< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 最早見慣れてしまった白い天井を見ながら、俺はただただ自分の思考の海に沈んでいた。

 身体をベットから動かす事は出来ない・・・身体に負った傷は深く、未だ癒えていないからだ。

 その時、かすかな寝言が俺の耳に飛び込んできた。

 

 ―――少しの間なら、痛みを我慢して腕を動かすことくらいは可能だ。

 

「・・・風邪をひくぞ、京子」

 

 自分に掛けられていた毛布を剥し、看護の疲れからベットの横で、椅子に座ったまま寝ている京子に掛ける。

 一応、病室の空調は効いてるし、掛け布団だけでも俺は十分だ。

 

 意識を取り戻してから、俺が京子から聞いた話は衝撃的だった。

 草壁閣下は万全の体勢を整え、このクーデターに望んだ。

 舞歌様や俺達が画策していた防御策など、まるで役に立たなかったのだ。

 ・・・そして何よりも、俺と京子を結びつけた事すら、策の範囲内だったとは。

 

 目を覚ました時、一番印象に残ったのは京子の泣き顔だった。

 ただただ、俺に縋り付いて許しを請うていた。

 その時は、事態に戸惑ったまま、俺の意識は再び闇に落ちた。

 

 そして二度目の目覚めの時、俺は全てを知った。

 クーデターの成功と、火星の後継者の登場。

 そして京子に与えられた、忌々しいまでの役割すらも。

 

 正直に言えば、最初はその告白を聞いて裏切られたと思った。

 だが、目覚めた時の京子の泣き顔が、俺に罵倒の言葉を紡がせなかった。

 あの涙までが演技だとは思えない・・・第一、既に俺には利用価値など無いに等しいのだ。

 それに、京子と過ごした三年間の日々は、決して全てが嘘だと信じられない。

 何より、俺にとって京子は、既に半身と呼べる存在だったのだから。

 

 裏切り者でもなんでもいい、全てが終わった今も、京子は俺の側にいてくれるのだから。

 ・・・クーデターの結果次第では、どうなるか分からない身の上だというのに。

 

 泣き顔の京子の頬に手を当てて―――俺は全てを許した。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・何時まで扉の前に立っているつもりだ?」

 

 壁時計を見る限り、現在の時刻は深夜と呼ばれる時間帯だ。

 俺は京子を起こさないように、辛うじて聞こえる音量で誰何の声を上げた。

 

『あ、気が付かれてました?』

 

 扉越しに、そんな返事が返って来る。

 身体は動かなくとも、武人の勘まで鈍ってはいない。

 俺は扉の前で、気配を殺している人物を捉えていた。

 そもそも、俺が思考を止めたのも、その気配のせいなのだから。

 

「夜分遅くに失礼します、月臣さん」

 

「・・・お前は・・・一矢か?」

 

 病室に入ってきた意外な人物に、俺の声は少しだけ大きくなった。 

 

 

 

 


 

 

 

 

「えっと、自信は無いですけど・・・お茶です」

 

  ズズズズ・・・

 

「・・・本当に、淹れるのが下手だな」

 

「・・・だから先に言っておいたじゃないですか」

 

 一矢に淹れさせたお茶の渋みに顔を顰めつつ、そう責め立てる。

 俺の叱責を聞いて、一矢は憮然とした表情で反論してきた。

 かつての俺の部下であり、本当の姿は草壁閣下のスパイ。

 憎む理由は多々あるが、どうにもこの飄々とした男を・・・俺は嫌いになれなかった。

 

 ・・・多分、ギラギラとした俗世の欲望を、この男から感じられないからだろう。

 どこか達観した雰囲気を、この男は何時も纏っていた。

 

「直々に教えてやりたいが、生憎まだベットから降りる事も出来ない身でな」

 

「ええ、分かってますよ・・・でも、だからこそ、月臣殿は『生き残る』」

 

 一矢の台詞に視線で問いかける。

 既に先程の和やかな空気は無く、張り詰めた世界がそこにはあった。

 京子を隣の部屋に運ばせておいた事を、俺は改めて良かったと思う。

 ・・・この雰囲気に気が付けば、自分の身を省みずに、一矢に攻撃を仕掛けていただろう。

 

「どういう意味だ?」

 

 俺の質問に対して、一矢ははぐらかすように別の話題を振ってきた。

 

「数日中に、ナデシコCと臥待月が戦闘に入るでしょう。

 正真正銘、最後の戦いになりそうです」

 

 聞き覚えの無い単語・・・『臥待月』に、不吉なものを感じた。

 それが表情に出ていたのか、一矢はそれが草壁閣下が誇る最強の戦艦だと、俺に教えてくれた。

 最終決戦が近い事は、俺にも分かっていた。

 既にクーデターが始まってしまった以上、話し合いで丸く収まるとは思えない。

 また・・・収まったとしても、遺恨だけが残るだろう。

 地球側は、再びこのような事がないよう、徹底的な攻撃を木連に加え。

 木連側は、自分達の存在を認めない地球側に、最後まで抵抗するだろう。

 お互いに引けぬ位置まで来てしまった以上・・・後は力と力のぶつかり合いだ。

 

 

 

 

 

 ―――巻き込まれた方は、堪ったものではないがな。

 

 

 

 

 

「生体跳躍・・・ボソンジャンプが、何故可能なのかご存知ですよね?」

 

「ああ、遺跡と呼ばれていたユニットの存在があるからだろう?

 だが、アレは『漆黒の戦神』と共に行方不明になったはずだ」

 

 俺の返事を聞き、一矢は頷く。

 

「そう、この世界の何処かで『漆黒の戦神』とユニットは存在している。

 だからこそ、今なおボソンジャンプは可能なのだ・・・というのが地球側の通説です。

 ―――ですが、それは大きな間違いだ」

 

 突然、一矢の雰囲気が変わる。

 それは意外な事に・・・恐怖と呼ばれる感情だ。

 俺ではない、一矢が何かに対して恐怖を感じている。

 

「アレは人が・・・人類が触るべきものじゃなかった。

 もしかすると、俺達はプラントを発見せず、宇宙で朽ち果てるべきだったのかもしれません。

 少なくとも、これほど自分の好奇心の強さに後悔の念を抱いたのは、初めてですよ」

 

「100年前の事に文句を言っても、仕方が無いだろう。

 それが全ての始まりであったんだからな」

 

 小さく深呼吸をしている一矢に、俺はなるべく軽い口調で話す。

 それを聞いて、一矢は少し苦笑をした後に、自分が知りえた情報を語りだした。

 俺がいかに無知であり、世界が既に激しく動き出している事を告げるために。

 

 

 

 

 ラビスとハルという、木連に二人しか存在しないマシンチャイルドを使い、知りえた情報を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――それは、絶望と狂気に彩られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿だ・・・揃いも揃って大馬鹿者だ!!」

 

 思うように動かない身体を捻り、俺は絶望の声を上げた。

 大声を上げる事で傷が痛みだすが、それより心の傷の方が痛かった。

 信じていた者に裏切られたとか、そんな問題ではない。

 それはまさに・・・暴挙であり、冒涜だった。

 この話が本当ならば、ナデシコは、地球側は絶対に勝てない!!

 いや、木連と地球の未来すら・・・ある意味最悪の結果を迎える!!

 

「・・・もう、木連は引き返せません。

 後はただ終焉まで突き進むのみ、です。

 勿論、信じる信じないは月臣殿の自由ですが」

 

 話す事は全て話したとばかりに、立ち去ろうとする一矢。

 先程の話を、法螺だと言って笑い飛ばしてやりたかった。

 だが、何故か・・・俺はその『真実』に納得をしていた。

 

 ―――彼等なら、やる、と。

 

「私の能力で、会話の音漏れは防いでおきましたから・・・他人にこの事は伝わらないはずです。

 盗聴器やカメラ類も、ハル達に頼んで無効化してもらってますしね。

 ・・・勝手なお願いですけど俺が失敗した時は、後の事はお願いします、月臣殿」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・止められるのか?

 いや、それ以前にどうしてそこまでする?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一応、父親ですからね・・・・・・・・・・頭を撫でてもらった記憶すら、一度も無いですが」

 

 一矢は背中越しにそう答えて、病室から出て行った。

 

 

 

 


 

 

 

 

 先程の話を思い返していると、扉の前に馴染んだ気配を感じた。

 

「・・・京子、目が覚めたのか?」

 

「はい、一矢さんが去り際に起こしてくれました」

 

 病室に、恥ずかしそうな顔で入ってくる京子を、俺は見詰めていた。

 京子はいそいそと自分の定位置・・・俺のベットの隣の椅子に座り込む。

 

 一矢にすれば、あの話を京子に聞かせるのは、忍びなかったのだろう。

 そんな心遣いに感謝しつつも、未来を思うと暗澹とした気分になってしまう。

 だが、この『真実』を知る者が、俺だけならば・・・どんな屈辱も耐えていかなければならない。

 真実を知る者として、何らかの手段を見つけるためにも。

 

 ―――それが死地に赴く一矢が、俺に頼んだ事なのだから。

 

「・・・厳しい顔をしてますね。

 何か心配事でも?」

 

「心配事だらけさ、嫌になるくらいな」

 

 無意識のうちに握り締めていた拳を、そっと京子が自分の手で包み込む。

 強張っていた体が、その感触の前に緩やかに脱力していった。

 改めて、この女性が自分に必要な存在なんだと思った。

 

「この先、色々と大変になると思う。

 ・・・それでも、俺と一緒に歩いてくれるか?」

 

「はい、何処までも」

 

 

 

 

 

 

 

 握り締めた手が、とても暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その3に続く

 

 

 

 

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