< 時の流れに >
目的地に向かって移動している以上、何時かはその場所に到着するものです。
鉛のように重い身体でも、その歩みを止める事が不可能な以上・・・
やがてユリカさんを含む私達6人は、一軒の白い家の前で立ち止まりました。
周囲の寒さを示すように、私達の吐く息は白く、心と同じように身体からも徐々に体温が奪われていきます。
「・・・ここが、ナオさんとミリアさんの家なんだよね、ルリちゃん?」
「・・・ええ、そうです。
間違い無いですよね、レイナさん?」
「・・・間違いないわ」
意を決したユリカさんが、白い手袋に包まれた手を強く握り締め、私にそう確認をしてきます。
私は小さく頷きつつ、少し背後を歩くレイナさんにも確認をしました。
レイナさんは自分は絶対に行くと、最後まで主張をしていた為、この場におられます。
そのレイナさんの言葉を聞いた瞬間、右手で握っていたラピスの手がピクリと動きます。
ナデシコBの自室で待つようにと言ったのですが、私がユリカさんに同行する事を知って、一緒に付いて来たのです。
深緑のダッフルコートに身を包み、一言も話さずに私達の後を付いてくるラピスが、私には痛々しく見えました。
―――でも、それも仕方が無い事でしょう。
身近な人が消えていく悲しみは、そう簡単に癒される事はないのですから。
「ラピスちゃん、無理をしなくてもいんだよ?」
「心配しなくても、ここはグラシス中将の邸宅前でもあるんだ。
そうそう下手な真似をする奴はいないさ」
私達の護衛のため、一緒に付いて来たサブロウタさんとジュンさんが、そうラピスに話しかけます。
ナデシコBは、ここから車で30分ほどの空港で、ジニアと一緒に停留中です。
本当はもっと沢山の方が来たがっていたのですが、そこはユリカさんが説き伏せました。
それに大勢で押しかけたところで・・・これからミリアさんに話す事実が救われる事は無いのですから。
ましてや、そのミリアさんが妊婦である以上、この事実を話す事が正しいのかどうか、全員で悩みましたが。
しかし、それはこの先の『火星の後継者』との戦いを考え、私達が訪問できるうちに会いに行こうという事になりました。
それが、メモに一言だけ託されたナオさんの遺志に添うことになると、私達は思ったから・・・
小さく自分に気合を入れた後、ユリカさんが目の前のチャイムを押します。
来客のベルが鳴り、聞き覚えのある女性の声で、返事が返ってきます。
パタパタとスリッパが床を叩く音が近づき、玄関のドアが開かれました。
「あ、皆さん揃ってどうしたのですか?」
「ミリアさ〜ん、来客なら私が出ますよ・・・って、あれ?
ルリちゃんに艦長、それにラピスちゃんまで、どうしたの?」
暖かそうな赤いセーターを着たミリアさんの背後から、サラさんが不思議そうに私達を見ます。
きっと妊娠したミリアさんを気遣って、この家に来られていたのでしょう。
自分達の来訪が、目の前で微笑んでいる二人に与える衝撃の大きさに、私は小さく身震いをしました。
そしてユリカさんが勢いよく顔を上げ、ナオさんの事を告げようとした時・・・
「ミリア!!
動き回ったりしたら駄目だって、さっき言っただろ!!」
「あ、でも適度な運動は必要だってお医者様が・・・」
「それはそれとして、身体を冷やしちゃ駄目だ!!
ほら、ドアを閉めないと部屋の暖気が逃げる!!」
バタン!!
私達の目の前のドアが、勢いよく閉じられます。
自分が見たものが信じられない私は、隣に立っていたユリカさんに顔を向けます。
・・・呆けてます。
ラピス・・・も、呆然としています。
レイナさんも同様です。
サブロウタさんとジュンさんも、目を白黒とされてます。
私が見たのは幻ではなさそうですね。
とりあえず現状を把握した私は、無表情に戻りながらナデシコBのハーリー君に連絡を入れました。
私の通信を受け、ナデシコBに待機していたハーリー君が直ぐに返事をしてきました。
『な、何かあったのですか、ルリさん?』
「ハーリー君、狩人(ウリバタケさん達)を30人ほど送ってください」
『は?』
「ターゲットは黒い背広にサングラスをした、死んだはずの陽気なコメディアンです」
『はぁ?』
「さて、貴方には黙秘権は認められていません。
また、私達の心に与えた傷はとても重く、この件を冗談として見過ごす事は不可能でしょう」
傍聴席の人達を含め、その場に居た全員(ミリアさんとサラさんを除く)が深く頷きます。
「・・・・・・・・・・・いや、まあ、確かにミリアの妊娠に浮かれて、連絡が遅れた事は悪かったけど。
一応、俺も怪我人なんだぞ?
っていうか、さらに怪我が増えてるんだけど?」
「この際それは問題にはなりません。
それに連絡を怠った人が、一番悪いです」
「・・・・・・・・・・・そなの」
ナデシコBのヴァーチャル・ルームで構成された裁判所で、死んだはずの男性が縛られていました。
半信半疑で駆けつけたウリバタケさん達も、その姿を見て喜んだ後・・・猛然と襲い掛かり、縛り上げてくれました。
それはもう、見事なまでに『血祭り』をしていました。
やはり、枝織さんを同行されてきた事が、一番大きいでしょう。
・・・ミリアさんの嘆願がなければ、入院コースだったかもしれませんね。
そして身重のミリアさんの身体を慎重に運び、私達はナデシコBへと帰ってきたのでした。
というわけで、現在は裁判中です。
カグヤさんやカインさんも、興味があるらしいのでこの場に足を運んでこられました。
ナデシコBの主要人物も、殆どが揃っています。
残念ながら、百華さんだけは未だ医務室のベットで眠られていますが。
「とにかく、問題を整理していきましょう。
一体あの『ホスセリ』で、何があったのですか?
それとナオさんは、どうやって地球に帰られたんです?」
「う〜ん、『ホスセリ』であった事か・・・思い出すのもしゃくなんだけど・・・」
怒りを押し殺した声で、『ホスセリ』であった事を話すナオさん。
その極限状態で迫られた選択肢を、私達は青い顔で聞いていました。
あの山崎の考えそうな『悪戯』ですが、本当に洒落になりません。
もし私がナオさんの立場だったら・・・どうしていたでしょうか?
「・・・そして、百華さんの脱出を優先されたのですか。
ですが、どうしてその状況下でナオさんも脱出が?」
「多分、ボソンジャンプをしたんだろうな〜」
ナオさんがサラリと言ってのけた発言に、聞いていた私達のほうが目を剥きます。
そして全員が視線で続きを促すと、ナオさんは自分の予想を話してくれました。
「研究室で見つけたCCなんだけどさ、後でイネスさんに見てもらおうと思って失敬してたんだよ。
突然虹色の光に包まれたんだが、意識を失う寸前に俺が考えていたのは、ミリアと俺のスィートホームだった訳だ。
で、気が付いたら目の前に本当に俺の家があるんだもんな、あの時は本気で驚いたもんさ」
ミリアが妊娠してると聞いた時は、その百倍驚いたけどな。
と、惚気ているナオさんに、ウリバタケさんがジュースの紙コップを投げつけています。
しかし、私とイネスさん、それにユリカさんは厳しい表情でナオさんを見ていました。
自分のイメージした場所にCCを使って跳べる・・・
つまりそれは、ナオさんがA級ジャンパーである事を示していました。
アキトさんという前例がある以上、無意識のうちにCCを使ったジャンプは有り得ます。
本人にその意識はなくても、ジャンプに生身で耐えたという事実は、ナオさんがジャンパーである証でした。
「グラシス中将の部下に、庭で倒れている所を保護されて、その時にCCが消えている事に気付いた。
こうなると、考えられるのはボソンジャンプしかないだろう?」
「確かに・・・そうとしか考えられないわね」
ナオさんの意見に、イネスさんも頷いています。
そうなると、ナオさんの生まれを考えると・・・誕生途中に、A級ジャンパーの遺伝子が混じった事が予想出来ます。
まさか突然変異なんて事は、ありえないと思いますし。
それにしても、これはナオさんにとって幸運だったと・・・言えるのでしょうか?
多分イネスさんも、同じような事を考えておられると思いますが。
「・・・・・・・・・・・・・・・イネスさん、その好奇心で満たされた瞳で俺を見ないで」
「あら、そう?」
・・・・・・・・・・現状は、限りなく不幸っぽいです。
まあ、ヤマサキに捕まるよりは、余程マシだと思いますが。
そして何か思いついたのか、急に真面目な口調になってナオさんがイネスさんに話しかけます。
「・・・なあ、イネスさん、一つ聞きたい事があるんだが。
百華ちゃんの乗る脱出ポッドを打ち出した後、俺は他のブロックにある脱出ポッドを探した。
その途中の研究室の一つで、人の気配を感じてさ。
二人の子供を救出したんだけど・・・あの子達はどうなったのかな」
「残念だけど、ジャンパー処理をしてない限り―――って、その子達、男の子と女の子?」
私もそのナオさんの台詞に、一つの可能性が浮かびました。
視線を横に向けると、カインさんが凄い目付きでナオさんを見ています。
「あれ、何で知ってるんです?
名前は聞く暇が無かったんですけど、俺が気付いた時には二人とも側にはいなかった・・・
あ、そういえば女の子が男の子を『カイン』って呼んでたな」
沈痛な面持ちでそう呟くナオさんを、ヤマダさん達がしげしげと観察しています。
その外見を見る限り、カインさんの記憶の中の人物とは一致しますね。
「そういえば、黒い服だもんね・・・ナオさんって」
「黒だよな」
「ああ、真っ黒だ」
ヒカルさんの言葉に、殆ど同時に相槌をうつヤマダさんと万葉さんでした。
「・・・何が言いたい、そこの三角関係」
「つまり、ヤガミ君が気にしてる二人は多分無事だって事よ。
本当に『縁』って不思議なものよね、まさか『兄』に救われていたなんてね」
楽しそう笑いながら、イネスさんはカインさんにそう話しかけていました。
それを聞いて、カインさんも嬉しそうに頷きます。
その隣にいたイツキさんも、ちょっと複雑そうな顔をしていましたが、笑っていました。
最初は反発していたカインさんとも、少しの間に大分打ち解けています。
元々前向きな思考の方ですから、自分の中で一つの決着をつけたのかもしれません。
「・・・・・・・・・・・さっきから何を話してるんだ?
ついでに言えば、お前さん何者だ?」
「大丈夫、今からたっぷりと説明してあげるわ」
喜々としてホワイトボードを用意しだしたイネスさんと、青い顔のナオさんを残し。
私達はヴァーチャル・ルームから退出しました。
ナオさんの悲鳴が聞こえますが・・・まあ死ぬ事は無いでしょう。
心配そうな顔のミリアさんは、サラさんとレイナさんが背を押して連れ出しています。
まあ、10時間ほどしたら中を覗いてみますか。
―――とにかく、私達は全員無事にこの地球に帰ってこれました。
その事が、一番嬉しいです。
「これからが、大変だね・・・ルリちゃん」
「そうですね、ユリカさん。
もう以前の記憶はあてになりませんが、大丈夫ですよ。
過去には存在しなかった、心強い味方が沢山いるんですから」