いてたすっよね」
「あの時は大変だったな、うん」
イマリの何気無い一言に、大きく頷く一矢。
「・・・なれて無いんだよ、悪かったな」
そんな二人に、俺は不機嫌な声で返事をしていた。
実は一矢も俺と同じ時期に、能力を手に入れた。
そして、その後で引き合わされたのが・・・百瀬さん、九重、イマリだった。
俺や一矢と違って、この3人はかなり前から能力を持っていたらしい。
そして、俺達5人は草壁閣下直属の実行部隊として、裏で活動をしていた。
チームが出来てから3年だが、今ではお互いの長所も短所もよく分かっていた。
俺達専用にあてがわれたこの部屋も、随分と住み慣れたものだ。
暫くの間、沈黙が俺達の間に広がる。
現状は、草壁閣下の作戦通りに運んでいる。
舞歌殿も軟禁状態だし、月臣殿が動けない現状では優人部隊も動きかねていた。
このまま上手く事が運べば、木連が地球の奴等に鉄槌を下す日も近いだろう。
・・・ただ、地球に姉さんが居る事が、俺にとって最大の懸念事だった。
「・・・百瀬姉さん、あのナカザトって奴と『ホスセリ』で会ったんだって?」
「まあ、ね」
拗ねた目で百瀬さんを見ながら、そんな話を切り出したのはイマリだった。
食べ終わった朝食の皿を積み重ねつつ、憮然とした表情を崩そうとしない。
「どうしてあんな、何の取り得も無い奴を気にするんだよ」
九重から手渡された例の錠剤を飲み込みながら、本当に不思議そうに尋ねる。
それを聞いた百瀬さんは、微かに笑顔を作っただけで、何も言わなかった。
「・・・訳が分からないっす」
ご馳走様、と言い残してイマリは席を立った。
自室に向かうイマリの姿を追い掛けながら、俺も自分の姉の事を考えていた。
迎えに来た相手は大企業の会長だった。
罠だと知りつつ敵地に来た以上、生半可な気持ちではないと分かる。
だが・・・・・・・本当に姉さんに相応しいのか、あの男は?
「全く、二人揃ってシスコンなんだからなぁ」
ズズズ・・・
お茶を飲みながら、ポツリとそんな事を呟く一矢。
ジロリ、と俺が睨みつけると、タイミング良く新聞で自分の顔を隠す。
「さてと、そろそろ私はハル君とラビスちゃんを迎えに行こうかな」
「あ、私も一緒に行きます」
出かけようとする百瀬さんを、イマリの食器を片付けていた九重が呼び止める。
それを聞いて、百瀬さんは手をヒラヒラとして早くしろと催促をしていた。
九重は食器を台所に運ぶと、慌てたように百瀬さんの後を追おうとして・・・躓いた。
そして、慌てて床に手をつこうとした九重の身体が、空中で止まる。
「そんなに急がなくてもいいって。
百瀬さんは、何時も十分に余裕を持って動く人だからさ」
「は、はい・・・気を付けます」
空中で浮いている九重が、苦笑をしながら一矢に向かって頷いていた。
目が見えない九重は、独特な方法を使って周囲を『見て』いる。
それと本人の資質か分からないが・・・よく転ぶ、躓(つまず)く、こける。
一矢が目が離せないとぼやく気持ちは、俺にも良く分かった。
その当人は九重の返事を聞いて、一つ溜息を吐いた後。
一矢が指を動かす軌跡に沿って、九重が百瀬さんに向かって空中を移動する。
「慌てなくても大丈夫よ。
まだ、時間の余裕はあるんだから」
「たはははは・・・」
小柄な九重の身体を受け止めた、百瀬さんが苦笑をしながらそう言った。
九重はばつが悪そうに笑った後に、百瀬さんと手を繋いで玄関に向かう。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
「気を付けてな〜」
二人を送り出した後、俺は再び自分の考えに没頭する。
地球側・・・この場合はネルガルの『切り札』とも言えるマシンチャイルドの攻撃は、既に無効となった。
そして、こちらが生体跳躍を司るあの『遺跡』を保持している以上・・・負けはない筈だ。
―――だが、何故か引っ掛かるモノがある。
あの『真紅の羅刹』と言えど、今の北辰殿には勝てないだろう。
それは予測ではなく、決定事項だった。
俺達も戦い方によっては、『真紅の羅刹』の動きを封じる事くらいなら出来るはずだ。
そして何より、舞歌様を人質にしている以上、そうそう無茶な事はしないと思う。
彼等が絶対と信じていた『もう一つの歴史』すら、今では此方の予想内の事だ。
まだ謎の勢力が存在する事は確かだが、それも大した障害にはならない事は『ホスセリ』で分かった。
圧倒的に優位なこの状況で、何を不安に思う事があるだろう?
「・・・全ての事象に関わってる『人物』の登場がまだだな」
バサッ!!
読んでいた新聞を折り畳みながら、そんな事を呟く一矢。
新聞の見出しには『草壁閣下、ついに起つ!!』、が大きく赤文字で書かれていた。
それを目にした俺は、思わず苦笑をした。
「・・・出てくると思うか?」
一矢の言っている人物が誰なのか、俺には直ぐに分かった。
俺の考えを読んだように、俺にも一矢の言いたい事はすぐに分かる。
「さあ、な。
でもそろそろ出てくると思うぞ、『漆黒の戦神』殿もな。
俺は是非見てみたいな、これだけの事態を引き起こした本人をさ」
興味無さそうに呟く一矢だが、目は笑っていなかった。