< 時の流れに >
第二十話 『出撃』
朦朧とした意識の中で、微かに覚えている事があった。
最後の最後まで、私の我侭に付き合ってくれた、優しい人の言葉だ。
『自分から死のうなんて・・・絶対に思うなよ!!』
殆ど動かない身体で、あの人を引き止めようとしていたと思う。
もう満足に動けない自分より、あの人のほうが皆には必要だと知っていたから。
でも、あの人はサングラスとメモを残して、私の視界から消えた。
そして、何かを打ち出すショックを感じた瞬間、私の意識は闇に落ちた。
何だか夢現な状態で、私は目を覚ました。
自由に動かない四肢に、自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなる。
ただ、霞む視界には医療用の器具に占められた空間が、何とか確認出来た。
私は・・・生き延びたのだろうか?
「・・・そう、ヤガミ君の生死は絶望的ね」
「あの爆発に巻き込まれたのなら、どう考えても」
少し離れた位置から聞こえる女性の声に、私は聞き覚えがあった。
ナデシコに乗った時に、飛厘さんと意気投合をしてた人・・・
確かイネスと呼ばれていた人だ。
「ユリカは探索を諦めて、地球に帰るつもりだ。
俺も火星の後継者が現れた以上、ここで留まっている暇は無いと思う。
ただ、彼女は・・・」
「少なくとも半年は、ベットから立ち上がる事も出来ないわ。
艦長にもアオイ君からそう伝えておいて」
「ええ、分かりました」
再び襲ってきた眠気に引きずり込まれながら、私は涙を流していた。
生き延びた代償は、余りに大きい事に気が付いてしまったから。
次の目覚めは、比較的意識を保ったままで訪れた。
それを予期していたのか、目を覚ました私が最初に見たものは、私の顔を覗き込むイネスさんだった。
「・・・あ、ここは?」
「気が付いたみたいね。
・・・今はまだ寝てなさい、無理をしないほうがいいわ」
以前よりもはっきりとしている意識が、今までの情報を正確に分析する。
あの人が、私を助けるために『ホスセリ』に残った事。
結局、あの人が脱出できなかった事。
最後の最後まで、自分が迷惑を掛けたという事。
「私・・・どうして」
何故、私を助けたのだろうか?
自分の命を賭けてまで・・・
私はそんな彼に、どうやって報いればいいのだろう?
もう、肝心の人はこの世に居ないというのに。
激しく湧き上がる感情とは別に、身体は再び睡眠を欲した。
頭の中にグルグルと巻き上がる言葉を無視しして、意識は閉ざされた。
「・・・・・・・・後は、貴女の心の問題ね」
イネスさんの呟きだけが、私の心に刻み込まれた。
動けない身体を持て余しつつ、日々は過ぎていった。
万葉ちゃんや高杉さんが、毎日毎日見舞いに来てくれた。
ただ、他のクルーが見舞いに来ることだけは無かった。
イネスさんは・・・
「皆、貴女にどう接すればいいのか、分からないのよ」
と、言う。
でも・・・それは私も同じだった。
一体、ナデシコクルーに何と言えばいいのだろう?
彼を身代わりにして、自分は生き残った事は確かだった。
何の理由も無しに、あのサングラスを託して『ホスセリ』に残る訳が無い。
あの人はどうして己を犠牲にしてまで、私を助けてくれたのだろう。
・・・こんな、まともに動く事さえ出来ない『人形』を助けて。
私の視線の先は、ダッシュボードに置かれたサングラスを見ていた。
これが目の前にある限り、馬鹿な考えは絶対に出来ないだろうと・・・そのサングラスは主張しているみたいだった。
「生きてるか、百華」
「ほ、北斗様!!」
そこには赤髪を何時ものように縛り、黒いTシャツとジーパンというラフな格好をした北斗様がいた。
思いがけない人物の登場に、私は殆ど動かない身体を、無理にでも動かそうと足掻く。
それを手振りで押さえ、北斗様はその鳶色の瞳で私を強く見つめる。
ベットからは見えないけれど、きっと零夜ちゃんも側にいるはずだ。
「とりあえず、死にそうではないな・・・で、これからどうする?」
「・・・・・・もう、戦闘には耐えられない身体だそうです。
戦えない私に、何をどうしろというんですか?」
イネスさんから聞いた事を思い出し、逆に問いかけるように北斗様に話しかける。
私も、この人ほど強ければ・・・全ては上手くいったのだろうか?
それが意味の無い仮定だと知りながら、私は考えずにいられなかった。
暗殺術―――それも枝織様に比べれば、稚拙な技しか取り柄が無い私に、何が残っているのか。
「俺がどうこう言っても、意味は無いだろう。
結局、俺にも枝織にも戦う事以外に、出来る事は何もないんだからな。
例え身動きが取れなくなっても、パイロットシートに乗り込むだろうし。
最後の最後まで、戦場で戦っているはずだ。
だが、それは『俺達』だからの話。
―――お前には無理だ」
分かっていたそんな事は。
この『真紅の羅刹』と呼ばれる闘神が、戦場以外に身を置くことは想像が出来ない。
それに比べて私は、既に戦えない自分に安堵をしている部分がある。
これで、もう利用される事なんてない・・・
その考えが、真っ先に浮かんだ自分に、嫌気がさす。
戦う事以外何も出来ないのに、その唯一の利用価値が無くなった事に喜ぶ。
その対価として、自分を助けてくれた優しい彼を失ったのに。
そして、そんな私の気持ちを、北斗様は確実に見抜いていた。
先程の台詞には、そんな意味も込められていたから。
「これから先の事は自分で考えろ。
何しろ、考える時間だけは十分にある」
「・・・北ちゃん、慰めにきたんじゃないの?」
私の位置からは見えないが、零夜ちゃんの声が聞こえた。
やはり、北斗様の後ろにでも控えていたみたいだ。
「慰めたところで現実は変わらん。
ヤガミ ナオは帰らず、百華は帰ってきた・・・
そして百華には「戦う」という選択肢が抜けたが、他にも選択肢は無数にある。
何を選ぶかは、それこそ百華の自由だ。
・・・分かってると思うが、ヤガミの奴を失望させるような事はするなよ」
最後に、そんな釘を刺して北斗様は私の視界から消えた。
零夜ちゃんが、「早く良くなってね」、と言って北斗様を追い掛ける。
残された私は、自分に何が出来るのか・・・色々と考えていた。
「徹底的に検査をした結果、順調にいけば日常生活に支障が無い程度には回復するわ。
ただ、長時間の激しい運動には、筋肉や骨格が耐えられないわね。
・・・勿論、急激なGが掛かるパイロットも無理よ」
「そうですか」
何故か殆ど人事のように、イネスさんの話を私は聞いていた。
既に予想されていた答えだ。
一度の精密検査の結果に納得できず、私はもう一度精密検査を頼んだ。
だが、やはりイネスさんの答えに変更は無い・・・
「自分の価値を、戦闘力だけで計るものではないわ。
まだまだ若いのだから、生きていれば新しい道も見つかるわよ」
「今更、普通の女の子に戻りなさい、って事ですか?
想像できませんよ、自分が無邪気に笑いながら、毎日を送る姿なんて」
この手で殺めた人の数は、一体何人になるのだろう?
そんな自分が、過去を忘れて新しい生き方を探す・・・
―――本当に、見つかるのだろうか?
「案ずるより生むが易し、ガムシャラに動く事も時には大切よ。
もっとも、入院中は悩んでいてもいいけど。
・・・時間は待っててくれないわ。
何時か、貴女は答えを出さなければいけない」
そう言い残して、イネスさんは立ち去った。
医務室に残された私は、軽く溜息を吐き・・・眠りに落ちた。
人の気配を感じて目を覚ました時、そこには整備服を着た女性がいた。
私の記憶が確かなら、彼女の名前はレイナ・キンジョウ・ウォン
イネスさん以外で、初めてのナデシコクルーの登場だった・・・
「・・・凄い目付き」
「悪かったわね、複雑な心境なのよ」
私を見下ろしていた彼女の目には、確かに殺意があった。
また、その殺意を当然と受け止める自分もいた。
いや、いっそ殺してくれたほうが楽になれる・・・と、誘惑をする心の声が一番強い。
そんな私の内心など関係無く、レイナさんは近くの椅子に座った。
私と彼女の間に、沈黙が満ちる・・・
「知ってると思うけど、ナオさんはね、地球に婚約者がいるのよ。
その女性は凄く辛い思いをして、ナオさんに助けられて、結ばれた。
テンカワ君やアリサ達、それに私も・・・二人が幸せになる事を願ってた」
ポツリポツリと話される言葉を、私は黙ったまま聞く。
一度報告書で見た事がある、確か婚約者の名前はミリア=テア
真紅の牙との事件も、簡単に説明だけは受けていた。
今更ながら、胸に鋭い痛みが走る。
「もう、頭の中が滅茶苦茶だよ!!
何故、ナオさんが死ななければいけなかったの?
ミリアさんに誰が説明するのよ?
どうして、どうして・・・テンカワ君さえ『あの場』に居てくれれば!!」
「・・・」
『気が晴れるなら、私を殺して下さい』
そう伝える事は簡単だった。
でもそれは、一番最低な方法だった。
嗚咽を漏らすレイナさんに、掛ける言葉なんて、私には何も無かった。
お互いにに無言のまま時間が過ぎてゆき、やがて泣き止んだレイナさんが立ち上がる。
去り際に、「ごめんなさい」と呟いたレイナさんに私が言えた言葉は・・・
「何故、あの人は私を助けてくれたんでしょうか」
「・・・傷だらけの貴女を、見捨てるような人じゃなかった。
それを知っているから、貴女も好きになったんでしょ」
レイナさんが医務室を出た後―――初めて私は泣いた。
声も出さず、ただ泣き続けた。
私は無意識の内に、自分を助けてくれる存在を探していたのかもしれない。
時々、自分が自分でなくなるような感覚・・・その恐怖から。
ずっと試していたのかもしれない、この人は私を見捨てないのか、と。
まとわり付く私を、迷惑そうに相手をしながら、決して見捨てなかったあの人を。
そして、その願い通り、あの人は私を助けてくれた。
自分自身の命を捨ててまで。
最早私の命は、自分だけのモノでは無くなった。
北斗様も指摘した通り、無様でも生き続ける義務が私にはある。
だけど―――
「・・・どうすればいいんですか、これから。
私はただの人形なんですよ、自分で考える事をしない」
「と、とりあえず怪我を早く治そう・・・俺もそうする」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
自分の考えに没頭するあまり、医務室に入ってきた人物に気が付かなかった。
しかも、余りに予想外な声に、私の思考能力が止まる。
ギリギリと自分でも不思議な音を立てながら、何とか頭を傾け、視線を医務室の入り口に向ける。
そこには、北斗様に襟首を掴まれ、地面に足を擦っている背の高い男性の姿があった。
あまりに予想外な組み合わせに、思わず自分の目が点になるような感じがした。
「ちょっと前に放送があったと思うが、地球にこのナデシコBは到着した。
そのついでに、クルーの一部がこの人騒がせな男の婚約者の家を訪問をした。
その時、その婚約者の家でくつろいでたのが、コレだ」
かなり怒ってられるのか、身体のあちこちから朱金の輝きが漏れ出している。
そう言いながら、片手で持ち上げられた男性は、ヒビの走るサングラスを掛けたまま、弱々しく手を振る。
「ども、報告を怠った愚か者です」
「・・・・・・・・・・・・・・馬鹿」
自分でも驚くほどの量の涙を流しながら、私はそう呟く事しか出来なかった。