『 4月30日 曇り時々晴れ』
   今日、ブロスさんからナカザトの身上書を手渡され絶句した。
   双方にとって不幸な事に、ナカザトは統合軍側から送り込まれたスパイであり、
   何の理由も無しに転属させる事は、まず不可能である事が判明した。
   え〜い、まったく。何処の何誰だ、こんなのにスパイの真似事をさせようなんて思いついた奴は。

   




『 5月 3日 曇り時々晴れ』
   今日、遂に全クルーに計画の全容を語り、俺の描いたシナリオが如何に稚拙な物であるか思い知らされた。
   正直穴だらけだろうとは思っていたが、こうも致命的な問題を幾つも抱えていたとは。
   やはり俺は、策士には向いていないらしい。
   だが、もはや立ち止まる事は出来ない。アキトが帰ってくるその日まで。




    〜 佐世保の某所仮設住宅 通称『ナデシコ長屋』の会議室 〜

遂に計画の全容を語る時が来た。
これで漸く、ナデシコが誇る天才達の叡智を借りられる様に成る。

って、畜生! まだ始まってもいないのに涙腺が緩んできやがった。
なにせ今回のコレって、常識ハズレな俺の戦歴の中にあっても、最も過酷かつ情けない闘いだったからなあ。
苦労と恥を分かち合える仲間の出来た嬉しさに、思わず踊り出したい気分だ。
『赤信号、皆で渡れば怖くない』とは良く言ったものである。

………いや、気を抜くのは少し早過ぎだな。まだ、最後の難関が残っている。
最悪、あの映像の所為で潰れちまう者が続出する可能性だってゼロではない。
それを避ける為にも、どんな些細な兆候も見逃さない様にしなくては。
俺は改めて気を引き締めつつ、ホシノ君に最終確認をとった。

「さて、ホシノ君。準備は良いかね?」

「はい、既にこの部屋の監視装置はダミー情報に差替えてあります」

「結構。という訳で、これよりアキト帰還の為の具体的な方法についての(キョロキョロ)説明を行う」

   シ〜ン

あえて禁断の一言を口にした事で、一斉に凍りつく場の空気。
良いねえ、期待通りのリアクションだ。
多少別の意味でも、心構えが有った方が、これから受けるダメージを少なく出来るだろうからな。

「提督! 何て無謀な真似を」

無茶は承知の上だよ、艦長。
だが、今回予想されるイネス女史の説明のダメージは、前回の比では無いんだ。
おまけに、イネス女史が来るのは、彼女の説明以上にショッキングな映像を見てからという事になる。
最初から相応の身構えをしておかなければ、完聴など到底覚束無い。

「残念だが艦長、今回はどうしても………」

と、俺が言いかけた瞬間、

   シュッ

「ちょっ〜と待った!(ドサッ)あら、御免なさい」

いきなり俺の頭上が光り出し、イネス女史がジャンプアウトしてきた。
ふっ、前回と全く同じシチュエーションだな。違うのは、ドアの外じゃなくて俺の真上である事位か。
などと、俺が厭世的な事を考え始めた矢先、俺の中での株がブラックマンデー並に落ち込んだ、あの男からの連絡が入った。

『イネス女史は無事か!!』

アークの上役か。イネス女史なら俺の背中の上だよ。

『それは良かった』

良い訳あるか! 離れた場所にジャンプアウトさせる約束だろう。
それを、俺の真上に出すなんて。当て付けにしても、あざと過ぎるぞ。

『いや、すまん。此方も緊急事態だったのでな』

緊急事態?

『実は先程のジャンプの瞬間、何故かイネス女史が途中で座標を変えようとした為に、危うくこの時空間から消滅し掛かってな。
 反射的に、太陽系内における特異点たる、貴公の元へ送るしかなかったのだよ』

な…成る程。
恐らくは、彼女の説明本能が、アークの上役の横槍を感じとり、無意識の内に打開策を導き出したという訳か。
それにしても、説明する為だけに其処までやるか、この女は。

『そ…そうか。それでは例の約束は、実行出来そうに無いな。貴公には悪いが、余りにも危険すぎる』

アークの上役が(イメージ的に)縋る様な波動を発しながら、俺の独り思念波(?)にそう答えた。
無理も無い。彼にしてみれば、まさか自分の方が手玉に取られるなんて、夢にも思っていなかっただろう。
俺自身、改めて思い知らされたイネス女史の恐ろしさに、心底戦慄している処だ。

『それでは私はこれで。取り込み中すまなかった』

おっと、そうだった。

「ちょと、大丈夫なの提督?」

俺が急いで意識を第二過程に戻すと、丁度イネス女史が不審を抱き始めた所だった。

「そのなんだ。チョッと急所に貰っちまって意識が飛んでいた様だ。
 いや、現役軍人にあるまじき不覚。出来れば忘れて欲しい」

「そ…そう。それじゃあ、私も敢えて気にはしないという事で」

軽く目で謝った後、ホワイトボードの準備に掛かるイネス女史。
すぐに興味を失った所を見ると、どうやら今回は上手く誤魔化せた様だ。

「それじゃあ早速説明を………って、まだ例の映像を見る前だったの!」

「ああ。何せ開始と同時の御来訪だったんでな」

「やれやれ、もう一度アレを見せられるなんてね。来るんじゃなかったわ」

本当なら貴女が来る頃には終わっている筈だったんだがね。
これを教訓に突然の来訪を止めてくれる………筈がないか。(泣)
ええい、埒も無い事を考えている場合じゃない!

「イネス女史の説明を始める前に、これからかなりショッキングな…いや、絶望的な映像を見て貰う。
 だが、恐れる物など何も無い。アキトは必ず救出する。
 アキト帰還に関しての困難は最初から予想されていたものであり、対処法も既に見つかっている。
 もう一度言う。俺達は、アキトは必ず救出する!」

気合を入れ直し、力強くそう言い切ってクルー達を発奮させた後、

「それじゃあ諸君、覚悟して見てくれ」

俺は映写機のスイッチを入れ、問題の映像の上映を始めた。

   ザザ〜ン、ザザ〜ン、ザザ〜ン………

赤い、赤い、赤い世界。
静寂だけが支配する世界。
波の音だけが全ての営みを支配し、
生命を運ぶ風さえも死に絶えた様に大地に澱み、
太陽までが錆付いたかの様に鈍い光を放つ、
何もかもが赤い世界。

一体どれほどの間、赤い海に見惚れていだろうか?
1分、10分、それとも1時間。
いずれであったとしても納得せざるを得ない程、見る者を容赦なく引き付ける何かを持つ赤い海。
そして、無限に続くかに見えたその静寂は、突如として、俺達が良く知る機体によって破られた。

ブローディアだ。
ボソンの光に包まれて現れたその姿は、赤い荒廃が支配する世界にあって明らかに異質な存在でありながら、
まるで地獄に落とされた堕天使を描いた宗教画如き異質な調和を醸し出ている。
だが、これは絵画などでは無い。そう………

「だ、駄目〜〜〜!」

真っ先に艦長が異常に気付いて絶叫するが、その声も虚しく自由落下していくブローディア。
そして、事態は艦長の予測すら超えて最悪のシナリオを辿る事となる。

「ブローディアが…溶けていく………」

ラピスちゃんが、まるで人形の様な表情の無い顔で呟き、それをホシノ君が必死に抱きしめている。
彼女自身そうする事で崩れそうな自我を必死に支えているのだろう。
誰の顔からも表情が消えていき、パイロット達でさえ顔色を失っている。

無理も無い。
数多の戦場を駆け抜け、俺達を導いてきた男とその愛機が、何処とも判らぬ異境の地で消え去ろうとしているのだ。
すべてが泡沫の夢だと言わんばかりに。
俺自身最初に観たときは、暫し自分を見失ったものだ。
暫くは彼女達も………

「それで、如何するんです?」

口もきけまいと思っていた俺の予測を裏切り、艦長が議題の進行を促してきた。
虚を突かれ、内心狼狽しつつも周りを見渡すと、いまだ他のクルー達は放心したままである。

「す…すまんが少し待ってくれんか。
 他のクルー達は、今だ目の前の現実を受け入れられずにいるんだ。
 どの道、今すぐにはアキトに手は出せない……」

「もう。アキトの事だけじゃなくてブローディアを。ディアちゃんとブロス君を救う方法の事です」

「は?」

「やだなあ、提督。彼女達だって、掛替えの無い仲間なんですよ。絶対に帰ってきて貰うんです」

俺は、改めて艦長の強さを思い知らされた。
あの映像を見た直後でさえ、彼女はアキトの帰還を欠片も疑っていないのだ。
これはある意味、盲信と呼ぶべきものかもしれない。
だが、見るべきものを総べて見た上で尚信じるのであれば、それは確かな強さだろう。
そして改めて確信した。
彼女は希望の申し子であり、喩え一寸の光さえ射さない暗闇の中にあったとしても、自分自身を光らせる存在なのだと。
もしも、未来に置けるアキトと艦長の立場が逆だったとしたら、彼女は復讐になど囚われる事無く、
不自由な身体を抱えつつも、幸福な生涯を送る事が出来たのかもしれない。
或は、より救いの無い事に成ったのだろうか………
いずれにせよ、総ては仮定の話でしかない。

………と、俺が物思いに(或いは現実逃避に)勤しんでいる間にも、艦長は律儀に俺の返答を待っていたらしく、物欲しそうな目で此方を見つめている。
拙いな。ここで『完璧に忘れていました』なんて本当の事を言ったら、俺の信用はガタ落ちになるだろう。
なんとしても誤魔化さなくては。

「え〜と、その話も含めてイネス女史が説明してくれるだろから、そのなんだ………暇だったら、皆にお茶でも出してやってくれ」

「は〜い♪」




    〜 30分後 〜
 

今思えば、俺自身あの映像を見た所為で、正常な判断力を失っていたのだろう。
この失言によって、20人近い犠牲者を出す事に成ってしまった。
せめて、心から彼らの冥福を祈るとしよう。(合掌)




    〜 さらに1時間後 〜
 

かくて、いまだ涙を堪えられない者と身動きの取れない者はいるものの、全ナデシコクルーの合意の下、イネス女史よる運命の説明が始まった。
ちなみに、現在ナカザトを始めとする各部署からのスパイ達は、昨日の夕食時にヤマダと同席して以来、全員人事不省の状態にある。
『軟弱なる者は幸いである。彼らは真の恐怖に立会わなくてすむだろう。 マタイ福音書』
………チョッと違ったかな。

「まずは、端的に結果のみを言うわね。
 例の赤い海ですが、データを取ってみた所、ヘモグロビンと有機アミノ酸によって構成された所謂『原始の海』であるとの結果がでました。
 でも、それは元素構成のみの話。何故かその遺伝子のほとんどに、本来なら考えられない情報が刻まれていたの。
 それを遺跡に通した所、極めて不鮮明ながらも映像データを確認。
 その事から、あの赤い海の実態は一種の記憶媒体であると推測されます。つまり、その〜………」

流石のイネス女史も緊張しているらしく、説明声の調子が何時もよりやや硬い。
何より、彼女が説明の途中で逡巡するなんて、普段なら考えられない事である。

「えっとその〜、ひょっとしてアカッシクレコードって奴ですか。SFなんかでよくある感じの」

先を促すべく、恐る恐るアマノ君が合いの手を入れてくれた。此方は、明らかに緊張顔だ。
無理も無い。彼女の波乱に富んだ人生にあって尚、間違いなく最初で最後の経験と成るものだからな。

「極めて小規模だけど、概念としては同じ物だと思って構わないわ。問題なのは、これが現在ではないという点よ」

「ってコトは、コレって遠い未来なんですか?」

「いいえ。抽出した映像データから判断する限り、この世界は2016年に滅んだ地球の熟れの果てであり、先程の映像は約14年前の物だったわ」

「えっと、それだと現在と168年も差がある事になるんですけど………
 あっ、この際そんな事如何でも良いです。早速その世界へ行ってアキトを救出しましょう!」

アマノ君とは対照的に、欠片も躊躇う事無くイネス女史に詰め寄る艦長。素敵に向う見ずである。
それを受け流しつつ、イネス女史は、珍しく前置き無しに事態の核心を語りだした。

「残念だけど、事はそんなに単純じゃないわ。何故ならこの赤い海の世界は、まだ存在しない物だもの」

「「「はあ?」」」

「実はこの世界は、2016年にある人物を核に構成していた全ての物質が時空間ごと崩壊し、
 その人物が産まれる西暦2001年までの歴史が無かった事になるいう現象を、まるでメビウスの輪の如く何度も繰り返しているの。
 つまり、アキト君達が逆行してきた2196年が私達にとっての現在である様に、この世界が2014年である事は動かしようが無いってことなのよ。
 私としても直接この赤い海の世界に飛んで行きたいんだけど、それを行うには時間移動能力が必要。
 でも、時間という概念を正確に認識するなんて、主観的視点に縛られている私達人類に出来る筈がないわ。
 恐らくは、人類最高のジャンパーたるアキト君でさえ、自由意志による時間移動は無理でしょうね。
 そういう訳で、私達が直接2016年の赤い海の世界へ行く事は、まず不可能よ」

「う…嘘です。そんなの嘘です!!」

なまじ逆行者であるが故に、説明の意味を曲解したらしく、イネス女史に掴みかかるホシノ君。
拙い事に、その目は既に狂気に歪んでいる。
彼女を引き剥がすべく、俺は慌てて二人の間に割って入ろうとしたが、

「大丈夫よホシノ ルリ。
 この世界の2014年になら通常のジャンプでの移動が可能。
 つまり、アキト君の救出は二年後が勝負になるってことよ」

それより先に、イネス女史が掴みかかった体制のままのホシノ君を抱きしめ、彼女をあやす様な調子で…それでいて全員に聞える声でそう語った。
そして、それに答える様に、ホシノ君の顔に理解の色が広がり、次いで今の自分の体制に気付き、

「………す、すみませんイネスさん」

謝罪の言葉と共に、彼女の頬が真っ赤に染まった。

「はいはい、気にしないの。珍しく年相応の行動を執っただけでしょう」

そう言いながら、幼子にする様に抱きしめたまま背中を軽く叩くイネス女史。
ホシノ君の顔は既に赤面を通り越して引き攣っているが、彼女から離れる切っ掛けが掴めず、されるがままになっている。
う〜ん、可愛らしいホシノ君と説明を途中で放り出すイネス女史が見られるなんて、今夜は祝杯ものだな。

「え…え〜と、そもそも2014年の世界に行くこと事態が時間移動にはならないんですか?」

「そ…そうね。それにその世界で下手に行動したら、私達が産まれて来なかったって事になったりしない?」

必死に二人から目を逸らしつつ、艦長とエリナ女史が説明の再開を促してきた。
俺的には、もう少しこのレアな光景を見ていたかったんだが、余り悠長な事も言っていられないのが現状だ。
火星への出向を間近に控えて、皆、時間に追われているからな。

「どちらも心配無用よ。
 だって2014年と言うのは便宜上の呼称に過ぎないし、タイムパラドックスも存在しないもの」

二人の促しを受け、漸くホシノ君を解放し颯爽とホワイトボードの前に立つイネス女史。
クルー達を見渡すその顔は、既に何時もの説明フェイスに戻っている。
そして、全員の注目がイネス女史に集まる中、さり気無く、既に石像と化しているホシノ君に近付くと、
俺は彼女を抱え上げ、そっと映写機の後ろの目立たない席に座らせた。
この辺、大人の気遣いというヤツである。

「それでは何故『タイムパラドックス』が起らないのか、やさしく判り易くコンパクトに説明するわね。
 (コホン)確率論を語る上で『ラプラスの悪魔』というパラドックスがあるわ。
 ある瞬間における全宇宙の全ての粒子の位置とベクトルを測定出来たなら、その後の宇宙における全ての現象を計算のみで現す事が出来る。
 それを可能とする架空の存在が『ラプラスの悪魔』と呼ばれるものよ。
 でも、不確定性原理によって、ある瞬間における粒子の位置とベクトルとを同時に測定する事は不可能とされているの。
 故に『ラプラスの悪魔』は存在せず、未来は不確定であるという事になるわ。
 これが、所謂『神はサイコロを振るか?』という議論よ。
 さて、それじゃ仮に『ラプラスの悪魔』が存在しうると考えてみましょう。
 もしも、ある瞬間の位置とベクトルを計算するだけで、こらから先における全ての現象が計算可能なら、その逆も可能なのではないか?
 すなわち計算だけで、かつて宇宙で起きたすべての現象を表すことが出来るのではないか?
 でも、実際には『ラプラスの悪魔』は存在しないわ。
 未来は不確定で神はサイコロを振り続ける。

 では、過去はどうかしら?
 『ラプラスの悪魔』が存在しないとすると、過去・現在・未来を通じて事象は常に不確定という事になるわ。
 さし詰め『神は日記を付けないし、予定も立てない』と言った所かしら。
 もしも、ある瞬間から過去を観測する事が出来れば、その過去は不確定で無限の可能性を持っている事を証明出来るでしょうね。
 そう、未来の可能性が無限であるのと同様に過去の可能性も無限に存在する。
 この理論を称して『ラプラスの逆悪魔』と呼んでいるのよ」

「え〜と………チョッと、おかしくない? その理屈だと、例えば私と姉さんじゃ昨日の天気が違う可能性があるって事でしょ」

「ええ、その通りよ。(ニヤリ)」

レイナくんの質問に対し、説明フェイスを崩して嬉しそうな笑みを返すイネス女史。
どうやらイネス女史にとって、正に聞いて欲しかった質問だったらしい。

「科学的根拠を伴った天気予報が誕生して、かれこれ300年以上も経つけど、今でも予報が必ず当たるわけじゃないでしょ?
 まあ、コロニーの様に最初から天候制御をしている所を除けばの話だけれどもね。
 例えばある瞬間のデータだけから、二十四時間後と二十四時間前の天気を予測してみれば、当たる確立は殆んど変わらない筈よ」

「でも、二十四時間前の天気なんて殆どの人が覚えてるじゃない。
 未来は兎も角、過去の天気予報に確率論を持込んでも意味が無いと思うんだけど」

「そう、問題なのは其処。記憶と記録の扱い方にあるのよ。
 記憶や記録は物理的な現象ではないでしょう?
 だから、客観的な計算結果と主観的な記憶・記録を同列に扱うこと自体、大きな過ちでしかないわ。
 何故なら、物理学というのは対称性を重んじて発展してきた学問。
 つまり、A=BならばB=Aであり、A=BのときB≠Aという事はありえないのよ。
 これを容認するなら物理学だけではなく、すべての科学という概念が根底から覆されてしまうわ。
 しかしこと時間に関する限り、不思議な事に人類はそのパラドックスを平然と認めてきたのよ。
 未来は不確定であり無限の可能性があるが、過去は確定的で一つのもの。
 そう考えるのは何故? 記憶や記録があるから?
 単なる脳細胞の化学的結合と変化反応が、磁気や炭素分子の組み合わせが、どうして無限の可能性を一つに収斂させる事が出来るの?
 十年前の世界の記述が過去の可能性を決定させるなら、同じように十年後の記述は未来の可能性を決定するはずよ。
 まして、私達は現実に五年後の未来の記憶を持った、アキト君という事例を見ているでしょう?
 もし、過去が不変のものであるならば、私達は常にアキト君達の記憶通りの言動を取らなければいけない事になる。
 でも、現実にはアキト君達の辿った歴史とは、もはや似ても似つかない物となってしまったし、歴史が分岐する初期段階でさえ、
 私達がアキト君達が予測しなかった言動を取った事だって少なくないわ。
 これこそ、過去も未来も無限の可能性をもつ最大の証明ね。
 何しろ『過去と未来』の性質が『現在』から見て等質でないのなら、アキト君達は存在自体があり得ない事になるもの。
 つまり、現在を基準に別の時間軸を過去あるいは未来と呼称しているだけであって、その時間軸の事象の確認する術なんてない。
 故に、時間の流れとは見掛け上のものであり、タイムパラドックスなど存在する筈が無いという訳よ。
 ちなみに、その物的証拠なら、私のすぐ目の前で居眠りしているわ」

何かに必死に耐える様に、硬く目を閉じるイネス女史。
無理も無い。絶好調で説明している最中に、真前で豪快に鼾を掛かれては、殺意さえ湧いても可笑しくないだろう。
単に彼女の場合、知性と理性が無駄だと叫ぶんで、実行に移さないだけなのかもしれない。
実際、護身用の銃で数発撃たれただけでアッサリ死んだ筈の男が、
チョッと一回無かった事にしただけで、何を如何やっても死なない不死身の男に成るなんて、サギも良い処である。

「端的に語るのであれば、現在あの赤い世界は、相対的に2014年の状態と近似値を取る平行世界の一種と成っているわ。
 つまり、あの世界の一年も、此方の世界の一年も、2016年までは、同じ形で流れるという訳よ。
 さて。此処までが向こうの世界の概要。
 そして此処からが、私達が行うべき事柄の説明よ。
 質問は後で受け付けるから、此処から先の説明を良く聞いて頂戴」

目で『此処から先を聞いていなかったらタダじゃ於かないわよ』と威嚇した後、いよいよイネス女史は、計画の骨子について語りだした。

「(コホン)あの赤い海には、アマノ嬢が評したアカシックレコードの様に、2016年までの地球上の歴史が細大漏らさず記録されているの。
 残念な事に連続性が皆無なんで、断片的な情報にならざるを得ないけれどね。
 でも、核となる人物の情報を中心に2015年の情報はある一角に纏められており、その情報から判断する限り、核となる人物になら、
 時空間崩壊現象によるメビウスの輪を断ち切り、赤い海の世界を再構成して2016年以降の歴史を紡ぐ事が可能に成るらしいのよ。
 この辺、核となる人物の情報だからって感じになっているけど、多分遺跡の干渉でしょうね。(怒)
 正直言って、この推論はあくまでも向こうの情報を鵜呑みにして立てたものでしかなく、単に私が踊らされているだけなのかもしれないわ。
 でも、毎回一人だけ再構成された人物がいるのが確認されているから、核となる人物が望む物だけは再構成されるのは、まず間違い無い。
 つまり、この現象をアキト君とブローディアの再構成に置き換えるのが、本計画の骨子というわけよ。
 無論、向こうの世界が2016年後の歴史を歩める様に手を貸す事も吝かじゃないけどね」

実質的なアキトの救出法を語った処で一息付き、クルー達が理解したかどうか確認すべく、会議室内をゆっくりと見回すイネス女史。
その隙に俺は、さり気無く額の冷や汗を拭った。
いや正直な所、今日ほど彼女の説明中に緊張した事は無い。
実際問題、アークの上役の用意した情報を疑われた日には、手の打ち様が無かった処である。
だが、その直後。俺の緊張が緩むのを待っていたかの様なタイミングで、これまで想像すらしていなかった根本的な問題点を艦長が口にした。

「あの、チョッと良いですか?
 アキトが赤い海にジャンプしてくる瞬間を待って受け止める…っていうんじゃ駄目なんですか?
 向こうの世界の人には申し訳ないですけど、再構成なんて危険な真似をするよりも、その方が安全確実だと思うんですけど」

しまった〜、その手があったか〜!

「残念だけど、それは不可能ね。
 何故ならあの赤い世界には、常に高濃度でアンチATフィールド呼ばれる特殊な電磁波の様な物が発生していて、
 全ての物質を、あの赤い海に還元しているのよ。
 つまり、先程の映像を見た限りでは、ブローディアが溶け出したのは、赤い海に触れた所為の様に見えたでしょうけど、
 実際には、あの世界に現れた瞬間から、DFへの侵食が始まっていたという訳ね。
 そして、あの映像から推察するに、DFの強度から考えて、ナデシコではあの世界に入った瞬間に。
 昴氣を纏った北斗君でさえ、極短時間で、致命的な融解現象が起きてしまう。
 従って、その辺の事情をカバーする方法が見付らない限り、その策では死にに行く様なものよ。
 まあ、最悪それを甘受して、アキト君と心中するってのも一つの考えだとは思うけど、私としては願い下げだわ」

そ…そうだったのか。ふう〜、危うくシナリオが崩壊するところ………

「じゃあ、じゃあ。その核になる人物を、この世界に御招待しちゃう…っていうのは如何ですか?
 それなら、アキトは極普通の世界に落ちてくる事に成るんでしょう?」

って、再びしまった〜! 
核となる人物を始末するとか言わないのは艦長らしいが、それだけに反対する余地が無い。
ど、如何すれば………

「良い手なんだけど、それも無理ね。
 実は、インパクトの核に成れる人間は、計画実行者が拘りさえ捨てれば、世界中に数百人も居るらしいのよ。
 勝手の判らない世界で、それを一人も洩らさずに探し出し拘束するなんて、机上の空論も良い所だわ」

「ルリちゃん達なら何とか成りませんか?」

「(ハア〜)艦長、何か勘違いしていない?
 確かにホシノ ルリは、未来に於いて『電子の妖精』とまで呼ばれた程の、その道の第一人者だわ。
 でも、そんな彼女といえども、この世界の総ての情報を掴める訳じゃない。
 まして2015年の世界は、ネットワーク化の黎明期。
 しかも、ゼーレやネルフの様な存在が、合法的に罷り通る世界なのよ。  情報の完全掌握なんて、物理的に不可能だわ」

「そっか。向こうの世界の場合、敵だけじゃなくて土俵自体が無くなっちゃうんでしたね。う〜ん………あれ、如何したんです提督?」

「いや、御二人の会話は少々高尚過ぎて、凡人の俺には難解だっただけさ」

心配顔で覗き込んでくる艦長に、俺は顔を上げる事さえ出来ずにそう返答した。
正直、これ以上は心臓が持たないかもしれない。

『あのあの。そんな複雑な話でしたでしょうか?』

『理解出来るか否かじゃなくて、内容そのものが問題なのよ、この場合。
 何せ、事の成否を決定する部分の話ですもの。
 総責任者である提督にしてみれば、心の準備も無しに行うには、ちょっと酷な論議だったみたいね。
 まあ、そんな訳だから艦長。今みたいな質問は最後に回してくれるかしら』

『は〜い』

ふっ。悪魔とは、こういう時だけ気の効く存在の事を指すんだろうなあ。
わざわざ二人の内輪話を、リアルタイムで伝えてこなくても良いだろうに。

   ワルカッタネ

「えっと。結局、最低でも二年は待たなきゃいけないんですね」

「あら。準備等を考えれば、ある意味理想的なタイムスケジュールよ。
 今現在紅い海の世界に通じていた処で、アキト君だけを再構成する方法がある訳じゃないしね。
 何せ最悪、15年も待たなければ成らない可能性だってあったんですもの。それを考えれば、寧ろ幸い………」

「チョッと待って下さい! 15年って、それじゃまさか………」

「そのまさかよ艦長。みんなも、此処が一番重要だから良く聞いて頂戴。
 もしも今回のサードインパクトの発生阻止、若しくは世界の再構成に失敗した場合、次のチャンスが巡ってくるのは17年後って事に成るよ」

   シ〜〜〜ン

一斉に蒼白と成る某同盟女性陣。
特に、語り手であり最年長でもあるイネス女史の顔は、もうシャレに成っていない。

ちなみに、そんな動揺しまくりな彼女達の中にあって、ラピスちゃんだけが、一人、小悪魔そのものといった感じの邪悪な笑みを浮べたが、
それも長くは続かず、今は他のメンバー達以上に打ちのめされている。
やはり、完全勝利の為とはいえ、17年もアキトに会えないのは嫌だったらしい。

「皆さん、聞いての通りです。ぜ〜〜〜たいに、このチャンスを逃がす訳にはいきません!」

「「「はいっ!!」」」

艦長の音頭で某同盟メンバー達が一斉に時の声を上げ、某組織のメンバー達もウリバタケ班長の音頭により、その決意を新たにした。

「みんな、聞いての通りだ! 世の為、人の為。何よりも罪無き女性達の為、俺達は『次のチャンス』に全てを掛けるぞ!」

「「おうっ!!」」」

「「「ぬあ〜〜〜んですってえ〜〜!!!」」

「へへ〜んだ。別に俺達はアキトが『今』帰ってこなくても、ち〜〜〜っとも困らね〜んだぜ。
 協力して欲しかったら『素敵なお兄様方。如何か哀れな私達を御助け下さい』って、目を潤ませて言ってみな。
 ひょっとしら気が変わるかも………(バコン)」

口上を言い終える前に、ウリバタケ班長の顔面に直撃する映写機。
そして、両者の間に漲る空間さえも歪ます緊張感。こ…この流れは、

「皆さん、アキト奪回戦の前哨戦です。某組織の方々の捻じ曲がった根性を、叩き直しちゃいましょう!」

「「「はいっ!!」」」

「しゃらくせ〜、返り討ちだ!」

「「「おうっ!!」」」

かくて、実に2ヶ月ぶりの聖戦が、ナデシコ長屋に於いて勃発した。
不自由な生活を強いられストレスの溜まっていた両陣営にしてみれば、正に格好の口実だったのだろう。
まあ、アキトに帰ってきて欲しい気持ちは某組織の連中だって同じ筈。
口ではなんと言おうと、ワザと失敗する様な真似はしないだろう……………多分。

「天誅!!」

   ドゴ〜〜ン

げっ、あそこは確か俺の部屋の辺り……………………… あはははっ、今夜は月見酒が飲めそうだ。




『 5月13日 曇り時々晴れ』
   今日、神は死んだ事を改めて再認識した。
   




    〜 佐世保の某所仮設住宅 通称『ナデシコ長屋』の会議室 〜

既に火星行きを一週間後に控えた慌しい時期ではあるが、前回の説明が済崩しに尻切れトンボに終った為、
本日改めて、具体的方法が語られる事になる。
それに先立ち、俺は今後の行く末を決定する上で極めて重要な意味を持つ実験を行った。

「説明・説明・説明・説明………」

   シュイン

「ちょっ〜と待った! って、何で誰も居ないのよ」

予想通り、ボソンの光に包まれイネス女史が会議室にジャンプしてきた。
俺の呼掛けに応えてくれたのは、これでもう三度目である。
もはや疑う余地は無いな。イネス女史には、説明を求める声をキャッチする特殊感覚が存在するとしか思えん。
となれば、やはり予定通り………

「これはこれはイネス女史。お待ちしておりました。ささ、ズイイと奥の席へ」

「ん? 一体如何したのよ提督。妙に爽やかな笑顔浮かべてたりして。何か良い事でもあったの?」

「いや〜、イネス女史の御尊顔を誰よりも早く見れた事がなによりの吉事ですよ。はははっ」

そう。前回自分の限界を悟った俺は、俺の知る限り最も器用に人生を立ち回っている人物に学ぶ事にしたのである。
嗚呼、ちょっと丁寧語を使うだけで危険人物達からノーマークになるなんて。
この法則を体系化出来れば、間違いなくノーベル平和賞物だな。

「まっ、何があったかは聞かないで於くけど、その態度は止めた方が良いわよ。
 提督みたいな外見の人がそんな態度をとっても、慇懃無礼通り越して滑稽なだけだから」

イネス女史は、今日の天気でも語るかの様にさも当然いった口調でそう言うと、
ホワイトボードの用意されていない壇上を不満げに一瞥した後、一番後ろの席に座った。

………ふっ、泣くもんか。




    〜 30分後 再び『ナデシコ長屋』の会議室 〜

色々ショックな事があって、出来れば自室に帰って自棄酒を煽りたい心境だが、立場上そういう訳にもいかない為、
俺は死力を振り絞って、本日の会議を進行させている。
当然、プロスさんの真似は既に諦め、本来の口調でだ。

実際、あれはかなりの失敗だった。
あんな無茶な計画を実行する辺り、俺は、自己診断の結果以上に追い詰められた精神状態にあるらしい。
いや、最初に披露したのがイネス女史で良かった。もしも他のクルー達の前で、あんな真似をやっていたら………

と、内心冷や汗をかいている間に、俺は前フリの部分を語り終えた。
この手の定型の単純作業と思考の分割は、既に俺のささやかな特技と成っている。
正直、あまり身に付けたい技能では無かったがね。

「という訳で、今から流すのは、2014年の世界の監視装置の類から拾い集めてきた映像を編集した物だ。
 よく観察し、その特色に気付いて欲しい」

やけくそ気味な心理状態を押し隠してそう締め括った後、俺は映写機のスイッチを入れた。

〜 「さぁ〜、メシやメシっ!!」(ジャージ服の少年) 〜

〜 「いや〜〜〜んな、感じ」(カメラを片手にした眼鏡の少年) 〜

〜 「きゃ〜〜、不潔よ!」(ソバカスが特徴的な、おさげ髪の少女)〜

〜 「んぐんぐんぐ……ぷっはーっ! こおの一杯のために生きてるわあっ!!」(夢の島の様な部屋で暮らす妙齢の美女) 〜

〜 「無様ね」(金髪黒眉の女科学者) 〜

〜 「不潔」(童顔のオペレータ) 〜

〜 「おい、碇。こんな事は俺のシナリオには無いぞ」(好々爺然とした老紳士)〜

〜 「問題ない。(ニヤリ)」(見るからに怪しい髭眼鏡の男) 〜

「ひょっとして、エヴァンゲリオン?」

「ん? そう言えば、大戦中その言葉は何度か耳にしたけど………何かなそれは?」

問題の映像から、アマノ君が作品名を口にしたが、アカツキを始め、回りの反応はイマイチだった。
どうも、2198年での知名度は、俺の予想以上に低いらしい。
かく言う俺も、件の作品を観た事は無く、映像作品としては兎も角、現実には起こって欲しくない内容だと類推する程度の知識しかない。

「え〜、アマノ君の推察通り、2015年のこの世界の世界情勢は、件のアニメと酷似している。
 先程の映像以外のデータの調査結果も同様だ。
 そこでだ、(ドスン)向こうの世界の参考資料としてアニメ版の新世紀エヴァンゲリオンを用意した。
 総上映時間は約12時間の完全版と、ラピスちゃんに編集して貰った約3時間分のダイジェスト版の二種類を用意したので、
 各自来週の火星行きまでに目を通しておいて欲しい」

余りにも常軌を逸した話に騒然とするクルー達。
無理も無い。何しろ俺自身、『実は自分はとっくに気が狂ってるんじゃないか』と疑っている真っ最中だからな。

………いかん、いかん。『ブラボー、もう責任をとらんでも良いってこった』とか考え出す前に話を進めなくては。

「なんでえ、そんなもんかよ。じゃあ、一丁此処で上映会といこうぜ提督」

と、苦悩する俺を嘲る様に、唯一欠片も動揺していない男が、事態を全く理解していない発言をしてきた。
正直言って羨ましい限りだ。 ん? まてよ。それならそれで………

「あのなあヤマダ。
 暇さえあればゲキガンガー全39話+劇場版のマラソン上映会をやってるお前にしてみれば、12時間の上映時間は寧ろ短い位なだろうが、
 普通の人間には長すぎるんだよ」

「そこは気合と熱血でカバーして!」

「関係あるか!」

「なら、この際チケット代払っても良いから!」

「これは会社の備品。視聴に関する権利はネルガルにあるんだよ」

「ええ〜い、それならそのSDVDは俺が買い取る。それならイイだろ?」

「だあ〜、何でそんなに上映会に拘るんだよ。
 お前の部屋は『その為だけ』に離れに特設してやったんだぞ。
 あそこの防音設備を整えるに幾らかかったと思ってるんだ。ちゃんと有効活用しろ」

「しゃ〜ねだろ。管理人さんに、『これ以上負荷を掛けると変圧器がイカレるから節電を心掛なさい』って、再三注意されちまってるんだよ」

ああもう。次から次へと新たな問題を起こしやがって、この馬鹿は! 

「………判った。
 これより本会議場にて、新世紀エヴァンゲリオンのマラソン上映会を行うので、希望者のみ参加してくれ」

「おっしゃあ!」

歓声を揚げるヤマダから成るべく目を逸らしつつ、全体を見渡し状況を確認する。
よしよし。馬鹿の尻馬に野って、俺自身も事態を理解していないフリをして話を進めた御蔭で、
済崩し的他のクルー達も『これはそういうもの』だと、思考の棚上げをしてくれた様だ。
3分の2のクルーが黙って退室したが、ちゃんとダイジェスト版のSDVDを持っていったし、
残りのクルー達も、半ば呆けた顔ながら、件の上映会に参加の意思が感じられる。
正直、人として大事な物を失った様な気がしないでもないが、今は考えまい。
全てはアキトが帰ってきてから修正すれば良い。

そう、物事は前向きに考えるべきだ。
ラピスちゃんの話では、この作品は、放送された20世紀末に於いて社会現象にまで成った傑作らしい。
今日は一つ、嫌な事は全て忘れ、童心に返って楽しませて貰うとしよう。
何故かラピスちゃんまで退出していったのが気に掛かるが、解説役ならアマノ君が………

「ん? 如何したんだアマノ君。青い顔をして?」

「いやその何でも無いって言うか、手の施し様が無いって言うか、その………兎に角、観れば判りますよ、あはははっ」

何時に無く歯切れの悪い彼女の態度に若干の不安を覚えたが、それも観れば判るだろうと思い、敢えて何も聞かず、俺は映写機の再生ボタンを押した。




   〜 新世紀エヴァンゲリオン(OP+ED+予告+25・26話カット版全24話)鑑賞中。暫く御待ち下さい。〜




『我らの正義はことごとく汚れた下着の如し イザヤ書64−6』




   〜 引き続き劇場版を鑑賞中。今暫く御待ち下さい。 〜

「パトラシュ、俺はもう疲れたよ。このまま眠らせておくれ」

「(ユサユサ)しっかりして下さい提督! 気持ちは判りますが、現実逃避しても問題は解決しません」

「す……すまんな艦長。(フルフル)もう大丈夫、大丈夫だ」

危うく永遠の世界に旅立つ所だった俺の自我意識は、艦長に揺り起こされ如何にか現世へと復帰した。
そう。準備の為の時間は、既に一年を切っている。暢気にルーペンスの宗教画の鑑賞などしている場合じゃ無い。
一頻り頭を振って、ありもしない信仰心を振り払うと、俺は己を奮い立たせ、再び壇上へと上がった。

「え〜、今の映像を全て見終えた勇者諸君には今更言うまでもないとは思うが、敢えて纏めとして語らせて貰おう。
 要するに、前回の説明に出てきたサードインパクトの依り代となる人物が、このエヴァンゲリオンの主人公、碇シンジ少年であり、
 彼に世界を再構成させれるだけの精神力を持たせるのが、本計画の骨子という訳だ」

   シ〜〜〜ン

静まり返る会議室内。まるで、クルー達の心象風景を投影しているかの様だ。
俺自身、自分で言ってて泣けてきた。
ハッキリ言って難易度高すぎ。のび太君を勇者にするより難しいかもしれん。
出来れば、『世界を救う英雄を産む予定のブロンドの美女をガードする』って方に、路線変更して欲しいものだ。

「あの〜提督。それは事実上の不可能と言うのでは………」

「無理でもやるんだよ。
 これ以外の方策となると、十中八九、ゼーレとネルフを完全に潰す方向で進み、その過程に於いて、何億人もの犠牲者を出す事に成るだろう。
 だから此方の策は、シンジ少年が『見込み無し』と判断せざるを得ないギリギリまで使いたくない。
 そして、幸いこの件に関しては、俺に妙案があるので任せて欲しい」

「妙案?」

「そうだ。はっきり言って、向こうの世界の為政者達の横暴ぶりは、此方の世界を基準にしても常軌を逸している。
 イザとなったら、シンジ少年の関係者を公開処刑にする位、平気でやりかねん。
 そこで、彼の性格改善の為の指導は、俺の知る限り最も非常識かつ戦闘力の高い人間。北斗に任せようと思っている」

「そ…それでは、彼の命は幾つあっても足りないのでは………」

予想外の返答に目を丸くするアリサ君。他のクルー達も呆れ顔だ。
無理も無い。俺自身、二ヶ月前に『その役は私か北ちゃんに頂戴♪』と枝織ちゃんが言わなければ、思いつきさえしなかった様な話だからな。
だが、これはもう決定事項なのだよ。(泣)

「それについても考えてあるので安心してくれ。
 まあなんだ。兎に角、彼の性根を叩き直す事に付いては、余り考えなくて良い」

「なあ提督。一寸前に艦長が言ってた御招待で、コッチに隔離するってんじゃ駄目なのか?」

半ば呆然としているアリサ君に変わって、今度はスバル君が、別の角度から翻意を促してきた。
実際、それは俺も一度は考えた手なのだが………

「世界を再構成して貰うのが目的である以上、2015年の世界に対し、彼が愛着心若しくは執着心を持っていてる事が望ましい。
 従って『未来の世界へ御招待』作戦は一寸拙いな」

「でもよ〜、だからって北斗はナイんじゃね〜か。死んじまったら元も子もね〜し。
 そうだ。なんだったら、俺が教官役をやってもいいぜ」

うん、それも悪くないね。とゆーか、常識的には其方を選択するんだろうが、

「すまんが、それも却下させて貰う。
 正直な所、教官役という事に限定するならば、俺も君かアリサ君に頼んだだろう。
 だが、相手は徹頭徹尾非常識な組織だ。
 目障りだと思えば強制的に排除しようとするだろうし、手強いと成れば暗殺から大規模戦力の投入まで、あらゆる手段を辞さないだろう。
 つまりだ。俺が北斗を教官役に選んだのは、そういう相手を、有無を言わさず黙らせる力の持ち主である事が最大の理由なんだよ」

「な…成る程」

俺の返答に、一応納得してくれるスバル君。
だが、これは余りにも穴の多い理屈であり、彼女以外の者にとっては、許容し難いものがあるだろう。
その辺を含めて一気に黙らせるべく、俺は更に畳み掛けた。

「ついでだから言わせて貰えば、俺はシンジ少年の将来については欠片も心配していない。
 何故なら、サードインパクト阻止シナリオの方を選択した場合、彼は確実に死ぬ事になるからだ。
 先程も言ったが、サードインパクト阻止シナリオの場合、億単位の犠牲者を出す事になる。
 となれば、渦中の人間である彼が、その一人になる可能性はかなり高いし、
 仮に生き残った所で、人類の敵として吊し上げを食うのは、まず間違い無いだろう」

「な…なんでだよ!」

「彼が、碇ゲンドウの息子だからだよ。
 ネルフを潰すにはゲンドウを消すしかない。そしてネルフ壊滅後の人類は、当然ながらその原因。
 この場合は、人類の裏切り者に対し復讐を求めるだろう。
 そうなれば、シンジ少年程その役を負わせるのに都合の良い人物はいまい? 所謂、『追難(ついな)の鬼』というヤツだ」

「ちょっと待てよ。あの坊主には何の罪も無えだろう!」

スバル君が、義憤に燃え吼える。
だが、これは此方の注文通りのリアクションだ。
他のクルー達の気持ちも代弁しているだけに、此処で彼女を納得させれば、済し崩しに全員を納得させられる。
そんな思惑を押し隠しつつ、俺は、予め用意してあった説得のネタを披露した。

「今日を生きる為には復讐の対象が必要な人間に、倫理観なんて求める方が無茶と言うものだぞ。
 彼らにとっては、碇ゲンドウの息子である事自体が罪なんだよ」

「そ…そうか〜」

「それにだ、北斗の怖さを肌で知っている君らには異論があるかの知れないが、
 俺の認識では、彼は決して、血に飢えた修羅なんかじゃない」

「いや、俺だってそんな風に思っているワケじゃネエが、
 なんて言うか、こう………そう、狼は童話と違って悪党じゃね〜けど狼って言うか、その〜」

困惑を隠し切れない表情で、歯切れ悪く語るスバル君。
どうも、気持ちが先行して空回りし、上手く喋れないらしい。
愛すべきその姿を微笑ましく眺めつつも、それをおくびに出す事無く、俺は話を纏めに掛かった。

「君の言いたい事は判らなくもない。
 北斗にとっては軽く撫でただけでも、シンジ少年にとっては致命傷に成りかねないと言いたいのだろう?」

「そうそう。それだよ、それ!」

「それについては心配しても仕方が無いだろう。それで死んだ場合は事故という物だ。」

「きっぱりと人災だろうが!」

「いいや、事故だよ。
 君は忘れてるかも知れないが、優華部隊の面々は、北斗の世話を日常レベルでやっていたんだぞ。
 それを考えれば、命に関わる様な事なんて、そう頻繁に起きている筈がないだろう?」

「ああっ!(ポン) でも、だからって………いや、そうだよな。
 すまねえな提督。どうにも上手く纏まんなくてよ〜」

「いや、君の心配はもっともだ。
 実を言えば俺自身、『そのまま』では、シンジ少年は天寿をまっとう出来ないと思う。
 そこでだ、緩衝役として、優華部隊の人間を回して貰える様、紫苑君を通して東提督に打診してある。
 これが断られた時は、計画自体を見直すから安心してくれ」

「そ…そうか。ならイイか」

内心、義侠心とアキトの狭間でかなりの葛藤があった様だが、スバル君は矛を収め、
他のクルー達も、内心思う所があるのだろうが、取り合えず納得してくれた様だ。

「それでは、次の集会は火星に付いてからという事になる。
 この件に関する最終的な方向性を決定するのはその時になるので、今日観た資料を参考に各自意見を纏めておいて欲しい。では解散。(ボカ)」

俺が一番前の席で爆睡しているヤマダを殴りつけたのを合図に、クール達が三々五々退室していき、
それでも目覚めないヤマダを会議室から放り出して、本日の会議は終了した。
只今午後11時。俺は誰も居なくなった会議室で今日行った事を反芻している。
色々アクシデントはあったが、これで伝えるべき事は全て伝え終わった事になる。
現在の大雑把な状況は、全クルーが認識し、懸案の一つだった北斗教官役の話も、ある程度好感触を得る事が出来た。
もはや問題は『向こうの世界での具体的な行動について』に移ったと考えて良いだろう。
考える時間は二ヶ月も有った御蔭で、無茶な話を通す為の後付の屁理屈も、もう5〜6個ストックがあるしな。
それにしても…………

体中がムズムズする。全身の血が………いや、DNAが俺に叫べと言っている。
幸い、この会議室も防音設備が整っている。
孤独を確認する。も、もはや限界………

「うおおおおおっ〜〜〜!!
 何処のどいつだ。あのビヤ樽に、軍事教育を施した奴は!
 つ〜か、アレを軍人と呼ぶこと自体、軍人に対する耐えがたい冒涜だ!
 殺せ〜! 誰か、あの馬鹿女を殺してくれ〜!」 

   ダメダ、コリャ

「五月蝿い。ナイスミドルにだって、身も世も無く喚きたくなる夜が有るんだよ。
 せめて見て見ぬフリ位しやがれ、この×××××、××××××、×××××〜、×××の××××〜!(御好きな悪口雑言をお入れ下さい)」




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