< 時の流れに >
撃たれた足を引きずりながら、俺はお嬢の手を引いて逃げていた。
敵が俺の仕掛けたトラップを無効化し、強襲を掛けてくるまで三分・・・間違いなくプロだ。
それも飛びっきりの。
「撃たれたのでしょう?
大丈夫ですか?」
「・・・あのな、撃たれて平気なはずが無いだろうが」
岩陰に身を隠し、コートの袖を切り裂いて太ももを縛る。
幸いにも、大きな血管を傷つけられたわけじゃないらしい、何とか出血は止まりそうだ。
・・・このまま、動かなければ、という前提があるが。
俺の血だらけの左足を見て、アクアお嬢様が白い顔をしている。
どうやら、以前の襲撃で皆殺しにされたSSの事を、思い出したらしいな。
身体を抱えて小さく震えている彼女は、あまりにも無力だった。
戦える人間は俺だけで、お嬢は論外。
逃げ出す前に連絡した兄貴からの救援は、どう考えても一時間は来ない。
―――さてと、どうしたもんですかねぇ
「この先の街まで、一人で行けるよな?」
別に自己犠牲の精神じゃない。
お嬢と別れて戦った方が、俺が動きやすいだけだ・・・足、怪我してるけどな。
二手に別れれば追っ手も別れる分、微々たるもんだが逃げ延びる確率も上がるだろう。
それに俺と違って、お嬢はいきなり殺されはしないだろう、貞操はどうなるかわからんけど。
―――だが死ぬよりはマシだろ?
なのにこのお嬢さん、俺のコートの裾を握って放さねぇ
このまま隠れていても、直に見付かるという事が理解出来ないわけでもあるまいし。
「あのな、いい歳して我儘いうなよ」
「・・・(ふるふる)」
無言のまま、金色の髪を左右に揺らして抗議するお嬢。
まったく、どうしろっていうんだよ・・・
「・・・愁嘆場か?」
「誰だ!!」
突然の声に拳銃を向けると、そこには長身でサングラスをした男性が立っていた。
まるで気配を感じなかった事と、拳銃を向けられてもなお余裕の相手・・・俺は絶望を感じた。
どう考えても、目の前の男は俺より強い。
その隙の無い佇まいを見れば、嫌でもわかってしまう。
「お嬢、合図をしたら走って逃げろ」
背中に縋り付くお嬢に、小声で指示を出し、俺は目の前のサングラス男と対峙する。
だが、目の前の男は緊張感の無い声で、俺の背後にいるお嬢に話しかけてきた。
「あー、久しぶりですね、アクアお嬢様。
ども、ヤガミ ナオです」
「あ、お久しぶりです・・・え、ヤガミさん?」
片手を上げて挨拶をする男と、反射的に挨拶を返すお嬢に・・・俺の体が傾いだ。
「そうか、兄貴の依頼で・・・」
「ま、そういう事だ。
今のところ、ネルガルと明日香・インダストリーは共闘関係だからな。
何処でも宅配便になっちまった俺が、危険物抱えてここまで来たわけだ」
本格的に怪我の治療をしながら、ヤガミは軽く事情を説明してくれた。
兄貴は俺の通信を受けた後、直にネルガルに応援を要請したらしい。
何でもネルガルには、奥の手とも呼べる人材や技術が、ゴロゴロと転がっているそうだ。
実際、目の前のヤガミにしても、裏の世界では結構な有名人だ。
しかも、俺を軽くあしらったヤガミは怪我をしていて、まだ本調子でないらしい。
・・・これほどの人物が、お嬢を助けるために動くとはねぇ
「よし、弾も貫通してるし、後遺症も残らんだろうさ。
俺も自分の怪我が完治してたら、一人で迎えに来てたんだが。
それじゃ、危険物を迎えに行くか」
そう言ってヤガミが立ち上がった瞬間―――
「・・・時々思うんだがな、俺の事を爆発物とでも思ってるのか?」
その声を聞いて、俺は再び驚かされた。
幾らヤガミが側に居るからといって、気を抜いていたわけじゃない。
なのに、その声は俺のすぐ隣から聞こえてきたのだ。
「実際、定期的に暴れないと、爆発するじゃねーか・・・枝織ちゃんならともかく」
「ほほぉ、言うようになったなぁ、ヤガミ」
声のするほうに顔を向けると、動きやすい長袖のシャツに黒いジャケット、そしてジーパン姿の美しい女性が居た。
一本に括られた真紅の長い髪が、身体を動かすたびにリズム良く左右に動いている。
ただ、その声に含まれる力と、体から放出される鬼気に打たれ、俺とお嬢の動きは止められていた。
一体何者だ、この女性?
「まあ、その話は後でするとして、始末はついたのか?」
「ああ、やはり木連の暗部が混じっていた。
とりあえず動けなくして情報を得ようとしたが、先に自決された」
事も無げに、俺達の追っ手を倒したと、この女性は言う。
だが、ヤガミとの会話を聞く限り、嘘を言っているとは思えない。
「そこらへんは仕方が無いさ、こっちも期待してない。
とりあえず、怪我人の治療もあるし、ネルガルまで跳ぶぞ」
「わかった」
軽々と俺を担ぎ上げたのは、真紅の髪の女性だった。
驚く俺とアクアお嬢を引き連れて、ヤガミが自分を中心にして地面に描いた円の内側に入る。
「何をする気だ?」
「あーっと・・・ま、手品かな?」
次の瞬間、俺とお嬢は確かに信じられない手品を見せられた。
「申し訳ございません、閣下。
アクア=クリムゾンは、ネルガルに保護された様子です」
「・・・それは、仕方があるまい。
地球での影響力は、ネルガルと明日香・インダストリーの二社が組めば最強だからな。
大勢はほぼ決まっている今、アクア=クリムゾンの存在は決め手にはならん」
木連の行政府にある会議室で、私達は集まっていた。
色々と条件はあるものの、生体跳躍を完全に操れる今、私が地球から木連に跳ぶ事など容易い。
ロバート=クリムゾン亡き後、シャロンは私の手の上で踊り続けている。
元々自己顕示欲が強いので、プライドを満たしておけば反抗はしない。
後は自分の考えで判断しているように、思考を誘導してやれば十分だ。
「こちらの報告を致します。
現在、東 舞歌とその仲間共に大きな動きはありません。
地球から派遣されてきた、例の海神という老人も大人しいものです。
先週の北斗と一矢達の戦闘による、コロニー内の動揺も収まりました」
「うむ、舞歌たちの警戒を怠るなよ。
鎖に繋がれていても、全ての牙を抜かれたわけでないからな」
「了解しました」
閣下の言葉を受け、敬礼をしながら南雲殿が返事をする。
予想をしていた北斗の襲撃だが、被害は思った以上に大きかった。
コロニーの外壁に穴を穿つなど、想像もしていなかった事態だろう。
幸いにも修理機構が働き、大惨事は免れたが・・・やはり、侮りがたい敵だ。
「一矢、北斗にはやはり勝てんか?」
「私達、五人全員で仕掛けての力負けです。
五分五分の状況で自分達が仕掛ける限り、結果は同じだと思います」
会議席の一番末席にいる少年・・・三輪 一矢が閣下の質問に、そう答えた。
本来ならこの会議室に入れる身分ではないが、今回は当事者故に呼ばれていたのだ。
地球では、諜報活動によく一矢達の手を借りたので、私の印象は悪くない。
ただ、裏で動く事を得意とする私と違って、生粋の武人たる南雲殿などは、彼の存在を快く思っていない。
「・・・山崎自慢の秘蔵っ子も、北斗には手も足も出ないという事か」
本人に悪気は無いのだが、その口調にはどうしても失望の色が隠せない。
確かに隠密行動や暗殺術において、真紅の羅刹の脅威は計り知れない。
だが、人質を分散してこちらが確保している以上、閣下や重要人物の暗殺は難しいだろう。
それにこちらには、生体跳躍による出現位置を、いち早く知る方法がある。
仕留める事は無理でも、一矢達なら足止めは出来るだろう。
「そう言われましてもねぇ、北斗君は特例中の特例ですよ。
一流と呼ばれる武道家達が相手なら、100人が相手でも余裕で勝てるだけのスペックはあります」
「・・・ふん」
山崎がとりあえずという口調で、一矢達を弁護する。
南雲殿もそれを聞いて、軽く山崎と一矢を見た後に顔を反らした。
二人がそんなやり取りをしている間、一矢は頭を垂れてじっとしていた。
自分達の立場の弱さを良く知っている・・・彼らしい行動だ。
「山崎よ、臥待月の状況はどうだ?」
「ほぼ完成しました。
後はラビス君達と、搭載されている人工知能との問題だけです。
その件を含めても、後一ヶ月もすれば発進は可能です」
我々の切り札となる、戦艦 臥待月(ふしまちつき)
未来から来たナデシコCを基礎として、数々の手を加えた木連最強の戦艦だ。
臥待月とは、十九夜の別名であり・・・臥して待つ月という意味を持つ。
ここまで耐え偲んできた、木連の心意気を表すに相応しい名だろう。
あと少しで、三年前に閉ざされた理想が叶うのだ。
「ふむ、一ヶ月後には全ての準備が整うか。
後はただ前に進むのみ。
三年か・・・短いとは言えぬ時間だな」
手元の資料を見ながら、閣下が呟く。
この三年間、自宅に軟禁され、常に監視をされていたのだ。
色々と、思われる事があったのだろう。
「それもこれも、全てはあのテンカワ アキトの存在があったからこそ!!
未来を知る利点を活かし、己の私利私欲の為に閣下の偉業を阻むとは!!
畏れ多いにも程がある!!」
漆黒の戦神の真実を知って以来、何時も同じ怒鳴り声を南雲殿はあげる。
しかし、その怒りの声は我々の声でもあった。
「・・・自分に訪れる悲劇を知っていたのだ、回避しようとする気持ちもわからんでもない。
ただ、あの男の犯した間違いは、余りに地球側に都合の良い和平を望んだ事。
本当の木連の現状を知らなかった事。
そして、政治家や軍人を、あまりに忌避しすぎた事だ」
その怒鳴り声を聞いた後、閣下が彼に同情の意見を述べつつ・・・批判をした。
確かに、彼の未来は暗鬱たるものだった。
火星の後継者のした事は、彼には許しがたいだろう。
だが、『あの世界』ですら、我々木連の人間は・・・虐げられていたではないか。
草壁閣下が立った時、あれほどの賛同者が集まった事が、当時の状況を物語っている。
彼の能力があれば、木連の生活を、コロニーで生きる事の厳しさを知る機会はあったはずだ。
当時、唯一生体跳躍を完全に使いこなし、尚且つ北斗以外には相手にならぬ強大な武力・・・まさに無敵の存在だ。
なのに、彼の視線は最後までナデシコ内から出る事は無かった。
・・・彼はナデシコだけに留まらず、もっと大局を見るべきだったのだ。
そうすれば・・・もしかすると我々は、クーデターを起こす事など無く、手を取り合っていけたかもしれない。
彼が望んでいた未来は、そういうモノだったのではないのか?
「過ぎ去った人物の事は忘れよう。
だが、既にこの時代を生きる我々は立ったのだ。
ならば同胞の期待を裏切らぬ為にも、我々には勝利の二文字しかない!!
諸君!! ここからが正念場だ!!
私は諸君の、より一層の健闘を望む!!」
「はっ!!」
既に、戦いは始まっている。
そして走り出した列車は、そう簡単には止まらないだろう。
「流石に一ヶ月も監禁生活を経験すると、暇で死にそうになるわね〜・・・ふぁ」
テーブルの上に突っ伏しながら、今の心境を溢す。
「・・・緊張感が無い証拠ですね」
行政府で仕事に追われていた時期に比べて、毎日規則正しい生活を送っている。
なのに欠伸が出るのは何故だろう?
テーブルの対面に座って本を読んでいた飛厘が、そんな私の姿を見て顔を顰めていた。
「そう言われてもね・・・何もする事が無いのだし。
書庫の本は読み尽くしちゃったしね」
南雲家の本は、予想通り戦術・戦略関係ばかりだった。
そして今更私が目を通しても、面白みのある本は無かった。
・・・そんな書庫の一角に、グリム童話の山を見つけた時は流石に引いたけど。
多分、息子や娘の為の本だろう、うん。
―――でも、南雲の奴に子供は居ないはず。
「夜な夜な、布団の中でグリム童話を読む南雲・・・」
「どこをどうしたら、そんなとんでもない想像が出来るんですか?」
飛厘が相変わらず伏せている私に、そんな事を言う。
流石に現実にありうる事かもしれない・・・とは、言い出せなかった。
今のところ、軟禁されている南雲邸で私の部下は飛厘だけ。
その飛厘にへそを曲げられると、話相手すら居なくなってしまう。
「そう言えば、元一朗君の意識が戻ったそうね?」
「ええ、ほんの四、五分だけですが。
峠は越えたようです、これで京子も少しは気を緩めるでしょう」
身動きもとれない元一朗君の意識が、先日ほんの少しだけ戻ったらしい。
今だ身体を動かす事は出来ないが、吉報には違いない。
付きっ切りで看病をしている京子も、少しは自分の身体を労る余裕を持てるだろう。
「・・・でもそのお陰で、私も軟禁状態なんですけどね。
後は病院に勤めているスタッフで、十分対応できるはずです。
月臣殿と京子から放された事は、正直に言えば痛いですね」
「死に別れるより余程いいわ。
そう考えなさい」
「はい」
少なくとも二人は生きている。
まだ利用価値があると判断されている。
なら、また会うチャンスは訪れるはずだ。
「・・・」「・・・」
暫くの間、お互いに無言だった。
話すべき事は多々あったが、盗聴されているのは疑うまでもない。
かといって、私達が重要な情報を握っているかといわれれば・・・NO、だろう。
しかし、私達自身の価値は無くなったりはしない。
草壁が三年の月日を経ても、その支持を失わなかったように。
私を旗頭にして、再び反抗を考える人達が居てもおかしくない。
かといって、簡単に始末してしまっては、それこそ内乱の憂き目にあう。
私達が草壁の危険性を知りながら手を打てなかったように、今度は草壁が私に手を打てないで居る。
集団の意思を統率する事は、それだけ大変なのだ。
「そう言えば、西沢殿は事の顛末を見守るつもりらしいですね」
「ええ、自宅謹慎だそうよ。
昨日、面会に来てくれた時に話してくれたわ」
飛厘にその時の事を軽く説明した。
木連人の現状の立場を考えれば、草壁の考えも理解できなくもない。
だが、クーデターによって全てが良い方向に変るとは、絶対に思えない。
なら自分は卑怯者、臆病者と呼ばれても、家族の側に居て全てを見ているつもりだ、と。
木連という世界を維持するために、一番働いてきた人物の言葉だ。
私には彼を責める言葉は無いし、草壁にも無かっただろう。
そして、西沢殿が木連という世界を心底愛している事は、誰もが知っている。
草壁が西沢殿の自宅謹慎を認めたのは、私にも理解できた。
「地球と木連の主権争いより、家族を優先ですか・・・あの方らしい。
もしかすると、仕事に逃げるより、余程男らしい生き方かもしれませんね」
「そっくりそのまま、自分の旦那様に言ってあげなさいよ」
私の突っ込みに、思わず苦笑をする飛厘だった。
実は西沢殿からもう一つ、思わぬ真実を聞いていた。
それは、あの三輪 一矢が氷室君の弟だという事・・・
以前、墓石に置いてあった花は、彼が用意したものらしい。
今までは立場上話せなかったが、ここまで事態が進んだ以上、隠す必要も無いと言って教えてくれたそうだ。
唯一、自分以外に兄の墓に来てくれた事に、ずっとお礼を言いたかった、と。
西沢殿からその伝言を聞いて、私は本当に驚いた。
お礼なら・・・私が言いたいくらいだ。
氷室君の行動が無ければ、私はあの場で殺されていた。
彼は私の事をどう思っていたのだろうか?
「・・・一度、きちんと話をしたいわね」
「え、何か言われました?」
「ううん、何でもないわ」