少年

機動戦艦ナデシコ

最終話 「一ヶ月の永遠」




金瞳の少年は黒塗りの武装リムジンの中にいた。
柄では無いのはわかっているが、
少年が現存する唯一の使用可能なマシン・チャイルドゆえ
その警護、および監視の為に宇宙軍が用意したのだ。
同乗するのはミナトと三郎太、そしてスーツ姿の二人の軍人である。

そのリムジンの向かう先は連邦中央赤十字病院、通称連赤(れんせき)。
そこに彼らの目指す人たちが収容されている。


「みんな、元気にしてるのかな?」

「きっと元気にしてると思いますよ、ミナトさん。
 裁判中もずっと治療が続けられてたって言ってましたし」

「ま、あのラピスちゃんだっけ?
 あの子は黒尽くめの兄ちゃんと一緒なら大概元気だろうけどな」

「三郎太さんの足はもう大丈夫なのですか?」

「問題無いよ。 
 やっぱり地球の医療技術って凄いからな」

「安心したわ、三郎太くん。
 あの二人も、裁判も無事に終わって安心しているところでしょうね」

「しかしまあ、随分と早く終わったもんだな」

「とは言ってもテンカワさんにとっての一ヶ月って、短くはないですよ」

「まあ、な」


それから暫し、アキトの裁判結果についての話題が続いた。

少年はナデシコが地球にたどり着いてからのことを振り返っていた。
その一月の間、少年にとって己が慕う艦長の為にできたことは極めて限られていた。
療養中の彼女に無用な圧力がかからないようにすることがほぼ唯一のこと、と言っても良いだろう。

その短い一ヶ月の中で、
ケースの大きさからすると信じられないほどの早さでコロニー連続襲撃犯、テンカワ アキトの裁判が終わっていた。
原告側、被告側とも控訴の意思が無く、一審で結審となっていた。
だが、如何に常識的に言って早い裁決が下ったとは言え
彼にとって残された時間のうち、およそ三分の一が費やされてしまったのである。




裁判の概要は以下の通り。


テンカワ アキトは以下の罪を理由として起訴された。
反乱、殺人、傷害致死、傷害、威力侵入、公共物損壊、器物損壊、私有地不法侵入、そして未成年者略取誘拐罪。

この内、早々に否定されたのが反乱罪と未成年者略取誘拐罪である。
被告の動機が「火星の後継者」を止めることと誘拐されていた配偶者を取り戻すことであったため、
国家に対する犯罪である反乱罪は適用されず。
またラピスに関しては現在親権の擬制が認められており、処罰対象外となった。

しかしながら、コロニー住人達の未必の故意による殺人、
またコロニーを守備していた統合軍に対する戦闘行為に起因する殺人罪、
他多くの罪に関してはその否定をすることが不可能であった。

主な議論の論点は、正当防衛・緊急避難による違法性阻却の適用と
叛乱制圧に貢献したことの評価との二つに絞られた。
結論を言えば、緊急避難が殺人罪以外の項目に関してある程度適用され、
また叛乱鎮圧行為が現在の治安の安定に対して多大な貢献したことを認められ、極刑は免れた。

結果として判決は但し書きつきの無期懲役。
但し書きに曰く、

「(前略)しかしながら、被告の身体は著しく損傷しており
 刑の執行の前に半年を上限とする期間の治療が行われるものとする」
 



この判決により、裁判前と同様に連赤で治療が続けられることが決定した。
彼の残り時間を考えると、実質的に刑の執行は無いようなものだ。
控訴をしたとしても、あるいはその裁判準備中に命の灯火が消えてしまうかもしれないような状態の彼に対し
検察側はこれ以上審理のプロセスを進める意義を見出さなかった。
今後のテロ行為の可能性を封じたことで検察は基本的にその目的を達したといえる。
検察の鉾先は今現在ネルガル、クリムゾン、そして統合軍に向けられている。




リムジンが音も無く病院の前に停まり、三人が降ろされる。
車は少し先の駐車場で再び停まり、背広の男の片方が車外に出て警戒に当たる。


「この一ヶ月、長かったような短かったような。
 けど、ようやくこれで艦長があの旦那に会えるわけだ」

「艦長もこの日が楽しみで治療を続けていたんですしね」

「ルリルリはもう来てるのかしらね?」

「予定通りなら30分前には着いているはずですよ。
 あ、あそこに護衛の人たちがいますから、もう中にいるはずですよ」

「じゃ、もうアキトくんと一緒なんだ。
 思いっきり冷やかしてあげなくちゃ、ね」


元ナデシコC艦長、ホシノ ルリもここに移送されていた。
彼女の精神状態を鑑みて(かんがみて)軍事法廷、刑事法廷ともまだ開かれていない。
仮処分として軍部よりナデシコCの艦長の身分を剥奪されてはいるものの、
その階級等はまだ以前のままであった。

この連邦中央赤十字病院に移送された理由は、ルリの治療目的という名目のためである。
地球帰還後の一月の間、集中的なカウンセリングや投薬治療によって彼女の精神状態は極めて落ち着いていた。
だが、尚も躁鬱病(そううつびょう)の傾向があるのを幸いとし、法廷に出るのを遅らせる理由としてそれを使い、
己の想い人といられる機会を最大限に活用しようというのだ。
テンカワ アキトの裁判中こそはそれがままならなかったが、
両者の治療行為に好影響を及ぼすという錦の御旗を用いて集団療養を行うわけだ。




少年にとり、ルリに再び会うことは恐怖を抱かせないわけではない。
あの時に味わった絶望の記憶はまだ心の中でしこりとして残っている。
しかし例え再び彼女より拒絶を投げかけられようとも
少年はそれを受け止める覚悟をしていた。
それが彼女の笑顔を守るためなら、今後彼女に会うことさえあきらめる覚悟をしていた。
いかに、心が痛かったとしても。
少年はふと、額に残る痣に手を触れる。




受付で身分を確認された上でアキト達三人の病室を聞き出し、
エレベーターを降りてボディチェックと身分照合を再び受けてようやく病室にたどり着くと、
そこでミナトたちが聞いたのは彼らの良く知る少女の穏やかな話し声であった。

病室をノックした三人を出迎えたのは、
その心からあふれ出る喜びを隠しきれない、いや隠そうともしないきらびやかな笑顔。


「ミナトさん、来てくれたんですか! 
 ありがとうございます。
 
 三郎太さんも、ハーリーくんも早く入ってください!」


三人のうち、ミナトは過去一ヶ月の間に何度か会うことができていたが、
三郎太、そしてハリにとってはあの事件以来の再開であった。
少年にとって一月ぶりに再会する少女は
あの時の狂気を覚えさせないくらい明るく、輝いていた。

病室に入った三人は黒ずくめに身を装って車椅子に座ったアキトと、
その首に両腕を絡ませる白金の髪の少女を目にする。


「お久しぶりです、艦長。 
 テンカワさんもラピスちゃんも元気そうで何よりです」


如才なく挨拶をすませる三郎太。
少年もやや遅れて挨拶を繰り返す。

拍子抜けをしてしまったが故に、どう話を始めてよいのかわからないでいる少年。
先ほどの笑顔とは打って変わって、迷いを見せる少女。
車椅子の男がほら、と一声かける。
ややあって意を決したように白銀の少女が少年に向かって深く頭を垂れる。


「ハーリーくん、あの時は、本当にごめんなさい。
 あんな、あんな酷いことを。
 許されるようなことじゃないですけれど、言い訳なんてする余地も無いですけれど、
 本当に、本当にごめんなさい」


少年は理解する。
かすかに少女の声に含まれるのは、怯えの色。
少女が心からあの時の己の言動を悔い、少年に拒絶されることを恐れているのだ。

少年が返すべき言葉を迷っていると、不安に駆られたか少女が頭を上げる。
道に迷った仔猫を思わせる震えた金色の瞳。
それを見て、少年は深く考えすぎていた自分自身を笑った。
ただ、思うことを口にすればいいのだ。

元より少年にはこの少女を責めるつもりもなく、
ただ微笑んで、彼女の回復を喜んだ。


「良かったです、艦長。
 僕は艦長の元気な声が聞けるだけで、それだけでとても嬉しいです」

「ありがとう、ハーリーくん。
 実を言うと、もう話をしてくれないのでは、と心配だったんです」

「それは無いですよ、艦長。
 もっと自分の部下を信用してくれないと」

「でも、あのときの私の言葉、
 いまさらですが、自分でも信じられないようなことを言ってしまいました。
 どれだけ傷つけたかわかりません。
 それにこの痣、ミナトさんから聞いたのですがあの時に作ってしまったんですね」


そっと白魚のような指が少年の額を撫でる。
未練ゆえか、心がかすかに浮き立つのを感じる。


「正直言って、痛かったです。
 額の傷なんか、胸の痛みに比べたらなんてこともありません。
 でも、もう痛くないです。
 艦長の元気な声を聞いたら、ぜんぜん痛くなりました」

「本当ですか、ハーリーくん?」

「はい、艦長!」


屈託無く笑う二人。
よかったなぁ、と肩を叩くのは三郎太だ。
今まで沈黙を保っていたアキトとラピス、そしてミナトも加わり、
病室の中は暖かい空気に包まれた。

会話は続く。
快方に向かいつつある少女を中心として、
この一ヶ月のことを互いに語りあう。
黒の男の裁判や治療の経過。
改修が決まったナデシコC、解体の決まったユーチャリス。
そしてアキトやルリに忠実すぎるあまりに転用することができず、
かと言って廃棄するにはあまりに惜しく、宇宙軍にて凍結されたままの二体の機械知性の話。
宇宙軍より検察局に対クリムゾン、対統合軍の協力者として出向している少年の話。
宇宙軍に対して、ひいてはルリに対し統合軍からの圧力がかからなかったのは
少年が彼らと火星の後継者との癒着の証拠を暴きまくったためである、というのは三郎太の言。

少女達はアキトの傍に居、彼の助けになることに心底喜びを感じているようであった。
男も二人の喜び溢れる妖精たちに囲まれて幸せを感じているようであった。
そして、彼ら三人を見てほっとしていたのは訪問した三人も同様であった。

この日が、少年が己が慕う少女の笑顔を見ることのできた、最後の日である。




少年が次にルリたちのところに訪れたのは三日後。
アキトの容態が急変したことをミナトより連絡を受けたためだ。

クリムゾンと火星の後継者の癒着の開始時期を見定める資料の整理をしていたところにその報せを受けたハリは
検察局から連赤までヘリで急行する。
護衛官を置き去りにしつつ、また看護婦らの叱責をも無視して病室に駆け込むと
そこにいるのは男に縋りつき、懇願するように必死に声をかける二人の少女。
そのあまりに必死な様子に声をかけるのをためらっていると、
入り口のすぐ脇に佇んていだミナトが少年の肩にそっと触れる。
その顔を見上げる少年を、彼女は病室から音も無く連れ出す。

病室の外で少年とミナトは白衣の男、アキトの主治医に引き合わされる。


「ハーリーくん、呼び出しちゃってごめんね。
 それと、来てくれてありがとう」

「いえ、いいんです、ミナトさん。
 それより、何がどうなったんですか?」

「私もよくわからないの。
 今、主治医の先生から話を伺うところなんだけど、
 一緒に聞いてくれると助かるわ。
 ‥‥‥ちょっとルリルリたちには声をかけられなくてね」


無言で頷く少年。
そして二人、白衣の男に顔を向ける。


「先生、お願いしてよろしいでしょうか?」


主治医の男はカルテを左手にもったまま頷く。
アマノです、と名乗ったあと、説明を始める。


「テンカワさんは今朝未明、強い発作を起こしました。
 その発作は過剰投与されたナノマシンの暴走によるもの。
 フレサンジュ博士より受け取りましたカルテと比較しても過去最大の規模の発作とって良いでしょう。

 現在の状況は芳しくありません。
 意識はまだ戻っておらず、検査によるとナノマシンの侵蝕が今回の発作で一気に進んだようです」

「どうしてまた‥‥‥。
 ようやく艦長と一緒に過ごせるようになったってのに」

「残念ですが、それが今回の発作の原因にして、
 その発作を大きなものにしたものだと思われます」

「なん」

「気が抜けたためです。 
 これまで、裁判は戦闘行為でずっと張り詰めていた心が緩んだため、
 一時的に身体の抵抗力が落ちて
 暴走、ナノマシンの侵蝕が進んだのでしょう」

「なんてこと‥‥‥」


あまりのことに言葉を無くす、ミナト。


「もとには、戻るんですか?
 また前みたいに三人でいられるんですか?」


少年の問いに、苦虫を噛み潰したような顔で答えるアマノ。


「‥‥‥意識は、戻ります。
 ですが、ナノマシンの侵蝕状況からすると、四肢はもうほとんど機能しないでしょう。
 あと、これは実際に意識を取り戻すまでははっきりとは言えませんが、
 声を無くした可能性もあります」


あまりにも、重い一言であった。




その日夕方近く、アキトの意識が戻った。
だが、主治医の予測どおり彼の声も四肢の機能も失われていた。
それでも二人の妖精は喜びを顔に表し、暫しの休息をとることができたが、
男の苦悩は深かった。
己にできることがもはや何も無い、という想い。
残り時間が示す以上に己が無力である、という焦り。

それは三人を一日中傍で見ていた少年の眼にも明らかだった。
医師の説明によれば、男の容態は今後悪化するのみ。
残り二ヶ月弱といわれていた残り時間もどうなるかは怪しい。
そうなった時にルリたちがどうなるか、悪いほうの想像がいくらでも膨らんでしまう。
少年はただ、黙って唇を噛み締めていた。


二人がテンカワさんに頼り切っているのはあまりにも明らか。
でも、今そのそこから抜け出すにはどうすればいいのかがわからない。
二人が自立するまでの時間が、ぜんぜん足りない。
医学の知識をまったく持っていない自分にできることはあるんだろうか?





太陽が西の地平に消えていく最中、
自室に戻った少年はただただ考え続けた。
額に残る痣に再び手を触れ
あの時の作戦前に必死で考え続けたことをふと思い出す。
自分自身で答えを模索することができなくて、思兼と語り合って心を決めたときのことを。

そこまで思いを馳せたところで気がついた。
ある一つの可能性のことを。


これができるのなら、あるいはルリさんたちを救うことができるのかも。
まずは理論的検証からだ。 
イネスさんはまだ月で拘束中だから無理として、
何とか思兼とコンタクトが取れれば。
‥‥‥ミスマル提督に頼んで許可をとるか。
どの道それが可能になったとしても思兼や建御雷の助けが必要なのは間違いないし。
とすると、ただ頼むだけじゃなくて納得してもらわなきゃならない。
まずは計画の原案の作成か。
奇想天外な話だからまともな人は聞いてくれないかもしれないけれど、あの提督なら。


意を決した少年は凍結されている思兼と建御雷の使用許可書申請書と
それに添付する計画書の原案の作成を始める。




次の日より一週間、条件付で使用の許可された思兼(建御雷まではこの時点では無理だった)とともに
理論的検証から実際的な計画の立案を成し遂げる。
そしてその計画が実現可能であることを確認した後、
ミスマル提督を始めとする宇宙軍上層部の前でのプレゼンテーションを行うことになる。
このプレゼンで上層部を納得させること無しには思兼と建御雷の使用許可は下りないとあって、
少年も思兼も真剣にその準備に当たった。 
ましてや救うべき人物にはタイムリミットが押し迫っているのだ。
同時に本来課された役目である検察局での仕事もこなさなくてはならず、
まさに八面六臂の働き振りであった。
 
少年は懐疑的な眼を向ける軍の重鎮達の前で、思兼のサポートもあってプレゼンテーションをやり遂げる。
『人類の不死へといたる道を切り開くための道標』というPR文句は
軍の上層部をいたく刺激し、またミスマル提督の後押しもあったがため、
少年は凍結されていた二体の太陽系圏最高の人工の叡智の使用許可を勝ち取った。




再び少年がアキトと二人の少女の前に訪れたのは
前回アキトが発作を起こしたときから二週間がたって後のことである。
医者の概算によると、男の残った命はおよそ一ヶ月というところ。
指一本動かせず、声一つを出せないままの残りの一ヶ月である。

三人の様子は少年が予想していたよりも悪化していた。
憔悴した三人の顔が物語るのは、彼らの望みの無さであった。
二人の妖精はその瞳の輝きを失い、その雪花石膏のようであった肌のあちこちに痣をつけていた。
ここに来る前に会った主治医の話では、
精神的にリンクして、言葉無しにもコミュニケーションできるラピスをルリが嫉妬したことが喧嘩の始まりだという。
そしてアキトの制止の声をラピスが代弁したことがそれに拍車をかけたらしい。


「ああ、ハーリーくん。 
 お見舞いに来てくれたんですか、ありがとう」


朦朧とした感じでひどく平板な声で迎えるルリ。
軽く目眩のようなものを感じながら、
それでも気力を振り絞って少年は三人に語りかける。


「お久しぶりです、テンカワさん、ルリさん、ラピスさん。
 今日は聞いてほしい話があるんです」

「なんでしょう?」


またも平板な声で、あるいは機械的に答える少女。
何の感情も伴わない、期待することをあきらめたような表情。
だが、次に発した少年の声は、その少女に衝撃をもたらす。


「テンカワさん、僕はあなたに時間を与えることができます」

「本当ですか! 一体、どうやって‥‥‥」


一瞬破裂したように反応するが、そんなはずが無い、とすぐに声が沈む。
その瞳が物語るのは、どんな高名な医者も匙を投げたのにお前ごときに何ができるのか、という意。
一瞬でも期待した自分を自嘲するように無表情に戻る。


「まず大体のところを説明しますが、その後でラピスさん、
 テンカワさんの代わりに返事をして欲しいのですが」

「やめてください! 
 どうせ、また無駄に終わるに決まっているんです!
 期待だけさせておいて、
 何度も何度もがっかりして、ただアキトさんがもっと傷つくのを見て!」

「ルリ」

「何ですか!」

「ルリ!」


少女の爆発を止めたのは、もう一人の少女。
その声の源を見てさらに感情を高ぶらせようというとき、
それを抑えたのはものを言うことのできぬ、男の真剣な眼差しだった。
なんとか自制したものの、だが心にしこるものは隠せない少女。


「アキトが言ってる。
 また、駄目かもしれない、でもアキトは最後まであがくって。
 だからルリ、話を聞こう?」

「‥‥‥ただ命が延びたって、もう‥‥‥」


泪とともに呟き、男の身体に顔を押し付けるルリ。 
もう一人の少女もそれに倣う。
アキトはルリの声に沈痛な表情になるが、少年に真剣な眼差しを向ける。
少年は男に目で礼をすると、再び話し始める。


「テンカワさん、僕はあなたの生きる時間を延ばすことはできません。
 でも、時間を与えることはできます」


少年の意が伝わらず、よくわからないという様を見せる男。
それを意に介さず少年は続ける。


「そしてその時間の間、またルリさんやラピスさんと話し、歩くことができるはずです」


その言葉に身を起こしたのはまたも白銀の少女。
少年に掴みかからんとする勢いで問いかける。


「できるんですか、そんなことが! 
 教えてください、お願いします! 
 アキトさんを、助けてください!!」
  

少女の、男の回復を願うは心からの祈り。
だが、その利己的な心根に彼女は気づいているのか否か。
いまさらこれが嘘だというのであれば、少年はその命の炎が掻き消されることを覚悟せざるを得まい。
少年は軽く息を吸い込み、気を鎮めて言葉を続ける。


「わかってます、艦長。
 落ち着いて聞いて、その上で判断してください。

 まず、僕は医者でも技術者でもないので、テンカワさんの身体を治すことはできません。
 延命するにも僕にできることはありません。
 これが、時間を延ばすことはできない、ということです」


ここまではあまりにも当たり前のことだ。
三人の目に確かな理解の色が見える。


「僕にできるのは、時間を拡大させることではなくて、時間を細分化することです。
 言い換えれば、時間の進み方を遅くするんです。

 もちろん、現実的に時間の進み方を変えることなんてできるはずがありません。
 でも、時間の感じ方を変えることができるんです。
 主観的な時間、とでも言えばいいのでしょうか?」
 
「でも、どうやって?」


ここまでの理解を示し、かつ明らかな興味を持って白金の少女が問う。


「これをやるのには思兼のような、巨大なキャパシティを持った人工知性の協力が必要です。
 既に宇宙軍上層部に掛け合って、思兼と建御雷の三ヶ月の使用許可はとってあります。
 彼ら二体の能力なら、IFSを通じてテンカワさんたち三人をディープ・リンクするには十分以上です。
 そしてそのリンクの後で行うのが」

「精神の加速!」


答えに行き着いた、かつての理性を取り戻した白銀の少女に少年は暖かな笑みとともに大きく頷く。


「その通りです、艦長。
 思兼式二体の作り出す巨大な虚構世界でなら、
 テンカワさんのナノマシンの暴走抑制のコントロールを思兼に行わせても
 三人くらいなら300倍以上の精神の加速が可能、
 かつ何人かのゲストを招くことが可能である、というのが思兼と僕の試算です。
 それ以上の加速は思兼式の現在の能力では難しいですが」

「仮想現実‥‥‥」

「その通りです、ラピスさん。 
 もちろん、これは現実ではない、仮初の生になります。
 それが本当にいいことかどうかは僕にはわかりません。
 でも、仮初の生だからこそ今テンカワさんが抱えている肉体的な問題を無視できます」
 

考えに沈む三人。 ややあって白金の少女が少年に問いかける。


「アキトからの質問。
 この仮想現実が、本当の生といえるのかって」

「わかりませんよ、テンカワさん。
 そういう哲学的なことは僕にはわかりません。
 僕個人の意見を言えば、これは本当の生とは呼べないような気がします。
 でも、それってそんなに大事なことなんですか?」

「大事なことじゃないの?」


少女の口を通して男が聞き返す。


「僕には何でそれが大事なのか、よくわからないんです。
 僕から見て大事なことは、してあげたい事があるけれどもできないままでいるテンカワさんの悩みを解消して、
 ルリさんとラピスさんに笑顔を取り戻す手伝いをしたい、ということだけですから。
 僕はただ、何とかできるかもしれない手を見せているだけです」

「『俺にそれができるのか?』って」

「それこそ、テンカワさん次第ですよ。
 なんとかしてください、お願いします。 これは僕のお願いです。
 思兼も建御雷も応援してくれると思いますよ」


頷くアキト。 
そして彼はルリに視線を送る。
電子の妖精と呼ばれた怜悧な頭脳で何を思うのか、静かに質問を投げかける。


「危険性は無いのですか?」

「思いつく限りの危険回避手段は用意しています。
 思兼がコントロールしても抑えられないナノマシンの暴走が起きた場合などを想定して、
 いつでもディープ・リンクを解除、即時現実に戻ることができます。

 テンカワさんはアドミニストレーターとして登録されます。
 舞台を決めるのも、基本的にはテンカワさんですし、
 それ以外の人を強制脱出、あるいは排除させることができます。
 ゲストの受け入れをするかどうかもテンカワさんの権利ですね。
 それと、思兼と建御雷が必要を感じたときにはテンカワさんを強制脱出させます。
 ほか、細かい設定は中で不都合を感じたときに思兼や建御雷と話してください。
 彼らはホスト人格として登場していますから。

 それと、これはあまり言いたくは無いんですが
 身体のほうがどうしても持たなくなる、というときにも解除されることになります。
 これは肉体無しに虚構空間内に残った意識がどうなるのか、というのは
 あまりにも倫理的に大きな課題ということで宇宙軍のほうからストップがかかりました」

「‥‥‥死ぬのは現実世界で、ということですね?」

「はい、すみません」

「いい夢から覚めたと思ったら、今から死ぬところ、ということですね?」

「残酷な話ですが、その通りです。
 その覚悟は、テンカワさんにしていただかなくてはなりません」


長い沈黙。
五分ほどたっただろうか、ついに男が顔を上げ、少年に対して頷く。


「やろうって、アキトが。
 ハリを信じるって」

「‥‥‥わかりました。 
 艦長も、いいですね?」

「アキトさんがいいのであれば」

「アキトが言ってる。 
 『俺にはもう失うものはなにもない。
  最後まで生にしがみついて、足掻くことにする。
  それで二人を少しでも幸せにできるなら』って」

「わかりました。
 それじゃ、明日の朝10時に迎えに来ます。 
 今からその準備を始めるので、これで失礼します」


踵を返す少年に呼び止める声が掛かる。


「ハーリーくん、
 どうも、ありがとう」


白銀の少女の精一杯の感謝の声。
一瞬足を止めるが、だが振り返ることなく少年はそのまま立ち去った。
今の顔を見られたくないから。

振り切ったはずの想い。
わかっていても、覚悟していてもそれでもなお辛いのだ。
自分が彼女に選ばれることが無いという確信は。

少年は溢れつつある泪を拭うこともせず、足早に病院の廊下を歩いていく。
途中傍についてくれた護衛官がハンカチをくれたが、
受け取らずにさらに足を速めると力強く頭を撫でられた。
なぜか、泪の量が増えたけれど。




そして翌朝、宇宙軍本部の研究所に移送された三人は
二体の巨大な機械知性の鎮座する一室より、永い夢へと旅立っていった。
数少ない見送る人たちに囲まれて。
残り一ヶ月の、永遠を求めて。








ルリちゃん、ラピス、どんな夢を見ようか?



幸せだった、あの頃にもどりたいです。



ナデシコAかい?



ええ。 そこにラピスさんも呼んでしまいましょう。



建御雷も?



もちろんです、ラピス。 
びっくりするかもしれないけれど、みんなで生きていきましょう。



うん、みんなで。



そうだね、みんなで生きていこう。















終幕


written by Effandross






 

 

後書き