「――ったく、アタマくるわね、あの双子」
ぱくっとタイヤキを頭からかじりながら、カナタは公園の噴水に小石を投げ入れた。
上がった水しぶきに一瞬だけ虹があらわれる。もう二、三度それを繰り返したが、虹が見えたのは一度きりだった。
「ボク、なんかしたかな」
カナタと同じタイヤキを頬張りながら、ミライは芝生の上でうなだれている。
「あいつらは、単に性格が悪いだけ。それとあんたがスキだらけなのも悪い。いぢめてオーラが全開なのよ、あんたはさ」
「いぢめて?」
頬に一杯の食べ物を詰め込み、うるんだ瞳で見上げるミライ。これではシオン、カノンでなくてもいじめたくなる。
「その顔よ、その顔。げっ歯類系の顔。食べ物は飲み込んでから喋るよーに」
もきゅもきゅと妙な音を立ててミライは咀嚼している。
「しっかし、どうしてくれようか。泣き寝入りなんてこのカナタ様には許されないし、だいいち怒りがおさまらない。なんとかギャフンと一声……」
いまどき誰も使わないような言い回しをしながら、カナタは腕を組んでいた。
「そうだ――」
と琥珀色の瞳に妖しげな光を煌めかせたのはそれからすぐのことだった。
「いいこと思いついた。こうしちゃいられない、帰るよミライ」
「にゅ? まって、まだタイヤキ食べて……」
「ダメよ、昼休みは短いんだから。のんびりしてる時間はないの」
とくにその短い時間を活用して、学園の外に買出しに出ている二人には、なおさらのことだった。
「いくよ!」
タイヤキを口にくわえたミライを引きずるように、カナタは学園にむけて走った。
午後の授業は実習が中心となる。
360−GENESそのものは地球連合直轄の公共機関だったが、その背後には出資者の複雑な思惑がからまりあっている。
とくにマシンチャイルドを擁するチームは、さまざまな企業や機関によって将来性有望なチャイルドを選出するための競売場のような側面があった。
実習にその色が濃くあらわれてしまうのもやむをえまい。マシンチャイルドに自分たちのシステムを使いこなさせようと、どの企業も必死になっているのだ。
高価なシミュレーションマシンがホールに並んでいる。
子供たちは慣れた様子で、それぞれのシートに身を沈めていた。
「はぁい。今日はNOS(ネルガル・オペレーティングシステム)を使って、ワンマンオペレーティングの実習を行います。みんな、用意はいいかな?」
元気のいい返事。ミナトは、それに満足すると、重たい胸を揺らしながら、ひとりひとりのシミュレーターをまわってフィジカルチェックを行っていく。
カナタの背後までその足音が聞こえたところで、
「あらぁ、カナぴー、その髪型カワイイ!」
と、むぎゅっと抱きついてきた。
「あの……先生。重いんですけど」
重いなんてものじゃない。超重量級の肉塊が二つ、我が物顔でカナタの上に乗っていた。
何を食べていればこんなプロポーションになるのか、ぜひとも尋ねておきたいものだ。
「うぅん。あたし、ツインテールって大好きなのよねえ。カワイイよぉ、カナぴー」
生徒ひとりひとりに妙なあだ名をつけることを趣味とするミナトは、グイグイと胸を押し付けてくる。正面からだったら、窒息死していたかもしれない。
「いえ、それはどーでもいいんで、はやいとこ授業始めてください」
うーんカワイイ、と頬擦り。きりがなかった。
「ホント、カワイイってば。ねえ、みぃくんもそう思うよね」
「うにゅ?」
みぃくんなるミライは、言葉に詰まった。
「……にゅ――うん、かわいいと……思うよ」
「さいですか」
微妙な間に不機嫌になるカナタ。
ミナトは飽きるまでカナタを愛でると、ようやく授業を再開した。
「名残惜しいけど、またあとでね。……それじゃ、シミュレーションを起動します。ワンマンオペレートフリート、第三ステージ。ペアのふたりは、協力して敵艦隊の索敵をしてください。間違っても攻撃なんかしちゃだめよ、減点しちゃうんだから」
そう告げて、ミナトは中央の制御コンソールから起動コードを打ち込んだ。
全員のシミュレーターに灯がはいる。
同時に浮遊型のウィンドウが空中に出現し、それぞれのマシンチャイルドを包んで回転を始めた。
「はい、ウィンドウボールの起動はうまくいったかな? あん、ダメよチルチル。しっかりとウィンドウを保持するの。そうそう、それでいいわよ」
空中に浮かぶウィンドウの数は、マシンチャイルドによって異なっていた。
それは、そのマシンチャイルドが一度に処理できる情報量に等しい。通常の人間はひとつのウィンドウを処理するのが精一杯であり、まれに天才クラスの人間が複数のウィンドウを扱うこともできた。しかしそれでもマシンチャイルドと比較してしまえば、文字通り桁が違っているのだ。
マシンチャイルドをヒトと呼ぶことに抵抗を感じる人間が多いのも仕方のないことかもしれない。社会的にその有用性を認知され、成長したマシンチャイルドはどのような職場でも重用される輝かしい未来が約束されていたが、それでも我が子をマシンチャイルドとして遺伝子調整する親はとても少なかった。
その中において、ミライのウィンドウ数は、群を抜いていた。
他のマシンチャイルドを大きく上回る数のウィンドウがミライを取り囲み、回転している。
優秀な部類に入るカナタと比較しても倍以上。あきらかに他のマシンチャイルドとは、一線を画していた。
「ホント、みぃくんは凄いわね。オモイカネクラスの処理速度なんだから」
ミナトは溜息のように言葉を吐き出す。気を取り直してよく通る声で告げた。
「それじゃ、ワンマンオペレートフリート、サードステージ。みんな始めるよ」
マシンチャイルドたちの琥珀色の瞳に、幾すじもの光が走る。
視覚がデジタルに変換され、現実が仮想に置き換えられていく。
カナタの目の前に宇宙が広がっていた。
質の荒い仮想現実。仮想の宇宙と、仮想の星だ。
「ミライ、聞こえる?」
『うにゅ』
ふたりはペアだった。
一隻の戦艦を運用するためのペア。
白磁のナデシコ級戦艦が見える。操艦はミライ。カナタは全体を統括する艦長兼サポートとしての役割。
「さっき言ったこと覚えてんね。必勝だからね」
『にゅぅ〜。ガンバル……けど』
「けどじゃない! 必勝! 滅殺! そして心は不退転! いいわね!」
『カナちゃん、なんか怖い。やっぱりツノ生えたんだ』
「うるさい。さてと、やつらを探さないといけないな。同じエリアにいるはずだけど……」
『みつけた。十時方向、距離1800』
「お、ほんとにいた」
そこには、カナタたちと同じ、ナデシコ級戦艦の姿があった。
「そこのおふたりさん!」
そのナデシコにむけて通信。
相手はわかっている。シオンとカノンのペアだ。なにしろ昼休みの残りを使って、こうなるようにカナタが仕掛けたのだから間違いない。
『あら』『まあ』
そんな声が綺麗に重なって返った。
「勝負しましょう、ふたりとも。さっきの借りを返してあげる」
『イヤ』『面倒だもの』
『――だって。どうしよう、カナちゃん』
「だって、じゃないでしょ、だってじゃ。……あんたたちが勝ったら、ミライを下僕にでも召使いにでも好きになさい。そのかわりあたしたちが勝ったら、二度とちょっかいを出さないこと。これでどう」
『にゅっっ!! ボク!?』
『下僕……』『召使い……』
しばらくふたりだけでヒソヒソと相談しているようだった。
『OK』『了承』
『ダメ!』
「いいわ、決まりね」
ミライを無視して話は決まった。勝負の方法はナデシコ同士の一騎打ち。しかし、このナデシコはワンマンオペレートフリート構想のモデルシップだ。一騎打ちというよりは、艦隊戦の様相を呈すはずだった。
『うふふ……奴隷』『くすくす……人犬』
『カナちゃん、ボク寒気がする……』
「我慢なさい。男の子でしょ」
『にゅぅぅ。負けたらカナちゃんも一緒に奴隷になってよぉ』
「イヤ」
『カナちゃん、ヒドイや……』
「だいたい負けるはずがないでしょ。あんた、自分の能力わかってんの? バケモノ級なんだからね」
『でも、あのふたり、居残り組だよ?』
居残り組とは、五歳を迎えながら、火星に戻らずにアマテラスに残ることを決めた子供のことをいう。
シオン、カノンは高い能力をクリムゾン・グループという企業に買われ、すでに契約を交わしている。あと数年、ここで学習を続け、その後に地球に渡る予定になっていた。
いまのふたりの年齢は八歳。ミライの倍の経験を積んでいるのだった。
「才能は努力を凌駕するのよ! 天才は99%の才能と、1%の努力で作られるの。いいわね!」
『逆だよ、それっ!』
泣きそうなミライをなだめすかし、闘いを始めさせる。
「先手必勝! ミライ、スレイブ・シップを分離。扇状に展開後、挟撃!」
『にゅ……ぐすっ。……りょーかい。分離開始。フェーズ108から120まで実行。アーム離脱』
仮想現実の世界で、一隻の戦艦から、三隻の小型艦が分離していた。
500メートル級戦艦を旗艦とし、20メートル級戦闘艦三隻を配下に従えた艦隊。そのすべてを、たった一人のマシンチャイルドが操る、ワンマンオペレートフリート構想の姿だった。
「敵はまだ分離に手間取ってるわ。さすがミライ。激速オペレート! いけ! 一気に殲滅!」
『にゅ!』
ようやくやる気になったのか、三隻のスレイブ・シップが一気に展開する。奴隷がよほど恐ろしいのだろう、普段のミライからは考えられない勇猛さだった。
『一斉砲撃!』
三隻のスレイブ・シップが、シオン、カノン組のナデシコを囲み、グラビティブラストを一度に浴びせた。
まともに喰らえば、一撃で墜ちる、そう思ったとき、すでに敵は行動を開始していた。
「あっ!」
分離にもたついていると見せたのは誘いだった。ナデシコも加え、四隻の戦艦が接触しかねない密集隊形で、一直線にこちらに肉薄する。敵は旗艦を一気に撃沈するつもりだと悟ったカナタは叫んでいた。
「グラビティブラスト全力照射! 同時に前進、突っ込め!」
敵のグラビティブラストも同時だった。
正面からぶつかったグラビティブラストの黒い光条は、密集していた敵の出力が上回っている。しかし威力の弱まったそれでは、ディストーションフィールドを突き破ることはできなかった。
一隻と四隻が唸りをあげる相対速度ですれちがう。現実の宇宙戦では絶対にありえない光景が、仮想の世界で展開されていた。
「あっぶなあ。さすがにやるわね、居残り組め。女狐ツインズ! 殺!」
沸騰するカナタだったが、それでも冷静な面を残しているようだ。
「でも、くっそお。あんな密集されちゃ、攻めづらいじゃないのよ。ねらいは火力を集中しての個別撃破か。わかっちゃいるけど、どうしよう」
『こっちも密集隊形を取ったら?』
「ダメ。それじゃ一対一と変わらない。おたがいに手詰まりになるのがオチ。下策。チキン」
『……もしかして……負けちゃうの?』
「負けない。ふざけんな。……だったら、こうしよう――おとりに一隻使う。残りは一点集中で側面から遊撃。できるね、ミライ」
『にゅ!』
「よし、決定。おとりはあたしがオペレートする。逃げまくるから、背中っから一発やったれ。いくよ!」
ハイテンションで突撃! というところで、宇宙の映像にざざっとノイズが走った。
「ありゃ。戦術情報にもノイズ? なにこれ」
『うにゅ。シミュレーションが処理落ちしてる。凄いパワーの割り込みだよ。――外部からの通信? なんだろ、どうやって?』
すぐにシミュレーションの実行が停止した。加速を続けていた戦艦がその場で固まる。
身動きできなくなったカナタたちの目の前で、仮想の宇宙と星々を背景に、一人の女性の姿が出現していた。
ミライに似たシルバーの髪を、カナタと同じツインテールにまとめている。琥珀色の瞳。どこまでも繊細な雰囲気を有した、美しい女性だった。
『カナちゃん、きれーな女の人だ!』
ミライが騒いでいる。
シミュレーションに、こんなものが含まれているはずがなかった。外部からの割り込みなのだ。
『アキトさん、聞いてくれていますか――』
女性が口を開いた。
『このメッセージは、アキトさんのDNAパターンに反応して送信されるようにプログラムしてあります』
『うにゅ! 喋った!』
「黙んなさい! どうなってんの、いったい。ミナト先生は」
『アキトさんが見つからず、こんな手段に訴えるしか方法が無かったのです。うまく届いてくれることを祈っています』
「うまく届いてなんかいないってば! だめだ、リアルタイムじゃなくて、録画なんだ、このメッセージ」
『でも、すごいよ、この人。たぶん、ネットワークに接続されてるIFS(イメージフィードバックシステム)を監視して、利用した人のDNAパターンを調べたんだよ。アキトって人がIFSを使えば、メッセージが届けられるはずだったんだ』
「でも失敗してんじゃない。迷惑よ――くっそぉ、なんでとめらんないのっ!」
女性の像は、すがるような瞳で言葉を紡ぐ。
『アキトさん、お願いです。ユリカさんを助けてください。ユリカさんの時間はあの時に止まってしまいました。アキトさんが消えて、身篭っていた子供を殺されたときに、すべてが止まってしまったんです』
「うわ。なんか深刻」
『あれから五年、人類唯一のA級ジャンパーとして統合軍に身柄を拘束されたまま、心が少しずつ死のうとしています。お願いします、アキトさん』
聞くうちに、カナタに焦りが生まれていた。
間違いで聞いていいメッセージとは思えない。
これを聞いてしまった自分は、責任を負わなければならないのだろうか。このメッセージを本当の相手に送り届けるために努力しなければいけないだろうか。
そうでなければ、この女性が哀れすぎる。
このメッセージを見過ごすことは、死にかけている人を見捨てることと同じではないか。
「あたしはカナタだよ。アキトなんて人は知らないの。ゴメン」
それがせめてもの謝罪の言葉だった。
もちろん、届くはずはないと知っていたが、それでも言わずにはいられなかった。
「うぅ――ミライ、どうしよう」
『わかんないよぉ』
そんなふたりの葛藤を知らず、女性は言葉を続けた。
『わたしたちは月にいます。せめておふたりの子供、カナタさんさえ生きていれば――』
いきなり女性の像が消えた。それだけでなく、背景の宇宙の輝きも消えていき、カナタは自分が仮想の世界から、現実の世界へと引き戻されようとしていることを知った。
「あっ! まって――!」
「――カナぴー、みぃくん!」
伸ばした手は、女性に届かず、目の前にあったミナトの豊満な胸をムズとつかんでいた。
「あん、カナぴー大胆」
すでにカナタは現実に戻っていたのだ。
ミナトの現実離れした胸の柔らかさに、だからこそ現実だと確信する。こんなもの、絶対にシミュレートできっこない。
「あぁ、驚いた。いきなり何の反応もなくなるんだものぉ。どうしちゃったの、ふたりとも」
まわりを見回す。ウィンドウボールは乱れて、好き勝手にウィンドウが飛び交っている。
そのすべてに、強調されたゴシック文字で五つのアルファベットが表示されていた。
『OTIKA』
ウィンドウがくるりと回り、それは『AKITO』になった。
その日の午後の授業はすべて中止と決まった。
ミナトは珍しく硬い表情で「誰にも言っちゃだめ」と生徒たちに口止めをすると、メッセージを記録したディスクを手に、どこかへと出かけていった。
「あの女の人、最後に“カナタ”って言ってたよね」
カナタは下校していく通常教育課程の生徒たちをボンヤリと眺めている。
火星生まれという以外、彼らとは何の接点もない。年齢も近い子供たちだというのに、マシンチャイルドだというだけで、カナタは同じ学園に通う彼らとほとんど会話をした記憶がなかった。
「カナちゃんと同じ名前だったね。ちょっと驚いちゃった。――はぐ、むきゅむきゅ」
公園の噴水に腰掛け、ふたりはたこ焼きを分けあっていた。学園の帰り道にいろいろなものを食べ歩くのが二人の日課なのだ。
「うん。あたしも驚いた。偶然ってすごいよね」
熱いたこ焼きは舌に新鮮である。
しかし本当に偶然だったのだろうか。あの最後の言葉を聞いてから、カナタは幾度となくその自問を繰り返していた。
五年前に殺されたという“カナタ”という名前の子供の存在。
その父親のDNAパターンに反応して届けられるはずだったメッセージが、なぜカナタに反応してしまったのか。
考えれば考えるほど、偶然と必然が逆転していくような気がするのだ。
「ねえ、ミライ」
「うにゅ? むきゅむきゅ」
「……ううん。これ全部食べていいよ」
「にゅ! あんがと!」
ホクホク顔でたこ焼きを口にするミライの横顔を眺めながら、カナタは深い物思いに沈んでいった。