< 時の流れに >
覗き見たところ、三人の間に険悪な雰囲気は無かった。
だが安心は出来ない・・・私達は、見守る事しか出来ないけれど。
「・・・確か、サラという名前だったな?
何故、メインクルーが揃って覗き見をしてるんだ?」
「しっ!! 今、大事なところなんですから!!」
「・・・・・・・・・・何をだ」
医務室の扉の横に整列する私達を見て、呆れた口調でそう訪ねてきたのは北斗さんだった。
私の返事と周囲の人だかりに、処置無しと両手を挙げて歩き去る北斗さん。
その後ろでは、零夜さんがどうしようかと悩んでいた。
彼女からすれば、百華さんの事も気になるし、北斗さんの事も気に掛かるのでしょう。
悩んだのは一瞬、でもその判断を下すのは凄く大変だったと思う。
「あの・・・百華ちゃんの事、よろしくお願いします」
「分かったわ、きちんと見届けてるから」
頭を下げて頼み込む零夜さんに、私は快く引き受けた。
このまま北斗さんが、ナデシコB内を一人で徘徊するよりは・・・と、考えたのでしょう。
それは正しい判断だと思います。
「サラちゃん、もうちょっと屈んでくれないと、よく見えないんだけど?」
私の背中に胸を押し付けるようにして、艦長が飛び掛ってきます。
その光景を見て、ウリバタケさんが羨ましそうにしています。
「と言われても・・・人数的に無理がありますよ、艦長」
背中から非難の声をあげる艦長に、私は医療室の周囲を取り巻く人達を代表して弁明をした。
患者のプライバシーとか、イネスさんの個人的な理由により、医療室の映像は出せない。
確かに、上半身を裸になったりする事の多い医療室で、そうそうウィンドウが開かれては堪らない。
・・・自分で想像して、背中に戦慄が走りましたよ。
もっとも、ルリちゃんがちょっと無茶をすれば、表示は可能なそうだけど・・・さすがに躊躇ってるみたい。
実際、あの三人が揃えば考えられるのは修羅場だし。
ちなみに、百華さんの事は私がミリアさんに話した。
ナオさん、最後まで黙っていそうなんだもん。
「あ、動きがありました」
私の下から中を覗いてたルリちゃんが、小さな声でそう呟いた瞬間。
私達の意識は、医療室の三人の会話に集中した。
目の前のベットでは動かぬ身体の代わりに、表情で喜びを表現している女性がいました。
全身を包帯で包まれた、痛々しい姿でも、その瞳から溢れる涙は凄く綺麗だと思います。
・・・この人はナオさんが生死不明の間中、自分を責め続けていたのでしょうね。
「無事・・・だったんですね、ナオ様」
「ああ、どちらかと言うと、皆と再会してから負った傷の方が多いけどな」
椅子に座って軽口を叩くあの人の傷を消毒し、包帯を巻いていきます。
痛い痛いと騒いでいますが、この人なりの照れ隠しだと分かっています。
家の庭で見つかった当初の傷は、何とか塞がっていますが、新しい切り傷や打撲が増えていますね。
まあ、私も皆さんの心中を聞いていますので、自業自得だと思うのですが・・・
「その人が、ミリアさんですか?」
「ええ、そうですよ。
初めまして、百華さん」
恐る恐るという感じで、尋ねてきた百華さんの問いに。
私は微笑みながら、挨拶をしました。
迷子の子供のようなその瞳に、私は見覚えがあります。
あの瞳は、全てを失った人の瞳・・・昔、私が宿していた瞳。
―――あの時、鏡の前で握り締めた冷たい銃の感触と、ガラスのような瞳を思い出します。
それからは、あの人の手当てを続ける私と、それを眺める百華さん。
そして、硬直したまま、冷や汗を流すナオさん。
3人が無言のまま、時間だけが過ぎていきます。
「えっとさ・・・まあ何だ・・・お互い、無事で良かったよな」
「・・・・・・・・・そうですね」
無言のままでいる事に耐えられなくなったのか、あの人が頭を掻きながらそう言います。
苦し紛れに会話を探るその動作が可笑しくて、思わず笑ってしまいました。
そんな私を真剣な目で見ていた百華さんが、覚悟を決めた表情で話しかけてきます。
「ミリアさん・・・無理を承知で、私の話を聞いてくれませんか?」
「あら、何でしょうか?」
百華さんは、少しの間だけ躊躇った後、叫ぶように自分の望みを話してくれました。
「使用人でもなんでもいいです!!
お願いですから、私をナオ様の側にいさせて下さい!!」
ドデン!!
あの人が、呆然とした顔で椅子から滑り落ちました。
突然の爆弾発言に、俺は思わず座っていた椅子から滑り落ちた。
恐る恐る仰ぎ見たミリアの表情には、何も変化が無いように見える。
少なくとも、隠れているつもりの盗み聞き連中より、よっぽど反応が少ない。
・・・というより、自動ドアを閉まらないよう細工してる時点で、盗み聞きをしていると主張しているだろう。
「チキショー、あの野郎いたいけな女性を手篭めにしやがって!!」
「ウ、ウリバタケさん!!落ち着いて下さい!!」
・・・・どうやら、ウリバタケさんが暴れているみたいだ。
もし俺がウリバタケさんの立場だったら、同じように暴れているような気もするが。
「そんなにこの人が必要?」
「はい」
ミリアの質問に、迷いもみせず返事をする百華ちゃん。
俺は気恥ずかしさと、後ろ冷たさから、背後にいるミリアの顔を見れなかった。
というより、どんな顔をしてミリアを見ればいいのか分からない、というのが正解だ。
・・・いや、何時ものサングラスで顔の半分は隠れているんだけどよ。
そんな馬鹿な事を俺が考えているとき、肩にミリアがそっと手を触れてきた。
「私はね・・・この人の背中に支えられて、立ち直ってきたの。
この人が暴走する私を受け止めてくれなければ、この世にいなかったかもしれない」
優しく触れるだけのミリアの手は、とても暖かく。
俺の心を優しく包んでくれるみたいだった。
ミリアは俺に助けられたというが・・・それを言うなら、俺こそミリアに助けられてきた。
苦しい戦いでも、ミリアの元に帰る為と思えば、幾らでも踏ん張れた。
『ホスセリ』からの脱出も、ミリアの事だけを考えていたから、俺は地球に帰れたのだ。
「それは私も同じ・・・です。
結局、『ホスセリ』まで私を助けに来てくれたのは、ナオ様だけでした。
本当なら、捨てられた私はあの爆発に巻き込まれて、死んでいたはずなんです。
それにもう戦えない身体だと言われた以上、私には何の取り柄も無いし・・・
なら、せめて命を助けてくれた恩返しをしたいんです」
「恩返しだけ?
それだけの気持ちで、この人の側にいたいの?」
ミリアは百華ちゃんの答えを聞き、逆に質問をする。
俺は何故か、段々と追い詰められるている気分に陥ってきた。
・・・アキト、何か今ならお前の気持ちが、良く理解できそうだぜ。
「・・・・・・・・・本当は、また縋りたいだけかもしれません。
唯一の取り柄だった戦闘が無理な以上、私に何の価値も無いんです。
だから、ナオ様の優しさに付け込んでいるだけかも」
それは違う、と言うべきだろうか?
確かにもう戦う事が出来ない身体かもしれない、だけど他にもやれる事は幾らでもある。
何も俺なんかに頼らなくても、幾らでも道はあるじゃないか。
「別に私は怒らないわよ、正直に思ってる事を話してみて」
「あの、ミリアさん・・・何の話をされているのでしょうか?」
「ナオさんは黙ってて」
「・・・・はい」
アキト〜、やっぱりお前の気持ちが分かるぞ〜、今〜
帰ってきたら、一緒にまた酒でも飲みに行こうな〜
俺がミリアの笑顔の迫力に負け、下を向いていると、百華ちゃんが震える声で話し出す。
「本当に離れたくないです、ナオ様と・・・
私のために、ここまで無茶をしてくれた人はいませんでした。
もう役に立たない身体だけど、ずっと側にいたい。
―――好きなんです、この人が」
・・・ミリアの顔を見る事が、俺にはどうしても出来なかった。
「あ〜、言っちゃった・・・どうなると思う、レイナ?」
「しっ、黙ってて!!」
質問をしてくるサラを、小さな声で叱責しながら、私は固唾を飲んで三人を見守っていた。
さっきまで騒いでいたウリバタケ班長は、ロープで縛り猿轡を噛ませて転がしている。
一仕事終えたタカスギさんとヤマダさんが、それを見て爽やかに笑っていた。
先日、八つ当たりをしただけに、私は百華さんに負い目があった。
だけど、その恋を応援するには・・・あまりにミリアさんの事を、私は知り過ぎている。
・・・ナオさんは石になったように、先程からピクリとも動いていない。
「私は今まで、この人の背中に完全に負ぶさってきたわ。
それは多分、これからも続くと思う。
勿論、ただ支えてもらうだけじゃなくて、私も彼を支える存在でありたい」
ナオさんの肩に置いた手を背中に動かしながら、優しい声でミリアさんが呟く。
その独白を、全員が緊張して聞いてた。
「でもね、何から何まで背負ってもらうほど、私は子供じゃないわ。
もうすぐ母親にもなるのに、何時までも弱いままでいられない。
―――だから、ね。
百華さんが立ち直るのに、本当にこの人が必要なら・・・
彼の背中の半分なら、譲ってあげる・・・後は、この人の覚悟しだいね」
自分のお腹に手を当てて、微笑みながらそう言い切るミリアさんは、当時からは予想も出来ない『強さ』があった。
この人は数々の経験を得て、少々の事では動じない強さと・・・ナオさんへの信頼を手にしていた。
「お、おい、ミリア」
「ここまで女性に慕われたんですもの、ちゃんと筋を通しなさいよ、ナオさん」
ナオさんの反論は、輝くような笑顔とウィンクにより封じ込められた。
ちなみに、盗み聞きグループはミリアさんの口上が終わった瞬間、スタンディングオベーションだ。
パチパチパチ!!
パチパチパチ!!
「畜生、ナオの奴には勿体ね〜ぞ、ミリアさんは!!」
「そうだそうだ!!」
「う、う、うるせえ!!
悔しかったら、ミリア以上の女性を捕まえてみろ!!」
その後、男性陣は医務室に雪崩れ込み、揉みくちゃにされるナオさん。
ミリアさんは少し心配そうな顔でそれを見た後、百華さんを優しい目で見ていた。
そして百華さんは赤い顔をして、恥ずかしそうに微笑んでいた。
医務室での騒ぎが収まり、百華さんの身体を心配した私達は、食堂へと移動した。
「しかし、大物だなミリアさん・・・絶対修羅場になると思ってたけどよぉ」
ウリバタケさんの『修羅場』の単語に、律儀に反応して身を竦ませるナオさん。
本人も有る程度、予想していたかもしれない。
「信じてますから、この人のやる事を。
きっと、色々と悩んだと思います・・・なら、私はその結果を受け止めるだけですよ」
ナオさんの隣に座って、紅茶を飲んでいたミリアさんが、ウリバタケさんに微笑みながら返事をする。
その微笑を向けられて、逆に赤い顔で他所を向くウリバタケさんだった。
「でも百華さん、今後はどうなるんだろう?」
「大丈夫です、全然問題はありません」
私の呟きに反応したのは、ルリちゃんだった。
そのまま目の前にウィンドウを開き、何かの書類を表示する。
「現在は非常時ですので無理ですが、例のクーデターを収めた後、ナオさんの戸籍を木連に作ります」
「・・・・・は?」
ルリちゃんの突然の提案に、呆けた声で返事をするナオさん。
目の前のウィンドウには、仮定の書類(戸籍表)にナオさんの情報が次々と書き込まれていく。
「ナオさんの戸籍を、地球と木連に用意するわけですが。
つまり、ミリアさんは地球妻。
百華さんは木連妻として登録されるわけですね。
勿論、これは三人の合意の下に行うつもりです。
・・・ついでですから、木連の戸籍では『ヤギ ナオヤ』とでも改名しておきますか?」
その方が混乱しなくて良さそうですし。
と、軽く呟いているルリちゃんに、開いた口が塞がらないナオさんだった。
やっと搾り出した一言は、これだった。
「・・・・・・・・・冗談、だろ?」
「思いっきり本気です。
ただでさえ裏に生きてきた百華さんを、これ以上日陰者にするつもりですか?
ミリアさんの言葉でもありましたが、ここまで惚れられたんです、それなりに覚悟を決めて下さい。
私としても、最大限のバックアップをするつもりです。
もっとも、どうしても嫌だというのなら、また別の手を考えてみますが」
真剣な光を宿す金の瞳に睨まれて、沈黙するナオさん。
そのナオさんの肩に手を置いたミリアさんは、ただ黙って微笑んでいた。
―――いいな、こういう関係って
「すまん、とりあえず時間をくれ。
いきなり色んな事が起きすぎて、頭の中が流石に滅茶苦茶だ」
「ええ、ゆっくり考えてくださいね」
ミリアさんと寄り添いながら、ナオさんは食堂を出て行った。
その姿を見送った後、ルリちゃんに食堂の全員が詰め寄る!!
「ちょっとルリルリ、あれって本気?」
「ええ、本気ですよヒカルさん。
ちょっと前から考えていたんですが、まさかナオさんが第一号になるとは思ってもいませんでした。
でも戸籍上では、一夫一妻ですよ・・・詭弁かもしれませんが」
それは、まあ・・・そうよね・・・
ルリちゃんの説明に、全員が悩みこむ。
「それに結局は本人達同士の問題ですし、この場合少々の力技位は―――」
「僕は反対だ!!」
ルリちゃんの説明を中断させる叫びが、食堂内に走った。